2009年1月 フランス(パリ)

国際シンポジウム「外の形象―ジャン=リュック・ナンシーをめぐって」

国際シンポジウム「外の形象―ジャン=リュック・ナンシーをめぐって」(2009.01.22-24)


2009年1月22-24日、国際哲学コレージュとパリ第4大学(ソルボンヌ)の主催で国際シンポジウム「外の形象―ジャン=リュック・ナンシーをめぐって〔Figures du dehors – autour de Jean-Luc Nancy〕」がパリで開催された(主催責任者:ダニエル=コーエン・レヴィナス、ジゼール・ベルクマン)。連日100人以上の聴衆が詰めかける盛会となった。以下、最終日24日に参加した限りでの報告を記しておく。


(先週までの極寒状態が緩和され、東京と同じくらいの気温のパリ。市内中心部にあるノートル・ダム大聖堂前にはクリスマス・ツリーがまだ置かれていた。)

ジャン=リュック・ナンシー(1940年生)は、デリダの脱構築思想を継承しつつ、共同性やキリスト教の問題をめぐって独自の思考を展開することで知られる哲学者である。ストラスブール大学で朋友ラクー=ラバルトとともに長年教鞭を執っており(現在は同大学名誉教授)、これまで大小合わせて70冊以上の著作を精力的に刊行している。共同体論3部作『無為の共同体』『共出現』『単数にして複数の存在』を初めとして、ヘーゲル論『思弁的注釈』『ヘーゲル』、カント論『定言命法』、ラカン論『文字の審級』といった思想家論、『イメージの奥底で』『肖像の眼差し』といった哲学的美術論、キリスト教の哲学的考察『神的な様々の場』『訪問』『我に触れるな』『脱閉域―キリスト教の脱構築』など、多領域に渡る彼の著作は世界中で翻訳され、日本語訳も20冊以上を数える。


(前回2002年のシンポジウム「あらゆる方向の意味」でのデリダとナンシーによる討論)

ナンシーの仕事をめぐるシンポジウム「あらゆる方向の意味」は2002年にパリで開催されており、このときはデリダやマラブーなどが討議を繰り広げた(記録集Sens en tous sens: autour des travaux de Jean-Luc Nancy, Galilée, 2004)。二回目の今回は主に中堅・若手研究者を中心にプログラムが組まれ、「政治とその他者」「世界の意味と創造」「複数の脱構築」という各日の総題のもとで、フランス、イタリア、イギリス、ドイツ、カナダ、ブルガリア、フィンランド、インド、日本などから40名ほどが登壇した。会場の誰もが3日間驚嘆したのだが、ナンシーは各発表の後に精力的に誠実なコメントを加え、時には発表時間と同じくらいの時間、並外れた熱意でもってその都度応答を続けたのだった。

「キリスト教の脱構築」をめぐって

三日目「複数の脱構築」では、ナンシーが90年代半ばから着手している「キリスト教の脱構築」に関する発表が並んだ。この研究作業は第一巻『脱閉域』が出版されたのみで、その後の刊行は未定である。「キリスト教の脱構築」の今後の方向性をめぐって発表者は議論を展開し、ナンシーが共に苦悩する場面もみられた。以下、いくつかの問いと論点をあえて雑多な仕方で列挙しておく。


(ナンシーの両側に主催責任者のダニエル=コーエン・レヴィナス〔左〕とジゼール・ベルクマン〔右〕)

