映画『ゴジラ』――ゴジラの表象/ゴジラの社会学(2012年6月6日)



  自然がいかに人間の愚かさを指し示すか、歴史が繰り返し証明する。
  行け、行け、ゴジラ。  ――ブルー・オイスター・カルト「ゴジラ」

1954年、ビキニ島の核実験によって起きた第五福竜丸事件をきっかけに製作された、第一作「水爆大怪獣映画」=『ゴジラ』。大怪獣ゴジラは「人間が生み出した核の恐怖の象徴」として描かれ、人間が生み出した怪獣=核が、人間の手で葬られるという人間の身勝手さが表現された。ただし逆説的なことに、その同時期にアメリカの主導で「原子力の平和利用」が提唱され、日本中が原子力の未来に熱狂していく。

発表者:川野真樹子(表象4年)、福田浩之(表象3年)、倉富聡(社会学3年)、伊藤玄(社会学3年)



Ⅰ、「ゴジラ」の時代背景

〇年表
1950年 朝鮮戦争勃発(~1953年)
1951年 シンクタンク、電力中央研究所が発足
1952年 鉄腕アトム連載開始(妹はウラン(!))、
サンフランシスコ講和条約発効→日本の原子力研究は全面解禁  アメリカが人類初の水爆実験
1953年 ソ連が水爆保有を発表
1954年 第五福竜丸事件、予算案に原子力予算が盛り込まれる(政治主導)、
警察隊が保安隊(現在の陸上自衛隊)に改組、「ゴジラ」公開、神武景気(~57年)
1955年 ワルシャワ条約機構結成→冷戦の激化、8/6 第一回原水爆禁止世界大会開催、
55年体制がはじまる、原子力三法公布、鳥取県でウラン鉱床が発見される 高度経済成長のスタート
1956年 日本が国連に加盟、 経済白書「もはや戦後ではない」
1957年 欧州原子力共同体設立条約が調印される、東海村の原子炉が臨界点に到達する
スプートニク1号(人類初の人工衛星)打ち上げ成功
1959年 日本社会党,日本労働組合総評議会,原水爆禁止国民会議などが安保条約改定阻止国民会議を結成

〇1950年代とは
・講和問題で始まり、安保闘争で終わった10年
・日本社会の貧しさ、経済的・社会的格差 →戦前の水準を回復するのは1954年前後

〇1950年代の「民衆」
・都市と農村、知識人と労働者の間には圧倒的な文化的格差が存在
・人々が地方と階層で分断され、均質な「日本人」という概念は通用しない

〇反米ナショナリズム
・アメリカは豊かさの象徴であり、傲慢な勝利者であった
→占領軍は日本政府にとって治外法権的な存在。サンフランシスコ講和条約後も日米安保と行政協定によって米軍とその家族の治外法権は継続。
・安保条約と米軍基地の存在が、非武装中立であるはずの日本を戦争に巻き込むものであるという意見。 米軍基地→憧れと同時に恐怖と反感の対象
・原爆の残虐性に関する記事も検閲対象となる。原民喜『原子爆弾』
→第五福竜丸事件で、漁民が死亡した際にも、多くの人がアメリカの人種差別であるとして非難

〇「私」の変容
・日本経済は、奇跡的な回復をみせ、50年代後半以降の高度経済成長を迎える
  Ex. 三種の神器 テレビの普及 『太陽の季節』
・農村から都市への人口移動と、農業人口の減少
→従来の下町コミュニティとは異なる社会を形成
・「公」と「私」に関する意識の変化
  1958年に<私生活>志向が<公>志向を上回る 
  日高六郎は、「民主主義」から「経済主義」へと名付ける
・戦後知識人は<個の確立>は<公>への参加意識と一体であると唱える
  <公>と<私>の二項対立の克服 「減私奉公」と「利己主義」の双方への批判
 →高度成長のなかで、<個の確立>は<私生活優先>にすりかわる
→保守派の唱えるモラル復活の要求は、「経済主義」と合致。保守政権は「愛国心」を
  唱える一方、アメリカに従属した経済成長路線をとり続ける

