唐木順三『「科学者の社会的責任」についての覚え書』ちくま学芸文庫、5-96頁
(2013年5月15日)



本書は、戦争を否定し平和を希求する科学者の集まり、パグウォッシュ会議(1957年)の開催に触発されて書かれた。唐木は会議の姿勢は評価しつつも、科学の発展そのものが文明や人類を破壊しうるという認識が科学者の側には足らないと厳しく指摘する。破滅的な技術を産み出した科学者による罪の自覚、人間性と乖離して進展していく科学のニヒリズム……二十世紀を代表する批評家が最後の力を振りしぼって遺した警世の書。

発表者:加藤夏海(都市政策コース2年)、野木春奈(フランス語圏文化論2年)

1−2章

1955年7月 ラッセル=アインシュタイン宣言(p12~)
   …科学者が科学者を超えた人類の一員として、地上の生きとし生けるものの存亡について発言した宣言。1954年ビキニ水爆実験に第五福竜丸が遭遇したことを背景にして発された。
1957年7月 パグウォッシュ会議(p7~) …科学者たちが科学者の立場から発言した会議。
・原子エネルギーの利用(含平和的目的)の結果による障害の危険
・核兵器の管理
・科学者の社会的責任 …科学の研究の自由、科学的真理の無限探究の自由を掲げながら、その成果(核力など)に制限を置く努力をすること。
☞「…これは世界観としては統一されていず、科学者らしくと、人間らしくは統一されていないが、この問題提起を、思想家はいっそう深いところで考えなければならない。
…科学技術の非可逆的な進歩が文明、したがって人間を逆行させ、或は喪失させるということは、夢でも幻でもないのではないか。」(p10~)
☛筆者は科学者による科学的探求について厳格な態度

☞1962年開催の科学者京都会議について
「『科学者京都会議』という…然しまた、『科学者京都会議』という名称が、どこか不自然であり、なぜ『科学者』という文字を特別に冠したのか理解に苦しむ。」(p16~)


(プロメーテウスはゼウスの命令に背いて、人類の幸福のために火を与えた。火は技術や文明を人間にもたらすと同時に戦争のような暴力をももたらした。プロメテウスは、核のように、人間が制御できない技術の隠喩として用いられてきた。以下、図像はすべてプロメテウス)

3−4章

☛アルベルト=アインシュタイン…「科学者の社会的責任」について問われた人物。
1914年平和主義を掲げ反戦運動を行う。 Ex.)兵役拒否
「現在、さまざまな国の人が、国家のために殺人の罪を犯していることに気づいてほしいと思います。いかなる状況でも兵役は拒否すべきなのです。兵役を指名された人の2%が戦争拒否を声明すれば、政府は無力となります。なぜなら、どの国もその2%を越える人を収容する刑務所のスペースがないからです。」
1933年ナチスの迫害を逃れて、アメリカに亡命
1939年ルーズヴェルト大統領に原子爆弾開発を示唆
・ナチス・ドイツ、ヒットラー独裁の全体主義に対する憎悪(p22)
・己が属する民族(ユダヤ人)の誇り(p26)
・ナチスがチェコスロバキアのウラン鉱山を支配下に置いたこと(p22)
・アフリカのコンゴにあるウラン鉱山を支配下にいれる可能性があること(p22)
   ⇒原子爆弾は対ナチスの兵器
1945年広島・長崎への原爆投下に対し”Oh,weh!(ああ、かなし)”
   ☞『科学者の社会的責任』という、とてつもなく困難な問題につながっている。(p25)
1946年・「解放された原子力は、われわれの思考様式を除いて、一切のものを変えました。
 …科学者は原子を管理すべき、この世界の生死を決める闘争における、圧倒的責任を背負っています。」(原子科学者緊急委員会の発足後の訴え)(p27)
・世界政府樹立を進言。(p28) ※その後ソ連の水爆実験などにより現実味は薄れていく…
1954年雑誌「リポーター」にて…「もし私が再び若人となり,生計をたてる最良の方法を決定しなければならないとすれば,科学者や学者,それから教師になろうとはしないでしょう。ブリキ職人か行商人かになることを,私はむしろ選ぶでありましょう。」
☞ユダヤ人の血統/自己への悔恨の念

