国際会議「カタストロフィの哲学」参加者の感想

国際シンポジウム「カタストロフィの哲学――フクシマ以後、人文学を再考する」(2013年3月15‐16日)に参加した方々に感想を綴ってもらった。

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パリの雀と哲学への権利(綾部真雄)

西山さんの超人的な差配のもと(彼は本当に人間だろうか?)、フランスでのシンポジウムへの参加がかなった。例年なら、タイの山奥で少数民族と一緒に豚を屠って食べている時期なので、当初、ルーティンを変えてまでフランスに行くことに若干の面倒くささを感じていた。ただ、帰国後の今、微塵の後悔も抱えていない。抱えているのは、学生の土産にと思って大量に購入したチョコレートとキャラメルの箱の山だけである。

大昔、国費留学生試験を受けて留学するためにアテネフランセにまで通った自分にとって、フランスはかつての憧憬の地。当時、結局渡仏はかなわなかったが、10余年ぶりに訪れた彼の地は、若かりし人類学徒であった頃の淡い感情を呼びさまし、自分のなかの何かに再び小さな火を灯した。何がどう変わったのかはうまく表現できないが、少なくとも、遠からずまた行くことになるという根拠のない予感をいだいている。



私の登壇は、シテ・ユニベルシテールのハインリッヒ・ハイネ館で行われたシンポの初日であった。翌日のセッションで名だたる大物の登壇を控えていたので、落語でいえば、前座もしくは「二つ目」あたりの位置づけといったところだろう。英語で用意した完全読み上げ原稿に、小野佳奈子さんに翻訳していただいた仏語要旨まであったため、本番に際してもあまり焦ることもなく心地よい緊張感で臨むことができた。しかし、フランス人のオーディエンスに対して英語で話すこと、フクシマの話だからこそ聞きに来たという人々にタイの少数民族の話をすること、哲学絡みの話を期待している人々に人類学的な話題を投げかけることに関する不安がなかったかといえば嘘になる。不安は的中し、フロアからの反応はいまひとつで、司会役の西山さんがフォローを入れ、ジゼルが気を遣って質問をしてくれるという体たらくであった。救いは、終了後にあるオーストラリア人の女性研究者が「I was very much moved by your stories」と感想を述べに来てくれたことか。

反省点は2つ。ひとつは、与えられた30分という時間の中で、アウトライン的な説明と自分の現地へのコミットメントにばかり話題を集中させたことで、ディテールや具体的なエピソード等を意識的に捨象してしまったことである。今回のシンポジウム全体を通して感じたことだが、登壇していた哲学者はみな、全体的な輪郭の把握などどこ吹く風で、なにか微細な点を捉えると、とことんそれを詩的もしくはレトリカルな表現で描写しつくすことに全身全霊を注いでいた。私がやったのはその真逆である。いまひとつは、私のプレゼンテーションの主題であったonenessという概念が、非常に誤解を与えやすいものであるにもかかわらず、その説明を十分にしなかったことである。カタストロフィに際して絆や連帯ばかりを連呼することが、時にネガティブな帰結を招くこともあるという(いささかディレッタントな)議論があるのは十分に承知しているが、私が主張したかったのはonenessの無前提な称揚ではない。まず、onenessを言い出したのは私ではなくあくまで現地の少数民族であり、また、分析上はonenessに初めから埋め込まれた意味など肯定的にも否定的にも何もなく、それはあくまで誰かに解釈されることによって意味を帯びる。さらに、現地の少数民族にとってのonenessとは、「我々」と「彼ら」という彼我の別に沿って現れる訳では必ずしもなく、私のようなコミットメントを持つ外部の人間や、穢れた存在として少数民族社会から一旦ははじき出された活動家らをも含みこむことによって刹那的に現れる疑似輪郭(pseudo-contour)であるに過ぎない。そして、そのような疑似輪郭が持ちうる意味も、歴史的なタイミングや文脈によって大きな偏差を持つ。これらのことが十分に伝わらず、私が無前提に連帯を鼓舞しているように思われたとしたら心外である。



2日目のシンポジウム(於パリ日本文化会館)は、私にとっては名だたる大物たちの「技」を盗むための場であった。正直にいえば、そこで交わされた議論の中身自体には、個人的には首肯できないものも含まれていたし、いつまでも中心にも結論にも行きつかないことからくる隔靴掻痒を脱しきれなかった。もっとも、その多くは学問的ハビトゥスの違いからくるものだろうが。ただし、多くの聴衆を前にしつつ、どのように印象的に問題提起を行うのか、表情や抑揚をいかに使い分けるのか、論理の切り返しにどういったレトリックを用いるのかといった点からみると実に興味深かったし、学ぶべき点も多々あった。本人はおそらくさりげなく口にしたに過ぎないだろうが、ナンシー氏が、「我々(哲学者)は、時にものごとを美しく表現しすぎることに自覚的でなくてはならない」と言ったことがとても印象に残った。美しさゆえの啓蒙性、美しさゆえの虚構性。美しさの功罪をめぐってしばし物思いに耽った次第である。



