ジゼル・ベルクマン(国際哲学コレージュ)招聘

カタストロフィの思想(首都大学東京)

カタストロフィの思想(首都大学東京)


2012年7月、国際哲学コレージュのプログラム・ディレクターであるジゼル・ベルクマン氏が、日本学術振興会・外国人招聘研究者事業として来日され連続講演をおこなった。

ベルクマン氏は18世紀啓蒙期のフランス文学・思想を専門とし、ルソーやディドロなど啓蒙期の作家に関する多数の論考を発表している。博士論文「父子関係、起源、幻像――レチフ・ド・ラ・ブルトンヌの『ムシュー・ニコラ』における個体化の方途」(Filiation, origine, fantasme, les voies de l'individuation dans Monsieur Nicolas ou le coeur humain dévoilé de Rétif de la Bretonne, Champion, 2006)では、「自分の息子」になることを夢想する自己の寓話を同時代のルソーの『告白』と比較しつつ、明晰さと蒙昧さの両義性という視座から啓蒙と文学の複雑な関係を解き明かした。ベルクマン氏は20世紀の文学・思想にも造詣が深く、M・ブランショ、J・デリダ、M・ドゥギー、J-L・ナンシーなどに関する論考を多数発表している。近著『バートルビー効果――読者としての哲学者』(L'Effet Bartleby, philosophes lecteurs, Hermann, 2011)では、メルヴィルの『代書人バートルビー』の読解を起点として、エクリチュールと思考をめぐって文学と哲学の連続性に関する研究成果が披露された。ベルクマン氏の一貫した研究主題は、哲学と文学に共通する創造的起源を解き明かすことである。彼女は啓蒙期の作品において、哲学的概念と文学的表現、理性と感性の交錯から新たな思考様式が生み出されたことに着目し、現代にも共通する問いとして探究し続けている。これまで数々のシンポジウムや書籍の企画にも携わっており、編著に『自我の考古学』(Archéologie du moi, P.U.de Vincennes, 2009)、ジャン=リュック・ナンシーをめぐるシンポジウム記録集『外の形象』(Figures de dehors, Césile Defaut, 2012)がある。



2012年7月18日、首都大学東京(南大沢)にて、ジゼル・ベルクマン氏の国際セミナー「カタストロフィの思想」が開催された(司会:西山雄二〔首都大学東京〕。協賛=学長裁量傾斜研究費・研究環「カタストロフィと人文学」)。 2011年、日本社会は震災・津波・原発という、人類史上初の三重のカタストロフィ(破局)を経験した。これまで人間はいかにカタストロフィを表象し、解釈してきたのか。人文学の視座からカタストロフィと人間の関係を問い、希望の方途を探るセミナーである。



ベルクマン氏は、フランスで入手できる資料にできる限り目を通して講演原稿を書き上げた。ただ、カタストロフィを眼前にして、破綻することのない「方法序説」などありえない。日本でおきたカタストロフィの比類なき単独性をより適切に「浮かび上がらせる」努力をすることが彼女の方針である。被災者の状況を考慮しつつ、自らの思考を「途方に暮れた状態〔désorientation〕」から紡ぎ出す必要がある。

「われわれは「災厄の翌日」を生きている。「未来」はすでにここにある。「未来」とは「未だ来ぬ」時だが、まだ訪れぬ以上は無限定で、多少は過去の反照を浴びながらも、われわれの前に透明に開かれていた。だがいま確実に言えることは、未来がもはや透明ではないということだ。それは汚染されている」(西谷修)。放射能に汚染された未来――あたかも時間性そのものがカタストロフィにすでに冒されてしまったのようである。ヴァレリーは1945年に「すでに終焉を迎えた世界〔le temps fini〕と書いたが、ドイツ在住の多和田葉子も『揺れ動く日々の日記――フクシマ以後』で記すように、これは「すでに秒読みの始まった時間〔un temps compté〕」の感覚に近い。それは、点としての終わりではなく、厚みのある持続する終わりの時間性であるだろう。



