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 このページは北山の日々の雑感を徒然なるまま、なすがままに独白するコーナーです。このコーナーは十四年めとなりました。皆さまにはお付き合いいただけることをとても嬉しく思い、感謝いたしております。

 なお、ここに記すことは全て個人的な見解であることを申し添えます。なに言ってんだかっていう感じでご笑覧いただければありがたく存じます。

 お正月が明けた今日から2022年版を掲載します。更新は例によって不定期ですがよろしくご了承をお願いします(2022年1月4日)。



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オンラインで出張講義 (2022年12月19日)

 わが家の愚息はきょう、二学期の終了式を迎えて通信簿を貰います。わたくしの方はといえば、年末恒例の東京都立青山高校の大学模擬授業をオンラインで実施しました。この数年は毎年、テーマを替えて授業をしていて、今回は『建築の鉄筋コンクリート構造ってなんだろう』というものにしました。わたくしは鉄筋コンクリート建物の耐震性能評価を主要な研究テーマとしていますが、今回初めて自分自身の専門に最も近い課題を選んでみました。

 時々書いているように「鉄筋コンクリート構造」の講義は本学では三年生を対象に実施していますので、かなり難しいかなと思いました。でも、この三年生の講義の第一回でも同じような「鉄筋コンクリート構造ってなんだろう」という授業を行っているので、さらに分かりやすく噛み砕けば大丈夫だろうと思って選びました。この授業では、コンクリートが硬化する化学式や部材の復元力特性のグラフを見せましたが、最後に挨拶してくれた一年生の生徒さんがこれらは難しくてよく分からなかったと感想を述べてくれました。うーん、やっぱり難しかったかな…。

 今回の授業には一年生が15名、二年生が10名、そして青山高校の先生1名がZoomで参加してくれました。今回は数名の生徒さんが質問をしてくれたのは嬉しかったですね。青山高校に出向いて対面でやっているときには質問された記憶がありませんし、これまで三回やったオンライン授業でも質問が出たのは今回が初めてでした。オンライン授業だと対面と較べて格段に手応えがないので、質疑応答を行うことによってちょっとばかり達成感を得ることができました、よかったあ〜、そしてありがとう。参加した先生も質問してくださいましたので、定刻を十分ほど超えて模擬授業は終わりました。

 生徒さんからの質問はどれもいい質問でしたが、「どうして建築学科を選んだのか」という質問にはちょっと困りましたね。まさか、いくつかあった候補の学科から消去法の結果として残ったとはさすがに言えませんから。どう返答したかはご想像にお任せします。

 今年は90分授業のちょうど真ん中に五分間の休憩を入れることができましたし、用意したスライドをほとんど端折ることなしに90分ぴったりで講義を終えることができたので自分自身としては結構満足しております、はい(まさに自己満足ってやつですけど、あははっ)。


思ひでの地ふたたび (2022年12月17日)

 子どもの頃、小学生から中学生の時分に毎夏休み、茨城県大洗(おおあらい)に海水浴に二泊三日で出かけるのがわが家の恒例になっていました。父の職場の保養所が確か大貫海岸の松林のなかにあってそこで過ごしました。目の前のちょっとしたコンクリート堤防を抜けるとそこはもう太平洋でした。夏の強烈な陽光によって砂浜が焼ける匂いや近隣の漁師が獲った魚をさばいたり日干しにするときの鼻を突く臭いなどが今も鮮やかに蘇ります。

 そのころの国鉄常磐線は上野駅が始発で、垂直の木椅子の急行列車に揺られて水戸まで行きます。家族四人で向き合って座る旅は二時間ほどもかかったと思いますが、もうすぐ海が見えるんだと思うとワクワクとした高揚感と期待感とでそれは楽しいものでした。茨城県はタバコの葉の産地なので、(タバコ会社に勤めていた)父が車窓から見えるタバコの葉を説明してくれたものです。昔のことですから父は列車内でプカプカとタバコを飲んでいたことと思います、名うてのヘビー・スモーカーでしたから。

 水戸駅に着くとそこから先は車です。タクシーだったときもあれば、父の職場のひとが車で迎えに来てくれるときもありました。子どもの頃のわが家は貧しかったので、家族旅行で泊まるのはいつも社の保養所でした。当時の父は既に調査役とか部長とかの管理職だったので、どこに行っても必ず社のひとが挨拶に来て、ついでにどこかに連れて行ってくれたりします。その方のご自宅にお呼ばれしてご馳走になったりもしました。子どもでしたから当時はそれが当たり前なのかと思っていましたが、現在であれば考えられないことと今にして思いますなあ。良し悪しは別として高度成長期の日本を背負った会社組織の堅牢さと同じ釜の飯を食う社員同士の団結力を感じさせます。

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 それから半世紀を経た今日、ひとりで大洗に出かけました。日本建築学会関東支部の設計提案競技のプレゼンテーションと公開審査とがこの地で開かれ、その表彰式に主催者代表として挨拶することを求められたためです。この提案競技の課題は「風光明媚な自然と多彩な景観資源がおりなす大洗町の未来を考える」というもので、茨城支所の皆さんのご尽力のおかげで21件の応募があってひとまず安堵したところでした。応募者は関東支部内の方々が多かったですが、それ以外の地域からもいくつか応募があって嬉しく思いました。

 さて現代の旅は上述の半世紀前とは様変わりして、まず常磐線の特急「ひたち」は品川駅始発となっていました。迂生は東京駅から乗車したのですが、てっきり東京始発だと思っていたら既にお客さんが乗っていてギョッとしました。特急「ひたち」は上野駅に停車すると次は水戸駅までノンストップで走ります。座り心地もよくて快適です。約一時間で水戸駅に到着しました、あっという間で速いですね〜。

 そこから先は鹿島臨海鉄道に乗り換えますが、この鉄道では交通系ICカード(パスモ等)が使えないことが分かって驚きました。ローカル鉄道とはいえ今どきそんな会社があるんだなあ。おまけに電車ではなくてディーゼル・カーで、それは一両だけですし、線路は単線でした。そのくせ水戸を出るとしばらくは高架上を走っていて、そのちぐはぐさもなんだか滑稽でしたな。ダイヤは三十分に一本くらいでした。水戸駅から三駅めが大洗駅でして、わたくしの乗った気動車はここが終点でした。約十五分の乗車(途中、上り線とのすれ違いの待ち時間を含む)ですから短いものです。

 
 写真1 一両だけの鹿島大洗線

 大洗駅には初めて降り立ちましたが、辺り一面にアニメのポスターが貼られていたことにまず驚きました。ガールズ&パンツァーというやつで、女の子と戦車とが主人公のようです。聞くところによるとここはアニメの聖地と呼ばれているらしく、確かに愚息と同じくらいの歳頃の若者たちがたくさん降りて付近の散策に出かけて行きます。ふーん、半世紀も経つといろいろと変わるもんなんですなあ。こうやって街の活性化を図るということなんでしょう。ただその割に大洗駅の前にはなんにもなく、寂しいかぎりでした。

 大洗駅からはタクシーに乗って目的の「幕末と明治の博物館」に向かいました。ここは明治時代の政治家・田中光顕(土佐出身)によって昭和初期に建てられた明治天皇を顕彰する施設でして、わが大学の近くの聖蹟桜ヶ丘にも同様の施設が建っています。余談ですがこの博物館が建つ地はキャンプ場を併設していて、雨の降りそうな寒い日だったにもかかわらず、次々に車がやってきては松林のなかにテントを張っていました。

 
 写真2 幕末と明治の博物館

 せっかくですから設計提案競技の公開審査の様子を載せておきましょう。設計系の大学教授、建築家および大洗町職員が審査員を務めておいでで、デザイン系の公開審査は初めて見ましたが、基本的には大学の設計課題や卒業設計の講評会と同質のものだなと思いました(って、そんなことを言うと怒られそうですけど…)。ただ設計競技では順位を付けないといけないので、そこはちょっと悩みそうです。実際この日は第二次審査に進んだ9件からまず5件を選び、さらに2件に絞ってそこから最優秀賞を決めるという手順でした。なおプレゼンおよび審査の際には提案者の名前や所属は伏せられています。

 
 写真3 博物館ホールでの公開審査 手前の机に座った五名が審査員

 第1位に選ばれた作品は図面がとても綺麗で見栄えがしましたし、なによりも農業と景観とを結びつけた発想が素晴らしいと思いました。大洗といえばやっぱり海が最初に浮かびますし、実際、これ以外の作品は全て海が主人公になっていましたが、この作品だけ山あいの農業とそこから見える筑波山を景観の対象としていたことが独特でした。わたくしもこの作品が一位になったことに納得します(表彰式になって分かりましたが提案者は茨城大学の大学院生でした)。

 表彰式は午後四時頃に終わってお役目を解かれましたので、タラタラと歩いて近くの酒屋まで行きました。行きのタクシーの中からちょうどいいあんばいの場所に酒屋があるのを見つけておいたので、そこで四合瓶の地酒を一本買ってついでにタクシーを呼んでもらおうとの心算でした。われながらいいアイディアだなあとか悦に入りながら…。

 ところが既に薄暗くなって雨がポツポツと落ち始めた夕方だったせいか、タクシーは全部出払っていて配車できないって言われたことが誤算でした。お店のひとに聞くと大洗駅まで歩けないことはないという(でも、フツーは歩かないよねみたいな雰囲気の)返事でした。ここにいても仕方ないので歩くことにしました。ただ大洗駅まではふた山くらいあって登ったり下りたりが結構つらく、予想よりも時間がかかって二十五分ほどでやっと大洗駅に到着しました。そこだけ煌々と灯りがともっていて、やっぱりガラーンとした寒々しい駅前でしたね。

 それから水戸駅での特急待ちの時間も結構あって、おまけに表彰式が終わった頃に京王線でまたまた人身事故があって止まっていて、新宿駅からつつじヶ丘駅まで五十分もかかったりして午後八時過ぎにやっと帰宅したのでした、ああ疲れた…。

師走におもふ (2022年12月16日)

 授業が終わって一息入れてから帰ろうと思ったのですが、京王線が人身事故で止まっていることに気がついて当分帰れないのでこれを書き始めました。十二月も真ん中を過ぎましたが、安寧のうちに年を越せなかった人がいるかと思うと気分が滅入って参ります、悲しい世相ですね…。

 研究室に配属された三年生を対象とする特別研究ゼミナールがおとといキックオフを迎えました。今年度は最初から来年四月以降の卒業研究を見越して、こちらが提示した幾つかのテーマから各自が興味のある課題を選んでもらうことにしました。そのために主要な研究テーマについては毎回、一時間くらいのレクチャーをすることにしました。

 また参考となる資料をGoogle drive上にアップすることにしましたが、これは2020年度に石川巧真さんに作ってもらったもので、新規メンバーの登録の仕方が分からなかったので彼にメールして教えていただきました。一年中、繁忙期という職場に身を置きながらも、かつての指導教員の泣き言に即座に対応してくれた石川さんにはホント感謝しております。健康に気をつけて仕事して欲しいと思います、はい。

 大学院生を対象とした「耐震構造特論第1」では講義が終わって、先週から英文論文の輪読が始まりました。今年度はPaulay先生とPriestley先生が書いた書籍のイントロ部分を精読することにしました。これを読むのは久しぶりなので迂生ももう一度、深読みをしております。

 で、学生諸君に全訳をしてもらうのですが、和訳はなんとなくよさそうに聞こえます。しかし、例えばこの文の主語はどれで動詞はどれかとか、thoseの指すものは何かとかを質問すると間違っていたり、答えられないひとが続出するのにはちょっと驚きました。じゃあ、なんで日本語に訳せるのだろうか…それが不思議です。

 想像するにネット上にたくさんある翻訳ソフトか何かで翻訳したものを読み上げているのではないかなあ。もちろんそれでもいいのですが、著者の意図したことを理解した上で英文を訳して欲しいと思うのです。贅沢な要求なのでしょうか…、よく分からないけど。こんな感じでたくさん質問しながら輪読するので、なかなか進みません、まあ仕方ないか。

新しい気分で (2022年12月12日)

 師走も三分の一を過ぎました。先週の教室会議で来年度の卒論生の研究室配属が決まりました。今年は定員ちょうどの四名の三年生がわが社を志望してくれました。ありがたいことですなあ。昨年度はわが社だけが志望者ゼロでちょっぴり寂しい気持ちになりましたが(でも、面倒みないといけない学生がいなければそれはそれで楽だということに気が付きましたけど…)、今年の暮れはこころ安らかな気持ちで過ごせそうでよかったです。

 この四月から三年生を対象とする「鉄筋コンクリート構造」の授業を再度担当するようになったせいか、志望者が戻って来たのかもしれません。そうだとすれば、担当講義を交換してくれた壁谷澤寿一さんに感謝しないといけないと思います。今週からは配属になった三年生諸君を対象としたゼミナールを開く必要があるのですが、昨年はやらなかったこともあって何をするかなあとあれこれ考えています。

 せっかく三年生が来てくれたことだし、この際、心機一転、新しい試みをしようかと考えています。以前は翌年の四月以降に卒論のテーマを選んでもらっていました。しかしそれだとそこに至る約四ヶ月は有益に使われないことが分かりましたので、最初から卒論に直接つながるような内容にしようと思います。とはいえ、専門知識のない三年生がいきなり先端研究の内容を理解することはできないので、具体の内容についてはどうしたものかとあれこれ思い悩んでいるところです。昨年のことを思えば、まあ贅沢な悩みかもしれません。

 これで来年四月以降は研究室の体制を立て直せそうな気がして来ました。今年度は研究室メンバーが二人しかいないため、研究室ゼミは休眠状態になっています(もちろん、個別のゼミはやっていますが…)。それを思えば研究室に活気が戻って来ることは嬉しいし、学生諸君とみんなで研究できることに感謝しないといけませんな。ということで、とりあえず学生用の研究室を整理してもらうように(誰も使わないパソコンやモニターが山積み!)M2の二人には頼んでおきました。

「若者たち」のおもひで (2022年12月8日)

 昨日、「若者たち」という雑文をしたためました。そのときに「若者たち」というフォークソングのことを思い出しました。

 ♪君のゆく道は 果てしなく遠い
 だのになぜ 歯を食いしばり 君は行くのか そんなにしてまで♪

 調べてみると1966年にザ・ブロード・サイド・フォーという(わたくしにとっては馴染みのない)男性四人組が唄ってヒットした曲らしいです。ですからこの曲をリアルタイムでは知らないのですが、中学校一年生のときに担任だった羽鳥健一郎先生がこの曲がお好きで、ホームルームの時間なんかに皆んなで歌ったような記憶があるんですね。もしかしたら音楽の教科書にも載っていたかも知れません。

 羽鳥健一郎先生は数学の教諭で、そのお名前から「ハトケン」というあだ名で慕われていました。多分、歌がお好きだったのだと思いますが、水前寺清子の「幸せは歩いてこない、だから歩いてゆくんだよ〜一日一歩、二日で三歩…三歩歩いて二歩下がる〜」っていう有名な歌もよく口ずさんで歌っていました。そういうとき先生は必ず「ああ、いい歌だなあ」ってしみじみと言ったものです。

 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:戸山・百人町20161129:P1010980.JPG
写真 母校の中学校 すでに廃校となり、コンヴァージョンされて今は新宿区立中央図書館になっている(2016年晩秋撮影)

 羽鳥先生はわたくしが二年生になったときに他校に転任されました。先生はその直前にクラス全員にひとりずつ手紙を渡してくれ、わたくしには「残念ながら君に数学の5をプレゼントできなかったね。でも、君はやればできるはずだ、がんばれ」ということが書かれていました。その自筆のお手紙は今でも大切にとってあります。ハトケンの温かな激励のおかげでその後の勉強や受験を乗り切ることができたと思っています。高校一年生になったときに羽鳥先生にお会いする機会があり、わたくしが都立A高校に進学したことをとても喜んでくれたのを昨日のことのように思い出します。

 ときどき書いていますが、わたくしは小学校から高校まで、学校の先生にはホント恵まれたと思っています。そのような恩師のひとりだったハトケンですがその後は一度もお会いすることなく、やがて先生は亡くなりました。その後のわたくしの歩み(大学を出て、大学の教員になったこと)をハトケンに報告しなかったことが今でも心残りで、申し訳なく思っているのです。

若者たち (2022年12月7日)

 急に冬らしい寒い日々がやって来ましたね。マフラーを付けるのはなんとか踏み留まりましたが、たまらずダウンコートを着て手袋をつけました。もうちょっと寒くなって我慢できなくなったときがマフラーの出番だと思っています。

 さて卒論の中間発表会も終わっていよいよ三年生の研究室配属を決める季節になりました。昨年同様、ことしも第一志望および第二志望の研究室を書いて提出してもらいます。その締め切りは既に過ぎたのですが、どういうわけか数名の三年生からたて続けに研究室訪問を求めるメールが届きました。

 正規の手続きでは、志望提出前に興味のある研究室を回って説明を聞くことになっています。ところがその学生諸君は志望届を出したあとに迂生のところに来たわけです。これって今までになかったbehaviorでして、一体どういう意図なんだろうかと訝しく思いました。

 そこでやって来た三年生たちにその理由を聞いて、この謎(なんて大げさなモンでもないけど)が解けました。そのひと達は第一志望を計画系の研究室にしたのですが、そこは人気があるのでダメだったときの第二志望として迂生の研究室を記載した、ついてはわたくしのところに挨拶がてら話しを聞きに来た、ということだったのです。なるほど、そういうことなのね…。

 まあわが社は不人気研究室なので来てくれるのはいいんですが、釈然としないものを感じるのも事実です。志望届の提出前になぜ訪問しなかったのかの理由がよく分からんひともいましたし、何よりも第一希望の研究室に無事採用されたらそちらに進むわけで、じゃあ迂生が三十分もかけてわが社の説明をしたのはなんだったのだろうか、という風になるわけですよ。そんなわけで、話しをしているうちに思わずそのことを吐露しちゃった相手は「そうですよね、やっぱり失礼ですよね」って言っていましたので、彼らも一抹のやましさは感じているようでした、だからまあいいか…。

 でもいつも書いていますが、こうやって個別に学生さんと話すと、皆さんそれぞれにしっかりした考えを持っていますし、礼儀正しく接することのできるひとが大多数です。そういう若者たちと親しく接することのできる大学ってやっぱりいいなとあらためて思います、はい。

落ちたらいかん (2022年12月4日)

 わが大学で殺人未遂事件が起こった頃は雨交じりの強い風が吹いていました。その頃、わが家でも小さな出来事がありました。しかし小なりといえでも、通常であればこの業界においてそんなことはあってはいけません。

 わが家では建物のメンテナンスのために外壁等を再塗装することになり、周囲に足場が立っていました。その足場の一部がこの日の強風のせいで二階のベランダに落下したのです。たまたまその真下の一階にいた家内がそのときの衝撃音を聞いていて、ガラガラとものが転がるような音がしてからズドーンときた、ということでした。

 帰宅してそのことを聞いてから、もう暗くなったベランダに出てみると単管パイプの一部(のようなもの)が落ちていました。どうやら足場の最上部の一部が崩れて瓦のうえを滑ってから落下したようです。ベランダの手すりにぶつかったらしくて、そこがへこんでいました。ふーん、そういうことか…。でもよく考えてみると、建設現場で足場が落下したなんてことは聞いたことがありませんよね。それは大事故へと繋がりかねない危険な事故だから、あってはならないことでしょう。そんなことは建設業界では常識のはずです。

 

 そこで工事を請け負った大手ハウス・メーカーにすぐに電話すると担当者もさすがに驚いたようで、もう夜だというのに雨風のなかを現場責任者が駆けつけてきました。まあ当然だな。で、調べてもらうとどうやら屋根上に据え付けたジャッキ(ネジ状の部分を回して上下させることで圧着してものを固定するための部品、つっかえ棒と同じ原理)が強風によって回転したことで緩んで落下したようでした。これがベランダのうえに落ちたのは不幸中の幸いでして、ベランダに落ちたときに跳ねて窓ガラスを割ったかもしれず、もし外側に落ちれば車を直撃したかもしれず、また場所が悪ければ歩道上に落下したかも知れないわけで、相当に重大な事故であると迂生は思いました。

 担当の業者もコトの重大性は認識したようで、翌日に屋根瓦やベランダ近辺の被害を詳しく調べて、すぐに瓦屋さんが来て修理と点検とを実施しました。その瓦屋さんも足場が落ちるなんて聞いたことないって言っていました。ただ、足場を構成するそのジャッキがなぜ落ちたのかについては現場責任者の推察は聞きましたが、それが本当かどうかは分かりません。どうやらそのジャッキを誰かが移動させて、その据え付け具合が悪かったらしいのですが(って、屋根の上なのでそこに行く職人さんは限られていると思いますけど…)、それがどの工程で誰によって為されたのかは不明のようでした。

 ということで、小事件とは言ってもわが家にとっては重大事象でして、それへの対応に相当に気を使い、時間もとられました。建設業の方はご存知でしょうが、足場をぐるっと建てるだけで相当なお金がかかります。日本を代表するハウス・メーカーに大枚をはたいて作業を依頼したにもかかわらず、そんな事故が出来するとは想定外でして、全くもって何やってんだろうねえっていう諦念が沸き起こるのをどうすることもできませんでした。その業者(の看板)を信頼して工事を依頼しているのだから、その信頼を裏切るようなことはして欲しくなかったなあ、って思うわけです。

卒論の発表会 (2022年12月1日)

 師走になりました。昨日は気温が20度くらいあって過ごしやすかったですが、今朝はどんよりとした曇り空で気温も10度くらいで寒くなりました。年末らしい朝を迎えたなあと思っております。

 COVID-19ですが第八波に入ったようでまたまた感染者数が増えてきました。ただ重症になったり亡くなるひとは減ってきたようで、政府はCOVID-19をインフルエンザ並みの分類に変更しようと考え始めたみたいです。なにが妥当で、適切な方策は何なのかをきちんと科学的に議論して決めていただきたいと思います。

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 さてきょうは終日、建築学科の卒論発表会(中間あるいは最終)が国際交流会館で開かれます。例年、この行事が開かれる日はうそ寒くて気分の滅入るような曇天だったり小雨降りだったりする印象がありますが(ただ昨年は晴天でした)、きょうもまさしくそんな日になりました。ポスター・セッションの会場に行くとたくさんの学生諸君と先生がたとでかなり密集していました。身の危険を感じますからポスターをササッと拝見して、質問することもなく立ち去りました。あっさりしたものですが、最終の口頭発表(来年二月)のときに質問するからいいだろうっていう感覚です。

 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:TMU国際交流会館_卒論中間発表会20221201:IMG_1586.JPG

大学構内もおちおち歩けない (2022年11月30日)

 報道等で皆さまもご存知でしょうが、昨日の夕方、本学・南大沢キャンパスの構内で殺人未遂事件が発生しました。わたくしが下校するときには、キャンパス北側の公道にパトカーと救急車が停まっていて、パトカーのスピーカーがなにやら聞き取れないことを流していて何だろうと思いましたが、近隣の集合住宅で何かあったのかなとちらっと考えたくらいでした。

 ところが帰宅して、大学事務方からの一斉メールによって冒頭に記したような大事件が発生していたことを知ります。昨日は荒れた天気で午後四時過ぎにはもう薄暗かったのですが、その頃、構内を歩いていた宮台真司先生(社会学者)が何者かに襲われて重傷を負ったという事件です。詳細が不明な段階では四、五十代の大学職員が斬りつけられたくらいのことしか分からなかったので、不特定者に対する通り魔犯罪かなと思いました。でも、被害者が宮台先生だという報道を見てから、もしかしたらこれは彼個人を特定して狙った事件じゃないかと考えるようになりました。

 宮台先生は暗くて犯人がよく見えなかったそうですが、犯人は頭や首を狙って襲撃しているので明らかに殺意を感じますよね。テレビの報道では授業が終わって北側の道路を歩いているときに襲われたとのことなので、そのことを知るひとが宮台先生の後をつけたか、待ち伏せしていたという可能性が高いと思われます。ということは犯人は本学関係者ということになりますが、それはちょっと考えたくないですなあ…。ちなみに犯行現場となった北側の道路はサービス動線として車が通行でき(本学内は基本的に歩車分離され、人間が優先されています)、普段は歩くひとはほとんどいない寂しいところです。犯人はそういうことも知っていたのではないでしょうか。

 被害者の宮台先生は本学教授ですが、面識はありません。彼は女子高生の援助交際などを取り上げてきた有名人なのでお顔は存じ上げていますが、ときどき大学構内でお見かけするくらいです。被害に遭われた宮台先生にお見舞いを申し上げ、一日も早い大学復帰をお祈りします。

 でも、最も安全だと思われる大学構内でこんな殺人未遂事件が起こるなんて末世だなあと思いますよ、ほんと。幾人かの方からはご丁寧にお見舞いのメールをいただき(気にかけていただき、ありがとうございます)、暗い夜道は気をつけて下さいなんてご注意をいただきましたが、これじゃ大学構内もおちおち歩けやしないじゃないかと思っております。

 大学ではかような一大事が出来したこの日、同じ夕方に実は我が家でもちょっとした事件が発生してその処理であたふたしたのですが、そのことはまた別に書こうと思います。

構造設計演習のはじまり (2022年11月29日)

 なんだか台風のような暴風が吹き、ときおり横なぐりの雨が吹き付けてくる荒れた天気になりました。十一月も末ですが何やら生暖かい風なのがちょっと不気味な感じです。

 さて今日から三年生対象の「構造設計演習」の後半が始まりました。二コマ続きの演習科目ですが、後期の前半は高木次郎先生が鉄骨構造の設計を担当し、後半に迂生が鉄筋コンクリート建物の構造設計を担当します。三年生も後期ともなるとそれぞれが専門性を強く意識するようになるので、この演習科目を選択する学生さんは例年多くはありません。ここ数年は七、八名程度の小人数が履修しています。

 この演習では1層1スパンの門形骨組を鉄筋コンクリート構造で設計してもらいます。ただし各人に別々のスパンおよび階高を割り当て、柱や大梁の断面およびスラブ厚さは各人が決めますので、同じ建物を設計する学生はいないことになります。その分、計算書・レポートの採点は大変になりますが(電卓をたたいて数値をチェックするのが毎年大変なんですけど)、それらの試みを見ることでこちらもいろいろと考えさせられることもあります。

 2020年のCOVID-19による感染症の拡大以降、この演習の説明もパワーポイントを使って行うようにしましたので、そのスライドを配布しながらの演習となります。小人数なので学生諸君からの質問に答えやすい環境なのですが、例年、質問を受けることはあまりありません。また学生同士相談しながらやっていいよと言うのですが、そうしている風情も見かけません。まあ、好きに取り組んでよいので、どうでもいいんですけど。

やっと開通 (2022年11月28日)

 何度か書いてきた野川沿いの未成道ですが、今年の八月初めにひっそりと開通していました。ちょうど大学院入試のときだったのでよく憶えています。約十年前にはすでに舗装した道形は出来上がっていて、京王線をくぐるアンダーパスのボックス・カルバートも完工していたことが自身の撮った写真で分かります。

 しかしながら、わずか数百メートルの新道を造るのに十数年も費やすっていうのはどうなんですかね…。思い返すと柴崎と国領との間にある都営アパートの駐車場だったところに道形が出現したのは、京王線の国領—調布間が地下化される前でした。どうやら地上にあった線路の下に向かってトンネルを掘っているように見えたので、当時は京王線の地下化にともなう関連工事かと思っていました。でも、それは間違っていたわけです。

 やっと開通した新道は甲州街道(国道20号)と品川通りとを結ぶ立派な都道ですが、そんなに交通量は多くありません。下の写真は新道が品川通りと交差するT字路ですが、中央に写っている信号機はなんのためにあるのか意図不明です。というのも、ここはT字路であって、手前からこの信号を見て直進する車が走るべき道路は未だないのです。その道路予定地には住宅が密集して建っていて、そこが近い将来に道路になるとは到底思えません…。

 
 

 かなりゆったりとした車道の脇には、これまた幅広の歩道と自転車道がくっついているのですが、それも全くもって意味不明です。ここの歩道を歩いている人間にわたくしは出会ったことがありません。それくらい人間にも利用されていない新道なんですねえ。都民の血税を使って(現在のところはどう見ても)不要そうなだだっ広い道路を作る理由はなんなのか、それが知りたいなあ…。

 “この街のメイン・ストリートわずか数百メートル…” by 浜田省吾「Money」

 下の写真は新道が甲州街道にぶつかるところです。もともと甲州街道が旧甲州街道へと分岐するところに新道をぶち当てたので、その交差点は不規則な形の四叉路になっています。その設計がまた、あんまり良くないように思えますな。調布市の広報によれば、この場所の工事が遅れたために開通が遅くなったということでしたが、結局のところお上のやることはさっぱり分からないということです、あははっ。

 

南大沢たより (2022年11月25日)

 十一月もそろそろ終わりに近づき、秋も深まってまいりました。いい日和だったので久しぶりに南大沢たよりでもお届けしましょう。下の写真は南大沢駅前のペデストリアンデッキから西側を見たもので、アンダーパスの向こう側正面にベルコリーヌ南大沢の中層建物群があって、さらにその遠方には丹沢山塊がうっすらと写っています。この写真ではよく分かりませんが、ベルコリーヌ南大沢の佇まいはちょっと日本離れしていて南欧の風情を色濃く感じます。これができた三十年前はそれなりにインパクトがあっただろうと思いますね。

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 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:国領の新道_南大沢_大学20221125:IMG_1572.JPG

 うえの写真は大学構内のインフォメーション・ギャラリー(鉄骨ガラス貼り)から学生会館と図書館を見越したものです。本学OBにとっては懐かしいでしょう。いつも書いていますが、このキャンパスはバブルの頃に建設されましたので東京都もお金が潤沢で、結構凝った造りになっています。現在であればこんなにお金をかけられないだろうなあとは思います。

歓喜の渦って… (2022年11月24日)

 きのうは終日、冷たい雨降りで気が滅入りましたが、今朝はいいお天気になりました。朝起きるとテレビで日本中が歓喜の渦に沸き立っていますとがなり立てていました。へっ?日本、勝ったの…というのが起き抜けの第一印象です。

 W杯サッカーの日本対ドイツ戦ですが、昨晩、前半だけ見てこりゃダメだなと思って就寝しました(あっさり)。我が家では誰もサッカーに興味はなく、前半を見たのは迂生だけです。前半ではボールをほとんどドイツに支配されていて、日本はやっぱり格下という感じがありありとしていましたし、日本のトップ・プロたちの動きが明らかにドイツ選手たちとは違っていて、ドタバタとしていました。それでも後半に2点とって逆転勝ちしたのは立派ですし、すごいと思います。でも、それじゃどうして前半はあんな感じだったのかなあ。

 しかし、日本中が歓びに沸いているなんて言われても、ねえ…。サッカーに興味のないひとだってたくさんいると思いますし、まあどうなんだろうか。ときどき書いているように迂生は高校生の頃にはサッカー部にいたことがあって、ボールを蹴って走っていました。でもその頃から、実業団チーム(当時はまだJリーグはなかった)のプレーを見たり、海外のプロチームの試合を見ることには興味はありませんでしたな。

 現在ではフォーメーションなどもその頃からは大いに変わって、ポジションの呼び方も違います。わたくしがサッカーをやっていた頃はウイング(フォワードは当時は三人で、左右のフォワードをウイングと呼んだ)、ハーフ、バック、スィーパーのような呼び方で、足が早いことだけが取り柄の迂生はウイングでした。サッカーも進化しているということでしょうが、ボランチとか言われても全く馴染みがないせいか、益々見る気が無くなったっていう感じです。盛り上がっている皆さんに水を差すつもりは毛頭ありませんが、別にどうでもいいっていう感想の人間がここにひとりいるっていうだけの話しです。

