(演習科目の一部を紹介しています)

2019年度

後期・演習「愛」


愛を知らない人間はひとりもいない。明らかに愛は誰もが経験する人間共通の感情的な現象である。しかし同時に、逆説的なことに、愛の体験は各々の言語のように絶対的に特殊なものであって、他人と同じ経験を共有することがほとんど不可能なようにもみえる。個々人が別々の仕方で経験する愛に対して、いかなる普遍的な規定を与えることができるのだろうか。愛は各々の文化において、穏和な人間関係として(友愛、仁愛、博愛…)、私的な愛情(恋愛、片恋、悲恋、同性愛…)として、家族的な関係(家族愛、兄弟愛、母性愛、父性愛…)として、社会的制度(婚約、結婚、離婚…)として、共同体の紐帯(愛国心、愛郷、愛校、愛社…)として多様な形で現われる。本講のテーマは、「愛」のさまざまな問題系を、主に人文・社会科学の知見を通じて考察することである。

10/9 初回ガイダンス
10/16 全体討論
10/23 【思想】プラトン『饗宴』抜粋
一堂に会した人々がワインの杯を重ねつつ次々にエロス(愛)讃美の演説を試みる。最後に立ったソクラテスが、エロスは肉体の美から精神の美、さらには美そのものへの渇望すなわちフィロソフィア(知恵の愛)にまで高まると説く。人間はもともと背中合わせの一体(アンドロギュノス)だったが、神によって二体に切り離され、その片割れを互いに探し求める、という愛の神話は有名。一篇の戯曲を思わせるプラトン対話篇中の白眉。
10/30【文学】スタンダール『恋愛論』第1-7章、第34-36章
19世紀フランスの作家スタンダールによる著名な随筆集。恋の猟人であった著者が、苦しい恋愛のさなかで書いた作品。自らの豊富な体験にもとづいて、すべての恋愛を「情熱的恋愛」「趣味的恋愛」「肉体的恋愛」「虚栄恋愛」の四種類に分類。恋の発生、男女における発生の違い、結晶作用、雷の一撃、羞恥心、嫉妬、闘争などのあらゆる様相をさまざまな興味ある挿話を加えて描きだし、各国、各時代の恋愛について語る。
11/6 大学祭のため休講
11/13 愛の所有
参考文献:浅見克彦『愛する人を所有するということ』
11/20 愛の遊戯
【社会学】ゲオルグ・ジンメル「コケットリー」(『ジンメル著作集 7文化の哲学』所収)
コケットリー(coquetterie)はフランス語のcoq(オンドリ)に由来し、女性特有のなまめかしさ、色っぽさを意味する社交の一要素。女性のコケットリーの本質とは、自分を与えることを仄めかす一方で、拒むことも仄めかすことで男性を惹き付け、男性に自分を所有も非所有もさせない絶妙なところで自分の魅力を最大限にする点にある。「コケットリーとは、イエスとノーを同時に言うことである。」コケットリーを通して形成される関係は男女に限定されず、あらゆる社会的関係の原型となる「愛の遊戯的形式」である。
11/27【社会】加藤秀一『恋愛結婚は何をもたらしたのか』ちくま新書。序章、第1-3章(1-120頁)
夫婦別姓論議や少子化、不倫、熟年離婚など「結婚=家族」という主題が、ここ十数年メディアを賑わしてきた。だが、こうした話題の前提として、「一夫一婦制」自体が論議されることがなかったのはなぜか。そもそも明治期に唱導された一夫一婦制は、単なる精神論や道徳談義ではなく、「総体日本人」の、改良という国家戦略と共存していた。本書では、一夫一婦制と恋愛結婚をめぐる言説が、優生学という危険な部分と表裏一体であったことを検証し、恋愛・結婚・家族という制度の「近代性」の複雑さを明らかにする。
12/4【キリスト教】アガペーについて ニ―グレン『アガペーとエロース』第1-2章
ギリシア語「アガペー」は、エロス(性愛)やフィリア(愛情、友愛)とは異なり、キリスト教において神の人間に対する「無限で無償の慈悲深い愛」を表すようになる。その現代語チャリティー(英: charity、羅: caritas)は実際、「慈善の愛」を含意する。神は無限の愛によって有限なる人間を愛している以上、神が人間を愛することで、神は何かの利益をえるわけではない。カトリック神学でアガペーは信仰や希望と並ぶ基本的な徳の一つであるが、新約聖書のアガペーは、神の愛、キリストの愛、キリスト信者同士の愛のすべてについて用いられる。
12/11【民俗学】小沢俊夫『昔話のコスモロジー──ひとと動物との婚姻譚』講談社学術文庫
第2−3章(130-254頁)
日本を始め世界各地の昔話に数多く見られる人間と動物との婚姻譚。パートナーとなる動物はどこから来るのか。日本の夫は去ってゆく妻をなぜ追いかけようとしないのか―昔話の研究家として知られる著者が、「つる女房」や「天人女房」「ばら」など各国の異類婚姻譚を詳細に比較考察して昔話の本質を追究。他の民族とは異なる昔話をはぐくんできた私たち日本人特有の文化や民族性を解きあかした好著。
12/18【思想】友愛について アリストテレス『ニコマコス倫理学』 第8-9章
恋人や配偶者でもなく、親族でもなく、知人や顔見知りでもない、友とは誰だろうか。友の数はどれくらいがふさわしいのか、そして、真の親友とは何人だろうか。アリストテレスの『ニコマコス倫理学』(第8巻)によれば、友愛は人間の人間に対する親愛の情で、相互応酬的な好意であり、また互いに自己の好意を他者に知られている状態をいう。彼はさらに好意の原因が快楽、有用性、善のいずれであるかによって3種の友愛を区別し、善のゆえに求められる友愛こそが、真に永続する究極的な友愛であるとする。
1/8【映画】「ヒロシマ・モナムール」(1959年)
『二十四時間の情事』(原題:Hiroshima mon amour)は、アラン・レネ監督、マルグリット・デュラス脚本による日本・フランス合作映画。被爆地広島県広島市を舞台に、第二次世界大戦により心に傷をもつ男女が織りなすドラマを描いた作品で、アラン・レネ監督の第1回長編劇映画作品である。日本での邦題は当初『ヒロシマ、わが愛』とされていたが、公開時に『二十四時間の情事』へ変更された。
1/15【社会】ロランス・ド・ペルサン『パックス―─新しいパートナーシップの形』緑風出版、2004年
欧米では、結婚を選ばない異性カップルや結婚を認められない同性カップルが増えて、多様なパートナーシップの形が定着してきている。しかし、その共同生活の中で、さまざまな問題も起きている。住居、財産、税制などでの不利や障害、別離後の財産分割、死亡による相続での不利や差別の問題などなど。こうした問題を解決するために、連帯民事契約=パックスとして法制化したフランスの事例に学び、新しいパートナーシップの形を考える。