「3.11」の三つのカタストロフィは、自然的原因と技術的原因との複雑な絡み合いを明らかにし、(自然的な含意の)災厄と(人間的な含意の)カタストロフィの区別の再考を私たちを促している。自然と技術、ピュシスとテクネーといったかつての対概念は安定した二極構造をもう保てないかのようである。ラテン語の「catastropha」の語源のギリシア語「katastrophé」は「激動、終わり、結末」、そして演劇用語で「物語の結末」を意味した。だが、今回はそうした伝統的な意味が無効となり、「カタルシスなきカタストロフィ」が生じている。



ベルクマンはカタストロフィを解釈するための「犠牲と再生」という宗教的な図式を批判する。デュピュイは『ツナミの小形而上学』において、近代人が抑圧してきた宗教的なるものと神聖なるものの回帰を示唆したが、彼女は一連のカタストロフィから引き出すべき、大なり小なりの形而上学を徹底的に脱構築するべきだと力説する。

カタストロフィをいかに語るのか。カタストロフィによって何を発見するのか。ベルクマンは結論として、国内および国際、さらに地球規模での反原発運動グループの必要性を説く。実際、フランスの市民団体によって始まった国際的な「フクシマ・アピール」では「カタストロフィを国際市民の管理下におくこと」が標榜されている。「大文字の歴史のうちにある「思考されざるもの」の積極的な脱構築を源泉にもつ政治的な行動主義であり、その狙いはまさに生存と生き延びることの可能性を組織すること」、すなわち、災厄のおきたまさにその場で抵抗を実行に移すことが重要なのである。



会場の学生からは、さまざまな質問が提起された。「被災地から逃れたフランス人作家の「私」に対して、ベルクマン氏は「私たち」という鍵語を提示した。だが、被災者の「私たち」でさえ分裂し不和を孕むなかで、その「私たち」を国際的な次元へと単純に拡張しうるのだろうか。」「カタストロフィの哲学は政治的状況にいかに介入することができるのだろうか。今回の講演会のように、東京という離れた場所で私たちはカタストロフィを思考できるだけ幸福なのだから。」「カタストロフィを語るための時間的・空間的な適切な距離とは何か。」「日本において、市民たちが原発の運動にコミットメントしていくために、哲学が貢献できることは何か?」「西洋と東洋の価値観や文化によって、カタストロフィに対する対応はいかに異なるのか。」


バートルビーと現代哲学(東京大学)

バートルビーと現代哲学(東京大学)


7月20日(金)17.00-19.00 東京大学(駒場)18号館4階コラボレーションルーム3
「バートルビーと現代哲学」 司会:小林康夫(UTCP) 
コメント:郷原佳以(関東学院大学) 主催:共生のための国際哲学研究センター(UTCP)
メルヴィルの『代書人バートルビー』を読解する現代の思想家ブランショ、ドゥルーズ、デリダ、アガンベン、バデュウ。「せずにすめばありがたいのですが」という消極的抵抗は彼らをいかに魅了し、いかなる生の考察をうながしたのか。バートルビーの形象への参照から文学と哲学の交差を描き出すベルクマンの最新著『バートルビー効果』に基づくセミナー。







被災地訪問

被災地訪問


7月22日、東北大学の寺本成彦氏の案内で被災地を訪れた。名取市閖上では消失した街、倒壊した墓石、残存した寺院をみた。南三陸町でも消え去った街を目の当たりにし、瓦礫の山に呆然とした。大川小学校に立ち寄り、女川から石巻まで南下したところで日が暮れた。












カタストロフィの思想(東北大学)

カタストロフィの思想(東北大学)


2012年7月23日、東北大学(川内北)にて、ジゼル・ベルクマン氏の講演会 「カタストロフィの思想」がおこなわれた(司会:寺本成彦〔東北大学〕。主催:東北大学国際文化研究科。約60名の参加)首都大学東京と同内容の講演であるが、ベルクマン氏は前日に被災地を足を運んだ際に得た情動を語りに込めようと努めた。会場には一般市民が数多く詰めかけた。「原発推進と反対という二項対立を脱構築するとはいかなる意味をもつのか」と質問した若者。「話の内容はうまく理解できたとは言えないが興味深かった」と言う80歳の女性。「震災後、南三陸町にフランスの水道業者ヴェオリアが支援に来てくれて助かった。今日はフランス人による講演だからそのことを伝えに来た」という男性。「ベルクマン氏はフランスでリアルタイムで震災の映像を見た。だが、避難した被災者はその映像を何日も遅れて目にすることになる。奇妙な距離のずれがある」と鋭い指摘した教員など、充実した質疑応答で貴重な会となった。