最終日は、西山さんとそのお弟子さんを伴ってケブランリ美術館に行ってきた。シラクの肝煎りで、人類博物館の数多くの収蔵品を横流しすることによって成立したいわくつきの美術館だという。30万点もの美術品を奪われた人類博物館はたまったものではなかったろうが、ジャン・ヌーヴェルの設計によるという巨大な同美術館は、キッチュと言えばキッチュ、壮観といえば壮観なもので、しばし立ち止まって見入ったものである。パリ滞在中、慣れない場所で委縮ばかりしていた私だが、この時ばかりは水を得た魚のように同行者2人に人類学的な蘊蓄をたれまくった。さすがの西山さんも民族芸術は守備範囲ではないようで、お金を払って借りたオーディオガイドを脇に置き、私のしがない解説に耳を傾けてくれた。

パリに住む日本人の友人とあるカフェでコーヒーをすすっている時、一羽の雀が足元のパン屑を食べにやってきた。日本の雀に比べてより淡い色調の茶色で全身が覆われ、サイズもひと回りだけ大きい。そのことを口にすると、雀を一瞥した彼女はどうでもよさそうに「そんなこと気づきもしなかった」と一蹴し、すぐに話題を元に戻した。少しだけ釈然としないものを覚えた私は、この些細なエピソードからなにか人間性の深淵にアプローチするための哲学的命題を立てうるだろうかと考えてみた。が、何も思い浮かばない。どうやら私に哲学への権利はなさそうだ。

それでも、パリの雀は少しだけ大きかった。

(綾部真雄・首都大学東京教授)

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八木悠允(首都大学東京・フランス文学教室修士2年)

まずはじめに私事になるが、わたしは昨年も同じ時期にパリに学生達と滞在し、同じように国際会議やセミネールに参加した。一年前とはちがった顔ぶれだったが、また同じ場所に戻り、同じ空気を吸うことは非常に感動的な体験だった。それはわたしのわずかな成長を確認したからだけではなく、点的であれ、物事や時間の流れというものを、身をもって体感したからだ。それはやはり毎日席を隣にする級友とはちがった、別の繋がりの中の友愛である。この場を借りて、お世話になった方々へのお礼を申し上げる。

2013年3月15,16日、パリにて開かれた国際哲学コレージュによる「カタストロフィの哲学」会議に参加した。司会を務められた西山教官は2012年、首都大学東京で「カタストロフィの思想」ゼミナールを開き、また同じく司会を務められたジゼル・ベルクマン氏は「カタストロフィと人文学」という連続講演を西山氏とともに日本各地で行った。前者のゼミナールではテクストを主軸にしつつも、多くのカタストロフィの表象や形象を巡って議論が交わされ、一方後者の講演では人文学の意義をカタストロフィとともに見つめ直すという主題が、ジゼル氏の専門であるジャック・デリダの哲学や18世紀文学をも含んで議論された。



今回の国際会議はそのカタストロフィと人文学をめぐるイベントの一種の終着点であった。社会学、人類学の領域からの発表は、カタストロフィを語る言説の多様さを改めて発見させてくれるものであったし、国際会議というさまざまな言語・人種が集う場それ自体がスリリングであった。実際、各発表者の語るカタストロフィは東日本大震災、福島原発についての発言にもかかわらず、その専門領域の相違のためか問題意識自体がさまざまに異なっており、16日は登壇者たちによる討論に決着がつく前に時間切れになってしまったのは残念だった。とはいえ、そうした齟齬や異なる思考が混ざり合う場というのは、その混沌・混乱ゆえの意義があるのではないか。15日の発表では、壇上でも発表者が通訳をかってでられ、会場では日本語、英語、そしてフランス語が飛び交うことになった。出席者たち全員が、言葉の遅延、理解できない発音、言語の受け渡しを分かち合った。それは一種の気まずさであり、ロジックに対してはノイズのようなものではある。だが、この気まずさは震災後われわれが被災者と非・被災者とのあいだに見つけた気まずさ、同じ時間を生きたにもかかわらず断絶された生のあいだの気まずさと相似している。われわれは辛抱強く、この気まずさとつきあうべきであり、震災以後のわれわれ日本人のあいだにもあるこの気まずさ、外国人とわれわれの間にある齟齬にたいして向き合うべきなのではないか。この意味で、「絆」という綺麗な言葉ですべてをつつがなく推し進めていこうという動きに対する西山氏の警告はまとを得ている。



どのようにしてそうした居心地の悪さの持続、カタストロフィの持続に向き合えばよいのか。簡単に答えは見つかるはずもないが、小林康夫氏の応答はひとつの示唆を与えてくれたと思う。小林氏はジゼル氏の発表に即座に応答する形で、被災後の自らの出国体験の居心地の悪さについて語られた。小林氏の即興的な発表は奇をてらったものではなく、単純にジゼル氏への応答と捉えてよかっただろう。体験を語り伝える、という作業はベンヤミンのいう物語の原風景でもある。ベンヤミンによれば、世界大戦の悲惨さが帰還した軍人達の口をつぐませたという。そうした悲惨さを前にして、なお口ごもりつつ、気まずさを感じつつも物語ることの必要性は、あらゆる価値観が一度転覆させられた後においてはやはり重要なのではないか。