5章

1948年以前、アインシュタインのガンジー(および非暴力)に対する見解(p31)
 ・ガンジーの無抵抗不服従主義はたいへん重要
 ・ガンジーの経済上の見解には疑問 ・無抵抗はナチスには無効

1948年以降、アインシュタインのガンジー(および非暴力)に対する見解(p29-31)
 ・暴力はそれ自体悪
 ・ガンジーのような人々が道徳上の行為の進歩に関しては、科学がなしえた以上に人類に貢献した
 ☞己の行為に対する反省、強い悔恨

『原子力戦争』より、ガンジーの原子爆弾に対する見解
・原子爆弾は信仰を爆破しなかった
・真実と非暴力が最も強力な力であることが明らかになった

『チャップリン自伝』より、ガンジーの機械に対する見解
・機会が世のため、人のために使われるのであれば問題ない
・インドでは機械によってイギリスの奴隷となってしまっている→手紡ぎ車は対英国の実物教訓

ガンジーの手紡ぎ車…ヒンドゥー教由来
 アインシュタイン「生まれかわったら、行商人か鉛管工になりたい」…ユダヤ教由来
 ☞両者にはなにか通じ合うものがあるのではないか



6章

アルフレッド・ノーベル…ダイナマイトを開発し、その特許によって莫大な財産を築いたが、晩年その財産を基金としてノーベル賞(物理、化学、医学、文学、平和の5部門)を創設。
ただし、平和賞と物理学賞における矛盾が生じ始める。 Ex.)原爆開発を推進したエンリコ・フェルミやロレンスの物理学賞受賞

アインシュタインによる科学と宗教についての言及(p38-41)
・人類は優秀な科学者を生み出してきたのにかかわらず、科学者は政治的紛争と経済的不安に対して適切な見解を見出すことに無力であった。
・客観的真理を提示する科学は人間の目的を演繹することはない。
・客観的真理を提示する科学と根本的目的や価値を明示する宗教は補完しあうものである。
・「科学の領域において…最も高い意味における宗教的なものに思われる」
☞科学と宗教との調和について楽観的に考えていたために原爆投下から受けた衝撃は大きかった(p42)
 ☛アインシュタインの「科学と宗教」は原爆投下による衝撃の要因とはならない。
  唐木さんは科学と宗教の調和に対して慎重な姿勢。

7章

1943年ニュウ・メキシコで世界初の原爆実験
   …「ヒットラーへの恐怖からふみきられたこの計画が、ヒットラーもナチスも壊滅した直後に実を結んだわけである。」
【反対者】
レオ・シラード…アインシュタインに原爆開発の緊急性を知らしめたが、ドイツの降伏後は日本への原爆投下に反対。世界政府樹立に必要性を説く。
ニュウ・メキシコのインディオ ↪1954年ビキニ環礁での原水爆による第五福竜丸の被害 ☞道義的責任を感じなければならない
【推進者】
オッペンハイマー…ニュウ・メキシコの原爆実験の最高責任者。1953年BBCにて原子力が戦争を終結させる根拠になることを述べる。
☞なぜ原子力が戦争を放棄する要因となりうるであろうか
 原爆を開発したアメリカのヘゲモニーによる世界平和という構想 ☛ただし、オッペンハイマーは晩年、核兵器に反対の意を表明していた。



8章

1957年4月 「ゲッチゲン宣言」(p50~)ハイゼンベルクら18人のドイツの科学者
「その要旨は、ドイツ国民に対して原子力兵器の持つ危険な働きについて啓蒙すること、アデナウアー政権の核武装の招く危険性について注意を喚起すること」
ドイツ政府の核物理学への出資 学問の奨励のみならず核エネルギイの利用、軍事力強化の手段として核を利用することも考えていたと考えられる
→「核エネルギイの平和的利用は可、核兵器は不可という単純な区別はもはやできなくなってきている」(p53)