最後の審査 (2022年11月22日 その2)

 この午前中、大学院博士課程に在籍する社会人のかたの博士論文審査が対面で行われました。被審査者は橘高義典教授の研究室のかたで、コンクリート材料分野の研究ですので迂生の専門とは違いますが、副査として土木のコンクリート材料の専門家である上野敦准教授が加わっていますので審査体制としては強力ですのでご安心を。

 橘高先生は来年三月で定年退職されますので、橘高研の博士論文を審査するのもこれが最後だと思います。橘高先生のことはこのページで何度か書きましたが、二つの大学で互いに同僚であったという点でかなり特異な関係だと言えるでしょう(こういうのを世間では「腐れ縁」なんて言うのかな、腐ってないけど、あははっ)。わたくしが宇都宮大学構造研究室に助手として着任したときに、橘高先生は既に材料研究室の助手として活躍されていました。宇都宮に着任するとき、橘高先生が住んでいたアパートの部屋を引き払うということを伺ったので、部屋選びをするのも面倒だったのでその部屋に後釜として住むことにしました。ついでに冷蔵庫や洗濯機なども置いていっていただきましたので生活するうえでとても助かったことを憶えています。

 宇都宮で数年を過ごして、わたくしはそこを出て寄り道をしたりしながら東京都立大学に移りました。その後、数年経った頃にコンクリート材料の教授だった山本康弘先生がニコニコしながら「今度、びっくりする人事を行ったから」と言われたのでなんだろうと思ったのですが、橘高さんが宇都宮から東京都立大学に移ってきて再び同僚となったときにはやっぱり驚きましたな、また会いましたねっていう感じです。ちなみにその当時は環境学分野に石野久彌先生がお出ででしたが、彼も宇都宮大学から移ってきていたのでこの段階で本学建築学科には宇都宮大学経験者が三名も在籍したことになります。

 このような縁で、鉄筋コンクリート構造が専門の迂生にコンクリート材料分野の博士論文の審査を橘高先生は依頼してくださるのだろうと思っています。長きに渡ったそんな関係ももうすぐ終わるかと思うと、それはそれでやっぱり一抹の寂しさを感じます。研究者として駆け出しだった若い頃から定年退職を迎える老年期のとば口まで、一緒に教育・研究・組織運営に携わったという点でやっぱり稀有な関係かなと思って書いてみました。ちなみに橘高先生がどのように思っているのかは知りません、あははっ。

推薦入試 (2022年11月22日)

 昨日までの雨も上がってよいお天気になりました。晴れていると気分もウキウキしてくるので不思議です。今朝は校内を制服姿の高校生たちがたくさん歩いています。理学部や都市環境学部の一般推薦入試があるためです。ここにいる高校生諸氏は皆さん、本学を第一志望に選んでくれた生徒さんばかりですので、そう考えるとありがたいですし、嬉しくもなってきます。

 文部科学省からは推薦入試等による入学者を増やすようにとのお達しが出ていますので、本学でもその重みが上がっているようです。それはいいのですが、推薦入試では学力だけでなくそれ以外の活動や高校生活も評価せよ、というのはどうなんでしょうか。わたくしは以前から書いているように、ひとがひとを評価するなんてことは土台不可能で、どんな方法をとってもそのひとのある一面を見ているに過ぎない、というスタンスですので、文科省の上記の方針についても否定的な意見の持ち主です。

 聞くところによると高校での部活や学外でのボランティア活動などを一所懸命やらないと推薦入試の調査書に記述するネタがなく、面接のときに聞かれても答えられないということがあって、推薦入試対策として高校生諸氏は望むと望まざるとにかかわらずそういう活動に参加しないといけないみたいです。なんだかなあ、それじゃ本末転倒ですよね。

 高校生活の一部としてそういう部活とか学外での活動とかは重要だと思いますが、それらは自分が好きでやっているものであって、決して他人から評価されるためにやるものじゃないと思うんですよね〜。それを大学入試で評価するとお上が決めたときから、高校生諸氏にとっての不幸は始まっているわけでして、日本の大人ってホントろくなことを考えないなあって、絶対、思っているでしょうな。

 部活やボランティア活動を評価するのに、例えば毎日十二時間勉強したとか、三日三晩寝ないで勉強した(まあ無理だけど)とかの勉学上の努力を評価しないのはなぜなのか。学生の本分は勉強することなので、そのことをしっかり認めてあげるべきではないのでしょうか。

 大学での成績評価を厳密にするとかも含めて、どうしてもっと学生や生徒の自主性を重んじて、好きにやらせないのでしょうか。こんなふうにがんじがらめに縛られてしまっては、自由な発想など生まれ出てくるはずがないですし、ゆとりを持って人生を楽しむという気分にもなれないでしょう。箸の上げ下ろしまで差配するようなお上のマインドをなんとかしてくれっていうふうに思いますが、皆さんはいかがでしょうか。これじゃ高校生が可哀想って思わないのかなあ…。

不思議な隔絶 (2022年11月14日)

 どんよりとした曇り空で気分が滅入る朝ですなあ。今日は二年生の設計製図の最初の課題(市民農園のあるコミュニティ・センター)の講評会です。主担当の建築家教員が昨年から変わり、全員(五十数名)の分を講評することになりましたので、午後から夜までエンドレスでやるそうです。小林先生が主担当のときには十数人の各班から選抜された四、五名ごとの講評でしたので気が楽でしたが、全員を講評するとなるといつになったら終わるのやら、かなり不安です。

 さて先週、死刑をスピーチのタネにして更迭された法務大臣がいましたね。笑いを取るための話題として、言っていいことと悪いこととの区別がつかないというのがとても不思議に思います。大臣が自身をマスコミに取り上げて欲しいと思っていることも初めて知りましたが、粛々と職分を果たしてくれればそういう評価は自ずと付いてくると思います。老境に差しかかったいい大人がなぜそういうことに気がつかないのでしょうか。

 更迭された法相は東大法学部を卒業して官僚として活躍されたようで、世間ではエリートとか立派なひとと見なされている方ですよね。そういう有識者が一般庶民とはかけ離れた思考の持ち主なのはなぜなのか…。個人の資質と言ってしまえばそれまでですが、そういう政治家ってかなり多いような気がします。回りから先生、先生って持ち上げられてちやほやされているうちに一般常識を失ってしまうのかな(大学の先生もその点は気をつけないといけませんなあ、ときどき女房殿に注意されます、あははっ)。

 フツーの常識をわきまえていて、市井の暮らしを理解している方に官僚、政治家および大臣を務めていただきたいと切に願います。

試験体の廃棄 承前 (2022年11月11日)

 きょうもよいお天気になりました。

 昨日、試験体を廃棄したことを書きましたが、トラックの関係で二体しか運べず、残った一体は今朝、トラックに積んで運んで行ってもらいました。前日に晋 沂雄先生が残った一体にワイアをかけて吊るすだけでよいように事前準備をしておいてくれたお陰で、わたくしの作業は簡単に済みました。本当にありがたいことです。

 青空とちょっと色づいた街路樹とトラックの荷台で朝日を浴びて白く輝く試験体との様子を以下に載せておきます。

 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:RC柱梁接合部実験2022_井上村野:試験体廃棄20221111IMG_1542.JPG

試験体を廃棄する (2022年11月10日)

 校内の木々は黄や赤に色づき、その葉々も枝から離れてどんどんと舞い散ってゆく今日この頃です。そこはかとなく侘しさを感じます。

 さて大型構造物実験棟での実験ですが、とりあえず実験の終わった試験体三体を廃棄することになりました。11月中旬から壁谷澤寿一さんの研究室が久しぶりにここで実験をすることになったため、場所を整理して明け渡す必要が生じたためです。まだ実験結果の検討が進んでいないので本来ならば載荷の終わった試験体もしばらく保管しておきたいところですが、なんせ実験棟が狭くてパンパンにモノが詰まっていますので、廃棄しないと場所ができません。

 ということで朝早くから晋 沂雄先生にも実験棟にお出でいただいて、廃棄のための作業をしていただきました。見ていると手馴れたもので感心します。いつもありがとうございます。そのほかにもいろいろと頼みごとをしているのですが、まあご容赦いただければ幸いです。

対面の講習会 (2022年11月8日)

 COVID-19の感染拡大が2020年2月に始まって以来、久しぶりに対面で開かれた講習会に昨日、行ってきました。日本建築学会で刊行されている「建築工事標準仕様書JASS5 鉄筋コンクリート工事」の改定講習会です。わたくしも鉄筋コンクリート建物にはかかわっていますが、構造学分野の耐震設計などを守備範囲としていますので、JASS5を開くことはそんなにありません。それでも研究室にはJASS5を一冊常備しています。

 そんな専門分野外の講習会になぜ行ったのかというと、迂生はことしから建築学会・関東支部の支部長を務めており、この講習会が関東支部との共通事業であるために講習会の冒頭にひと言挨拶してくれと言われたからです。わずか数分の挨拶のために浜松町の会場まで出かけないといけないのは正直つらかったですけど、お役目なのでまあしょうがありませんやね。

 おまけに冒頭の挨拶なんか誰も聞きたくないわけで、会場に集まった皆さんはそんな形式的な挨拶なんかより、早いところJASS5の改定内容を知りたいに決まっています。そのことが迂生のやる気をさらに萎えさせましたが、気を振り絞って雑感めいたものを少しだけお話ししてきました。挨拶してすぐに退席するのもなんだか当て付けがましく、憚られましたので、冒頭の野口貴文さん(建築学科の同級生で東大教授)の説明を聞いてからお昼前に退散しました。

 せっかくタダで講習会を聴ける機会だったのですが、午後から設計製図の構造エスキスをすることになっていたので大学に戻りました。まあ仕方ありません、なんせこちらが本務ですから。しかし移動の時間ってやっぱり無駄だな…、大急ぎで南大沢まで戻りましたがそれでも一時間半はかかりました。で、研究室に着いたらすぐに学生諸君がやって来て、二年生たちのコミュニティ・センターの図面や模型にあれこれコメントしたり質問したりしているうちにあっという間に夕方になって日が暮れました。

 目が回るような忙しさだった割には達成感のない一日でした。なお、この日は大学認証評価の現地訪問調査の本番が終日、設定されていて、わたくしのような下働き要員も陪席できるようでしたが、そのような時間は全くとれませんでした。まあ、そちらは学部長の吉川徹先生に任せておけばいいでしょうから、すっかり頭から消えてましたけど。夜になってから、訪問調査で指摘された事項に対する回答を作れっていうメールが飛び交いましたが、もうそれは迂生のあずかり知らない領域なのでよしなにお願いします。

 ところで「JASS5」ですが皆さんはこれをどう読みますか? 迂生は「ジャス・ゴ」と呼んでいるのですが、英語なので「ジャスファイブ」と呼ぶのが正しいのかな…。そこで野口貴文さんに聞いてみたらどちらでもいい、とのことでした。まっどうでもいいか、あははっ。

演奏されない (2022年11月4日)

 先日の新聞に作曲家の吉松隆さんの談話が載っていて、「作曲された交響曲の90%以上は一度も演奏されずに消えていったはず」という話しがありました。数字の信憑性はともかくとして、そういうことは確かにありそうです。吉松さん自身も交響曲を何曲も作曲しているようですが、迂生は聴いたことがありません(録音されたものがどれだけあるのかも知らない)。

 また作曲された当時は演奏されて誰かの耳に届いたことがあるかも知れませんが、その後、忘れられて現在では誰も聴いたことがない曲もたくさんあるはずです。そういうことを思うとき、現代のわれわれが耳にするクラシック曲たちは極めて幸運だったということができるでしょう。アントン・ブルックナーやグスタフ・マーラーは20世紀後半になって再度、注目されるようになった作曲家たちで、そのことはやはり彼らにとっては僥倖であったと申せましょう。

 ブルックナーの交響曲のうちで初期(といっても既に四十歳を過ぎてからの作品ですけど)の第1番、0番および第2番[注]はほとんど演奏されることはないようですが、それでも商業的に録音されて手に入る演奏(レコードやCD)は三十や四十は軽く超えるのではないでしょうか。これらの曲はブルックナー存命時には全く演奏されなかったか、わずか数回演奏されただけで不遇でしたが、現在ではとても恵まれていると言えるでしょう。

 マーラーの友人でハンス・ロットという作曲家がいました。ロットが自身の書いた楽譜をブラームスに見せたところ芳しい反応を得られませんでした。そのことを悲観した末に精神を病んだハンス・ロットは何度か自殺を試みたのちに、病気で亡くなりました。25歳だったそうです。この夭折した作曲家の交響曲は忘れられていましたが、マーラーの人気上昇とともに「再発見」されて、今では数少ないながらもCDで演奏を聴くことができます。亡くなってから百年以上も経過して復活しても本人にとってはいいことは何もありませんが、それでも虚空に消えていった多数の曲たちのことを思えば、それはそれでよかったんじゃない?っていう気もいたします。

 ちなみにブラームスのハンス・ロットに対する上述の仕打ちをマーラーはひどいと思っていたらしく、そのことが一因となってマーラーはブラームス派から遠ざかり、ワーグナー派(ブルックナーはこちら側)にくみするようになったと言われています。

[注]ブルックナーの交響曲0番は時期的には第1番と第2番とのあいだに作曲されたことが現在では分かっています。この0番はブルックナー自身によって楽譜に「無効」と記されて、彼による通し番号が振られませんでしたが、楽譜自体は廃棄されることなく保管されていたことから、現在では聴くことができます。ブルックナーが最初に作った交響曲も同じく番号が振られておらず、こちらは習作交響曲とか交響曲00番とか呼ばれています。00番の録音はさらに少ないですが、ブルックナーの全集録音に含まれることがあって、わたくしも数枚のCDを持っています。

 ブルックナーは自身の楽譜をことごとくとっておいたらしく、そのことが多くの版を生むという混乱の一因にもなっています。ちなみにブラームスは完成版以外の途中の習作などの楽譜は他人に見せずに全て廃棄していたそうです。

マスクは… (2022年10月31日)

 十月晦日になりました。京王線の特急の車内で傷害・放火事件が起こって国領駅で緊急停車してから一年になるそうです。疾走して密室となった電車内での事件で、なおかつ国領駅のホーム・ドアが開かなかったことが非難含みで大きく報道されました。思い返しても恐ろしい事件でした。しかし電車内の監視カメラが増えつつあるとはいえ、基本的には状況は変わってないように思えます。ホーム・ドアと電車のドアとの中心がちょっとずれただけでしばらく停車したのちに停車位置の修正をする、というオペレーションはあまり変わっていないようで、相変わらずイライラするのは何とか解消して欲しいけどなあ(でも一年前に較べるとかなり減ったかな?)。

 さてCOVID-19感染拡大を防止するためのマスク着用ですが、政府はマスクを外す方向で宣伝しているみたいで、状況に応じてマスクを外すことは結構かと思います。でも電車内ではまだマスクをしたほうがよかろうと迂生は考えています。とはいえ、世間さまは広くていろいろな考えの人間がいるのは当然で、電車内でマスクする必要はないと判断するひともいるようで、そういうひとをちらほら見かけるようになりました。

 このあいだ電車内で座っていると、二つ空けて座ったひとが「窓を5cmほど開けていいですか」と尋ねたあとでいそいそと窓を開けていました。なるほど、換気を気にするひともいるのだなと思いました。そのあと、わたくしの隣に座ったひとはノー・マスクだったので内心イヤだなとは思いましたが、そのあとにカバンから缶ビールを出して飲み始め、おまけにおつまみまで食べ始めたのには唖然としましたな。

 まあここまでくると通勤電車内でのマナーとかモラルの問題だと感じましたが、わたくしは黙って座り続けました。もうすぐ調布駅なのでどうせ降りるから、まっ仕方ないかという諦めの境地ですが、その人にしてみれば言葉は発せずに咳やくしゃみもしないので問題ないだろう、という認識かも知れませんね。どうしても我慢ができなければこちらが席を立って場所を変えるしかないでしょうが、それはそれで片腹痛いという感覚を抱きます。

 こんな感じでしばらくはギクシャクしながら、世間の様子をじっと窺いつつ慎重に行動しないといけないということでしょうか。お上に決めてくれとは全く思わないものの、それもまた鬱陶しいなあと思っている今日この頃でございます。

後期の憂鬱 (2022年10月28日)

 ここのところ真冬のような寒い朝晩になっていますが、皆さまお変わりなくお過ごしでしょうか。今朝、校内を歩いていると久しぶりに渡辺恒雄先生(現在は高大連携センターの教授)にお会いしました。渡辺先生によると今日は八丈島の高校生たちの学内見学を実施しているとのことで、よく見ると後ろのほうに制服姿の若者たちが続いていました。高校生諸君に本学を知ってもらおうという広報活動の一環ですが、ご苦労なことで頭が下がりました。

 さて、わたくしの建築学科では後期に入って三年生を対象とした研究室選びのシーズンを迎えておりますが、これが毎年、憂鬱の種なんですねえ。

 卒論の研究室の配属方法は毎年の学科長・教室幹事(2022年度は永田教授[環境]と能作准教授[設計]のコンビ)の提案によって決まりますが、毎年少しずつ変わっていきます。まあそれはいいのですが、ここ数年は研究室の人気投票のようなかたちになっていて、わたくしのような不人気研究室の主宰者はこころ穏やかではいられません。三年生対象の「特別研究ゼミナール」という正規の授業のなかで、興味のある研究室にゼミナール体験をしに行くという日があるのですが、昨年度は迂生のところを希望する学生はひとりもいませんでした。その当然の帰結として、卒論生はひとりも配属されないという至極当たり前の結果になって今に至る、です。

 ことしも同じようになったら嫌だなあと思っていましたが、今年度から「鉄筋コンクリート構造」の授業担当に復帰したことが奏功したのかどうだか分かりませんが、ことしは五名のエントリーがあって安堵したところです。ただこれは三年生にとってはあくまで話しを聞いてみるというだけのことで、研究室への配属がどうなるかはまた別なわけです。

 この歳になると正直言って学生さんに来てもらわなくても別段構いません。そうすると研究活動は以前のようにバリバリ進むというわけには行かなくなりますが、それはそれでもういいかなと思うわけです。もちろん頭のなかではいろいろと考えることはありますが、それを実体化して世の中に問おうという気力が失せつつあるのは確かでしょうな。この期に及んでしゃかりきになって研究業績を積む必要もないしな…。こんな感じで少しずつフェードアウトしながら、気がついたら退場していたというのが理想なような気もいたします。

 もちろん迂生の研究室で研究したいというやる気のある学生諸君はウェルカムですし、志の高い学生諸氏とは一緒に研究活動に勤しみたいと考えます。それくらいの鷹揚さでこの秋から冬を過ごせたらいいなとは思うのですが、なんせ人間が小さいので一喜一憂しながら当分は過ぎてゆくのだろうとため息交じりに思っています、はああ…。


秋のシーズン終わる (2022年10月23日)

 きょうはよいお日和だったので冬布団をケースから取り出し、ベランダに干してふかふかにしてからベッドの上にスタンバイさせました。明日から一段と冷え込むらしいのでそれに備えたわけです。もっとも、寒がりの家内は二週間も前にそうしていましたけど。

 さて、東京六大学野球の秋のシーズンは続いていますが、東大は本日の法政大学戦をもって全日程を終了しました。両大学ともに勝ち点なしで臨んだ最終カード(ビリ争い)でしたが昨日は1-2、きょうは0-5で負けて、残念ながら勝ち点を奪取することはできませんでした。

 昨日はエースの井澤さん(4年)がいい投球をして、東大は貧打でしたが浦田さん(4年)のホームランが出て、九回表まで1-1の同点でした。しかしその裏に松岡さん(3年)がサヨナラ・ホームランを打たれて惜しくも敗れました。今日も東大投手陣はいい投球をしたと思いますが、最終戦になって多少、緊張の糸が途切れたようにも見えてエラーが続出し、無駄に点をとられたという印象です。残念ながら最下位脱出はなりませんでした。

 これで四年生たちは引退ということになります。その四年生たちが野球への思いを東大野球部ブログで綴っています。それらを読むと野球に対する考え方とか思いは各人各様で、勝利よりも大切なものがあると訴えるひと、勝利を目指してこそ野球をやる意味があると強調するひとなど、東大野球部のなかでかなり幅広な考え方があることをはじめて知りました。どれも共感できる意見なのですが、同じチームのなかでそういう意見の相違をどうやって克服してゆくのかはかなり難しい問いのように思いました。

 東京六大学野球で最下位に座り続ける東大野球部ですが、部員は100名程度いてそのなかでレギュラーになるのがいかに大変かは、彼らが縷縷綴っていました。ですから神宮でプレーをするのは東大のなかにあっては図抜けた選手ということになりますが、如何せん相手は高校時代には甲子園で活躍してプロにも行こうという野球エリートばかりですから、そんな猛者を相手に野球するのがどれほど大変か、想像にかたくありません。彼らの真情を読んで、そういう東大野球部を個人が自主的にする「部活」とみるのか、それとも大勢の人間がかかわって個人は埋没する「公器」とみるのかによって目指すものが異なることを理解した次第です。

 でもそういう苦悩や葛藤を抱えながら試合に臨む大学生諸君は、試合に出るひとも出られないひとも裏方さんも(そして応援団の皆さんも)全てが素晴らしい経験をしていると思います。そういう彼ら/彼女らを迂生は頼もしく思いますし、ますます応援したくなりました。

久しぶりの晴れ (2022年10月20日)

 久しぶりにカラッとした晴天を迎えました。朝方は寒いくらいでしたが、お昼過ぎに大型構造物実験棟に出向いたところ、ちょうどよい陽気になっていました。そこでお昼の食休み代わりにぶらっと構内を散策してみました。途中、機械建築実験棟のヤードでは三年生が「建築構造実験」の作業をやっているのがチラッと見えましたがそこには立ち寄らず、南大沢キャンパスの東端にある体育館や部室棟まで足を運びました。

 本学の建物は基本的には鉄筋コンクリート構造です。1991年当時の東京都の好景気を受けてそれらの建物はどれもかなり凝った作りになっていて、お金がかかっていることがすぐに分かります。下の写真は学生さんたちが使用する部室棟ですが、コンクリートの打ち放し仕上げのテクスチャーが綺麗です。そこに曲面やスリットが多用されているので歩いてみると思わぬところから日の光が射していたりして、なかなかに楽しいです。コンクリートの白色や影の部分と雲ひとつない青空とがよい対比になっていると思いますが、いかがでしょうか。

 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:TMU体育館_部室棟など校内風景20221020:IMG_6434.JPG

想ひ出のなかの講座制 (2022年10月16日)

 辞令という言葉があります。この単語を初めて聞いたのは今でもはっきり憶えていますが、小学生の一年生か二年生の頃に放映されたテレビ・ドラマの『刑事くん』という番組でした(調べたら小学校三年生のときでした)。主演の桜木健一さんの「母さん!ジレイだ、刑事になったよ」というセリフでこのドラマが始まりました。まだジレイという漢字も意味も知らない頃ですから、母に「ジレイってなあに?」と聞いたのでした。すると父が「ジレイならここにあるぞ」と言って、箪笥から紙束を取り出してヒラヒラと見せてくれました(父は役所から貰ってくる辞令を全て保管していました)。テレビに出てくるものが自分の家にもあるってどういうことか、どうにも不思議でした…。

 なぜ辞令のことを書き始めたかというと、境有紀さんのページに大学の講座制の話しが書かれていて、そういえばうちの大学も昔は講座制だったなあと思い出したからです。それを確認するために東京都立大学から貰った辞令を取り出してみることにしました。

 わたくしがちょうど三十年前に専任講師として本学の建築学科に着任したとき、当時の工学部長・長倉康彦先生(建築計画学、故人)の名前で「地震工学講座所属を命ずる」という一枚がありました。ただその紙片は辞令ではなくて発令通知書と書かれていました、まあ同じことですけど…。

 地震工学講座を主宰する教授が西川孝夫先生で、そのしたにわたくしが着いたわけです。当時の講座の定員は教授一名、助教授一名、助手二名で、西川先生の助手として山村一繁さんが既に席についていました。教授の先生方のご配慮によってわたくしのもとに助手を採用できたのは1995年になってからで、そのとき東大の青山・小谷研究室から李祥浩[い・さんほ]さんを初代助手として迎え入れたことは以前に書きました。ちなみにその頃は助教授だった芳村学先生は、コンクリート工学が専門の山本教授の講座に属していたように記憶します。

 さて講座制とは言っても西川先生は振動論がご専門で、同じ研究室の出身同士とはいえ迂生は専門が異なります。ですから研究活動などは別々にやるものだろうと勝手に思っていたのですが、たぶん西川先生のほうはそうは思っていなかったような節があります。それももっともなことでして、伝統的な講座制では親分である教授の号令一下、助教授以下の面々がそれに従って研究活動等に勤しむのがその頃までの通例だったように思います。

 しかしながら良くも悪くも「新人類」だったわたくしは西川先生の言うことを聞かないで、自分のやりたい研究をやり始めました。こうしてなし崩し的に別個に研究活動をするようになりましたが、そこに至るまでには多分に芳村先生が西川先生にとりなしてくださったのであろうと想像します。あるとき芳村先生が「おい北山、プロフェッサーNが〇〇って言っているが、君はどうなんだ」などと話して下さったことを憶えています。そのあたりの機微は西川先生に聞かないと分かりませんが、さすがに面と向かって聞けるものでもありませんわな。

 ちなみに先日、原子力関係の委員会があってオンラインで西川先生にお目にかかりましたが、お元気そうでよかったです。もっともそのときも「お前、もっとちゃんとやれよな」(言い方はもちろんこんな直裁ではなく意訳です)みたいなことを言われましたけど、あははっ。

 こういう地震工学講座でしたが、1997年に工学研究科長・西川孝夫先生の名前で同じように「地震工学講座所属を命ずる」発令通知がありました。しかしその翌年には「建築構造学講座所属を命ずる」となっていました。もう忘れましたが、たぶん従来の小講座制は解体されて地震工学講座は無くなり、大講座制に移行したのがこのときだったのだろうと考えます。ちなみにこの大講座すら無くなったのはいつだったのか、迂生は知りません。

 ただ思い返すと東京都からいただける研究費が最も潤沢だったのがこの地震工学講座の頃でした。ちょうどバブルが崩壊するかどうかという時代だったことも影響していたでしょうね。ペイペイの助教授が今から見ると目をみはるような研究費をもらい、あまつさえ助手さえ付いていたのですから、思えばすごく贅沢な大学生活を送っていたわけです。若いくせに生意気なヤツだなって今のわたくしなら思うだろうな(現在は貧乏ひと無しだから、あははっ)。

三体めの実験おわる (2022年10月13日 その2)

 若者たちが精を出している実験ですが、先ほど終わりました。今度の試験体では柱梁接合部の横補強筋の径を細くして、その代わりに組数を増やしてフープ間隔を狭くしました。結果として柱主筋の局所的な座屈を防止でき、また柱梁接合部のコア・コンクリートをよく拘束してそのコンクリート片の崩落を防ぐことができました。結局、この試験体では接合部降伏破壊は生じたものの、その軸崩壊までには至らなかったように感じました。詳細は取得した各種データを若者たちに分析してもらうことで明らかになると思います。

 皆さん、ご苦労さまでした。でも、まだ四体めも残っていることですし、修論・卒論の執筆まで頑張って欲しいと思います。

 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:RC柱梁接合部実験2022_井上村野:試験体S3_梁3本の側柱タイプ_JointHoopD4_6sets:IMG_6371.JPG

途方に暮れる (2022年10月13日)

 きょうは冷たい雨降りになりましたね。八月に大学で健康診断があったのですが、具合が悪くて受診できませんでした。そこで今朝、西早稲田にある本学指定の病院で健康診断を受けて来ました。結構混んでいて、ひと通り終わるのに45分ほどかかりました。こうして結局のところ予想通りに半日仕事になりました。これから実験棟へ行って学生諸君の実験を監督します。

 さて、昨晩の午後8時過ぎに事務方から、大学認証評価の確認事項について追加の対応を求めるメールが届きました。ところがその回答期限を見てびっくりしました、だって明日(すなわち今日)の午後3時まで、となっていたからです。上述のように今日は予定が詰まっていて割ける時間がないし、そもそも追加の対応事項に対してどのように答えたらよいのか迂生にはとんと見当がつきませんでした。どうするべえ…、頭のなかでは大沢誉志幸の『そして僕は途方に暮れる』が流れています。

 しばらくウンウンと唸っていましたが名案は出てきません。そりゃそうだような、よく分からないことを聞かれているので、それへの返答もイメージできないわけです。ところが午後10時前に吉川学部長から回答案がメールで送られてきたのです。いやあ、ありがたいです、ホントに助かりました。さすがに学部長ともなると夜遅くにもお仕事をしているわけで、さらにはどんな難題にもうろたえることなくテキパキと事を進めることができるんだなあと感心しました。これで少しばかり安らかな心持ちになって寝に就いたのでした、ああよかったあ。

はじめての学祭 (2022年10月7日 その2)

 この週末に愚息の学校の学園祭が開かれます。昨年はオンラインのみでの開催だったので彼は基本的に無関係で過ぎました。今年は三年ぶりに現地開催になりましたので、彼のクラスでも何か出し物をやることになったそうです、よかったな。でも学園祭にクラスとして参加するかどうかは各クラスのみんなに任されているそうで、彼のクラスでも最初はやる気がなかったみたいです。男子校なので可愛い女の子にいいところを見せるということもないので、それも仕方ないかと思いますな、あははっ(不埒なわたくしです)。

 最近は共学校に行けばよかったとか言い出す始末です。確かに同じ大学の系列で共学の高校が埼玉県にあるのですが、そちらは実は受験したのですが落ちたのでした。そんなことはすっかり忘れたようで能天気なヤツですな、ホント。

 迂生が高校生だった頃の文化祭の思い出は何度も書きましたが、一年生のときの演劇(「ジュリアス・シーザー」と「謎かけ鬼」の二本立て)も二年生のときの人形劇(「素晴らしい食事」)も台本を書いたのは女の子たちで、リーダーシップの発揮を含めて女の子たちが先導していたように思います。わたくしは彼女たちに言われるままに準備したり演じたりしただけでした…。

 さて愚息のほうですが、どういうわけか学園祭の数日前から俄然やる気が出た(あるいはリーダーシップを発揮するひとが現れた?)ようで、なにやら準備に勤しみ出しました。いい若いもんがブラブラして何もしないのもいかがかと思いますので、まあよかったんじゃないでしょうか。勉強しなくても、友人たちとの共同作業によって得られるものは多々あると思います。彼らの何人かとは一生の付き合いになるであろうことはわたくしの経験に照らしても明らかです。まあせいぜい青春を謳歌してほしいと親としては願っています。

原理はわからない (2022年10月7日)

 今日も冷たい雨降りで寒さが続いています。我が家では早々に暖房のスイッチが入りました。あまりに早過ぎるとは思いましたが、寒がりの家内がポチっと押しちゃったんですねえ。止まっていた空調がゴーッと唸り出して、まあ暖かくなりましたけど。

 本題です。われわれ工学系の研究者は不思議な現象があればその理由や原因を解明した上で、それを現実世界に適用したり応用する(このことは社会実装と呼ばれます)ことを考えます。しかし、そんなことを言っているといつまで経っても社会実装できずに困ったことになったりします。鉄筋コンクリート(RC)部材のせん断終局強度は今もって理論的に完全には求められませんが、それでもRC建物は日々設計されて建って行きます。そうしないと社会活動が成り立たないからですね。

