巡回上映の記録 2011年8月

2011/10/28-30 国際会議「フクシマ以降の人文学」

2011/10/28-30 国際会議「フクシマ以降の人文学」




2011年10月28-30日、ロンドン大学バークベック・カレッジにて、国際会議「フクシマ以降の人文学―危機的/批評的結節点をもたらすポスト核の時代におけるカルチュラル・スタディーズと哲学との対話(Humanities after Fukushima: Dialogues between Cultural Studies and Philosophy in the Post-Nuclear Age of Critical Junctures)」が開催された。本橋哲也(東京経済大学)氏の企画にもとづいて、継続的に活動しているLAPCSF(ロンドン・アジア=パシフィック・カルチュラル・スタディーズ・フォーラム)の企画で会議は実施された(助成:国際交流基金、 バークベック・カレッジ)。拙映画「哲学への権利」の上映と討論会も2日目に実施された。



冒頭、本橋氏から会議タイトルの三つの鍵語に基づいて趣旨説明がなされた。
まず、「人文学」や「人間主義」である。地震、津波、原発事故という想定外の大災害は、人間と自然、天災(自然災害)と人災(人為的災害)といった旧来の認識論的区別の再考を私たちに強いている。次に「フクシマ」に関して、確かに私たちは原発の直接の被害者ではないかもしれないが、放射能の拡散は世界規模で影響を及ぼしており、ロンドンも例外ではない。ロンドンにいる私たちは当事者とは言えないかもしれないが、フクシマの災厄をすでに部分的に共有している。この両義的で微妙な立場性に敏感にならなければならない。そして、「ポスト核時代」の「ポスト」には少なくとも二つの含意がある。まず、「ポスト・コロニアル」と言うときのように、過去の事象に対する自覚。次に、原発事故「以後」とは実は何も終結せず、むしろ放射能汚染や健康被害の不安が始まる時間性である。


(本橋哲也、岩淵功一、ファビアン・シェフター、Angus Lockyer)

3日間に及ぶ国際会議のすべてを報告することはできないので、そのいくつか(とくにフクシマに関係する発表と議論)について以下に記しておきたい。

ファビアン・シェフター(ライプツィヒ大学)氏は、発表「フクシマと政治の動物化――噂と情動、デジタル時代の抵抗」において、流言飛語や風評の分析と考察をおこなった。早くも4月6日に内閣官房や警察庁などによって「流言飛語への対応策」が示され、「国民の不安をいたずらにあおる流言飛語」に対して、ソーシャルメディアの規制も辞さないとされた。だが、逆説的なことに、根拠も内実もないとされる「流言飛語」とはいったい何なのか、その明確な定義はない。かつて関東大震災後に清水幾太郎が指摘したように、「流言飛語」とはむしろ「潜在的公衆」 による「潜在的輿論」である。空疎な情報は人々の間で交換されるときにはじめて「流言飛語」として現象するのであり、その根拠の有無に関係なく、それは人々の危険の感情の表出なのである。シェフター氏は、東浩紀の「一般意志2.0」の議論を参照しながら、デジタル時代のデーターベース空間に「流言飛語」が合理的に交換される地平を見い出そうとする。私見では、人々の間主観的な「流言飛語」とネットユーザーによる「一般意志2.0」、リアル社会とネット社会ではその構成員の拡がりが著しく異なるのであり、両者の整合性がどうなのか、気になった。


(高祖氏はNYからスカイプ中継で参加し、スクリーンに顔が写っている)

廣瀬純氏(龍谷大学)と高祖岩三郎氏(文筆業)の発表は、フクシマ以後の人々の知性はいかに変容しているのかに関して、互いに共鳴し合った、半ば予言的な発表だった。廣瀬氏はランシエールに依拠しながら、「すべてのひとはすべてについて語ることができる」「すべてのひとは知性をもっている以上、知識人になることができる」という命題を敷衍した。また、高祖氏はウォール街の占拠運動を関連づけて、知の従来の制度的再生産の危機を読み取る。一般市民が放射能に関する知識を習得し始めているように、専門家とアマチュア独学者の境界や協同が新たに再編されている。これは終末論的な災厄を前にした人々が自らの生存の問いから生み出した動きだろう。