ワイツェッカーとハイゼンベルクの問答
1938年 オットー・ハーンの発見「ウランに中性子を照射すると、原子核に分裂が起こり、巨大なエネルギイを発散する」(p56)
広島の原爆投下という惨事(1945年)、オットー・ハーンは絶望

ワイツェッカー「発見者と発明者との間に根本的な区別をしなくてはならないだろう」(p55)
       「原子核の分裂に関するハーンの実験は発見」(p55~56)、爆弾を作り出した(発明した)アメリカの物理学者が責任を負わなければならないと主張

⇔実験装置を拡大すれば核爆発原子爆弾も製造可能
「「発見」は必ず「発明」、即ち科学的真理の実用に結びつき、近代科学文明社会が出来上がった」(p57)
→「知ることは出来ることである」(p57)唐木氏はハーンにも一定の責任はあったと主張

ハイゼンベルクの「世界の中心的秩序」(p59)
「科学的・技術的な進歩は…地球上における独立した政治的単位をますます大きくし…ついには一つの中心的秩序の樹立を目指すということになる」(『部分と全体』(山崎和夫訳、みすず書房、1974年刊、318頁)
⇔「ラッセル・アインシュタイン宣言」、「パグウォッシュ会議声明」のような「政治的社会的概念ではなく、メタフィジカルな、いわば哲学的概念」(p59)
ハイゼンベルク:「どの冬の後にも、やはり花は野原に咲き、どの戦の後にも、街は再び建て直される。だから無秩序(カオス)はいつも繰り返して秩序ある状態へ転換していくというこの事実を言っているのさ。」(p60~61)

唐木氏はビキニ水爆実験の2年前の発言であることは考慮すべきであるとしてはいるが、楽観論と批判。
原子兵器を用いた戦争が起これば「地球上のあらゆる生物、人類の廃絶を招くおそれのあることはいまや周知」(p61)

「劫火洞然として大千倶に壊す」 『碧厳録』第二十九則より
「劫火=原子兵器」とすると「人類に課された公案と言わなければならない」。(p63)

章全体を通して、唐木氏は科学者たちが自分たちの研究やその結果に対して責任を負うべきだと主張。



9章

ハイゼンベルク『現代物理学の自然像』(1955年)「人間と自然の交互作用の一部としての自然科学」
ハイゼンベルクは上記の著書で『荘子』の「外篇」第十二「天地篇」の中の子貢の話を引用。
「機械ある者は必ず機事(からくりごと)あり。機事ある者は必ず機心あり。機心、胸中に存すれば、則ち純白備はらず。純白備はざれば、則ち神生(精神の本性)定まらず。神生定まらざる者は、道の載せざる所(道によって支持されない所なり)なりと。」(p65)

機巧、機心(策略、いつわり巧む心)が進歩を生み、進歩がまた新たな欲望を生むことで文明が発展する。
→「進歩の極限に原子力エネルギイが、近代科学文明のなれのはてとして出てきて、それが人類、また一切の生きとし生けるものの死滅につながるという畏れが普遍化してきた。」(p66)
ハイゼンベルク:「「精神の制御の不安定」ということは、われわれが現在の危機の中にある人間の状態に与えうる、おそらく、もっとも適切な表現の一つ」(p67)
→最近50年急速な技術発展に人間が順応できていないという状況

デカルト
「世間で演ぜられるあらゆる芝居においては、俳優ではなく、常に観客であろうとつとめよう」(『方法叙説』)→「主と客という厳格な二元対立」(p68)
⇔「量子力学では成立しえなくなった」(p68)
ハイゼンベルク:「自然科学はもはや観察者として自然に立ち向かうのではなく、人間と自然の相互作用の一部であることを認める。」(『現代物理学の自然像』邦訳、23頁)
「自然を扱う科学にとって、研究の主題はもはや自然それ自体ではなく、人間の訊問に委ねられた自然である。このやり方では、人間は自分自身に出会うにすぎない。」(p70)

