マルグリット・デュラス/アラン・レネ『ヒロシマ 私の愛』
(2013年1月9日)

「私はヒロシマですべてを見た」「君はヒロシマで何も見なかった」――広島で反戦映画のロケに訪れたフランス人女優と現地の日本人男性との一日限りの情愛。二人の情事の際の会話が続く冒頭では広島の原爆被害の惨状を訴える映像シーンが続く。実はフランス人女優もまた戦争の傷を負っており、二人の苦悩がヒロシマという固有名において交差する。映画版はアラン・レネ監督の最高傑作。
発表:西山雄二


マルグリット・デュラス原作/アラン・レネ監督『ヒロシマ私の恋人 Hiroshima mon amour』



「映画について知っていることを元に何かを推測するのが不可能な作品」――ジャン=リュック・ゴダール

参考文献:キャシー・カルース「第二章 文学と記憶の上演」(『トラウマ・歴史・物語』下河辺美知子訳、みすず書房、2005年)

概要
1)ホテルで抱擁する男女の対話
2)朝食、入浴。/ホテルから映画撮影に向かう。
3)映画撮影:反原爆のデモ。/男性の日本家屋でヌヴェールの回想が始まる。
4)太田川沿いの喫茶店「ドーム」。ヌヴェールの回想。地下室に閉じ込められたこと。生の感覚が回復したこと。ドイツ兵と駆け落ちする日に彼が銃殺されたこと。パリに移動してヒロシマのことを知ったこと。女性が死んだドイツ兵との類似を告白すると、男性が平手打ち。
5)ホテルの部屋に戻り、洗面所で自己内対話。/再び外出し、男性と夜の街を歩く。ヒロシマに二人でとどまるかどうかの心理的駆け引き。/ヒロシマ駅待合室。ヌベールとヒロシマの風景の回想。老女の会話。/ナイトクラブ「カサブランカ」。英語で話しかける青年。夜が明けて光が差し込む。/ホテルの部屋。ぎごちない男女。「ヒロシマ、それがあなたの名前よ。/それは僕の名前だ。そういうことだ。きみの、きみの名前はヌヴェール。フランスのヌヴェール。」



驚くべき冒頭のシーン
二人の人間の身体の絡み合い
灰に覆われる火傷のある肘、腕、手/火傷のない肘、腕、手による愛の行為
過去のものである死にゆく身体/現在生きている身体、という関係の問い

裏切りの問い
過去を裏切らずにいるのはどうしたらよいか。
語ること=理解したことを他者に伝達すること

原爆という特異な出来事の直接的な/間接的な表象
ヒロシマについてのフィクション≠ヒロシマという場で生起するフィクション



・見ることの裏切り

彼 きみはヒロシマで何も見なかった。何も。
彼女 私はすべてを見たの。すべてを。

経験的知覚の程度/経験や知覚の構造
彼女が何かを知覚し認識しているということ自体の否定



・国民的な歴史物語/特異な出来事
フランス国民にとってのヒロシマ=戦争の終結:理解可能
日本国民にとっては、理解不可能な出来事の始まり
→平和についての日仏合同の映画製作
大破壊の現実を、匿名性が支配する平和の物語へと包含

フランス解放の日=ドイツ人の恋人の死(敵の殺害)
→大聖堂の鐘の音による表象

・忘却への身体的抵抗

耳をつんざくようなフランス国歌の演奏/地下室に閉じ込められる「彼女」
→自分の身体を傷つけること。
「両手で引っ掻く。両手で壁を引っ掻き、皮膚を引っ掻く。これしかすることがないの。こんなことをしていると、少し気持ちが楽になる。」(107)
理解と忘却への抵抗、身体の断片化、身体を死に対する忠実な記念碑と化す努力。



「私は見はじめる。私は自分がすでに見たことがあるということを思い出すわ――以前に――以前に――そう、私たちが愛し合っていたあいだ――私たちの幸福のあいだに。私は思い出す。私はインクを見る。私は日光を見る。私は自分が生きているのを見る。あなたが死んでいるのを。私が生き続けているのを。あなたが死んだままなのを。」(118)
「見る」行為の回復:彼の死の出来事が、彼女の歴史の中に参入。
忘れることで理解する瞬間。狂気から自由になり、理性を回復。