(Andy Chih-Ming Wang、今福龍太)

今福龍太(東京外国語大学)氏とAndy Chih-Ming Wang(台湾・中央研究院)氏は共に、大震災に対する自らの喪の作業を「島」のイメージに託しながら慎重に言葉を紡ぎ出した。今福氏は巨大な災厄を前にした失語的状況から、自分はいかに研究教育活動を再開するべきか、という私的な問いから話を始めた。確かなことは、人文学とは遅延と迂回の言語活動であるということだ。人文学の言語は深遠な時間を経ないまま即座に応答したりはせず、その対象への最短距離を欲したりはしないのだ。

Wang氏は震災をめぐる言説を巧みに分析し、示唆的な報告をした。大震災後、「飛行機で国外に逃げ出す外国人」という意味の新造語「fly-jin」が生まれた。この造語は「去るか去らないか」という心理的な葛藤だけでなく、人種、階級、ジェンダーといった複雑な特徴、日本社会への帰属や忠誠にも関わる。東京の原発施設を地方フクシマへ押し付けることはまさにコロニアル的状況と言えるが、Wang氏は沖縄の米軍基地問題、尖閣諸島問題、ビキニ島核実験といった「島をめぐる他者の危機」の表象とフクシマの災厄を結びつけた。

今回は大震災に関するロンドンでの国際会議だったが、日本ではまだ同種の国際会議はまれであるだろう。哲学とカルチュラル・スタディーズとの対話という問題設定も加えられていたため、なるほど、「大震災と人文学」という主軸が揺らいだこともあった。ただ、二人の基調講演からなる各パネルは概ね上手く共鳴し、コメントはどれも力の入った真摯なものばかりだった。国際会議の運営は難しいが、今回はバーベック校の学生たちが卓抜なチームワークで仕事をこなしており、その姿は清々しいものだった。催事に際して、登壇者は運営者の働きと苦労に敏感であった方がよい。あらためて感謝の気持ちを表わしておきたい。



自然科学や社会科学と比べれば、大災害を前にして人文学は直接役には立たず、無力である。人文学に携わる者は「なぜいま人文学なのか?」と問うたことだろう。ただ、なぜこうした大災害が起こり、多数の無垢な犠牲者が出たのか、その解釈や意味、倫理をめぐって、私たちの想像力によって問うことが重要である。この点で人文学は必要であり、「いまこそ人文学を」とさえ言えるのかもしれない。大災害を前にした無力さと必要性という矛盾のあいだに、人文学の生命は宿るのである。

2011/10/29 ロンドン大学バーベック・カレッジ(宮﨑裕助)

2011/10/29 ロンドン大学バーベック・カレッジ(宮﨑裕助)


国際会議「フクシマ以降の人文学」の2日目午前に映画「哲学への権利」上映・討論会が実施された。小規模映画館並みの素晴らしい設備のシネマ・ホールには70名ほどが詰めかけ、席はほぼ満席となった。コメンテーター役は宮﨑裕助(新潟大学)が務めた。



今回は国際シンポの一環なので、私自身は英語原稿とパワーポイント資料を作成し、大学と市民的活動の相違、大学のアイデンティティ、フランスの哲学的制度の歴史的状況、学際性などについてなるべくわかりやすい発表に努めた。

今回の会場にはカルチュラル・スタディーズ(CS)系の研究者が多かった。本作ではCSは不適切な学際性の徴候として批判されているので反応が気になった。「アメリカでの上映では、『CSこそがデリダの脱構築を受容したのであり、その寛大さを考慮するべき』という発言があった」と私が紹介すると実際、会場からは拍手が起こった。



