フランス滞在記(2024年3月)

西山雄二

西山雄二(人文科学研究科教授)

2024年3月初旬、東京都立大学のグローバル・コミュニケーション・キャンプ「フランスの大学における異文化交流と地域文化の比較研究」のプログラムにて、院生・学部生5名とフランスに滞在し、パリとレンヌにて大学や高校での授業見学と学生交流を実施した。


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これまで何度も、都立大のプログラムで学生らとフランス滞在をくり返してきた。ただ、その参加者は学部生、とくに2−3年生が主だったが、今回はほとんどが大学院生という構成となった。フランス文化に触れたいという初々しい若者とは異なり、すでに自分の専門研究を展開させている学生である。従来の旅とは少し異なる計画と目的となり、大学での演習授業見学など、より専門性の高いプログラムとなった。

飛行機チケットは高騰しており、直行便は高額だったので、中国国際航空(AirChina)を選んだ。北京乗り継ぎ便は12万程で、直行便の半値近い。中国国際航空は安いので、ネットの評判もそれなりで、遅延が多いという噂もある。しかし、実際は、普通のエコノミー便と同じサービスで、遅延もなく順調なフライトだった。
学生とフランス旅行をするのはこれで12回目ほどである。当初、若い頃は学生らと同じ小さなアパートに滞在した。年を取ってからは、自分はさすがに別のホテルに泊まっていた。今回は男性ばかりで院生ということもあり、久しぶりに、みんなで同じアパートを借りた。AirBNBで手配したパリとレンヌの宿(3LDK)3件はいずれも満足のいく住み心地だった。掃除が行き届いていて清潔で、十分な設備が整っていて、チェックイン/アウトも実にスムーズだった。



今回のプログラムの目的は以下の通りである。
・レンヌ第2大学で、日本語の授業に参加し、「東京都立大学の学生生活」「東京の観光」について発表をおこない、学生同士の交流をおこなう。
・同大学で「あわい」に関する比較文化的考察の研究発表セミナーを開催する。院生4名が発表をおこない、学生らと議論を交わす。発表テ−マは「お盆における生者と死者の交流」「蕎文化の日欧の比較」「新海誠作品における生死」「日本的な「いき」の概念」。
・パリ第8大学にて、デリダ研究会に参加。外国人留学生が多数参加する研究会で、フランスにおいて多様な国籍の若者がいかに協同研究をおこなっているのかを学ぶ。
・パリ西ナンテール大学にて、フランソワ=ダヴィッド・セバー(François-David Sebbah)先生の大学院授業に参加。「歓待」の概念をめぐる演習で、大学院生がいかなる仕方で学術的な議論を交わすのかを経験する。
・パリ近郊サン=クルーのデュマ高校で準備学級2年の文学(2クラス)と1年の哲学の授業を見学。文学の授業は「暴力の問題」に関する授業で、暴力と経済の関係をめぐって適切に問いを立てる思考法を学び、フランス独自の教育法を実感する。哲学の授業は「科学」に関する入門的説明で、個々の科学が独自の歴史性をもっていかに真理探究をおこなうのかを理解する。

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(レンヌ第二大学)

(デリダ研究会打ち上げ)

(日本人留学生との交流会)

今回の滞在も、フランスでの生活、留学、観光が混じり合った独特なプログラムで、濃密な日々だった。今回の参加は院生4名と学部生1名だったが、みなフランス滞在が初めての経験だった。この豊かな経験は今後、学生生活や研究活動にフィードバックされるだろう。

レンヌ第2大学では、高橋博美先生に全面的に支援していただき、準備がおこなわれた。留学中の本学学生・土屋るるさんにも通訳などで手伝っていただいた。デュマ高校では、エロイーズ・リエーブル先生が授業のコーディネートをしてくれた。パリに滞在している藤田尚志先生(九州産業大学)が当日、同行してくださり、適切にサポートしてくれた。パリ西ナンテール大学の授業見学については、フランソワ‐ダヴィッド・セバー先生に、パリ第8大学の見学については、Uzir Srijan先生に支援していただいた。パリでの文化視察では、ソルボンヌ大学院生の関大聡さんにサポートしていただいた。関係者のみなさんに感謝申し上げる次第である。

高波力生哉

高波力生哉(人文科学研究科・博士課程)

今回の渡航は、東京都立大学のグローバル・コミュニケーションキャンプ(GCC)「フランスの大学における異文化交流と地域文化の比較研究」プログラム、および「「あわい」をめぐる日本とヨーロッパの比較文化研究の双方向的展開」の支援を受けて実現した。本プログラムの最も重要な目的は、レンヌ第2大学にて「あわい」、「東京」についての発表を行うこと、および現地学生との文化交流である。そのほかにも、ナンテール大学での授業見学、デリダ研究会への参加、そして高校の授業見学などが主な目的であった。よって、これらの活動の振り返りを中心に滞在記を執筆する。

私自身、この旅は実に10年ぶりとなる海外渡航であり、ヨーロッパを訪れるのは今回がはじめてであった。北京でのトランジットを含め、計18時間ほどの移動はかなり長く感じられたが、現地到着が早朝7時過ぎだったこともあり、時差の影響はほとんどなく活動を開始することができた。CDG空港到着後、パリ市内の宿までRERとメトロで移動したが、空港内で聞こえてくるフランス語の会話やアナウンスを耳にしたり、駅舎やRERからの景色を目にしたりしても異国に来た実感はあまりなかった。それなりに混み合っていたメトロ車内で、降りようとしている他の乗客からPardonと言われたとき、フランスに来たことをようやく実感した。



初日は、パリ左岸の中心地5・6区、とりわけカルティエ・ラタンを中心に散策した。特に印象的だったのは、サント゠ジュヌヴィエーヴの丘を登りきったところに建つパンテオン界隈の街の造りである。革命期にサント゠ジュヌヴィエーヴ教会として建設され、のちにルソー、ユゴー、モネなどフランスを代表する偉人たちを祀る墓所となったパンテオンを挟むようにして、有名進学校のアンリ4世高校、ルイ゠ル゠グラン高校が位置している。サン゠ジャック通りにあるルイ゠ル゠グラン高校の隣には、コレージュ・ド・フランスがあり、パンテオンからドゥルム通りを南に行ったところに高等師範学校が立地しているという構図だ。まさにパリの知的中心地とでも呼べる場所であり、フランスのエリート主義を象徴するような一角である。

たとえば、ディディエ・エリボンが『ランスへの帰郷』(2009年)で、フランスにおけるメリトクラティックな学校システムを批判していたが、エリボンに限らずつねに批判されてきたこの権威主義的なシステムが、今日でも強固に残り続けているのはなぜなのだろうかいうことを、この場所に来て考えずにはいられなかった。2022年に教育相に就任した際の挨拶で、パプ・エヌディヤイが「私は共和国のメリトクラシーによる純粋な産物です」(Je suis un pur produit de la méritocratie républicaine)と述べていたように、おそらく、このシステムこそがフランスのÉgalitéなのであり、だからこそ、それは国家の根幹をなすものとして守られなければならないのだろう。


(よく食べたケバブ・サンド)

市内の主要観光地に足を運び、スーパーでの買い物なども一通り経験できたことで、わずかながらパリに慣れてきた滞在4日目の朝、授業見学の目的でナンテール大学へと向かった。アパートからパリ西部の郊外ナンテールまで電車で30分ほど移動したところに、今回の目的地はあった。日本の駅舎を参考にしたとされるナンテール大学駅は、きれいな造りで、大学施設や校内の様子も簡素であり、1968年の学生運動の発端となった大学の面影はほとんど感じられず、若干拍子抜けしたほどだ。

見学したのは、デリダとレヴィナスの専門家であるダヴィッド・セバー先生の講義で、デリダの講義録『歓待』を読む回だ。私たちを除いて、参加者は13人ほどで、中国と台湾からの留学生が計4名いた。授業時間は2時間で、「飛び地」(enclave)、「自己性」(ipséité)、「自己―免疫性」(auto-immunité)といった語の説明を中心に講義が進む。日本の大学院の授業との最も大きな違いを挙げるとすれば、それは「身体性」だろうか。教室を左右に歩きつつ、ときに椅子に座りながら、Ecoutezという言葉を繰り返すことで、学生に語りかけるスタイルだ。聞いているこちらも、身体全体で先生の言葉を受け取るような感覚になる。デリダの『偽誓と赦し』講義の音源を聞いたことがあるが、話を聞くという行為が、 実際に教室にいるとまったく違ったものになるのだ。当然といえば当然の話だが。



参加学生のノートの取り方も注視していたが、フランス人学生は、ディクテの要領で、ひたすら話された言葉を書き取っていた一方、中国人留学生は、重要なポイントだけをPCにまとめてメモを取るスタイルだった。これも、それぞれが受けてきた教育スタイルの違いによるものか。終了後、自己紹介も含めて少しお話する時間を割いていただいたことは大変ありがたかった。