私たちの思考を妨げるもの(一橋大学)

私たちの思考を妨げるもの(一橋大学)


2012年7月25日、一橋大学・佐野書院にて、ジゼル・ベルクマン氏の講演 「私たちの思考を妨げるもの」がおこなわれた(司会:鵜飼哲〔一橋大学〕)。ベルクマンが現在、国際哲学コレージュで実施している同名のセミナーの再現である。思考はあからさまに禁止されることはないが、だが、有用性や収益性の趨勢によって思考が生産されてはいないだろうか。主にフランスの事例を分析しながら、今日、批判的な思考の方位をいかに定めればよいのかを問う。



現在の資本主義下で収益性と効率性が重視される「即戦力になる頭脳の時代」において、ヨーロッパでは批判的思考がますます軽視されている。思考が禁じられ人間性が否定されているわけではないが(非思考や非人間)、一定の有用な思考が求められ、市場やマーケッティングの論に即した人間が重視されている。ベルクマンはこの状況を「脱―人間」の時代、「脱―思考」の趨勢と呼ぶ。このような状況において、自分自身で思考の方位を定めることはいかにして可能だろうか。

また、学術世界において、ベルクマンは「根拠主義〔le fondationnel〕」とでも呼称しうる新たなパラダイムの台頭を認め、ある種の危機的兆候を見る。端的言うと、それは一元論的な原理への回帰や欲望である。

1)二元的存在論と縁を切り、新たな存在論を再定礎する動き。
ジャン=マリー・シェーファーの『人間的例外の終焉』では、「コギトの檻」が解放され、人間が例外的立場を失い、生きものの領域へと再統合される。フレデリック・ネフの形而上学ではポスト・ハイデガー思想の超克が目論まれる。フィリップ・デスコラの『自然と文化の彼方』では、自然―文化の二律背反を超越しうる一元論に照らして構造人類学が刷新される。

2)人間主義の擁護と動作主を切り離した上での主体への回帰
ヴァンサン・デコンブは『主体の補完(主格補語)――自己自身で行動することについての探求』 で、コルネリュウス・カストリアディスとある種の分析哲学を綜合する。主体は「動作主補語(受動態において動作を行う人物)」であり、「個人として同定されるものの、作用因のように世界のなかに現存する」。デカルト的主体をアリストテレス的実体に還元する手法であり、「私」は動作主や因果力という意味で、個々の思考を生み出す主にすぎない。

3)還元主義的な自然主義、あるいは「大脳生理学」の大いなる権力
脳科学の発達とともに、脳こそがは「原自己〔proto-self〕」(ダマシオ)の中枢、さらに思考を生み出すものとされる。これは現象学的な意識、精神分析の無意識を超克し、「脳の全体主義」的な傾向をももたらす。ただし、身体現象の原因が脳内にあるとする点で、これは往々にして反転した観念論にほかならない唯物論に陥る。



こうした一元論的な根拠主義の趨勢に対して、ベルクマンは構造主義が切り開いた「二元論」的発想の遺産を活性化させるべきだと主張。構造主義の立場はあらゆる〈存在するもの〉を〈対立するもの〉と解し、「一者」の誘惑を断ち切ることである。フーコーの〈経験的―超越論的二重体〉を脳の一元的な経験論によって矮小化するのではなく、新たな人間や思考を模索するための足場として確保し、対立するもののあいだで〈外〉の思考を紡ぎ出す必要があるだろう。