質疑では、「フランスのエリート主義は鼻につくけれども、国際哲学コレージュのように、高校教師に教える場を与えようとする試みがある点は評価できた」「哲学というとつねに西洋哲学ばかりだが、インドや中国などの思想の国際性をいかに加味するべきか」「冷戦期にデリダが核ミサイルに関する文章「No Apocalypse, Not Now」を書いているが、今回のフクシマ・シンポでの上映に関係するだろうか」といった質問が出た。アメリカ上映でも感じたことだが、英仏の文化的・社会的相違は想像以上に大きく、英米圏との対話によって本作が適度に相対化されるのを感じた。

「国際会議『フクシマ以降の人文学』でこの映画を上映する妥当性は?」と聞かれて、恥ずかしながら、私は適切な答えが思い浮かばなかった。後悔の念が残り、最終日の全体討論の際にこう答えることで責任を果たさせていただいた。「震災や原発事故、大学は科学的知見の拠点として注目を集めています。ただし、『御用学者』と呼ばれる研究者を大学が数多く生み出していることも白日のもとに曝されました。真実を歪曲し、市民ではなく権力側に奉仕する学者です。逆に、大学は原発問題に警鐘を鳴らし、根本的な批判を続ける学者も生み出しています。政治・経済的な圧力下にある大学の学問的自由とは何か。この自由を守らなければ、信頼できる知が社会や人々を守ることはできません。本映画ではこうした学問的自由が制度の問いに即して提示されており、この点で本会議と関係します。」



酒井直樹氏は会議最終日に重厚な発表「哲学のコロニアル性」をおこなった。人間概念は伝統的に二つの表現humanitasとanthoroposによって構成されてきたが、前者は反省的で批判的な精神、後者は経験的で限定的な知に関わる。両者は人間の普遍性と特殊性、理論的な知と経験的な知として、アメリカの大学では人文科学を制度的に二分している。人間概念の分類は知の分類と連関し、それだけではなく、humanitas概念に裏打ちされる普遍的な「理論」の構築は西洋と非西洋の関係を権力的な仕方で固定してきたのである。


(Costas Douzinas, Gauri Viswanathan, 酒井直樹)

酒井氏は「西山だけを名指して、旧来のコロニアル的世界観にとらわれたアジア知識人のアナクロニズムを証明する一例とするのはためらわれるが」としながらも、二年前にコーネル大学での上映の際に感じた違和感を告白した。つまり、「非西洋の代表として、理論的理性の使命を体現する人物に向き合おうとする」姿勢への違和感である。酒井氏は「日本の大学の学術界が戦後思想の伝統にいまだに支配されている歴史的条件」があるとして、マルクス主義歴史学、丸山眞男、大塚久雄の名を挙げた。

酒井氏の指摘を受けた私もまたアナクロな違和感を覚えたので、控えめにこう返答した。
「たしかに、映画『哲学への権利』の試みは、西洋と非西洋の知的枠組みを反復しているのでしょう。私がフランス哲学に対する何らかの憧れを抱いていることは否定しません。ただ、そのことに自覚的でありたいとは思っています。ですから、私自身はこの映画や自らを『旅する状態』につねに置いています。西洋と非西洋の区別を体現する、『この私』という一例を自覚的に国内外の公衆とその言葉に曝そうとしています。サイードの『旅する理論』とどこまで関係するのかはわかりませんが、『理論』を旅の試練に曝すことで、西洋と非西洋の区別を修正することは可能でしょうか。そして、この責任をより制度的な仕方で引き受けるために、私は国際哲学コレージュのディレクターに応募して選出され、『西洋の彼ら』とともに活動をしています。」

2011/10/31 ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジ(アレクサンダー・ガルシア=デュットマン、宮﨑裕助)


2011/10/31 ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジ(アレクサンダー・ガルシア=デュットマン、宮﨑裕助)


2011年10月31日、ロンドン大学ゴールドスミス校にて、映画上映・討論会が実施され、同校のアレクサンダー・ガルシア=デュットマンと宮﨑裕助(新潟大学)とともに登壇した(「大陸哲学研究グループ(INC-Research Group In Continental Philosophy)」主催)。素晴らしい音響設備の映画ホールに35名ほどが参加してくれた。