 さて先日、學士會会報を読んでいたら『量子コンピュータの現状と将来』(西森秀稔著)という講演会要旨が載っていました。量子コンピュータは全く新し原理によって動作する次世代コンピュータなので、昔から興味を持っています。しかし残念ながら量子コンピュータはまだまだ開発途上らしく、「現時点ではほぼ机上の空論である」という風に率直に記された部分がかなりありました。

 量子コンピューティングには二つの方法があるそうですが、そのひとつである量子アニーリングについては「なぜそうなるのか」は誰も分からない、と書いてありました。ええっ、そうなんだあ…(結構、おどろく)。しかし講演者はこの現象の解明ではなく、利用を目指しているとのことでした。原理は分からないけれども、その現象を利用して計算速度が劇的に高速化できればそれでよい、という考え方はいかにも工学的でわたくしは共感できます。

 ただ、RC建物の耐震設計とは異なり、量子コンピュータではべらぼうな高精度を求められますから、そのような繊細な計算を実行する頭脳がどうやって動くのか分からないのは不安じゃないのでしょうか。そういうことについては述べられていませんでしたが、多分、物理学研究の一領域として他の研究者の皆さまによって研究されているのだろうと推察します。原理が分からないのはやっぱり気持ち悪いですからね。

 ちなみにこの講演で西島先生は、現状での日本の最大の弱点は研究者層が薄いことであると指摘されています。これを解消するために「個別の研究に直接、予算配分するよりも、数十年後を見据えて、大学での組織的な人材育成に財政援助する方が、はるかに大きな効果を生む」と述べています。また「イノベーションを焦るより、基礎研究と教育に投資することが、最大の成果を生む」とも。全くもって正論だと思います。

 このように考えるトップ研究者が多いにもかかわらず、現実の日本がそうならない理由は何なのか。それは日本における学術研究の推進に関する舵取りを担う官僚や政治家たち、さらには経済界の重鎮達がこのような研究者の感覚とは完全に乖離していることが原因でしょう。彼らはとにかく近視眼的でして、目の前に現れる問題を場当たり的かつ短期的に解決しようとします。また将来の発展のためには、学問・研究の基盤となる土壌を整備して開発することが必要ですが、そのことを理解しているようには思えません。

 一国の計は教育にありと言われるように教育は極めて重要ですが、その効果が目に見えるようになるには数十年はおろか百年かかるかも知れません。しかし日本の官僚や政治家たちはそのことを標語としては理解していても、いざ自分が実践しようとするときにはその効果が自分の業績としてすぐには現れないことを理由として、多分、注力しないことになっていると思われます。そうだとすると大局を見ない、ちっちゃな話しで情けない限りですけど…。

 しかし歴史を振り返るとき、江戸時代の寺子屋や藩校の隆盛が日本の文化レベルの底上げを知らないうちに実現していた結果として、明治維新後の日本の爆発的な発展を招来したことは今では常識でしょう。もっと遠い先を対象として、自身なき後の未来を見据えて対策をとって欲しいと考えます。

一気に冬か (2022年10月6日)

 一昨日は30度近い気温で暑くて半袖だったのに、今日は秋を通り越して一気に冬のように寒くなりましたね。ただでさえ体調が良くないのに、これじゃまたもや具合が悪くなりそうです…。

 大型構造物実験棟での実験ですが、しばらく晋沂雄先生に監督をお願いしていました(晋さん、ありがとうございます)。今日の午後にしばらくぶりで見に行ってみると、柱梁接合部の破壊がかなり進行していました。しかしそれより驚いたのは、もうガスストーブに点火して使っていたことです。そんなに寒いかあって聞くと、もうダメです、ストーブなしでは過ごせません、と言います。そうしてしばらくすると、足元からシンシンと冷気が上がって来るのに気がつきました。ストーブのそばには蚊取り線香の渦巻きが転がっているというのに、季節の急転ぶりにはホントに驚きます。皆さまもお気をつけください。

 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:RC柱梁接合部実験2022_井上村野:試験体S3_梁3本の側柱タイプ_JointHoopD4_6sets:IMG_6268.JPG

検査の顛末 (2022年10月3日)

 十月になってかなり涼しくなって来ました。それはいいのですが、この週末に具合が悪くなって発熱しました。強烈な頭痛に喉の痛み、腹痛が重なり、体の節ぶしも痛みます。こりゃ典型的な風邪だなとわたくし自身は思ったのですが、この時期にそういう症状が出たらそれは新型コロナに違いないから病院に行けと家内は言います。愚息は、親父はどこにも出かけていないのだから感染するわけないだろって言ってくれたのですが、とにかく家庭内の安全・安寧を第一に考えて、PCR検査を受けることにいたしました。結論から言うとその結果は「陰性」で(そうだろうと思っていたのですが)、我が家一同が安堵したわけです。以下はその顛末記です(既に同様の体験をされたかたには先刻承知の事どもでしょう)。

 かかりつけの医院に「発熱外来を受診したい」と電話すると、その日の枠が空いているかどうか調べた上で、空いているから来てくださいと言われました。ただし「発熱外来」は一般の診察が終わったあとに全て屋外で実施しますので指定の時刻に医院に着いたらそこで電話してください、今日は暑いので気をつけてください、と念を押されました。この日は太陽が出て30度くらいまで気温が上がっていたのです。

 屋外で検査をしている映像はテレビで見ていたので、そういうヤツなんだなと思いました。で、行ってみると医院の前に肘掛付きの赤いキャプテン・チェアが二個と背なしの丸い椅子が数個置かれていて、すでに先着の人たちが赤いほうに座っていました。医院の前は歩道で交通量の多い都道が通っています。椅子のある場所は幸い建物の陰になっていて直射日光は遮られていてよかったです。そこで電話してしばらくすると看護師さんが完全防備の服装で出て来たので(例のビニール製の青いヤツと透明アクリルのフェースガード)、彼女に診察券と保険証を手渡します。

 そうこうするうちに医院の柏田先生が同じような装備でお出ましになり、キャプテン・チェアに座っている先客相手にテキパキと診療行為を行なっていきます。車がひっきりなしに通るので会話がなかなか聞き取れません。先客のひとりは検査後の経過確認みたいで、もうひとりは迂生と同じく検査を受ける方でした。

 そのお二人が終わると看護師さんから赤いキャプテン・チェアに腰掛けて待っていてくださいと言われて、この赤い椅子が「患者」を示すアイコンであることに気がつきました。しばらくすると先生が小走りにやって来て(先生はずっと小走りでした、ホント大変なんだなあとつくづく思いましたな)、PCR検査をすることでいいんですね、陰性になると行動制限がありますと念を押されます。そこでハタと気がつきます。なるほど、病院でそういう検査を受けなければたとえCOVID-19に罹患していても誰にも分からないので、建前上は自由に生活できるんですねえ。実際は発熱していろいろ症状も出ているので家で静養することに変わりはないでしょうが、家族等は制約を受けないことになります。

 わたくしの場合は家内にPCR検査を受けるように言われて来たので、もちろん承諾して、鼻に長い棒を突っ込まれてくちゃくちゃされる検査を受けたという次第です。ちなみにこの検査は初めて受けました。で、COVID-19だったときに備えてその薬をもらって来いと家内に言われていたので(わたくしって素直なんです、あははっ)先生にそういうと、「確かにお薬はありますけど効果は限定的で、なかなか手に入りません。最近のコロナは大体すぐに治りますので、薬を待っている間に治りますよ」とやんわりと拒否されました。なるほど、そうなんだあって感じですな。

 結局、診療代金や処方箋の受け渡しまで全て看護師さんが対応してくれましたが、建物内と外との往復の連続で大変そうでした。隣の薬局へも入れないので、その前の椅子に座って調剤を待っていると、くだんの看護師さんが医院の前の椅子をアルコール消毒して屋内にしまっているのが見えました。これで、迂生がこの日最後のPCR検査受検者だったことが分かりました。先生がたは多分、一般診療が終わってもお昼ご飯も食べずに「発熱外来」をこなしているのだと思います。ホント頭が下がる思いで、感謝しながらトボトボと帰宅しました(発熱しているので体がだるくてシャキシャキ歩けないだけ)。

 しかし屋外での診察行為は相当に厳しいように拝察しました。今どきのように過ごしやすい晴れの日であればまだしも、そのうち寒くなりますし、時には雨も降ります。冬には日暮れが早くなって、真っ暗なところで(ライトくらいは照らすとしても)診察出来るのでしょうか。とにかくこのようなやっつけ仕事的な対応では小さな診療所や医院の負担が大き過ぎて早晩破綻するのではないかと危惧します(既に破綻しているのかも知れませんが…)。

 検査の結果が先生からの電話連絡で来るのは翌日ですので、帰宅してもそれまでは流行り病に罹患したものとして扱われ、家内もわたくしもその対策に翻弄されました。幸いわたくしは陰性でしたのでそのオペレーションは一日足らずで解消されてよかったのですが、やがて来るであろう(?)「その日」に備えて何らかの対策を取ったほうがよさそう、ということに気がついた次第です。しかしながら一般家庭内ではそれは難しいように思いましたので、そうであれば自治体の準備する借上げ療養施設等に自ら赴くということになるような気がします。

 ということでこのご時勢は今しばらく続きそうですので、皆さまもどうかご自愛ください。

九月も終わり (2022年9月28日)

 お彼岸を過ぎて少しずつ気温が下がり、穏やかに過ごし易くなってゆくのが嬉しいですよね。外に出ると金木犀のよい香りが漂っていますし、大学のイチョウの木からは黄色い銀杏の実が落ち始めています。来週から後期の授業が始まるため、そろそろその準備を始めました。実験のほうは井上さんや村野さん達の頑張りで三体めの加力が始まりました。

 昨日は安倍元首相の国葬が執り行われましたが、国民の半数以上は反対しているなかでも粛々と実施されたのは立派です(皮肉です)。非業の死を遂げた安倍元首相には気の毒ですが、最後まで国民を二分するひとだったなあと思わずにはいられません。彼が「お友だち」にはとても優しかった(らしい)のに対して、その他の「あんな人たち」に対しては激しく敵意をむき出しにしたのはなぜだったのでしょうか。一国を先導する立場だったのですから、すべからく国民全体のことを考えるべきでしたが、そういうマインドを持たなかったのかなあと残念に思います。

 それにしても現職の岸田首相ってどうなんですかね。ひとの話しをよく聞くことを売りにして就任したはずなのに、一年経つとその初心?はすっかり忘れたってことみたいです。この国をどこに導こうとしているのか、大志のようなものを見て取ることもできません。安倍氏暗殺事件の直後にあった参議院選挙に勝って「黄金の三年間」を手に入れたそうですが、舵取りの方針が空虚であるならば、それはなんの役にも立たないことになります。結果としてそれがわが国にとって取り返しのつかない「失われた三年」にならなきゃいいのですけど…。

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 さて大学認証評価のお仕事ですが、評価機関から自己評価書に対する確認事項が渡されました。資料が不十分なので説明しろとか追加のエビデンスを提出しろとかの類です。それがまた微に入り際に穿っていて、こちらが驚くようなことを指摘されましたので、もうびっくりです。例えば、「大学院設置基準第〇条に則っていないようなので説明しろ」とあったのですが、そもそもそんな条文はこちとら知りやしません。文科省が定めたそういう法文を知らないと大学で教育したり研究したりできない、ということなのでしょうか。もしそうだとしたら多分、大学人の99%(適当です)は失格するんじゃないでしょうかね…、知らんけど。

 また大学院博士後期課程について「標準修了年限内の修了率が低いが、どのような対策を行なっているのか説明しろ」というのもありました。博士後期課程の標準修了年限は三年ですが、その期間に学位申請要件を満たして十分な水準の博士論文を執筆できなければ博士の学位を出すわけにはいきませんよね。ですから「修了率が低い」という事象にどのような問題があるのか、なぜこのような追加の要求をするのか迂生には全く理解できません。それとも何がなんでも三年以内で博士の学位を出せっていうことなのか…、まさかなあ。

 こんな感じで指摘の本質とか真意とかの理解に苦しむものが多々あって、それに対する回答をどう書いたらよいのか苦しんでおります。とはいえ回答の原案を作らないと先に進みませんので、苦し紛れの文章を作って吉川徹・都市環境学部長(都市計画学者)に投げかけておきました。学部長には申し訳ないことですが生き字引のような吉川さんですから、この苦境をなんとかしてくれると期待しております、はい。

 でもこういう書類や規格類が整備されることで学生諸氏の大学生活がよくなることに結びつくか、というとどうなんでしょうか…。なんだか書類上での形式だけを要求されているようで、実質的なことはこのような書類審査だけでは分からないのではないかと思います。だからこそ現地調査もするんだよっていうことかも知れませんが、それはそれで効果は??です。とにかくやっていて達成感にはほど遠いお仕事であることは確かでしょう。それでお給金をいただいているのだから、文句は言わずにやれってことかな、あははっ。


なぜ勝てるのか 〜東大野球部〜 (2022年9月20日)

 暴風雨の台風がやっと去りつつありますが、皆さんのところは大丈夫でしたでしょうか。

 さて東京六大学野球の秋のリーグ戦ですが、先週の土曜日(9月17日)に東大が今季初勝利を挙げました。相手は慶應義塾大学で、4-3のスコアでした。ちゃんと野球になっていますよね、すごいぞ! エースの井澤さん(4年、札幌南高)が六回まで投げて、その後を松岡さん(3年、駒場東邦高)が相手の反撃を1点に抑えて見事に勝ちました。



 こんな感じで天下の慶応相手にも勝てるなんてもう素晴らしいとしか言いようがないのですが、じゃあ、なんで勝てるんだろうってかなり不思議になって参りました。運動会といえども東大では科学的なエビデンスと実績とに基づいたトレーニングをやっているはずですから、たまに勝つことがあってもそれはそれで当然でしょうってことかも知れません。

 以前に書きましたが、わたくしが高校生の頃にサッカー部にいたときには、練習中には絶対に水を飲んではいけないと先輩がたから指導されました。今の目で見れば理不尽極まりなくて、そんなことしたら熱中症にかかって大変なことになるということは誰でも常識として知っていますが、当時はそうじゃなかったんですね。

 でも東大に入って、駒場でいっときホッケー部の練習に参加していたときには、水は好きに飲んでよい、疲れたら自分のペースで休んでもよい、というスポーツ科学に基づいた?練習法が実践されていて、東大というところはやっぱり違うなあとそのコペルニクス的体験に心底驚いたものでした…。ちなみにこの頃の東大ホッケー部は一部リーグに属していて、それなりに強かったように記憶します。

 話しが逸れたので元に戻すと、東大野球部のウェブページにはオープン戦の戦績が載っているのですが、例えばA戦(一軍に相当)では関東学院大学に3-13で負けていますし、東京国際大学には2-21で負けています。言っちゃ悪いですが、これって野球のスコアじゃないですよね、ラグビーかってもんですよ。さらに二軍に相当するB戦では県立浦和高校に3-18で負けました。いくら二軍とはいえ、埼玉の名門高校の生徒相手にぼろ負けするなんてどうなんだろうか…。

 オープン戦ではこんな感じで軒並み大差で負けているのに、どうして神宮球場での本番に勝てるのか。迂生は素人なのでよく分かりませんが、オープン戦ではいろいろな選手を起用して試しているのかもしれませんし、斬新な作戦を試みているのかも知れません。でも、オープン戦でそんなに負けていては選手たちの勝利への感覚が養われないでしょうし、第一、負けて当たり前みたいな卑屈感が大きくなったりはしないのでしょうか。まあ東大のことですから上述のように何がしかの科学的な判断に基づいてやっているはずです。

 近頃はこんな疑問を抱いていますが、まあ要は神宮で勝てればいいわけですので、是非とも勝ち点を目指してがんばって戦って欲しいと思います。そうそう、試合終了後に応援団のエール交換で唄う歌がいつの間にか『ただひとつ』に戻っていました。やっぱりこっちの方がピンと来るなあ〜。

追伸(2022年9月21日) 東大慶大二回戦は1-9で残念ながらボロ負けしました。雨天順延で間があいたせいでしょうか、一回戦に続いてエースの井澤さんが先発しました。井手監督は多分、勝ち点(先に二勝したチームが勝ち点1をゲット)を狙ってエースを出したのだろうと思います。でも、案に相違して一回早々にホームランを打たれるなどこの日は調子が悪かったようで、二番手の松岡さんもやっぱり打たれて万事休すとなりました。これで一勝一敗です。三回戦は来週の平日にセットされました。

追伸2 雨天等の影響で三回戦は10月4日(火曜日)に行われました。東大は残念ながら2-20で大敗して、勝ち点をゲットするには至りませんでした、残念です。この日は先発した井澤さんが1回にいきなり5点取られて、その後も東大の繰り出す五名の投手がことごとく打たれて毎回得点されました。



二体めの実験おわる (2022年9月16日)

 ただいま、若者たちがやっている二体めの加力が無事、終了しました。変形が大きくなって耐力が低下してくると、柱梁接合部の軸崩壊が心配になって参ります。とはいえ、この実験は柱梁接合部の降伏破壊後の軸崩壊を研究のターゲットとしていますので、できれば軸崩壊まで載荷したいわけです。でも試験体が滅茶滅茶に壊れると載荷装置へのダメージも大きいですし、大事な三軸一点クレビスが破損したらそれこそ一大事です。

 そこでクレビスの相対的な回転角を常にモニターしながら、ドキドキしながらの載荷が続きました。しかし残念ながら載荷途中で実験装置の限界に到達したため、実験を終了しました。柱梁接合部ではコア・コンクリートの粉砕化と脱落が見られ、露出した三本の柱主筋はいずれも大きく座屈し、接合部中央のフープ筋端部の135度フックは抜け出して解けていました。これらから判断すると、柱梁接合部の軸崩壊の直前に達していたと考えられますので、まあ、まずまずの実験成果だろうと思っています。詳細は今後、若者たちが実験データを詳細に分析することによって明らかにしてくれるだろうと期待しています。

 実験終了後の恒例の記念写真を載せておきます。いつも監督してくださる晋 沂雄先生はきょうは所用のため不在だったのが残念です。なお撮影では、その瞬間だけマスクを取っております。そろそろ、こういう言い訳を言わなくてもよくなって欲しいと思いますね、やっぱり。

 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:RC柱梁接合部実験2022_井上村野:試験体S2_梁3本の側柱タイプ_柱主筋8-D13:IMG_6120.JPG

秋のリーグ戦はじまる (2022年9月13日)

 九月も半ばになって、陽射しにはまだちょっと強さを感じるもののさすがに気温は少しずつ下がって来ました。きょうは若者たちの実験を監督するために登校しました。実験に参加しているのは明治大学三人と都立大学一人の合計四名です。猛暑の頃に較べるとしのぎやすいですね。二体目の加力はそろそろ試験体が壊れ始めて終盤に差しかかりつつあるので、これから緊張を強いられるかも知れません。

  説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:RC柱梁接合部実験2022_井上村野:試験体S2_梁3本の側柱タイプ_柱主筋8-D13:IMG_5868.JPG

 さて東京六大学野球の秋のリーグ戦が始まりました。東大の初戦の相手は明治大学です。一回戦は東大の投手陣が踏ん張って3-3で引き分けました。おっ、これは夏の練習の成果が出たのかとも一瞬思いましたが、まあそうだとしても相手もそれは同じでしょうから、そういうわけでもないのかな…。

 二回戦は7-11で負けましたが、東大はホームランが二本出るなどして奮闘したと思います。しかし昨日の三回戦は明らかな完敗といった風情でして6-13のスコアでした。東大は13安打で結構打ちましたが効率が悪くて六得点しかできなかったという感じです。出て来る投手がことごとく打たれて、井手監督も打つ手がなかったのではないでしょうか。

 この秋のシーズンでは神宮デビューの二年生や一年生がちらほらと出て参りました。このなかから将来の東大野球部を背負って立つ選手が出てくると思いますので、そういう新人たちの活躍も期待しています。

練習しないの? (2022年9月9日)

 きょうは重陽の節句です、なんて言っても特段何かをするわけでもありませんけど…。ひと頃よりもちょっと涼しさを感じるようになって、久しぶりに登校しました。野川沿いには思いのほか、たくさんの花々が咲いているのに気がつきましたし、夕方になると虫の声の大合唱が聞こえて参ります。そんなとき、季節は確実に巡っていることを実感いたします。

 さて、オンラインの建築学会大会は昨日終わりました。ほとんど、パネル・ディスカッションや研究協議会等に出ていましたが、最終日には鉄筋コンクリート柱のセッションで個別研究を聴いてみました。個別発表は昨年は予め五分間のビデオを作って配布して視聴しておくという形態でしたが、今回は発表者が各自のパソコンの前でライブの発表を五分間してから三分間の質疑応答、という形に変更になりました。これはリアルの会場でやっていた方法と同じです。

 そのセッションで質問がほとんど出ないのはリアルの発表と全く同じでしたが、オンライン特有の問題としてZoomで画面を共有できないとか音声が聞き取れないというトラブルが続出しました。でもこのようなトラブルは簡単に予想されるものですよね。パソコンやOSによってそれぞれやり方が異なったり、ネットへの接続方法にも依存します。

 わたくしもその点はいつも注意していて、パソコンが代わると不安ですし、画面がどのように見えるかをあらかじめ確認するようにしています。ですから、そのような確認とか発表練習をしないで学会大会に臨むひとがいることに結構驚きました。我が社の大学院生も、最初のオンライン発表練習のときには画面をうまく映し出せないことが分かりましたので、それへの対策を練って本番では上手く発表できました。そうやって練習しておけば大方のトラブルは避けられると思いますが、どうでしょうか。

 来年の建築学会大会は京都大学で開催されるそうです。多分、対面での開催を目指していることと思いますが、夏の京都は暑いし観光客で溢れて混雑しますのでそのことを今から危惧しています。対面開催だと懐かしいひとにばったり出会ったりして旧交を温めることはできますが、この歳になるとそういうことにもさほどの魅力を感じなくなって参ります。どうしたものか…、これからゆっくり考えましょう。

オンライン学会 (2022年9月6日)

 昨日から建築学会大会が四日間の日程で始まりました。去年と同様に個別研究の発表もパネル・ディスカッション(PD)や研究協議会も全てがオンライン開催です。開催地は北海道となっていますが、われわれ一般の発表者や聴講者は現地に行くことはなく、PD等の発表者だけは現地の北海道科学大学に集合してその場で説明や討議をする形式のようです。

 ということで朝起きて自宅のパソコンの前に座ればそこはもう“学会大会”なんですね〜。昨年も書きましたが、便利この上なくて大変に結構です。セッション間の移動もあっという間ですし、何よりもリアルだと(足がすくんで)会場に入れないような異分野にも臆せずに参加できるのがとてもいいですね。

 本来、建築学会大会では建築学のあらゆる分野の研究者が一堂に会して議論し合うというのが大目的だったはずです。しかし現実には、延べ人数として一万人以上が参加する大規模学会のせいで会場は大規模大学のキャンパス内に分散せざるを得ず、異なる分野の発表を聞こうとすると物理的にかなりの距離を歩いて移動しないといけません。従来、残暑の厳しい時期に大会は開かれますので、暑いなか大汗をかきながら移動するのはつらくて、結局はじゃあいいかってことになって、そういう異分野の発表を聞くことは全くありませんでした。

 その物理的なハードルがオンライン学会だと一気になくなるので、興味のある発表やPD等に参加できるのは本当に素晴らしいと思います。今日の午後は材料施工部門の鉄筋コンクリート(RCと略します)工事分野のPDを聞いてみました。橘高義典先生(本学教授)とか同級生の野口貴文さん(東大教授)なんかのテリトリーでして、建築学会に入ってから約四十年を閲して初めて覗いてみました。結論から言えばとても面白かったです。

 テーマは『デジタルファブリケーションが切り開くRC工事の未来』というものでしたが、討論ではほとんどの時間が3Dプリンティングに費やされていました。3Dプリンタ自体は様々な分野で利用が始まっていますが、建設業ではこれを使って建物や土木構造物を造ろうとしています。プリンタのノズルから出てくるのは樹脂ではなくてこの場合にはモルタルになります。まだ鉄筋を入れることはできないのですが、それに代わる引張り補強材(必ずしも鉄筋に限定する必要はない)をどうするのかについて興味深い議論が行われていました。

 それまで3Dプリンタで家を作るなんて夢物語だと思っていましたが、海外ではすでに施工事例もあるようで今後の市場規模は十数兆円に上るという予想もあって、まさにブルーオーシャンという風情でした。これを専業とするスタートアップ企業の社長さんがパネリストとして参加していましたが、見た感じではとてもお若くてかつ頭のよさそうな方とお見受けしました。下はその方の会社が作った日本初の建物のYouTube動画のショットです。

 

 ただこのときの討論でも話題になりましたが、3Dプリンタが建物を造れるようになったら在来工法のゼネコンはどうなるのかという危惧はもっともなことだと思います。電気自動車の時代になったらレシプロ・エンジンに頼った在来メーカーは廃れてしまう、ということと同じです。これは予想ですが、3Dプリンタで造れる建物の構造性能は従来のRC建物のそれとは異なるものになるでしょうから、新しい工法や材料に対応して新しい構造性能評価手法を開発することが必要になるだろうと考えます。そうであれば、われわれ建築構造分野の研究者はまだまだやることがあるななんてちょっとほくそ笑んでいるうちにPDが終わりました。

 このPDでは討論に際して「Slido」というソフトを使って、パネリストと聴衆とをQ&A等を介してオンラインで双方向に繋ぐという新しい試みをやっていたのも目新しかったです。これなどもオンライン学会のメリットだと思いますが、聴衆は皆さんが自身のパソコンの前にいるのでチャットのようにコメントを打ち込むことが簡単にできます。このようにオンライン学会と親和性のあるやり方をいろいろと活用できれば、今まで以上に有益な討論が可能になると感じました。

夏の終わり (2022年8月31日)

 八月晦日になりました。暦のうえでは夏も終わり、明日からは秋になります(って、そんなことも現代ではないわけですけど、こう考えると雅な心持ちがいたします)。秋を迎えるにあたって、久しぶりに床屋に行って参りました。ご存知のように髪は…ないんですが(あははっ)、どういうわけか脇とか後ろとかの髪だけは伸びてゆくんですねえ。

 床屋さんは昔から人生交差点としていろいろな情報が集まる場所と決まっています。そこでお店のご主人といろいろと話しをするのですが、オフィスに行かずに家で仕事をしていると言うと必ず不思議がられます。ちなみに迂生が大学教員であることは言ってありません。裁量労働制なので決められた仕事を期限までにやって成果を出せばそれでいいんですよ、昼間にこうやって休んでいてもその分夜中に仕事すればいいのですからって説明するのですが、それでもふ〜んって感じであまり納得はしていないみたいです。

 でも一般的な世間ってやっぱり決まった時間に会社に行って、決まった時間に仕事を終えてそのあと同僚たちと飲み屋で一杯やってひとしきり愚痴を言い合って帰宅するというステレオタイプが今でも認知されたビジネスの形態なんだと思いますね。そんな半世紀も昔の慣習を頑なに守っているから日本という国家は衰退に向かっているのだとは思いますが、縄文時代から続く心性に根付いた日本人の習性はちょっとやそっとでは治らないっていうことでしょうか。

 こういうとき、大学教員って一般的なサラリーマンに較べるとやっぱりとてつもなく自由なんだということを実感して、そのことを自分自身に感謝します。ただ、うちの女房が勉強しない愚息に対して「パパみたいに楽したいなら、〇〇…」ってよく言うのですが、それは間違っています。だって現在は傍目には楽なように見えても、実際には面倒臭い仕事をたくさん抱えています。百歩譲って現在が楽だとしても、ここに至るまでには膨大な時間を費やしてものすごく努力して大変だったということは自分の他には誰も知らないことなんですよね。そんなことを他人に言っても分かりませんし、分かって欲しいとも思いませんが、でも、何言ってやがるんだろうなあ、とは思いますね。

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 COVID-19の第七波の感染拡大は少し収まってきたようですが、それでも日本では一日で15万人以上が罹患しています。変異株になって重症化リスクは減ってきているようですが未だに治療薬は実用化されていませんから、安心して?感染できるようなレベルではないと考えます。

 最近、わたくしが普段見ている幾つかのブログ(日本酒モノや大学教員の愚痴モノ)の執筆者(アカの他人で全く知らない人たちです)が相次いでこの流行り病に罹ったことを書いていてギョッとしました。それを書いている方の年齢層はよくは分かりませんが、多分五十代以上だと思います。それらの罹患体験?によるとインフルエンザ程度みたいであってそれほど大変そうではありませんでした。でも症状は人によって千差万別でしょうし、それがいつ重症化するかも分かりません。ですから、やっぱり罹らないに越したことはありません。これまでの感染対策を地道に続けてゆこうと思いましたね。

昔の名前に戻ったが… (2022年8月24日)

 猛暑が少し和らいできて、体調はやっと復調に向かっているように思います。久しぶりに大学に登校してこのページを更新しました。結局、健康診断には行けず、レポートの採点はこれからやるところです。年齢を重ねるにつれて昔みたいに身軽に動けなくなって参りましたので、まあ仕方ないかと思ってゆるゆるやって行きますわ。

 さて本学の名称が東京都立大学に戻ったのは慶賀すべきことがらだったのですが、その名称を間違われることがしばしば起こるようになりました。工学系の皆さんは薄々気づいていると思いますが、東京の大規模私学に東京都市大学があります。ここは昔は武蔵工業大学と言っていましたが、21世紀になってからと思いますが「東京都市大学」に改称されました。その当時、本学は石原都知事によって有無を言わせず「首都大学東京」という名前に変えられていましたので、向こうとしては別に紛らわしいと考えることもなかったと思います。

 ところがその後の2020年4月に本学が「東京都立大学」に名称を戻したことによってそういう紛らわしさが生じることになりました。大学名を漢字の字面で見るともうそっくりですよね、「立」か「市」かの違いだけなのですから。

 そのために口頭やメールなどでは「東京都市大学の北山先生」と言われたり、書かれたりすることが結構あります。よく知っていると思われる人でもそういうミス?があるので、まあ他人にとってはどうでもいい事柄ではありますわな。でも、大学院進学希望者から「東京都市大学・北山先生」というメールが来ると、この人大丈夫かな…とはさすがに思いましたけど。

 そして今日、ついにその名称を冠した郵便物がわたくしの手元に届いたんですよ、もうびっくり。それは大阪からで差出人とは面識も何もありません。郵便番号や住所は東京都八王子市で本学のそれなのですが、宛先にはご丁寧に「学校法人五島育英会東京都市大学」とあったのです。なるほど、大阪の一般の人たちのあいだでは「東京都立大学」と「東京都市大学」とが区別されていない、あるいは認知されていない、ということがこれで図らずも分かりました。なんだかなあ、っていう落胆感を抱きました。さらには住所がここになっていれば「東京都市大学」という宛名でも手元に届くということにも少なからず驚いております、はい。

 東京都立大学の名称に戻る前には、「首都大学東京」という名前は関西以西では認知されていないことがアンケート等で明らかになっていました。しかし「東京都立大学」に変わっても、それは未だに精確には認知されていないということです。そうであれば「首都大学東京」という改名がいかに無用の混乱を生じたか、そしてその混乱は現在にまで尾を引いている、ということを思い知らされます。全くもって元東京都知事の罪は重いと言わざるを得ません。

ことしのお盆 (2022年8月17日)

 八月初旬に大学院入試がありましたが、それが終わってからずっと体調の悪い日々が続いています。例年、暑い頃に具合が悪くなるのですが、今年も一体めの試験体の加力が終わってからその兆候が現れてきて、何かをしようという気力がどうしても湧いて来ませんでした。思い起こすと両親はいずれも暑い時期に他界しましたので、わたくしもいずれそうなるであろうと想像します(もっとも死ぬときは自分じゃ分からないだろうけど…)。