「持続するカタストロフィ」とは発表中に使われた用語だが、字義に沿えば「持続する転覆状態」とも解される。われわれはまだ持続中のカタストロフィの大気を吸って生きており、カタストロフィという言葉が立場に応じて根別れしているのは当然のことだと思う。その根別れ、立場の距離を、対話という場において混ぜ合わせ分かち合うことは、カタストロフィを思考するときのみならず、あらゆる交流の場においても重要なことである。

われわれは一色には染まらない。だが混濁することも同居することも可能ではある。その行為がもしもベンヤミンのいう物語に相当するのであれば、語ることはやめるべきではない。なぜなら、彼のいう物語とはかならずやわれわれに知恵を授けてくれるものなのだから。

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吉田直子(聖心女子大学・大学院)

一般的等価性に基づいて構築されたさまざまなシステムが複雑に絡み合う今日の社会では、カタストロフィの影響は局所的なものとならず、この世界のあらゆる事物の上に、個々の状況の如何を問わず、すべてをなぎ倒すように同等に降りかかる。各々はユニークに見える異物をどれだけバラエティ豊かに集めたとしても、その差異が織りなす凹凸が交換可能性、あるいは通約可能性の原理に依拠している限り、破局の波に抵抗する砦にはなり難い。なぜなら、こうした原理によってどんな「異」も究極的には「同」に集約され、その結果、世界の凸凹が平坦なものへと姿を変えることにより、破局の波が容易に覆い尽くすことのできる土壌が作りだされてしまうからである。したがってこの問題は、非常に乱暴に単純化するならば、世界の凹凸の担保をいかに考えるのか、という問いに通じるものとして捉え直すことができるのではないだろうか。これに対し、例えばナンシー氏であれば、「破局の等価性」で述べられている通り、それは通約不可能なものたちの平等性を要請すること、と応えるであろうことが予想される。



ではベルクマン氏はどう応えるのか。私は昨年の夏に彼女が被災地に向かう直前に東京で行った講演を聞いている。それは、日本からはるか離れたフランスに居ながら、アクセス可能な限りの情報の断片を非常に精緻かつ誠実に読みこんだ上で編まれたもので、私の理解が正しければ、東北で起こったカタストロフィが「賢明な破局論」といったある種の形而上学的な物語へと昇華されることに抗い続けること、そしてその具体的な方策として反原発運動の機運を高めることの重要性を主張するものであった。したがってそれは、ある意味では大いなる連帯の必要性を説くものだったとも言えるだろう。しかしその後、被災地でさまざまな出会いを経験したという彼女、とりわけ日本におけるカタストロフィの経験の複層性に気づかされたという彼女が今回のシンポジウムで提示したのは、カタストロフィという破壊によってバラバラに砕け散った被災の経験の断片を拾い集める作業を通じて獲得された考察であった。被災者の声を、和合亮一のツイートを、被災地で記した自身のメモを、携帯電話で撮ったという被災地の一光景を。ベルクマン氏は、そのようにしてひとまずは「表現されたもの」又は「思考されたもの」として形を成している種々の断片を丁寧に寄せ集めた上で、その凸凹な堆積物を構成する断片と断片のあいだに潜む「思考されずにいるもの」に耳をすまそうと試みたのだと私は解釈したのだが、東京講演とは趣を異にするこの発表に私は少なからず驚いた。いったい彼女は何を思いながら自身の思想の揺らぎを経験したのだろうか。私はそのプロセスに想いを馳せ、そして深く共振した。そのことを考えるだけで胸がいっぱいになった。



ベルクマン氏が行った「断片」fragmentを拾い集めるという身振りには、ナンシー氏の「集積」structionを重ねて見ることもできるだろう。また、連関性も秩序もなく、同時的・偶然的に積み重ねられた断片と断片のあいだに生じる空間への注目に、小林康夫氏が述べるところの「空虚」や「無」の概念を重ねて見るのはこじつけに過ぎるだろうか。しかし私には、それらはいずれも世界の凸凹を担保するためのひとつの道筋であるように思われた。加えてその凹凸が担保され続けるためには、あらゆる人々を介した「思考されずにいるもの」の絶えざる語り直しrenarrativeが要請される必要がある。それは本来語り得ないことをそれでも語ろうとすることでもある。人文学の可能性は、例えばこの困難な作業を引き受けるものとして考えることができるのではないだろうか。カタストロフィの実相に迫るには、思考された断片それ自体、あるいはその当人がなぜその断片を断片として拾い上げたのか、といったことを分析対象とする社会科学の営みだけでは片手落ちである。そこに断片と断片の裂け目を問う人文学の営みが相まみえることで、カタストロフィは我々の前に真の意味で姿を現す/表すのだろう。またそのことがカタストロフィの出来事性を記録として残しつつ、一方で思想を生み出す契機として何度もとらえ返すことを可能にするのかもしれない。

さて今回、ベルクマン氏は断片の拾い集めの作業について詳細に語っていた。おそらく今後、彼女はその断片の束の中から彼女自身が見出した何がしかを、躊躇いながらも言葉にのせて、我々の前にそっと差し出してくれるに違いない。ベルクマン氏の次の語りを、ぜひ楽しみに待ちたいと思っている。

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澁谷悠(早稲田大学文学部4年)