鵜飼氏からは、フランスの思想的状況の変化に関するコメントがなされた。1980年代に鵜飼氏が留学していた際、アンドレ・グリュックスマンの著作『デカルトこそがフランスだ』が刊行され、デカルト=フランスという哲学的ナショナリズムが再確認された。ところが、ベルクマン氏の報告ではそのデカルト主義が攻撃され、精神分析が否認されている。ラカンは「デカルト的コギトが発見されなければ精神分析も発見されなかった」と洞察したが、このフランス的思想軸が逆の意味で証明されているようにも見える。さらに言えば、フランスの一部の知識人にとっては、デカルト的コギトが超自我と化しているのではないか。



ベルクマンは「たしかに、デカルトへの意趣返しの傾向が強く、ここ数十年でデカルトの意味記号が正反対になった」と応答する。「デカルトは80年代は再建されるべき国民的統一性だったが、近年でデカルト的二元論は分裂をもちこむ悪しき伝統に映る。デリダが批判されるのもこの分割可能性の否認のためであり、ラカンの表現「我が存在しないところで〈それ〉が思考する」もまた受け入れられない。そして、デカルト主義さえ否認するこうした新たな一元論主義は危険をも孕んでいるのだ。」

ジャック・デリダ/ジャン=リュック・ナンシー 脱構築は単数か、複数か(立命館大学)

ジャック・デリダ/ジャン=リュック・ナンシー 脱構築は単数か、複数か(立命館大学)


2012年7月27日、立命館大学(衣笠キャンパス)にてワークショップ「ジャック・デリダ/ジャン=リュック・ナンシー 脱構築は単数か、複数か」がおこなわれた。ジゼル・ベルクマン氏の講演の後に、亀井大輔(立命館大学)、松葉祥一(神戸市看護大学)、加藤恵介(神戸山手大学)らがコメントを加えた(司会:加國尚志〔立命館大学〕。主催:人文科学研究所研究プロジェクト「暴力からの人間存在の回復」。35名ほどの参加)デリダとナンシーはその思考のスタイル、概念、挙措において似通っていると同時にかけ離れている。両者の相違を浮き彫りにすることで、脱構築への署名とは何を意味するのかを考察することが目的である。



ベルクマン氏は講演「思考することを彼は何と呼ぶか? ジャン=リュック・ナンシーと脱構築」において、「ナンシーは、知と非‐知との境界、哲学とそれを超過するものとの境界に身を置く、ハイデガー以降の数少ない現代哲学者の一人である」と話を切り出す。彼は哲学的伝統とは一線を画しながら、思考の経験を形にしようとする。それゆえ、思考のなかの経験ではなく、経験としての思考が重視され、この意味で、あらゆる思考のなかには「他なる思考」――思考が自らを思考するような思考の過剰――がある。「思考」という語を何冊もの著作の表題に掲げるナンシーとは異なり、デリダは思考の身振りには敏感だが、「思考」という語を直裁に論じるわけではない。



ナンシーはあらゆる構築からも脱構築からも免れる「外部」を争点とする。露出(exposition)、外記(excriture)といった独特の表現を用いながら、思考の外部ではなく、思考そのものとしての外部(ex)が探求される。デリダが「不可能なもの」に至るまで遡行し、「原(archi)」と呼びうるものへ向かったのに対し、ナンシーの場合は、「露出」や「外記」と呼ばれる、内部の「外(ex)」への思考を重視する。来たるべき不可能なもの(デリダ)と、現在の間隔化に接した無限(ナンシー)。時間から出発して現在を思考するデリダに対して、有限な存在から出発して間隔化を思考するナンシー。いわば、不可能なもの至るほどの省略のパッション(デリダ)に対して、他者と限界上において接触し続ける誇張の省略(ナンシー)がみられる。両者のあいだには、ひとつ以上の脱構築があり、重要なことは、脱構築の複数性から思考のひとつ以上の方向づけを保持することである。