フランス到着直後から毎日多くの予定が詰まっていたが、この日の午後、パリ中心部に戻り、リュクサンブール公園のベンチで1時間ほど無為の時間を過ごす。
3/5〜3/7にかけて、フランス北西部ブルターニュ半島の付け根に位置している都市レンヌを訪れた。朝7 :30、モンパルナス駅発のTGVに乗り、15分ほど走ると早くも窓一面に農地が広がる。レンヌ到着までの間、ほぼずっと同じ景色が続いていて、これだけでフランスが農業国だということがよくわかる。到着後は、早速ブルターニュ名物のガレットを食した。今回私がレンヌ大学で行う発表テーマは「そば」だったため、実際にガレットを食べる機会を楽しみにしていたが、味は申し分なかった。レンヌ駅構内のカフェの店員もそうだったが、ブルターニュの人々の穏やかな人柄、そして街全体のゆるやかな時間の流れが印象的だ。

午後は、モン・サン゠ミシェルを訪問した。レンヌ駅前からバスで1時間ほどだったが、道中でも、現地に着いてからも、いたるところから日本語が聞こえてきて驚く。また、修道院入口のチケット売り場では、フランス人のガイドに、「あちらでチケットを購入してください」とそれなりに流暢な日本語で案内される始末で、やれやれと思ってしまう。帰りのバスがレンヌ駅前に着き、乗客の半数を占めていたであろう日本人観光客が、パリに戻る列車に乗るため一斉に駅のなかへと消えていった。そう、モン・サン゠ミシェルは、パリから日帰りで訪れるような場所、そうした「観光地」だったのだ。



翌日の朝、レンヌ大聖堂など旧市街を散策したあと、街で一番大きな書店に入る。パリの書店と比べても遜色ないどころか、もしかするとそれ以上の充実した棚作りで、ついつい長居をしてしまう。

午後からレンヌ第2大学を訪れ、高橋博美先生が担当する日本語クラスで2つの発表をさせていただいた。最初のクラスで佐藤勇輝さんと私が担当した「東京」の発表では、東京駅を取り上げ、東京駅と日本社会の歴史的な関係、駅構内、および周辺の観光スポットをプレゼンした。発表後には、なぜ構内にある駅弁屋の名前が「祭り」なのか、TGVと日本の新幹線はどちらが好きかといった質問を受けた。印象的だったのは、米原大起さん、菊池一輝さんが担当した「都立大」についての発表後の質疑応答で、「日本では部活動が盛んな一方で、フランスにはまったくそれがないのはなぜだと思うか」という質問がなされ、なおかつ発表を聞いていた学生の多くがこの質問に強い関心を示していたことだ。結局、私を含め説得的な回答をすることはできなかったように思うが、フランスでは、基本的に部活動がないため、私が高校までの6年間野球部に所属し、かなり厳しい練習をしていたことを伝えたときにも、やはり驚いていた様子だった。



発表後の交流会では、私たち都立大メンバー5人が5つのテーブルに分かれ、各テーブルにレンヌ第2大学の学生が4、5人ほど配置されグループで歓談した。日本語を勉強しようとしたきっかけや、フランスに来て印象的だったこと、好きな音楽や映画など趣味の話、発表についてなど、概ね問題なくフランス語での会話を楽しめたように思う。グループに1人だけ3年ほど日本語を勉強している学生がおり、日本語も交えて話をすることができた。モン・サン゠ミシェルにたくさんの日本人がいたことや、卒業旅行でフランスを訪れる日本の学生は多いという話をした際、グループのみなが口を揃えて「なんで?フランスのどこがいいの?」と笑いながら聞いてきたときには、苦笑いをするしかなかったが.....。

交流会後のもうひとつの日本語クラスでは、「あわい」をめぐって、院生4人が発表を行った。最初のクラスに比べて教室は満席に近く、40人ほどのフランス人学生が熱心に私たちのプレゼンに耳を傾けてくれた。発表テーマついて、事前に西山先生、高橋先生から、日本のことを何も知らないフランス人の学部1年生でも理解できる内容にするようにと指示があったので、私は日本とフランスにおける「そば」(sarrasin)文化について発表した。私の父がそば農家であり、かつそば打ち職人でもあること、また、そばがブルターニュの文化として根付いていることを知ったことがテーマ選定の理由だ。発表後に、焼きそばとそばの関係、二八そばについて、十割そばの作り方についてなど、3つほど質問をされたが、フランス語での回答が流暢にできなかったこと、発表時に原稿を読み上げるばかりで、アイコンタクトや身振りを交えた話し方が十分にできなかったことは、今後の改善点としたい。交流会でのもてなしもそうだが、さまざまな理由で「日本」について強い関心をもっている学生全員が熱心な眼差しで発表を聞き、私の発表に限らず、たくさんの質問をしてくれたことは大きな喜びであった。

レンヌでの滞在を終え、パリに戻るTGVのなかでも少し考えたことではあるが、いまから振り返ると、今回の旅の重要なテーマは「歓待」だったように思う。西山先生から、今回レンヌ大学の人たちに歓待してもらったが、次にレンヌ大学の人たちが日本に来た際、歓待する側の立場として同じことができなければいけないと話があった。奇しくも、セバー先生の講義で取り上げられていたのもデリダの講義録『歓待』であり、後述するように、デリダ研究会で読んだテクストも同じ講義録であった。デリダの名を出すまでもないが、歓待をしてもらうということは、今度は自分が歓待をするということでもあり、歓待とは、何よりもまずその素朴な意味でエコノミックな行為であることを再認識した。このように書くとあまりに自明のことに思えるが、昨年12月にレンヌから高橋先生、カリム先生が来日し、都立大で研究発表をされた後の交流会で、私は歓待する側の立場としての振る舞いができなかった。あらためて自分の行動を反省している。文化交流は、必ず双方向的なものでなければ続かない。このことを忘れずに今後の活動に励んでいきたいと思う。

3/7の早朝、レンヌを発ちパリに戻った。早いもので、この時点でフランス滞在の半分が終了したことになる。この日の夜は、パリ第8大学で行われるデリダ研究会に参加した。参加者はスペイン、メキシコ、インド、スロバキア、カナダ、ドイツなど世界中から集まっており、ハイブリッド形式で行われている。通常、研究会は2時間で、最初に発表者が当該範囲について20分ほどのプレゼンを行い、その後ディスカッションに移る。今回の範囲は、デリダ講義録『歓待Ⅱ』の第8回であり、発表を担当したのはチリのアドルフォ・イバニェス大学で教鞭をとる若手デリダ研究者トマ・クレマン・メルシエだった。



発表は主に第7回の内容を中心に話が進み、第8回の箇所から2つ引用がなされ、注釈を加えるものだった。ディスカッションに移り、どのような議論になるのかこちらも楽しみにしていたが、口火を切った質問者がいきなり「今回の範囲は読んでいませんが」と言い放ってから話しはじめたので思わず笑ってしまう。その後も、当該範囲には直接関係のない質問がつぎつぎになされ、基本的には参加者が自分の言いたいことを話すといった形式で議論は進んでいった。想定とは異なる自由なやり方にはじめは少し戸惑ったが、このスタイルこそが、研究会が10年以上も続いている理由なのかもしれないとあとで妙に納得する。私も「近接性」(proximité)という語の使用について質問できたことは良い経験だったが、実はこの日体調を崩してしまい、またとない機会だったにもかかわらず、研究会後の懇親間に参加できなかったことは残念でならない。西山先生も「友愛」(fraternité)について長めの質問をされていたが、その話し方を含めて、日本の研究者が海外の研究者とどのように対等に渡り合っているのかというお手本を示してもらえたことは、今後の自分の研究にとって大きな糧となった。

滞在終盤、パリ郊外サン゠クルーにあるアレクサンドル・デュマ高校準備学級1、2年生のクラスを見学した。はじめに、エロイーズ・リエーブル先生(文学)による「暴力」をテーマにした授業、次にScienceをテーマにしたフィリップ・ダニーノ先生(哲学)の授業、最後は再び同じテーマでエロイーズ先生の授業と全部で3つのクラスを見学できた。エロイーズ先生による2回の授業はまったく異なる形式で行われ、最初の回は「経済的な暴力」について、生徒につぎつぎに問いを投げるかたちで板書をする一方、2回目の授業では、小説の読解をすることで同じテーマを深めていく形式で、私は後者の方にはまったくついていくことができなかった。ダニーノ先生の授業はコントのテクストを一文ずつ読解していく形式で、ある程度理解することができた。

グランゼコールの試験は4月に行われるため、私たちが見学したのは試験直前の時期だったが、生徒たちは全体的にリラックスした様子で積極的に授業に参加していたように思う。日本の入試制度とは異なり、「提示された問いに自分の考えで答える」ためのフランスの教育現場をこの目で見ることができたのは大変貴重な経験であった。

ここまで、主な活動を中心に書き進めてきたが、すでに規定の字数に達してしまった。デリダの住んでいたリス・オランジスの自宅とお墓を訪問したこと、美術館や書店巡りに加え、その他に訪れた場所、パリでお会いできた方々のことなど、ここに全てを書き切れないことがとても惜しい。それほど、今回のフランス滞在は充実したものであった。