『脱閉域』においては、キリスト教、一神教、西洋が並置されて検討されているが、むしろそれらの差異を明確にしつつ、イスラーム教の存在も考慮するべきではないか。「キリスト教の脱構築」はキリスト教の伝統的な教義に立ち返るのではなく、歴史的にみて、現在の私たちの世界がキリスト教の自己変容の運動によってどの程度まで規定されているのかを検証するものである。「キリスト教の脱構築」は有神論にも無神論にも与することのないラディカルな検討作業であり、それゆえ「人間の脱構築」とも不可分である。キリスト教がメシアがすでに到来したことを所与とする一神教である以上、「キリスト教の脱構築」には、ベンヤミン、デリダ、アガンベンが言うような「メシア的なもの」の場所はないのか。あるいは、あらゆる未来をつねにすでに内包するキリスト教に「メシア的なもの」が到来するとすれば、それはいかなる類の「別の未来」なのか。「キリスト教の脱構築」は政治的な領域にも関わり、ルソーの「市民宗教」を原型として、国家と教会の分離、つまり、世俗化の問いを再規定する作業をも含む(ナンシーは著作のなかで「世俗化」研究の権威ジャン・ボベロ氏を引用している)。デリダとナンシーはともに脱構築を援用し多くを共有するのだが、両者は各自の使用言語において、「脱構築しえないものとは何か」をめぐって異なる様相を呈する……。

ヘーゲルとナンシーのキリスト論



私の発表「ジャン=リュック・ナンシーのキリスト論」(『水声通信』第10号所収の拙論に加筆修正)は、ナンシーによる「キリスト教の脱構築」とヘーゲル的な弁証法の差異を受肉・受難・復活をめぐるキリスト論解釈を通じて問うものだった。5世紀のカルケドン公会議信条によれば、キリストは神性と人性を兼ね備えた同質同体の存在であり、磔刑の受難ではその人性が否定されることで神性が復活する。ヘーゲルはこうした二元論解釈を弁証法的に解釈し直し、むしろイエスは神性と人性との引き裂かれ苦悩するがゆえに、復活を遂げるとする。神は抽象的を否定してイエスという具体的存在として顕現し、さらにこの具体性を否定するというように、受肉・受難・復活が弁証法的に把握されるのである(「神の死の死」)。ナンシーは復活をめぐって、キリストがその身体の統一を回復し、自己回帰を遂げるのではなく、むしろ他者への接触や呼びかけに曝される点を強調する。自己から出発間際にある復活の身体は自己と他者の分割線を問いに付すのである。発表ではナンシー自身が心臓移植を経て「復活」を遂げた哲学者であることも強調しつつ、心臓/核心(cœur)、律動や鼓動といった語彙を散りばめて聴衆の聴覚-視覚イメージに訴えるように配慮した。

ナンシーは、キリスト教に関する彼の経歴を詳細に紹介した個所を「警察官による身元調書」と呼称して会場を和ませつつ応答を加えた――「キリスト教の脱構築」とヘーゲル的な弁証法の関係の問いは本質的な問いだ。とりわけ啓示宗教の問いは重要で、啓示宗教は啓示可能なものの同語反復的な構造を前提とする。つまり、神が自らを顕現し宣言するのだ。ヘーゲルにおいて、キリストの形象は弁証法にとって代わられるわけではない。ヘーゲルは『精神現象学』の末尾でシラーの詩を修正を加えて引用し、暴力的な仕方で「絶対知」の論述を中断する。これは弁証法的な移行ではなく、キリストにおける宗教から哲学への移行の自己宣言的な中断ではないだろうか。

 

私は、ナンシーが心臓移植手術を受ける前日に朋友デリダが電話で語った言葉「心配しないで、僕は君と共に目を覚ますから〔Ne t’inquiète pas, je me réveillerai avec toi.〕」を引用した。この場合、「君と共に」はまず、手術の成功を祈る友から送られた友愛の約束の時間を示す。また、ナンシーからすれば、「君と共に」は見知らぬ誰かの心臓が移植されることで延命するという新たな時間性の贈与を意味する。「君と共に」は彼らの友愛の時間を共鳴させ、新たな生の贈与を行為遂行的に告知するのだ。ナンシーはこれはたしかに実話であると断って、さらに告白を続けた。実は、デリダもまた、最晩年に手術を受ける時に、私と妻に同じ言葉をかけてほしいと頼んできた。ストラスブールからパリの病院に駆けつけた私に、「目を覚まして、僕と共に〔Réveillez-vous avec moi〕」と言ってほしい、と。ナンシーの証言に会場全体が一瞬、感慨深げな深い沈黙に包まれた。