 こういう暑いお盆ですが、例年、成績付けの締め切りがこの頃に設定されていて、おまけに今年は健康診断までセットされました。学部の期末試験の採点や成績付けは七月中に済ませたのでよかったのですが、大学院の方はレポートの採点なので引き延ばしているうちに上述のようなことになってしまって、未だに終わっていません。体調が悪くて登校できないので(でも、パソコンの前に座ってできる仕事は結構あります)、健康診断にも行けそうもありません。

 そうは言っても締め切りのある仕事もあるので、仕方なくパソコンの前に座っています。昨晩には、建築学会で出版する書籍の査読を完了しました。ときどき書いている原子力発電施設関連のお仕事です。今回は原子力建屋等の維持管理指針を改定するというので、それの運営委員会査読を頼まれました。新規に得られた知見に基づく記述を追加するなどが主要な改訂事項でしたので内容としてはそれほど大変ではなかったのですが、なんせ全256ページを精読しないといけないので、それはそれでやっぱり疲れましたな。

 でも原子力発電施設の建築物ってやっぱり特殊でして、今回の維持管理指針にしてもそれを購入して実際に使うのは執筆した自分たち(電力会社や大手ゼネコンの人たち)なわけですね。つまり自分たちで使う指針を自分たちで作って、学会のお墨付きを得て公表し、それに基づいて原発の維持管理を適正に行なっていること(この「適正に」っていうのが重要!)を世間に知らしめるという一貫したシステムになっているわけです。

 こういう、ある意味で閉じたソサエティ(「原子力村」って揶揄されることもある)ですので自分たちで好きにやってくれっていう感じがするときも正直言ってあります。でも、原発が日本に建設されるようになった黎明期にその耐震設計にたずさわった武藤清先生や梅村魁先生の学恩を汲む研究室の末流に位置するものとして、当該のソサエティから要請があったならばそれは受けないわけには行かないとも思うんですよね。

 わたくしの師匠の青山博之先生も先輩の久保哲夫先生もそこに献身的にたずさわってこられました。わたくしはこういう立派な先輩がたと同じようにはとてもできませんが、それでも現在建っている原子力建築物の安全性をあるがままに評価できればそのことは社会の安寧に少しは役立つであろうと考えて、こういうお仕事もやっている次第です。ただ、電力会社の金儲けのお先棒をかつがされるのはご免蒙りたいと思いますので、そこはいつも注意しています。

一体めの実験終わる (2022年8月7日)

 猛暑のなかで若者たちが取り組んでいる実験ですが、8月4日に一体めの加力が終了しました。我が社の井上諒さん、明大の村野竜也さん、それに明大の四年生二人(磯崎さんと河合さん)が担当です。この日はわたくしは会議や急用があって実験棟に行けなかったのですが、晋 沂雄先生(明治大学准教授)が代わって監督してくれたので安心できてよかったです。恒例の記念写真ですが、三脚を立てなかったのか二枚に分かれていましたがそのまま掲載しておきます。

 

 試験体が出来上がってから約五ヶ月経ってやっとのことで一体めが終わって、とにかくよかったと思いますね。でもいつも書いていますが、大学ではすぐにメンバーが入れ替わりますからわずか二年間実験をしないだけでも実験の経験者がいなくなって、その貴重なノウハウが継承されません。そういうことを考えると今回のメンバーもよく頑張っているとは思います。

 さて実験の結果ですが、柱梁接合部の降伏破壊は予想とおりに発生しましたが、その後の柱梁接合部の軸崩壊が生じたかどうかは見た感じでは微妙でした(というか軸崩壊していないように見える)。今回の試験体では梁が柱梁接合部の三面に取り付きます。ト形方向の加力に対しては直交する二面が拘束されるために隅柱梁接合部に較べるとやはり接合部の軸崩壊は抑制されたように思います。写真に見えるように十字形方向の加力では接合部のかぶりコンクリートが全て剥落して、露出した柱主筋の座屈も発生しました。ですから、柱梁接合部の軸崩壊が生じる直前くらいの状況だったのかも知れませんが、詳細は今後の実験データの分析によって明らかにしてほしいと思います。

久しぶりの都心は… (2022年8月5日)

 きのうは終日、会議があってオンラインで参加していました。自宅から出ないで済むので涼しくて快適だなあとか思いながら過ごしていました。ところが午後になって急に都心に出かけないといけない急用が惹起しました。そこで会議が終わって夕方になってから久しぶりに新宿を通って虎ノ門に向かいました。

 地下鉄・銀座線の虎ノ門駅で下車したのは二年半ぶりくらいでしょうか。ところがそのあいだにオリンピックもありましたし、虎ノ門あたりの再開発も進んだらしく、駅の様相が全くさま変わりしていまして、わたしゃ東京都民だというのにもうお上りさん状態に立ち至ったことを認識した次第です。虎ノ門ヒルズ?っていう新しい駅もできたみたいです。

 そんな状態で勝手が分からずに手近な出口に向かったら、そこは新しくできたビルだったようです。そこから外へ出ると目的地とは随分違うところで、おまけにすごい雷雨になっていて、もう弱り目に祟り目とはこのことかっていう感じで、相当にめげましたな。地下鉄駅を巡る地下道ってどうしてこうも分かりにくいのでしょうかね…とぼやいてみる。

 で、用事が終わってさて帰るかという段になって、今度は帰り道が分かりません。来たときとは違うところに出てしまったので、仕方ないので豪雨のなかを突っ立っていたお巡りさんに「溜池山王の駅はどっちですか」と聞いてみました。その方は道順を丁寧に教えてくれました。ただ、こっちには行けないよと不思議なことを口にしたのです。でも、その理由は少し歩いたら分かりました。そこはアメリカ大使館のすぐ脇だったんですね。驟雨がすごくて街並みが雨にけぶって全く分からなかったのです。

 そんな豪雨のなかでも雨合羽を着て、じいっと雨中に立ち尽くすお仕事も考えてみれば大変だし、とても気の毒に思いました。そのお巡りさんはまだ若そうで、誠実そうな方でしたが、こういう人が日本を守っているのだなとチラッと思いました(すぐ忘れたけど…あははっ)。

二年前だったら… (2022年8月2日)

 お暑うございます(聞き飽きましたね)。本学では今日から大学院の入学試験が始まりました。酷暑のなか、受験される学生諸氏や監督・採点に当たる教員諸氏は本当に大変だと思います。昨日も、わたくしの部屋にふら〜っとやって来た角田先生となんでこんな暑い時期に入試をするんだという(いつもながらの)愚痴をこぼしあっておりました。

 COVID-19の第七波はすさまじいことになっていて、我が学科の先生たちにも罹患したり濃厚接触者で登校できないひとが続出しています。こんなことでは受験予定者のなかにも試験を受けられないひとがいるのではないかと危惧します。それでも入学試験は粛々と実施されて進むわけですよ。

 これが二年前だったらどうでしょうか。多分、対面での試験は中止になって試験自体が延期されたり、場合によってはオンライン試験に切り替えられただろうと想像します。ところが二年間の経験に基づいているのかどうか分かりませんが、今じゃそんなのは大したことはないという感覚なんですかね。重症化する確率は減っているようなのでそれはよいのですが、薬がないというのがやっぱり懸念材料でしょうか。

 しかしこの感染者増大の波(現在は第七波)の高さはどうして回を重ねるごとに増えるのでしょうか。ウィルスの進化のせいと言ってしまえばおしまいですが、それだけが原因ではないようにも思います。そのあたりのメカニズムは解明されているのかな。ウィルスの蔓延も結局のところは経済活動と同じで人類の振る舞いを反映した鏡に過ぎないっていうことでしょうけど…。

 実験棟は非人間的な暑さなのでマスク着用を励行せよとはとても言えないのですが、自身の身を守るためにはマスクをした方がよいと思いますので、そのことは実験する皆さんに言っておきました。

八朔2022 (2022年8月1日)

 八朔(八月一日)です。べらぼーに暑くなりました。この暑さのなかで大型構造物実験棟では若者たちが実験に勤しんでいます。ここには冷房はありませんし、扇風機と冷風機とがあるだけです。直射日光は差さないとはいえ、屋外と変わらないくらい暑いです。気の毒に思いますが、無理せずに実験を進めてくださいと言うしかありません。猛暑の間くらいは夏休みにしてもいいようにも思いますが、どうでしょうか。 ちなみに今日は層間変形角2%の第1回目の加力中でして、すでに十字形方向の水平耐力は低下し始めましたので、だんだんと壊れつつある段階だと思います。

 ひび割れ幅を測るためにクラック・スケールを当てて一所懸命に測定しているのですが、変位計などを支えるアルミ・アングルやねじ棒などがところ狭しと飛び出しているので、クラック・スケールを当てるのがとても大変そうでした。実験後に結果を分析する際にひび割れ幅の情報を知りたくなることもあるでしょう。それに備えてひび割れ幅を測定しているわけですが、今までの経験からすると消費する時間に対して効果は薄いように思います。どうでしょうかね(かと言って測定するな、とも言えないしな…)。

 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:RC柱梁接合部実験2022_井上村野:試験体S1_梁3本の側柱タイプ:IMG_5731.JPG

ガウディでブルックナー (2022年7月31日)

 七月晦日になりました。お暑い日が続いておりますがいかがお過ごしでしょうか、と言ってみる。
 さて先日のNHK教育テレビで、サグラダ・ファミリア教会(スペイン・バルセロナ)におけるウィーン・フィルの演奏会のビデオが放映されました。クリスティアン・ティーレマン指揮のブルックナー交響曲第四番『ロマンティック』です。ブルックナーが作曲した11曲の交響曲のうちで彼自身が副題を付けたのはこの第四番だけです。

 第四番はブルックナーの交響曲のなかでも複雑な成立過程を辿った曲でして、主要なものだけでも三つのヴァージョン(稿)が知られていて、21世紀になっても数人の楽譜校訂者によって新たな提案がなされています。そこまで来ると素人にはとんと見当がつかないのですが、第三楽章のように一楽章ぶん丸々書き換えられたところもあるので、さすがにそれは聴けば分かります。第四番の第三楽章は「狩のスケルツォ」として有名ですがこれは第二稿(1878年)によるものでして1874年の第一稿では全く違う音楽ですし、第四楽章も大きく異なります。演奏の多くは第二稿によっていて、今回のティーレマンも第二稿を選んでいます。第一稿による演奏は少なく、わたくしの手元にあるのはエリアフ・インバル指揮フランクフルト放送響とミカエル・ギーレン指揮SWR南西ドイツ放送響との二枚だけです。

 この第四番ですが、世間的にはブルックナーの代表曲のように言われます。しかしわたくしにとっては総体的にはお気に入りではなくて、どちらかと言えば退屈に感じる曲です。第一楽章のホルンによる有名な主題はのびのびとしていて雄大な気分になれますし(“ロマンティック”を感じるとしたらこのパッセージかな)、「狩のスケルツォ」は生き生きとしていて爽快な気分に浸れますが、まあそのくらいでしょうか。さらに言えばティーレマン&ウィーン・フィルによる第四番のCD(ザルツブルクで録音された別の演奏ですが)は持っているのですが、それほど感激はしませんでした。

 さてこの演奏会ですが、ガウディが設計して百年以上も建設が続いているサグラダ・ファミリア教会で行われたというのが大きな特徴でしょう。映像では教会内部の美しい様子がよく分かります。鉄筋コンクリートの柱が上に行くにしたがって枝分かれして、あたかも森のなかにいるような気分になります。色とりどりのステンドグラスもとても綺麗です。2021年1月の朝日新聞の写真を以下に載せておきます。


写真1 サグラダ・ファミリア教会内部(朝日新聞より、2021年1月)


写真2 建設中のサグラダ・ファミリア教会(北山和宏撮影、1992年7月)

 ちなみに写真1と同じ部分を撮影した写真がなんと迂生の手元にありました。上の写真2ですが、1992年にバルセロナに行ったときに撮った建設中の様子です。まだ屋根がかかっていませんので内なのか外なのか分かりませんが、二段目のステンドグラスやその上のバラ窓の部分が明らかに写真1と同じですね。このときから約三十年で屋根がかかって、聖堂内部でコンサートを開けるまでに出来上がったのかと思うと結構な感慨を覚えます。

 で、ティーレマンとウィーン・フィルの演奏ですが、さすがに映像付きで聴くと退屈する暇がなくて、やっぱり素晴らしいと思いました。特に第四楽章のフィナーレではアゴーギクのメリハリが効いていてよかったと思います。ただ冒頭のインタビューでティーレマン自身が話していましたが、ここの音響の面では不満があったようです。

 わたくしが感じたのは残響時間が長いことで、数えてみると六秒以上の残響があったみたいです。ブルックナーの交響曲では金管楽器が咆哮しますので、演奏している人にとってはやりにくかったのではないでしょうか。いくら「ブルックナー休止」(かなり長い時間、オーケストラが全休止[ゲネラル・パウゼ]すること)が特徴といってもそれを上回る残響時間だったようで、さすがに指揮者のティーレマンも残響がなくなるまでは待てなかったみたいです。そういう音響面の欠点はあったようですが、それでも総体としてはとてもいいコンサートでした。もっとも天下のウィーン・フィルと当代きっての名シェフと言われるティーレマンの組み合わせですから当たり前っていうことでしょうかね、あははっ。

盛夏になる (2022年7月27日)

 今週になってミンミンゼミ等の鳴き声を聞くようになりました。学内でもセミの抜け殻を見かけます。今年の梅雨は公式には(?)六月末に明けたことになっていますが、本当は先週くらいまでが梅雨だったのではないかと思いますね。

 日差しがすごいので今週から日傘を差して登校しています。女房から借りた女物の傘ですがそんなことはどうでもよくて、結構、暑さをしのげるので思いのほか重宝しています。帽子よりも日傘のほうがはるかに効果的なことに気がつきました。

 暑い最中ですが期末試験も終わり、大型構造物実験棟での鉄筋コンクリート柱梁部分架構実験は少しずつ軌道に乗り始めたようでちょっとばかり安心しました。今回は梁が三本ある側柱梁部分架構タイプなのでひび割れ観察面が増えました。ひび割れ幅の測定ですが、マイクロスコープによるデジタル計測はやめてクラックスケールによるアナログ測定に変えました。慣れるまでは大変でしょうが、暑さにやられないよう注意しながら実験して欲しいと思います。

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:RC柱梁接合部実験2022_井上村野:試験体S1_梁3本の側柱タイプ:IMG_5711.JPG


びっくり大相撲
 (2022年7月24日)

 今日は大相撲七月場所の千秋楽でした。本場所最後の取り組みでまさか横綱・照ノ富士が貴景勝に負けるとは思いませんでしたが、左足があっさり俵の外をはいてしまいました。その結果、平幕の逸ノ城が棚ぼた式に優勝(12勝3敗)となりましたが、なんとも盛り上がらない場所でしたね。

 COVID-19の第七波の猛威は大相撲も例外ではなく力士がどんどんと休場してゆき、こりゃ大丈夫かなというくらいの状況でした。最後まで本場所を興行できてよかったと思います。

 今場所は照ノ富士と若元春との取り組みで見たこともないようなびっくりする出来事がありました。たまたまテレビでライブ中継を見ていたのですが、両者ががっぷり四つに組んだところで若元春のまわしが緩んだらしくて立行司(式守伊之助?)が「まわし待った」をかけたのですが、それがどうやら若元春には伝わらなかったらしくて、「待った」を理解した照ノ富士が力を抜いたところで一気に寄って出て寄り切っちゃったんです。でも、お客さんのなかにも「まわし待った」に気が付かなかった人たちがいたらしくて場内はざわついて座布団が数枚飛んできました。

 行司さんは憮然とした顔をしています。「まわし待った」って言ったでしょ…っていう感じがありありです。負けたことになった?照ノ富士は行司さんの腕を掴んでそりゃないだろう、どうなってんのよっていう顔つきです。で、土俵の四周に座った審判親方たちもしばらく唖然としていたようですが、行司さんの困った顔に促されるように土俵に上がって鳩首会議を始めました。それが十分くらいも続いたでしょうか。その間、土俵下に下がった若元春のまわしを、控えにいた大関・正代が一所懸命に締め上げてやっているのもテレビに映りました。なんだか微笑ましいなあ。

 結局のところ行司さんが「まわし待った」をした場面から取り直しになったのですが、とにかく出来事としては一瞬でしたので(多分)行司さんもその場面を精確には憶えていなかったらしく、イヤホンをつけた審判長(誰だったかは忘れました)が土俵に上がって、両者の組み方や手足の位置をいちいち確認しながらその態勢を整えました。行司さんも若元春の足を引張ったりしていました。こんなとき手元にタブレット端末でもあれば、その画像を見ながらサクサクできるのになあ、なんてどうでもいいことを思いましたな、あははっ。

 でも、勝負再開となってからはあっという間に照ノ富士が寄り切って(番付通りに)勝ちましたので、なんだかなあ、何やってたんだろうなあっていう気もしましたね。結局のところ立行司の「まわし待った」の合図が控えめだったことが問題だったのでしょうが、なんせ土俵で組み合っているのは大男たちですから、フツーの体格の行司さんにとってはその塊が急に動き出したら危なくてそばにはいられませんよね。

 ちなみにテレビの解説で舞の海さんがこれは行司の失態だと言っていましたが、それは違うとわたくしは思いました。土俵上では行司さんの言うことや存在は絶対です。彼が「まわし待った」と言ったのであれば、その通りに従わないといけないわけで、行司さんが近づいてまわしに手をかけたところで若元春も気がつくべきだったと思います。もっとも勝負に集中して平常心を失っている関取にそんなことを言うのは酷なのかも知れませんね。

ユーミン五十年 (2022年7月18日)

 午後九時過ぎにたまたま付けたラジオのNHK-FMで(普段使いのラジオは持っていないのでパソコンですけど)、リスナーが選ぶユーミン・ソングTop50というのをやっていてそのラスト15分だけを聴きました。そうしたら最後のトップ3を発表していて、それらは以下のようでした。

3位 海を見ていた午後
2位 カンナ8号線
1位 守ってあげたい

 皆さんのお気に入りは含まれているでしょうか。確かにみんないい曲ですが、わたくしの予想は「ルージュの伝言」か「中央フリーウェイ」でした (この二曲もベスト50くらいには入っていただろうとは思いますけど…)。彼女はなんとデビュー五十年!だそうで、ということは1972年から歌を発表し続けて来たわけで、その間ずっとトップランナーと言って過言ではないのでやっぱりすごい人だなあとは思います。

 そのユーミンですが若いころにはかなり聞いていて、手元のアルバム(CD)を数えたら荒井由実が2枚、松任谷由実が12枚ありました。そのほかにかつて角田誠先生から録音させてもらったベスト盤3枚があります。ただ最後に買ったのが2002年の『Wings of Winter, Shades of Summer』でしたから、2003年以降の曲は知らないことになります。その限られた範囲でわたくしのMy favorite songsを選ぶとこんな感じでしょうか。

 3位 晩夏
 2位 雨のステイション
 1位 やさしさに包まれたなら

 よくは知りませんがどれも多分1970年代の曲たちだと思います。「晩夏」は実は迂生が最初に聞いた荒井由実の歌でした。中学生になった頃でしょうか、夜の九時半くらいから15分くらいの連続テレビドラマをNHKでやっていて、その主題歌がこの曲だったのです。ドラマの内容は全く憶えていないのですが、この曲の印象が強烈だったせいか何なのか分からないのですが、晩夏にふさわしい気だるいメロディとか歌詞の一節(耳で聞いたときに“はげいとう”って何だろうって思ったものです。漢字で書くと“葉鶏頭”なので、ああ地味な真紅の花のことかって分かりますけど…)とかが頭に残ったのでした。

 「雨のステイション」はしっとりとした雰囲気が六月くらいの梅雨時にぴったりの曲です。降りしきる雨のなか、駅のホームにつくねんとつっ立っているとよくこの曲を思い出します。ただ、わたくしがよく聞くのはハイファイセットの唄うこの曲なんですけどね。

 「やさしさに包まれたなら」はジブリ映画の「魔女の宅急便」で流れていたのでご存じのかたも多いでしょうが、こんなに優しくて気分の良くなる歌もないと思います。ユーミンの独特の声質の歌声を浴びるとまさにやさしさに包まれたような気持ちになって参ります。よく晴れた気持ちのいい朝、カーテンを開けるときにぜひ、この歌を口ずさんでください。

 ついでに手持ちのアルバムのなかでわたくしのお気に入りをあげると1982年発売の『PEARL PIERCE』です。楽曲全体を通して角がとれて丸いというかほんわかとしているというか、ユーミンのアルバムのテイストとして他のものとは明らかに違うように感じます。脱力して聴けるっていうのでしょうか。ちょうどお盆の頃に、暑いさなかにも夕暮れに近づくとちょっとした涼しさをそこはかとなく感じたりすることがあるのを思い出しながら「夕涼み」をお聞きください、なかなかにGoodです。

 

鉄筋コンクリート構造の行くすえ (2022年7月15日)

 日本コンクリート工学会の年次大会がオンラインで開かれています。研究室のパソコンの前に座って自在に参加できるのはやっぱり便利ですね。でも、周りに誰もいないのでつまらなくなったらお茶を入れに立ったり、メールを開いたり、他のサイトを覗いたりして、気が散ることも確かです。もっとも従来の対面開催のときでも、面白くなかったら会場から出て行って知り合いと旧交を温めたり、お茶を飲んだりしていたので結局は同じことかな?

 昨日の夕方には春日昭夫さん(三井住友建設副社長、土木分野)の特別講演会があって拝聴しました。コンクリート分野におけるカーボン・ニュートラルの話題でしたが、とても面白かったです。そのなかで、コンクリートを低炭素対応型に進化させ、鉄筋を使うのをやめてその代わりにアラミド繊維などで補強すると、劇的に脱炭素を実現できる、という話しがありました。

  鉄筋をやめると脱炭素、というのはちょっと分かりにくいですが、構造物のライフ・サイクルを考えると新築後のメンテナンスに多量の炭素が排出されるので、メンテナンス・フリーにするとその分を低減できるという筋書きのなかで語られました。つまり、コンクリート内の鉄筋が腐食することで鉄筋コンクリート構造物は劣化するので、それを防止できると多量のCO2を節約できるということらしいです。鉄筋を入れなければ海水を使える(ローマ時代のコンクリートは海水で練ったそうです)のでそのことも地球環境に優しいということでした。

 なるほど…、必要に迫られて人間っていろいろと考えるものなのですね。春日さんもこのような新規開発をコストと捉えるかチャンスと捉えるかで見える景色が違うとおっしゃっていましたが、確かにその通りです。目の前にある危機を好機と捉えて積極的に打って出ようっていうことですな。

 理屈は分かるのですが、でもそうすると在来型(いま現在)の鉄筋コンクリート構造は廃れてゆくわけで、そうなると鉄筋コンクリート構造にかかわる膨大な研究も大部分はお役御免となって忘れ去られてゆくことになります。その研究を生業としている該当者としてはやっぱり少しばかり悲しく思うわけですよ。

 鉄筋をアラミド繊維に置き換えた場合、鉄筋を対象とした理論をそのまま使ったり応用したりできる部分はもちろんあると思いますから、全部が無駄になるということではないでしょう。でも大学で教えている「鉄筋コンクリート構造」という授業名自体がなくなって、新しい構造システムの理論や経験が教授されることになるのでしょうね、やっぱり。それを考えるとちょっと寂しい気分が湧き上がって参りますが、そんなことを言うこと自体が老兵はそろそろ退場してねっていうことかも知れません。

夏の高校野球 (2022年7月13日)

 夏の高校野球の予選が東京でも始まりました。愚息の高校は西東京地区ですが初戦をコールドで勝って次へと進みました。もっとも彼は高校野球には全く興味がないみたいで母校の応援に行く気はサラサラないみたいですが…、なんだかなあ。

 わたくしの母校の都立A高校は東東京地区ですが、今日初戦があって私立高校(といっても全然知らない学校でしたが)を相手に勝利しました。A高校の目の前にある神宮球場での試合だったので、想像するに母校からは大勢のA高生たちが応援に参加したと思います。以前に書きましたが、わたくしが高校生だったときには4回戦まで進んで神宮球場で早稲田実業と当たって確かコールド負けを喫したと記憶します。でも、わたくしも球場に足を運びましたがものすごい応援の数でとても盛り上がりました。負けたとはいえ神宮球場で歌う校歌は格別でした。なんといっても“神宮の杜”を歌い込んだ校歌なんですから、ご当地感満載っていうところで、そこだけは早実なにするものぞという意気が軒昂でしたね。

 わたくしが通う東京都立大学の下車駅である南大沢駅には、毎朝、高校球児たちが集まってきます。近くに西東京地区予選の球場があるためです。高校の部活動ですから上下の関係はやっぱり厳しいみたいで、駅のホームで(先輩と思われる生徒に)大きな声で挨拶しているのを見かけたりすると、おうやってるな、暑いけどしっかり野球やってくれよな、っていう微笑ましい気分に浸ります。

 トーナメント戦は負けたらおしまいで、結局のところ勝者はただ一校しかないわけで(当たり前だけど)、一人ひとりの高校球児が体験する「夏」には怖ろしいほどの格差があることに同情心を掻き立てられる季節でもあります。高校球児の皆さん、精一杯やって日頃の努力の成果を発揮できることを祈っていますよ。

参議院選挙におもう (2022年7月10日)

 きょうは参議院議員選挙の投票日です。かなり暑くなりそうだったので午前中に投票して来ました。東京選挙区では六人の定数に34人も立候補しています。迂生はいつも書いているように体制側には与しないので、例によって野党の新人に投票しました。その方は新聞社による事前の調査では当選はかなり厳しそうでしたが、主義主張とか年齢とか能力とかを(分かる範囲で)調べてその人に決めました。

 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:Desktop:参議院選挙ティッシュ20220710IMG_1494.JPG
 写真:投票所の出口で配っていたティッシュ

 比例区のほうも当然野党ですが、最近は野党だか与党だかよく分からない政党も多いので、そういうところにはお引き取りいただいて、明らかに革新であることが自明の政党の特定個人に投票しました。ただ(これもときどき書きますが)K産党については今回も選択肢から外しました。

 しかし今回の投票行動には、7月8日の安倍元首相暗殺事件が大きな影響を与えるだろうとわたくしは踏んでいます。応援演説中に撃たれて亡くなった安倍さんは本当にお気の毒でかわいそうだと思います。安全だと思われている現代の日本において銃による暗殺が白昼堂々と行われたことに日本人は誰もが驚愕したことでしょう。こうして彼は凶弾に倒れた悲劇の英雄のように認識され、日本人の心性に深く根付いている判官贔屓のスイッチが発動されます。なんといっても九郎判官義経(源 義経のことです)から連綿と続く心性ですから、そう簡単にはすたれません。

 ここで思い出すのが大平正芳首相が衆参同日選挙中に亡くなったときのことです(1980年でした)。大平首相は現職のまま病死したのですが、これを受けてJ民党は選挙を弔い合戦と称して戦って結果として大勝したのでした。大平さんの死去の時も驚きましたが、今回はその比ではないくらいに恐ろしい出来事でした。そのことを思うとき、多くの有権者が同情や痛惜の念を禁じ得ないというのは人として当然のことだろうなと推察するんですね。

 それにしても今年は現代で生じるとは考えられなかった事件が起こりますね。ロシアによるウクライナ侵略戦争と今回の銃による暗殺事件です。全然違う性質のものなのですが、テロリズムという点では同じですし、日本人の心胆を寒からしめたという点でも同じでしょう。もうこれ以上、恐ろしいことが起きないことを祈っています。

追伸(2022年7月11日);一夜明けて大勢が判明しました。やっぱりJ民党および与党の圧勝となりましたね。わたくしが東京選挙区で投票した方は残念ながら落選していました、がっかり…。

三十年前の世界地震工学会議 (2022年7月7日)

 今日は七夕ですね。学生会館の中央吹き抜けのところに誰が置いたのか、笹が立て掛けられていて、そこに願いごと?を書いた短冊がたくさんぶら下がっていました。学生さんたちが書いて取り付けているみたいです。ロシアによるウクライナ侵略はとどまるところを知らず混迷した世相なので、平和のありがたさを噛み締めているのかも知れません。

 ここのところ研究室に溜まった書類を精査して、不要なものは捨てています。二十年も前の教室会議の資料とか学会の委員会の資料とか、そんなもんもう見ないだろうっていうものばかりです。綺麗にファイリングして仕舞ってあったのですが、なぜそんなものを大切にとってあったのか、自分自身の精神構造が今となっては理解できません。後になって見返すことがあるだろうという心算だったのでしょうが、そういうものって結局顧みられることはないんですよね…。ということで、バンバン捨てています。でもそういう書類の端々にもうお辞めになった先生はおろか鬼籍に入った先輩がたのお名前を見ると、その頃のことが思い出されてさすがにちょっと胸が疼くなあ。

 で、きょうはふと気がついて普段はほとんど開くことのない引き出しを開けてみました。そこにもファイルがびっしり入っているのですが、その合間に挟まっていた写真の束を見つけました。なんだろうと思ってみると、それはちょうど三十年前の1992年7月にスペインのマドリッドで開かれた第10回世界地震工学会議(10WCEE)に参加したときの写真でした。会場の看板前で撮ったものと会場のファサードの写真を下に載せておきます。この会場で自分がどのように発表したのかなんて全く憶えていませんが、昼日中の気温が40度以上になって暑くてとろけそうになったことだけが記憶に残っています。



 以前にも何度か書きましたが、このときは同年代の三人(倉本洋さん、境有紀さんとわたくし)でヨーロッパまで出かけました。当時はネットなんかありませんから、航空券の手配やホテルの予約などは旅行会社を通してやるのが通常でした。でもこのときは境さんが全部自身で調べて手配してくれたのでとても助かったことを憶えています。まさにツアコンが境さんって感じですな。

 わたくしといえばこの年に東京都立大学工学部建築学科に講師として採用されて、西川孝夫先生、芳村学先生という研究室の先輩がたのもとで大学人としての生活を新たに始めたところでした。でも1992年の10WCEEでどんな論文を発表したのか全く思い出せなかったので自身の論文アーカイブで調べたら、なんと所属が「千葉大学」となっていました。そうでした、論文を提出したときにはまだ千葉大学の助手だったんですね。論文のタイトルは”Behavior of high-strength R/C beam-column joints”で、著者は筆頭が迂生でその後に李祥浩[い さんほ]さん、小谷俊介先生、青山博之先生と続いていました。いやあ、懐かしいです。まだまだ青山先生と小谷先生との庇護のもとで好き勝手にやっていた頃だったのです。



 これは多分、青山先生主催の夕食会に呼んでいただいたときの写真だと思います。中央でパクッとしているのが師匠の青山先生、その右が奥さま、左のおそろしく日焼けしているのがわたくしです。左端は境有紀さん、右端は芳村先生です。奥さまがガスパチョ、ガスパチョとおっしゃっていたのをよく憶えています。楽しそうな雰囲気が今でも伝わってきますね。どこに行っても青山研究室の縦のつながりは強くて、こういうときには親分の号令ひとつで皆が集まったものでした。せっかくなので、10WCEEの会場で青山先生が発表されているところも載せておきます。発表のツールはスライド投影のように見えます。でもスクリーンが小さくて、後ろのほうからはよく見えなさそうです。ほんの三十年前の国際会議でもこんなプアな感じの発表デヴァイスだったのですね。隔世の感を抱きました。