今回の国際会議は「フクシマの後で」というタイトルを冠しながら、哲学や文学、社会学、人類学など領域横断的に展開される議論の射程は多岐に渡り、それは一般に「フクシマ」という言葉で語られる原子力を巡る問題系にとどまりませんでした。実際、フランスをはじめとするヨーロッパ諸国と日本との間には大きな問題意識の違いが存在し、今回のような国際的な場ではそうした差異をどう乗り越えるかということはひとつの大きなテーマだと思います。例えば、電力の8割を原子力発電によってまかなっているフランスにとってその問題意識の中心はあくまで原子力とその影響であり、地震による被害には大きな関心が向けられません。しかし、地震が日常的に起こる日本で「東日本大震災」から震災の問題を切り離して考えることはできません。2年という月日を経て「東日本大震災」が「フクシマ」という名前によって語られるようになった背景には、「ヒロシマ」「ナガサキ」という原子力の脅威を巡るコンテクストが間違いなく存在しています。それは今回の国際会議でも言及されました。

国際的な場で東日本大震災について論じる場合、諸々の出来事がある意味で抽象化され、議論が世界共通の「原子力」という問題に限定される傾向があります。震災は天災、原子力は人災、地震の脅威にさらされることのないヨーロッパの関心は人災である原子力の問題に向かいます。しかし、日本で起きた出来事はそれほど単純に天災・人災を区分できるようなものではなく、その状況は極めて複合的なものであったはずです。国際的な場で日本人は日本人としてどのようにしてあの震災について議論することができるのか、異なった問題意識を人々に対し何を語ることができるのか。国際会議という舞台は、海外で学ぶ身にある自分に多くのことを考えるきっかけになりました。

震災当時、目の前に迫る地震や原子力の脅威に対し人文科学を包んだのはある種の無力感であったと思います。生死が目の前に迫るその瞬間、必要とされるのは「具体的」な解決であり、哲学、思想といった抽象性は脇に追いやられます。しかし、あれから2年経った今もなお、世界は「具体」では解消しきれない問題を多分に孕んだままです。今こそ、人文科学の必要性が問われている、それは皆の共通認識だと思います。しかし、人文科学の持つ可能性をどのように原動化していくのか、その実例は多くありません。震災直後から続く西山先生の試みは、震災の問題に対する人文科学からの具体的なアプローチです。しかしそれは同時に、人文科学を志す私たち学生にひとつロールモデルを示してくださるものだと私は考えています。毎年パリで合宿を行い、多くの学生さんとご自身の活動を共有する西山先生の姿は、その意味で何よりも示唆的なものでした。

所属大学も異なる私にこうした経験の機会を与えてくださったことに対し、この場をかりてお礼申し上げます。

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après Fukushima—積み重ねられ、彷徨する70億の人間存在たちへ(尾崎全紀)

 知り合ってからの五年間というもの、なんかいつも雄二にはうまいことタダ働きさせられているのだが、彼からの原稿依頼がなければ、百万くらいの現金でも目の前に積まれない限り、横着な私は、このような文章を書く機会もなかっただろうということだけは間違いない。

 私自身は、約二年前、「ヒロシマと韻を踏むという縁起の悪い特権がともなった(36頁)」「ある意味ではいささか恐ろしい、あるいは過酷な名(4頁)」「フクシマ」の「後で(37〜38頁)」、数日間のうちに、欧州に「逃避=出現=襲来(99〜100頁)」し、その後、いろいろありながらも、現在は、「二人の証人(39頁)」関口涼子とオペラのブックオフで遭遇したり、西谷修の院生を含むフランスへの留学生達が定期的に集まるフランス思想研究会で一緒に勉強したりするというような「特権」を享受できる日常をなんとか送っている。

 今回も、そういうわけで、2013年3月15日と16日に、パリ日本文化会館と国際大学都市ドイツ館で開催された、国際哲学コレージュと首都大学東京とUTCP共催の国際シンポジウムに招待されることになったのだろう。

 彼から依頼されたシンポについての感想は、登壇者を含む他の先生方や学生の方達に任せることにし、私としては、日本にいても三千円も出せば文字通り誰でも買って読め、「大都市の住人」であれば、大書店でタダで立ち読み(ジュンク堂なら座り読み)することができる、シンポでコメントをした人物が書いた本の紹介を以て、「哲学への権利」ヘアクセスする条件を保証し、昨年の同時期に引き受けると書いた哲学=思考の「責任」の一端を担うことにする。

1、
 「離散と集合の交錯」をモチーフとした装画が掲載された表紙。
 その真下の帯には、薄紫色の美しい字で、次のようにある。

「人間が制御できないまでに肥大化した技術的・社会的・経済的な相互依存の複雑性を〈一般的等価性〉という原則から考察した、現代哲学界の第一人者による、画期的な文明論的布置」