→「古典的意味での自然法則」(p70)はもはやなく、「美しい調和と秩序の世界」(p70)とも無縁な現在の量子力学、素粒子物理学。
それに相対するのがハイゼンベルクの「世界の中心的秩序」だと唐木氏は考えている。(「世界の中心的秩序」を前章では肯定的にとらえていないように感じたが…。)

10章

ラッセル・アインシュタイン宣言
「「その存在が疑問視されている人類、人という種の一員」として、やむにやまれない発言であり、訴え」(p82)
「パグウォッシュ会議声明」「報告」は全11項目。

序言「科学者が自分の専門的研究の外に、戦争を防止するために全力をつくし、恒久的かつ普遍的平和を確立するために、できるだけの助力をすることは、科学者の最高の責任であるというのが、私たちの責任である云々」(p81)

「科学者の専門的研究が主で、戦争防止、世界平和の確立への努力は助力という風に受け取れる。」(p81)
科学者以前に人類としての宣言であった「ラッセル・アインシュタイン宣言」と明らかに異なる。
さらに第二回以後、パグウォッシュ会議は政治的・外交的なものになっていく。
(EX:第3回のテーマは「軍縮」、第4回は「軍備管理」、「奇襲攻撃に対する安全保障」、「核兵器の拡散防止」)
→「ラッセル・アインシュタイン宣言」の本旨から離れたものになってしまった。
そこで当初の精神に戻るために、1962年5月 「科学者京都会議」開催
 ・発起人21人はすべて日本人。
 ・『平和時代を創造するために』(岩波新書)としてその模様が発行された。
⇔「曖昧な点を残している」(p86)
「全体的破滅を避けるという目標は他のあらゆる目標に優位せねばならぬ」(湯川秀樹)→「ラッセル・アインシュタイン宣言」の精神の継承

この会議での湯川氏の講演「科学者の責任」でその詳細が説かれたが…
「ほかのことは忘れて研究に専念するがよいという考えの方が、物理学者の間では支配的であった。この点は今日でも、また今後も、ある意味では正しいと思う。」
「物理学とヒューマニズムは切りはなされた別々のものではなくなってきた」

第25回パグウォッシュ会議(1975年8月)「科学者京都会議」の延長
「会議の最も重要な目標は「核兵器が「絶対悪」であることの確認、それに関連して核時代における科学者のモラル、および科学者の社会的責任の再認識を促す」という点」(p86~87)

唐木氏:核兵器が「絶対悪」ならば「核兵器を造り、その実験に携わったものはもちろんのこと、それの根拠となる理論、条件を明らかにした現代物理学…に直接、間接に関与している学者、技術者もまた「悪」にひきずりこまれた者とすべきではないか」(p89~90)
→「絶対悪」は客観的な価値判断にすぎない

『アインシュタイン平和書簡』
アルフレッド・B・ノーベルの心理に触れた文章
ダイナマイトの発明→破壊手段の発明という「完成」
その「罪滅ぼし」のためにノーベル賞を設立したと推測→科学者自身が罪の意識をもって責任を取ろうとした例
客観的な価値判断である「絶対悪」と「罪滅ぼし」「罪」の違い→「科学者自身の心」(p95)があるか否か
「自己責任の問題、「罪」の問題まで触れるべきこと」が当然であると主張している。



〈原水爆に関する年表〉
1939年8月 レオ・シラードの勧めでアインシュタインがルーズヴェルト大統領に原子力の軍事的可能性について示唆/マンハッタン計画の開始
9月 ナチスのポーランド侵攻によって第二次世界大戦開始
1945年4月 ヒットラー自殺
5月 ドイツ無条件降伏
7月 ポツダム宣言提示/ニュウ・メキシコのアラモゴで世界初の爆発実験成功
8月 広島・長崎に原爆投下
1946年7月 米、ビキニ環礁で原爆実験シリーズを開始
1949年8月 ソ連、初の原水爆実験成功
1950年 3月 世界平和擁護者大会常任委員会がストックホルム・アピール発表
1954年 3月 ビキニ水爆実験に第五福竜丸が遭遇
1955年 7月 ラッセル=アインシュタイン宣言
1957年7月 パグウォッシュ会議