今回の渡航は多くの方々の尽力で実現した。滞在記の最後に、お世話になった方々に感謝の言葉を記したい。まず、プログラムをご支援いただいた国際課のみなさま、また、発表者全員分のフランス語原稿を丁寧に添削してくださったジョスラン・グロワザール先生に感謝します。ついで、藤田尚志先生をはじめ、懇親会でお会いしてくださった留学生のみなさまに感謝します。異国の地で研究に励まれているみなさんのたくましい姿を見て、背中を押されました。つぎに、レンヌ第2大学での発表と文化交流の機会を用意してくださった高橋博美先生に感謝します。日本に関心をもち、研究をされているフランスの学生たちと充実した交流ができたのは、一重に高橋先生の尽力のおかげです。また、ナンテール大学での講義を見学させてくださったダヴィッド・セバー先生、デリダ研究会のみなさま、高校見学の機会をくださったエロイーズ・リエーブル先生、フィリップ・ダニーノ先生に感謝します。また、Soutenance直前の時期にもかかわらず、フランスでの生活やご自身の研究についてお話を伺う機会をくださった関大聡さんに感謝します。

そして、今回の旅の同行メンバーである佐藤勇輝さん、米原大起さん、江﨑拓真さん、菊池一輝さんに感謝します。全員が20世紀フランス思想を専攻しているということもあり、共同生活を含め充実した時間を過ごすことができました。最後に、引率してくださった西山雄二先生に特別の謝意を記したいと思います。これまで10回以上もGCCで学生を連れてフランス滞在をされた先生に、今回も宿の選定から旅程の構成、現地での生活などあらゆることをサポートいただきました。大きなトラブルなく無事に旅を終えることができたのは一重に西山先生の尽力のおかげです。本当にありがとうございました。

この度の経験を糧に、今後より一層の研究活動に励んでいく所存です。

菊池一輝


菊池一輝(人文科学研究科・フランス文学・修士課程)

 東京都立大学の国際交流プログラム(G C C)および、学長裁量経費プロジェクト「「あわい」をめぐる日本とヨーロッパの比較文化研究の双方向的展開」の支援によって2週間もの長きにわたる滞在が実現した。プログラム・プロジェクト上の主たる目的は、レンヌ第二大学の日本語クラスでの発表および交流、当地での研究会への参加、リセおよび大学での講義の見学であったが、引率の西山先生および同行した友人たちに巻き込まれあるいは巻き込みながら、渡航はたいへん意義深いものとなった。

 私は西山先生のもとでフランスの精神分析家ジャック・ラカンの理論を研究しており、博士課程への進学および研究者への道を志している。そのため、この滞在は私個人としては、そう遠くない未来になされるべきである留学の予行としての実用的な意味を持っていた。また、私はかねてより西洋思想や絵画への関心を抱く一方で、それらの生じる一つのトポスとしての「フランス」に対して、何を、どこから学べばいいのかわからないまま手をつけられていないことに若干の引け目を感じていた。もちろん「フランス現代思想」や「フランス絵画」といった分類は後付けのものでしかないが、しかしそのように分類されたもののうちに「フランス性」というべき言語や歴史、政治が陰に陽に反映していることは否定できないだろう。したがって、この旅で「フランス」を肌身をもって感じることが、研究ないし趣味を深化することに繋がるとも私は考えていた。


(ラカンが住んでいたアパート前にて)

 この後者の個人的目的に関して言えば、私は渡航以前には、「フランスを好きにならなければならない」と考えていたきらいがあったと思う。「思想や絵画を好むのならばそれを産んだフランスも好ま「なければならない」」という強迫がどこかにあった。こうした観念は、もし短い日程の個人旅行でフランスを訪れていたのならつねにつきまとったままであっただろう。矢継ぎ早に当地ならではの経験をして、忙しい滞在中にではなく帰国後(いずれにせよそれなりには抱かれる)満足感のもとで反省すれば、「いろいろなことがあったが、まあ良かった」という薄い感想になりかねない。リフレッシュのための旅としては結構だが、それでは私の目的に適った旅にはならないだろう。この滞在では、その期間の長さゆえに、またプログラム内の諸活動のほか個々人の視察についても行った毎晩の意見ないし経験の共有を通じて、つねに経験の感覚的な良し悪しだけではなく、「フランスとはどのような国なのか」を問う機会に恵まれた点が良かった。滞在のあいだに抱いた問いが繰り返し想起されることによって、(旅の経験の少なさにおそらく由来する馬鹿げた言い方だが)「フランス」がある種のリアリティを持って私のうちに存続すると思う。



 多くの経験が共有された。例えば、パリ市街での就業にあるいはリセの教室でつるむグループに見られる人種間の(おそらく、普段は露骨な仕方では現れない)隔たり。日本では避けがたい学生間の競争がパリでは存在しないことを語る留学生の言葉。日本では最も高名な「フランスの哲学者」であるジャック・デリダが住んでいたリス=オランジスの遠さとその地での知名度の低さ、など。

 特に心に刻まれた経験・問いの一つは、清潔さと他者の排除との連関をめぐるものだ。2024年夏季のオリンピックに向けた、また市民からの苦情に応じた、大幅な清掃事業が近年市によって始められたとはいえ、パリは清潔とは言えず、地下鉄の駅にはさまざまな臭いが広がっていたうえに、路上では一日に何度も犬の糞を見た。さらに今回滞在した三ヶ所の宿泊先は、いずれもパリの下宿にしては優良とのことだったが、もちろん浴槽は三ヶ所中二ヶ所に無く、さらに一つの宿ではいつ洗濯したのかわからないバスマットが置かれていた(留学を考えている身としてこの経験は堪えた)。ミーティングの中で話題となり、また西山先生が指摘したのは、このようなフランスの衛生観念と、物乞いの多さや彼らに対する周囲の振る舞いとの関係だ。フランスの失業率は日本のおよそ三倍の7%(2023年)で、労働力人口の15人に1人は職がない。昨年度の滞在記でも書いていた方がいたように「明日は我が身」という思いもあるのだろうか。物乞いに対して小銭や飲み物を普通の人が与える場面を何度も見た。またそのような振る舞いが繰り返されているからだろうか、書店の前や駅の目立つ位置で物乞いを見ることも多かった。

 地面に伏せて小銭をねだる物乞いは確かに汚れているし、時として臭いを放っていることがあるだろう。そして、そのような人々にも、例えばNPOに属しているのでもない普通の人が応じられるのは、ある側面では、応じる側が「潔癖症」ではないということに由来しているだろう(あるいは同様のことは、見方によっては「騒音」を発している大道芸人が、地下鉄の中でさえ演奏している姿に関しても言えるだろう)。しかし、衛生観念の高さはそのままで「不浄な」他者の排除に移行するのではなく、その移行は他者の何か(例えば、眼差し)が看過されることではじめて成し遂げられるようにも思える。それでは、いつ、どのようにしてこの看過が遂行されるのか。おそらくこれから綺麗になっていくパリの街で物乞いは存在し続けるのか(もちろん存在し続けることも問題であるとはいえ)。「潔癖症」の日本人が他者を歓待するにはどのような認識の批判が必要なのか(例えば近代の「公衆浴場運動」などを検討する必要があるだろう)。例えば以上のような問いが、自分の身体と「フランス」とのある種の不調和から立てられた。




 プログラム・プロジェクトの主たる目的であった発表や見学の経験は、主に私のもう一つの個人的目標である、留学の予行としての役割を兼ねることとなった。全体としての感想・反省点としては、やはりまだまだフランス語のリスニング能力が不足しているということを思い知らされた。今どのような話がされているか、あるいはキーワードが何かはわかるにしても、語ではなく文の単位になるとなかなか聞き取れなかったというのが正直なところだ。またスピーキングについても自分では話せていたつもりが、西山先生からは「発音がカタカナで、それなのに自分が話せていると思っている分、直しにくい」と指摘された。緊張に弱い性分ゆえ虚勢を張ることは常日頃よりむしろ心がけているほどなのだが謙虚さを忘れないようにしたい。さらに、西山先生から釘を刺されたように、私が今の研究分野で教員になるとすればフランス語・フランス文化を指導する側に回る以外の選択肢はほとんどなく、この点からもフランス語のさまざまな技能を養わなければならない。あとは一年間フランス語を読んで論文を書くだけだと思いこんでいたふしがあったため、苦い薬になった。



 レンヌ第二大学では、私たちは日本ないし都立大の学生生活および東京についての発表と今回の研究プロジェクトである「あわい」にまつわる発表とを、高橋博美先生の二つの日本語クラスでそれぞれ行なった。前者では私は日本の学生生活について、フランスと異なる(あるいは厳密にはフランスには「ほとんど」ないというべきか)大学入試制度やバイトの種類、日本の学生の趣味などについて話した。この発表では、質問は主に私とセットで発表した米原くんの主題に関するものが多かったが、印象に残ったのは、教室の学生全員の私およびスライドに対する真剣な眼差しや表情での私への「応答」だった(西山先生曰くフランスでは発表レジュメの配布は普通しない)。日本のポップカルチャーを持ち出せばニヤリとされ、日本の「お受験」について語れば苦々しい顔をされる。後述するように授業見学では、授業を行う先生の身振り・表情の豊かさが印象に残ったが、このように聴く学生が丁寧に「返答」してくれることが話す側を触発するとも思う。