 見事なまでに簡潔な要約というべきだろうが、玄人でもないかぎり、これだけでは何のことだかサッパリわからないのではないか。
 また、この表現では、実は、微妙に誤解を招く可能性がある。
 あと、私には、(一般の)日本の読者が、本書におさめられた「三つのテクスト(第一章『破局の等価性』と内容的に密接に関連する二つのテクスト第二章「集積について」と第三章『民主主義の実相』)がそれぞれ内部から共鳴しあっているのを難なく見てとることができるように(12頁)」はとても思えない(苦笑)。
 もちろん、訳者は、巻末の「訳者解題」で、日本版オリジナルとして、三つのテクストを一つに「まとめなおした(169頁)」理由や経緯、それらの内容的な連関について、かなり丁寧に語ってくれているし、実際、著者の思想内容に不案内な私も、「訳者解題」をここ数日間のあいだ何度も読み返しながら、勉強させてもらった。
 その訳者が、本書を捧げるのは、いまもなおフクシマに暮らす「訳者の」友人たち、特に彼ら・彼女らのまだ小さな子どもたちに、である。(199頁)
 もちろん、訳者の友人の小さな子どもたちが、この本を読んで理解することができるようになるのは、まだまだ先のことになるだろうが、私個人としては、少なくとも、約一ヶ月前、2月23日に、駒場キャンパスで開催されたワークショップに足を運んだ「若い学生」をはじめとする「数十年という規模」の après Fukushima を「死んでいるのではない(196頁)」というかたちで、「思考し、創造し、楽しみ、耐え忍ぶといった能力を有した人間的生(33頁)」を生きざるを得ない、日本全国の小学生、中学生、高校生、大学生たちが、気合いを入れれば、なんとか自力でこの本を読み解けるくらいのヒントやきっかけになるようなものを、本書からの引用や背景知識等も含め、レジュメのかたちで提供したいと思う。
 ま、それが、世界帝国大学の非常勤講師をつとめる人間の最低限のつとめだろう。
 では、難しそうだけど、ちょっとやってみましょうかね。

2、
 まずは、さっき、「微妙に誤解を招く可能性がある」と書いた帯の表現を分析してみよう。
「①人間が制御できないまでに肥大化した②技術的・社会的・経済的な相互依存の複雑性を③〈一般的等価性〉という原則から考察した、④現代哲学界の第一人者による、画期的な文明論的布置」と、四つのパートに分けてみた。
 最初に、②技術的・社会的・経済的な相互依存の複雑性、の部分である。
 かなり難しいが、次の表現の中に、そのまま出てくる。
 だが今日、都市、交通、エネルギーについてどれほど構想してみようとしたとしても、われわれが抗いがたく立ち向かわざるをえないのは、技術的、社会的、経済的な相互依存の複雑性の増大か、それとも、現在すでにある複雑性によって引き起こされる諸々の反論や障害やそれによって課される必要性か、そのどちらかなのである。(24頁)
 ここでの最も重要かつ中心をなすキーワードは、「技術」であるが、これについては、話が長くなるので、とりあえず、後に回すことにする。
 次に、④現代哲学界の第一人者による、画期的な文明論的布置、の部分についてだが、「画期的」という表現に、主観的な評価が入っていることに関して、異論が出る可能性があるという点と、「布置」という単語が難しい点以外は、特に、問題はないだろう。
 ちなみに、私は、頼まれたとはいえ、何の義務もないのに、「各人は、行為や仕事〔=作品〕、労働のかたちで自らを現すことを無限に義務づけ、そしてまた自分自身の義務とするのである(151頁)」という表現等にもほだされ、わざわざこのような文章を書いていることからも看て取れるように、著者および、この本に対する高い評価に、ほぼ全面的に賛成である、ということを、最初に宣言しておく。
 ②や④の部分と比べて、やや問題だと思われるのは、③〈一般的等価性〉という原則から考察した、という部分の「原則」という日本語、最も誤解を招くおそれがあるのは、①人間が制御できないまでに肥大化した、の「制御できないまでに肥大化した」という表現である。

3、
 では、①人間が制御できないまでに肥大化した、の部分から、少し詳しく、見ていくことにしよう。
 普通に考えれば、「制御できない」とか「肥大化した」というのは、否定的な評価を伴っていると考えて問題ないだろう。
 もちろん、この本は、「フクシマ」論なのだから、制御すべきものが何かは言うまでもない。
 文字面だけ読めば、「制御する」の対象、文法的には目的語と、「肥大化した」の主語は、「複雑性」なのだが、常識を働かせ、焦点を絞って考えれば、それが何を指し示しているかを理解するのは、難しくはない。
 じゃ、端的に言って、それを制御することができれば、問題はないのか?
 また、肥大化したそれを、萎縮(肥大化の反対語のつもり)させれば、それで、万事解決するのか?
 何回か熟読したかぎりでは、著者が、この本全体を通じてじっくり語っているのは、「「自然」と「技術」の区分が消え去った(58頁)」、「「主体」と「対象」のあいだに、さらには「人間」と「自然」ないし「世界」とのあいだに区別を設けることもますますできなくなっている(97〜98頁)」という状況であるように、私には思われる。
 というのも、著者に言わせれば、「技術とは人間そのものと異なるものではない(14頁)」のだから。

