フロイト『喪とメランコリー』(『フロイト全集』第14巻、岩波書店)
(2012年12月19日)

突然の別離を経験して悲嘆に暮れる人々。直後の反応に続いて抑鬱段階が始まり、喪の作業の中心を占める。やがてその死を受け入れ、落ち込むことなく故人のことを思い出せるようになるときまで、周囲はその時間を尊重し、寄り添うしかない。喪の悲しみとは何か。通常の喪と特別な喪の悲しみの違いとは何か。喪の悲しみはいかに悪化するのか。喪の悲しみをいかに克服するのか。
発表=大江倫子(仏文修士1年)




1.フロイトの仕事

病院勤務の傍ら研究活動:『ヒステリー研究』(1895)力動論・経済論の導入
学会との断絶 抑圧理論の発見 精神分析と命名 無意識の発見 哲学との対立
性機能との関連発見:欲動理論 リビドー アンビヴァレンツ エディプスコンプレクス 去勢コンプレクス⇒『性理論三篇』(1901)
自由連想の採用⇒『夢解釈』(1900):夢の有意味性 抑圧された欲望成就 検閲機能
『日常生活の精神病理学』(1904):失錯行為の解釈
1906 研究者の支持拡大⇒国際会議の継続的開催
1913 ナルシシズム理論:リビドー経済論の根本的変容
1914 メタサイコロジー理論:過去の成果すべての体系化 力動論・局所論・経済論
1918~ 思弁的傾向:死の欲動 
1923 『自我とエス』:自我・エス・超自我 
文学芸術の分析:「ダヴィンチの思い出」(1910)、「グラディーヴァ論」(1906)、「機知」(1905)
宗教心理学:『トーテムとタブー』(1912):タブーと両価性
1926 『制止、症状、不安』:不安の問題修正
1927 「フェティシズム」
宗教と道徳の根源:「ある錯覚の未来」(1927)、「文化の中の居心地悪さ」(1930)



2.用語解説

Ⅰ 精神分析の概念性は哲学の概念性と一線を画す
1) 精神分析の「哲学用語」はない
2) 哲学の先例に依拠 適用と巧みな位置ずらし 哲学的効果を産出する快挙
3) 哲学的カテゴリに混ぜ合わせるのは有害 経験的に得られたものであるが、説明的意図をもっており、よって概念的である

Ⅱ 古典的科学の概念性と一線を画す
1) 無意識の科学である精神分析は、科学に無意識を導入することで、古典科学の体制を転覆させる 科学的心理学に賛同 臨床という特有の経験からのみ概念を練り上げる 
2) 「メタ心理学」という分析的合理性 心理学にも形而上学にも還元不可能 両者の中間図式 意識の彼方へ赴く過程の理論知 

Ⅲ 精神分析概念すべてはメタ心理学に属し言語学的産出の独自の作業を生じさせる
1) 臨床事実から引き出した一連の「関係」を綜合する概念を表現するフロイト用語 歴史の過程で構築された概念 可能な限り厳密に定義された用語で発見と研究の運動を表現 未規定も許容
2) 概念の網の要素としての「体系」をなす 「精神分析体系の根拠として定立できるような解明と深化」としてのメタ心理学
3) メタ心理学の仕事は言語一般についての労働を含意し、固有の言語を与える
A: 自然言語からの転用:行為 愛 不安 葛藤 防衛 無気味
B: 心理学哲学用語からの転用:情動 両価性 エス 意識 構築 否認 現実否定 力動論 経済論 幻想 無意識 リビドー ナルシシズム 神経症 対象 欲動 抑圧 反復 表象 夢 自我 倒錯 恐怖症 主体 症状 局所論
C: 新造語:自由連想 自我の分裂 エディプスコンプレクス 去勢コンプレクス イマーゴ メタ心理学 死の欲動 精神分析 心的現実性 超自我 転移
Ⅳ こうした批判的な事前検証から、用語集の目的が生じている 用語が指示する概念の了解と拡張を通じて、精神分析用語の生命と厳密さを通じて
1) 辞書に登録され公認 
2) キーワードの派生と関連を把握する
3) 三つの水準:定義 概念の作用 思想の問題系変革
4) 不安定と単純化した固定化を回避するための用語集 