前期の授業もそろそろ終わり (2022年7月5日)

 台風が近づいているので雨降りです。先週ほどの暑さは納まりましたが湿度が高いので蒸し暑くてやっぱり不快です。

 さて七月の声をきいて、前期の授業もそろそろ終わりが見えてきました。大学院の授業だけは試験をやらないので七月末まで多分、続きますが、学部の建築構造力学1と鉄筋コンクリート(RC)構造とは七月下旬に期末試験です。この二科目とも演習問題をほぼ毎回出題しました。力学では毎週演習を提出することを義務として課し、わたくしがていねいに添削して返却しますが、RCでは問題および解答をクラウド上にアップして各自、好きに学習してもらう形式です。

 以前にも書いたと思いますが、このどちらの形式が学生諸君の学習を進めるにあたって効果的なのでしょうか。あるいは、添削して解答も配布する、というのが学生諸君にとっては嬉しいのかも知れません…。ただ以前のRCの授業で演習の提出は任意にして、添削して欲しいひとは出すようにと言ったところ、提出する学生さんはほとんどいませんでした。ということは演習提出を成績に反映させない場合には、学生諸君の演習問題を解くモチベーションは上がらず、教師による赤ペン添削には魅力を感じていないということを意味します。これが正しいとすると、多大な時間をかけて学生諸君の演習を添削するのがむなしくなって参ります。なんだかなあ〜とは思いますわな。老眼のせいで学生さんの書くちっちゃい字が見えなくなったのも苦痛なんですよ。

 そんなことなら建築構造力学1でも演習提出を課さずに解答を配布する方式にしようかとも思うのですが、宇都宮大学に就職して以来このかた、やり続けてきたこの方式を変更するとどのようなことが起きるのか、それが不安なんですねえ。授業で教える内容や演習問題を解くという授業の進め方に変更はないので、あとは学生諸君が授業に取り組む気持ちの問題かも知れませんが、どうしたもんかなあと悶々としております。

 思い切ってやってみて期末試験の出来具合をみるというのもあるかも知れません。そこで例え出来が悪くても、どうせ二年もすればモーメント図をまともに書けなくなる学生さんが続出するという事実を思えば、思い悩むほどのことじゃないかも知れません、はい。

ながい入試ロードの始まり (2022年7月1日)

 七月朔日となった今日、熱波がただようなかで本学では編入学試験が始まりました。高等専門学校や短大から各学科の三年生に編入するための試験ですが、これから来年三月まで続くながい入試ロードが今年もまた始まったことになります。

 でも、なんでこんな暑いなかで入学試験をしないといけないのだろうか…。全国から集まってくれた受験生の皆さんも八王子盆地の格別の暑さ(多分、今日は38度超えだろうな)に驚き、そしてその次には身の危険を感じたのではないでしょうか。室内にいても頭がボーッとしてくるくらいでとても不快です。

 わたくしはその編入学試験の業務を仰せつかりましたが、その合い間にレポートの採点をしたり、あまつさえこれから授業に出かけるんですぜ、旦那。まったく教員をどれくらいこき使えば気が済むんでしょうかね。授業を休講にすると代わりの補講をするように求められますから、今日の大学ではそうそう簡単に講義を休むことはできません。大学の先生たちは基本的には従順なので言われたとおりにやりますけど、それも限度ってものがあるように思うけどなあ…。

 暑いので皆さまもご自愛ください。


思ひ出の曲 (2022年6月30日)

 外を歩くだけで遭難しそうなほど暑いんですけど…。とてもじゃないけど外出できないので、在宅勤務にしました。六月はきょうでおしまいでして、今年も何もせずに半年が過ぎたんだなと気がつきます。でもいいんです、これが人生そのものなんだからな…。

 さて境有紀さんのページの『変奏曲列伝』を楽しく拝見していたら(でも、貼り付けられた動画をさすがに全部は見られませんけど、悪しからず)、「きらきら星変奏曲」が載っていて、思わず聴いてしまいました。これってモーツァルトの作曲だったのですね。

 わたくしが小学生の頃にピアノを習っていたことはこのページに書きました。目黒にあるお寺さんに併設されたピアノ教室に通っていたのですが、年に一回、発表会がありました。発表会での順番ですが、一年生から学年を上がって弾いてゆくのですが、どういうわけかわたくしは同学年の中ではいつも最後に弾かされました。別にピアノが上手いわけでもなく、ただ、当時から手先は器用だったので上手に見えたのかも知れません。

 発表会では暗譜で臨むのですが、小学校五年生くらいのときに舞台のピアノに座った途端に頭が真っ白になって、出だしの部分のフレーズがどうしも出てきません。こういうのって、弾き始めればあとは指が勝手に動くようなものなんですが(小学生のまね事ですから芸術性も何もありません)、出だしが出てこないと必然的にその先に進めません。あちゃああ、どうしたもんかなあと思って、こんな感じだったかなあとか思いながら何度かへんてこな不協和音を弾いたりしたのですが、どうにもダメです。仕方ないので一旦袖に下がって楽譜を見てから、再度、弾き直したなんてこともありました。カッコ悪いっすねえ。こんな感じで、とにかく発表会は苦痛でした。

 で、六年生だったと思いますがその発表会で「きらきら星変奏曲」を弾いたのでした。発表会で弾く曲はピアノの先生が選んで指定してくれるのですが、最初は簡単なんですがだんだんと難しくなってゆき、わたくしにとってはやっぱり大変だったように思います。境さんのページの動画を見て、こんな曲だったんだなあって思ったくらいです、あははっ。

 もうひとつ、想ひ出の曲があって、それは小学校六年生のときに目黒区立小学校連合音楽会という行事で弾かされた曲です。わたくしの通っていた小学校は一学年が三クラスの小規模校でしたが、このときは「ダムのある風景」という合唱曲を六年生みんなで歌いました。その曲のピアノ伴奏をどういうわけか迂生にやれと音楽の先生が宣ったのです。小さな学校とはいえ、同じ六年生にわたくしなんかよりもピアノが上手な児童は何人もいたのに、です。もう、いやで嫌でたまらなかったことしか憶えていません。

 どうしてわたくしが選ばれたのか今もって謎ですが、わたくしは先生がたのあいだでは素直で愉快で楽しげな子供っていう感じで受けがよかったように思います。また、わたくしの祖父のひとりは校長先生の大学での指導教員でしたし、もうひとりの祖父は算数の先生の研究仲間だったので、そういう意味でもわたくしは「有名児童」だったみたいです。

 いずれにせよいやいや弾いているので、そのピアノ演奏には覇気がなく、ただ音が出ているだけといった感じだったのだろうなと今にして思います。実はこのときの演奏はシングルサイズのレコード(1分に33回転)として手元にあるのですが、ほろ苦い思い出としてそれを聴くことはありません…。

 この話しにはまだ続きがあります。連合音楽会が終わったあと真冬の寒い頃だったと思いますが、この同じ曲を小学校の体育館で演奏して下級生に聴かせることになりました(って、もちろん先生がたが勝手に決めたことですけど)。もうここまで来るといくら素直なわたくしでも弾きたくありませんでした。しかしとてもそんなことは言えずにうじうじと悩んだのですが、その演奏の当日、天佑でしょうかお腹が急に痛くなって学校を休むことにまんまと成功したのでした。

 後日聞いたところ、その日はわたくしよりも遥かにピアノが上手な福田くん(名前だけは今でも憶えています)が見事に代役を果たしてくれたそうです。だ・か・ら〜、上手なひとがやったほうがいいんだってば、あははっ。

 中学校に進級する直前に目黒から新宿に引っ越したことにより、ピアノのお稽古をやめさせてもらえました。そのときはホントに嬉しかったです。それ以来、家のピアノを弾くことはなく、その後、結婚してからもピアノは相変わらずそばにありますがそれも弾いたことはありません。定年後の退屈しのぎとかボケ防止のために将来はまたピアノを弾こうかとも考えますが、境有紀さんのページの楽譜をみると弾ける気が全くしません。だから多分、弾かないんだろうなあ、ギャハハっ。

六月に梅雨明け (2022年6月29日)

 真夏が到来したのかと思ったら、本当に梅雨が明けましたね。六月に梅雨明けというのは記憶にありません。しかしそうであれば、これから今までにも増して長〜い夏が続くのでしょうか…、うんざりだな。すごい湿気ですし、あまりの暑さに学校の行き帰りには冗談抜きに生命の危険を感じます。それはまずいので帽子をかぶって、途中で飲み物を買って飲みながら登校しています。こんなに暑くて出歩くのが危険ならば、授業もオンラインに戻したいくらいです。

 大型構造物実験棟では若者たちがこれから実験しようっていうのですが、こんなに暑くなってからやっと始まるっていうのもどうなんでしょうか。春のはじめには試験体はできていたのですから、うまくやれば一番よい季節に実験できたと思いますけど…。まあ、皆さんにも都合があるので結構なんですけど、これだけ暑いと年寄りのわたくしは今までのように常に実験棟にいるということはもうできそうもありません、無理ですわ、ホント。

 ということで、体と相談しながらできる範囲で実験にも参加しようと思います。三年前の夏に肺炎にかかったのもお盆の頃に実験していて、その暑さに体が弱っていたことが一因だと思っています。いつも書いていますが、健康に勝るものはありません。若者と同じようにやろうとするともう絶対に無理なので自重しようと思いますし、学生諸君にもご配慮をお願いしたいと存じます。

夕がた投票 (2022年6月26日)

 梅雨なのにここ数日はピカッと晴れてべらぼうに暑くなりました。真夏が到来したかのように錯覚しますが、雨が降らなければ降らないで困ることも多いかと思います。天気予報ではこの一週間は同じような猛暑の晴天が続くようでして、どうなってるんでしょうね。

 今日は市長選挙の投票日ですが、こう暑くては出歩く気もせず、それならば陽が陰って少しは暑さが和らぐ日没ころがよかろうと投票に行きました。締め切り一時間前くらいに投票所に行ったのは初めてのような気がします。もう誰もいないだろうと思っていたのですが、迂生と同じように考える人は多いらしく、人波がそれなりに続いていました。人間、守りに入っちゃおしまいよと思いますので、いつもの信念とおりに革新候補に投票して来ました。

追伸; 午後十時過ぎには開票結果が出て、わたくしの投票したひとは約八千票で残念ながら落選しました。予想とおりに現職のかたが当選しましたが、約二万一千票を獲得していて結構な差が開いたことにちょっと驚きました。ちなみに投票率は43.3%で前回選挙を少し下回りました。

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 ロシアによるウクライナ侵略戦争は東部や南部で泥沼の戦いに入ったように見えます。一方的に侵略されたウクライナとしては戦うのを止めるわけにはいきませんから、この戦争の行方はロシアの意思にかかっています。この様相はかつて日本帝国が中国大陸に侵攻したときを思い起こさせます。その後の日本がどうなったかは歴史の教えるところですが、それをロシアは学んでいないのでしょうかね…。

 しかしロシアによる侵略戦争には世界が納得できる大義はありませんから、戦争が終結したとしても今後世界のなかでロシアはどのように振る舞うつもりなのでしょうか。ロシアの大統領Puは国外でもう二度と信用されないでしょうし、そうなればロシアという国が世界のなかで逼塞するしかありません。それは結局のところロシアの国益に反することであり、ロシアの一般大衆がそのことに気がついたときに何が起こるのか、恐ろしい気がします。

耳ネタ 2022 June(2022年6月23日)

 梅雨なのでジメジメとして蒸し暑くて気の滅入る日々が続いていますね。参議院選挙の戦いが始まりました。一発逆転みたいなドラマティックな展開は期待できそうもないので、あまり面白みのない選挙になりそうです。

 さて今回の耳ネタは永遠のロッカー・佐野元春さんの『Someday』です。わたくしにとっては真打ち登場っていう感じでいくらでも書けそうです、あははっ。このアルバムが世に出たのは今からちょうど40年前で、わたくしは本郷の建築学科に進学して建築を本格的に勉強し始めた頃です。レコードを買うお金はありませんので、貸レコード屋で借りて来てカセットテープにダビングして、主に車のなかで聞きまくりました。大学とアパートとの行き帰り、特に真夜中に新宿区弦巻町の早稲田大学そばを疾走するとき(道幅が広くて直線で見通しがよく、おまけに走っている車はほとんどなかったので)、このアルバムは必聴だったなあ…。



 『Someday』にはもちろん「サムデイ」も入っていて、この曲が一般にはよく知られているみたいです。でも、全部で11曲の曲たちはどれもみんな素敵です。一曲目の「シュガータイム」から佐野さんらしさが全開で、どの曲も口ずさんだりシャウトしたりしたくなります。「ロックンロールナイト」は九分近い大作なのでラジオで全曲が流れることはまずありませんが、これをコンサートでやるとべらぼうに盛り上がります。

 ちなみにわたくしが初めて佐野さんのコンサートに行ったのは青山・小谷研究室のM2のときです。研究室の定本照正くんが苦労してチケットをゲットしてくれました。コンサートの当日は実は直前まで、東京・田町の建築会館でRC柱梁接合部に関する日本・米国・ニュージーランドの三国セミナーが開かれていて、私は雑用係として末席に参加させていただきました。青山博之、小谷俊介の両師匠をはじめ、森田司郎先生(京大、故人)、柴田拓二先生(北大、故人)、小倉弘一郎先生(明大、故人)、R. Park 先生とT. Paulay先生のニュージーランダー(ともに故人)、アメリカからJ.O.Jirsa 先生と錚々たるメンバーが一同に会していました。今にして思えばRC界の世界の巨頭が大集合っていう感じなんですけど、当時の大学院生の我が身にとってはそんなことは知る由もなく、まさに猫に小判、馬の耳に念仏とはこのことでしょうか。

 で、この三国セミナーが夕方に終わると(そわそわしていた)わたくしはタクシーに飛び乗って、品川のコンサート会場にギリギリで間に合いました。会場はアイス・アリーナなので椅子はなく、全席スタンディングです。足下にはさっきまでのセミナーの大部かつ貴重な資料が紙袋に詰めて置かれていて、それを時々気にしながらも、佐野さんの歌声にあわせて飛び跳ねていたのでした。強烈な大音量だったせいで、翌日まで耳がガンガンしたのには困りましたが…。

 話しをもとに戻して、『Someday』のなかでわたくしが一番好きなのは「ダウンタウンボーイ」です。都会に暮らす若者たちの抑圧された鬱屈を切り取って歌った作品で、その疾走感にくらくら来ました。「マーヴィン・ゲイの悲しげなソウルにリズム合わせてゆけば」という歌詞から、マーヴィン・ゲイのソウル・ソングも聴くようになりました。

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 ところで最近、サザンの桑田佳祐さんが同い歳の佐野さん、野口五郎さん、世良公則さんとCharさんの五人で「時代遅れのRock’n’Roll Band」という曲をYouTubeで公開しました(こちら)。皆さん、ご覧になりましたか? わたくしにとっては耳に心地よいメロディですが、今のひとたちにはちょっと古臭く感じるかも知れないな。でもこの五人がとても楽しげに歌っているのをみるとこちらも一緒に嬉しい気分になって参ります。キーボードで原坊(桑田夫人)も出ています。

 この曲のサビの部分で「One day Someday」というフレーズがあるのですが、これを聞いていて財津和夫さんの「Wake Up」が海馬の奥底から浮かび上がってきました。財津さんの「Wake Up」は確かわたくしが大学受験の頃によくラジオから流れていた曲で、素敵な曲なので今でもよく憶えています。「One day Someday」がそれとよく似ているような気がするんだけど、他人の空似かな。

小さな選挙 (2022年6月21日)

 わたくしの住むまちで市長選挙が始まりました。埼玉県の蕨市に次いで面積の小さな市でして、人口は八万人くらいです。形は枝豆みたいでして、実際、枝豆が生産されていてそれを使ったビールも地元で醸造されています(高いので買ったことはない)。南側は多摩川に接していて、小田急線が市の南側をかすめて通っていますが市内に駅は二つしかありません。ちなみにわたくしは市の最北端に住んでいるので、普段は小田急線を使うことはありません(小田急の駅まで歩くと25分、バスに乗っても25分以上かかります)。

 そういう小さな市の市長選挙ですが、保守系の現職に革新系の新人が挑む一騎打ちになりました。こう書くとなんだかカッコいいのですが内実は違います。二期目を目指す70歳の現職は自民・公明の推薦を受け、対する新人は75歳で共産・民社の推薦を受けるという老々対決のさえない構図なんですよ。公約を見ても当たり前のことしか書いてないし(例えば戦争反対とか、暮らしやすい街づくりとか…)どちらを選んだらよいのかとんと分かりません。

 わたくしの心情からすれば政権野党の方を選びたいのです。しかし、共産党の支持を受けているということは財源をどうするのかという現実的な裏付けのない、絵に描いた餅のような政策を夢見ているのだろうと懸念しています。実際、かつて共産党員市長だったときには税金は高いのにサービスはよくないし、財政は悪化するしでろくなことはありませんでした。そもそも政治経験の全くない75歳の新人ってどうなんでしょうか…。

 いっぽうで自民系の現職には心情として投票したくありません。もっともその方は特段にヘンなことをしたわけでもなく、ワクチン接種も上手に進めているし、堅実に市の財政を立て直しつつあるようなのでその点は評価できます。評価はするのですが、でも投票はちょっと…っていう感じです。

 ということで、どちらにも投票したくないってことみたいです。そんなに文句を言うならお前が立候補しれっていうことなんでしょうが、幸か不幸かこちとらはまだ現役の大学教員なのでそんな気はありません。て言うか、そもそもが中年くらいの比較的若いひとにやってもらうべきと思うのですが、市長って魅力のない商売なんでしょうね、きっと。

 投票しないとか白票はイヤです。そこで女房に聞いてみると現職でいいっていうので、それなら迂生は新人に投票するかっていう気分になって参りました。でも、こんないい加減?な理由で自分の住む市の首長を選んでいいものかどうか、またもや疑問の首がもたげて来ましたが、キリがないのでもうやめま〜す(多分、現職が再選されるのだろうと予想します)。

夏の匂い (2022年6月17日)

 梅雨空が続いています。今朝は曇りでした。早朝に外に出ると少しモワッとした湿度感があって暑くなりそうな気配でしたが、空気の芯には昨日までの冷気が隠れているのを感じることができました。そしてそこにこの夏初めて夏の匂いを嗅ぎとったのです。

 それが何の匂いであるのか明瞭に指摘することはできませんが、雨上がりの土の香りとか木々の緑葉の匂い、空気が纏っている微かな匂いなどの総体としてそう感じるのではないかと思います。それは多分、ひとそれぞれに違っていて、生まれ育った環境が大きく影響するのではないでしょうか…。

 わたくしにとっては季節が少し進んでこれから本格的な夏を迎えるんだなと感じた朝でした。皆さんはいかがでしょうか。


中間試験をやってみて (2022年6月16日)

 先々週に「鉄筋コンクリート構造」(三年生前期)の中間試験を実施しました。33名が受験しましたが平均点は72点(100点満点)とかなり高くなりました。まあ、演習問題と答えが同じになる問題も出しましたので、ちょっと簡単すぎたかも。受験者の1/3は90点以上でしたし、満点も複数いました。

 ちょっと驚いたことがあります。この授業はアドバンスト・コースですが、履修登録者全員が中間試験を受験したのです。アドバンスト・コースの授業では履修登録はするけれど試験は受けないという学生さんが結構いて、以前に「鉄筋コンクリート構造」を担当していたときも毎年そうでしたから、迂生にとっては今までになかったことです。どうしてだろう…。

 そう考えて気がついたのは、学生諸君に配布する資料が多くなったということです。今年からこの授業はパワーポイントにして、その資料はそっくりそのまま学生諸君に配布しています。また演習問題も今年度から毎回出題するようにしましたが、その解答例も配布するようにしました。

 以前は演習問題は提出させて適宜コメントして返却していたので、解答を配ったことはありませんでした。この方針を180度転換して、演習問題をレポートとして提出させることはやめてその代わりに解答例を配布するようにしたわけです。この試験ではノート持ち込み可ということもあって、これまでの演習問題の解答があれば試験は受けやすいと考えたのでしょうね。

 ということで、くみし易しと見た学生諸君が皆さん試験を受けてくれたということなのかな。まあそれならそれでいいんですけど、なんだかなあって気もします。試験ができりゃ単位は出すと言ってきましたからこれでいいんですけど、それだったら教室で講義なんかしないで資料や解答を配布するだけでよいということになってしまいませんか。うーん、どうしたもんでしょうかね。教室でわたくしが話すことから鉄筋コンクリート構造の不思議とか謎とか魅力とかを学生諸君には汲み取って欲しいのですが、そういうものはいらないから単位だけくれっていうことか…。かと言って、この授業のやり方をどのように変更するとわたくしの意図したように学生諸君が受け取ってくれるのか、よい方策は浮かびません。

 結局のところ学問を教授する方法に定型はなく、常に流動して模索を続けなければならないということでしょうか。多分そうなのでしょうが、この年齢になってもまだそうだとするとそれは結構にしんどいことです。まあ授業方法は奥が深いっていうことで諦めますか…。

追伸; 学生への資料配布ですが、大学が用意したクラウド上に全てアップしておいて各自がダウンロードする形式で、今までと異なる点です。これだと教室に行って紙の資料を手渡しでもらう必要がないのでハードルが一段と下がりますよね。これもいいのか悪いのかよく分からんけど…。


海ゆかば ある勇者の死 (2022年6月14日)

 一ヶ月前にある建築家が亡くなりました。池田武邦さんです。日本で有数の組織設計事務所である日本設計の創設者のひとりで、のちに社長や会長を務めました。霞ヶ関ビルや佐世保のハウステンボスの設計・建設に関わったことでも有名です。

 池田武邦さんは東大・建築学科を出たので、その同窓会である木葉会の名簿の『昭和24年卒業 第一工学部』のところに載っていますが、出身高校欄に「海兵」と書いてあることが目を引きます。お若いひとはたぶん分からないでしょうが、海兵とは旧帝国海軍の海軍士官養成学校である海軍兵学校の略称なのです。当時(ってもちろん戦前[太平洋戦争]のことです)は広島県江田島にありました(現在は海上自衛隊の基地になっています)。

 そうです、池田武邦さんは東大に入る前に海軍兵学校を卒業した職業軍人だったのです。彼は海軍士官として米英との戦争に加わり、レイテ沖海戦や沖縄海上特攻などの激戦をくぐり抜けて生きのびました。その過酷な戦争体験は下記の書籍に詳しく書かれています(井川聡著「軍艦矢矧海戦記 建築家・池田武邦の太平洋戦争」、2010年8月、光人社)。

 なによりも驚くのが、昭和20年4月に戦艦大和が海上特攻として沖縄に突撃した際に護衛の水雷戦隊の旗艦「矢矧」(やはぎ、と読みます)に池田武邦中尉は分隊士として乗艦していたことです。軍艦「矢矧」は当時の最新鋭の軽巡洋艦でしたが、昭和20年春には連合艦隊はほぼ壊滅しており、大和とともに死出の旅路にお供する軍艦が集められたときの一隻でした。下の写真は「矢矧」の前半分で、右端にカタパルトに載った水上機がありますが、このときの特攻では不要なので降ろされたそうです。



 皆さんご承知のようにこの勝算なき片道行で戦艦大和は米軍機の猛攻を受けて沈没しますが、池田武邦中尉が乗った「矢矧」も魚雷七本をはじめ多数の爆弾を受けて沈みました。池田さんは顔に大やけどを負って海に投げ出されました。四月の冷たい海のなかで五時間も漂流した末に味方の駆逐艦「冬月」に救助されたのでした。このような壮絶な闘いをよくぞ生き抜けたものとこの本を読んでいて思わずにはいられません。

 そんな海の勇者も自然の理からは逃れられません。池田武邦さんの死去は新聞の訃報欄で知りましたが、98歳だったそうです。あの戦争が終わったときは21歳…。その後の四分の三世紀以上の年月を池田さんがどのような気持ちで生きたのかは分かりません。しかしその長い「余生」を与えられし者として、非命に倒れた人たちの分まで全力で生きたのだろうと思います。お疲れさまでした、そしてありがとうございます、こころより合掌。

 海ゆかば 水漬くかばね
 山ゆかば 草むすかばね…

大学ファンドを考える (2022年6月12日)

 岸田政権の支持率が最高になっているそうです。現首相は確かにハト派のイメージがあってこれまでの強権政治とは一線を画するように見えます。しかしウクライナ戦争の機に乗じて自衛隊の軍備拡張を主張し始めるなど、内実は典型的な自民党政権そのものであると迂生は警戒しています。

 その現政権が10兆円の大学ファンドを打ち出しました。日本の大学の研究力をなんとかしたいというその思いは(それが本心ならば)共有できますし、歓迎します。大学での研究活動の衰えは日本経済の衰退に直接リンクすることに(やっととは言え)思いが至ったということですから、そのこと自体は真っ当であると評価できます。

 しかしその方法が妥当なのか首をかしげますね〜。厳しい条件をクリアできる数校の大学に予算を集中的に投下するということですが、こと研究に関しては「選択と集中」では上手く行かないことはこれまでの苦い経験が十分に物語っています。文科省のお役人さまがたにはなぜそれが分からないのか不思議ですねえ…。元三重大学長の豊田長康先生が既に指摘されていますが、日本の学術競争力を世界レベルに引き上げるには頂点を高めるのではなくて裾野を広げてそのレベルを底上げすることが重要です。そもそも論文数で見ると日本の大学での「選択と集中」の政策はすでに十分過ぎるほど実現されているそうです。豊田先生は、「選択と集中」には多数の罠があって罠にはまると効果がないどころか副作用によって逆効果に終わる、とも書いています(豊田長康著「科学立国の危機 失速する日本の研究力」、東洋経済新報社、2019年)。

 豊田先生の言は実際の証拠に基づいていますので、その主張には重みがあります。これまでの「選択と集中」による研究力向上施策がうまく機能しなかったことは明らかで、それに対する斯様な検証結果があるにもかかわらず、なぜ再びその轍を踏まんとするのか理解不能です。

 そもそも10兆円を投資に使ってそこから3%(=3000億円)の運用利益を得ようって皮算用がそもそも大丈夫か〜って感じなんですよね。1%でも利益が出ればいいですけど、元本割れってこともあり得るでしょう? そんな筋悪の資金を文科省のお眼鏡にかなった数校の大学に配分するっていうのが胡散臭さを醸し出しているようです。

 ここまで考えるとなんとなく分かってきますが、自民党政権は大学の研究力の向上などには本当のところは興味がないのだと思います。彼らは10兆円という巨額な国費を世界中に投資の名目でばら撒くことによって、世界のエスタブリッシュメント階層とのつながりを深めておのれの利益を増やすことを考えているのではないでしょうか。本気で大学の研究競争力を高めようと考えるならば、有識者による検討チームを作って十分に議論してから有益な手法を提案すると思いますし、そうなれば「選択と集中」が取り上げられることはないでしょうから。

 もしこれが正しいとすると日本も終わりだなという気がしますが、本当のところはどうなんでしょうか…。いずれにせよ、この大学ファンドの素性はあまりよくないように思えますな。それだからこそ、(十分に自前の資金を用意できる)東大や京大は態度を保留しているのでしょうね。

東大構内の戦没者記念碑 (2022年6月10日)

 本学の図書館でたまたま目にとまった「東京大学本郷キャンパス 140年の歴史をたどる」(東京大学キャンパス計画室、2018年6月)を休憩中とかに読んでいます。写真や図版が豊富で解説も短く明解なので結構おもしろい読み物です。今は内田祥三[うちだ・よしかず]先生のキャンパス復興計画や内田ゴシックと言われる一群の建物のあたりを読んでいます。

 さて、そのなかに『東大の戦没者慰霊碑』というページがあって、本郷キャンパス内には戦争の記憶はほとんどなくなったと書かれていました。日露戦争の戦没者・市川紀元二[いちかわ・きげんじ]学士を讃えた銅像が明治41(1908)年11月に構内に建てられたそうですが、太平洋戦争後にキャンパスを追われて静岡県護国神社に移送された、とのことでした。

 また医学部同窓会の有志が戦没者慰霊碑をキャンパス内に設置しようとしましたが大学当局によって拒絶され、やむをえず正門前と弥生門前の私有地を借りて建てたそうです。そういえば正門前にあるレストラン「モンテ・ヴェルデ」の脇に「天上大風」と刻字された小さな石碑が確かにあったような気がします。この石碑は2000年に医学部戦没同窓生追悼基金によって建立されました。

 このように戦没者の銅像が構内を追われたり、新設を拒否されたりする理由は書かれていませんでした。東大の本郷キャンパスは相当に広いとはいえ、こういう銅像・石碑類を全て許容していると土地がなくなる、ということかも知れません。それでも戦没学生の祈念碑や鎮魂の碑の持つ重大性は高いと迂生は思うのですが、いかがでしょうか。

 ところで前述の市川紀元二[いちかわ・きげんじ]について気になったのでネット上を調べてみました(はじめは名前の読み方すら分かりませんでした)。市川(明治6年生まれ)は明治30年に東京帝国大学工科大学の電気工学科を卒業し、民間会社で技師として勤務したのち、日露戦争に小隊長として参戦しました。そこで活躍して有名になり、中尉に昇進したのちに奉天会戦で戦死したそうです。33歳でした。当時は東京帝大を出られるのはほんのひと握りのスーパー・エリートでしたから、そのような有為な若い人材を失うことは日本という国家にとっての大きな損失だったと思います。なぜそんなひとが軍人になって戦争に参加したのかは分かりません。

 市川紀元二は養子で生家は青山家ですが、彼の実弟のひとりは青山士[あきら]だそうです。これには驚きました。青山士は戦前の土木工学者として有名なかたでパナマ運河の建設や信濃川の大河津分水路の建設で名を残しました。以上の情報は東大機械系図書室の滝沢正順さんの文章から抜粋しました。

 ネット上に市川紀元二の銅像写真があったので載せておきます。銅像の製作者は新海竹太郎です。これにも驚きましたが…、なぜなら東大工学部一号館前にあるコンドル先生の銅像(1923年)も新海の作品だからです。またこの銅像を建立したのは当時の東大総長・山川健次郎だったそうです。山川健次郎は物理学者ですが、会津藩家老だった山川浩(大蔵)の弟で、明治維新の頃の戊辰戦争の悲惨さを味わったひとでした。そんな経験から東大出身の俊秀の戦死を悼んだのかも知れません。市川の銅像は昭和32年に静岡県に移されました。彼の出身地が静岡だったことから、必ずしも東大キャンパスを追われたわけではなかったような気もしますが、これについても分かりません。

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ささやかなひと息 (2022年6月8日)

 昨日から梅雨寒の日が続いています。梅雨入りしたばかりなのにもう寒くなるんですから気候って分からんな…。この頃には大学のあんずの実が稔って楽しませてくれるのですが、今年はどうした具合なのかほとんど実がなっていません。しげしげと見上げてやっと上の方に黄色くなった小さいあんずを二、三個見つけただけでした。不作の原因は何なのか、不思議に思います。

 前期は三コマの授業がありますが、夕方に近い授業が終わって教室を出るとホッとひと息つくようになりました。そんなとき、西に傾いた穏やかな陽差しを受けたりするとホント幸せな気分に浸れます。ウクライナ戦争のことを思うまでもなく、何気ない日常にこそ人生の幸せはひっそりと息づいていることを実感しますね。そして90分の授業をすると、その日は結構な疲労を感じるようになりました。若い頃にはなかったことですが、齢を重ねると段々と体力がなくなってくるのは寂しいですが自然の理なのでいたしかたありません。

