Limitrophe(リミトロフ)
東京都立大学・西山雄二研究室紀要
ISSN 2437-0088
(刊行元:東京都八王子市南大沢1-1 東京都立大学人文科学研究科 西山雄二研究室)
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No. 5、2024年、全220頁

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特集 フィリップ・ラクー゠ラバルト/ジャン゠リュック・ナンシー(責任編集=柿並良佑)

巻頭言 西山雄二  p. 1

序文 柿並良佑 p. 4

フィリップ・ラクー゠ラバルト「ヘルダーリンからマルクスへ──神話、模倣、悲劇」(訳=髙山花子・柿並良佑) p. 7

益敏郎「ラクー゠ラバルトとヘルダーリン、あるいはドイツ的現代性」 p. 23
上田和彦「ラクー゠ラバルトによるブランショ」  p. 36
長谷川祐輔「崇高の二重化とアナムネーシスの問い──ラクー゠ラバルトとリオタール」 p. 54
渡辺健一郎「原としての演劇──ラクー゠ラバルトの演劇/哲学」 p. 71
白江幸司「波打ち際のラクー゠ラバルト──トラウマと存在‐類型論」 p. 87

ジャン゠リュック・ナンシー「文学的共同体という概念をめぐって」(訳=小田麟太郎・山根佑斗) p. 94

山根佑斗「『無為の共同体』への導入」 p. 109
小田麟太郎「ジャン゠リュック・ナンシー「無為の共同体」、「「文学的共産主義」」を読む──共同体と書くことの問題」 p. 116
安藤歴「ジャン゠リュック・ナンシー「途絶した神話」、「〈共同での存在〉について」を読む」 p. 137
楊芊蔚「ジャン゠リュック・ナンシー「有限な歴史」を読む」 p. 153
中田崚太郎「自己放棄と第三の共同性──『明かしえぬ共同体』再読」 p. 164
山本源大「子どもの誕生について──ジャン゠リュック・ナンシーのヘーゲル読解を手がかりに」 p. 172

山根佑斗「彼方へと曝されて共に在ること──ジャン゠リュック・ナンシー『複数にして単数の存在』を読む」 p. 182

巻頭言
西山雄二
 
 本誌Limitropheは、東京都立大学西山雄二研究室にて2022年3月から発行している研究室紀要である。今年度は通常号の第4号(特集はジャン・ジュネなど)に加えて、この第5号として、フィリップ・ラクー゠ラバルト/ジャン゠リュック・ナンシー特集号を刊行する。

 特集にあたっては、第2号に引き続き、柿並良佑(山形大学)氏に責任編集を務めていただいた。柿並氏はジャン=リュック・ナンシーの思想に造詣が深く、これまでも一緒に論集『ジャン=リュック・ナンシーの哲学 共同性、意味、世界』(読書人、2023年)を編纂させていただいた。今号でも、企画案の構想から執筆者の選定、原稿の細かなチェックまで、編集作業に従事していただいた。柿並氏の卓越した仕事のおかげで、豪華な特集号に仕上がったことに深く御礼申し上げる次第である。

 また、寄稿された論考はいずれも完成度が高く、実に充実した特集号に仕上がった。寄稿者のみなさんには心より感謝申し上げる次第である。

 特集号を組む契機となったのは、レオニッド・ハルラモフ(Leonid Kharlamov)との再会だった。レオは、私が2000年代初頭にパリに留学していた頃の友人である。カトリーヌ・マラブー先生の授業に出席しており、研究交流する機会があった。レオはもともとストラスブール在住で、アルザスの地でラクー=ラバルトとナンシーの謦咳にも接していた。レオは昨年春、家族旅行でひと月日本に滞在したが、その際に都内の居酒屋にて20年ぶりに再会することができたのだ。レオはラクー゠ラバルトの遺稿整理を任されており、これまで『真の類似』やブランショ論『終わりある臨終、終わりなき臨終』など、四冊を編纂し刊行してきた 。ラクー゠ラバルトの遺稿はまだ残っており、晩年に取り組んでいたマルクス論の原稿などがあるという。レオは演劇論を約20本(半分は未刊)を原稿整理したが、刊行の目処が立たないということだった。ラクー゠ラバルトの著作を刊行してきたガリレ社は経営難であり、ブルゴワ社も経営者が変わってから企画が通らなくなったそうだ。こうした状況を踏まえて、レオとも相談した上で、本誌ではラクー゠ラバルトの特集を組むことにした次第である。