経済論:心的過程の精神分析理論の三つの次元(力動論、局所論、経済論)の一つで、仮想的に循環や量化が可能な心的エネルギーによって説明する観点。
抑圧:フロイトの新定義によれば、欲動的表象が禁止に基づく検閲効果のもとで、意識から距離をおいて保持されるようにする心的行為。性-心理的葛藤の主要な作用因。抑圧理論は精神分析の最も重要な要素であり隅石であるとされる。抑圧する出来事そのものを構成する原抑圧とは、欲動の「表象するもの-表象されるもの」の固定化をもたらす行為である。本来の抑圧が事後的に、「抑圧された表象の心的新芽」に作用するのはそのあとであって、これがまた「抑圧されたものの新芽」を生じさせる。よって抑圧の時間性は遡行的である。主体の心には、禁止された対象や禁じる対象に関係づけられた葛藤が作用していることを意味するため、革命的な成果である。
欲動:身体の性源域に従属し対象による緊張解除を目的とする心的圧力。性源の興奮除去によってのみ満足が達成される。対象や性源がリビドー生成に条件づけられることで本能と異なる。対象は変化するが圧力は恒常的。表象や情動で表現される。精神分析理論の根本概念。
リビドー:心的生における性欲の力動的現われ。幼児の性的発達過程を記述する理論:口唇→肛門→ファルス
アンビヴァレンツ(両価性):ブロイラーに始まりフロイトがリビドーの情動理論で定義しなおした新造語。一つの対象に対する愛と憎しみが結合した感情をいう。よって同一対象に向けられる相反する情的願望も含む。父子関係が典型的。
ナルシシズム:主体が自己の身体を愛の対象とする倒錯というナルシス神話を、フロイトは「自己保存のエロスによる補充」「自己へのリビドー」と定義しなおした。リビドーの経済論の根本的変容となる。自己愛と対象関係の媒介であり、独自の心的行為である。メランコリーは対象喪失によって顕わになるナルシス的崩壊と考えられる。人間の欲望構成における「自尊心」の無意識的射程が示された。
同一化:同一性や同化を認知する行為。他者への情緒的関係の最も早期の表現。他者の固有性に同化したり、それを取り入れたりすること。他者を所有するのではなく他者になろうとすること。主体や他者の発想を一新する観念。
局所論:心的装置の領域である審級ないし体系といわれる心的場から、心的過程やメタ心理学的事象を説明する観点。フロイトによる心的装置は、1900年には;
・Ubw(Unbewusste無意識):抑圧を除去する特定の操作(自由連想、催眠、薬物)によって意識化可能
・Vbw(Vorbewusste前意識):意識化しようとする意志によって意識化可能
・意識
であり、1923年には、自我―エス―超自我である。こうした仮想空間の区別によって、心的過程の書き込みの様相を把握できる。



3.「喪とメランコリー」

◆喪とメランコリーの共通性p.273~
喪という正常な情動と比較してメランコリーの現象の本質を解明
いずれも愛の対象としての人や観念を喪失したことで生じる
病的素質のある場合メランコリーが生じる
共通の特徴:不機嫌 外界への関心の喪失 愛する能力の喪失 行動の抑止 
メランコリーの特徴:自己感情の低下(自責と自己への軽蔑 自己処罰欲求)
痛みを経済論的に解明
◆ 喪の仕事の役割p.275~
現実の吟味:対象の不在の認知 リビドーの解放の必要認知 抵抗 リビドーの解放
解放作業の苦痛の不快さ
◆ メランコリーの症状p.276~
対象が意識されない 自己卑下の妄想 生物の欲動をも征服 露呈に満足
◆ メランコリーの矛盾と自我の審級p.278~
対象ではなく自我の喪失 自我の一部が批判的審級として分離=良心 
◆ メランコリーの病像p.279~
自己への非難は対象への非難
◆ メランコリーのメカニズムp.281~
リビドーを固着した対象から拒絶される→解放されたリビドーが自我に引き戻される→対象と自我の同一化に使用される→自我の分裂
最初の対象選択がナルシシズム的動機のため同一化に移行しやすい(ランク)



◆ メランコリーの条件p.283~
愛の対象の喪失はアンビヴァレントな葛藤を作動させる
すでに存在していたアンビヴァレンツが強化される状況により発症
自己処罰により対象に復讐
◆ 自殺願望の謎p.284~
自我が対象に圧倒される
◆ メランコリーの謎p.285~
時間がたつと消滅することがある:喪と共通
不眠症:コンプレクスによりリビドー回収が困難化
◆ メランコリーと躁病p.286~
躁病に転換することがある 循環もある
コンプレクスと心的エネルギーによる説明(抑圧からの解放)
◆ 喪と悲哀のリビドー体制p.289~
正常な喪:躁病と同じく対象の喪失するが、経済論的条件が生じない
推定:ナルシシズム的欲望の満足を求め、対象への固着を解く リビドーが解放される 
メランコリーの心的プロセス:対象への心的エネルギーの備給放棄 代理物との同一化
推定:対象の表象(無意識的痕跡)がリビドーから引き離される
アンビヴァレンツの葛藤で複雑化
語を扱う意識の領域ではなく事物の記憶の痕跡としての無意識の領域で生ずる
メランコリーでは意識化が妨げられる:抑圧の作動→リビドーの自我への退行→意識化
対象の価値を貶めることで固着を緩め、Ubw過程が終了
喪では意識化が正常に行われる:Ubw→Vbw→意識化
◆ 残された問題p.292~
リビドーの退行が躁病の条件