4、
 そうした状況全体を、筆者は、②「技術的、社会的、経済的な相互依存の複雑性」の増大、と呼んでいるのだが、この部分に関しては、「フランス現代思想」に通暁している読者ならばともかく、そうでない一般の日本の読者にとっては、かなりなじみが薄く、常識からかけ離れているため、理解するのが難しい事態なのではないかというのが、私の感触だ。
 が、その辺りについては、訳者が、「訳者解題」で、かなり丁寧に説明してくれており、その部分を読んで勉強することができるので非常にありがたい。
 具体的には、著者の技術論が現れた文脈や、その中でも特に、著者が「かなりの程度引き受けた(182頁)」「ハイデガーの議論(183頁)」の確認、「ハイデガーの継承者のなかでも」「人間が地球上のすべての有機体を破壊する能力を有したという事実をきわめて真剣に引き受けた数少ない思想家である」「ハンナ・アレントとギュンター・アンダース」(185頁)、また、デリダと著者がハイデガーに読み取ろうとした可能性等、一筋縄ではいかない論点が、鮮やかな手つきで、181頁〜188頁までに、手際よくまとめられている。
 だが、私も、この部分と著者が書いた本文を往ったり来たりしながら、何度も読んだものの、訳者以上簡単に説明する自信はないので、みなさんも、その部分を何度も読んでください、としか言えない(汗)。
 とりあえず、ここで紹介され、説明されている(新しくて、難しい?)「技術」についての見方は、訳者の言葉を借りれば、「現代技術をもはや単なる自然の支配の道具や手段としてではなく、人間の存在様態を規定し統御するような体制として捉える見方(185頁)」ということになるが、人間は自然と共生するものだという伝統的な日本人の考え(この考えに関しては、「なんらかの儒教的、道教的ないし仏教的な知恵の中に滞留することができるのでもない。どのような善良な意図があるにせよ、等価性はこのことを認めないのだ。(29頁)」という著者のコメントがあることをここで指摘しておく。)を持つ人以外の、いわゆるフツーの日本の読者のほとんどは、「技術は自然を支配する道具や手段」だ、と考えているであろうと思われるので、ここで紹介されている物の見方は、かなり難しいんじゃないかなぁ、と思います。
 要するに、ハイデガーが1938年のテクスト「世界像の時代」で描き出した「世界は、主体としての人間が、合理的に認識計算できる対象、さらには調整したり、変容させたり、統御したりすることのできる対象となる」あるいは、「人間による科学技術を媒介とした自然の「支配」ないし「統御」という見方(184頁)」という常識的な見方を、ほとんどの一般人は今もしているのだが、その後、ハイデガー、デリダ、さらに、アレントやギュンター・アンダースという人達が、「新しい」ものの見方を、苦労して考え出してきたということだ。
 考えることが本職の人達が、何十年もかけて一生懸命考え出した微妙な表現で満載の複雑なものの見方を、そんなに簡単に(この本をさらっと一読したくらいでは)一般の日本の読者が理解できるわけがないだろうから、そのへんは、自分の常識をいったんゼロに戻すつもりで、どのように、「技術とはもはや人間が何らかの目的に合わせて用いる手段としてはもはや考えられてはいない(186頁)」のか、上で指定した「訳者解題」の部分をヒントに、「技術」を主題とする第二章「集積について」から、一生懸命読み取ろうと努力してみてください。
 実際のところ、ドイツ語の選集『テクノロジーの条件』と宇宙物理学者オーレリアン・バローとの共著『われわれはいかなる世界に生きているのか?』におさめられた本書の第二章「集積について」が、全三章の中で、分量は最も少ないものの(というか、少ないから?)、断トツで、いちばん難しい章だと思いますが、著者のイイタイコトをきちんと理解するためには、残念ながら、この章を避けて通るわけにはいきません(涙)。
 とりあえず、上の文脈に即して読み込む際、最も重要だと思われる箇所を、少し長くなりますが、引用しておきますね。

 つまり、別の仕方で思考しなければならないのだ。「技術」が、「自然」から出発して構築され、あるいは同時に「自然」を破壊しつつも、当の「自然」に意味を与えるのだとすれば、このことが意味しているのは、もはや「自然」について語ることは可能ではないということであり、したがって、結局ところ「技術」について語ることも可能ではないということなのだ。アリストテレスによって使用が確定したフュシスとテクネー〔技術〕の対立は何世紀にもわたって熟し、それを通じてこの対立は決定的なかたちでねじれ、複雑なものになった。このねじれによってもたらされたものが、デリダが後に「代補」と名づけることになったもの、さらにはその前にハイデガーが「存在の最後の歴運」と呼んだものである。いずれの場合でも、争点は次の点にある。「技術」は自然に付け加えをし、「自然」が知ることのない諸々の目的を開きつつも、実のところは、この「自然」の理念そのもの―その内在性、その自己目的性、その成長法則―を構築している。しかし、技術はまた、この理念を破壊し脱構築し、そしてそれとともに西洋の思想を組織化してきた諸々の表象の全体的な構造を破壊し脱構築している―これがその争点である。(84〜85頁)