「その翌日パリに着くと、ヒロシマという名前が、すべての新聞に見えるの。私の髪の毛は、きちんとした長さにまで伸びていたわ。私はひとびとと一緒に街の中よ。」(123)
再統合された身体でもって(自転車の運転)、国家の歴史への帰還
=他国の出来事の抹消

・「私の言うことを聞いて」

ヒロシマとヌヴェールの同質性
「あなたと同じように」という類比(アナロジー)
忘却の発見→忘却の意味の無理解→他者への呼びかけ
ヒロシマについての言葉ではなく、ヒロシマにおいて出会いを求める命令法



・不気味な同質性

彼女 あなたの手をじっと見ていたの。眠っているときに、動くのね。
彼 きっと夢を見ているときに、知らぬまにそうなっているんだよ。(57)



生きている日本人の身体/死んだドイツ人の身体
眠ることの無意識/死ぬことによる意識の喪失
生と死の区別が分かっていない彼女→まだ把握していない死をたえまなく再現する行為

・生と死の問題

彼 きみが地下室にいるとき、僕は死んでいた?
彼女 あなたは死んでいたわ……そして……。(105)

きみが地下室にいる「とき」:時間的な一点を語ることへの集中
→彼女の物語を聞き取るきっかけ

私たちは正午にロワール河岸で、おちあうことになっていたの。私は彼と一緒に出かけるところだった。正午にロワールの河岸に私が着いたとき、彼はまだ死に絶えてはいなかったわ。
 サン=テティエンヌ教会の鐘が鳴っていたわ……鳴っていたわ……。彼は私の下で、少しずつ冷たくなっていったわ。ああ! 彼は死ぬのになんて長くかかったことでしょう。いつ? 私はもう、はっきりわからない。〔…〕私はその死んだ肉体と自分の肉体のあいだに、わめきあっているように思われるほど……似ているところしか、見い出すことができなかったのよ。わかる? 彼は私の最初の恋人だったのよ。(120)



「とき」の直截的な認識=見ることによる理解
/抱きしめる彼の死の瞬間を知ることの不可能性
→両者のあいだにある永遠の深淵からの問いかけ

・歴史の始まり
死んだドイツ兵=日本人男性→ヌヴェールの少女=フランス人女性への呼びかけ
「僕の家族はヒロシマにいた。僕は戦争に行っていた。」
彼自身もヒロシマで「何も見ていない」。自分に起こったことを知らないがゆえに、彼女の物語に入り込み、語りうること以上を語らせる。



互いの歴史の創造≠共感や理解
「私はその死んだ肉体と自分の肉体のあいだに、わめきあっているように思われるほど……似ているところしか、見い出すことができなかったのよ。わかる? 彼は私の最初の恋人だったのよ。」(120)→平手打ち二回
直接的な体験による共感の拒絶
共に歴史を奪われており、自分の物語のなかに自分が存在しないという点で結ばれる二人
「はじめて」という非歴史的意味への亀裂→生と死の差異の発生



・他者の物語
映画の結末=男女の別れではなく、新しい物語や言語の導入。
①ヒロシマ駅の待合所
男性が老女に日本語で別れを説明するシーン(字幕なし)
②バー「カサブランカ」
英語での語りかけ:恋人たちのどちらでもない母語の侵入
映画『カサブランカ』(1942年):リックのアメリカン・カフェ



・声の翻訳不可能性
エイジ・オカダ:フランス語をまったく知らない日本人俳優。文法的に何の意味もない音の羅列を発音。
フランス語話者を演じる、表象すること
≠音を発声することで自分の代替不可能性を保持
自分の話している言語の意味を所有し支配するのではなく、声の差異を比類なき形で伝達。
自己喪失?
意味から切り離された音の発声によって、表象のレベル(音と意味の安定的な関係)では伝達しえない特異性、単一性が現前。



西山雄二
「ヒロシマ私の恋人」では、「喪の作業」とトラウマ的記憶の葛藤において、他者との物語を作り上げていく試みがいかに必要かがわかる。経験的な知覚や直観的な共感だけでは忘却の苦悩に抗して、新たな物語を紡ぎだすことはできない。「君はヒロシマで何も見なかった」という反論は視覚の程度ではなく、視覚経験そのものの有効性を問う。死んだ恋人の肉体と自分の肉体の同一性を主張する彼女に対して彼は平手打ちをし、安易な共感を拒絶する。顔の見えない肉体の愛撫と絡み合いで始まる本作だが、次第に二人の距離は遠ざかり、よそよそしいものとなる。日本人女性や英語を話す青年などの他者が介在する様はその距離をよりいっそう際立たせる。だが、他者が介入し、他者の言葉に応答できるようになってこそ、はじめて忘却の苦悩に耐えることができるのであり、ヒロシマの災厄とヌヴェールの不幸が理解不可能なまま両者のあいだで共有され始めるのである。