コメント

山下竜生
今回、喪とメランコリーについてに発表を聞き、いつか日本で流行したとされている純愛映画のテーマを想起した。そこで扱われているテーマは往々にして、喪の作業が行われずに死んでしまった人についてである。そういう場合、大抵は最後、主人公は現実へと回帰し、死んだ人の分まで長生きしよう、という風な具合になる。ではメランコリーな状態に陥ったテーマを主に取り扱った映画が、私の経験上少ないのはなぜなのだろう。そこに無意識が問題になってくると思う。メランコリーは一部の人を除き、もちろん当人もであるが、理解しがたい状況であるがゆえ、その状態を再現することが難しいのではないか。客観視し、それを取り扱うことが非常に難しいものである。実際、今回の講義で確かにメランコリーというものがどういう構造で発露するものなのかについては、不十分ながらも理解できた。しかし、これが臨床の場で取り扱われ、治療されているという現場はまだ理解しがたい。同時に自分がいつメランコリーな状態になるかわからない。それゆえに自分が自己を投影しているかもしれない、そんな人物との関係に関心がわく。

小島裕太
課題を一読した際、難解で理解するには困難だと思われた。しかし熟読する内に、複雑な精神について最も単純に言葉で述べているのがフロイトなのだと感じた。リビドーと経済論的、経済的という言葉に関連して。フロイトが、リビドーや喪やメランコリーについて数的に捉えることができる。という意図を以て用いられている単語だと考えた。この単語によって我々は、目に見えない概念を具体的に感じ直すことができる。よって、リビドーやメランコリーをより理解しやすいものとして捉えられるのだと感じた。気になった点は、p.285の10行目にある「対象は自我自身よりも強力である」という言葉である。対象が自我よりも強力であるのは、メランコリーや自殺に至る精神状態の時など弱っている場合においてである。しかし、この言葉から気づいたのは、常に我々の中で自我と対象(他者のイメージ)とがせめぎ合っているという事実である。自我が脆くなってしまうと、対象は自我に打ち勝ってしまう。そして、p.285の5行目「自我が自己自身を対象のように取り扱うことができる」ようになる。また、関連していると感じた事項。特に自傷行為や、傷害行為に当てはめて考えたときに理解しやすいと感じた。自傷行為は、行為の主体と対象とが一致していることを痛みによって確認する行為である。確認によるストレスの解消を目的とする点で、リビドーや無意識との密接な関係を感じた。また、無差別的な障害行為における「誰でも良かった」という言葉は、リビドーの暴走による行為なのではないだろうか。

久津間靖英
正常なものである喪と異常なものであるメランコリー、議論でもとりあげられたこの図式に興味を覚えた。私が面白いと感じたのは、異常なものの考察を通じて正常なものをも考察していくというフロイトのやり方である。今回ゼミで取り上げたテキストではないが、『ナルシシズム入門』でフロイトは次のように述べている。「この場合にも、いかにも単純にみえる正常な現象を理解するためには、多くの歪みや混乱のみられる病的な現象を解明しなければならないのである」(『エロス論集』中山元編訳、ちくま文庫、246頁)。いかにも臨床の場に重点をおいたフロイトらしい考え方だ。こうした考え方が、精神分析と科学の違いをなしているのだろうか。

市岡あやな
今回、フロイトを読んだのは初めてのことだったが、『喪とメランコリー』はとても面白かった。メランコリーの状態に陥ってしまう人は弱いのだろうか。たとえ重度の鬱病とまではいかなくても、これを読んで自分の過去の言動や親しい人の言動を思い返す人は少なくないだろうと思う。自分もそうだ。実際に日々の生活の中で拗れてしまう人間関係は多々あるが、今回これを読んでもう少し他人を理解できるようになりたいと思った。また、心理はもとから決まっているものではなく、出てからしかわからない事後的なものだということ、それまでの哲学との対立を呼ぶようなものだという話が印象に残った。わたしは哲学科の人間だが、今回フロイトを読んで、普段と全く別の角度から物事を見ているような感覚だった。とても面白かった。

大江倫子
精神科医フロイトの精神分析理論は、たんなる症例の経験的寄せ集めではなく、そこに科学や哲学から着想した論理を導入して構築した理論を、さらに症例で実地検証して構築されたものであり、哲学にも科学にも属さないが、既存の哲学を根本的に転倒させる新たな発見を含んでもいる。主体概念の決定的変革である〈無意識〉の規定にとどまらず、抑圧理論の遡行的時間性、ナルシシズムや同一化から帰結する他者関係の概念の拡大はその著しいものである。誰もが年齢を重ねるにつれ、自己や同世代の人の喪失体験を蓄えていくのだが、経験の少ない若い人が被災者の体験に寄り添うための基本的準備としては、経験に依存するのではない発想から出発するのでなくてはならない。具体的にはまず表象の 理論的臨界について現象学的存在論により特定しておくこと、自己自身の些少な喪失体験への感度を上げ、そこから出発して理論的に練り上げていくことである。人文学が提供しているのはそのための支援である。