東京大学(駒場)・演習「現代思想と社会」

1960 年代以後、ヨーロッパの現代思想は、従来の哲学の枠組みにとどまることなく、文学、政治、芸術、経済、精神分析といったいくつもの領域を横断しながら展開されてきた。本講義では、そうした多様な現代思想を理解するために、各回で(主にフランスの)思想家を取り上げて、そのテクストをキーワード(主に政治、社会、教育などに関連するもの)ごとに読み解く。


授業計画
9/27 【ポストモダン】ジャン=フランソワ・リオタール『こどもたちに語るポストモダン』
10/11【破局】ジャン=ピエール・デュピュイ『ツナミの小形而上学』
10/18【経済】マルセル・モース『贈与論』
10/25【グローバル化】アントニオ・ネグリ+マイケル・ハート『帝国』
11/1【大学】ビル・レディングズ『廃墟のなかの大学』
11/8【暴力】ルネ・ジラール『暴力と聖なるもの』
11/29【共同体】ジャン=リュック・ナンシー『無為の共同体』
12/6【動物】ジョルジョ・アガンベン『開かれ――人間と動物』
12/13【民主主義】ジャック・ランシエール『民主主義への憎悪』
12/20【教育】ジャック・ランシエール『無知な教師』
1/10【消費】ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』

2018年度

後期・演習「笑い」


笑いは、人間関係を円滑にするため、雰囲気を和ませるため、あるいは、相手を嘲弄したり批判するために必要不可欠なものである。誰かの思わぬ失敗や予想外の展開の滑稽さに私たちは自然に笑ってしまい、不安げな緊張状態が安堵の気持ちに変わるときに笑みが浮かぶ。喜劇などの遊戯的な笑いは日常生活に欠かせないもので、ユーモアや機知(エスプリ)は卓越した会話術のひとつでもある。「動物は笑わない、人間だけが笑う」と言われるが、人間にとって笑いは、心理的・生理的現象であり、社会的・教育的行為なのである。