デュットマン氏は1989-95年に国際哲学コレージュのディレクターを務めており、パリとストラスブールで交代で同じセミナーを実施したりしていた。映画を鑑賞して感銘を受けたらしく、懐かしそうに力の入ったコメントをしてくれた。

デュットマン氏の経験によれば、そもそも哲学はある種の抵抗を必ずや含んでいるはずである。彼は哲学科のないゴールドスミス校で歴史学と社会学の同僚とともに、哲学センターの創設を試みた。だが、抵抗の場としての哲学センターの計画は、既存の学科による哲学への抵抗に直面する。哲学と抵抗の関係、つまり、抵抗としての哲学がいかに多くの抵抗を誘発するのかを目の当たりにする。デュットマン氏の発案は企画書類や設置検討委員会では受け入れられ、制度的に承認される。ただ、充当される資金はゼロという計らいのために活動を開始できなかった。また、彼が在籍する視覚文化学科からのあからさまな抵抗があったらしい。「哲学センターは視覚文化学科に拠点を置くべきだ」という見解や、「哲学に学生をとられる恐れがある」、あるいは逆に、「視覚文化研究は旧来の哲学を乗り越えたのだから、哲学へと後退する必要はない」という意見もあったという。



とはいえ、「大陸哲学研究グループ(INC)」は学科横断的にさまざまなイベントを開催し、一定の評価を獲得する。哲学科が存在しないゴールドスミス校にもかかわらず、つねに数十名の学生が自発的にイベントに参加しているからだ。資金もなく場所をもたない自由という点で、INCは国際哲学コレージュの精神を反映している活動だと言える。現在は、定期的な活動実績が評価され、視覚文化学科からINCのいくつかの催事に対して、「学科の宣伝にもなるから」という理由で資金が出されるようになった。

デュットマン氏は本作で提起された哲学と学際性の関係に賛同した。今日、学際性の名のもとに、なぜ複数の学問分野の結合が正当化されるのか。本作で示された「哲学と…」という問い方は哲学が自立性を保持することに関わる。例えば、哲学は芸術や科学といった他の分野と安易に対話しても、相対主義的な姿勢に陥ってしまい、その成果は中途半端なものに終わるのではないか。哲学者は哲学に専念する限りにおいて、芸術や科学といった他分野と対話する能力を習得するのだ。



会場からは「なぜいま制度への問いが必要なのか。なぜ大学が外的勢力ではなく、制度的な自己批判をおこなう必要があるのか」という質問があった。デュットマン氏の返答部分を引用しておきたい。「制度的な自己批判といっても、おそらく二種類の仕方があるのであろう。一方で、大学は現実に即してつねに変革をおこない、学科再編やカリキュラム改革、新奇なプログラムの導入をおこなう。自己改革のために会議を開き、書類を作成することを大学は好む傾向があるのではないか。大学とは奇妙なところで、デリダやドゥルーズ、マルクスなどが教えられながらも、自らの制度的現実には無批判で同調主義的なところがある。他方で、現実から距離を置き、利害や有用性にとらわれることのない自己批判もありうるだろう。新しいものに無批判に飛びつくのではなく、自分たちがすでにいかなるポテンシャルをもっているのかを確認することが重要である。」



カフェでの事前の打ち合わせの際に、デュットマン氏は冗談交じりにデリダ哲学との距離感を強調した。「国際会議DerridaTodayにはとくに招聘されないし参加もしない 。私はむしろDerrida Yesterdayだから。デリダ派ではないからね」というように。だが、上映後の討論において彼の態度は違った。「私が関与しているこの大陸哲学研究グループこそが本校の国際哲学コレージュなのです」と明言し、「国際哲学コレージュの理念や現実はいたるところでくり返されている」と実感を込めて語った。彼はフランクフルト大学での院生時代にパリのデリダ・セミナーに通い詰め、デリダの自宅に宿泊するという家族的な歓待を受けていた。デリダとの関わりはそう簡単に過去のものとなるはずはない。