福地ひかり
この映画では何回「ヒロシマ」という言葉がセリフの中に出てくるのだろうか。普段は「広島」と聞いてもそこまで原爆のことを意識しないが、日本語ではない言語で「ヒロシマ」と聞くと、急に重々しいイメージになると感じた。この映画を見た後からゼミ直後までは頭の中が「ヒロシマ」=被爆地というイメージになっていた。ゼミで取り上げる作品だからきっと反原子力・反戦が全面的に出ていると思ってしまったせいか、男女の恋愛が主なテーマだったことに関しては拍子抜けしてしまった。しかし、広島が舞台なのだから重いテーマの作品だと勝手に思い込んでいた自分がいたことに気が付いた。土地としての「広島」を認識するときは特に何も思わないが、芸術などで扱われるときは「ヒロシマ」と考えていたのだ。この映画は、恋愛を通じて「ヒロシマ」という考えを捨てるフランス女性を描くとともに、人間の愛を語るために「ヒロシマ」がツールとして用いられている面もあるのではないかと思った。

鈴木奈都子
忘却することへの恐怖・ためらい、そして認識の共有不可能性という問題提起が「ヒロシマモナムール」の大きな二つの主題であると思う。この作品において1959年の広島の街、そしてヌヴェールもまたカタストロフィにとらわれた、忘却の恐怖を感じさせる存在として描かれる。語られることによってカタストロフィは整理され過去化されそして忘却され始める。しかし我々は完全に忘却することはできない。フラッシュバックは過去に戻るのではなくカタストロフィが今なお自分とともにあることを表現するという解釈は映画技法についての説明でありながら、カタストロフィとともに生きる我々という重みを持って理解できる。さらにこのカタストロフィは他者には理解され得ない。この映画全体を覆っているのは二人が互いに相手を理解していると思い誤っているが故の違和感である。そして印象的なラストシーンで描かれるのはお互いがカタストロフィにとらわれた存在であることの共有であり、我々は認識の共有ではなく互いの類似性の共有によってしか結ばれえないという事実である。こう言ってしまうとこの結論は悲しみを帯びてしまうようだが、認識の共有の限界を知った我々がどう他者にコミットするべきかという問いの答えはこの映画は示してくれない、我々自身が考える課題であると感じた。

伊藤玄
今回の講義のなかで、最も印象に残ったのは「大崩壊の現実を、匿名性が支配する平和の物語へと包含」という箇所だ。日本国民にとっては、「理解不能な出来事」であり、フランス国民にとっては「理解可能な出来事」を日仏合作映画として表現する際に「唯一の被爆国『日本』」という「匿名性」を用いたという解説があった。「日本国民」と「フランス国民」という視点から「ヒロシマ」を理解するという点で言えば「匿名性」というテーマは有効的であると感じた。それは、広島の原爆資料館にある焦げた服を着たマネキンや、持ち主の分からない焦げた遺品など「匿名性」のモノが多く展示してあり、それらが鑑賞者に対して「ヒロシマ」での出来事に対する理解を求めていることからも分かる。しかし、当事者(被爆者、遺族)がこのヒロシマで起きた出来事(カタストロフィー)を理解する際にも、「匿名性」というモノは有効的なのだろうかと私は疑問に感じた。「匿名性」というのは、第三者が理解不可能な出来事を「無理に」理解しようとするためのツールであり、当事者にとってのカタストロフィーは、「何を持ってしても理解不可能」なモノではないだろうか。この作品は「カタストロフィーを理解する。とは如何なるものか」という、この講義全体のテーマを再確認させてくれた。