 また、2023年秋には、フィリップ・ラクー゠ラバルト、ジャン゠リュック・ナンシー『文学的絶対 ドイツ・ロマン主義の文学理論』の日本語訳が刊行された(柿並良佑・大久保歩・加藤健司訳、法政大学出版局)。ドイツ・ロマン派の雑誌『アテネーウム』をめぐって、ロマン主義やイロニーの脱構築的分析を披露した画期的な大著である。ドイツとフランスの知的交流、文学と哲学の交錯がいかなるものかを考えさせる歴史的著作で、訳者三名による途方もない成果である。ナンシーは2021年夏に逝去してしまったが、彼らストラスブール学派が遺した仕事を継承する上で、『文学的絶対』は重要な著作である。

 そして、本誌を、ラクー゠ラバルトの思想に通暁した浅利誠氏の思い出にも捧げたい。

 浅利誠氏は早稲田大学哲学科修士課程を修了したのち、1970年代末にフランスに留学された。彼は新ソルボンヌ大学フランス文学科博士課程にて、博士論文「アンドレ・ブルトンと聖なるもの いくつかの宗教的主題によるブルトン論」(André Breton et le Sacré : essai sur Breton selon quelques thèmes religieux)を執筆し、第三課程博士号を1985年に取得した。1984年から国立東洋言語文化大学(INALCO)の日本学科にて日本語教育に従事され、2001年、ボルドー・モンテーニュ大学の言語・文化学部の教授に着任し、2012年まで教鞭をとり続けた。浅利氏に日本語教育を受けたフランス人学生は数多く、そのうちの何人かは優れた研究者となりINALCOで活躍している。

 浅利氏は哲学・日本現代思想を専門とされており、その著述は多岐に及ぶ。まず、フランス語環境で生活し思考する経験から、日本語と日本思想の関係を問い直す研究として、『日本語と日本思想~本居宣長・西田幾多郎・三上章・柄谷行人』(藤原書店、2008年)や『非対称の文法──「他者」としての日本語』(EHESC出版局、2017年)、『日本思想と日本語──コプラなき日本語の述語制言語』(読書人、2023年)を刊行している。本誌との関連で言えば、浅利氏はラクー゠ラバルトの思索を卓越したヨーロッパ的知性として賞賛しており、ハイデガーとナチズム問題に深く切り込んだ『政治という虚構──ハイデガー、芸術そして政治』(藤原書店、1992年)を翻訳され、『他者なき思想――ハイデガー問題と日本』(荻野文隆との共編、藤原書店、1996年)を編纂している。

 浅利氏は社会科学高等研究院で毎週開かれていたジャック・デリダの授業に1986年から15年間出席し続けた。彼はほぼ毎回録音記録をとっていたが、デリダ講義の貴重な音源として、資料はフランスの現代出版資料研究所(IMEC)とカリフォルニア大学アーヴァイン校に保管されている。また、デリダの授業に関する貴重な記録は、『ジャック・デリダとの交歓』(文化科学高等研究院出版局、2021年)として公刊された。浅利氏はフランス語への翻訳にも尽力され、柄谷行人の『世界史の構造』を仏訳された(Kôjin Karatani, La structure de l’histoire du monde, traduit par Makoto Asari et Isabelle Flandrois, CNRS Éditions, 2018)。

 筆者が浅利氏ととくに交流するようになったのは、2018年のパリでの在外研究中のことだった。デリダの講義に関する証言を得るため、それ以来何度か懇談の機会をもった。待ち合わせ場所はきまってオペラ座前のスターバックス・コーヒーで、郊外の自宅からパリ市内に通う際、このカフェで作業するのだという。デリダの講義の様子や私的な会話などについて話を聞くことができ、浅利氏が取り組んでいる日本語論や柄谷論についての聞き手にもなった。「僕には頼れる親族も友人もいないから……」と洩らす浅利氏のために、論考執筆のための資料を日本から送ったり、フランスの市民権取得のために青森市役所から証明書などを代理で取り寄せたりした。市民権を得てフランスの地に骨を埋める決意をし、やり残した研究に邁進していたのだ。そんな矢先、浅利氏は脳卒中で倒れて意識不明となった。医師団が手を尽くしたものの意識は戻らず、彼は2023年9月14日に逝去した。

 浅利氏と最後に会ったのは、コロナ禍で3年ぶりに渡仏した2023年3月初旬のことだった。カフェで何かに取り憑かれたように語り続けていた彼の姿がいまでも偲ばれる。フランスから日本へとラクー゠ラバルトの思想を届けてくれた浅利誠氏の御業績に本特集号が応えるものであることを願っている。

