2011年3月 フランス(パリ)

フランス滞在(1) ― ボルドー第3大学視察

フランス滞在(1) ― ボルドー第3大学視察(2011.03.23)


東北大震災の後、福島原発の事故が心配されるなか、悩んだ挙句、3月19日深夜、予定通りフランス出張に旅立った。今回の目的は、パリ・国際哲学コレージュでの二回のセミナー開催、ボルドー第三大学の視察、研究者との研究交流などである。国際ゼミ合宿の名目で、希望する学生4名が同行し、セミナーに参加することになっている。



パリのモンパルナス駅から南に下り、ボルドーまではTGVで3時間ほど。ガロンヌ河が流れ、大西洋にも近いボルドーはローマ時代から中継貿易都市として栄えてきた。温暖な気候と湿気を含んだ土壌はワイン栽培に最適で、ボルドー・ワインの優美な味は世界中を魅了し続けている。ガロンヌ河が三日月状の形をしているため、ボルドー市は「月の都」と呼称される。



ローマ時代の名残を残す石畳の道は現在、目貫通りになっていて、主要なブッティクやレストラン、カフェが並ぶ。中心市街地は適度な大きさで、1時間あれば無理なく散策できるほど。路面電車がのんびりと街中を駆け抜けるが、そのゆったりした姿もまたボルドー市の景観の一部だ。パリと比べてフランスの地方は物価が安く、実に美味しい食事を楽しむことができる。


(定番料理「鴨のコンフィConfit de canard」。塩漬けにした鴨肉をたっぷりの油で時間をかけてじっくりと低温で揚げ、最後に強火で皮をパリッと焼いた料理。)

友人のエディー・デュフモン准教授の案内でボルドー第三大学を視察し、図書館、食堂、日本語学科事務室、付属語学学校などを見学した。郊外にあるキャンパスは路面電車の5-6駅に及ぶ広大さで、パリの大学とは異なり、緑の多いゆったりとした敷地が特徴的だった。

日本語学科の浅利誠先生、曻地崇明先生とアルゼンチン・レストランで夕食をとり、ボルドー第三大学の実情やフランスの大学制度について話をうかがった。日本語学科は英語、スペイン語に次いで人気があり、新入生が220名ほど登録するという。漫画やゲームなど、若者のオタク文化の影響だ。ただ、フランスの大学は評価が厳しいので、一年次を終了できるのは4割ほどで、卒業できるのは40名ほどだけだ。



ボルドーで身体一杯に浴びた心地よい太陽の光を後にして、TGVに乗って再びパリへ。車中で翌日の発表資料の準備。国際哲学コレージュでの初のセミナー開催へ。

フランス滞在(2)―「美しき街」にて

フランス滞在(2)―「美しき街」にて(2011.03.27)


「ベルヴィルBelleville(美しき街)」というフランス語の響きと意味とは少し異なり、この地区は移民が大半を占める騒々しい庶民的な区域だ。パリ20区の北東、メニルモンタンの丘のふもとにあるこの街にアパートを借りて滞在している。


(地下鉄駅前の中華料理屋。中国語では「美麗都」。)

20世紀初頭からベルヴィルは難を逃れた移民がやってくるアジール空間である。虐殺を逃れたロシアおよびポーランド系ユダヤ人、アルメニア人、トルコの支配から逃れたギリシア人、ナチスの迫害を逃れたドイツ系ユダヤ人、フランコ独裁政権から逃れたスペイン人……中国・ヴェトナム系の移民も含めて、ベルヴィルは雑多な雰囲気が漂う街区だ。


(フランスではローラー・スケートは一般的。ローラー・スケート愛好協会が企画する、集団街頭走行が度々実施される。警察官もスケート靴を履いて併走し、数百人が車道を走り抜けていった。)

パリではいつも魅力的な展示がいくつもおこなわれている。3月末現在で興味深いのは、まず、パリ市役所で開催されている「パリコミューン」展(5月28日まで)。1871年に民衆が蜂起して革命政府が誕生してから140年。200以上の版画、写真、ビラが展示され、革命政府の樹立から崩壊までが紹介されている。頓挫した革命を公的な施設で記念して展示するのは興味深い。



フランス国立図書館(ベルシー)では、「ガリマール、1911-2011年――出版社の一世紀」が展示されている(7月3日まで)。ガリマール出版社はフランスを代表する世界的な出版社で、20世紀の出版史の核をなすだろう。ジッド、プルースト、アラゴン、ブルトン、マルロー、ジョイス、フォークナー、サン=テグジュペリ、サルトル、カミュ、デュラス、三島、ル・クレジオ、クンデラ……ガリマール出版社の出版カタログはそのまま20世紀文学史と言えるほど。

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(査読委員会による評価資料〔右〕。ジャン・ポーランがブランショ『謎の男トマ』を査読した結果報告。「サルトルの『嘔吐』を想起させる。それほど多くの読者は望めないだろうが、出版するべき」)

そもそも『新フランス評論(NRF)』誌の刊行から始まり、雑誌出版からガリマール出版が生まれ、20年代にフランスの主要な出版社となる。戦争期には文化占領の一環としてナチスに主導権を握られもした。戦後は、プレイヤード叢書、フォリオ文庫、子供向け書籍、人文科学叢書など画期的なシリーズを刊行し続けてきた。今回の展示では、ガリマールお馴染みの装丁の朱色の壁が設えられ、著名な作者の草稿やガリマール社宛の書簡が並び、ヴィデオ映像が投射されている。