Ⅱ、ゴジラとは何か

(1) 加藤典洋『さようなら、ゴジラたち――戦後から遠く離れて』 のゴジラ観の概要
映画の意味を、映画製作者の意図から説明すると、反水爆映画、反戦映画ということになる。しかし、それだけではこの映画が五十年もの間、シリーズとして続けられてきたことを説明できない。

ロラン・バルトに代表されるようなテクスト論の視点から捉えると、ゴジラは再来者
フランス語では「再来してくるもの」=「亡霊」(revenant)→ゴジラは戦争の死者たちの亡霊
自分に身近なもの、親しいものが、いったん排除され、抑圧され、隠されると、それは「不気味なもの」として再来してくる(フロイト)
コジラ=太平洋戦争の戦死者に対する「喪の作業」が途絶したことの象徴的な存在?

戦争の亡霊として、『ゴジラ』がいったん「不気味なもの」として存在してしまった以上は、これを衛生化、無菌化、無害化し、戦後の社会に馴致しなければならない。このことが五十年もの間、ゴジラが日本に再来し続けたことの理由である。

(2) ゴジラは「亡霊」か?
『さようなら、ゴジラたち』の欠点は、フランス語の語源的なつながりからゴジラの物語構造上の機能である「再来」を、「亡霊」という象徴性にすりかえてしまった点にある。
それはテクストを過度に当時の時代性に引き寄せた読みではないか?
テクスト論に依拠するならば、もっと作品本位、物語構造本位の読みをしたい。


(ゴジラに襲われる戦争未亡人らしき女性が子供を抱えて、震える声で言い放つ。「もうすぐ、お父ちゃまの所へいくのよ。」『ゴジラ』は戦争の雰囲気に満ちている。当時の観客は本作をいかに観たのだろうか。戦争の傷跡だけではない。ゴジラに遠慮なく武力攻撃を加える「防衛隊」に当時の観衆はある種の爽快感を覚えただろう。この前の戦争の「日本軍」とは異なる、新たな「防衛隊」の勇ましい活躍に。)

・ゴジラは再来すると共に「戦争状態」をもたらす
ゴジラによる東京の破壊≒東京大空襲
ゴジラが去ったあとの病院の惨状≒原爆投下後の広島
戦車や戦闘機の表象
・恵美子を巡る芹沢と緒方の確執(欲望の三角形)の顕在化
・『ゴジラ』では、放射能の恐怖という表象不可能なものを表象
→そのような恐怖に直面するとき、ひとは逃げるしかない。
・兵器開発→ゴジラ→戦争状態
ゴジラは戦争に対する人間の欲望――争いを起こし、見て、それを楽しみたいという欲望ではないか?
→放射能そのもの、危険な物質そのもの(オキシジェンデストロイヤー然り)より、人間の方が怖い。


(『ゴジラ』ではガイガーカウンターが頻出する。ゴジラの襲撃後に放射能測定を受ける子供たちの映像に、3・11後の私たちははっとさせられる。)


Ⅲ、『ゴジラ』のアメリカにおける需要及び表象

○アメリカにおける『ゴジラ』
・アメリカのゴジラ・ファンには核テクノロジーについて口にする傾向がある(GQ pp.20-21)=ゴジラを社会批判の道具として使う
 →自分たちを怪獣に同調させることで、核テクノロジーとさまざまな「人間の愚行」に対立する「歴史」と「自然」の側に与する
→ゴジラは現状に逆らおうとするパワーの世界的シンボルに

・ゴジラは日本の象徴である…第一義的な意味(GQ p.24)
 →ゴジラの復活・再生は日本のさまざまな社会問題についてのメッセージと解釈される
・反逆精神の象徴としてのゴジラ=既成の価値観を壊すゴジラ(GQ pp.30-39)
 →ゴジラはアメリカで名声を博したが、永遠に異質なものとして見られている
 →対抗文化主義者自身を差異化するための手立て=アジア対西欧の伝統的思考パターン
・核の象徴としてのゴジラ…(例)ゴジラのボードゲーム(GQ pp.58-59)