 学生生活の発表ののちに行なった日本語クラスの学生との交流では、レンヌの学生たちがとにかくフランクに語りかけてきてくれたことが印象的であったし、それに助けられた。真っ先に「フランスとイギリスどっちが好きか?」と聞かれて、驚いて「イギリス?」と聞き返すと、「イギリス、やっぱり!」と喜ばれたり、なにを話せばいいか迷い「なぜ日本語を勉強しているの?」とお決まりの質問をすると呆れられたり、映画やゲーム、音楽(「ジブリは好きか」「このゲームは日本にあるか」「ピンク・フロイドのどの曲が好きか」……)などの話をしながらあっという間に時間が過ぎた。学生生活の発表原稿を作っている時には、レンヌの学生が何を知りたいかがいまいちわからずに苦労していたが、等身大の内容について書いてきっとよかったのだと交流の時間には思えた。



 「あわい」に関する発表では、私は九鬼周造の「いき」概念について発表した。他者と私との間にある消滅させようとしても無くならない境界・「あわい」をあくまで積極的に生きる作法としての「いき」というアイデアは、西山先生が「あわい」に関するプロジェクトを行っていると聞いた時から(発表する機会をもらえることなど気にせず)「僕ならこのように発表する」と思っていた主題だった。文学に基づく西洋との恋愛観の比較を盛り込みながら、何を書き何を書かないかを選択し、そのうえで日本語で書いたものをフランス語に、またスライドにすることには大変苦労したが、力を込めただけ本番は高いテンションで発表を行うことができたうえ、さらに直前の授業から学んだこととして即興で盛り込んだジョークでも教室全体が笑ってもらえたことがありがたかった。発表は哲学に踏み込まざるを得ず、高橋先生からはおそらく難解さゆえ苦笑いされてしまったが、学生から質問をいくつももらえた。中には、発表中「恋の唯一の出口に辿り着くその結末を悲劇と呼ぶべきか否か迷ってしまう」と説明した『曽根崎心中』について、そこにアリストテレス的カタルシスはあるかという鋭い質問もあったのだが、即興で応答を考えて作文することの困難に頭が真っ白になってうまく応答できなかったのが心残りである。

 パリ第8大学でのデリダ研究会は、形式としては私たちが日本で普段行う読書会と共通のもので、指定範囲を読んできたうえで担当者の発表および質疑応答という形をとっていた。私たちの参加した回は、発表者も指定範囲の手前を多く論じ、質疑応答もテクストから離れたところでその多くがなされた混乱した回で、ただでさえもフランス語を聞くことが難しいなかで翻弄されてしまったというのが正直なところだった。聞き取れた限りでの質疑のうちで印象的だったのは、テクストを訓詁学的に読むのではなく皆が「そもそも」のスケールで問いをたて、またそうした問いが会を盛り上げている(ように見えた)ことだった。扱っているテクストはデリダの普段の議論とは矛盾していないか。いや、矛盾していない。いや、ダナ・ハラウェイはデリダの議論全般をこのように批判している……。フランス現代思想に限らず、日本で読書会を行う時には、(少なくとも私の周りでは)専門性が高まるほど、原文をどう訳しどう解するのが良いか、その解釈は前の文の内容と違わないか、などを細かく精査する傾向があると思う。ここで、大きな水準で問いを立てることは(そのような提起を好むものもいるが)基本的には場を白けさせてしまう印象がある。このような読解の水準の差異が、訳書ないし翻訳という作業を媒介することで西洋の思想に関わる日本語の読者と、原文でやり取りをするフランスでの読書会との間ではあるのではないかと偏見まじりながらも感じた。研究会で西山先生が行なっていたコメントは、そうした偏見ともある種対応する「真面目な」ものだったと言えるかもしれない。あくまで指定範囲の内容に即して全体を要約したうえで、そこでデリダが、liberté とfraternité を取り上げていることに注目し、これがフランス共和国のスローガンを想起させながらも、そこに égalité が現れない、むしろ、デリダおよび(指定箇所で読まれている)レヴィナスにおいて問題となるのは inégalité ではないか、という指摘は、表情豊かなフランス語の発話とも相まってエレガントなものだと感じた。同行した面々が滞在記に書いているように、一つの手本を見たという印象を持った。



 また、研究会の直前にパリ第8大学を見て回った経験も有意義だった。ラカンを学ぶためにフランスに留学するとすれば、おそらくレンヌ第2大学かパリ第8大学の二択になる。この意味での好奇心と、ドゥルーズ・フーコー・リオタール・バディウなど「恐るべきフランス現代思想の面々」が教えていた大学だということへの恐怖とが併存していたが、「会議をやめろ、暴動を増やせ」のようなグラフィティにまみれて、トイレには便座もなければ何か詰まってもいるような大学の景色(ただ見て回ったのみだったのでこれくらいしか書けないのだが……)は、五月革命を機に建てられた大学とはいえ、エリート大学なのではないかという私の密かな嫌疑を吹き飛ばすものだった。上述の通り、私はフランスの衛生観念と自分の感覚との間に不調和を感じているが、その不調和が際立つような大学の景色に、同時に私はどこか深い清々しさを感じた。

 ナンテール大学とリセとで行った授業見学について。前者は、留学生の多い講義のため、担当のダヴィッド・セバー先生も遅めのフランス語で話しており、また抑揚や身振りの豊かな話ぶりであったために、滞在中聞いたフランス語のうちでも最も聞き取りやすいものの一つだった。しかし2時間異国の言語に浸ることは堪えるものだったのは確かだ。受講者の聞き方も要点をメモする人と話した言葉すべてを打ち込む人とに分かれており、私はまだまだディクテはできないが自分が留学するとしたらどのように聞き、一日にどれくらいの授業を受けることができるだろうか、といった空想も膨らませながら授業の風景を見ることができたのは、留学に向けてさらに語学能力を高めるための大きなモチベーションになった。

 リセでの授業見学は、フランスに滞在している日本人にも通常はできない大変貴重な経験だった。見学した三つの授業のうち一つ目と三つ目であるエロイーズ・リエーブル先生による授業はグランゼコールの試験で課される課題作文(ディセルタシオン)のための授業であり、フィリップ・ダニーノ先生による二つ目の授業は哲学の授業であった。

 エロイーズ先生の授業で驚いたのは、そこで話されている内容が見知ったものだったということだ。都立大ではグロワザール先生がディセルタシオンの書き方を教えながら、実際に作文し先生からの校正・評価を受けるという形式の授業を行なっており、私も参加したことがあった。課題として出されたフレーズの構造分析から論点を取り出し規定の形式に則して論じていくという都立大で学んだ方法が実際に教えられていたことは、(当然とはいえ)衝撃的で、フランス人の思考の型を知る機会が都立大にあったということを、そう聞いていたとはいえ、フランスで思い知らされる機会であった。来学期はディセルタシオンの授業に精力的に参加したい。

 フィリップ先生の授業は、アリストテレスの「すべての人間は生まれつき知ることを欲する」というフレーズや、哲学の始まりとしての驚き、また、science の定義やその対象についてオーギュスト・コントのテクストを注釈しながら説明していくものだった。西山先生が語るには、リセの哲学の授業としてはあまりに簡単な内容だったとのことだったが、それでもアランやドゥルーズが行なっていた「リセの哲学の授業」の雰囲気を経験できたことは貴重であったし、彼らの哲学のテクストを読むときに呼び出す風景の一つを受け取ったと思う。また、日本の高校授業科目の「倫理」とリセの「哲学」との差異についても考えさせられた。日本では大学入試でも「倫理」の筆記試験はほとんどなく、「倫理」はほとんど名前・作品・思想のキーワードを暗記する科目になるきらいがある。一方で、学んだことを筆記試験で発揮する必要のある「哲学」は、名前ではなく概念を扱うもので(例えば授業で扱われたのも「コントにとっての」science ではなかった)、そのために、先生の説明やそれに対する質問が即座に科目であることを忘れた哲学と呼ぶべき何かに抜けていくかもしれないという「危うさ」を感じもする時間だった。



(「フロイトの大義派」事務局・書庫にて)

 字数上、滞在中に経験した多くの事柄を書くことができなかった。外食や雑誌、自販機の値段の高さや反対にパン、野菜や肉の安さに驚いたし、「異形」と形容したくなるモン・サン・ミシェルでオーディオガイドを通じて教会の時代と監獄の時代と現代とを行き来した経験についても書きたい。現物の大きさを見よという小林康夫の言葉に則して巡ったルーブル・オルセー・オランジュリーでの様々な絵画の経験についても書けないし、佐藤勇輝さんに同行させてもらって観たジュネ『女中たち』についても、滞在中みなが何度も訪れた書店について書くにも字数は足りない。時間をかけて振り返りたい経験はたくさんある。

 今回の滞在でお世話になったみなさまに感謝します。まず、西山雄二先生に感謝します。私たちに渡航の機会を与えてくださったうえ、宿やTGV等の手配だけではなく、フランスでの経験が実り豊かなものになるための様々なイベントをフランスで計画してくださったうえ、フランスの文化から生活の仕方まであらゆる事柄を教えてくださったほか、旅先で不安な私に激励の言葉をかけてくださったことにも感謝します。次に旅に同行した高波力生哉さん、佐藤勇輝さん、米原大起さん、江﨑拓真さんに感謝します。みなさんと語ることなしには渡航はこれほど充実したものにはならなかったでしょうし、旅先では多くの助けを借りました。