 思えば先輩の先生方もこのような年頃には同じように感じながら授業をしていたのかなあと思います。今になって思えば、それは人生の上り坂にある人間には絶対に分からない、分かるはずのない事柄なんですねえ。こうやって人生のなんたるかを少しずつ体得して行くのでしょうが、どこまで行けばどれくらい分かるのかは依然として不明なままです。日々を穏やかに少しばかり楽しく過ごせれば、もうそれに越したことはありません。

ブルックナーの第六番 (2022年6月5日)

 そろそろ梅雨入りのようです。大気が不安定になってひょうが降ったりしたところもあります。三年めのCOVID-19ですが、感染者数は漸減傾向ですがそんなに少なくなったという実感はなく、感染しないように注意して生活することがまだ必要だと思います。マスク着用の適否等を日本国政府に決めてくれっていう意見があるそうですが、自分自身を守ることをお上に決めろっていうのは迂生にとっては驚きのほかありません。自分で判断して決めたいと思います。

 さてちょうど一年前(2021年6月1日)のこのページにブルックナーの交響曲第六番のことを書きました。その後もこの曲を聴き続け、現在までに19枚のCDを聴いています。この曲が人気のないことは既に書きました。その理由として、ブルックナー研究者の川崎高伸さんは第一楽章冒頭の弦楽器が刻む二連+三連のリズムの繰り返し(下の楽譜)にある、と書いています。二連から三連につながるところで微妙にリズムが変わりますが、そのときに車で言えば急にブレーキをかけたようにちょっと前につんのめるというか、スムーズな接続にならないので違和感が生まれます。これが聴くひとにストレスを与え、心地よくないと判断されることが多いそうです。このリズム・パターンは第四楽章にも出現するので、ブルックナーが意図的にそうしたことは確かです。ちなみに弦楽器を曲の後景として使うやり方はリヒャルト・ヴァーグナーから学んだもののようです(例えばヴァーグナーのリエンツィ序曲の弦楽器を聴くとなんとなく分かります)。



 この二連+三連の演奏は指揮者にとっても難しいらしくて、その部分の出来がこの曲を聴くひとの判断に大きな影響を与えると思います。逆に言えばこの二連+三連のリズムの処理が上手くいった演奏を聴けば、この第六番がお気に入りになることもあるのではないでしょうか。ただ上の楽譜を見ると同じ音の二連+三連のリズムが執拗に繰り返される印象を受けるので、やっぱりちょっと異様かも知れませんね。

 第六番はブルックナーの交響曲のなかでは演奏時間が短いほうなので、このことは聴き手にとってメリットだと思います。わたくしが聴いた範囲では54分から69分ですので、平均的には一時間の演奏ですね。一時間だって他の作曲家のものに較べれば明らかに長いですが、ブルックナーの交響曲では短いほうです、あははっ。でも短い演奏(=テンポが速い)のほうがいいかといえば、そんなことはありません。例えば第二楽章のアダージョでは、冒頭の天から降ってくるような天使のオーボエをはじめとしてゆっくりと噛んで含めるような演奏がわたくしは好みです。

 第一楽章(マエストーソ)と第二楽章(アダージョ)の上出来に較べて第三楽章(スケルツォ+トリオ)と第四楽章(フィナーレ)の出来は悪いみたいなことを専門家でも言うようですが、わたくしはそうは思いません。確かに前半の演奏時間が後半よりもかなり長いので頭でっかちのように言われます。でも、スケルツォは8分から10分の演奏ですが小品ながら勇壮な感じで、フルートのパッセージはちょっと幻想的でなかなかよいと思います。フィナーレは最後に向かってだんだんと盛り上がってゆくところは素晴らしいです。そもそもブルックナーは楽譜にメトロノーム記号のような明瞭なスピードを記していません。「速くなく」とか「早過ぎるな」とかの抽象的な表記はありますが、じゃあどのくらいのスピードをブルックナー自身が想定していたのかは今となっては分かりません(このことも川崎高伸さんが書いています)。ですから、その部分は現代の指揮者に任されていて、そのスピードがはや過ぎるので演奏時間が短いだけかも知れません…。

 このフィナーレのラストの大団円のところですが、多くの演奏を聴いてゆくうちにこの部分が指揮者によって相当に違っていることに気がつきました。第六番には(ブルックナーの大多数の交響曲とは異なり)異稿がないので、校訂者がハースあるいはノヴァーク等の違いはあるものの基本的に楽譜の違いは大きくないと思います(とはいえ、楽譜を詳しく見たことはないので正確には分かりませんが…)。それにもかかわらず最後の終わり方が大きく異なるのです。もちろん最大公約数的な演奏はあるのですが、それからかなり外れる演奏がある、ということです。それが指揮者によるなんらかの改変なのか、それとも強弱や緩急の変化だけの対応に過ぎない楽譜通りなのか、そこのところが分からないんですね〜。ですから、おおっこりゃいいね!って思ったり、その逆になんかちょっと変とか思うわけです。

 さて第六番を19枚聴いた範囲でのベストですが、生演奏とは違ってCDは所詮は録音なので、その良し悪しがその演奏の評価を左右します。専門の音楽評論家の言説を見ると、録音は悪いが演奏は素晴らしいみたいな評価をときどき目にします。しかしなぜそのように言えるのかは迂生(のような素人)にはとんと分かりません。ですから録音が悪かったら、その時点でその演奏の評価が高くなることはありません。そういう「録楽」ですから、録音の場所や方法、編集のやり方をひっくるめたCD作品としての感想になります。

 

 このように前書きしたところで、現在のところはレミ・バロー指揮でオーバーエスタライヒ青年交響楽団が演奏する第六番(2016年録音、69分)をベストにしておきます(オーバーエスタライヒはオーストリアの州の名前で、州都はリンツです)。CDジャケットはザンクト・フローリアン修道院で、ここで演奏が行われました。教会堂なので残響が豊かなこともあって録音が素晴らしいです。この演奏は69分とわたくしの持っているCDの中では最長ですが、特に第二楽章のゆったりとした演奏の素晴らしさは特筆されます。フィナーレの大団円ではあたかも人生の素晴らしさを高らかに謳いあげているかのようで、いつ聴いても感動的です。

 このオケはオーストリアの優秀な音大生たちを集めた臨時編成らしいですが、プロの楽団と遜色がないことは聴けば分かります。こういう寄せ集めのオケを評価しない専門家は多いみたいですが、それにも迂生は与しません。いいものはいい、ということですな。

 そもそも世間で名盤と呼ばれるものには古い演奏がやたらと多いです。だいたい二十年前より以前のものです。これは考えてみれば当たり前でして、古いほどそれを聴いている人も多いので、多くのひとが名盤と評するものがそこから選ばれるのもある意味で当然でしょう。わたくしのあげたレミ・バロー盤を評価するひとはほとんどいないようですが、これが2016年の録音でわずか六年前の作品であることを考えると、それも仕方ないかもしれません。専門の音楽評論家からすれば、レミ・バローという聞いたことのない指揮者がアマチュア(プロの卵ですが)のオケを振った作品なんかを選ぶと沽券にかかわると思っているのかも…、まあ知りませんけど。

 同じくザンクト・フローリアン修道院で録音されたヴァレリー・ゲルギエフ指揮でミュンヘン・フィルの演奏(2019年録音、59分)も素晴らしいと思います。ゲルギエフがロシアの大統領Puを支持しているためにミュンヘン・フィルを解雇されたことは以前に書きましたが、それとこれとは別です。これは2019年の作品なのでさらに新しいです。CDに付属のブックレットにその演奏の様子が掲載されていました(下の写真です)。教会の建築としても素晴らしいですね。この演奏でも残響の豊かさが明らかにいい方に作用しています。演奏時間は59分です。

 

 先日の朝日新聞にミュンヘン・フィルのコンサート・マスターをやっている日本人女性(ファースト・ヴァイオリンの奏者)の記事がありました。彼女は、ゲルギエフはものすごく耳のいい指揮者であり繊細な音楽をつくるひとで、彼と一緒に演奏できないのは残念だと言っていました。ウクライナへの侵略戦争はロシアが引き起こしたことなので現在の状況ではいかんともし難いのですが、それでも優秀な指揮者が自由に音楽活動できないことは残念に思います。

 ブルックナーの交響曲第六番に戻るとそのほかの演奏では、昨年紹介したヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮でバイエルン州立交響楽団(1981年録音、56分)、ゲオルク・ティントナー指揮でニュージーランド交響楽団(1995年録音、60分)などがお勧めです。逆に馴染めなかったのは、サイモン・ラトル指揮でロンドン交響楽団(2019年録音、56分、ラトルの工夫は分かるが、残響が全くなくてデッドな音場なのが残念)、マリス・ヤンソンス指揮でロイヤル・コンセルトヘボウ(2012年録音、54分、チャッチャと進んでゆくのがなんだか薄っぺらな感じ)でした。もちろん演奏の良し悪しは自分の耳で判断して欲しいのは今まで書いてきた通りです、念のため。

 追伸;第六番を手っ取り早く聴くには「ブルックナー 交響曲第六番」で検索してウィキペディアを開いてください。そこに三つの演奏が紹介されています。試しにエッシェンバッハ指揮でhr交響楽団の演奏をそのYouTubeで見てみました(こちら)。映像があると受ける印象が大きく変わるのでCDによる感想とは比較できませんが、とてもよい演奏でした。これを無料で聴けるとはちょっとした驚きです。これじゃCDやDVDが売れないんじゃないの…。

紫陽花 (2022年6月1日)

 六月朔日になりました。ちょっと暑いですがまずまずの陽気です。登校する道すがらに綺麗に咲いた紫陽花を見かけるようになりました。青、紫、白、薄い赤、ピンクなど色とりどりで目を楽しませてくれます。でも、大学構内には(わたくしの通るルートには)紫陽花がないことにも気がつきました。

 途中で通り過ぎた教室では中間試験(らしきテスト)をやっているのに出くわしました。教員たるもの考えることは皆、同じようでして、わたくしの「鉄筋コンクリート構造」でも今週、中間試験を行います。でも迂生が中間試験を行うようになったのは、長い大学教員生活でもここ数年のことでして、それまではやっていませんでした。

 いつも書いていますが、どんな方法でもよいので学生諸君が自分で勉強して、その科目で要求されるスキルや知識を身につけてくれればよいので、期末試験一発でその成果が示されればそれでOKと考えてきました。でも今どきそんな古き懐かしき教授みたいなことを言うひとはいませんし、そんなことだと適正な教育と見なされないことさえありそうです(大学認証評価の仕事に翻弄されている人間のひがみかも知れんけど…)。

 ということで学生諸君も教員も苦労して中間試験に臨まないといけません。試験の時間をとると講義する授業時間がひとコマ分減ってしまうのも本当を言えば嫌なんですよね。でも学生諸君は実際のところはどう考えているのでしょうか。成績評価のための試験の回数が増えるのは歓迎なのか、授業内容が減るのは嬉しいのかどうなのか、さっぱり分かりませんわ、あははっ。

夏への儀式 (2022年5月30日)

 この週末は日中は真夏のような暑さでした。さすがにこりゃたまらんということで今シーズン初めて半袖のシャツを着ました。五月の末から六月にかけてはこういう夏の先駆けのような気候が時々現れますよね。そういう頃、わたくしはだいたい調子が悪くなります。その前兆というわけかどうか分からないのですが、理由もなく眠れない夜が出現します。皆さんはどうでしょうか…?

 こういったことを以前に小林克弘先生(建築家、すでに退職)とお話ししたことがあって、そのときに小林先生は「ああ、そういうことってあるよね、それはホルモンのバランスが崩れるからでしょう」と仰いました。えっ、そうなんだあ、ホルモンかあってそのときは思いました。ホルモンの分泌は脳が司っていますから、気候の変動を感知した脳が何らかの信号を発することでそのバランスが変動したということでしょうか。よく分からないのですが、それ以来、迂生にとってはこの現象はホルモンのせい、ということになりました。原因が分かればそれはそれで安堵するようなところがあって、そういう晩は長〜い「眠れぬ夜」(オフコースの曲名です)を過ごすことになります。それがちょうど昨晩から今朝にかけてでした。ああ、夏への儀式が始まったんだなという感覚です。

 ということで寝不足のまま登校しましたが、ホルモンのせいか気分はかなりハイなのでこの調子が続けば会議や授業をこなせそうな気がします、はい。


あした天気に (2022年5月27日)

 お風呂にブクブクとつかっているときに「あした天気になあれ」ということばが記憶の湯船にプカッと浮き上がってきました、なんでだろう…。梅雨が近づいて暑くさい雨が降るようになったせいでしょうか。ちばてつやの同名の漫画があったような気がします。やがてそれが若い頃によく行ったスナックの名前であることを思い出しました。

 その店は東大の前の本郷通りを北上して行ったところにあり(駒込あたりか)、研究室の先輩たちと本郷あたりでくだを巻いたあとに連れ立ってタクシーに乗って出かけていました。タクシー以外では行ったことがないために、そこがどこなのかよく憶えていないようです。なぜそのスナックに行くようになったのかも今となっては分かりません。

 大学院を中退して宇都宮大学の助手になったあと、宇都宮大学の卒論生たちを連れて東大11号館地下2階で実験していた時分には彼らをタクシーに乗せて何度も行ったな。当時はスナックといえばカラオケで(当時はカラオケ館みたいなものはまだなかった)、そこで歌って飲んでお店が終わるまでいて、ときには店のマスターが車で本郷の東大まで送ってくれました。マスターの車がわたくしと同じホンダ・プレリュードだったのでよく憶えています。正門前で降ろしてもらって、大学の塀を乗り越えて螺旋階段をドタドタと上がって11号館7階の青山・小谷研究室に戻って寝るわけです。今思えばものすごく不健康な生活をおくっていたと思いますが、当時は(若かったこともあって)そんなのはフツーのことと思っていました。

 ある晩、そのときは田才さんたちと出かけました。そして、どういう経緯か覚えていないのですが先輩とお店のママさんとが口論となって、こんな店にはもう来ないと捨て台詞してキープしていたウィスキーのボトルも引き上げてお店を出ちゃったんですねえ。ありゃりゃってな感じでしたが、(われわれにとっては)不便なところにある割には結構なお値段だったので、ちょうど潮どきかなと思ったのでしょうね。それ以来、そこへ行ったことはありません。今から約三十年も前の話しですが、そのお店の名前が「あした天気になあれ」だったわけです。あのお店の人たち、今はどうしているのかな…。でも今じゃビールもウィスキーも飲まなくなりましたので、そういう輩はスナックなぞに行っちゃいけないだろうなって思います。


授業準備に追われる (2022年5月25日)

 五月も下旬となって暑くなって参りました。体の調子が悪くなる時候ですので気をつけたいと思っています(もっとも気をつけたところで悪化するものはどうしようもないんですけど…)。

 前期は授業数が多いこともあって、ここのところ演習問題の作成や講義資料の新規作成・ヴァージョンアップに追われています。授業は対面になりましたが、ほぼスライド投影で講義を行いますので、その資料を大学のクラウドにアップしないといけません。週末はだいたいこの作業を行なっています。六月始めに中間試験を行う科目もあって、その問題も作らないといけません。大学の教員になって三十年以上が過ぎたというのに、なぜこんなに忙しいのかと自分自身で訝しく思っています。

 しかし新しいコンテンツを作っているとやっぱり考えることが多いせいか、不備だったり不足していたりといった内容が結構出てきます。それを説明するための図を作ったり、写真を用意するのに結構な時間がかかったりするんですね〜。

 鉄筋コンクリート(RC)構造の授業でも基本的な理論の説明に多くの時間が必要です。本当ならRC構造のロマンを語ってアピールして、三年生後期の研究室配属につなげたいと思っているのですが、そのような時間はとれず、またどのような内容が彼女/彼らのハートに刺さるのか皆目見当がつかず、思いあぐねているような塩梅です。

 授業に反比例して研究に当てる時間は少なくなっていて、特に本年度は我が社の学生数がきわめて少ないこともあって、ほとんど停滞しているような状況です。唯一のプロジェクトである科研費による研究はこれから三方向載荷実験をする予定ですが、学生諸君の就活等の都合があってなかなか進捗しません。もっともあわてて実験してもいいことはないので、担当者諸君の好きなようにやってもらっていいんですけどね…。

 まあ、教育は大学教員の本務(のひとつ)ですから、それに従事するのは当たり前といえばそうですが、それにしても何だかわれながら効率が悪いと思うのはなぜなんでしょうか。こんな感じでこの五月を過ごしております。


神宮の杜の再開発 (2022年5月23日)

 五月下旬ともなると雨がちになって蒸し暑い日が現れるようになります。もうすぐ梅雨入りということでしょうか。さて、東京六大学野球の春のリーグ戦ですが東大—法政大学二回戦が昨日行われて2-9で負けました。これで東大の今シーズンが終了しましたが、結局のところ二分け十敗の成績で勝ち星を上げることはできませんでした。残念ですが、ピッチャーがピリッとしないうえに打線も沈黙を続けていてはダメでしょうな。

 大相撲夏場所ですが、終わってみれば横綱・照ノ富士が十二勝三敗で優勝して番付け通りになりました。それはよかったと思いますが、膝などの具合は見るからに悪そうで今後に不安を感じますね。大関陣は二人は負け越し、一人はやっと勝ち越しという状況で大関の地位が泣いています…。

 さて本題です。わたくしの母校である都立A高校はその校歌に「早緑匂う神宮の 杜にそびゆる学び舎よ」と歌われるように神宮外苑に位置しています。その神宮の杜一帯が、新国立競技場の建設を契機としたのでしょうが三井不動産や宗教法人明治神宮によって再開発されることになり、その完成予想俯瞰図が発表になりました。それが下の図ですが、分かりやすくするためにわたくしが主要な施設名を記入してあります。

 今年の三月に東京都によって都市計画決定されましたが、それによるとこの地域に今まで建てることのできなかった高層建物の建設が新たに認可されたようです。現在建っている神宮球場、神宮第二球場および秩父宮ラグビー場を取り壊して類似の施設を再配置して建設するそうです。今まで二つあった野球場をひとつ減らして、代わりに広場を作るというのはいいと思います(下図の野球場とラグビー場とのあいだの緑のスペース)。多数の樹木の伐採が問題視されていますが、少なくとも絵画館をアイ・ストップとする軸線上の銀杏並木(下図の野球場の下の黄色の列、現状は下の写真)は保全されるので、それはよかったと思います。

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:Desktop:神宮外苑地区におけるまちづくり_三井不動産20220520のコピー.png


写真 神宮外苑の銀杏並木 正面に聖徳記念絵画館が見える(2019年12月撮影)

 しかし野球場の脇に二棟建設される高層建物と超高層建物(青っぽい建物)がくせ者でして、わが母校はこの二棟に囲まれてしまっています。おまけにこの二棟は都立A高校の南および東に位置しているので、このパースでも日影がしっかり落ちているのが分かります。いくら都会の学校だからといって、高層ビルに挟まれた日陰者にしてよいなんてことはないと思いますけど…。高層ビルの谷間では不規則で不快なビル風も吹きますから、劣悪な環境に置かれそうなことが今から危惧されます。

 さらにもっと可哀想なのが槇文彦先生設計のテピアです。テピアは道路を挟んで母校の向かい側に建っていますが、その敷地は再開発エリアに食い込んでいるものの多分地権者が異なるのでしょうが、ポツンと除外されました。まさにビルの谷間に残された低層建物といった風情でして、その先行きにはかなり暗澹たる気分を抱きますな。いつ行ってもテピアは有効活用されているようには見えず、ポスト・モダニズム建築の精髄を小粒だがキリリと表しているこの建物も遠からず取り壊されるんじゃないでしょうか…。


写真 都立A高校(左)とテピア(槇文彦設計、右)道路の先には建設中の新国立競技場が見える(2017年12月撮影)

 このパースのような高層建物が本当に建てられるのだとすると相当に問題です。予定では2036年に完成するようですが、高校生諸君が快適に安心して勉学に励めるような環境を守って欲しいと切に希望します。高度成長期のようになりふり構わずに自分のことだけを考えてする再開発はすでに時代遅れで野蛮な存在となっています。神宮外苑が持つ歴史性や都市のコンテクストとともに近隣の生活環境に対しても熟慮して対応するべきでしょう。


ひとつの文化の終わり 〜iPod全史〜 (2022年5月19日)

 わたくしがアップルのiPodの愛好者であることはこのページで折に触れて書いてきました。現在わたくしのポケットに入っているのは迂生にとっては四台めのiPod nano(容量は16GB)でして、2015年9月に購入してから七年ほどになりますが今も快調に動いています。薄くて軽くて操作も簡単で、通勤等で音楽やラジオを聴くには最適のツールだと思います。

 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:iPod_3台:IMG_1489.JPG

 これまでの四台を並べたのが上の写真です(スケールは揃えてあります)。右端が一番古く、左へと代が進みます。右の二台は物理的なホィール・スイッチが付いていて、それをクルクルとなぞることでいろんな操作ができました。わたくしは結構気に入っていましたがやがて廃止になったのは残念でした。最初のiPod(右端のピンク色)は厚みが結構あり、重量も一番重いです。右の二台は残念ながら今はもう作動しません。三台め(左から二番目の正方形のヤツ)は物理スイッチが壊れたので普段使いはできなくなりましたが、それ以外の機能は健在です。そこで、こいつは車のUSB端子につないで車中で音楽を聴くのに使っています。

 さて、iPhoneなどのスマートホンがこれだけ普及した今となっては、音楽を聴くだけのiPodを買う人は少なくなったようでして、iPodの生産がついに終了するというニュースが流れました。時代の流れなので致し方ないとは思いますが、それでもわたくしはやっぱり残念に思います。iPhoneにはフツーの丸型のイヤホン端子は付いていないので、そのコネクタに合う接続端子を持つイヤフォンを買わないといけません。iPhoneに付属するイヤフォンは迂生の耳穴には合わないので使えませんから。もっともiPhoneではBluetoothで飛ばす無線イヤフォンを使うことを前提にしているのだと思いますけど…(無線イヤフォンは持っていませんし、音質等の面から欲しいとも思いません)。ということで現役のiPod nanoを大切に使ってゆきたいと思います。

 iPodの出現によってどこでも音楽を聴けるという体験のハードルが劇的に低くなりました。それまではカセットにせよCDにせよMDにせよ、それなりの大きさと重量とを持った筐体を持ち運ばなければならず、それだけではなくてCD等のメディアも必要で、それは結構な足かせとなっていたと思います。そういう意味でポケットに納まるiPodはひとつの文化を形作ったと言えるでしょう。iPodの終焉によってその文化が終わったという感慨を抱きました。


世のなかの風潮 (2022年5月17日)

 2020年2月くらいから始まったCOVID-19の蔓延ですが、すでに三年が経ちました。そのあいだにワクチンが開発されてその接種が急ピッチで進み、COVID-19のほうも生き残りのためにどんどんと変異を重ねています。しかしながら特効薬のようなものはまだ存在せず、人類とCOVID-19とのせめぎ合いはいまだに続いているように思います。国内の重症者は減っているようなので経済優先の方向に進みつつあるのも分かりますが、基本的にはなにも変わっていないというのが迂生の感覚です。

 そうではあるのですが、世間さまのほうではマスクを外すの何のと平常化に向けて無理やり進めようとしているのが気になりますな。こんな感じなので、愚息の学校でも泊りがけの学外活動が復活しました。感染に十分注意して実施するということですし、高校生たちのことを思うとそれはそれでよかったと思います。考えてみれば今の高校三年生はこれまで文化祭や修学旅行等を一切経験しないままでここまで来たわけです。それってあまりにも可哀想な青春ではないでしょうか。

 結局のところ、なんにせよバランスとか中庸とかが重要なわけで、COVID-19の存在を打ち消すことができない現状ではそれを前提として生活・活動を行うしかないわけです。それは気の重い制約ですが、そういう日常も重ねてゆけば慣れてしまうということだろうと思っています。


沖縄の復帰 (2022年5月15日)

 今年はアメリカに占領されていた沖縄が日本に復帰して五十年ということです。その頃、わたくしは高学年の小学生でしたが、目黒区立の小学校でなにか行事があったのかどうかを含めて全く記憶がありません。沖縄県という耳新しい響きにちょっと気をとられたくらいでしょうか。

 しかし太平洋戦争から現在に至る沖縄の苦難の歴史を思うとき、沖縄の人々の負わされた艱難辛苦は本当に気の毒に思います。ときどき書いていますが、東京都立大学の南大沢キャンパスは横田基地に向かう米軍機の着陸コースの真下にあり、高度を下げつつある大型の軍用機が脚を出す様子がよく見えます。この頃はオスプレイが左右のプロペラを水平にした状態(着陸態勢)で轟音を響かせながら飛ぶ様子も目撃します。皆さんは知らないでしょうが、それは尋常ではない騒音でベラボーにうるさいです。でも沖縄ではそれが日常と化しているわけで、やっぱり異常な状態だと思いますね。

 ロシアによるウクライナ侵略のために世界中が自国の安全確保について神経質になっています。いわれもなく自国に攻め込まれるという想定外の危機が眼前に現出した以上、そうなるのは必然かもしれません。そうさせないためにも軍備は必要であるという論理も理解できるので、横田基地がなくならないように沖縄の米軍基地もしばらくは機能し続けるのだろうと思います。残念ではありますが、現実はそれとして直視せざるを得ません。

 国際連合は今回のウクライナ侵略ではほとんど無力であることを露呈しましたので、国家があって狂信的な指導者が生まれ出る可能性がある以上、戦争は無くならないことになります。人種や民族などの分け隔てがなくなり国家がなくなって世界連邦が成立して初めて、世界の安寧が得られるのかも知れません。でも人間は戦争する生き物なので、そうすると地球から飛び出て宇宙で戦争を続けるのかも…。いやはや救いようのない話しだな。

 沖縄が日本に復帰してから約三十年後、摩文仁の丘に建つ平和祈念資料館に行ったときの写真を以下に載せておきます。平和の礎はこの丘の海側にあります。青い空と群青の大海原とが印象的で、この地で多くの人たちが落命するなどの悲惨な体験をしたとはとても思えませんでした。それだけに戦争の不条理さをなおのこと思い知らされます。


写真 沖縄県平和祈念資料館にて(糸満市摩文仁) 2004年撮影


授業のやり方 (2022年5月11日)

 ゴールデン・ウィークが終わると前期がほぼ一ヶ月過ぎたことになりますので、授業も落ち着いて参ります。三年生対象の「鉄筋コンクリート構造」ですが、これはアドバンスト・コースなので出席はとりませんし、試験ができれば単位は出ると言ってあります。そうすると必然的に(?)授業に出てくる学生諸君は徐々に少なくなっていき、先日は二十数名になっていました。それでもそんなに多くの諸君が健気に出席しているので、迂生の感覚からしたらよしよしと言った感じです。

 この授業では板書を基本にするつもりでしたが、ちょこちょことパワーポイントを作っていたこともあって、四月はスライドと板書とを併用してみました。簡単な図や数式であれば板書で足りますが、ちょっと複雑な図などはスライドで投影するというやり方です。これはこれでいいのですが、この内容は板書にしてあれはスライドにして…とかって考えるのが意外と面倒でした。

 さて今回から曲げを受ける梁の平面保持を仮定した断面解析に入りました。この説明は結構面倒でして以前に板書していたときには(図をたくさん描かないといけないので)時間が大いにかかりました。そこで今回は学生諸君に予告せずにパワーポイント資料を配布して、それを投影して説明しました。で、授業が終わってから数人の学生さんに板書とスライド、どちらがいいかと聞いてみました。その答えはちょうど半々でした。うーん、そうかあ、困ったな。

 板書だと学生さんは手を動かしてノートを取るので、その際に頭脳が回転して考えるでしょう。授業が終わるとノートが出来上がっていることも利点だと思います。反面、ノートを取ることに神経が集中して教師の説明をろくに聴けないということもあり得ます。スライドの資料を全て配布すると、先生の説明をちゃんと聞く人にとってはいいでしょうが、下手をするとボーッとしたまま授業が終わってしまいます。ノートは別に作らないといけませんから、ズボラな人にとってはよくないかも。

 そこでこの両者の中間として、教師は虫食い状態にした資料を配布し、授業を聴きながら学生さんは適宜、自分の手でその穴埋めを完成するように工夫する先生方もおいでです。わたくしの身の回りにもこの方式を採用している先生は多いです。ところが先日、我が家の愚息はこういう方式の授業が一番イヤだって言ったのです。彼の学校にもそういう先生がいるそうです。でもその穴埋めをするために先生が嫌味な質問をするのがたまらなくイヤなんだって。なるほどね〜、授業の進め方にもいろいろとあるわけだな。

 ということでスライドを作ったり、うーんと唸りながら考え込んだりといった状態が続いていまして、中途半端な気分を味わっている今日この頃です。


かぜ薫る (2022年5月5日)

 こどもの日はそんなに暑くもなく、ちょうどよい陽気となりました。わたくしはどこにも出歩くことなく、家でのんびりと過ごしました。とはいえ、授業のためのパワーポイント・コンテンツを新たに作ったりしていたので結構、仕事をしました。世間の観光地ではかなりの人出となったところが多いらしく、三密という言葉はどこに行ったのだろうかと訝しく思いましたな。ニュースなどでみる外国ではマスクすらしていないところばかりになったみたいで驚きます、大丈夫なんでしょうか…。

 我が家の愚息ですが、友人と一緒に府中にある大国魂[おおくにたま]神社の暗闇祭りに出かけました。でも、ものすごい人ごみに気分が悪くなったので早々に退散したそうです。暗闇祭りはこの辺りでは有名でして、多摩の百姓だった土方歳三だか近藤勇だかがこの暗闇祭りに行くというシーンが確か司馬遼太郎の『燃えよ剣』に描かれていたと記憶します。ちなみに府中というのは各地にある地名ですが、この場合は武蔵国[むさしのくに]の国府がかつて置かれていたところです。

 さてロシアのウクライナ侵略ですが、ロシア国民の八割以上は大統領Puを支持しているそうです。若い人たちならネットに接続して世界中のニュースを見るでしょうから、ウクライナで自国の軍隊が何をしたのか、知ることができます。しかし中年以降の人たちはネットなんか使わない人が多いでしょうし、そもそもロシアは広大なのでネットに接続できない環境にある人たちも多いと思います。そうすると得られる情報は全て自国のメディアによるものとなり、ウクライナでの悲惨な出来事を知らない可能性が高いと思われます。そういう現実を知らず、政権の言うことを盲目的に信じていれば大統領Puの支持率が高いのも分かります。

 第二次世界大戦中、独裁者ヒトラーもまたドイツ国民の大多数の支持を得て、侵略と虐殺とを続けました。ヒトラーは人々の生活に対する不満が昂じないように食料や物資を占領地から略奪してドイツ国内に配りました。それはナチスによる巧妙な人心掌握術だったのです。ナチス・ドイツによるホロコーストや残虐な行為は少しずつドイツ国内にも知られるようになったものの、自身の生活に不満を持たない一般民衆はそのことにほとんど関心を寄せませんでした。

 それと同じことが、現代の独裁者Puが支配するロシアでも起こっているのではないか。ナチスに抵抗する人々は当時のドイツ国内にもいましたがそれはほんの僅かで、彼ら・彼女らは国家に対する反逆者として断罪されたのです。ロシア国内にも心ある人たちはきっといることと思います。しかし、そのような良心は今のロシアでは少数派で、それを公言すれば弾圧されることになるのでしょう。そういうロシアから脱出する人たちが増えつつあるとニュースで言っていました。