固有名と思想、場と思想

哲学思想の領域では固有名が大きな役割を果たすことが少なくない。例えば、ドゥルーズやブルデュー、サイード、デリダが亡くなった後でどんなビッグネームの思想家が今後登場するのか、とつい期待してしまうことがある。哲学思想「業界」において流派や派閥が構成されるなかで象徴的な父の存在が必要とされるため、時局に応じて社会的発言や行動をおこなう「知識人」が求められるため、あるいは、人文書出版が活性化するための市場論理という点からスター的な存在が必要とされる傾向があるのだろう。とりわけ今回のように、固有名に準じて数日間の催事が開催される場合には固有名と思想の関係を強く感じざるをえない。彼/彼女の仕事をめぐって数日間の催事が開かれ、各国から研究者が集まるような世界的な思想家は今後いったいどのくらい輩出されるのだろうか。


(「キリスト教の脱構築」をめぐる最終討議)

今回のシンポジウム参加は主催者への問いかけによって突然決まった。当初は欧米の参加者のみだったため、「既に20冊ものナンシーの翻訳書がある日本からの参加も必要ではないでしょうか」と問うてみると、主催者側は急遽追加を承認し、私と馬場智一さん(パリ第4大学)の参加が最終プログラムに編入されたのだった。主催者側の寛大さと柔軟な配慮には深く感謝する次第である。

ただ、「日本」の研究者の世界的な活躍を、とナショナルな狭義の意味を強調するつもりはない。欧米で開催される国際会議には非欧米系の参加者が希薄であることがいまだに少なくはないことがつねに気になるだけである。村田純一さんが証言しているように、このことは昨年夏にソウルで開催された世界哲学会議でも明らかになったことだ。また逆に、日本思想研究が日本国内の大学や研究者ではなく、海外の研究者によって積極的に展開されつつあるという奇異な状況も生じている。

とはいえ、ただ単純に、欧米中心の哲学を非欧米系の研究者に門戸開放するだけは不十分だし、「日本」の研究者こそが日本思想研究に没入するべきだとするだけでもいけないだろう。哲学研究におけるこうしたグローバルな不均衡さや捻じれを意識しつつ、思想のナショナルな含意や傾向性、その歴史的文脈を批判的に考察しつつ、だが同時に、ナショナルな枠組みを超えた対話の場を設定し、これに参加することが重要なのだろう。そう考えてみると、哲学思想研究における固有名と思想の問いは、現在のグローバル化の趨勢と連接する形で、場と思想の問いと移行しつつあるのかもしれない。そして、そうした「現場」をどのように生起させていくのかが、哲学思想研究のみならず、あらゆる学術研究にとって重要な課題となっている。

今回のシンポジウムはたしかに、ナンシーの元ゼミ生たちの「同窓会」といった雰囲気もあった(逆にいえば、世界中からこれだけ多くの人材がストラスブール大学哲学科のナンシーのもとで研鑽を積み、世界中の大学で研究者として活躍しているのだった)。だから、必然的に、ナンシーのこれまでの仕事を回顧的に詳細に検討するような穏当な発表もあった。ナンシーは各発表の後に応答したのだが、しかし、それは決して著者による権威的な「検閲」ではなく、会全体はむしろ和やかな雰囲気の中で進行した。実際、ときにはナンシーの間違いを発表者が指摘したり、引用個所についてナンシー自身が覚えていないことを吐露したりもした。ナンシーの精力的で情熱的な対話によっていくつかの問いが反復され、しかし、その都度少しづつ新たな歩みが付加されていく。三日間の発表と応答を通じて、シンポジウム全体を通じて、問いの輪郭が徐々に浮かび上がってくるという貴重な出来事となった。



