国際会議「カタストロフィの哲学」1日目@ハインリヒ・ハイネ館

国際シンポジウム「カタストロフィの哲学――フクシマ以後、人文学を再考する」が2013年3月15‐16日、パリ大学都市のハインリヒ・ハイネ館およびパリ日本文化会館で実施された。主催は首都大学東京(学長裁量経費プロジェクト「カタストロフィと人文学」)、国際哲学コレージュ、東京大学「共生のための国際哲学研究センター」、パリ日本文化会館である。初日は約70名ほどが参加した。




シンポジウム第一日目は、「破局の哲学」を論じるにあたって、まず外堀を埋める作業から始まった。最初の二つの発表――グローバリゼーション下の日本をはじめとする現代社会における資本主義の脱構築に関する社会学的考察(左古氏)、タイの少数民族であるリス族が蒙った民族解体という〈緩やかな破局〉と〈想像の共同体〉再生の試みに関する人類学的報告(綾部氏)――は、フクシマという破局に対して、言ってみれば内側と外側からアプローチしようとしていた。次の二つの発表――ニーチェ、レヴィナス、ベルクソンらの記憶理論に依拠した〈核なるもの〉の脱構築の試み(藤田)と、ユゴー、ボードレール、ブランショらの言説を通して見る、近代という時代と破局の同時性(ホランド氏)――では、より狭義の人文学(哲学・文学研究)から破局に接近しようとする試みがなされた。




そして最後の発表――フクシマ以後の社会的再生のために日本で行われてきた努力に関する現状報告と、その努力に見られたリスクと信頼に関するフーコー的分析(A.-M.リュー氏)――によって、より直接的に「フクシマ」で生じた「カタストロフィ」に取り組む二日目を予告する形で、一日目は締めくくられた(以上文責:藤田尚志)。

左古輝人「資本、市場、剰余」



 すべての財が等価交換されるなら剰余は存在しない。逆に言えば、剰余が存在することは、まだ何らかの財の供給が不足していることを意味する。現在は、世界中で剰余が、歴史上かつてないほど膨張している。問題はどのような財が不足しているのか、誰も知らないことである。資本主義史上、この事態に初めて直面したのは1990年以降の日本である。それから20年を経過し現在までに、米国と欧州が本質的に同じ問題状況に到達したが、明確な打開策はいまだに打ち出されていない。少なくとも明らかなのは、逆説的なことに、消費や投資とよく似ているが、消費でも投資でもない剰余の処分法――ここでは仮に蕩尽と呼ぶ――を我々の社会が自らのうちに組み込むことが、当の資本主義を維持するために必要だということである。
 2011年以降の日本が震災による大量死に対処するなかで気づきつつあるのは、死にゆく人間の尊厳を守るためにおこなわれる剰余蕩尽の重要性である。この種の剰余蕩尽は人類にかなり普遍的にみられる。しかも21世紀後半は日本だけでなく、中国やインドをはじめ、世界人口全体が高齢化する。この状況を乗り越えてゆく戦略と、資本主義の未来は一体である。
 報告後のディスカッションにおいては、主に以下の3点が議論された。
 1)実践的プログラムの形成について。報告者は社会科学者なので、抽象的な原理から大上段に振りかぶって「べき論」をぶつつもりはない。じっさいに死にゆく人、およびその周囲の人々が今、現におこなっていることの丁寧な観察から、各々の実践の参考に資する情報を提供することを目指している。2)再生可能エネルギーの開発状況について。残念ながら普及が一気に進む状況にはない。3)少子化対策について。「人口の高齢化が問題なら、低年齢化につとめることが問題解決につながる」というのは、一人ひとりの人間の尊厳を見ようとしない、20世紀の大量動員時代の名残であり、本報告から見れば皮相な認識である。

藤田尚志「記憶の底を穿つ――〈核なるもの〉の脱構築と人文学の将来」



今ふたたび私たちは〈核〉の時代を生きているのかもしれない。だが、〈核〉の問題は、物理的な核融合や核分裂による原子力エネルギーの軍事的活用(核兵器)・民事的活用(原子力発電所)をめぐる問題だけに限られるわけではなく、心理的・社会的領域における自閉症、引きこもり、孤独死といった現象もまた、そこに数え入れねばならない。この意味での〈核〉問題に対して、必ずしも〈絆〉というアクチュアルな言説に拠らず、時代にふさわしい言説を探すことはできないだろうか。この点に関して、現在「破局の哲学」を考えるうえで、デュピュイは「未来」に、ナンシーは「現在」に定位しているが、むしろ「記憶」に注目すべきではないだろうか。私たちはニーチェの「約束の記憶」、レヴィナスの「記憶を絶したもの」(l’immémorial)や「核解体」(dénucléation)、ベルクソンの「純粋記憶」と「開かれた社会」に発した、実存(existence)分析ならぬ響存(échosistence)分析と我々が呼ぶものに依拠しつつ、〈核なるものの脱構築〉プロジェクトを素描することで、斜めからの反時代的な「応答」を試みる。この「約束の記憶」「記憶を絶したもの」「響存」の次元こそ、人文学が絶えず弛まず回帰していくべき場所であり、そこへの斜めからの測深こそ人文学の果たすべき仕事に他ならない。1871年の若きニーチェは、まさに「耳」「響き」「約束」「記憶」のテーマ系を通して「我々の教養施設の将来」、そして人文学の将来について語っていた。記憶を絶したものに耳を傾けること、人文学を〈響き合い〉を通して捉えること。人文学を再考するなら、未来を希望するだけでなく、現在を考え抜くだけでなく、記憶の底を穿たねばならない。こういった試みは、あるいは〈戯れ〉とも見えよう。だが、ハンドルの「遊び」が車の的確な運転に不可欠であるように、人文学は絶えず弛まず、勁い〈戯れ〉を具現し続けなければならない。