 21世紀になって八十年も前に起こった悲劇を繰り返すことになるとは思いもしませんでした。人間は戦争をする生物であると誰かが言いましたが、その箴言は残念ながら真実であったことを今になって知りました。1945年の敗戦以来、日本は幸いなことに平和を享受できましたが、これはそのときの悲惨な体験の記憶と反省とが多くの日本人の心に澱のように残っていたためと思います。そのような記憶が薄れつつある日本でもウクライナでの戦争を他人ごとと思わず、自分たちのこととして今こそ平和について考えるべきでしょう。日本国憲法を改正したい人たちはたくさんいます。しかし憲法前文や第九条は人類の普遍的な真理を全世界に向かって宣言しており、その先進性は今なお色褪せることはありません。それは高邁な理想ですが、その実現に向けて世界とともに取り組むことがわれわれ日本人の責務ではないでしょうか。


続けて引き分け (2022年5月1日)

 東京六大学野球の春のリーグ戦が進んでいます。先に二勝したほうが勝ち点1をゲットする勝ち点制が三年ぶりに復活しました。COVID-19の脅威が徐々に薄れて来たということでしょうか。ただ、応援団による学生応援の先導はまだ許可されていないみたいで、外野席の一隅にポツンと陣取った応援団が孤独に応援合戦を繰り広げています。

 さてわが東大ですが、慶應義塾大学戦および明治大学戦は既に終わり、いずれもいいところなく大敗しました。いずれの試合も二桁失点で投手陣が崩壊したという感じです。東大のエースは井澤さん(札幌南高、四年)ですが、先発した彼がダメだともうなす術がないといった様子がありありでして、出て来る投手が次々と失点を重ねました。各カードとも最低二試合を戦う必要がありますから、エース級のピッチャーが少なくとも二人必要ですが、今の東大には残念ながらその「二人め」のピッチャーがいません。

 この週末は早稲田大学戦です。ここで井澤さんが東大のエースとして踏ん張っています。第一戦では先発して早大打線に2点を取られたものの9回を投げ抜きました。8回か9回に三者連続三振に切ってとったところはなかなかに凄かったですよ。彼は三振をとるタイプではないと思いますが、どういうわけだか早稲田大学の選手たちが高めのくそボールを次々と空振りしたんですね〜。緩急の使い分けと配球がよかったということでしょうか。

 そして9回裏には阿久津さん(宇都宮高、四年)が劇的なソロ・ホームランを打って2-2で引き分けました。打席の様子がなんだか極端なクラウチング・スタイルなので正直言ってあんまり期待していませんでしたが、彼の放った打球がフラ〜っと右中間に飛んだときにはまさかホームランになるとは思いませんでしたな。そのあともヒットが出て一打サヨナラというところまで行きましたが、最後は三振に倒れてゲームセットとなりました。ちなみにこの日は神宮球場におけるプロ野球併用日なので延長せずに9回打ち切りでした。

 東大は再三に渡って得点の好機があったのですが、そういうときにどういうわけか打順が井澤投手に巡って来ました。こういうとき、普通のチームであれば代打が送られるのは当然でしょうが、東大には彼に次ぐ信頼できる二番手ピッチャーがいません。そこで井手監督はやむなく彼を打席に送らざるを得なかったのだと推察します。井澤さんは今期こそホームランを打っていますので少しは打てるだろうっていうことでしょうが、そういうピンチには相手ピッチャーも本気を出すみたいで(当たり前だよな)空振り三振で終わりました。



 迎えた今日の第二戦ですが、東大は三人の投手でつないで5回を終わったところで6-3と3点リードしていました。なかなか見られない展開なのでちょっと期待し始めました。さて次は誰が投げるのかと思っていたのですが、6回からはなんとエースの井澤さんが連投でマウンドに立ったのです。井手監督も思い切った策を取ったもんだと思いました。だって今日勝っても(もちろん負けても)明日も試合はあるのですからね。明日は誰が投げるのかと思うわけですよ。しかし逆に見れば、今日は何がなんでも勝つんだ、という勝利への強い執念を感じました。

 この井澤さんの連投がよかったのかどうか分かりません。結果として井澤さんは残りの四回を独りで投げ抜いたものの1点ずつ小刻みに得点を重ねられました。さらに9回裏には6-5でリードしたまま二死二塁までこぎつけたものの、そこでヒットを打たれて二塁走者が一気に本塁に生還して同点とされました。一二塁間をゴロで抜ける浅いライト前ヒットだったので阿久津さんの肩なら本塁で刺せるようなタイミングでした。実際のところ際どいクロスプレーになりましたが、相手の走力とスライディングの上手さが優ったようです。井澤さんが明らかに気落ちした様子だったのでかなり心配でしたが、そのあとはうまく抑えて(最後の打者は三振にとりました)二試合続けての引き分けで終わりました。



 いやあ、惜しかったですねえ。早稲田大学相手に二試合続けて引き分けたのですから東大としては善戦したと思います。しかしこの結果、さらに二試合を戦わなくてはならず、いったい誰が投げるのかという切実な問題が眼前に突きつけられます。井澤さんに続く二番手ピッチャーとして井手監督は副将・西山さん(土浦一高、四年)を想定していましたが、彼は慶應義塾大学二回戦に先発して一回にいきなり五点を取られて一死も取れないままに降板しました。それ以来、さすがの井手監督も西山さんを登板させるのを躊躇しているみたいです。そうだよなあ、あの様子を見たらちょっと投げさせられないだろうな。ということで、投手崩壊の危機にある東大野球部です…。

 ところでこの春のリーグ戦では不動の四番として梅林さん(静岡高、三年)が座っています。甲子園にも出たそうです。残念ながらこの春にそんなに打っていませんが、多分、井手監督の信頼が厚いのでしょうね、変えられることなく四番を継続しています。このひとは東大選手としては背も高く体格が立派で、明治大学なんかによくいそうな雰囲気を漂わせています(分かるかな〜)。打席に立ったときの構えかたもすごく綺麗で、いかにも打ちそうな感じです。その体格の良さとともに相手投手を威嚇するに十分なオーラを放っています。今までの東大の四番打者には見られなかったタイプだと思います。これで打撃力に磨きがかかれば、今後の活躍が大いに期待できるでしょう。

 ということで投手の二枚看板を何とか確保できれば、東大にも勝ち点ゲットの可能性はあると思います。ただエースの井澤さんでも引き分けっていうのが(欲を言えば)勿体無かったなあっていう感じでしょうか。

追伸1(2022年5月6日):第三戦は0-4のスコアで、残念ながらヒットは一本しか打てずに完封負けを喫しました。東大は井澤さん以外の七人のピッチャーの継投で臨み、七回までは0-0と均衡していましたが、八回以降に4点取られて負けました。ピッチャーたちが頑張っても打線が打たないと何にもなりませんよね。いやあ、野球って難しいものですな…。東大-早大の第四戦は来週の平日に実施される予定です。

追伸2(2022年5月11日):東大ー早大の第四戦は昨日行われ、残念ながら1-5で負けました。まあ、野球のスコアになっていたので、それでよしとしましょうか…。でもこれで春のシーズンの最下位が早々と確定しました、残念!


四月もすえ (2022年4月27日)

 昨晩はものすごい風雨でしたね。朝起きて外に出たら、我が家の自転車二台は風で飛ばされたらしく、互いに絡み合って玄関ポーチから脱落しかかっていました。日が出ると初夏のような陽気になってきました。もうすぐゴールデン・ウィークが始まるんだなあと思います。

 ことしのGWは平日に分断されていて、その休日の合間にわたくしの担当する授業がはまりました。学年暦通りに授業をしないと授業回数を確保できなくなって補講をしないといけません。ですから、学生諸君がかわいそうだなあと思いながらも授業はしっかりとする予定です。大学認証評価については何度か書きましたが、半期の授業回数は15回とらないとその評価で重大な失点と認定されてしまいます。ホント、面倒なことになっていてうんざり…っていう感じですな。

 さて、昨年度の研究成果をまとめるアニュアル・レポートですが、五月の連休明けが締め切りなので今、少しずつ書き進めています。昨年度の我が社のアクティビティが低下したことは既に書きましたが、アニュアル・レポートを書いているとそのことを如実に再認識させられて、我ながらがっくり来ます。おまけにその中のかなりのウェートは明治大学・晋 沂雄研究室の皆さんとの共同研究が占めていますので、我が社独自の成果って一体どれなんだろうかと思ったりしています。

 毎年書いていますが、このアニュアル・レポートは和文だけでなく英文も作る必要があります。誰も見ないだろうと思われる英文を作るのは億劫でして、その気分は年を経るにしたがって嵩じてまいります。仕方ありませんし、たまには英作文しないとその能力が低下してしまいそうなので、リハビリを兼ねて英文をひねり出しています。脳内からスルスルと英文が紡ぎ出されるときには楽しいのですが、これってどう表現するんだろうと思うと途端に筆(パソコンで書いているので指?)が止まってしまい、そこで立ち往生することもしばしばです。座屈のことを書いているときには、学部三年生のときに買ったティモシェンコの英文書籍を紐解いて参考にしました。こんな感じで英作文はなかなか進まないのですが千里の道も一歩から、少しずつ書いていけばいつかはきっと終わるんでしょうな。

 入学したばかりの一年生が対象の「建築構造力学1」ですが、既に三回の授業を終えました。2020年にCOVID-19のせいでオンライン授業になったときにパワーポイント・コンテンツを作成しましたので、教室でもそれを投影して使っています。昨年までは建築のことを何も知らない一年生に少しは建築っぽい内容も味わわせてあげようかと思って、学内を始めとしていろいろな建物等の写真を講義の合間に挟んで説明していたのですが、今年はそれをやめてみました。理由は特にありません。そうしたら先日の授業では説明が約30分で終わってしまって、結構びっくりしました。昨年までは小一時間程度はかかっていましたので、余計なこと(?)を随分と喋っていたことが分かって我ながら驚いた次第です。

 でも入学したての彼ら/彼女らにとってはどちらがよいことなのかどうか、それが分からないところがつらいですなあ。いつも書いていますが教育に正解はありません。常に何かしら新しい試みを入れ込んで授業をすれば、それなりに毎回が新鮮かも知れず、楽しみながら授業できればいいなと思っています。


シティポップにおもう (2022年4月21日)

 シティポップってご存知でしょうか。City Popということでしょうが、わたくしはこれまで一般名詞だと思っていました。都会っぽいポップスってことでしょう? でも違いました、これは2010年代に海の向こうからやってきた固有名詞であるということを最近になって知りました。どうやら1970年代から1980年代にかけての日本のある種のポップスが海外で“再発見”されて日本に逆輸入され、そのムーヴメントが日本でもだんだんと高まってきたということみたいです。

 その発端は竹内まりやのアルバム『Variety』(1984年発表)に収録されていた「プラスティック・ラヴ(Plastic Love)」だったそうです。『Variety』についてはこのページで以前に紹介しましたが、当時聴いたときからなかなかよい楽曲たちだなと思っていました。「プラスティック・ラヴ」はそのメロディ・ラインがとってもポップで口ずさみやすく、山下達郎の編曲も相まって素敵なミディアム・テンポのポップスに仕上がっています。ただ、鼻持ちならない勘違い女を歌っているその歌詞は残念!っていう話しもすでに書きました。

 さて日本のシティポップという範疇にはどういう楽曲が含まれるのでしょうか。ちゃんとした定義があるのかどうか迂生は知りませんが、単なる歌い手ではなくて自分で曲を作って唄うシンガー・ソング・ライターであることが多いみたいです。上記のまりや、達郎のほかに大瀧詠一、荒井由実、亜蘭知子、大貫妙子、吉田美奈子、佐野元春、角松敏生などの名前がよくあがっています。なんだ、それだったらわたくしが大学生くらいの頃からリアルタイムで聴き続けてきた曲たちじゃないですか。でもそこに例えばオフコース、風、ハイファイセット、村田和人などの迂生のお気に入りたちは含まれていません、なんでだろう…。

 いい楽曲たちが聴き続けられるのはよいことだと思います。でも今から四、五十年も昔の曲はレコード盤だったり、CDだとしても既に廃盤になっていてすぐに手に入らないものも多いと思います。今の若い人たちが(わたくしのように)その時代に実際にそれらの音源のシャワーを浴びていた年輩の人たちと同等の知識を持つことはなかなかに困難でしょう。もちろんわたくしだってそれらの全てを聴くなんてことは全くもって不可能ですし、そんな気もサラサラありません。自身のアンテナに引っかかる、お好みの曲たちを見つけて聴けばいいのではないでしょうか。

 ながい年月、わたくしのお気に入りになっている安部恭弘、崎谷健次郎、楠瀬誠志郎、大沢誉志幸、池田 聡、野田幹子、村松邦男、須藤 薫、浜田金吾、伊藤銀次などは毎日誰かしらの曲を聴いていますが、残念ながら今では一般の人たちからは忘れられているように思います。まあ、他人は他人でどうでもいいんですけどね。

 

 このシティポップに含まれるのかどうか知りませんが、大滝詠一・佐野元春・杉 真理の『ナイアガラ・トライアングル Vol.2』の四十周年アルバムがこの三月に出たので買ってみました。1982年発売のLPレコードと1991年発売のCDとは持っていますが、21世紀の技術でリマスターされて蘇った音はどんなものかという興味がありました。

 聴いてみると全体の音圧があがっていました。いろいろな楽器の音圧レベルも調整されたらしく、それまで小さくしか聞こえなかった音が前面に出てきてよく聞こえたりして、それはそれで新たな発見があります。佐野さんの唄う「彼女はデリケート」では冒頭に「…でも、彼女はデリケートな女だからコーヒーミルの湯気のせいで…」っていう彼のナレーションが入ります。ボソボソと喋るその言葉が昔の音源では聴き取りにくかったのですが、それがかなり明瞭になっていました。しかしまあ、3300円出して買うこともないかなとも思いました。

 『ナイアガラ・トライアングル Vol.2』については何度もこのページで触れていますが、迂生が本郷の五月祭実行委員会の活動をしている頃(もう四十年も昔の話しなんだ…)によく聴いていた思い出深いアルバムです。「A面で恋をして」を三人で歌っているほかは、三人が四曲ずつそれぞれの自作した曲(大滝さんの曲だけは作詞は松本 隆)を歌っています。わたくしのお好みを三人から一曲ずつあげると、大滝さんの「白い港」、佐野さんの「マンハッタンブリッヂにたたずんで」、そして杉さんの「夢みる渚」です。

 佐野さんの「マンハッタンブリッヂにたたずんで」は都会で暮らす青年の孤独の影を引きずる鬱々とした心情を陰翳のある声音で歌っています。それは彼の「サムディ」とも通底する内容だと思いますね(両作品とも同じ頃に作られたので、そうなったのかも知れません)。そういう意味では、これこそシティポップのど真ん中に位置付けられるような楽曲です。


21世紀に玉砕か (2022年4月19日)

 ロシアによるウクライナ侵略ですが、東部前線での戦闘が激しくなっていると言います。マリウポリの市街はロシア軍によって包囲されたそうで、そこを守備するウクライナ軍に対してロシアが降伏を求めたらしいです。その要求に対して、ウクライナの首相が「断固として拒否する、われわれは戦う」と答えました。これをどう思いますか。

 マリウポリのウクライナ軍はどう考えているのでしょうか。首相の言うことは、降伏してロシア軍に投降することを許さない、というふうにも受け取れますよね。もしそんなことにでもなれば、太平洋戦争中に劣勢になった旧日本帝国陸軍が陥ったような玉砕が待っているだけでしょう。

 21世紀にもなってまさかそのような非人道的な悲劇を引き起こす命令はしないと思いますから、ウクライナの首相は対外的にはそう言っただけで、現地の指揮官には降伏もやむなしと伝えているのかもしれません。そうしないとウクライナ軍全体の士気にかかわるということもあるかも知れませんので、内と外とで使い分けることは全体的な戦略としてはあり得るでしょう。

 いっぽうでロシア軍による大量虐殺が明るみに出てきましたので、武器を捨てて投降してもその先に待っているものは非人間的な扱いしかないという恐怖心もよく分かります。とにかく人間としての尊厳がない戦場では狂気の沙汰が繰り返されています。そこでは平時の常識は通用しないということを今回の侵略戦争では思い知らされました。一方的に戦争を仕掛けられたウクライナは気の毒というほかはありませんが、人類滅亡へと至る最終戦争だけは回避したいと考えます。ロシアの大統領Puも含めて世界の指導者たちがそのように判断してくれることを祈るしかありません。こんなことでは半世紀以上前にSF作家のネヴィル・シュートが描いた『渚にて(On the Beach)』の世界がこの地球上に現出する日も近いかも知れません、怖ろしいことですが…。


春でも寒い 〜原発にミサイルが〜 (2022年4月15日)

 きょうは真冬の寒さに逆戻りしましたね。冬物のダウンコートとか毛織のセーターやマフラーなどはもう着ないだろうということでクリーニングに出してしまいました。仕方ないので衣類箪笥の引き出しの下のほうから古いセーターを引張り出したら…、なんと穴が空いていました。でもその上に薄手のコートを羽織るので、まっいいか。家内はみっともないからやめろって言うんですけど、きょうは授業だけで会議もありませんし、どうせ誰も見てやしないのでいいんです。

 きょうの授業で二年ぶりに板書しました。COVID-19が蔓延したこの二年はオンラインでの授業だったり、教室での授業になってもそのコンテンツをスライドで表示したりしたので板書をしていませんでした。久しぶりだったのでうまく書けるかどうかちょっと不安でしたが、昔とった杵柄のおかげか(?)サクサク書き進めることができてよかったです。ただ、白板一面に描いたマジックを消す作業は結構疲れました、やっぱり年かな…。

 さてロシアによるウクライナ侵略はさらにひどいことになっていて、民間人の大量虐殺が起こっていたようです。ロシア軍でそういう行為に手を染めているのは一般の兵卒でしょうが、いくら命令とは言え人間沙汰とも思えない残虐な行為をするというのは通常では理解できません。戦場における異常な精神状態の為せる仕業としか思えません。

 こういった出来事によって世界がある種の精神昂揚状態に陥っているように思えます、頭に血が昇っているというか…。ウクライナの原子力発電所がロシア軍に攻撃されたことから、日本でも原発がミサイル攻撃されたらどうするのかということが議論されています。様ざまな外乱に対する高度な防護対策を取りつつあるのが現在の日本の原発ですが、さすがにミサイル攻撃までは対象にしていません。すなわちミサイル攻撃を受けた場合、当たりどころが悪ければ最悪の事態になる可能性もあるわけです。

 そういうとそんな危険なものはすぐに廃止して撤去せよっていう人が必ずいるんですよね、でも…。まず廃炉作業はその完了までに数十年を要する難事業です。今すぐ廃炉作業を始めても明日の戦争には役に立ちません。そもそも原発がミサイル攻撃を受ける事態ってどういう状況なのか、考えてモノを言わないといけません。もしそんなことが起これば、それは多分世界大戦が発生したということでしょうから、そのときには最終破壊兵器としての核爆弾も使用され、結局のところ人類は滅亡するよりほかはないということになるでしょう。

 もう少し冷静に考えますか。原発がミサイル攻撃される確率はどのくらいあるのでしょうか。想定外の外乱を許さないのであれば、それは無限に強い建物を作るしかありませんが、人類の現在の叡智ではそんなものを作るのは不可能です(例え可能だとしても、経済的に許容されないだろう)。そこで事象の発生確率を考えることが必要になります。そうすると例えば飛行機が墜落したり、交通事故に遭遇するとかの確率のほうが(計算したことはないが多分、)はるかに高いと思うわけです。実際に起こったことは事実としてその重大さはよく理解できますし、その事故に遭遇した方にとっては不幸以外の何ものでもないのですが、社会全体としてはとにかく感情的にならずに冷静にモノを考えることが大切だと思います。


つらいのは一緒 (2022年4月13日)

 大学認証評価のお仕事ですが、大学本部の取りまとめ担当者(事務方)との打ち合わせがありました。久しぶりに対面での実施で、かつ紙版の資料でした。これまでわれわれが準備した資料について、認証評価機関による内々のチェックがこの三月にあり、そのときに指摘された問題点等をわれわれ下々の実務作業担当者(って、みんな教授なんですけど…)に周知するために開かれた会合でした。

 わたくしの所属する都市環境学部(学部)/都市環境科学研究科(大学院)では、昨年度からその担当教員として迂生と土木教授とが当たってきました。この部会委員の任期は二年間なので、当然、この二人で作業を継続するものとわたくしは思っていました。ところが土木教授は昨年度が二年目の任期だったそうで、この三月末でお役御免になっていたのです、全然っ知らなかったぞ…。で、この四月からは新しい相方が選ばれていました。そのかたは昔からよく存じ上げている化学教授でした。

 ところが化学教授はその会合の場に姿を見せるなり、学科長に言われて委員を引き受けたけれどそんなに大変な作業があるとは全く聞いていない、そもそも私は他の責任ある役職も引き受けているのだ、とおっしゃってものすごい剣幕で怒り出したのです。普段はとても温厚でスマートなかたなので正直なところ非常に驚きました。何の説明もなくこの激務を担当させられたとすると確かに同情を禁じ得ませんな。想像するに四月になって新たにいろいろな仕事をやらされて頭に来ていたところに、担当の事務方さんの顔を見た途端、それが爆発しちゃったっていう風情でした。

 確かに同情はするのですが、しかし一方でこのつらい仕事を引き受けていた教員がいたという事実には思い至らないといった印象を受けました。この大学認証評価のお仕事は昨年九月から具体に進んでいたのですが、そのことについてはほとんどご存知なかったのです。まあ、そんなもんですよね、面倒なお仕事だって誰かが知らないうちにやってくれたら、そんなことを知ることもありませんから。ですから、つらいのはわたくしも一緒なのですよということをやんわりと申し上げると、さすがにお気付きになったらしく、その後の打ち合わせは淡々と進んだのでした。彼は認証評価のお仕事も誰かがやらなきゃならないことは分かっているって言ってましたが、その「誰か」が今回はあなたと私、Toi et Moi(トワエモア)ってだけの話しだったんですねえ。

 それにしても(以前にも書きましたが)、大学認証評価ってそんなに重要なんですかね〜。大学教員に研究させない手段をこれでもかと繰り出してくる〇〇省にはホント辟易としちゃうんですけど、なんとかならんのかなあというのが正直なところです。学則やら内規やらの規則類をいくら整備したからと言っても、そんなお題目がいくら立派でもそれを教育・研究の現場におろして具体に実践できなければなんの意味もないでしょう…。そんなものがなくても少なくともわが建築学科では胸を張れる教育・研究を行なっていると自負しています。それじゃダメなんですか?(馬鹿らしくなってきたので、もうやめるけど…)


耳ネタ2022April (2022年4月11日)

 この週末は初夏のような半袖で過ごせるくらいの気持ちのよい陽気になりましたね。さすがにもう冬物の衣類は着ないだろうと家内がいうので、ダウンとかウールの衣類をクリーニングに出すことにしました。そうは言っても必ず寒くなる日はあるんですけど、まあいいか。

 さて久しぶりの耳ネタは国分友里恵さんの『Silent Moon』です。彼女のアルバムは約三十年前に買った三枚と21世紀になってリマスターされて再発売された三枚の合計六枚を持っています。『Silent Moon』は1990年に発表された彼女のサード・アルバムで、そのときに買いました。国分友里恵さんをどうやって知ったのかというのはよく憶えていません。多分、当時よく聴いていた角松敏生のアルバムに彼女がコーラスやBack Vocal として参加していたからだと思います。唄はとっても上手です(って歌手だから当たり前か…)。



 アルバム・ジャケットが古いフランス映画のワンシーンのようで素敵ですし、Silent Moonというタイトル文字が青色と紫色との中間のような、えも言われぬ色合いなところも気に入っていて、迂生のお気に入りのアルバムの一枚になっています。

 このアルバムには12曲が納められていますが、国分友里恵さんのパワフルでときには優しい唄声が全編に渡って溢れていて、アルバム全体としてのクオリティはとても高いと思います。一枚のアルバムに十数曲あるとすると、この曲はちょっと…とか、はあ?って思うような楽曲が含まれていることってよくありますよね。でも『Silent Moon』にはそういう駄作は一曲もありません。

 特に「I Love You」(作詞:国分友里恵、作曲:羽場仁志)には日本語と英語との二つのヴァージョンがあるのですがいずれも飛びきりのバラードに仕上がっていて素晴らしいです。「It’s Hard to Say Good-bye」は角松敏生作詞・作曲なので角松らしさ全開のバラードですが、羽場仁志さんとのデュエットがとてもいいです。イントロのストリングスによるシルクのような調べに続いて流れるくぐもったフリューゲル・ホーンがとてもいい味を出しています。最後から二曲めの「Whisperin’」(作詞:渡辺なつみ、作曲:羽場仁志)も聴いていて気持ちよくなること請け合いです。

 ところで21世紀になって、1970年代から1980年代にかけての日本のある種のポップスが海外の人々の注目を浴びるようになり、そのムーブメントが日本にも逆輸入?されてシティ・ポップと呼ばれるようになっているそうです。その当時リアル・タイムにそれらの楽曲たちを聴き、慣れ親しんで来た迂生にとってはなんじゃそれっていう感じで、正直言って今頃なに言ってんのよって思うのですが、若い人たちには初めて聴く楽曲なので逆に新鮮なのかも知れせん。そのシティ・ポップという範疇に国分友里恵さんも含まれているようです(シティ・ポップについてはまた別に書こうと思っています)。

 いずれにしてもこの『Silent Moon』は今でも十分に魅力的でよくできた上質なアルバムだと思います。わたくしのお薦めの一枚です。


のどを枯らして (2022年4月9日/10日)

 昨日から迂生が担当する授業が始まりました。四年振りに担当に復帰した『鉄筋コンクリート構造』ですが、新三年生たちが36名ばかり教室に集まっていました。第一回にしてはまずまずの入りかなと思います(建築学科の一学年の定員は50名です)。これからだんだんと淘汰(?)されていって多分、二十数人くらいで定常状態に落ち着くのだろうと思っています、まあどうだか…。

 第一回めの授業では「鉄筋コンクリート構造ってなんだろう」と題したイントロダクションをスライドを使って説明します。登場する数式はニュートンの第二法則(F=Ma)と佐野利器の水平震度k(=F/W、F:地震時に建物に作用する水平力、W:建物重量)だけで、あとは写真や図ばかりなので気軽に聞ける内容にしています。ただ、あんまりお気楽に聞かれても困るので、この講義を聞かないと分からないような課題をちゃんと出題しておきました。来週提出ですが、なにが出てくるか楽しみだな〜。

 久しぶりに立ったまま90分間フルにしゃべり続けたのでとても疲れました。教室にはマイク設備があるのでそれを使って話すのですが、わたくしの習い性のせいかだんだんと声が大きくなって参ります。そんな感じでしゃべり続けたので授業が終わったときにはすっかり声が枯れてしまい、のどが痛くてたまりませんでした。のどを枯らしてイントロを話したところで別段、いいこともないのは先刻承知です。分かっちゃいるけどやめられないとはまさにこのことでしょうか…。

 この授業で使う教科書は林 静雄先生(東工大名誉教授)たちと一緒に執筆した本ですが、アマゾンのサイトにおける「コンクリート工学」分野ではここのところずっと一位にランクされています。新学期なので大学生の皆さんが買ってくださるのでしょう。大変にありがたいことですが、大学生協で買ったほうが割引されて安く買えるのではなかろうか、などとちょっと心配したりもしています、はい。

 

大会梗概のしめ切り (2022年4月5日)

 ここ数日、冷たい雨降りが続いて家に籠っていましたが、きょうはやっと雨も上がって少し温かさが戻ってきました。野川沿いを歩くと桜はすでに散り始めていて盛りは過ぎましたが、両岸には雑草が萌えだしていて薄緑の絨毯が広がり、ところどころで菜の花の黄色が匂い立っていました。街路樹のハナミズキやヤマボウシの花々も咲き始めています。

 さてきょうは日本建築学会大会の梗概(A4版二枚)を提出する最終日で、正午がしめ切りでした。我が社では新しくM2になった井上諒さんが頑張ってお昼前になんとか提出することができました、よかったです。ここに至るまでには明治大学の晋 沂雄先生が細々とした指導のうえで叱咤激励してくださり、晋研究室大学院生の佐野さんおよび村野さんがいろいろと面倒を見てくれたことと思います。皆さま、どうもありがとうございます。お陰でわたくしはほぼ最終のチェックをするだけで済みました。

 学生諸君が作る第一稿は言っちゃ悪いですが(たいていの場合には)星雲状のわけの分からないものなので、それをイチから指導するのは結構しんどいし、根気のいる作業なんですね〜。今回はそれを晋 沂雄先生が一手に引き受けてくださったのでとても助かりました。本来はわたくしがすべきお仕事なのですが、まあいいか。でも井上さんにとってはよい勉強になったのではないでしょうか。

 これで梗概執筆が一段落したので、井上さんと村野さんは部分架構実験の準備にじっくり取り組むことができると思います。実験が順調に進むことを祈っています。本学ではあさってから前期の授業が始まり、わたくしは金曜日の「鉄筋コンクリート構造」が講義始めになります。この授業の担当は四年振りですので、以前のシラバスを見直してコンテンツをかなり入れ替え、毎回演習を課すようにしました。また、前任の壁谷澤寿一先生のマネをして中間試験を導入することにしました。

 寿一さんからは鉄筋コンクリート構造のロマンを語ってくれって言われていますので(でもRCのロマンってなんだろうな…)、細かい理論などはもう説明せずに、鉄筋コンクリート建物の紹介など耳に優しく目に楽しいコンテンツをバンバン話そうかとも思いました。わたくし自身が執筆した教科書もあるので、それを読めば分かるだろうって感じです。これって究極の反転学習のような気もします。でも結局のところは(根が真面目なので)自分で作ったシラバスの通りに平面保持を仮定した曲げ理論とかせん断破壊なんかを暑く、じゃなかった熱く語って学生諸君の顰蹙を買ったりするんだろうな、あははっ。仕方ありませんや、性分なもので…。


遠くに来た (2022年4月1日)

 思えば遠くに来たもんだ、という歌がありました。確か若き日の武田鉄矢が唄っていたと思いますが、調べたら彼が率いた海援隊でした。

 さて今日から2022年の新年度です。わたくしが旧東京都立大学に専任講師として赴任してからちょうど三十年が経ちました。人間の世代交代はだいたい三十年と言われますから、そういう歳の巡り合わせに至ったわけです。それまで就職してから四年間で三回職場が替わりましたので、三十年前のその時もそのうちまた転勤するのだろうなとチラッと思ったこともあったかと思います。実際にそのあと(まだまだ若かったこともあって)私立大学や旧帝国大学からお誘いをいただきました。今思い返してもありがたいお話しだったと思います。

 でもそれをお受けしなかったのは、(以前に書きましたが)都立大学で実験装置を整備してこれからガンガン実験するぞ〜って思っていた頃だったからです。三十年前に迂生が赴任したときは本学が目黒区から八王子市南大沢に移転した一年後でした。そのため実験棟は既に建っていましたが、その中身はほとんどカラだったのです。

 そこで東京都の施設整備に係る大型予算を始めとして科研費や民間の研究費をいただいたりしながら実験器具をコツコツと揃えていきました。大型構造物実験棟では鉄骨の載荷フレーム、油圧ポンプ、オイルジャッキ、クレビスなどの器具を準備して柱梁部分架構実験をできるようにして、機械・建築実験棟ではアクチュエータおよび建研式の逆対称曲げせん断試験機を導入して柱などの実験ができるようになりました。高強度コンクリートを使った柱の圧縮実験をできるように高剛性かつ大容量の試験機も設置しました。