 経済面や安全面でプログラムの支援をしてくださった東京都立大学国際課のみなさまに感謝します。発表に際して、原稿を自信を持って読めるものにまで校正してくださったグロワザール・ジョスラン先生にお礼申し上げます。また、日本から来た我々と懇親会で出会ってくださった藤田尚志先生および在仏の留学生の皆様にも御礼を申し上げます。

 レンヌ第二大学で発表および交流のための貴重な機会を作ってくださった高橋博美先生に感謝します。また、同じ場で私たちの支援をしてくださった土屋るるさん、藤本海さんもありがとうございました。レンヌの学生だけではなくお二人が発表を聞いているということが、発表する私たちの心の助けになりました。
ナンテール大学のダヴィッド・セバー先生、デリダ研究会のみなさま、リセ・アレクサンドル・デュマのエロイーズ・リエーブル先生、フィリップ・ダニーノ先生に感謝します。日本と異なる環境で講義や研究がいかになされているかを見る機会は私にとって大変貴重なものでした。

 みなさまのお陰で可能となった今回の渡航・滞在で受け取った多くのものを糧にして勉学に励んでまいります。

佐藤勇輝

佐藤勇輝(人文科学研究科・フランス文学・修士課程)

東京都立大学のグローバル・コミュニケーション・キャンプ「フランスの大学における異文化交流と地域文化の比較研究」のプログラムと東京都立大学の学長裁量経費「「あわい」をめぐる日本とヨーロッパの比較文化研究の双方向的展開」による研究プロジェクトで、私は、2024年3月上旬に、フランスのパリとレンヌを訪問した。これらに合わせて、デリダ研究会への参加と高校見学も、今回のフランス訪問の大きな目的であった。

【レンヌ第二大学】
まず前述したプログラムとプログラムに関連して、レンヌ第二大学で行なった東京とお盆文化に関する紹介・研究発表、およびフランスの学生との交流について述べたい。

東京の紹介パートでは、東京駅とその周辺の観光スポット(神保町と歌舞伎座)を、日本文化と近代の歴史を視座に入れて紹介した。日本の近代、東京という都市形成において、東京駅が果たした象徴的な意味をフランス語にし、フランスの学生に伝える経験は、貴重なものだった。この発表の後に、フランスの学生5名と同じテーブルを囲んだ。交流はとても楽しく、時間があっという間に過ぎていった。

その後、「あわい」に関する研究発表を行なった。私は「お盆──生者と死者の間のあわいの世界」という題で発表した。私の発表をフランスの学生が熱心に聞いてくださるとともに、ヨーロッパ文化の視座からお盆文化、「あわい」という文化の特異性を問う、鋭い質問を提起してくださったことに、心から感激した。こういった質問に誠実かつ的確に応答できる研究者になることが大切だと感じた。


(レンヌで食べたガレットの美味しさが忘れらレンヌ)

【デリダ研究会】
3月7日にパリ第八大学で開催されたデリダ研究会では、デリダの講義録である『歓待Ⅱ』を読み、討議を行なった。フランス語で行われる研究会に参加するのは自分にとって初めての経験だった。研究会には、フランス、スペイン、カナダ、メキシコ、インド、イラン、日本など、多様なルーツからの参加があった。10年以上にわたってこの研究会に参加してきた西山先生のフランス語でのコメントを見ることができたことは非常に貴重なことだった。西山先生の姿から、海外で学会発表をする際に、どのように振る舞い、どのようにコメントするべきかを教えていただいた。そこには、自分の姿が自分がフィールドとする国・地域の研究の現状を代理表象せざるをえないという緊張感のようなものを感じ、研究者としての姿勢と実力がどうあるべきか、を考えさせられた。

【高校見学】
三点目は、Lycée Alexandre Dumas de Saint-Cloudの見学について。エコール・ノルマルの準備学級クラスの授業を三つ見学した。一つ目の授業は「暴力」がテーマで、暴力を経済的な側面から分析していく内容。二つ目の授業は19世紀の科学哲学のテクストを読み解きながら科学を哲学する内容。三つ目は、高校生のゴンクール賞を受賞した『悲しき虎』をテクストから「暴力」の問題を考えるという内容だった。とりわけ、一つ目と三つ目の授業アグレガシオン取得者で作家でもあるエロイーズ・リヴィエールさんによって行われた。一つ目の授業は、生徒に能動的な発言を求める哲学的な議論であったのに対し、三つ目の授業は、センシティブなテーマに対して、リヴィエールさんが問題への立場と問題を考えるための議論の枠組みを積極的に提示しながら、生徒を先導していくスタイルだった。同じ先生でも、同じテーマを扱う手つきが大きく異なっていること、授業において教師に与えられている裁量の広さがとりわけ印象的であった。



ここから、前述した目的に合わせて、訪問した場所、および訪問を通じて考えたことを書き留めておく。

この訪問でとりわけ大きな学びになったことは、西山先生のガイドのもと、パリを歩きながら、パリの都市形成とその歴史をフィールドワークすることができたことだ。とりわけ驚いたことは二つある。

一つ目は、パンテノン──フランス国家の偉人が奉られている場所──の目の届く範囲に、高等師範学校、ソルボンヌ大学、パリ大学法学部など、エリート機能が集約されていることだ。教育機会の平等が謳われながらも、優秀な高等教育機関がある特定の場所に集約されていることは、フランスの教育の矛盾のようなものに感じられた。

二つ目は、ユダヤ人虐殺の記憶がパリの都市の至る所に埋め込まれていることだ。街を歩けば、アパルトマンに「かつてユダヤ人がここに住んでおり、いつに強制移送され、殺された」という趣旨のプレートが提示してある。パリの中心部、ノートルダム大聖堂近くのシテ島には、「強制移送の殉教者の記念館」がある。記念館は地上から地下へ入っていく構造で、その構造はまさにクリプト(地下墳墓)である。そこでは、フランスのユダヤ人の強制移送の過程と犠牲の詳細がコンパクトな空間ながら印象的に伝えられている。最後には、身元不明の強制移送被害者の墓があり、その犠牲者の夥しさを視覚的にあらためて感じることができた。

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研究しているジャン・ジュネとジャック・デリダの関連施設を訪問することができたことも今回の訪問の忘れ難い思い出である。

ジュネについてはさまざまな場所を訪問することができたが、二つに絞りたい。
一つ目はジュネが生まれたパリのタルニエ医院である。




今なお病院として稼働中であったタルニエ医院は、リュクサンブール公園の南端、パリの中心部にある。カミーユ・ガブリエル・ジュネは女中をしながら生活をしていたのだが、ジャンが生後7ヶ月の時、貧しさゆえ彼を遺棄せざるをえなくなった。パリの中心部で、貧しさに打ちひしがれながらジュネを産み、彼を遺棄せざるをえなくなったカミーユ・ガブリエル・ジュネの生涯に思いをめぐらせた。

二つ目は、ジュネが『恋する虜』を書いている最中に亡くなったパリ13区のジャックズホテルである。



Place d’Italie駅から徒歩5分くらいの場所にあるが、寂れた雰囲気が強く、パリの中心部から離れた場所にある。ジャックズホテルは、日本で言うと、1万円以内で宿泊できるビジネスホテルといった感である。改装の結果、ジュネが亡くなった当時の面影はあまりなかったのだが、ホテルの形とホテルの壁面にある掲示されているジュネが1986年4月15日に亡くなったことを伝えるプレート(前述のタルニエ医院にはこのようなプレートはない)から、ジュネがここで亡くなったことを確認できた。ホテルの方の好意でジュネが亡くなった一室の正面まで案内してもらい、「こんな安宿で最後の最後まで『恋する虜』を書いていたのか」と胸が熱くなった。ここから、パレスチナやブラックパンサーに思いを馳せつつ、最後の最後まで書いていたことは、何度も立ち返るべき事実であるように思われる。


(ジュネ作『女中たち』の舞台上演)

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デリダについては、デリダが教鞭をとっていた社会科学高等研究院跡地と住まいのあったリス=オランジスを訪問できたが、主に後者に絞りたい。


(リス=オランジス市内にあるデリダ小学校)

デリダがmargeの思想家、周縁の哲学者であること──その意味を常に考えながら、デリダの著作を読んできたつもりだったが、その含意を改めて深く考えさせられた訪問だった。というのも、デリダの住まいのあったリス=オランジスは、パリの郊外の郊外といっても過言ではないほど、パリから遠く離れた場所にあったからである。今回のフランス訪問では、ラカンやサルトル、ブランショなどが住まいを置いていた場所も訪問したが、彼らの住まいはパリの中心部にあった。サルトルが執筆活動をしていた喫茶店Deux magotsから彼のアパルトマンまでは徒歩1分の場所にあるのに対し、デリダが教鞭をとっていた社会科学高等研究院からリスオランジスまでは一体どれほどかかるのだろう?リスオランジスを歩き、寂れた雰囲気といろいろな階層・ルーツをもつ人々が住んでいることを、パリとは違う強度で感じ取ることができた。