彼は明らかに国際哲学コレージュの精神を引き継いで、ゴールドスミス校の周縁で大陸哲学研究グループを実施している。つまり、人文学の活動において、制度的な遺産相続というものがあるのだ。制度はしかじかの建物や出版物といった物質的条件だけに限定されはしない。思想家やその作品だけでなく、制度の精神を引き継ぐという方法も重要なのである。デュットマン氏の言葉に圧倒されて、私自身、自分が関与しているUTCPや国際哲学コレージュの制度的精神を自分なりの仕方で継承していきたいと決意を新たにした夜だった。

2011/11/4 オックスフォード大学訪問記

2011/11/4 オックスフォード大学訪問記


2011年11月4日、ロンドンのパディントン駅から1時間電車に乗ってオックスフォードに辿り着く。夜半からの強い雨があがり、雲の切れ目から青空が広がる心地よい秋の日だ。



オックスフォード大学哲学科の博士課程の太田勇希さん(専門は言語哲学、行為論、メタ倫理)の案内と説明で実に有意義な散策をおこなうことができた。また、夕方にはブランショ研究者のマイク・ホランド教授とも歓談する機会をもつことができた。


(1370年に創られたイギリス最古の図書館を擁するマートン・カレッジ)

オックスフォード大学哲学科はイギリスでは最高ランクで、世界的に見ても、ニューヨーク大学と並んでトップレベルの研究教育を維持してきた。日常言語学派のギルバート・ライル(1900-76年)とピーター・ストローソン(1919-2006年)、政治哲学者アイザイア・バーリン(1909-97年)、言語行為論の創始者ジョン・L・オースティン(1911-60年)、ヴィトゲンシュタインの学徒エリザベス・アンスコム(1919-2001年)、倫理学研究のリチャード・M・ヘア(1919-2002年)、論理実証主義の代表者アルフレッド・J・エイヤー(1910-89年)、マイケル・ダメット(1925年-)……といった錚々たる教授陣が哲学科を支えてきた。


(マートン・カレッジの食堂。定食は350円ほどで〔フランスと違って〕美味しかった。私はとらなかったが、ケーキと果物をさらに加えてもよい。正面右の肖像はヨハネス・ドゥンス・スコトゥス〔1266?-1308年〕。スコトゥスの幽霊が校内でいまだに出るらしい。)


太田さんに修士課程の研究教育の様子をうかがった。修士課程1年目は3科目を履修し、チュートリアル式に教育がおこなわれる。イギリスのカレッジの伝統が生み出したチュートリアル式は濃密な個人指導体制である。オックスフォード大学は1学期8週間で3学期制だが、担当教授との個別指導(2時間ほど)が毎週おこなわれる。初回の顔合わせの後、2週間ごとに小論文(5000字程度。A4で12枚程度)を提出し、これをもとに指導がつみ重ねられる。例えば、「カント哲学」「言語哲学」「倫理学」と3つの科目で同じ訓練が続けられるわけだ。学部生も同様にチュートリアル式があり、毎週2000字程度(A4で5枚程度)の小論文を執筆して指導が進められる。当然、学生の文章を精読しコメントする教師側の負担も大きく、大変な仕事になる。

修士2年目は過酷な年になる。初学期は課題論文試験があり、8週間で6本の論文(各5000字程度)を執筆しなければならない。正確に言うと、3科目のそれぞれから、8-10題の問題が提示され、各2問選択して計6本の課題論文を書き上げなければならない。8週間なので1週間で文献を読み、1週間で1本完成させるようなペースだ。締め切りは正月明けなので、秋の新学期からクリスマスに向けて院生は疲労困憊する。回答内容の類似を防ぐためにかつては同級生とのその種の会話が禁じられ、また、「万一」に配慮して修士院生は教会の高塔への登頂が禁止されたという。評点は100点中60点で可。75点以上つくことはないので、72点以上で優秀賞、68点以上で博士課程への進学が保証される。これで終わりではない。初学期の試験が終わると、すぐに修士論文(30000字程度。A4で100枚程度)の執筆にとりかからなければならない。オックスフォード大学哲学科の学位には世界的な権威があることを証明する実に過酷な試練だが、太田さんの年次25名はほとんどが最後まで合格したらしい(そのうち就職せずに博士に進学した者は10名ほど)。

