2013年3月 ブルガリア・ソフィア大学

ソフィアでの恵みの春の到来


今回、ソフィア大学を訪れたのは二回目である。ダリン・テネフ准教授の招待により、2013年9月に映画「哲学への権利」上映/討論会をおこない、カタストロフィに関する講演をさせていただいたことがある。前回ブルガリアを去るとき、もう一度ここに戻ってきたい、という感覚を強く抱いた。ブルガリアの研究者や学生との豊かな学術交流が実に刺激的だったからだ。
参照=http://www.comp.tmu.ac.jp/nishiyama/droitphilo/pg224.html


(ちょうど3月1日は春の訪れを祝う日で、マルテニツァを交換する日。マルテニツァはブルガリアの代表的な伝統の一つで、白と赤の糸を織り交ぜて作られた春のお守り。お守りを家族、恋人、友人などの親しい人に贈る古い習慣がある。3月末までマルテニツァを手首に結んだり、洋服につけて、本格的な春がやってくるまで元気に暮らせるようにする習慣。街中にマルテニツァの販売スタンドが並ぶ。名前やメッセージ入りのお守りも。)

(ボヤン・マンチェフと5年ぶりの再会。前回は2010年の東大駒場での映画上映イベントだった。相変わらず若々しく、しかも、ますます国際的に活躍している様子。欧米人にとって日本語の名前は覚えにくいだろうが、彼は出会った日本人の姓名を明瞭に記憶していたことに驚愕。)






今回の国際会議「崇高と不気味なもの」では、きわめて魅力的な二つの概念が問われた。「崇高sublime」はバークやカントによって美との関係において規定され、「不気味なものDas unheimliche」は主にフロイトの精神分析的解釈やハイデガーの存在論的分析によって考察されてきた。双方とも主体性、すなわち、主体の(自己)情動に深く関係しており、物体に内在するたんなる対象として把握することはできない。また両者はむしろ悲劇に結びついており、幸福な結末には必ずしも帰着しないようにみえる。

今回は若手の助教らが核となって企画され、それが功を奏してかなり自由な雰囲気だった。ロンギノス以来の崇高の系譜学をめぐって博士論文を書いた星野太氏と、不気味なものをめぐる連続セミナーを実施してきたソフィア大学のKamelia Spassova氏らが牽引役になっていたので、きわめて水準の高い議論が展開された。海外での合同シンポジウムとしては稀に見る大成功となった。






(3月3日の夕方、建物の最上階に上り、夜景を見渡す。この日は祝日。1878年、オスマン帝国から独立して(第三次)ブルガリア王国が成立した、民族解放記念日。日本ではありえないが、大学とアレクサンダー寺院のあいだにあるさほど広くない広場から花火が3分ほどあがる。肌寒いソフィアの夜空に消え行く色彩群。)


拙発表「世界の終わりの後で――晩年のジャック・デリダの黙示録的語調について」では、晩年のデリダが言及した「世界の終わり」の分析を試みた。彼は晩年、パウル・ツェランの詩「大きな、赤熱した穹窿」末尾の詩行「世界は消え去っている。私はあなたを担わなければならない」を何度か引用し、自身の解釈を展開している 。この詩行では、世界への別離とともに宣言される誓約が互いに異質な文で構成されている。それは世界が消失したという事実確認であると同時に、他者を担う約束と義務の行為遂行である。ともすれば黙示録的な響きのするこのツェランの詩行とともに、晩年のデリダはどんな「世界の終わり」の光景を思索したのか。他者への応答、世界の自己破壊、生きものの共住の世界という異なる三つの場面に即して考察を試みた(日本語版は、『思想』No.1088、2014年12月号、での同名の論考を参照されたい)。

滞在中、ブルガリアの方々の歓待は素晴らしく、深夜の空港での出迎え、テネフ氏の自宅でのパーティー、最終日の名残惜しい打ち上げなど、最初から最後まで親密な交流ができた。これまで築き上げた高水準の交流を今後も維持していきたい。お世話になったブルガリアの方々、とりわけKamelia Spassovaさん、Darin Tenevさん、Boyan Manchevさんに謝意を表明しておきたい。私たちが滞在した6日間、ソフィア市に春の気候が到来し、快晴の気持ちよい日が続いた。人文学の知(sofia)への恵みの春はこうした国際交流の積み重ねによって私たちに到来するのだ。