リスオランジス訪問の最後は、デリダの墓を訪問した。いろいろな宗派の墓が立ち並ぶ共同墓地(Interdit aux animaux動物たちの立ち入りは禁止されていた!)に入り、奥へ奥へと進む。しかし、なかなかデリダの墓にたどり着かない。どこにあるのかという思いを募らせていくと、共同墓地の縁にたどり着いた。デリダの墓も周縁にあったのだ!きわめてシンプルな墓石に、Jackie DERRIDA(1930-2004)と彼のパートナーMarguerite DERRIDA(1932-2020)の碑銘が記されており、マルグリットがコロナで亡くなったことを思い出した。



つい最近までフランスを訪問することさえままならなかった、無数の死者を出した、わずか数年前の時代の痛苦が痛烈に蘇ってきたが、その記憶に同伴するように、ジャッキー・デリダという碑銘があった。アルジェリア生まれのデリダ。パリで活動し始めた時にジャッキーをジャックに改名したデリダ。パリから離れたリスオランジスでジャッキーへ戻るデリダ・・・。

無数の問いと感情が込み上げてきたあの訪問を、私は決して忘れることはできないだろう。


(ジュディス・バトラーが登壇した「反セム主義とその道具化に抗してーーパレスチナにおける革命的平和のために」に参加。イスラエルのジェノサイドに反対する若いユダヤ人たちを中心としたグループ「名誉の声」が主催。)

最後に、忘れることのできない厚いご支援・歓待に心から感謝の念を記させていただきます。ある活動の成功やそれに参加する人々の充実感は、それを見えないところで、あるいは後方で、支える人々の地道な事務・教育活動なしにありえない──今回のフランス訪問ほど、それを痛烈に感じた経験はありませんでした。とはいえ、まだまだその大変さを自分自身が理解しているとは言い難いですが、その過程に携わっていただいた方のご苦労を想像しながら、関係者の皆様に心から感謝の念を抱いています。都立大の国際課・経理課のみなさま、仏文のジョスラン・グロワザール先生、レンヌ第二大学の高橋博美先生、そして厚い励ましと至れり尽くせりのサポートをしてくださった西山雄二先生に感謝いたします。

米原大起

米原大起(人文社会学部フランス語圏文化論教室3年)

 2024年3月前半、東京都立大学のグローバル・コミュニケーション・キャンプのプログラム「フランスの大学における異文化交流と地域文化の比較研究」の支援を受けて、二週間にわたってフランスに滞在した。今回の滞在の主目的は、レンヌ大での発表、交流といくつかの教育機関での講義や研究会の見学であったが、合間の時間でフランスの文化についても様々なことを学ぶことができた。以下で滞在を振り返っていきたい。

【パリの印象】
 3月1日、シャルルドゴール空港に到着した我々は、RERとメトロで、前半の宿のあるイヴリーへと向かった。まず目についたのは町を彩るグラフィティアートの圧倒的な量である。文化として連綿と続くものなのか(5月革命時の街頭の落書きなど)、あるいはグラフィティは黒人起源の文化であるHIPHOPの4大要素にも数えられるため、移民の影響もあるかもしれないが、なんにせよ自由を尊ぶフランスらしい光景である。グラフィティは日本でも多少は見られるが、法律上の問題やそもそも文化的に馴染みがないことなどで、描かれてはすぐ消される儚いものとなっている。パリでは13区など地区によっては申請すれば、決められた場所にグラフィティを公式に描くことができる。日本でもそのような制度が必要なのかもしれない(もっとも制度に包摂されえないところがこの手のストリートカルチャーの魅力なので、その塩梅は難しいが)。



 到着後は西山雄二先生の案内のもと、パリの中心部を散策した。パリを歩いて感じたのはこの町で生きるとたえず知的・文化的な伝統を意識させられるということだ。歴史的建造物が多く残っていることももちろんそうだが、それに加えて多くの通りや広場に歴史上の人物の名前がつけられており、また有名な作家や哲学者のかつての住居にはそのことを示す標識が掲げられている。あるいは、高等師範学校ではsalle simone weilなどのようにゆかりの人物が教室の名前になっていたりする。町自体がかつての知的伝統を参照しながら存在しているのだ。

 また西山先生には主だった書店も案内していただいた。仕組みの上での日本との違いはさほど見受けられなかったが、書棚の中身はもちろん全く違う。分かっていた話だが、日本に紹介されているフランスの文学や思想などは本国の者の極々一部に過ぎないということを実際に目の当たりにすると、途方に暮れると同時により知りたいという欲求も湧いてくる。



 個人的に、フランスにおいて日本の文化がどのように受容されているかにも着目していた。大きな印象を受けたのは、やはり日本のマンガ・アニメが幅広く受け入れられていることである。書店でのマンガコーナーの規模の大きさはすでに日本でも有名だが、他にも例えば滞在中たまたまバーガーキングに入ったところ、コラボ中だったのか、『ONE PIECE』のキャラクターが壁中に描かれていたのも衝撃だった。滞在中に鳥山明氏の訃報が流れたが、マクロン大統領がすぐさま追悼の言葉を述べていたのも印象に残っている。もちろん日本文学も書店では目立っていた。三島由紀夫や谷崎潤一郎、村上春樹などの定番どころはもちろん、かなり最近のものやマイナーなものまで幅広く揃えられていた。


(パリ・ジュンク堂の鳥山明追悼コーナー)

 一方で、日本の思想・哲学の本は大きな書店でも見かけることはさほど多くなかったし、あるとしても仏教や東洋思想など特殊な領域としてパッケージングされた形でのことが多かった。実際、英語圏や中国・韓国などでは十数種類以上の翻訳が出ている柄谷行人ですらフランス語には一冊しか訳されていない。思想・哲学を専攻する自分としても、単にフランスの思想・哲学を日本に輸入するだけでなく、自分たちの考えたことをどのようにしてフランスを含む世界に伝えていけばいいのか、再考させられる機会となった。

 パリ到着数日後には現地の日本人留学生やサバティカルで滞在中の藤田尚志先生を交えた懇親会も開かれた。彼らからは、留学中の生活や授業についてから研究上のアドバイスまで様々な話を聞かせていただき、非常に有意義な時間となった。長期となると、するとしてもまだ当分先のことになりそうだが、留学のなんとなくのイメージはつかめたように思う。

【ナンテール】
 パリ・ナンテール大学では、ダヴィッド・セバー氏の講義を見学させていただいた。セバー氏の講義はデリダの歓待論を扱ったもので、テクストの抜粋が配られそれについての注釈や解説がなされる、比較的日本の大学の講義に近いスタイルで行われた。とはいえ、セバー氏の講義には、ある種の演劇性とも呼べるようなものが色濃くあって、そこは日本と違う点と言えるかもしれない。セバー氏は講義中、身振り手振りを自在に動かしながらEcoutezと繰り返したり、あるいは逆に少し沈黙したりして、学生の注意を引こうとする。声色も穏やかながらどこか感情のこもったものとなっていた。これはセバー氏に限った話ではなく、フランスで見学させていただいた教育現場では、どの先生もある程度はその種の演劇性を身にまとっていた。
 
【レンヌ】
 レンヌはブルターニュ地域圏の中心とはいえ、人口20万人ほどの、パリと比べると比較的小さな町であり、そのせいか時間の流れもゆったりとしているように感じられた。中心部にあるレンヌ美術館では、授業の一環なのか小学生が先生と一緒に見学に来ており、地域密着型の美術館として、ルーブルなどのような観光地としても有名な美術館とは違った相貌を見ることができた。

 レンヌ第二大学では、高橋博美先生の日本語クラスで都立大についてのプレゼンテーションを行った。都立大の概要や講義の内容、部やサークルなどの活動(以下両者を合わせてクラブ活動と統一して表記)、そして大学祭の様子などが私のプレゼンの主な内容だった。質疑応答では、日仏のクラブ活動の差異についての質問が投げかけられた。フランスでは高校、大学を問わず、日本の学校で放課後に行われるようなクラブ活動がほとんどない、その違いをどう考えるか、という問いである。フランス語で質問されたこともあって、うまく答えられなかった。今にして思うのは、日本におけるクラブ活動というのは、単にその活動をすることだけが目的なのではなく、活動を通じて自発性や社会性を育むといった教育的な側面もあることを強調すればよかったのかもしれない。そして、逆にフランスではそういった教育はどこでどのようになされているのか、と問い返せば、もう少し有効な対話になっただろう。



 発表の後は日本からお土産として持ってきたお菓子を囲んでの交流会となった。フランス語での歓談には難渋したが、日本からの留学生である土屋るるさんと藤本海さん、また日本語の達者な現地の学生に助けられながら、様々な意見交換を行うことができた。現地の学生の興味はマンガ・アニメが中心であったが、日本映画、例えば園子温が好きだという学生や和食に興味があり今度日本に行くのでおすすめの店があれば教えてほしいという学生もいて、関心の多様性を感じられた。
 レンヌでの発表、交流に限らないが、今回の滞在で痛感したのは、自分のフランス語力の未熟さである。聞き取り能力もさることながら、やはり問題なのは即興で話す力が弱いことである。落ち着いて考えれば、伝えたい内容のフランス語をひねり出すことはできるはずなのだが、自宅や日本の授業でのある程度リラックスできる環境とは違い、やはりフランス語が生で話される現場で、緊張感もあり、焦って言葉が出てこない。現地で実際に話すとなると、日本での能力から半減するくらいの心持ちで、これからもフランス語力を向上させなければならない。