○アメリカ版『怪獣王ゴジラ』…アメリカの国産映画的に偽装された『ゴジラ』
・核に対する不安や第二次世界大戦の記憶は50年代のアメリカでは日本と同じ役割を果たさなかった
 →オリジナル版においてアメリカがネガティブにとらえられている部分、第二次世界大戦に関する日本の憤りを浮き彫りにする部分、核の問題を少しでも深く探求するような箇所はほぼすべて、削除されるか中和された(GM pp.55-56)
 →核実験の恐ろしさに無知であった観客向けに編集された
=放射能の問題を回避した(GQ pp.84-88)
 →アメリカの観客が求める恐怖
=不明確で架空の恐怖そのもの、説明不可能な恐怖、「未知」への恐怖(GQ p.89)
 ⇒アメリカ版Godzillaは抽象的なものを表すための寓意化である(GQ p.89)
   →ゴジラ=何か大物で、性悪で、恐るべきもの(GM p.173)

・Godzilla=God+lizard+gorillaを思い起こさせる(GQ pp.98-99)
 →「神」=破壊のパワーを超越したもの
  「トカゲ」=恐竜…時代の広がり
  「ゴリラ」=キング・コング…原始の世界

Ⅳ、『ゴジラ』(1954年)の社会史的考察――自己と他者、人々の意識

○恐怖映画としての『ゴジラ』、社会的考察。
社会意識を読み解く一つの手段としての映画。
歴史環境の社会史的考察と恐怖映画としての『ゴジラ』の心理分析。

○歴史的環境と『ゴジラ』
・1945‐1952年 GHQによる占領政策‐五大改革指令に代表される民主化政策。
民主化、原子力研究の禁止‐抑圧されたものを生み出す。
・1954年3月1日 第五福竜丸
「ほぼ一夜のうちに日本人たちは自分たちの核犠牲者たちについての埋もれていた関心を生き返らせた。10年近くの間で初めて、広島の生存者の現状が国民的な関心ごととなった。抗議運動はたちまち国際的なものに発展…」
・1954年11月3日『ゴジラ』放映
・1963年 東海発電所にて日本で初めて原子炉が稼働される。

○1950年代 冷戦とアメリカ

『原子怪獣現わる』(1953)
核を核で制する(拮抗する米ソの武力)。科学技術の問題は科学技術で解決できる。
非人格的人称であらわされる怪物たち
→怪物は完全に自己と切り離された他者。他者としての怪物と同一視される原爆。
西洋文化の原動力としての他者性
→個人や社会は自己の境界を定めるため、「自分の中で抑圧されているもの」を他者に投射する。
→被抑圧者は「憎まれ否認されるために外部に投射されやすくなる」(ロビン・ウッド)



『ゴジラ』(1954)
人格や伝説、名前がある日本の怪獣たち。
西洋とは対極的な他者性。
日本語には一人称と二人称、一人称と三人称を区別する一貫した長い歴史がない。
対象への自己同化‐西欧文化の基礎となるのは、観察者と対称の区別、自己と他者の区別であるが、日本文化においては自己を対象に没入させ自他区分の超越をはかる傾向がしばしば指摘される。(鈴木孝夫『ことばと文化』岩波新書)
→ゴジラは日本(自己)であり、アメリカ(他者)。

Ⅴ、討論のキーワード
武力(軍隊)・報道・政治・科学・民衆


(ゴジラに関して国会議員らが激論。男性議員は国際問題になるため秘匿するべきと唱え、女性議員は情報の迅速な公開を主張する。後のゴジラ作品とは異なり、第一作においては報道活動や情報の公開性に力点が置かれている。新聞記者・萩原は漁船遭難から大戸島でのゴジラの初登場、最後のゴジラ攻撃の場面までつねに登場し、すべての物語の証言者である。ゴジラが東京に来襲した際、報道関係者は鉄塔に登り、襲われる最後の瞬間まで怪獣の姿を報道しようとする。放射能怪獣は不気味な存在であるがゆえに、極限まで公開し報道しなければならない、とでもいわんかのように。)

参考文献
加藤典洋『さようなら、ゴジラたち――戦後から遠く離れて』、岩波書店、2010年。
GQ :ピーター・ミュソッフ『ゴジラとは何か』小野耕世訳、講談社、1998年。
GM :ウィリアム・M・ツツイ『ゴジラとアメリカの半世紀』神山京子訳、中公叢書、2005年。
ミック・ブロデリック編『ヒバクシャ・シネマ』柴崎昭則・和波雅子訳、現代書館、1999年。
吉岡斉『原子力の社会史』、朝日新聞社、1999年。
好井裕明『ゴジラ・モスラ・原水爆 特撮映画の社会学』、せりか書房、2007年。