序文
柿並良佑

 2014年8月19日、研究のため短期間ながらパリに滞在していた私は、クレール・ナンシー氏の住まいを訪れる機会を得た。かつてジャン゠リュック・ナンシーが短いテクストを寄せた雑誌がいずれの図書館にも所蔵されておらず、意を決して相談した私にナンシー本人から返ってきた「パリにいるならクレールに会うといい」というメールがきっかけだった。そのあたりの詳細な経緯は今は措く。約束の時刻にアパルトマンを訪問すると、「古い雑誌だから見つけるのに数時間かかったよ!」と言いつつ笑いながら迎えてくれたクレールは、古代ギリシア文学の研究者にしてフィリップ・ラクー゠ラバルトのパートナーだ。ラクー゠ラバルトが生前に仕事をしていた机や書棚はそのままに残してあるという住居内の蔵書には、当然ながらナンシーとの共同研究の成果も含まれているのだろう。当初は資料を拝見して可能であれば写真を撮らせてもらい、不躾な訪問はなるべく早めに切り上げて失礼しよう…くらいに考えていたが、70年代の当の雑誌を起点にした雑談は膨らみ、気がついてみればさながら長編インタビューのごとく数時間にわたって話を聴くことができたのは、実に貴重な経験であった。往年のストラスブールの様子や若き二人の出会い、そうした環境と彼らの思想の関係……等々をめぐる内容の一端は、本誌発行者の西山雄二氏と共に編集した「ナンシー略年譜」にわずかではあれ反映させることができた(岩波書店刊『思想』(2021年第12号)、後に読書人刊『ジャン゠リュック・ナンシーの哲学』に再録)。

 特集の全容を説明すべき序文を個人的な挿話から書き起こしたのは思い出話がしたいからではない。その会話の途上、ラクー゠ラバルトとナンシー両人のいわば「自己認識」をめぐって――少なくとも私には――興味深い証言が、二人を最もよく知る人物の口から飛び出したことを読者に伝えておくのも意味のないことではないと思われたからだ。ナンシーが「哲学者」であることは自他ともに認めるといったところであろうが、対するラクー゠ラバルトは、ときに哲学者と紹介されることがあるのに抗するかのように、「哲学者というのはジャン゠リュックのことで、私は哲学者ではない Je ne suis pas philosophe」と語っていたという。題辞に「舞台」を掲げる二人の往復書簡を注意深く読む者にとってその旨は周知の事実であったかもしれないが、いずれせよ「私はテクストの読み手だ Moi, je suis lecteur de textes」というのが彼の自己規定であり、しかし最晩年、どこか外国からたどり着いたフランスで病を得て、自分と同じ病室に居合わせることになった画家に仕事を訊かれた際、うまく話すことのできなくなっていたラクー゠ラバルトはクレールに「私は詩人poèteだと言ってくれ」と伝えたらしい。そのクレールがパートナーを形容した際の「いずれにせよ思想家penseur」という語は、静かな力強さを湛えているように感じられた。

 無論、こうした「証言」の類がテクストの読み方を規定するなどと言いたいわけでもない。ただ、本号が特集するフィリップ・ラクー゠ラバルトとジャン゠リュック・ナンシーという二人の人物の文体の――あるいは「エクリチュール」の――差異が由来する地点、いやむしろ、広義におけるlittératureをめぐる態度――あるいは最も強い意味における「経験ex-péri-ence」(『経験としての詩』/『自由の経験』)――の差異こそが二人の思考の分岐点と接点の双方をあらためて――あるいは初めて――捉えるための手がかりになるやしれぬと思い、冒頭からの踏み外しの危険をも顧みず以上のように記してみた次第だ(ナンシーの見た「作家(エクリヴァン)」ラクー゠ラバルトの肖像(フィギュール)をめぐっては2006年の『「アレゴリー」』に採録されたテクスト「始まり」を読む必要があるが、この点については別の機会を待ちたい)。