【デリダ研究会】
 レンヌから帰ってきた我々は、パリ第8大学へ向かった。そこで行われるデリダ研究会に参加するためだ。デリダ研究会は、十年以上続くデリダの著作を読む読書会で、今回はくしくもダヴィッド・セバー氏の講義と同じく『歓待Ⅱ』が扱われた。デリダ研究会で驚かされたのは、出席者の国際性とその議論の自由闊達さである。

 前者に関しては、まず発表者のトマ・クレマン・メルシエ氏が現在チリに在住であり、出席者もオンラインを含めるとインドやメキシコ、カナダ、ドイツ、チェコなどからの出身者が含まれ、非常に国際色豊かなものだった。研究会では西山先生もディスカッションに参加し、また院生の高波力生哉さんも質問を投げかけていた。外国語による文学や思想を学ぶものなら、一度は覚える思いかもしれないが、ある言語の非母語話者が母語話者と同じようにその言語で書かれたテクストを理解することは本当に可能なのだろうかという疑念を抱くことがある。しかし、西山先生のディスカッションでの堂々とした発言や立ち振る舞いを見させていただき、日本人でも研鑽をつめばこのような国際的な場でも活躍できるのだと勇気づけられ、同時にこれからも精進しなければならないと改めて思った次第である。

 後者に関しては、今回の研究会で扱ったテクストの解釈にとどまらず、それに自らの問いを積極的に絡めて展開する議論が多かった。日本でのこのような会では基本的にはテクストの解釈がメインであり、発展的な議論はプラスアルファとして扱われている印象があったため、この自由さには驚かされた。訳読による緻密な解釈が一つの要となっている日本と、テクストにそのまま向かうのが当たり前であるフランスの違い、ということもあるのかもしれない。もちろんテクストを正確に解釈しなければなにごとも始まらないが、同時にそれをどのように自分の問題意識に結びつけるのかという問いがなければ、単なる訓詁学に終わってしまう。自分も学部生が中心のものとはいえ読書会を運営しているが、どうしてもテクスト解釈だけで議論が終わってしまうきらいがあった。テクストが問題とすることがらを、どのように受けとめ、自分の問いにしていくのか、そのためのより自由な議論や発想の重要性を痛感させられた会だった。

【アレクサンドル・デュマ高校】
 アレクサンドル・デュマ高校では、プレパクラスでの文学と哲学の授業を見学させていただいた。

 エロイーズ・リエーブル先生が担当する文学は二コマ見学させていただき、どちらも暴力が主題だったが、そのスタイルは二つの授業で大きく異なっていた。一つは経済的な暴力というキーワードをめぐるもので、生徒が積極的に質問していく様子が目についた。もう一つは最新の小説を一つ取り上げそこから暴力という主題を取り出し、文学史にも目配せしつつ、読解していくもので、まるで大学の講義であるかのようなハイレベルなものだった。これには先生の研究者としての側面も大きく関わっていることが推察される。というのもエロイーズ先生はアグレガシオンを持っており、高校教師であると同時に研究者でもあるのだ。日本の教育制度では修士号取得者向けに専修免許というものはあるが、あくまで教員としての雇用でしかなく、教員であると同時に研究者としても採用するといった制度は存在しない。研究力の低下が叫ばれる中、日本でも高校教員と研究者を兼ねることができるような制度の整備が必要なのではないだろうか。

 フィリップ・ダニーノ先生が担当する哲学のクラスでは、科学という概念がポアンカレやオーギュスト・コントのテクストを読解しつつ説明された。日本の高校での哲学に相当する科目である「倫理」では、どちらかと言うと、哲学者ごとにその主張を解説していくものであるため、こうした概念ごとの掘り下げはあまり見ないように思われる。かなり丁寧な説明であったため、比較的理解しやすかったように思える。

 三つの授業を通して、印象に残ったのは、教員がより自由なやり方で授業をしていること、そして生徒に問いを投げかけ、考えさせる機会の多いことだった。日本では学習指導要領や教科書に基づき、また(近年では変化させようとする兆しはあるが)考えるというより暗記中心の方針で授業が行われる。もちろん日本のやり方は全国で授業の質に一定の安定性をもたらすなどのメリットもあり、またそれぞれの国にはその国の気質にあった教育方法というものがあるから、安易にフランスのやり方を取り入れればいいというものではないが(日本の授業スタイルを好むフランスの学生も中にはいるだろう)、日本の教育のこれからを考えるうえでは参照すべきやり方ではあろう。

【おわりに】
 以上で書いたことだけでなくルーブル美術館訪問やデリダの墓参りなど、書きれないほどたくさんの貴重な経験をさせていただいた。この二週間のグローバル・コミュニケーション・キャンプを大禍なく終えられたのは、多くの方々のお力添えのおかげである。最期に謝辞を述べさせていただきたい。


(デュラスが住んでいたアパート前)

 フランス滞在の機会を提供していただいた東京都立大学国際課のみなさま、発表用のフランス語原稿を添削してくださったジョスラン・グロワザール先生、レンヌ第二大学での発表と交流の機会を作っていただいた高橋博美先生、またその際にサポートしていただいた土屋るるさん、藤本海さん、ナンテール大学で授業を見学させていただいたダヴィッド・セバー先生、デリダ研究会のみなさま、アレクサンドル・デュマ高校で授業を見学させていただいたエロイーズ・リエーブル先生、フィリップ・ダニーノ先生、懇親会をはじめとして様々な場面で交流し手助けしていただいた藤田尚志先生、関大聡さん、渡辺惟央さんをはじめとするフランス滞在中のみなさま、今回の旅の同行メンバーの江﨑拓真さん、菊池一輝さん、佐藤勇輝さん、高波力生哉さん、そして最後に渡航の準備から滞在中まであらゆることでお世話になった西山雄二先生、本当にありがとうございました。プログラムを支えてくださったみなさま方に深く感謝する次第です。

江﨑拓真

江﨑拓真(中央大学・文学研究科哲学専攻・博士前期課程)

三月上旬から中盤ごろにかけて、東京都立大学グローバル・コミュニケーションキャンプ(GCC)「フランスの大学における異文化交流と地域文化の比較」プログラム、および「「あわい」をめぐる日本とヨーロッパの比較文化研究の双方向的展開」による、学生たちのフランス渡航に同行させていただいた。まずはこのような同行を受け入れてくださった東京都立大学のみなさまにお礼申し上げたい。渡航の大きな目的は、レンヌ2大学での研究発表と交流、アレクサンドル・デュマ高校の授業見学、ナンテ―ル大学の講義見学、そしてパリ8大学で行われたデリダ研究会への参加であった。

今回のフランス渡航は、私にとって初めての海外経験であった。出発前、私は二つの問いを持ち、飛行機に乗った。一つは自分のフランス語がどれだけ通じるのか、二つ目は、フランスでの哲学の扱われ方はどのようなものか、ということである。

シャルルドゴール空港には早朝到着し、通勤ラッシュ前にRER-B線、そしてメトロに乗ることができた。宿舎に入って少し休憩し、ケバブを食べた。フランスに来たのだという実感はまだわかなかった。初めてその実感が湧いたのは、西山雄二先生に連れられある小学校の前を通ったときだろうか。正門におなじみの「自由・平等・博愛」というフランスの標語。そして船とともに「たゆたえども沈まず(Fluctuat nec mergitur)」というパリの標語が刻まれていた。革命や戦争など様々な動乱を乗り越えてきたパリ。市民たちの強い連帯意識は小学校のうちから培われているのだろうか。背筋が伸びる思いがした。



一日目はカルティエ・ラタンを散策。フランスの偉人たちを祀るパンテオンを中心に、ソルボンヌ大学、高等師範学校、コレージュ・ド・フランス、アンリ4世高校などが集まっている。フランスのエリートをまさに一か所に集める都市構造になっており、自由を謡うフランス中心に、このような知の権力構造があることを強く意識し、身構えた。

もっとも、カルティエ・ラタンはフランスの思想を研究している自分にとって聖地のような場所である。私の研究するガストン・バシュラールも教えたソルボンヌ大学の前には哲学系の書店Vrin、そしてそこからそう遠くないところに、パリで最も大きな本屋であるGibert Josephがある。滞在中、これらの本屋には足繁く通い、たくさん本を買った。

また、ナンテ―ル大学で、デリダの研究者であるダヴィッド・セバー先生の講義を受けさせていただいた。最も驚いたのはその話し方のリズム感である。話の強調度に応じて声を張り上げたり、早口になったりする。また、教室中を歩き回り、学生と目を合わせる。自分の未熟さゆえ内容を完全に理解することはできなかったが、いつ重要な話をしているのかはわかった。単語だけでもノートに書きとろうと試みた。ナンテ―ルはとてもきれいな街で、高層ビルが多く、「パリらしくない」不思議な風景であった。

数日過ごすうちに、一人で店に入って会計したり、地下鉄に乗ったりすることができるようになってきた。店に入る時に最も大切なのは挨拶であった。最初の挨拶によってその後の店員の対応は変わるようだった。文章で注文することはのちに少しずつできるようになっていったが、単語だけでも注文が通じた。これは大きな自信になった。