コメント

川野真樹子
 今回、初めて共同発表と討論という形を経験したのだが、正直もう少し議論を深められたのではないだろうかという反省はありつつも、とても楽しい発表をさせて頂くことができた。
 発表のなかでアメリカと日本(=原爆の加害国と被害国)における「ゴジラ」の受容のされ方を比較することで見えてくるそれぞれの国での核の位置づけについて考えてみたが、おそらく今の日本は当時のアメリカに近い視点で核を見ているように思う。
 FUKUSHIMA以降、原子力開発に対する科学の信頼は揺らいでいる。それにも関わらず、未だ原子力を科学で制することができるという幻想のもと、大飯原発の再稼働計画が進められている。科学への信頼、これはアメリカでの「ゴジラ」の受容の仕方と同様のことが日本でも起きつつあることだと捉える事ができるのではないだろうか。また、『ゴジラ(1954)』では放射能の恐怖は、言葉や映像による暗示に頼ること(ガイガーカウンター、山手線での男女3人の会話、救護所の様子、乙女の祈り)、あるいは何ものもゴジラに打ち勝つことができず、人はただ逃げるしかないということで表象されていたが、実際にFUKUSHIMAのゴジラからも人は逃げるしかなかった。ところが、ゴジラを喪の作業が終わっていない「亡霊」として考える時、FUKUSHIMAにゴジラは今のところ辿りついていないのではないだろうか。言いかえれば、戦争の犠牲者が身近であり未だ戦争の匂いのする時代であれば、ゴジラの存在は戦争や原子力の戒めとしての亡霊の機能を果たしていたのであろうが、3.11の後、ゴジラはその戒めをもたらす犠牲者の亡霊としてはまだ存在できていないのではないか。1954年と違い、帰ってくる場所がはっきりとしていない点(靖国神社と避難区域)、日本が原爆の一方的な被害国ではなく加害国でもあるという二重構造になってしまった点(広島長崎とFUKUSHIMAの違い)、科学への反省が見えないという点、以上のような違いから、今の時点では喪の作業をしには(つまりは私たちに戒めを再確認させには、もっと言ってしまえば成仏させてもらいには)ゴジラは日本には帰ってきてくれないと思う。
 『ゴジラ』は後味の悪さが残る映画である。ゴジラは一方的な加害者ではなく、被害者でもある。だからこそラストシーンの山根博士の言葉が身にしみる。「もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類がどこかにまた現れるかもしれない。」人知れず暴れ続けているゴジラを救うために何ができるのか、もう一度自分自身に問い直してみたいと思う。

聡倉富
結局「ゴジラ」とは何だったのだろうか。核兵器の不気味な恐怖を表象した怪物、社会意識を反映した恐怖映画、我々発表者が考察しただけでも様々な見方がある。私が発表を通じて改めて痛感したのは、人間が作り出した作品を考察・解釈することの難しさだった。映画の表現、ストーリーひとつをとっても当時の時代背景、人々の感覚を抜きに語ることはできない。単純に違う時代・違う文化を生きているということもさることながら、先の大戦からたった9年しか経っていない「ゴジラ」の公開年度では、見る側も作る側も戦争への意識・原水爆への意識が我々とはまるで違う。我々にとってそれはどうやっても過去の「歴史」としてしか理解しえないが、彼らにとっては人生の一部であった出来事であり、生々しい「記憶」である。現代に生きる我々が表象論的に解釈しようとしても、社会史的に解釈しようとしても、決してこのギャップは埋められない。人間が人間の「記憶」を解釈しようとするのはこれほど難しいことなのだろうか。このゼミでは「カタストロフィ」という一貫したテーマがあるが、そうしたテーマを通しても非常に難しい。我々はカタストロフィ、つまり東日本大震災を経験した。それは人知を超えた「世界」へと肉薄するリアルな体験であり、人類が有史以来、神学・科学・人文学を通して解釈しようと、噛み砕こうとしてきた対象そのものだ。その真理はたどり着こうとしてもたどり着けないものである。では、我々はこの焦燥感に、学問的探求の難しさに絶望するしかないのだろうか。私はそうは思わない。我々のこの行為、気持ちは我々のためになるはずだ。その理由は論理的に説明できない。しかし、きっと歴史が、そして「ゴジラ」がそれをいつか証明してくれるだろう。