 ちなみに、ここで「ねじれ」と呼ばれているものが、帯で言われている「複雑性」のことです。
 以上をまとめて、筆者の主張を一般の日本の読者にも理解できるようにまとめて、結論だけ言うならば、「もはや「自然」は、人間が「技術」を用いることで自由に制御できる対象ではない。(184頁) 」ということになるでしょう。
 帯だけ読むなら、がんばれば、制御できるのではないか、あるいは、制御すべきなのに、今はできない状態にある(のは、誰か悪い奴がいるはずだ、とか)、と思ってしまうという点において、ほんの少しではあるが、誤解を招く可能性のある表現だということを指摘しておきたいと思います。

 少し話は逸れますが、「誰か悪い奴がいるはずだ」というような、考えについて、著者は、以下のように考えているように、私には思われます。

 民主主義の病の最もはなはだしい徴候の一つは、われわれが、権力のことを、あるときには敵対的あるいは悪しき審級、すなわち人民の敵であるとしたり、またあるときにはありとありうる力関係が無際限に増大し四散した現実であるとしたりすること(の?)ほかに、権力を思考できないという点がある。(146〜147頁)

 参考のために、引用しておきました。

 あと、最後に、もう一つ。
 この第二章のタイトルでもあるこの本の中でも屈指の最重要キーワード「集積」については、筆者による 「脱構築の最終状態を表す(63頁)」という原注22と、訳者による解釈「その(=「構築」と「破壊」の)いずれでもないもの(189頁)」が重要である。

5、
 そして、さらに横道に逸れるが、昨夜、飲み会の席で話題になったこともあり、ハイデガーが出てきたので、この文脈に関連して、マルクスとの関係について、一言だけ。
 訳者が注目する、かつてアレントと婚姻関係にあった『ヒロシマはいたるところに』の著者ギュンター・アンダースが言うところの「人間による生産物が、生産者である人間の手から離れ、人間自身が追いつけないところにまで変化していくことによる」プロメテウス的落差こそ、若きマルクスが「疎外」と呼んだものである。
 マルクスが、学位論文の中で、「象徴的な結節点(76頁)」である火(以下の引用では、炎)に言及しているのは、偶然ではない。
 参考のために、その箇所を引いておく。

 「哲学が意志として現象的世界に向きなおることによって、体系は一つの抽象的な総体性にまでひきさげられている。すなわち体系は、世界の一面になっており、この側面には他の一面が対立する。体系と世界との関係は反省関係である。自分を実現しようとする衝動に鼓舞されて、体系は相手にたいして緊張関係にはいる。内的な自己充足と完成とは破られている。内的な光だったものが、外部に向かう焼きつくす炎となる。こうして次の結論が生じる。世界が哲学的に成ることは同時に哲学が現世的に成ることであり、哲学の実現は同時に哲学の喪失であり、哲学が外部に向かって打ち勝とうと努める対象は哲学自身の内的欠陥であること。まさにこのたたかいにおいて哲学自身は、反対に損傷として打ち勝とうと努める損傷に陥るのであり、しかも、哲学はこの損傷に陥ることによってはじめてこの損傷を揚棄するということである」。

 あまりにも当たり前すぎて、言うのも憚られるほどなのだが、ハイデガーは、当然、マルクスの継承者である。
 もちろん、彼らが二人とも、アリストテレス以来の西洋思想の本流中の本流の嫡出子達であることも、今更、事改めて、言うまでもない。

6、
 さて、「共産主義(コミュニズム)という要請に、何の見返りもなく自分の名を付与した(136頁)」マルクスも登場したことだし、そろそろ、積み残した二つ目のヤマである、③〈一般的等価性〉という原則、の部分を片付けることにしよう。
 訳者は、2012年7月1日に、ストラスブールの著者宅を訪れた際のインタビュー「序にかえて」で、次のように、語っている。

 あなたは近年民主主義についていくつかのテクストを公刊なさっています。私たちが、そのなかから『民主主義の実相』を選んだのは、とりわけ、そこであなたが、「一般的等価性」という、フクシマ論のなかでも中心的な役割を演じている概念を、私の知るかぎりはじめて、最も広範に論じているためであります。(15−16頁)

 そもそも、第三章『民主主義の実相』は、「洗練されたものであれ、耽美的なものであれ、多かれ少なかれ「マルクス主義者」たらんとしないことは可能ではなかったし」、「あるいは、「保守的」であれ「精神的」であれ、「革命家」たらんとすることが必須だった(122頁)」当時、また、「革命でも、改革運動でも、異議申し立てでも、反逆でも、反抗でも、蜂起でもなかった(118頁)」「クロノスというよりもカイロスであった(138頁)」68年という時について、「68年5月」の40年後の2008年、「フクシマ」の三年前に書かれたものだが、そのテクストは、冒頭に近い部分で、次のように述べる。

 68年の深い運動が差し向けられていたのは、政治そのもの、資本主義そのものに対してである。(116頁)

 また、当該テクストの後半部分は、次のように言う。

 民主主義的世界がこれまで展開してきた文脈―民主主義的世界がそもそも結びついている文脈―、それは、一般的等価性という文脈である。(148頁)