パリを数日見学したのち、発表のためレンヌに移動した。レンヌはフランス西部に位置し、ブルターニュ地方で一番大きな都市である。モンパルナス駅からTGVで2時間ほど。パリを抜けるとたちまち一面の草原となった。日本と違うのは、平地のため地平線の向こうまで同じ畑が続いていることだ。生産しているのは小麦であろうか。フランスが農業大国であることを思い出すと同時に、パリへの国家的な一極集中構造の顕著さを意識することとなった。

レンヌは古い町で、旧市街には中世の木組みの家や石畳が残っている。到着したのち、町を散策することができた。時間の流れがとてもゆっくりと感じられたのは、学生が多いせいか、それとも街並みのせいか。サントーバン教会、サンジェルマン教会、サン・ムレーヌ教会の大きさは圧巻。特にサン・ムレーヌ教会のステンドグラスにはちょうど西日が差し込み、神秘体な空気を演出していた。

2日目はレンヌ大学に移動。学食を食べ、キャンパス内を見学した後、高橋博美先生のクラスで二コマに分けて発表をさせていただいた。1コマ目「東京」の発表の後は、クラスの学生と日本から持ってきたお菓子を囲んで交流。簡単に自己紹介をした後、自分の名前「拓真」の漢字の意味を聞かれた。この漢字を使った他の単語を知っているか尋ねたところ、「開拓」「真面目」などの難しい言葉が出てきたので驚いた。フランス語で会話するのには苦労したが、日本語も交えながら好きな音楽、SF、ゲームの話などして交流することができた。



2コマ目は「あわい」についての発表。私も「新海誠映画における彼岸的な世界」というテーマで発表させていただいた。1コマ目とくらべて、少し上の学年を対象にしていたが、40人以上もの方たちが発表を聞きにきてくださった。発表の最初に「新海誠の映画作品を見たことがありますか?」と質問したところ、なんとほぼ全員が手を挙げた。日本のアニメ作品がフランスで受容されていることは知っていたものの、その感度の高さを見誤っていた。このような参加者たちにとっては、内容は少し簡単なものだったかもしれない。反省している。それでも、フランス人たちに対してフランス語で発表するという経験は大変良いものだった。ナンテ―ル大学でのダヴィッド・セバー先生の授業や、フランスの学生たちに対して自己紹介をする西山先生の話し方、後述する高校での授業見学などを通して印象に残ったこと、それはフランスの先生が、身振り手振りや声の抑揚、スピードなどをかなり意図的に調整し、学生たちに伝えようとする様子である。先生たちは絶えず学生たちを観察し、注目させ、理解を促す。私もこれを発表に取り入れようと試みたが、できた事は参加者たちによく目を合わせ、観察することくらいであった。参加者たちは頷きを返してくれたり、強調した単語は手を動かしてメモしてくれたりした。誰の発表の終わりにも必ず質問があり、こちらの話を聞いてくれる姿勢を取ってくれたことがうれしく、有難かった。

それだけに、質問に対して十分なフランス語で答えることができなかったことには悔いが残った。私の発表への質問は、「新海誠作品の中で、「彼岸」がテーマになっている作品はほかにあるか」、「「あわい」の概念とは何か」というものだった。どちらもとてもクリティカルな質問だったが、前の質問に対しては該当作品のフランス語名を調べておらず、答えられなかった。後者の質問については原稿を再び繰り返して読むだけになってしまったりし、壊滅的だった。即興で話す力をつけること、なるべく簡単な表現を使わず、複文にして話すこと。そしてそのために、原稿を作る時点で原稿以上の下調べを行っておくこと。のちに西山先生からいただいたアドバイスはこれからの課題である。
 


レンヌでの発表を終えパリに戻ると、パリが最初に来た時と違って見えることに気づく。街を歩く人の速度、グラフィティアートの多さ、建物と建物の近さである。パリが最初よりも少し汚く見えたのは愉快だった。この日はそのままパリ8大学でのデリダ研究会に参加した。デリダ研究会は非常勤や若手の研究者たちによって開催されており、10年以上の歴史があるという。想像していたよりも対面の参加者は少なかったが、インド、カナダ、メキシコやチェコなど様々な出身の方たちが参加しており、オンラインではさらに多くの出身の方たちの参加があった。みな、時間を奪い合うようにして手を上げ発現している様子には驚かされた。自分のフランス語能力の未熟さゆえ、内容を完全に理解することはできなかった。しかし、西山先生の発言する様子や、同行者の高波力生哉さんが質問を投げかける様子からは、海外の研究者たちに対して日本人研究者が立ち向かっていくことの勇気や目標のようなものを受け取ることができた。

 フランスに滞在し一週間、ほぼ半分が経過していた。この時点で実はフランスに対して気後れのようなものを感じていた。自分がフランスの哲学を専門として数年が経つ。しかし実際フランスに来てみると、人々の考え方や研究の方式など、それまで自分が知っていたものと全く違うことに気づかされた。テクストの解釈が中心の日本の哲学研究に対して、フランスではとにかくオリジナリティのある発想や大胆な発想をすることが求められる。これまで自分がやってきた研究のやり方は何だったのか。また、フランスから飛行機で18時間もの距離がある日本でフランスの哲学を研究する意味があるのか、などと考えてしまっていたのだ。この自問はこの渡航を通しての大きなテーマとなった。

 このような問いにヒントを与えてくれたのは、フランスで研究に励んでいる日本人留学生たちや先生との交流である。彼らは皆とても独創的で、話からは自分の研究に対する強い自信が伝わってきた。日本とフランスの両方を知る彼らは、双方に触れることで独自の研究テーマを持っていた。彼らを先駆けとして、学んでいきたい。


(日本人留学生らとの交流会)

 アレクサンドル・デュマ高校では、グランゼコール受験の準備クラスの文学と哲学の授業を見学させていただいた。1コマ目では「経済的暴力とは何か」という問いに対して、「経済的/非経済的」という言葉の使い方から分析していくという授業形式だった。アグレジェであるエロイーズ・リエーブル先生は、教師であるが研究者でもある。ここでも、学生の注意を引き付け、教室をコントロールする演劇のような話し方を見ることができた。学生たちが考えたことや素朴な疑問を積極的に発言し、先生がそれを上手く誘導していくさまが見事だった。3コマ目もエロイーズ先生の授業を見学させていただいたが、これは同じ「暴力」というテーマに対して『悲しき虎』というテクストを元に考えるという内容だった。同じテーマ、同じ先生でも全く違う授業内容である。日本の受験と違い、正しい答えや模範解答といったものはないのだろう。グランゼコールの入試は「平等」「模倣」「原因」など、ごく短い問題に対し数時間かけて論じるという形式だという。もちろん何でも自由に論じていいというわけではないのだろうが、それでも日本の入試形式に対してはるかに自由度が高く、難しいと感じた。

 2コマ目のフィリップ・ダニーノ先生による哲学の授業で、科学に対する哲学の歴史を、ポアンカレやコントのテクストを通して振り返るというものだった。対象の学年が少し低かったこともあるだろうが、この授業は理解しやすかった。思い返せば、1コマ目のエロイーズ先生も高校生向けにゆっくりわかりやすく話していた。大学の授業や、研究会でフランス語の未熟さを実感していた私にとって、このレベルからやっていけばいいのだ、という自信になった。

 高校の授業を見学できたことは大きな経験になった。私が研究しているガストン・バシュラールも、大学で教える前は高校で科学の先生をしていた。デリダもそうだという。フランスにはこのように、研究者が高校教師として働く文化がある。高校生のうちから研究者に学ぶ事で、フランスの考える文化は継承されてきたのだろう。日本において、フランスの教えは、誰か日本人研究者が持ち帰ってきたものを断片的に享受するものであるように感じる。しかし、それはフランスでは、連綿と受け継がれてきたものなのだ。そのことを忘れてはならない。

 滞在も終わりに近づいてきたある日、西山先生とパリ発祥の地であるシテ島を訪れた。そこにあったのは強制収容所の犠牲者を追悼する慰霊碑である。狭い階段を下りていくとモニュメントがあり、「PARDONNE N’OUBLIE PAS…」という文字。この施設がパリの中心の島にあることが、負の記憶に対するフランスの姿勢を感じさせる。フランスが、そしてヨーロッパがこのような記憶の上に成り立っていることは、知識こそあれ、フランスに来るまで意識しなかったことであった。



 最後に、多くのものを得ることができたフランス滞在であったが、これは多くの方々のお力添えなしには実現しえなかった。この場を借りて謝辞を述べさせていただきたい。
 まずは、同行を許してくださった東京都立大学の米原大樹さん、菊池一輝さん、佐藤勇輝さん、高波力生哉さん。発表原稿のチェックや指導をしてくださった中央大学の田口卓臣先生。レンヌ2大学での発表、交流の機会をくださった高橋博美先生、学生のみなさま。ナンテ―ル大学のダヴィッド・セバー先生。アレクサンドル・デュマ高校で授業を見学させてくださったエロイーズ・リエーブル先生、フィリップ・ダニーノ先生。懇親会や高校見学など様々アドバイスいただいた藤田尚志先生、在仏留学生の方々。それ以外にも様々お力をお借りしたすべての方々、そして何よりもこの貴重な機会をいただき、滞在中のすべての事を取り計らい、ご指導くださった西山雄二先生に深く感謝いたします。本当にありがとうございました。