2014年2ロンドン大学東洋アフリカ学院

大学の教育現場で批判的思考を醸成するために(2014年2月、ロンドン大学東洋アフリカ学院)


2014年2月、首都大学東京の主催でロンドン大学ロンドン大学東洋アフリカ学院(the School of Oriental and African Studies, 通称 SOAS)にて英語研修に5日間参加した。英語での教授法を習得する実践的研修で、専門分野の異なる教員9名が肌寒い雨模様のロンドンの街で共に学んだ。




(有名パブ・The Cittie of Yorke. 500年以上の歴史を誇るパブで、何度も改築改装された建築様式は圧巻。)

1916年に創立されたSOASは、イギリスの高等教育機関の中で唯一、アジア・アフリカ・中近東研究を専門とする機関。約4000人の学生数で、その40%を多様な国からの留学生が占めており、留学生向け英語コースなどのサポートが充実している。大英博物館裏手にあるロンドン大学連合の建物の一角をSOASは占めており、法学・社会科学部、人文・芸術学部、言語・文化学部の三学部によって、学部課程、修士課程、研究課程で幅広いコースを開講している。
日本語版HP= http://www.soas-uol.jp/






(毎日昼時になると、慈善活動家によって無料で昼食が200人分ほど配布される)

今回のSOAS研修では、以下のような主題に即して実践的研修を受けた。
・日本とイギリスでの大学教育の相違点の確認:「教員の話を遮るのは失礼か否か」「教員は冗談で教室を和ませるべきかどうか」「教員は一方的に講義をするだけか、学生を講義に参加させるべきか」「教育法の相違は文化的相違とどの程度連関しているのか」といった相違点について議論した。
・クリティカル・シンキングの効果的な導入:情報を一方向的に伝達するのではなく、教育に批判的思考を取り入れることは重要。学生に異なる視点から既存の知への懐疑をうながす手法は有効だろう。
・セミナーとレクチャーの理念と現実、課題の理解:参加人数、到達目標、教室の形態などによって両者は異なる。セミナーとレクチャーの語源はそれぞれ「種semen」と「読むことlegere」。思考の種が自発的・積極的に育っていく苗床がセミナーであるならば、往々にして受動的・非自発的な形式とみなされるレクチャーの効用は何だろうか。さまざまな学問分野の知見に即して世界を読み解く術を学ぶ場がレクチャーだろう。
・プレゼンテーションの言語表現の類型的実習:「論点の導入」「議論の枠組みの提示」「新しい段階への合図」「視覚的資料への参照」「結論」といった類型の理解。
・議論の類型論:堂々巡りの同語反復的な「循環的議論」、あるひとつの要素や前提へと複雑な議論を還元する「単純化」ないしは「還元主義」、既存の状況から解答を宿命的に規定する「決定論」、先入見を介した「バイアス」、終局の目的という視点から議論を先取りする「目的論」、作品の成否ではなく作者の人柄に矛先を向ける「人格批判」といった分類。
・賛成意見と反対意見による討論方法の実習:「少数派言語の消滅は不可避か。阻止するための対策は必要か、必要でないか」という論点をめぐる討論。個々人の見解を直接表現するのではなく、参考テクストが配布されて、その情報や主張を用いた意見表明をおこなう手法。
・教育活動の指向性の確認:クイズによって、自分の教育への指向性を視覚型、聴覚型、動体型として認識した。ただ、ほとんどの教員は視覚型に偏るという。


(学生らが集い談笑するコモンルーム。各サークルによる物品販売や活動紹介のブースもここに出る。壁は彩色でヒッピー風にデザインされ、DJブースからワールドミュージックが絶えず流される。ビリヤードやパブのエリアもあり、生ビールなども飲める。学生らの活発な交流をうながし、大学を活性化するためには、教育研究活動の余白としてこうした雑多な空間が必要。)




聴講の時間も設定され、VasosPavilika氏の数学、Kevin Manton氏の世界史、Gerard Gunnning氏の世界文学を聴講する機会に恵まれた。レクチャーとセミナー、チュートリアルの形式があるが、どれも学生が主体的・自発的に授業に参加することが必須条件となっていた。レクチャーはたしかに一方的に教員が話し続けるが、授業前に宿題が課せられているため、学生は事前に自分なりの課題や問いを見つけていることが想定されている。



最終日には、各人によるミニ講義と合評会が実施された。全般的な講評は主に以下の通り。
・パワーポイントに依存しすぎた発表が多く、投影された文章を読み上げる割合が多すぎる。パワーポイントはあくまでも補助資料であって、基本的に話者が中心になるべきである。
・質問の抽象性と専門性のバランスをいかにとるかが重要である。教員からの質問はあまり抽象的・一般的すぎてもいけないし、過度に専門的・特殊的でもいけない。
・間投詞で「えーと」「あのー」「うーん」などの日本語を用いると非日本語使用者にはノイズに聞こえる。間投詞も英語で発する習慣をつけるべきである。

5日間の短い研修だったが、英語での教授法や授業デザインに関して有益な経験をもつことができた。日本とイギリスでは、大学の教育をめぐる社会的・歴史的背景が異なるのですべての技法をそのまま適用するわけにはいかないが、具体的な構想を参加者各人が抱く良い機会になった。学部が異なると教員間の交流はないので、今回のような合宿的海外研修は教員同士の交流が図られる貴重な経験でもあった。欲を言えば、5日間では本当に導入的な研修にとどまるので、最低でも一ヶ月ほどの期間で研修を受けられると効果的だろう。




(最終日のティーパーティーにて)

滞在中、2月5日は地下鉄のストライキがあり、6日には高等教育のストが実施された。後者は大学組合(UCU)、公共サーヴィス組合(UNISON)、スコットランド教育団体(EIS)による全国的なストで、雨が降りしきるなか、ロンドン大学の校舎前にもピケが張られていた。




(本校舎前でピケを張る教員・学生ら)


インフレ上昇が続くなか、大学教職員の給与は据え置かれている。2009年から5年分を推計すると13%の賃金カットになり、今年こそは物価上昇に見合った賃上げを、と要求されていた。学生らも教員の大義に反応してピケに参加していたのが印象的で、彼らも奨学金の民営化問題に抗議していた。私たちは英語研修でクリティカル・シンキングの重要性を学んだ。大学教育において批判の芽を育てるためには、それと呼応して、そもそも、社会のなかに批判的な思考と実践を受け入れるゆとりがなければならない。高等教育の問題のために教職員と学生が大学校舎を封鎖した社会的現象と、教育現場でクリティカル・シンキングを醸成する潜在的可能性はどこかでかならず通底しているのである。


(ヒュースロー空港のハロッズ店舗前にいた大きな熊ハロッズ=40万円なり。きみにまた会えるといいな。)