今一度問うておくと、固有名と思想の関係は、いかなる場において、いかなる出来事として具体的に生起するのだろうか。最後にジャン=リュク・ナンシーによる閉会の辞を引用しておきたい。

「このシンポジウムの企画に私は当初、抵抗していました。この類の催事は往々にして著者を中心として対話が結晶化する恐れがあるからです。しかし、実際に会を終えて、私はこの上ない幸福と喜びを感じています。なぜなら、私の固有名を中心として催事全体が統括されるのではなく、むしろ逆に、みなさんから私へと新たな思考が次々と贈与されるたぐい稀な機会となったからです。重要なことは、私たちの時代に対する問いの場を生起させることです。こうした場に共に触れること〔toucher〕で固有名という閉域を解放し、これを宙づりにしつつ、この固有名を超過する運動を開示することが私たち思考の労働者〔tâcheron〕の責務〔tâche〕なのです。ありがとう、模索し続けましょう〔Merci, tâtonnons〕。」

※今回のシンポジウム参加を支援してくれたジゼール・ベルクマン氏、小林康夫氏、中島隆博氏には感謝いたします。また、本ブログ報告に関しては、3日間とも参加された馬場智一氏に助言をいただきました。

遺産相続と出版―ブランショとレヴィナスをめぐる出版研究動向

遺産相続と出版―ブランショとレヴィナスをめぐる出版研究動向(2009.01.25)


1月24日夜、クリストフ・ビダンらが主宰するブランショ研究者のアソシエーション「Espace Maurice Blanchot」の会合がパリで開かれ、カナダ、フィンランド、ブラジル、韓国、日本のブランショ研究者が集まった。この団体には、日本からは郷原佳以さん(関東学院大学)と私が海外協力者として参与している。



この日の議題は、昨年、エリック・オプノの編集で刊行されたブランショ「政治論集1953-1993」(Écrits politiques 1953-1993, Eric Hoppenot (éd), Gallimard, 2008)をめぐる問題に関してだった。ブランショの政治論集はすでにリーニュ&マニフェスト出版から刊行され、日本語訳も出ている。(Écrits politiques : Guerre d’Algérie, Mai 68, etc. 1958-1993, Lignes & Manifestes, 2003.『ブランショ政治論集1953-1993』安原伸一朗・西山雄二・郷原佳以訳、月曜社、2005年。)

ブランショの遺志により、彼の著作と未発表原稿についてはデリダが管轄役を引き受けていた。だが、デリダの死後、その役は遺族に移され、エリック・オプノを介してガリマール社で管理されるようになった。昨年、オプノは複数のテクストを追加して、『政治論集』を再編集して刊行した。だが、この再編集版は名前の表記や年代などの単純な間違いから、歴史的な事実の誤認、ブランショ研究の蓄積への無知に満ちたものだった。Espace Maurice Blanchotのメンバーを含む有志* はガリマール社に書簡を送り、再版時には間違いを訂正するように要請した。ガリマール社は作家ブランショとともに20世紀を歩んできた出版社として事の重大さを認めたのだが、オプノはこの要請に応じようとはしない。

* 署名者は、クリストフ・ビダン、ジャン=リュック・ナンシー、マルグリット・デリダ、ミシェル・ドゥギー、モニク・アンテルム、ダニエル・コーエン=レヴィナス、ジゼール・ベルクマン、レスリー・ヒル、マイク・ホランドなど

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(オプノによる『政治論集』再編集版とリーニュ&マニフェスト出版版の日本語訳書)

ウェブ・サイト「Maurice Blanchot et ses contemporains」を通じて活動を展開しているオプノはさらに、ブランショのテクストを集めて「イスラエル論集」を準備しているという。レヴィナスの親友だったブランショは確かにユダヤ的なものへの親近感を示し、イスラエル国家を支持する発言も残してはいる。だが、非人道的なガザ攻撃がなされたこの時期に完全にシオニスト的な文脈でブランショの論集を組むことは問題だろう。オプノの恣意的な判断ではなく、複数の研究者からなる編集委員会を通じてブランショの著作が刊行されることが望ましい。オプノのグループとEspace Maurice Blanchotのあいだで、ブランショの出版研究動向をめぐって微妙な駆け引きが今後も展開されることになる。