 一般的等価性という表現が指し示しているのは、まずもって貨幣であり、商品形態である。言いかえれば、資本主義の核心である。そこから引き出すべき教訓は、次のような非常に単純なものだ。民主主義は―資本主義としてではないにせよ―資本主義において、あるいは資本主義ととともに生まれてきたのであるが、この資本主義とは、何よりもまず、原理からして、ある評価様態を選択することである、というのがそれだ。この評価様態こそが、等価性(l’équivalance)である。資本主義は、文明の決断に基づいてる。等価性のうちに価値がある(これを、誰でもわかる表現に言いかえるなら、「長生きすることは良いことだ、貨幣がいっそうの貨幣をもたらすのは良いことだ(80頁)」ということになるだろう)、という決断である。技術もまた、この決断のうちで、そしてこの効果によって展開してきたものである―世界への技術的な関わりはまさに元来的には人間の関わりであるのだが。このような技術は、等価性につき従う。(148〜149頁)

 さて、以上で、本書の副題に掲げられた三つキーワードのうちの二つ、「技術」と「民主主義」までが出揃った。

 著者は「マルクスが貨幣を「一般的等価物」と呼ぶときに言い表していたのは、商品交換の原則以上のことである。マルクスが言い表していたのは、あらゆる生産物や生産力は等価であり、交換可能で転換可能性というかたちで規定される価値へと、一切の価値が全般的に吸収されるという原則である。(55〜56頁)」と、「原則」という単語を使用してはいるものの日本語の語感を考慮すれば、帯にある「原則」という単語は、訳者が言う「概念(15頁)」とするか、上に挙げた引用にあるように「文脈(148頁)」とする方がより誤解が少なくなるのではないか、という点だけを指摘し、このレジュメも、そろそろ終わりにしなければならない。

 さて、指定された字数600字〜1200字という制限を大幅に超過し(苦笑)、今から、出掛けなければならないこともあり、今回は、ここで中断せざるをえないが、実は、私が最も面白く読み、最も集中的に論じたかったのは、第三章の10節 非等価性、以降(148頁以降)で提示されている著者固有の民主主義的政治である「民主主義の実相としての「コミュニズム」(159頁)」、「もはや「左翼」などはない(158頁)」今、「フクシマ」以降の「コミュニズム・マニフェスト」とも言うべき著者のプラクシスについてであった。
 それについては、またの機会があれば、ということで。

7、
 さて、一冊の本のレジュメとしては、いささか長く語りすぎた感もあるが、以上で論じてきた、この日本語オリジナル本のタイトルは、『フクシマの後で―破局・技術・民主主義』である。
  シンポジウムのコメンテイターをつとめた、帯で「現代哲学界の第一人者」と謳われている著者は、いわゆる「フランス現代思想」の系譜に位置づけられ、そのほとんど最後の生き残りであるかのようにしばしば目される(172頁)哲学者、ジャン=リュック・ナンシー。
 訳者は、福島で生まれ育ち、「フクシマ」と呼ぶほかはない事態のとりかえしのつかなさ、途方もなさに対して「無力感と怒りとを忘れることはできなかったし、今後もできないだろう(198〜199頁)」と語りつつも、その「無力感と怒り」を見事な日本語訳にまで昇華した渡名喜庸哲。
 発行人の以文社社長の勝股光政は、訳者への度重なる激励によって、この本を現実の出版へと導いた。
 もちろん、「まず秩序を挫折させ、次いで、皆が、また各人が、こうして日のもとにさらけ出された無限の開けを引き受けることができるようにする権力(162頁)」を有し、「引き受けることから身を引いた政治(164頁)」を引き受ける世界統治者でもある私が、わざわざこのような文章をタダで書き、無料でネット上に晒しているのは、彼らやこの本の読者やこのレジュメの読者達と「一緒にあること(ensemble)」ないし「ともにあること(avec)」(15頁)で、「一般的等価性の土台そのものを引き剥が」し、「その偽りの無限性を問いただす(163頁)」「プラクシスのうちに(既に)踏み込んで(163頁)」しまっているからに他ならない。
 われわれは、共に出現することで、「世界を、それ自身において、それ自身へと送り返」し「さらにわれわれが意味と呼ぶことができるものをこのことでもって創り出す(100頁)」ことができるだろう。
 ナンシーの表現を借りれば、こうだ。
「あらゆるものがともに現れ、あらゆるものがあらゆるものに対して現れる…あらゆるものはあらゆるものに対して関わり、あらゆるものはあらゆるものを通じて自らを示す(102頁)」ことになるだろう。
 そこには、はじまりもなければ、終わりもない。
 なぜなら、どうしたとしても、「われわれは、前に進み、経巡り、横断し、経験することなしにはいられない(111頁)」のだから。

8、
 さて、気になるお値段は、新本定価で、2400円+消費税。
 というわけで、図書館で借りて読んでもいいとは思うが、書き込みしないとなかなか理解できないハードコアな内容だし、立ち読みは、体力的にもかなりキツいと思うので、古本でもいいので、買って読むのがいちばんいいかな、と思います。
 私も、最初は借りて読んでましたが、さすがに他人の本(それも、著者のサイン入り)に好き勝手に書き込みするわけにはいかないし、著者の文章がかなり気に入ってしまったので、最終的には、パリのジュンク堂で、42、5ユーロも出して、買う羽目になりました。
 こんなことになるのなら、最初から、買っときゃよかったよ(笑)。

45年後の「3月22日」
トイレからエッフェル塔が見える居候先で
尾崎全紀