亀井氏は、ナンシーのデリダ論「省略的意味〔Sense elliptique〕」に言及し、Ellipseという語の二重の意味(「省略」「楕円」)を指摘。「楕円」は、完全に閉じた円ではなく、カーブが反れることで、線が出発点に戻ることなく、閉じることのない円であり、「楕円」こそが差延の運動である。形状上学の円環が中心をもち、内部と外部を峻別する閉域であるならば、楕円は脱中心的で、内外の境界を攪乱する幾何学的形象である。円環と楕円を同時に思考するアポリアこそがデリダの脱構築であるが、後期デリダは思考不可能なものの到来に力点を置き、むしろ楕円の思考の方に向かったのではないか。この後期デリダとナンシーの「他なる思考」を接近させることはできるのではないか。


(左から亀井、松葉、加藤氏)

加藤氏は、デリダとナンシーの思想をアポリアとリミットとして区別しつつ弁証法的媒介との比較を試みた。実際、ナンシーは行き場のない状態を意味するアポリアよりも、此岸と彼岸を含意するリミットを選好する。ナンシーにとって、他者とは絶対的に分離された大文字の他者ではありえず、あるリミット上で個々の他者に「直に接して」(接触して)いる。こうした他者との媒介に関して、ヘーゲル的弁証法の解釈や立場はデリダとナンシーの脱構築の特徴になっている。

松葉氏は、共同体概念をめぐってデリダとナンシーの思想を比較。ナンシーは「共同体」や「共存在」に関する考察を続けてきた。デリダは共同体概念には懐疑的で、何らかの共同性=共通性を前提とした合一と排除の論理に敏感だった。ブランショやナンシーの共同体論に対しても、『友愛のポリティックス』では「いっさいの共同性を前提とせず、なお共同性を求める呼びかけ」として留保をつけた。ただデリダは共同体概念を拒絶したわけではなく、「国際作家会議」などの実践ではインターナショナルという呼称である種の共同体を別の仕方で実践してきた。共同体の思考がますます緊急のものとなっている今日、ナンシーやデリダの共同体をいかに実現することができるのだろうか。

ジャックとジャン=ジャック(デリダとルソー)(早稲田大学)

ジャックとジャン=ジャック(デリダとルソー)(早稲田大学)


2012年8月2日、早稲田大学(戸山キャンパス)にて、ジゼル・ベルクマン氏の講演会「ジャックとジャン=ジャック(デリダとルソー)」がおこなわれた。討論者として、藤本一勇(早稲田大学)、西山雄二(首都大学東京)が登壇した(約75名参加)。デリダは初期の『グラマトロジーについて』から晩年の『パピエ・マシン』に至るまでルソーに言及し続けた。デリダがいかにルソーを重視したのか、両者の複雑だが重要な関係について簡潔な見取り図が描き出された。



冒頭でベルクマンは、デリダにとって少なくとも二人のルソーがいると指摘。『割礼告白』『パピエ・マシン』などにおける親密なルソーと、『グラマトロジーについて』第二部で分析された、現前の形而上学の歴史に微妙な仕方で参与するルソーである。では、二人のルソーはもともと一人なのだろうか。一つの「同じ」哲学上の関心事が、一体をなす二つの射程において二重化されているのだろうか。『グラマトロジー』において、デリダはルソーの「奇妙な統一性」という表現を用いているが、この二人のルソーは統合された形象をもたないのだろう。「〔ルソーは〕現前の再構成を目指して、エクリチュールを価値づけると同時に失格させる。「同時に」というのは、分裂してはいるが首尾一貫した運動のなかにおいて、ということだ。この運動の奇妙な統一性を見失わないようにしなければならない。」



となると、「一人のルソー」に統合されえない「二人のルソー」のあいだで、「少なくとも三人以上のルソー」の場が見いだされるのだろう。ベルクマンは明快な系譜学的図式を提示し、啓蒙と現象学の等距離においてデリダの思想を位置づける。『グラマトロジー』でのルソーよりも以前に、フッサール現象学の批判的考察以来、デリダにはある種のルソー的なモティーフ(根源の代補)がすでに登場していた。ルソーやコンディヤックとともに、デリダは「フランス啓蒙思想における知られざる現象学的側面」を見ていたのだ。さらに、デリダはルソーとカントのあいだで、フランス啓蒙主義とドイツ啓蒙主義のあいだで移行しつつ思索を練り上げているところがある。ルソーは文学と哲学の連接そのものに依拠し続けて書き続けたが、この地点がデリダを魅了した。概念と虚構、論考と小説、真実と嘘のあいだの驚くべき不可分をよりよく感知しつつルソーを読むこと、ルソーを書くことが肝要である。