参考資料
・Albert Einstein Science and Religion=http://www.panarchy.org/einstein/science.religion.1939.html
・日本パグウォッシュ会議 http://www.pugwashjapan.jp/index.html


西山雄二
20世紀の科学技術はマンハッタン計画によって大きく進展し、国家・資本・大学が密接に連動した社会的推力を確固たるものにした。冷戦における苛烈な競争において科学技術の発展が強大国の将来を決定する以上、科学者の立場は必ずや国家や資本に絡めとられる。20世紀中葉の息づかいが感じられる本書では、しかし、科学者が人類の名においてその社会的拘束性を脱し、自らの社会的責任をいかに果たすかが説かれる。唐木の絶筆である本書は、病床での執筆のためか、無駄なくり返しや筆勢の衰えは否めないが、しかし、人類への祈りのような声調が響いている。発表は2年生ながら説得的かつ充実したもので、レジュメ文章に付加されるテンポ良い巧妙な語りが聞き手を引き込んだ。

加藤夏海(都政政策2年)
レジュメもうまくまとめられず、発表中も皆さんに伝わっている気がしなかったので申し訳ない気持ちでした。たぶん、本文を読んでいただかないとわからなかったかと思います。ただ、今回私が担当した「科学者の社会的責任についての覚え書」はちょうど科学と技術が合流した時期、そして科学が科学だけでは成立しなくなってきた科学史における重要なターニングポイントを取り扱っており、科学史などに対して無知だった自分にはとても勉強になりました。内容的な部分について言えば、唐木氏は全体を通して科学をするにおいて科学以外(たとえばヒューマニズム)は排除すべきという科学者の意識が原水爆実験の起きた後、未だに払しょくされていないという指摘をうるさいほどしています。このように科学の外側から科学をみつめ、危険な方向に行くのを止めるという唐木氏の姿勢はちょうど前々回の講義で扱った「科学の限界」の討論で大江さん(間違っていたらすみません)がおっしゃっていたものだと思いました。また、自然探究を行う科学者とそれを見つめ、指摘をする人文学者(含一般人)の関係はどこか作家と批評家の関係に見える気もしました。作家と批評家はただ対立するのではなく、批評家による論評によって作家は作品を磨いていきます。池内さんはみんなが科学者であることを1つの理想として掲げていらっしゃいましたが、数量化、専門化された科学に対しては、作家と批評家のような関係で科学者と人文学者(含一般人)がかかわっていくこともできるのではないかと思いました。

川野真樹子(表象修士1年)
西山先生の「現代の大学は科学と技術の切れ目のないところに存在している。」というお話と「中世の大学では今の教養課程のような扱いで哲学が必修だった。」というお話のふたつが印象に残った。確かに私の知っている範囲の哲学の知識でも、現代の感覚からすると科学(物理学や天文学)の範疇に入るのではないだろうかという中世の哲学者が何人かいる。(たとえばガリレオ・ガリレイやジョルダーノ・ブルーノなど。)これらを踏まえると、近年盛んになってきた科学哲学の考え方、需要も納得できるように感じる。もともと科学と哲学とは分離して考えるような学問ではなく、理系と文系の二項対立で学問を捉える状態が不自然なものであって、今は自然な状態(科学と哲学とを同時に考えること)に戻そうという力が働いているのではないだろうか。今までは、なぜ科学と哲学が結びつくのか理解はできていても納得できていなかった部分があったのだが、今回の授業を通じてその疑問が解消されたように思う。

