2013年6月 スウェーデン・ストックホルム

スウェーデン王立科学アカデミー

スウェーデン王立科学アカデミー



水の都ストックホルムは「北欧のヴェネツィア」とも形容される、水の上に浮いているような都市。中世時代、戦闘に備えて、島を囲むように丸太の柵が巡らされていたために「丸太の小島(ストックホルム)」と呼ばれる。


今回訪問したスウェーデン王立科学アカデミーは、政治的・財政的に独立した非政府組織である。その憲章の冒頭で明記されているように、その目的は「学術の振興とその社会的影響を促進すること」である。高度な学術研究を促進しつつ、グローバルな諸問題との関係において学術の社会的活動を支援している。アカデミー会員は450名で、外国人会員を175名擁している点は特徴的である。会員所属は数学、天文学と宇宙科学、物理学、化学、地理学、生命科学、医学、工学、社会科学、人文学といった分野に分かれている。



スウェーデン王立科学アカデミーは、フレドリク1世の発意によって、植物学者カール・リンネ(上記肖像。彼は若干32歳で選出)ら数名の尽力で1739年に創設された。ペストの猛威や大北方戦争によって難局にあったスウェーデンの国力を再建するために、農学、林学、鉱山学の分野で実践的な研究成果をあげることが主要な目的である。1820年代、アカデミーは化学者Jons JacobBerzeliusによってその体制が改編され、現在の運営体制となった。これまで1600名のスウェーデン人会員、1200名の外国人会員がアカデミーで活動してきた。

1739年の国王による設置認可状

1739年の創設以来、Proceedingsが刊行され続けてきた。植物を植えるために土を掘る老人の姿が表紙に使用される。

学術研究を促進するためにセミナーや講演会を開催し、出版物を刊行する点は各国のアカデミーに共通だろう。スウェーデン・アカデミーの例外性はノーベル賞の選出の責任を負う点にある。物理学賞、化学賞、経済学賞の選考委員会が創設され、アカデミーはその国際的なネットワークを通じて、人類社会に貢献する卓越する研究者や研究機関を網羅的に調査する。

スウェーデン若手アカデミーは王立科学アカデミーの主導のもとで2011年5月に創設された。象徴的な開会式では親アカデミーが植物の種に水を注いで、若手研究者に手渡された。




若手アカデミーの目的は、学際的な学術交流を促進すること、科学政策のプラットフォームの役割を担うこと、高度な学術成果を社会へと発信すること、国際的な交流を拡充することである.一見すると親アカデミーと似通った目的だが、若手は親アカデミーとは異なる独自の仕方で活動を展開することが求められる。22名から出発した若手アカデミーは、40名にまで増員された。若手の定義は博士号を取得してから10年とされており、会員の任期は5年、平均年齢は38歳である。

なお、スウェーデン・アカデミー(Svenska Akademien)は少し後、1786年に設立された。スウェーデンに「啓蒙の時代」をもたらしたグスタフ3世は、フランス文化の愛好者であったため(ルソーやヴォルテールとも交流)、フランス学士院をモデルに設立したという。スウェーデン・アカデミーはノーベル文学賞の選考委員会をも兼ねている。

スウェーデン・日本若手アカデミー合同会議

スウェーデン・日本若手アカデミー合同会議



2013年6月12−13日、日本若手アカデミーはスウェーデン若手アカデミーとの国際連携を強化し、若手研究者のネットワークを構築するために合同会議をおこなった。


12日午前、カロリンスカ研究所(Karolinska Institute. 別名・カロリンスカ医科大学)のSciLifeLabにて現場視察をおこなった。カロリンスカ研究所は教育活動も備え、病院も併設する、医学系の単科教育研究機関としては世界最大の機関である。ノーベル賞の生理学医学部門の選考委員会もカロリンスカに設置される。Erik Lindahl氏のコーディネイトによって、生命科学研究グループの研究成果の報告を受けた。



お昼を挟んで、午後は王立技術学校(Royal School of Technology, Centrum för Autonoma System)を訪問し、ロボット工学の研究成果をみせていただいた。




夕方、ノーベル博物館を館員のガイド付きで見学させていただいた。地下の収蔵庫には、選考の際に集められた資料が保管されており、川端や大江の著作もあった。




(受賞者はカフェの椅子の裏側にサインをする。)

翌13日、ストックホルム大学に近接する王立科学アカデミーの施設にて合同会議がおこなわれた。まず施設内をみせていただき、ノーベル賞の選考委員会にも使用される会場をガイド付きで見学した。歴代のアカデミー局長の肖像が並ぶ壮麗な部屋は圧巻だった。







会議では、日瑞双方からひとつづつ研究発表がおこなわれた。私は、発表「カタストロフィを前にした人文学の誠実さ」をおこなった。3.11に対して哲学や文学は何をなしうるのかについて、アルベール・カミュや大江健三郎(二人ともノーベル文学賞受賞者)を引用し、出席していた3名の若手研究者にも証言やコメントを依頼した。予測不能な大規模災害や原発のような科学技術に対する科学者の責任を刺激的かつラディカルな仕方で提示したつもりだった。ただ、スウェーデン側の応答はなく、司会者が乾いた口調で「Interesting(興味深いですね)」と儀礼的な言葉を発し、休憩時間に「今度、オーストリアでカタストロフィの
シンポジウムがあるようだね」と情報提供を受けただけでやや落胆させられた。





その後、グループ・ディスカッションを4つに分かれて実施。「キャリア・トラックと研究生活(ジェンダー)」「各国の若手アカデミーの将来、国際的・国内的な活動や連携」「科学技術政策――政策の決定や議論における科学」「学際性をいかに機能させるか」という主題で話が弾んだ。




短期間の滞在だったが、視察からはさまざまな学術的・文化的刺激を受け、日本・スウェーデンの若手の連携に向けて、一気に交流が進んだことは有益だった。今回の出張に尽力していてだいた日本学術振興会には心より感謝申し上げる次第である。