そして、デリダには政治的なルソーへの言及がある。『ならず者たち』では『社会契約論』の著名な文、「この語を厳密に受け取るなら、真の民主主義はかつて存在したことがなかったし、これからも決して存在しないだろう」への注釈に充てられている。非現前性と批判性への依拠はデリダとルソー、脱構築と啓蒙が共有するものである。ルソーによる民主主義は不可能ゆえの必然として考えられなくてはならないが、これはデリダの「来たるべき民主主義」と完全には一致しない。まず、ルソーは「葛藤や良心の呵責がないわけではない仕方で」はあるが、死刑に賛成の立場をとる。また、ルソーは主権の不可分性に依拠するのに対して、デリダの脱構築は、無条件性と主権とのほとんど不可能だが不可欠の分離を要請し、〈一〉なる主権の分割可能性を探求する。



デリダは「少なくとも三人のルソー」に触発され、さまざまなテクストと表現を生み出したが、両者の絡み合いは友愛と負債による独異な承認を示している。哲学にも文学にも明瞭に区別しえない、複数のルソーとの絡み合いをデリダ思想のなかでいかに読み解くのかは、デリダの特異性を解き明かす重要な鍵なのである。



講演を受けて藤本氏は、デリダにおける二人のルソーという指摘があったが、デリダ自身も二人だったのではないか、と問うた。「人間の終焉」(『哲学の余白』)では脱構築の二つの戦略が提示されるが、そこには、現前の形而上学の仕掛けを用いてこれを内破しようとするハイデガー的なデリダと、形而上学の地平をずらして外へと抜け出そうとするニーチェ的なデリダがいる。いずれかを決断するのではなく、この双方を同時に思考しようとするアポリアが複数のデリダを生み出しているのだ。



この早稲田講演をもって、計六回の「ジゼル・ベルクマン祭」とでも呼べる一連の催事が終了した。1983年10月にデリダがひと月来日した際、東京、京都、東北で計5-6本ほどの催事をおこなった。今回のベルクマン祭はそれに匹敵する回数であるだろう。どの会場でも主催者や参加者のみなさんのおかげで充実した会となった。深く感謝申し上げる次第である。

ジゼル・べルクマン「日本での活動報告」

ジゼル・べルクマン「日本での活動報告」

(翻訳:寺本弘子)


I. 講演会要旨
首都大学東京の准教授・西山雄二氏の招聘により、2012年7月~8月の日程で日本で6つの講演会を行った。



1) 2012年7月18日、首都大学東京(TMU)にて、西山雄二氏の司会で、「“痛みと共に思考する”(日本のカタストロフィに関する若干の考察)」(講演会邦題「カタストロフィの思想」)という講演を行った。この最初の講演はカタストロフィの思想に捧げられた西山雄二氏のセミナーを締めくくるものであった。私はまず、日本のカタストロフィ(破局)の単独性についての考察、このカタストロフィが明らかにしたのが自然と技術の関係の配分のやり直しであるという考察から論を始めたが、この再配分が2011年3月11日の複数の(三つの)出来事〔地震・津波・原発事故〕の特徴付けそのものを一変させたのである。「カタストロフィ(破局)」と「災厄」という二つの用語の間での揺らぎは、私の考えでは、それ以降、われわれがあたかも時代の重大かつ危機的な転換期に入ってしまったかのようであることを示しているように思われる。この転換期のことを、今後出来る限り考察していくことがわれわれの役目である。この問題全体を集約すると、ハーバーマスを引用するならば、いかにして「これらのカタストロフィから教訓を引き出すか」、そして、そのために如何なる集団的行動を目指すべきか? この講演への質問や発言は数多く寄せられ、心を動かすものであったが、それらは以下の三つに関するものだった。すなわち、「われわれ」という語と3月11日のカタストロフィを目の当たりにして実現されるべき集団の意味について、「3.11」の出来事に直面した際の思想と哲学の力について、そしてこのような出来事の単独性を表現しうる詩学について、である。