ただ、こうしたチュートリアル制と課題試験制は近年改編された。この方式だと過度に狭く専門的になってしまうので、幅広い学識を身に付けるための必修講義も重視されるようになった。アメリカの大学院のコースワークのように専門分野の知識を広く習得する必要があるからである。また、課題試験も1年次から分散して実施することで過度の負担を軽減させるようになったようだ。






(映画「ハリー・ポッター」のロケで有名になったクライスト・チャーチ)

(『不思議の国のアリス』のルイス・キャロルはクライスト・チャーチの数学教師。アリスが機嫌の悪い羊と出会った場所にある「アリスの店」。)

イギリスの書店巡りなど

イギリスの書店巡りなど


滞在中、ロンドンとオックスフォードで数軒の書店巡りをしたので、その他の報告と合わせて記しておきたい。

ウォーターストーン書店(Gower Street店)
市内各所にある書店。Gower Street店はロンドン大学の傍にあるため学術的な品揃えがよい。


フォイルズ書店
村上春樹の『1Q84』が翻訳されたばかりなので、どの書店でも春樹フェアを実施していた。味噌汁茶碗と割り箸が痛々しくも愛らしい。

ゲイ、レズビアン、クイア関係の書籍棚が大々的に設けられているが、一般書店でこれほどの展示は珍しいのではないか。


Daunt Books
おしゃれなマリルボン地区にある「旅人のための書店」。各国別にガイドブック、紀行小説などが配置されている。名称の関連で言えば、パリのムフタール通りには「旅人の木」という小さな書店があり、お気に入りである。




オックスフォード大学出版



(色鮮やかなA Very Short Introductionシリーズ。1995年の創刊以来、200点以上出ている。日本語訳は岩波書店から「一冊でわかるシリーズ」として刊行中。ただ残念なことに、日本語版では原書の書物的物質性の価値が低減している。鮮やかな色彩が単調になり、軽さと小ささの点でも一般書サイズとなり、価格も原書は1000円程度だが日本語版は1500円以上する。原書シリーズの方がはるかに収集欲が掻き立てられる。)

Blackwell書店
ブラックウェル出版社は1879年に市立図書館の司書の息子Benjamin Henry Blackwellによって創設された。オックスフォードのBroad Street 50番地に、十数平方メートルのわずかな敷地に開いた書店はほどなく成功し、その規模を拡大していった。文学を人々の身近なものにしようと刊行された廉価な叢書「3/6 novels」は好評を博した。





(広大な地下売り場)

ベーカー街にあるシャーロックホームズ博物館。小学生の頃にホームズの全事件をリスト化し、殺害場所・死因・担当警部・犯人などを網羅した一覧を作成していたので、懐かしい気持ちになる。館内は蝋人形が多数展示。モーリヤティ教授や唇の捩れた男などがいて不気味な雰囲気。椅子に座っていた老人を蝋人形だと思っていたが、よく見ると静かに微妙に動いていたので驚愕する。付近にあったバスカヴィルの猛犬の怖さに気が付かなかったぐらい驚いた。





(有名パブ「シャーロック・ホームズ」)

滞在中に参加したルドルフ・ガッシェ(ニューヨーク州立大学バッファロー校)の講演会「記憶しえない残余――デリダの伝説」。主催はキングストン・カレッジの哲学センター。昨年2010年にミドルセックス大学哲学科が停止され、そのスタッフがキングストン・カレッジに移籍。カトリーヌ・マラブーを加えて活動を拡充した。



はじめてのイギリス滞在だったが、多くの方々のおかげで有益な旅となった。旅をするなかで、相性の良い場所かどうかはすぐにわかるようになる。London's calling. 歴史が積み重なったロンドンには強く呼ばれた気がしたし、これからも呼ばれそうな気がする。