福田浩之
発表を通じて、ゴジラという怪物の正体について考えた。もちろん、ゴジラはゴジラでしかない、と言えばそれまでだし、それはそれで真実をついた言葉だと思う。しかし、ゴジラが最終的にはどこまでもゴジラでしかないことを意識しながら、なお、その間隙に何かしらのゴジラならざるものの姿を捉えることは有意義なことに違いない。それは、いささか逆説的ではあるけれど、まさしくゴジラを描写すること、ゴジラという怪物に対する知覚のあり方を記すことだ。今回は自分なりの知覚のあり方として、ゴジラとは「亡霊」ではなく、人間の破壊的な欲望のあらわれだという立場から意見を述べた。『さようなら、ゴジラたち』がそのゴジラ論の結末に描き出す、靖国神社を破壊しに再来するゴジラという図は、それまでの議論を抜きにして、いや、むしろあらゆる理屈を抜きにして魅力的なものだと感じる。それこそ、靖国神社、という特別な暗さを持ったある種の聖地を、おなじく特別な暗さを持ったある種の聖なる存在としてのゴジラが破壊するというカタストロフの構図への、破壊的な欲望なのかもしれない。ゴジラに対して人々がある共感を持たずにいられないのは、憎まれるべきゴジラが、やはり一方では人々の欲望の体現者だからではないだろうか。
 授業の終わりのほうに西山先生がおっしゃった「山根博士の「200万年前のジュラ紀・白亜紀の生物」という事実に矛盾した台詞が、ゴジラが人間と同時に生まれたものであるという読みに立つと非常につじつまが合う」ということは、まったく盲点で、驚くと同時に納得させられた。しかし、ゴジラの起源が200万年前であると同時にジュラ紀・白亜紀でもなければならなかったのはなぜだろうか。このことを突き詰めて考えれば、この台詞ではおそらく、ゴジラは確かに人間の一面であるのだが、さらにそれだけではなく、人間の爬虫類的な一面――それはやはり大脳の旧皮質にインプットされた凶暴性なのだろう――であるということが暗示されているのだという答えが導かれる。そしてそれはもちろん、ゴジラの着ぐるみの造形が体現しているところでもある。

伊藤玄
私は「ゴジラ」を観て、この作品は関係性の描写に重きを置いていると感じた。ゴジラには主役がいない。メインであるはずのゴジラも僅かしか登場しない。この映画では、ゴジラと日本、科学(原子力)とゴジラ、科学者と科学、といった様々な関係性の描写がこの映画には登場する。この関係性の描写を解釈するのが表象で、そのネタを提供するのが社会学だと思う。今回の議論の中で、私が特に印象に残ったのは、「ゴジラは亡霊か否か」という箇所ある。ゴジラを反戦、反核の象徴とするならば、ゴジラは不条理に命を落とした、市民や被爆者の亡霊であって、東京に上陸したのは理にかなっているのではないかという意見は、とても興味深いものであった。「ゴジラは戦争や原水爆で死んだ者の亡霊であり、日本ではなく、アメリカに行くべきだ」という私の解釈は、とても危険なものだと気づかされた。私は、ゴジラは「ネタ」としての要素が強い映画だと思う。この作品を良き「ネタ」として捉え、ここで描かれている様々な「関係性」を紐解こうとすることが、私たちがこの作品を鑑賞する際に必要なことではないだろうか。