2) 7月20日、東京大学(駒場)、共生のための国際哲学研究センター(UTCP)主催で、「バートルビー効果」という講演(講演会邦題「バートルビーと現代哲学」)を行った。小林康夫氏(司会)、郷原佳以氏(コメント)が参加。この講演のテーマは、2011年5月にエルマン出版から刊行された自著『バートルビー効果――読者としての哲学者』であり、この著作で私はブランショ、ドゥルーズからアガンベンに至る思想家たちが、かの有名なハーマン・メルヴィルの中篇小説『代書人バートルビー』に充てた哲学的注釈を検討した。私はこの本の主要な争点を説明したが、その問題点とは、「せずにすめばありがたいのですが」という例のバートルビーの決まり文句がこれらの哲学者たちに及ぼした魅惑から出発しての、文学が哲学に引き起こす効果と、私が「注釈の時代」と名指すもののありうべき完成についての考察である。文学と哲学との関係、本書の基礎となっているデリダとブランショの読解について質問が寄せられた。小林康夫氏による最後の発言は、メルヴィルの物語における触覚の重要性を思い出させるものであった。それは純粋な哲学には近づけない類の触覚であり、ただ「文学」だけに帰するべきものなのかもしれない。



3) 7月23日、東北大学(仙台)にて、寺本成彦氏の司会で「“痛みと共に思考する?”(日本のカタストロフィに関する若干の考察)」(講演会邦題「カタストロフィの思想」)という講演を行った。当初の講演の題名をわずかに変更して、モーリス・ブランショの『災厄のエクリチュール』中の「痛みとともに思考することを学べ」に由来する言い回しに疑問符をつけることによって、私はこの講演が7月18日の講演内容をただ単に繰り返すことはできないということをはっきりと示そうとした。実際、18日とこの日の講演との間に、寺本夫妻の案内で東北の被災地を訪問したことで、津波で被害を受けた地区(名取市、南三陸町、石巻市)を視察し、「福島」という名前だけでは喚起されえないカタストロフィの複雑な側面を考慮に入れることができていた。
 講演会での数多くの発言は心を動かされるものであった。最初の発言は、「3.11」の出来事の把握が必然的に一面的で事後的にならざるを得ないという点において、日本と外国の間には亀裂があるというものだった。講演会に参加した仙台市民からの発言もあった。「カタストロフィをどのように考えられますか。あんなことが起こるなんてそもそもありえるのでしょうか」と被災住民の女性は自問した。仙台のある男性は力強く、南三陸町に可動式の水処理装置を二台、支援物資として送ってくれた「ヴェオリア環境財団」に感謝の意を表するという発言をした。その他には、「絆」(つながり、共感)という概念とその概念の普遍的な次元についての発言があった。講演会の締めくくりとなる東北大学国際文化研究科長〔小林文生氏〕の挨拶で、私が講演で強調した「思考されざるもの」という概念が重要な言葉として取り上げられた。



4) 7月25日、一橋大学にて、鵜飼哲氏の司会で「私たちの思考を妨げるもの」という講演を行った。この4回目の講演会では、私の次著の論点について発表した。それは、現在、私が国際哲学コレージュで担当しているセミナーから導き出したものである。セミナーでは、今日のフランスで、人文諸科学が置かれている状況のことであれ、あるいは単に今日、児童や生徒、大学生が複雑な論理的思考を行うことが困難であることであれ、思考の活動がその信用失墜に苛まれていることの検討が問題とされた。私は、思考の活動がこのように不興を買っていることやその困難さの中に、我々が悩まされている「教養に対する居心地の悪さ」の現在の症状の数々を読み解くという選択をした。質問は、このような思考の規格化において経済と市場が果たす役割を問うものであった。思考の規格化にグローバリゼーションの痕跡を見るべきではないのか? 鵜飼哲氏の方は、私が講演で言及したデカルト的コギトへの批判を再び話題にして、そうした批判にデカルトがフランス国民と同一視された1970年代の思想状況からの方向転換を見て取ったのはきわめて正鵠を射ていた。