(カルチエラタンを歩いていると道路が封鎖されて、延焼したバスの周りに消防車と警察が多数。「もしかして、テロ?」と咥え煙草の青年に聞く。「まさか! たまたまタイヤから出火したらしいよ。」)



フランスでは、古くからある教会でコンサートが頻繁に開催される。主にクラッシックが演じられ、厳粛な空間に音が響き渡る様子は圧倒的だ。「パリの宝石」とも呼称される壮美なステンドグラスに囲まれたサント=シャペル教会で、ヴィヴァルディの「四季」を聴いた。弦楽団によるかなり自由な解釈の演奏で、ロックのライブをも思わせる激しいパフォーマンスは刺激的だった。明日、三月の最終日曜日にフランスはサマータイムに移行し、日没が劇的に遅くなる。

フランス滞在(3)-国際哲学コレージュ・セミナー

フランス滞在(3)-国際哲学コレージュ・セミナー(2011.03.24)


2011年3月24日および28日、パリ批評研究センターにて、国際哲学コレージュのセミナー「哲学の(非)理性的建築としての大学」が開催された。昨年、ディレクターに選出されてから初のセミナーで、初回は40名ほど、2回目は15名ほどの聴衆が集まった。



冒頭で、国際哲学コレージュと日本の関わりに言及した。1983年10月にコレージュが創設された直後に、デリダは日本を訪問した。彼は中村雄二郎氏に依頼し、翌11月に彼の講演「『場所の論理』と共通感覚」が実現した。初の海外研究者の催事にもかかわらず、会場にコレージュ関係者はほとんどおらず、デリダはとても失望したという。今期のディレクター構成は外国人13人中、アジア人は私一人だけで、西欧のディレクターばかりだ。私としては、東アジアへとコレージュの活動を展開させたいと考えている。

初回のセミナーでは、90年代以降の日本の大学の現状を説明した上で、近年の自分の活動を紹介し、最後に今後の研究計画の展望を概観した。



これまで30分程度のフランス語の発表は何度も経験してきたが、今回、フランス語で二時間のセミナーを担当するのは初めて。日本の大学では90分なのに、不自由なフランス語で二時間も話し続けることなどできるのだろうか、と思っていた。幸い二時間話し続けることはできたが、その内実は決して満足できるものではない。時間が経つにつれて、精神的・体力的に余裕がなくなり、勢いが衰えていった。来年度のセミナーに向けて大いに改善するべき課題である。



28日は藤田尚志(九州産業大学)氏を招いて、発表「条件付きの大学」をしてもらった。藤田氏は巧みなフランス語でフランスの大学についての制度的考察をおこない、デリダ『条件なき大学』への批判的コメントを寄せた。藤田氏の余裕のある話し方とその充実した議論からは大いに学ぶことがあった。あらためて感謝申し上げる次第である。

フランス滞在(4)―緩やかな時空間において人が集まるということ

フランス滞在(4)―緩やかな時空間において人が集まるということ(2011.03.29)


「フランスとは大きく異なり、日本には広場がない」――2月に対談した池澤夏樹さんの印象的な言葉だ。フランスではいたるところに広場や教会があり、即席の市場を設けるために歩道は広い。人々が集い、言葉を交わし、日常とは異なる緩やかな時間が流れる空間がある。公共性の充実とは、社会のなかでそうした時空間が残されていることを言うのだろう。




今回の滞在で印象的だったのは、パリ市役所前の広場で市役所の警備員たちがデモをおこなっている場面だ。改革によって、警備員の待遇(給与減額、有給休暇の日数削減など)が改悪されるという。このことに抗議して、市議会が開催されている時間にデモをしている。デモと言っても、勇ましい戦闘的な雰囲気はない。ただ、警備員が一堂に会して、おしゃべりをしているばかりで、時折「ピー!ピー!ピー!」と仕事道具の笛を鳴らして気勢を上げる。非常に緩やかなデモである。また、警備員がデモをしているあいだ、市役所の警備はなく、警察が代わりに警備にあたっていた点はユーモラスだった。




(デモは数時間続くのでお腹が減る。労働組合が即席の店を出し、コーヒーやサンドイッチを安価でふるまっていた。)

フランスには日本のような居酒屋はない。気心の知れた仲間と安価で歓談するためにフランス人は誰かの家に集まることが多い。いわゆる、fête(フェット)だ。Fêteには「祝日、パーティー、楽しみ、陽気さ」という意味がある。今回も滞在先のアパートに日本人留学生を招待し、14人ほどでフェットをおこなった。どうでもいい話題から最先端の研究動向まで話は多岐に及ぶ。ただ、こうした緩やかな交流こそが学びの場となり、研究活動の思わぬ糧になるのだ。


(アパートでのフェット)

(日本人・韓国人留学生の懇親会)

社会の緩やかな空間で人が集まって、穏やかな時間を過ごすこと――「フランスとは大きく異なり、日本には広場がない」という言葉の重さを再確認した。