10/3 初回ガイダンス
10/10 全体討論
10/17 雨宮俊彦『笑いとユーモアの心理学』、第2-3章
古典的な知見から最新の研究成果までを参照して,笑いとユーモアという多面的で複雑な現象の全体像をとらえるための基本的な枠組みと視点を提示。具体的には,くすぐりやじゃれ遊びから,からかいやジョークまで,多種多様な可笑しさの系譜を探り,ユーモアに関する15の理論を概観する。また,笑いとユーモアを感情として位置づけ,その心身の健康や社会関係などに与える効用についても考察する。
10/24  ジョン・モリオール『ユーモア社会を求めて』、107-234頁
笑いは世界を救う。笑いとユーモアはそれ自体を楽しむ美的経験であり,時に病を癒す妙薬,さらに独裁や洗脳に抵抗する屈強の武器ともなる。プラトン,フロイトらの理論を吟味してより豊かな笑いの人間学を構想し,笑いとユーモアの社会的価値を説く。
10/31 大学祭のため休講
11/7 山口昌男「道化的世界」
多層な現実をダイナミックに捉えてゆく方法論や感受性を鍛えるために、知的探求のモデルとして道化の存在理由を論じる。
11/14 ウィリアム・ウィルフォード『道化と笏杖』第一部
〈道化〉とは何か。秩序と混沌、賢と愚、正気と狂気のはざまに立ち、愚行によって世界を転倒させ、祝祭化する存在。ある時はお調子者のトリックスターとして、ある時は賢なる愚者として、あるいはスケープゴート(犠牲)として、〈道化〉は大きな役割を果たしてきた。本書は、中世民衆の祝祭や宮廷道化、ルネッサンスの愚者文学、シェイクスピア劇から、北米インディアンの儀礼道化、サーカスのクラウン、映画の喜劇王チャップリンやキートンまで、元型的存在としての〈道化〉の系譜を辿り、境界を侵犯・超越するその機能を脱領域的に解き明かす道化論の決定版。
11/21 ウィリアム・ウィルフォード『道化と笏杖』第二部
11/28 飯沢匡『武器としての笑い』
古来,日本人はおおらかに笑うことを知っていた.江戸時代でも,儒教道徳にこり固まっていない庶民は諷刺の精神に富んだ笑いを楽しむすべを知っていた。しかし,西欧追随,大国志向の明治百年の間に日本人は笑いを忘れる.本書は,庶民にとって最強の政治的武器である笑いの復権を目ざして,さまざまな場面での笑いの発掘を志す。
12/5 柳田國男『笑いの本願』
かつては生き生きとした知恵の発露であった「笑い」「ヲコ」「ウソ」などの零落をなげき,その復権を説いた異色の文芸論。これらのエッセーを貫くのは,人生をすこしでも明るく面白くするには何が必要不可欠かという強烈な問題意識であって,悪巧みの技術さえ「消えて行く古風な芸術」だとして愛惜される。
12/12 宮田光雄『キリスト教と笑い』
「イエスは笑ったのか?」 聖書をこの観点から読み直しつつ,喜びと解放のメッセージとしてのキリスト教の新しい側面をさぐる.使徒パウロから宗教改革者ルター,さらにカール・バルトまで,キリスト教的ユーモアの精神史を辿りながら,激動する時代を醒めた眼で見すえ,人間らしく生き抜くために〈解放としての笑い〉の精神の復権を説く。
12/19 講演会「ゾンビ映画の表象」
Karim Charredibカリム・シャハディーブ(レンヌ第二大学・造形芸術学部・准教授)
1/9 リンダ・ハッチオン『パロディの理論』 第2章
パロディは諷刺やからかいとは違う。模倣や嘲笑でもない。従来の文字や芸術から新たな「文脈」を切り出し、美術や映画、音楽、建築など横断的にパロディの成立可能性を論ずる。
1/16 井山弘幸『お笑い進化論』
取り違えやシュール、ピン芸人、漫才などのお笑いの形式を整理しながら、古参から若手までの芸の実例をふんだんに取り上げ、笑いのからくりを解明する。多重化したリアル、アイデンティティーの変容など、作品としてのお笑いからにじみ出る時代性を析出する。
1/23 まとめ

東京大学(駒場)・演習「ジャック・デリダの思想」


1960 年代、ジャック・デリダは、西洋の歴史のなかで構築されてきた現前の形而上学、ロゴス中心主義、自民族中心主義を根底的に読みかえる「脱構築」を提唱しました。「脱構築」の論理や戦略は哲学のみならず、文学、精神分析、政治思想、建築、ジェンダー論などの分野にまで広まりました。本講ではデリダが1990年代以降に展開したさまざまな主題を取り上げ、関連著作とともに、その今日的な意義を考えます。