土橋萌
映画を観た時はよく分からなかったのですが、他の方や先生の話を聞いて、映画の構成を少し理解することができました。ヒロシマと女性が対応する形で、原爆ー恋人の死(戦争によって引き起こされたこと)、不適切な被爆者認定、被爆者放置ー村人からの制裁(社会、世間からの切り離し)、そしてその後の忘却(風化)への恐怖は共通して、流れが繋がっています。忘却への恐怖は、今は福島県民の方(又は関わりのある人たち)の発言からよく見受けられます。まだ復興などしていない、問題は解決していないのだから忘れないでくれと。一方で、映画の女性も言っていたように、忘れないとやっていられない、やっていけない、という(無意識の)考えがあります。これは当事者だけでなく周辺の人間も同じように考えているでしょう。園子温監督『希望の国』に、原発事故後妊娠したことがわかり、滑稽なほどに(私たちにとってそれが本当に滑稽なのかは分かりませんが)放射能に過敏に対応する女性が出てきます。彼女のように気にし始めたら際限がない、ならば気にしない方がよい、忘れないと生活が成り立たない。(Hiroshima mon amourの女性とは問題が異なりますが。) 現在の問題をフラッシュバックさせる興味深い映画でした。

藤井淳史
一回目、自分で「ヒロシマ私の恋人」を見たときには、男優がどことなく気持ち悪いなと思っただけだったが、先生の念入りな解説を受けた後では、さまざまなモチーフや、メッセージが映画の中にちりばめられていたことを知り、自身の無教養さを恥じた。解説の中でよく印象に残っているところとしては、男優が女優の頬をぶつシーンで、女優の告白に対して、男優が共感や理解をしめさなかったことだ。なぜ、共感や理解をしめしてはいけないのか。それは、そこに彼女はいないからだ。その語られた物語のなかに彼女の姿を見つけることは欺瞞でしかないからだ。だからこそ、彼はその物語に対して共感することを拒んだのである。そして、生と死の差異が発生し、歴史を奪われたもの同士の物語は、そこから始まるのである。この解説を聞いたとき、何気なく見ていた映画のなかに、行為から紡ぎだされる意味があることを 発見し、感動を覚えた。また、上記の段階において、殻に閉じこもって自分自身の物語を固持するのではなく、他人と語ることで、客観的にそれを見ることができるようにすることが大切だということも知ることができ、非常にためにもなった。

志村響
前回授業を経てなお、難解な印象は変わらなかった。時間のあるときにまたもう一度見て、できる限りこれは払拭したいと思う。とっかかりやすいトピックというのも絞りづらいので、授業の際に物議を醸した「舞台が広島であることの意義」について自分なりの考察を加えてみたい。結論としては、私はあの映画の舞台は広島でなくてはならなかったと思う。その理由は、ヌヴェールから見た広島の、多くの特異性にある。地理的な遠さ、東洋人の土地であること、様々な文化の相違、そして何より、原爆の町として象徴化された町であるということ。欧米から見たヒロシマは終戦のシンボルであり、そ してシンボルであるが故、そうとしか理解されない。ある種のステレオタイプである。また、そのシンボルは他でもない原爆により表象される。原子力による悲劇の唯一の経験者となったヒロシマは当時、世界という場において決定的な特異点であった。他のどの場所とも違う、決して理解の及ばない土地。だからこそ、君は何も見なかったという台詞が奇妙な信憑性を帯びるし、すべてを見たという主張は甚だ的外れなものとなる。特定の二つの土地にこれほどの差異を描くことのできた作品は他にはないだろう。

井上優
一度観ただけではなかなか容易に理解することのできない難解な作品だったが、先生の発表を聞いて、映画中で表現されているいくつかのテーマを理解することができたと思う。個人的には、授業中の感想で述べたように「なぜヒロシマを知りたいのか」「興味を持って観察すれば、理解できると思う」という男性と女性の台詞のやりとりが特に印象に残ったのだが、このやりとりから、どんなに興味をもってもフランス人である女性はヒロシマを完全には理解することができないという、当事者とそうでない者との経験や認識の共有不可能性を感じた。男性についても、彼女から語られる辛い過去に耳を傾けることは出来るが、彼女の悲しみや苦しみを一緒に担うことは出来ない。お互いのことをどんなに詳 しく話しても、肌を重ねるまで近くに寄り添っても二人の間には隔たりがあり、互いが絶対的に異なる他者同士であるようなことが、老女を挟んだ駅の待合室の場面やバーで離れた席に座る場面での二人の不自然な距離からも感じられた。また何度か観てみると、その都度新たな発見や考察のできる作品であると思う。