 こうして何事かを分かっているかのように書きつけている今、しかし同時に、編集の任を引き受けた自分が到底その役に相応しくないことは承知している。仮に一方の「哲学者」について2, 3のことを知っていたとして、盟友ラクー゠ラバルトの文章は今なお自分にとってナンシーのそれ以上に性急な読解と安易な理解を退ける峻厳により際立っている。本特集冒頭に置かれたインタビュー記事の訳者・髙山花子の解説にあるように、要約を拒むテクストのもたらす特有の難解さは、編者の独断的な思い込みによるものではないのかもしれない。そうした印象を受けた読者がいるとすれば、同記事「ヘルダーリンからマルクスへ」は、既刊・既訳著作と重複する論点が多いとはいえ、分量からみても、ラクー゠ラバルトの仕事に(再度)近づくための格好の手引きを務めてくれるはずだ。生の最後まで健筆を振るったナンシーに比べればさほど多くはないとはいえ、その凝縮の度合いからすると少ないとも言いがたい著作群のかなりの部分は、おそらくそれぞれに困難と取り組みこれを克服した訳者たちによって幸いにも日本語で読むことのできる形に整えられており、先の記事の訳出も当然それらの恩恵に与っている。ただ、書籍の姿でのラクー゠ラバルトの日本語訳について言えば、『貧しさ』と『歴史の詩学』の二書が2007年に著者の逝去後ほどなく刊行されて以来途絶えて久しく、主著『哲学の主体』(1979年)は未訳のまま……という状況にあった。ゆえにこそ、と言えるほどの高邁な精神は持ち合わせていないが、ナンシーとの共著論文数篇を経て共編著『文学的絶対』(1978年)の訳書を2023年の秋にようやく上梓しえたことが、先人の訳業の連鎖に対してささやかな寄与たりえているのを願わずにはいられない(お一人だけ名を挙げるとすれば、浅利誠氏の仕事がラクー゠ラバルトの著作を日本語の言説空間に導入するにあたって多大な貢献であったことを疑う者はいまい。直接の面識はなく書籍や雑誌インタビューのみから学んだ編者にとって、ここに心からの謝意を記す以外に追悼の方途はなく、読者には西山による巻頭言を再度参照されるよう乞うばかりである)。

 翻訳の仕事が当の書物の十全なる理解を必ずしも保証しないこともまた論を俟たないが、少なくとも自分にとっては一語一句を置き換えるような遅々たる作業を積み重ねたからこそ、ラクー゠ラバルトの孤高のテクスト群にあらためて向かい合う準備ができた気がしている、というのが現時点での偽らざる心境だ。同様に、あるいはこれから初めて著作を繙く人々にとって、多面的に著者の相貌を浮かび上がらせる本特集の論考は力強い牽引役を務めてくれるだろう。以下、論じられる争点をごく簡単に確認するなら、インタビューの主題であったヘルダーリンを研究する益敏郎は専門家の観点から、ラクー゠ラバルトにとっての「ドイツ」、「現代性(モデルニテ)」といった核心的な問いの射程を明示する。上田和彦はブランショとの関係に焦点を合わせ、今日における「神話」に関する問題系、およびそこからの解放の可否を、「形象(フィギュール)」という主要モティーフとの関連で問い直す。長谷川祐輔は「崇高」をめぐる思考をリオタールと突き合わせつつ、目下進行中の(デジタル・)メディア状況の下にラクー゠ラバルトを読もうとする。自身俳優でもある渡辺健一郎が掘り下げるのは、ナンシーとの往復書簡「舞台」と「対話についての対話」に顕著な演劇やスペクタクルという主題であり、ここでもヘルダーリン由来の「冷醒さ」が重要な役割を演じる。白江幸司はフランスに限定されない同時代の思想動向を辿り直し、その布置の中でラクー゠ラバルト独自の哲学的直観たる「存在(オント)‐類型論(ティポロジー)」の位置づけを試みる。これだけで十分に察せられるだろうが、インタビュー記事の副題である「神話、模倣、悲劇」という争点は論者それぞれの観点から取り上げられており、それらの相互の連関についても読者一人ひとりが思考をめぐらせることができるはずだ。

 本特集のもう一方の柱については、寄稿者の中でも最若手の山根佑斗がナンシーをめぐる研究会の成果を振り返りつつまとめているので是非ともご参照いただきたい。これも蛇足を承知の上で付言すれば、『無為の共同体』という無数の注釈を呼び起こし続ける「代表作」、しかしながら表題論文以外の言うなれば「特異性」がそれに見合うだけの応答を得てきたか疑問の余地なしとしないこの著作と、若き研究者一人ひとりが相応の時間をかけて格闘するのを目の当たりにしうる機会は、たとえ大学の演習室と言えど今日そう多くはあるまい。成否については諸賢のご高覧を乞うに如くはないが、学術研究(アカデミズム)が忽せにしてはならぬ厳密な読解と、可能なかぎりテクストを外へと開こうとする営為の両立の試みには心からの声援を送りたいと思う。

 『Limitrophe』では一年前の第2号でもナンシーをめぐる特集の編者を務めさせていただいたが、その際の序を私は、紀要の特集が「思考の饗応と緊張を「受け容れる」場であろうとしている」と締め括っていた。今も変わらぬその意図を確認するとともに、「場」を提供し続ける西山氏を始め、呼びかけに応じてくださったすべての方々への感謝の意を記して、なくもがなの序を結ぶことにしたい。