授業計画
1.ガイダンス
2.脱構築の思想
3.友愛と敵対──『友愛のポリティックス』
4.友愛と敵対──『友愛のポリティックス』
5.嘘──『嘘の歴史 序説』
6.証言──『滞留』
7.歓待──『歓待について』
8.赦し──『赦すこと』
9.大学──『条件なき大学』
10. 民主主義──『ならず者たち』
11. 死刑──『死刑I』
12. 死刑──『死刑II』
13. 動物──『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』
14. 動物──『獣と主権者I・II』

2017年度

前期・演習「悪」




この世には無数の悪が存在する。私たちは悪の発生を恐れ、悪への不安に悩まされ、悪を回避し、悪との闘い、悪の根絶しようとする。他方で、私たちは社会における必要悪を認め、秩序から逸脱する悪に魅了されもする。悪の普遍的・絶対的な定義を導き出すことは難しく、むしろ善悪の境界は文化的・社会的・歴史的に形成され変化してきた。「一人を殺せば犯罪者だが、百万人を殺せば英雄だ」とチャップリンは「殺人狂時代」で言い放ったが、平時のいかなる殺人も悪だが、戦争時の大量殺戮は称賛されるのだ。本講のテーマは、「悪」のさまざまな問題系を主に人文社会学の知見を通じて考察することである。