内田森太郎
映画は映像や台詞、さまざまな伝達手段によって主題を伝える。そして手段の多様性によって鑑賞者の心にはさまざまなイメージが去来し、核となるメッセージにまとわりつくように多くの文脈が接続される。だから同じ映画を見た人のそれぞれ異なった感想を聞いていると文脈の多様性が面白く、映画鑑賞という体験がより豊かになったように感じた。あまりヒロシマというイメージに結びつけず、恋愛映画としての面を中心に据えた評価などは自分では思いつかない感想であったので特に印象的だった。西山先生による映画の評論の紹介の中の、男性役の俳優に関する裏話めいた話が強引なようで納得もできてしまうような、奇妙な話だった。演技の本性、芝居の本性についての難解さに気づかされた。俳優が自分の発する言葉の意味をわからないまま演技をするという特殊な状況で、俳優のその演技が鑑賞者に与える効果を作品の一要素として捉えてもいいのかわからない部分もある。ところがこの映画に限って言えば、おざなりな扱いとも思えるほど「彼」は鑑賞者の共感から遠い所にあって、「彼」のその立ち位置と、「彼」役の俳優の特殊な演技は符合しているように見えるのだ。このことは芸術の予測不可能性が最良の形で働いた結果だとでも考えればいいのだろうか。

久津間靖英
 ヒロシマとヌヴェール、『ヒロシマ私の恋人』という映画はこの二つの地名を舞台としている。「きみはヒロシマで何も見なかった。何も」という台詞で始まってから十数分間、映画ではずっとヒロシマについて語られる。しかし、このシークエンスが終わって以降、ヒロシマの存在感は徐々に薄くなる。確かに物語の舞台は最後までヒロシマなのだが、「男」と「女」がヒロシマについて直接言及する機会は減っていき、それと入れ違うかのように話題は「女」の故郷であるヌヴェールへと移っていく。そして、最後には「女」が「ヒロシマ」と言い、「男」が「ヌヴェール」と言う。物語の構造においてこの二つの土地が成している立回りをもっと丁寧に見ていけば何か面白いことが見えてくるかもしれないと思った。ヒロシマという世界的に有名になってしまった土地と、さほど知られていないヌヴェールという土地が成す対照も興味深い。
 ところで、前回のゼミではこの映画には「生々しいヒロシマ」が見られないという指摘が、私も含めた何人からか挙げられていたが、よくよく考えてみればこのことはもう一つの舞台であるヌヴェールについても言えるのではないだろうか。コラボラシオンへの制裁など、戦争終結直後のフランスの悲惨さを思わせる描写もないわけではないが、基本的に私たちが画面上に見ることができるのは「女」の体験したヌヴェールだけである。私たちが眺めることができるのは「女」の閉じ込められていた地下室の中だけであり、地下室の外で街の解放を喜ぶ人々、「女」の両親、「女」の愛したドイツ人将校などについて映画では断片的にしか描かれていない。西山先生がヒロシマとこの映画の関係について間接的な表象とご指摘されていたことは、言うまでもなくこの映画とヌヴェールの関係においても当てはまるのだろう。
 ところで、私はこの映画を見たとき、「男」と「女」の関係に違和感を感じた。冒頭でいきなり彼らのベットシーンを見せられるわけであるが、そこで交わされているのは恋人たちの愛のささやきと言うよりはなんだか抽象的な禅問答に近い。また、喫茶店で話し合う彼らの姿(そのほとんどが「女」の独白なのだが)を見ていると、まるで彼らが医者とその患者のように見えてくる。上の言葉を使うならば、彼らは行きずりの恋人としての「生々しさ」を欠いているのではないだろうか(別にそれが良いとも悪いとも言っているわけではない)。
 最後に付け加えるならば、「男」と「女」は一見対照を成しているようにも見えるが、いささか前者の存在感が薄すぎるようにも思われる。「きみはヒロシマで何も見なかった」と言う台詞や、原爆が落とされたとき家族はヒロシマにいて自分一人だけ戦地にいて無事だったという設定はいかにも思わせぶりなのだが、結局「男」の口からそれ以上のことが語られることはなく、物語の主導権は女が持っていってしまう。駅で老婆に尋ねられた際、「男」がどこまで本気で答えていたのかはわからないが、もし本気であのように思っていたのだとしたらあまりにも痛々しい。