思想的な遺産相続をめぐる諍いは、ブランショの親友レヴィナスをめぐる諍いとも連関している。レヴィナスの未公開資料の保管場所に関して、アメリカのレヴィナス研究の第一人者リチャード・コーエンは、レヴィナスの娘シモーヌ・アンゼルに対してノースカロライナ州へのレヴィナス・アーカイヴの設置を提案した。ところが、レヴィナスの息子でピアニスト・作曲家として知られるミカエル・レヴィナスは、父のフランスへの深い愛着を理由にこれを拒否、1996年のル・モンド誌上に小文を載せた。

これ以降、シモーヌとミカエルの間には溝が生じているようである。シモーヌの義理の娘(息子の妻)ジョエル・アンゼルは元々カバラー研究者だが、近年はレヴィナス・シンポジウムや論集の組織で活躍している。2006年、レヴィナス生誕百周年の際には、シモーヌの夫でレヴィナス研究者でもあるジョルジュも含めたアンゼル家が中心となり数多くのコロックが開催された。サルトルの秘書を務めていたプロレタリア左派の活動家で作家のベニー・レヴィは、アラン・フィンケルクロート、ベルナール=アンリ・レヴィとともに、2000年にエルサレムにレヴィナス研究センターを創設する。レヴィナス思想を介してユダヤ性に目覚めたこれら「ヌヴォー・フィロゾーフ(新哲学者)」らは(毛沢東MaoからモーゼMoïseへの転向 !)、アンゼル家グループと深い関係をもち、レヴィナス研究に関して行動を共にしている。実は前述のオプノはベニー・レヴィの弟子筋にあたり、彼は2006年にこのグループと国際シンポジウム「レヴィナスとブランショ」をユネスコで開催したのだった。

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(シンポジウム「レヴィナスとブランショ」@ユネスコ、2006年。レヴィナス研究センター発行の研究論集。)

一方、ミカエルの妻で音楽学者のダニエル・コーエン=レヴィナスは主にフランス国内の学者を中心にしたレヴィナス・コロックを2006年に二つ開催している。現在進行中のレヴィナスの未公刊文書の整理出版は彼女によってなされており、近々その最初の成果が公になる予定だ。

一方で、娘シモーヌ・アンゼルの家族とレヴィナス研究センターのグループ、他方で、息子ミカエルとダニエル・コーエン=レヴィナス――両派は共通の友人をもちながらも決して学術的な催事を共催することはない。レヴィナス自身シオニストであったことを考えれば、この対立を単純なシオニストと反シオニストの対立に還元できるわけではない。遺産相続の問題は、現在、レヴィナスとブランショの出版研究に深い影響を及ぼしている。

テクストはそれ自体で存在するわけではなく、つねにコンテクストのなかで存在する。創作―研究―出版―受容の布置のなかで、著者―研究者―出版者―読者という異なる立場においてコンテクストは変化する。だから、ブランショとレヴィナスの出版研究動向はたんに専門家に関わることではなく、読者一般に対する彼らのテクストの価値にも関わるものだ。テクストは公刊されればどれも同じで、ただ一般に読められさえすればよいというわけではないのだ。

だがしかし、こうした政治的・思想的なコンテクストの諍いは、果たして、ブランショやレヴィナスのテクストがそもそも内在的な仕方で要請するものなのだろうか。テクストの固有名がコンテクストの布置連関に対して、何かを呼び求めているのだろうか。

※レヴィナス研究の動向に関する記述は、レヴィナス研究者・馬場智一氏(パリ第4大学)の談話に多くを負います。