4/12 初回ガイダンス
4/19 全体討論
4/26【哲学】嘘──アレクサンドル・コイレ「嘘についての省察」
「嘘をつくこと」は、内心で他人をだまそうと思って、意図的に間違った言葉を発すること。たとえ間違ったことでも自分の発言が真実だと信じているならば、その言葉は嘘にはならず、たんなる誤謬とされる。「嘘つきは泥棒の始まり」と言われるように、嘘は大きな悪事に通じる最小限の悪であり、やましい行為である。しかし他方で、「嘘も方言」と言われるように、すべてを本音で話していたら、嘘なしには人間関係や社会は成り立たない。嘘は悪の発端として忌避されると同時に、必要悪として嘘は社会中に偏在する。嘘の構造を概観し、コイレの論考を通じて、現代社会に蔓延する嘘について考える。
5/10【宗教】悪の過剰さ──「ヨブ記」
5/17【宗教】悪の過剰さ──「ヨブ記」
浅野順一『ヨブ記――その今日への意義』(岩波新書)を分担して発表。二回で1-9章、10-17章と分割。
『ヨブ記』はゲーテが『ファウスト』を、ドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』構想するなど、宗教・文学・哲学に深い影響を及ぼした知恵文学である。無垢なる人間・ヨブに対して、神とサタンは賭けをする。すべてを奪われても、ヨブは神を信仰し続けることができるか。サタンの試練によって、ヨブは所有物すべてを奪われ、子供たちも死去、ヨブ自身の肉体にも苦難が降りかかる。同情した友人たちが慰めようとするが、結局、彼らは因果応報だとヨブを責めるのだった……。善と悪、因果応報と懺悔、苦痛と回復、良心と信仰、地上的・超越的な救済といった主題群が取り上げられる。
5/24 講演会「人文書出版の希望と絶望」 国際交流会館・中会議室
講師:小林浩(編集者、月曜社取締役)
1990年代半ばから20年以上続いている出版不況。その終わりは今なお見えず、負の連鎖は静かに続き、著者、出版社、取次、書店、読者を取り巻く現実は変化を重ねている。ネット書店や複合型書店の台頭、電子書籍や「ひとり出版社」の出現など、新しい潮流が生まれる一方で、雑誌の廃刊休刊や総合取次の倒産などが相次ぎ、戦後の出版界を支えてきた経済的物流的基盤は崩れつつある。こうした現実のなかで人文書に未来はあるのか。零細出版社における経営、編集、営業の現場から分析し、証言する。
6/7【表象・芸術】悪の表象──映画「ゴジラ」(1954年版)
1954年、ビキニ島の核実験によって起きた第五福竜丸事件をきっかけに製作された、第一作「水爆大怪獣映画」=『ゴジラ』。大怪獣ゴジラは「人間が生み出した核の恐怖の象徴」として描かれ、人間が生み出した怪獣=核が、人間の手で葬られるという人間の身勝手さが表現された。ただし逆説的なことに、その同時期にアメリカの主導で「原子力の平和利用」が提唱され、日本中が原子力の未来に熱狂していく。自然の悪/人為の悪の表象としてのゴジラをめぐって、最新作「シン・ゴジラ」との比較も踏まえて全体討論をおこなう。
6/4【人類学】悪の原形──メアリ・ダグラス『汚穢と禁忌』第6、10章 
多くの文化の祭式において、本来拒否されるべき不浄なるものが聖なる目的のために使われるのはなぜだろうか。フレーザーからサルトル、エリアーデにいたるまで多くの人類学的成果を吟味しながら、穢れを通して浮かび上がる、秩序と無秩序、生と死、形式と混沌の関係に鋭く迫る。穢れとは、秩序創出の副産物であると同時に、既存の秩序を脅かす崩壊の象徴、そして始まりと成長の象徴であり、さらに穢れと水はその再生作用において同一をなすものであると位置づける。未開人のもつ宗教・呪術的な意味での「穢れ」や「タブー」は現代人の「神聖」という概念と重なる。宗教学、哲学、心理学、文学にまたがる考察を通し、この概念がいかに人間の行為と関わるかを説く名著。
6/21 悪の発生──河合隼雄『子どもと悪』(岩波現代文庫)
「いい子」を育てる教育に熱心な社会では、子どもが創造的であろうとすることさえ悪とされることがある。しかし一方では、理屈ぬきに絶対に許されない悪もある。生きることと、悪の関係を考えるのは容易なことではない。「いじめ」「盗み」「暴力」「うそ」「大人の悪」など、人間であることと深く関わる「悪」を斬新な視点から問い直す。
6/28【哲学】善悪の彼岸──ニーチェ『道徳の系譜学』(光文社古典新訳文庫)第一論文
ニーチェの思想の構造、とりわけその道徳批判およびこれに関連する独自の価値思想の理論的な筋道をとらえるのに最も役立つ一書。ニーチェ自身、自分の思想の世界に分け入ろうとする人びとに本書と『善悪の彼岸』から始めるようにと勧めている。ニーチェは道徳的諸概念の発展に関わる挿話を追いながら、「道徳上の先入見」、とりわけキリスト教の道徳を転覆することを目指す。
7/5【歴史学】悪しき英雄(アンチヒーロー)の魅力──エリック・ホブズボーム『匪賊の社会史』第1、2、7、9章
ロビン・フッドや西部劇に描かれたアウトローなど、世界各地でいまなおヒーローと讃えられる匪賊たち。彼らはときには暴力的に振る舞い、社会的混乱を引き起こして危険因子と見なされながらも、抑圧的権力に対抗し、正義を求めて闘う、民衆の強い味方だった。母の名誉のために闘ったパンチョ・ビリャ、貧しい寡婦のため銀行強盗を犯したジェシー・ジェームズ。近代化以前のあらゆる国と時代において、民衆の生活に不可欠の要素として活躍した匪賊の系譜、その生き方や、彼らをめぐる政治・経済構造を丹念に追ったホブズボームの意欲作。
7/12【精神分析】戦争──フロイト「人はなぜ戦争をするのか」「戦争と死に関する時評」(光文社古典新訳文庫)
一九三二年、国際連盟がアインシュタインに依頼した。「今の文明においてもっとも大事だと思われる事柄を、いちばん意見を交換したい相手と書簡を交わしてください」。選んだ相手はフロイト、テーマは「戦争」だった。宇宙と心、二つの闇に理を見出した二人が、人間の本性について真摯に語り合う。人間には戦争せざるをえない攻撃衝動があるのではないかというアインシュタインの問いに答えて、フロイトは、ひとは戦争をなくせるのか、と問う。
7/19【哲学】悪の赦し──ジャック・デリダ「世紀と赦し」
圧倒的な災禍や犯罪を被ったとき、私たちはいかにしてこれらの害悪を赦することができるだろうか。赦しがおこなわれ、償いや和解が実現するための条件とは何か。ヨーロッパにおいて赦しの哲学的主題は第二次世界大戦中のユダヤ人大虐殺の問題とともに提示されてきた。想像を絶する悪が赦しえないものであるならば、罪を犯した者たちが赦しを乞うていないならば、赦しなど不可能であるだろう。赦しえないものがあり、赦しにまで至らせない条件がある。これに対して、デリダは赦しえないものを赦すことこそが赦しであるという「無条件的な赦し」を説いた。赦しの条件/無条件とは何か。そもそも赦しという行為は人間的な尺度を超えているのだろうか。