吉田直子
 『ヒロシマ私の恋人』は他者の記憶の理解不可能性に加えて、自らの喪失の記憶の忘却可能性と不可能性のような問題を取り扱っていたように思う。ところで今回の授業で、私は自分の中で「喪の作業」と「トラウマの克服」という二つの課題が混在してしまっていることに気づいた。ただよく考えれば、喪は必ずしもトラウマにつながるわけではなく、むしろ喪失にまつわる記憶の衝撃が強すぎたためにトラウマを抱えた結果、喪の作業が困難になる場合が多いようにも思う。であるなら、喪の作業とは次の二つの側面から解釈可能な概念なのかもしれない。ひとつは生と死の境界をめぐる存在論的な問題系として。もうひとつはある存在との別れにまつわる作業というよりも、その存在をめぐる「記憶」の取り扱いにまつわる作業として。そしてトラウマの問題は、後者の解釈との関連で考えることが妥当だということを。例えば精神科医の宮地尚子は、アーレントの「忘却の穴」という表現などを引き合いにだしながら、トラウマを環状島の内海に例えている。トラウマとは本来、内海の底に深く沈められ、一見忘却されたかのように思われる記憶であって、その詳細は本人すら分からないものだということである。ではその場合、何をもってトラウマを「克服」したといえるのだろうか。内海に沈んだ記憶を引き上げて白日のもとに晒すこと、つまり記憶を全て思い出して整理をし、そして忘れ去っていくことなのだろうか。もちろんそういう記憶の乗り越え方もあると思う。でもトラウマを抱えているからこそ、同じようにトラウマを抱えた他者の痛みや弱さに共振することもできるのではないだろうか(少なくとも私はそういう事例を複数知っている)。自分ですら言語化できないトラウマなのだから、相手のトラウマなど当然理解できるはずもないが、相手もまた自分と似たような、しかし同じではない痛みを抱えた存在であることを感受できるのは、トラウマを抱えた人間だからこそ可能なことのように思う。要するにトラウマとは消去されるべきものなのか、という問いに行きつくのである。

村上翔太郎
普段ほとんど映画を観ないので頭もあまり働かず、ヒロインのドイツ兵との悲恋から反戦のメッセージを感じるしかなかった。その上でラストシーンのヌヴェールとヒロシマの意味を考えてみたい。互いの名も知らず、間もなく別れる二人はなぜ本名を聞き合わずに地名で呼んだのか。おそらく二人にとり、今後互いのことは個人として記憶、回想されることはない。もとより家庭のある彼らにおいて一日の関係は別れてから固執するものではない。未練を見せていた男の方ですら見切りが付いたのだろう。しかし完全に記憶から抹消されるものではなかった。彼らにとりこの交際は自らの背負った、街の歴史に触れるものだった。触れたけれども、男は女がヒロシマの全てを見たなどとは認められなかったし、女の語るドイツ兵との恋に共感しなかった。お互いに、日本人にとっての戦争と、フランス人にとっての戦争をわかると言ってしまうことを安易に許さなかった。最後のヌヴェールとヒロシマは、二人が自分たちの断絶を受け入れる手続きだったのではないか。それは、日本とフランスの断絶を象徴しており、生半可な馴れ合いを認めないという作者の姿勢なのだろうと思う。

大江倫子
つかの間の情事と史上最悪のカタストロフィを絡み合わせるこの作品の必然性を確信するには、1959年という時代について問う必要があるだろう。テレビやインターネットがなかった時代、新聞や雑誌の論説はあっても一部の知識人にしか理解されなかった時代を想像してみよう。しかしその限定された生を生きる個々の人々には、それぞれの戦争の体験が、それを伝達する言葉も、相手ももたないままに、抹消不可能な仕方で刻印されていたのであった。それは一つの同じ戦争の体験であり、今ではごく控えめな示唆だけでもそれと認知されるようなクリシェでありつつ、一人一人の独異な固有の体験は、その際限ない記述にもかかわらず、決して伝達できないものであるかのようだ。そしてありとあらゆる快楽を迎え入れようとする現代の遊興空間の欠如において、情事は貧しい日常の彼方のある濃密な空 間への唯一の通路だったはずである。こうした諸条件を考慮することで、カタストロフィと情事の相互の隠喩性が、拮抗し、競り上げられていく緊迫感が、この映画で体験されるのではないか。