5) 7月27日、加國尚志氏の司会で、立命館大学(京都)にて「思考することを彼は何と呼ぶか? ジャン=リュック・ナンシーと脱構築」(講演会邦題「ジャック・デリダ/ジャン=リュック・ナンシー 脱構築は単数か、複数か」)という講演を行った。講演の内容はナンシーが実践している脱構築の単独性に関するものであり、ナンシーの脱構築をデリダのそれと比較することが問題であった。主要な手掛かりは両者が思考に賦与するステイタスの違いであり、思考はナンシーにおいてはつねに現前するが、デリダはしばしば思考を抹消し、省略するのである。講演に続いて、亀井氏、加藤氏、松葉氏がきわめて厳密な問いかけを行った。それは、デリダの思考の進展(「最後のデリダ」の思考はナンシーが「他なる思考」と呼ぶものと同一視できるのではないのか?)についての問いかけ、デリダとナンシーという二人の哲学者におけるヘーゲル弁証法の扱い方についての問いかけであり、さらには、共同体を否認しているデリダに対してナンシーの立場は異なるということについての質問であった。



6) 8月2日、早稲田大学にて、「ジャン=ジャックの読者ジャックあるいはデリダの“ルソー”」(講演会邦題「ジャックとジャン=ジャック(デリダとルソー)」という講演を行っい、藤本一勇氏が司会として参加した。この最後の講演で、私はジャック・デリダが彼の全著作を通してジャン=ジャック・ルソーと保った特権的な関係を検討した。デリダが好んで使う「一つ以上の」という文彩から出発して、デリダに見られるルソー像の多数性について問いを発したのち、「最後のデリダ」が、民主主義であれ死刑制度であれ、ルソー的政治との間に維持した非常に興味を引く複雑な関係を検討した。
 この講演の後、藤本一勇氏はデリダもまた「一つ以上」の存在である(複数のデリダがいる)という正当な指摘をし、デリダとルソーにおける文学と哲学との関係について質問した。他に、デリダと啓蒙主義との関係についての質問も出た。鵜飼哲氏もこの講演会に出席し、デリダにおける無条件性と『社会契約論』における大文字の(絶対的な)立法者像との間の対立を再び取り上げた。

II. 日本の大学における文学・哲学教育についての所見

 今回の日本旅行と講演会開催に際して、私は格別な対応と歓待を受けた。この機会に、訪問先の全大学で、フランス哲学がどれほどの重要性を有しているかを見て取ることができた。ジャック・デリダの思想とジャン=リュック・ナンシーの思想との関係、デリダとルソーの関係、文学と哲学との関係についてなど、私に向けられた質問はいずれも非常に鋭いものであり、講演での私の発言を研究対象にまでさかのぼって相当研究したことをうかがわせるものであった。
 他方、学生たちは非常に熱心に講演会に参加してくれ、頻繁にきわめて実りの多いやり取りができた。参加学生たちは、サルトルやメルロ=ポンティーであれ、ルソーや啓蒙主義であれ、フランスの哲学や文学にしばしば非常に通じており、多くの質問をしてくれた。また、アカデミックな知識の伝授に限られないある種の人間関係が、大学教師と学生との間に保たれていることも、はっきりと感じ取ることができた。



 最後になったが、私の講演の招聘者である西山雄二氏は媒介者というきわめて重要な役を果たし、私の発言の中でフランスの国内事情という文脈にいささか限定されすぎている部分をすべて、学生たちのためにわかりやすく説明してくれた。私はここで、日仏両国の言語や思想を媒介してくれた彼の傑出した仕事を讃えたい。
 今回開催された6回の講演会を通じて、日本の受け入れ先の人々がいかに寛大であり知的であるのか、また訪問先の各大学ではいかに優秀で水準の高い教育が行われているのかを判断することができた。この機会に結ばれた関係が、今後フランスと日本との共同で行われる交流および出版事業の際にも継続されることを切に望むものである。