浅利みなと(哲学2年)
お二方の発表とも分かりやすく、より深く唐木さんの考えを理解できた。あの時代に一流の科学者として生きることの苦悩のようなものがひしひしと伝わってくる。ヒロシマ、ナガサキの原爆や、フクシマでの原発事故に対する科学者の責任ということについて考えてみると、ふと小学校でよくあることを思い出した。小学校高学年といえば異性が気になりだす時期である。そこで友達と恋愛の話になって、こっそりと好きな人を教えたりする。誰にも言わないという条件付きで。そうすると、なんと不思議なことに数日後にはクラスの男子の大半が知っていて、みんなからからかわれたりするのである。誰が広めたのかは、責任のなすり合いになる。果たして誰が悪いのか。結果の深刻さからすると、比べものにはならないが、自分の力の及ばないところで話が広がっていく恐怖や無力感(?)アインシュタインやハーンもこれに近いことに悩まされたのかもしれない。(小学生なら、一週間もすればほとぼりはおさまる)原爆や原発事故 といった事態において、科学者が自らに責任は無いと言ってしまっては、そこで思考が停止してしまう。自分に責任を少なからず感じること、自らの責任について考えることが間違いなく必要である。しかしながら、アインシュタインのように、そのことに一生涯うなされてしまうのも少々酷な気はする。来世にはお寺の住職にでもなってもらいたい。

大江倫子(仏文修士2年)
前回に続いて科学者の社会的責任が主題化されるが、ここではもはや素朴な問責ではなく、ある不可能性の予感が、敢えてそれを担おうとした人々への哀惜とともに追想される。この不可能性の予感から著者は、まず「科学者京都会議」に注目するが、むしろ科学者以外の人々が参加すべき会議であるとの思いが言外に読み取れる(p.16)。さらにアインシュタインの思考した科学と宗教の関係にも着目する(p.38-41)が、ここにも決定的な方向付けは見出されない。むしろ著者が多大な関心をもって接近するのは、ハイゼンベルクの謎めいた言説である。彼の発見した不確定性原理は、磐石と思われてきた古典物理学の基盤を根底から揺るがし、20世紀の科学観の転換の重大な一契機であった。1935年にはハイデガーの山荘で両者の会談があったとされるがその内容は公開されていない。しかしここに引用されたハイゼンベルクの言説、技術のある途方もなさの予感、カオスと秩序の変転、古典的二項対立の無効化、世界像としての自然像などにまぎれもなくハイデガーの反映を読むことができる。ハイデガーは科学者の社会的責任に代えて何をもたらすことができるのか、次回私たちは探求する。

吉田直子(聖心女子大学大学院)
今回の講読で、前回からの私の違和感の理由がかなりはっきりしてきた。それは社会の問題の何もかもを人のせいにするな、ということである。特に自分の発見に関して後継者が行った研究でより解明が進んだ場合や、当人の意図とは全く違うかたちで後の世代に応用された結果についても責任を負え、というのは暴論だと思う。原爆の話で考えるなら、例えばラジウムをポケットに入れていたキュリー夫人にも責任があることになる。そんな訴訟リスクを背負ってまで誰が科学の研究を志すだろうか。人文社会系の研究者はお気楽なものだ、研究成果が誰かの命を奪ったりすることはないからね、と揶揄されても仕方がない。しかも厳密に言えば、人文系の研究成果なら人の命を奪わないとも言い切れないのである。西田幾多郎は本人がどこまで自覚的だったかはともかく、結果として彼の言説は大東亜戦争に大義名分を与えるものであった。その西田に師事した1904年生まれの唐木順三その人も、終戦時に40歳を過ぎていた。となると、唐木よりも「後の世代」の私からすれば、戦時中すでに成人だったあなたに戦争責任は全くないのですかと問いただしたくなる。人のせいにするな、というなら評論・批評活動なんてできないではないかと言われるかもしれない。でもそうではない。私が言いたいのは、社会の問題は、軽重はあれども社会構成員すべてが何らかのかたちで責任を負うべきではないか、いうことである。いみじくも西山先生がおっしゃったように、科学の発見がもたらすものに科学者のみが責任を負いきれるのか、という問いこそを批評家が率先して展開すべきなのではないだろうか。ただし子どもは別である。彼らは今の社会問題に何の責任もない。だから彼らの命の安全はどんな事情があろうとも大人が全力で守らなければならない。