久津間靖英
 発表者4人がそれぞれの観点から1つの作品について論じる今回の形式は、とても新鮮だった。日本的なゴジラの見方とアメリカ的なゴジラの見方の違いや、ゴジラを人間の欲望の象徴としてとらえる考え方などは大変勉強になった。ところで、アメリカ以外の外国において『ゴジラ』はどのように見られているのだろうか? 原爆の直接的な加害者でも被害者でもない他の国の人はゴジラという怪獣を見て何を思うのか大変興味深い。
 作中、ゴジラについての説明は意外に少ない。今でこそゴジラと言えば怪獣の代名詞的存在となっているが、作品そのものだけを見ると、ゴジラはとても謎めいた存在だ。それだけに、今回のような様々な解釈が可能なのだろう。私としては、日本の原始的存在としてのゴジラという考え方がしっくりくる。ゴジラが最初に現れた場所が近代文明の象徴である都市ではなく、古くからの因習が残る村であることは印象的だ。
 今回の発表では主に怪獣ゴジラに焦点が当てられていたが、他の登場人物たちもなかなか面白いと思う。特に山根博士の存在は魅力的だ。彼は単なる解説役ではない。今回のゼミのように、私たち観客がこれほど怪獣ゴジラに魅了されているにも関わらず、作中でゴジラという生物そのものに興味を持っているのは山根博士だけだ。他の登場人物たちはゴジラを災害や戦争などの日本を襲う災厄のようにしかとらえていないように思われる。ゴジラはある意味で被害者であるという考え方をするのも彼だけだ。
 また、おそらく主人公であるにも関わらず、いまいち目立たない尾形だが、彼の「ゴジラこそ我々日本人の上に今なお覆いかぶさっている水爆そのものではありませんか」という台詞はとても印象的だ。広島や長崎に原爆が落とされてから10年もたっておらず、第五福竜丸事件の記憶も新しい当時の人々にこの台詞が与えた印象も特別なものだと思われるが、福島の原発事故を経験した私たちにとっても感慨深い言葉である。ただ、私たちの場合は、まだ日本に数多く原発が存在する状況をゴジラに例えた方がいいのかもしれない。

鈴木奈都子
今回の授業ではゴジラという作品について、表象・社会学双方の観点からさまざま議論が飛び出し、非常に興味深かった。当時の相当な数の人が見に行ったというとおり、娯楽・パニック映画として楽しめる一方、見方によっていろいろなもののメタファーとして読み解くことができるゴジラ。そのどの見方にも正解はなく、むしろそうした現代の諸問題に絡めたさまざまな議論が許されるという点で、ゴジラは60年ちかく前の作品でありながら、現代やこれから先の未来にとって開かれた作品であると感じた。しかし当時の科学技術バンザイというような風潮の中では、水爆の落とし子ゴジラは異質であった。そこで私が気になったのは、nuclear =「原子力」「核」という2つの認識については、当時ゴジラの制作側がどれほど意識的であったのかという点だ。原子爆弾の唯一の被害国である日本だからこそ原子力を有効活用していこうという言説がまかり通るどころかむしろ支持され、さらには第五福竜丸事件を受けた直後という時代の中で、「水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類が世界のどこかで現れてくるかもしれない」というセリフは、起きてしまった核による悲劇を繰り返してはならないという意味にとどまっていたのか、それとも原子力予算が通ったことによりこれから行われようとしていた原子力発電への警鐘の意味も込められていたのか。受容理論のような立場に立てばこのような点は問題ではないのかもしれないが、未来のエネルギー原子力歓迎のムードの中で(もちろん皆が皆そうだったわけではないが)、せめて当時の人々に問題提起をしていくことのできる影響力を持ったメディアの中の一作品としてのゴジラはどれほど原子力発電の問題性に意識的であれたのかという点が気になった。

大江倫子
テレビも新幹線もなく、人々が地方と階層に分断されていた1950年代前半、映画は国民の一体感を提供する数少ない媒体であった。海の彼方には楽園のような大衆消費社会が垣間見られるのに、確実な経済成長もまだ予感にとどまっていたこの時代、起業としての映画興行への期待感は、人々の創造的な英知を結集するにふさわしい賭けであっただろう。その結果、現代の私たちならばむしろ政治主導性を疑ってしまうほど、記念碑的な作品が製作されてしまったのである。製作者の意図は事後的には「反水爆、反戦」ということになるのだが、当時の大衆にもっとも深く共通な心的経験としての敗戦経験を基礎に、核戦争の脅威、先行作品に見る消費社会の娯楽要素を過らせて織り上げられたものであっただろう。そこで被爆経験が回避されるのは、国民の分断を避け一体感を醸成するためであっただろう。私には何よりもこの一貫して緊迫した生真面目さが懐かしい。このようにして、半世紀後にテクスト論や社会学を総動員するに足る不滅の映像となったのだ。表象の可能性の条件を考えさせる映像作品である。