 そうした地道な努力の末に実験実施に向けた基礎固めがひと通り完了したわけです。それらを使った実験をこれからバリバリやるぞ〜ってときにその環境を投げうって移動する研究者はいないでしょうな、やっぱり。幸いなことにこれらの実験機器は大いに活用されて、さまざまな実験研究に取り組むことができ、自分自身はそれなりの成果をあげたと思っています。東京都立大学は中規模の公立大学ですが、自由に使える実験棟が二つもあって上述のような実験機器を整備している大学はそうそうありません。

 いつも書いていますが大型の試験体を用いた構造実験はひとりではできません。それぞれの研究を担当した我が社の学生諸君だけでなく、その時々の助手や助教の方々のご尽力があってこそ初めて可能になったのです。李 祥浩(現・釜山工科大学校)、見波 進(現・東京電機大学)、小山明男(現・明治大学)、岸田慎司(現・芝浦工業大学)、遠藤俊貴(現・構造設計事務所)および晋 沂雄(現・明治大学)の皆さんです。彼らは共同研究者としていずれも非常に優秀で、それぞれのプロジェクトに精力的に取り組んでくださいました。三十年経った今もその学恩を忘れたことはありません。

 こうして東京都立大学での三十年が過ぎ去りました。その当時から思えば、遥か遠くに来たものです。大学統合や大学名称のたび重なる変更など激動の荒波にも呑まれましたが、思い返すとここまで一本道だったようにも思えます。大学人としての活動はまだしばらく続きます。欲をいえばキリがありません。現在わたくしが置かれている環境がいかに恵まれて素晴らしいものであるのかを再度胸に刻み、感謝の念を新たにしながら、これからも過ごして行きとう存じます。


年度末に思う (2022年3月31日)

 地球上にCOVID-19が出現してから三度めの春を過ごしています。三月晦日になりました、年度末です。研究費等の予算はすでに使い切り、まっさらの状態で明日からの新年度を迎えます。そうはいっても例年のルーチンですから特段に身構えることもありません。四月からの授業に備えて講義資料を更新し、それらを大学のクラウド上にアップしたりして過ごしております。

 東京ではCOVID-19の感染者数が下がり切らないうちに再度、上昇に転ずる傾向が見られます。授業は原則として対面ですることになっていますが大丈夫なんだろうか…、心配になって来ました。世間では三度めのワクチン接種が推奨されていますが、わたくしはまだ注射していません。得体の知れないものという迂生の認識は変わっておらず、そんなに頻繁に接種して大丈夫なのでしょうか。イスラエルなどでは四度めが始まるとのことですが、だんだんと効かなくなるなんてことはないのでしょうか。このmRNAワクチンによる人体に対する長期的な影響などは何も分かっていないのが実情でしょう。世界中で壮大な人体実験をしているさなかであるというのが現状だと思いますね。

 ロシアによるウクライナ侵略は止まず、人びとの被害は増え続けています。ロシア大統領Puの独裁専横ぶりがきわ立ち、その狂的な振る舞いには本当に戦慄しか覚えません。しかし彼は本当に狂っているのか…。ナチス・ヒトラーのやったことは悪逆非道でしたが、彼が精神的に狂っていたという診断等はないと思います。そうだとするとヒトラーがそうだったようにロシア大統領Puもその脳内で熱烈に信奉する思い込み(彼だけが首肯できる原理)のようなものがあって、それが現在の常軌を逸した行動を引き起こしているのかも知れません。

 現在の脳科学では人間の正常と異常とを線引きするのはことのほか難しいということが分かっています。脳内物質のちょっとしたバランスが崩れただけで普通とはちょっと違った振る舞いが現れると言います。そういうものの一部は個性と言われるのかも知れません。そうであればそれはひととして尊重されるべきものです。しかし今回のように絶大な権力者が周辺に多大な悪影響を与えるようであれば、それは何らかの規制をしないと公共の利益に反します。なかなかに厄介ですが、ウクライナでは無辜の人びとが死に至らしめられているわけですから、何とかして“治療”してもらわないといけないでしょう。


実験の実施に向けて (2022年3月28日)

 我が家の近くの桜は既に満開となり、南大沢でも七分から八分の咲き具合です。今週後半には四月を迎え、いよいよ春本番といった風情ですな。

 さてトップページに記しましたように先週、鉄筋コンクリート部分架構試験体を大型構造物実験棟に搬入しました。2021年度に新規に獲得した科研費補助金による研究で、明治大学の晋 沂雄研究室と共同します。今回は互いに直交する梁が三本取り付く柱梁部分架構を対象としており、実際の建物で言えば外構面に位置する柱が対象で、柱のあい対する両面およびそれに直交する方向の片面にそれぞれ梁が貫入する形状です。この形状の試験体を使って実験するのは我が社では約二十年ぶりくらいかな。

 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:RC立体柱梁部分架構試験体の搬入20220325:IMG_5690.JPG

 いつも書いていますが研究室の学生諸君は毎年入れ替わりますので、実験したことのある学生は我が社にはひとりもいなくなりました。そのため試験体を実験装置にセットするのも相当な苦労なんですね〜。わたくし自身、そういう細かな現場から離れてずいぶん経つので、聞かれてもどうしたらよいのか分からず、今までの学生諸君が残してくれた写真とかマニュアルなどを見ながらの作業になります。我が社で以前に特任助教を務めていた晋 沂雄先生が幸いにも一緒に作業に当たってくれていますので、なんとか進んでいるような具合でしょうか…。おまけに年齢のせいか体が思うように動かず、昔のようにシャキシャキ動けなくなりました、結構つらいです。

 それでも実験にはトラブルが付きものでして、今回もはじめからうまく行かないことの連続になっております。どうしたらよいのかトホホ状態なのですが、少しずつ問題をクリアしながら実験の開始に向かって進めたらいいのですけどね。担当するM1井上 諒さんおよび村野竜也さん(明治大学・晋研究室)の奮起を期待しています。


面影をたどって (2022年3月24日)

 ずいぶん前になりますが、朝日新聞の夕刊にわたくしの想ひ出の地が取り上げられていました。新宿区西早稲田にある面影橋[おもかげ・ばし]です。祖父母の家が都電の面影橋停留所と終点の早稻田とのあいだの沿線にあったことは以前に書きました。新聞には1978年当時の面影橋周辺の様子が掲載されました(下の写真)。わたくしが高校生の頃の街並みですが、とても懐かしいです。都電は早稻田行きで、向こうから走ってきて手前に進みます。左側の八百屋もよく憶えていますが、こんなに繁盛(?)していたという記憶はありません。


 写真1 面影橋周辺の街並み 朝日新聞夕刊(2022年2月)から

 このあたりは線路と道路とが共存していますが、写真のようにここだけ石敷きになっていて、子供の頃にはそこがやたらと歩きにくかったという思ひ出が痛烈に蘇って参りました。ちなみにこの写真の手前(写っていませんが)を左に折れると水稲荷[みずいなり]神社への参道になっていて、普段は立ち入ることはありませんでした。しかし現在のそこには写真2のようにマンションが屏風のように建っていて、両脇の石燈籠と「水稲荷神社」という石柱とがかろうじてそこが参道の入口であることを示すだけとなってしまいました。この写真の左奥に木立が見えますが、そこは台地の縁になっていてそこに水稲荷神社は鎮座しております。


 写真2 水稲荷神社への参道入口 2011年撮影


 写真3 水稲荷神社のお社 2017年撮影

 この台地上に写真3のおやしろが鎮座しております。このあたりは太田道灌ゆかりの山吹の里と言われています。水稲荷神社のわきには徳川家の遺構とされる聴松亭という茶室が建っていて、その門脇に太田道灌が馬の綱をつないだという松が残っています。面影という名称も太田道灌との縁によるというのが一説です。

 いずれも伝説に近いような話しですが、江戸幕府が開かれる前からこのあたりには人びとが住み着いて生活していて、それらの人たちの信仰の場としてお稲荷さんが建っていたことを今に伝えています。ちなみに江戸時代中期には、この水稲荷神社のわきに徳川御三卿のひとつである清水家が下屋敷を構えました。その大名庭園は新宿区所有の甘泉園[かんせんえん]として現代にその姿をとどめていて、都会のなかのちょっとしたオアシスとして人々をなごませ続けています(写真4)。


 写真4 甘泉園の苑池と松 2017年撮影

 甘泉園公園では子供の頃にはセミ捕りや魚釣り(クチボソやタナゴがよく釣れた)、ザリガニ釣りなどに興じ、中学生になると戸山から同級生たちを連れてきて缶蹴りとか「泥棒と警官」などの鬼ごっこ的な遊びをよくしたものです(池での魚釣りは現在は禁止されています、残念だな…)。写真4に写っている松はその当時からありました。いや、それどころか母がまだ若かった頃の写真にもこの松は写っていたので、もしかしたら江戸時代から生き続けている松なのかも知れませんね。ということで、縁起のよいお話しとなったところで筆を擱くことにいたしましょう。


あいだにある国 (2022年3月22日)

 お彼岸を過ぎましたがきょうはものすごく寒い日でして、お昼過ぎからはみぞれが降っています。三月中旬の福島県沖地震のせいで幾つかの火力発電所が停止したらしくて、東京電力管内では節電要請がなされています。すでに東電が送電している電力量を超えて消費されているそうで(自家発電分があるためだそうです)、このままでは夕方には停電するかもって言っています。どうすりゃいいんでしょうか…。

追伸; 世間さまが節電したお陰で停電は回避されました。よかったですが、しばらくこの状況は続くみたいです。

 さてロシアの非道なるウクライナ侵略はやまず、ウクライナ市民への悪逆なる暴力は続いています。ウクライナの西側で接する民主的な国々には多数のウクライナ人が難を逃れるためにやって来ていて、現地でそのお世話をするボランティアの方々には本当に頭が下がります。その国々とはポーランド、スロヴァキア、ハンガリー、ルーマニアおよびモルドヴァです。



 このモルドヴァという国ですが、わたくしは全くといっていいほど知りませんでした。上の地図(朝日新聞から拝借)でもルーマニアの東側にある縦長の領域に国名が書かれていませんが、ここがモルドヴァです。元々はソ連邦の一員でしたが、ソ連崩壊によって独立した国家で民族・文化的にはルーマニアに近いそうです。ところが冷戦後の独立のときにモルドヴァとウクライナとのあいだに南北に伸びる細長い地域も独立を宣言したそうです。下の地図(ウィキペディアから拝借)のオレンジ色の領域がそれでして、現在は「沿ドニエストル共和国」と名乗っているそうですが、世界的にはほとんど承認されていません(下の地図の青色の部分がモルドヴァです)。

 

 この沿ドニエストル共和国ですが体制的には親ロシア派のようでして、ロシアの軍隊が少ないとはいえ駐留しているそうです。沿ドニエストル共和国はロシアへの編入を目指しているようですがモルドヴァは当然ながらそれに反対していて、この紛争は現在も継続中です。ということで、この未承認国家はロシアによるウクライナ侵略において実は重要な地位を占めていたことになります。ウクライナにとっては西側のかなり長大な領域をロシアによって押さえられていることになるので、その戦略的な重要性は高いと思われます。

 東欧からバルカン半島そしてトルコにかけては歴史的に紛争の絶えない地域でしたが、そのような複雑な経緯を経て現在があるわけでして、この地域での戦争はなかなかに一筋縄では行かないことを再認識いたしました。


岩手のひとは親切か (2022年3月17日 その2)

 ここのところ20度近い気温の日々が続いているせいで、いろいろな草花の開花が一気に進みました。本学の木蓮の白い花やあんずの薄ピンク色の花もやっと咲き始めたところです。昨年よりは一週間以上遅いですから、今年の冬はやっぱり寒かったのだということが分かります(大自然の示すことですから正確でしょう)。

 さて先日、岩手県で見つかった我が社のiPadの話しを書きました。その際、岩手県のひとは親切なのかどうか、駒場のときの同級生だった村上哲さんに問いかけたら彼からお返事のメールが届きました(村上、ありがとう)。

 そこには興味深いエピソードなども縷々綴られていて笑っちゃったのですが、結論から言えば岩手のひとはやっぱり親切みたいです。ただ今回、iPadを見つけてわざわざ連絡してくださった方については、岩手のなかでもとびきり親切な部類に入るひとみたいということも再認識いたしました。ホント、ありがたい話しだと思います。

 ところでくだんの物品がどうなったのか当該学生からはその後、なんの連絡もありませんが、ちゃんと回収してくれよ。もう来週には修了式があって大学にも来ないだろうから早いところお願いします。


夜なかの地震 (2022年3月17日)

 昨晩の11時半過ぎに福島県沖を震源とするマグニチュード7.4の地震が起こりました。さて寝るかなと布団に入ったところでしたが、カタカタと震度1くらいの揺れを感じましたがしばらくするとそれはおさまりました。ああ、よかったと思ったのですが、しばらくするとまた揺れ始め、それはだんだんと大きくなってかなり激しい揺れが続きました。それは随分と長く感じられ、直感的にどこかで大地震が発生したと思いましたので、飛び起きてパソコンを開きました。

 でも地震発生直後はさすがに情報が乏しくて、宮城県と福島県とで震度六強とか震源の深さは約60kmとかくらいしか分かりません。日付が変わった頃に思い立って京大防災研・境有紀さんの地震速報のページをのぞいてみました。

 そうしたら…なんとこの地震による地震動を使った解析結果が既に掲載されているじゃないですか! すごいな、どうやっているのだろうかと思いながら拝見しました。境さんがピックアップした地点の地震応答スペクトルを見ると、一秒以上の長周期が卓越した地震動を観測した地点はわずかに一点でしたので、これなら建物被害はそれほど生じていないかなとちょっとばかり安心して就寝しました。

 今朝は事情があって五時過ぎには起床しました(もともとこの時期は花粉のせいで寝ていられないのですけどね…)。テレビをつけると東北新幹線が宮城県白石市で脱線したと報じています。けが人等はなかったようでよかったです。テレビでは傾いた車両ばかりに気を取られていましたが、迂生はその下の高架のほうが気になりました。その区間は鉄筋コンクリート(RC)造の柱梁骨組による立体架構になっていましたが、張間方向(線路と直交する短いスパンのこと)のRC梁の両端に斜めせん断ひび割れがバッサリと発生し、梁下端筋に沿ってコンクリートが剥落して主筋とスターラップ(せん断補強筋)とが露出していたのです。

 テレビの映像を見た限りでは、柱は部分的に耐震補強されているところもあって無事みたいでした。その代わりに横架材である梁の両端で曲げ降伏が生じて、そのあとに塑性ヒンジ部にせん断破壊が発生したのかも知れません。いずれにせよかなり激しい破壊のようなので、この状況では東北新幹線の早期復旧は無理かなあと思いました。

 大学の研究室は9階建てSRC建物の7階にあって、ちょっとした地震でも室内の物が落ちたり倒れたりした経験があるのですが、今朝登校すると机の引き出しが開いて、棚のものが一個だけ落ちていました。ということでひと安心いたしました。


春のうららの未成道 (2022年3月14日)

 初夏を思わせるような陽射しが眩しい日和となりました。その陽光に誘われて調布まで歩きましたが、うっすらと汗ばんだくらいです。その途中で野川沿いの未成道の様子をしげしげと観察いたしました。信号機は昨年夏くらいに設置され、そのうち標識も立ち、つい最近やっと道路上に白線等が引かれましたが依然として未開通です。なぜこんなに時間がかかっているのか不明ですが、この道路の向こう側(甲州街道[国道20号線]に接続します)の工事が何かの道連れになっているらしくて進んでいないようです。いい加減、早いところ通れるようにしてくれよ〜。ついでに南大沢駅前の様子も載せておきましょう。本学の光の塔は外壁洗浄のために足場が掛けられています。来週は卒業式・修了式ですが、それまでに終わるのかな…。

 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:野川沿いの未成道_南大沢_729室内観20220314:IMG_1466.JPG 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:野川沿いの未成道_南大沢_729室内観20220314:IMG_1469.JPG


不思議と顛末 (2022年3月12日)

 春たけなわといった陽光麗らかな週末となりました。過ごし易いのはいいのですが花粉が…、あまりの乱舞ぶりにもうつらくて眠っていられないんですよね〜。洗濯物を外に干さないでくれって家内には言っているのですが、あいにく?彼女は花粉症じゃありませんから、燦々と輝くお日様に干さないのは許せないみたいです、とほほ。

 さて、先日、大学あてに不思議な電話がかかってきました。例によって迂生の研究室では電話線を切断しているので、建築学科の事務室にかかって来たそうです。それは「岩手県越喜来湾の展望台近くの椅子に『都立大建築 北山研究室』と記載のシールが貼ってあるiPadを見つけたとのことで、通りがかった方が連絡してくださった」というものでした。

 ええっ、岩手県越喜来湾ってどこにあるのだろう…、そもそも漢字の読み方も分からんしなあ。なんでそんなところに我が社のiPadが置いてあるのだろう…、もしかしてこれって新手の詐欺の電話か…、などとあれこれ思案するものの何も閃きませんし、分かりもしません。我が社の備品や書籍には『都立大建築 北山研究室』と書いた銀色のシールを貼ってあります。またiPadは実験の際にひび割れ描画などに使うために保有しています。でもそのiPadが自分で岩手県まで行くことはないですから(って当たり前)、何じゃコレっていう感じです。もしかしたら研究室から盗まれたのかも?でも盗品が岩手県の展望台にある訳ないよな、やっぱり。

 そんな感じで半日近く悶々とした挙句、まずは研究室の学生諸君に尋ねてみようと思い当たりました。そうしたらなんと…3・11を機に卒業旅行に出かけた(らしい)学生からくだんのiPadをカバンごと置き忘れましたという告白メールが届きました。なるほど、そういうことか、やっと得心いたしました。これでモヤモヤとした気分が晴れてスッキリしたなあ。

 しかし実験で使う大切な備品を紛失したという連絡は本人からは全くなかったので、岩手県の親切な方が北山研シールを頼りにわざわざ大学まで電話してくださらなかったらこの事件は迂生の耳には入らなかったことになります。そうなれば三月下旬にその学生はしれっとしたまま卒業し、四月以降に新M2の井上さんがいざ実験しようとした時になって初めてiPadがないことに気がつき右往左往する、ということになったでしょう。

 そんなことを思うとだんだんと腹が立って参りました。研究室の備品を使うのは結構ですが、その責任はちゃんと負って欲しいと思います。ということで当該学生には拾ってくれた方にはちゃんとお礼を言って、iPadを回収してわたくしに現物を見せるように言いつけました。全く何やってんだか…。

 それにしても世の中には親切なひとがいるもんですねえ。貼ってあったシールを手掛かりに電話番号を調べ、電話して持ち主を探してくださったとは本当に頭が下がります。大ボケの学生に代わって御礼を申し上げたいと存じます。もしかしたら岩手県のひとはすごく親切なのかも…(JAXAの村上、どうですか?)。また北山研シールがこんなところで役に立つとは思いませんでした。このシールは実は首都大学東京の頃にもずっと「都立大」の表記のまま使い続けていたものです、って実際には2005年以前の旧都立大学時代にたくさん作って余っていただけですけどね、あははっ。でもこんなことなら、電話番号くらいは載せておけばよかったかも知れませんけど、あとの祭りか…。


探求学習 (2022年3月8日/11日)

 ここのところ春先らしい暖かな日が続いていましたが、今日は寒の戻りといった感じで真冬の寒さに逆戻りしました。どんよりとした灰色の空が気分を鬱々とさせるのが嫌ですな。

 いま、American Concrete Institute(ACI)から依頼されていた論文の査読を仕上げて送ったところです。しかし今回はどういうわけか査読する論文としてPDFが提供されず、ACIのサイトにアクセスしてその画面上で論文を読めと言われて困惑しました。でもそれじゃ論文内にメモを書き込めませんので、仕方ないので自分で文章、表、図といったコンテンツを手動でコピーして自身のワードファイルに貼り付けました。ボランティアの査読者にさらにかように面倒な作業をさせるって、いったいどういう了見なのでしょうかね。ACIのセクレタリアットにはPDFを送ってくれってメールしたのですが、それに対する返答もありゃしません。英語の論文を読んで英文の査読報告書を作るのも面倒なので、もうやめるかなっていう気分になって参りました(まあ、しばらくすると忘れますけど、あははっ)。いつも思うのですが、英語話者のグローバル標準ぶったやり方にはあまりいい感じはしないんですけど…。

 さて先週、本学の高大連携室が主催する『高大連携事業は生徒・学生の主体性を育てることができるか』というシンポジウムがありました。対面およびオンラインのハイブリッド開催でしたので、迂生はオンラインで参加しました。主題が高校と大学との連携なので高校の先生がたも参加してくださいます。高校側からは探求学習の運営について都立国分寺高校および都立八王子東高校の先生が紹介・報告しました。

 この探求学習っていうのを皆さんはご存知でしょうか。わたくしは知りませんでしたが「探求学習」は授業科目として単位も賦与されているようでして、高校の二年間あるいは三年間をかけて自分で課題を見つけ問いを立て、資料を調べて考えて解決するといういわばミニ研究のようなものです(二、三年間もやるので「ミニ」じゃなくてちゃんとした研究かな)。我が大学でも入学したての一年生に「基礎ゼミナール」の受講を全員に義務付けていて、自分で考えて自分で実践する授業を課しています。これらが有益であることは論を待ちません。

 そういう高邁な授業(あるいは試み)であるにもかかわらず、その専任の先生がいるわけではなく、高校ごとに独自に探求学習の内容を考えて、各教科の先生たちが手弁当で進めているという実態がよく分かりました。お話しを伺っていて大変そうだなと思いましたね。進学校だと大学への進学実績を求められますし、そんな受験に直接関係しない授業は生徒諸君にとっても学年が進むにつれて重荷になってゆくようです。

 高校の先生たちだけでは探求内容によっては対応できない場合もあって、そういうときに大学の先生たちや大学院生たちの手助けが役立つようです。また生徒諸君の探求の進め方へのアドヴァイスや成果に対する講評も刺激があってよいというお話しでした。ただどの段階でどの程度、大学教員が関与するのが有効なのかはまだ手探りの状態のようでした。また大学の先生だって忙しいですから、そんなにしょっちゅう高校の探求学習の手助けができるとは思えません。高校、大学を含めてそういうマン・パワーの問題を解決しないとせっかくの探求学習も頓挫しかねません。

 今回のシンポジウムで高校の先生がたは大学院生の関与が結構よいということを言っていました。高校生とは年齢も近く、高校生の持つ疑問や障壁に対して共感を持って一緒に考えられるというのが強みのようでした。ただ当然ながら大学院生だったら誰でもよいというわけではなくて、それなりに目的意識を持って高校生に接しようというマインドのある院生でないとダメだと思います。それはそれでやはりハードルは高いですね。

 都立八王子東高校では、選定したプロジェクトごとにクラス横断のチームを作って協働研究を行うそうです。そのテーマを見ると、生物探求、まちづくり、超小型衛星、人間と行動心理、政治とメディア、内視鏡、超高齢社会、オープンデータそして英字新聞があがっていました。それぞれのテーマごとに大学、企業、病院、新聞社などの協力を仰ぐとのことでした。聞けば聞くほど大変そうですけど…。

 高校生が探求学習で選択するテーマですが、わたくしは極論すれば何でもよいと考えます。大事なのは、一つのことを自分で論理的に筋道立って考えてまとめ、それを他人が理解できるように発表する能力を鍛えることでしょう。もちろん生徒諸君が興味を持つことは重要ですが、必ずしもそれを優先しないといけないとは思いません。ですから、高校の先生がたが対応できる範囲でテーマ設定すればよいと考えます。

 まじめな?方は高校での探求学習が大学での専門選びにつながればよい、みたいなことを言うようですが、そんなことはないだろうと迂生は思います。高校生のときにはいろいろなものに興味を持って視野を大きく広げておくのがよいんじゃないでしょうか、やっぱり。


原理原則と柔軟性 (2022年3月6日)

 よいお日柄の日曜日になりましたが、きょうは大学でお仕事があって登校です。街角には梅や桃などの白、赤、ピンクの花々が咲き始めていて一気に春がやって来そうな気配です。

 さてロシアによるウクライナ侵略は止まず、原子力発電所まで攻撃して占領しました。生活に必要なインフラを制圧することはとりも直さずウクライナ全土の支配を目指すという悪魔のような意図に基づいていると判断せざるを得ません。このような悪逆非道なロシアはもはやテロ国家です。

 日本ではウクライナを支援すると言ってもできることは限られているのですが、自衛隊の防弾チョッキやヘルメットなどの装備品類を送ることは武器輸出を禁じた法律に反する、と共産党の国会議員が言ったそうです。これって、どう思いますか。

 確かにウクライナは紛争当事国ですが、好き好んで戦争しているわけではなく、ロシアから一方的に戦争を仕掛けられてやむなく自国防衛のために戦っているのですよね。ウクライナは古い言葉で言えば民族自決の原則に従って自衛のために正当な行動を取っているに過ぎないと言えます。そういう人たちに(戦車とか戦闘機はさすがにダメでしょうけど)身を守る装備類を送って支援するのは日本においても許容されると思いますが、いかがでしょうか。

 共産党の言い分としては、こういう例外を認めるとアリの一穴じゃないけど今後、なし崩し的に日本の平和国家としての立場が崩れてゆくことを怖れる、ということでしょう(政権を担う自民党を信頼できない、というのはあるでしょうけど…)。しかし原発まで攻撃される現在の状況は既にウクライナ一国にはとどまらず、世界的な危機を引き起こしていると思います。そういう地球規模の危機に当たって日本国の原理原則に拘るというのは理解できません。原理や原則は大切ですが、それは人間の尊厳を守り、自由を維持してゆくというそれこそ大義のためにのみ存在します。そういう根本に立ち返ってもっと柔軟に考えるべきであると思量します。

 しかしこれが共産党の公式見解らしいので、こんなことを本気で言っているとしたらさらに支持率が下がるのではないでしょうか、どうでもいいけどね。


不条理な世界の拡大 (2022年3月2日)

 ロシアのウクライナへの侵略は続いていて、大都市での市街戦も行われているようです。ロシア大統領によるこの独善的で大義なき戦いを止めさせることのできるひとはこの世界にいないということが残念ながら明白となりました。独裁者による戦争といえばナチス・ヒトラーが直ぐに思い浮かびますが、ロシアのその人もそれと肩を並べる存在になりそうです、本人は気がつかないのでしょうか…。隣国への侵攻を命じられて前線に送られたロシア国軍の一般兵士も何のために戦争をしているのか理解できないでしょうから、全くもって気の毒です。

 でも、こんな感じで理不尽に攻めてくる国があるとすれば、日本も他人事ではありません。日本国憲法前文には「…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と書いてあります。日本は世界中の“諸国民の公正と信義”に頼って生きてゆこうと宣言したわけですが、今回のような場合は想定外ということでしょうか。ただ、この前文には“平和を愛する諸国民”とありますので平和を愛さない人々は対象外ということになり、じゃあそういう狂人たちが現れた場合にどうするかはやっぱり考えていなかったということになります。ひとが人を信頼できないということは何と悲しいことでせうか。世も末といった感を深くしますが、ウクライナで現実に起こっているのはまさに末世の出来事でしょう。

 この不当な侵略の影響はスポーツ・文化の領域にも浸透しつつあって、政治とスポーツ・文化とは別と言っていた人たちもこの暴威に対しては立ち上がりつつあるようです。常識では考えられない、超えてはいけない一線を超えてしまったのですから当然であると思います。

 今朝の新聞に指揮者のヴァレリー・ゲルギエフがミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を解雇されたとの報道がありました。ゲルギエフはロシアの北オセチアのひとですが、プーチン大統領をかなり熱心に支持していることが原因のようです。彼は世界中で売れっ子の指揮者なので通常はこちらから三顧の礼をもってお願いして指揮者になってもらうのでしょう。しかし今回はオーケストラ側から一方的に解雇されましたので、ドイツ・ミュンヘン市の相当な覚悟が伝わってまいります。

 個人の思想および信条は自由なものであり、それが原因で職を失うということは本来であればあってはならないことでしょう。ウクライナ侵略に対するゲルギエフの見解は伝わって来ませんが、本人が何も言わないのだとすれば(返事がないのが返答ということでしょうから)止むを得ないことだったのかも知れません。ただ、ゲルギエフの出身地である北オセチアは民族紛争に絡んだ地域でテロ事件なども起こっています。そういう環境でロシアを支持するようになったのかも知れず、彼の心底を理解するのは難しそうです。

 わたくし自身はゲルギエフ・ミュンヘンフィルのブルックナーやマーラーの演奏をこれまでCDで聴いていて、それらはどれもなかなか良いと思っています。とくにブルックナーの交響曲をザンクト・フローリアン修道院(ブルックナーの生誕地のそばにあり、ブルックナーはかつてここでオルガン奏者を務めました。彼の棺は今もそのオルガンの地下に置かれています)で録音した一連のシリーズは、その残響の美しさと深い音場とがゲルギエフの曲解釈と相まって優れた作品に仕上がっていると思います。それだけにこの解雇を残念に思いました。

 
       Valery Gergiev


不条理な世界 ロシアのウクライナ侵攻におもふ (2022年2月26日)

 よく晴れて暖かい日になりました。今日も前期日程の大学入試でした。ヘッド・クォーターでは突発的に発生する事象に臨機応変に対応しないといけないので大変だなあと思います。

 さて、アメリカがずっと警告してきたロシアによるウクライナ侵攻が始まりました。世界中がそのような非道で悲惨な軍事行動をするなとプーチン大統領に言い続けて来ましたが、そんなものは狂人に対しては何の役にも立たず、アメリカが言った通りのことが起こりました。人間の理性と知性とを信奉する有徳人たちにとってはプーチンの命じたことは理解しがたい行動でしょう。

 しかしいくら高邁な理念を叫んでも、ロシア軍は現実にウクライナに攻め込んでいます。この時に当たって、世界中の誰もウクライナを直接に助けることはしない(あるいは、できない)わけです。これがヒロイックな戦争映画ならば(例えば『プライベート・ライアン』がそう)、最後の場面で米軍戦闘機が頭上を飛んで危機から救ってくれて正義が悪に勝つのですが、現実のウクライナにはどうやらそういうことは起きません。世界中が為すすべもなくウクライナの人々の恐怖を傍観しているのです。

 可哀想なのはウクライナの市井の人々です。世界中が連携してウクライナの窮地を救ってくれると考えていた人は多いと思いますが、現実には自分たちでなんとか自衛しろと言われたわけですから。われわれの奉じていた自由や正義といった概念が一瞬にして空虚と化してしまい、絵に描いた餅、お題目に過ぎなくなってしまいました。

 わたくしには、このように不条理なことが現代社会で生じるとは到底思えませんでしたが、現実は違いました。旧日本帝国によるアジア侵略やナチス・ドイツによるヨーロッパ侵攻のようなことは現代ではもう起こらないだろうと思っておりましたが、人間の本性はたかだか七十年くらいでは変わらなかったということを思い知りました。人を殺すと正義の法によって裁かれ罰せられますが、国家が惹起する戦争で発生する殺人にはその原則は適用されないのでしょうか、全くもって不条理です…。


大学入試に思う
(2022年2月25日)

 そんなに寒くもなくよい朝を迎えました。五時に起床して七時過ぎには大学に着きました。きょうから国公立大学の前期日程入試が始まります。毎年のこととは言え、大学受験って本当に大変だなあとしみじみ思います。あんなにたくさんの問題を短時間に集中して解くためのエネルギーたるやもう莫大なものですし、そもそも今日に至るまでに(人によっては)数年間も努力を傾注してきたわけですよね。青年期の貴重な活力を大学受験に費やすことについては賛否いろいろとあるでしょうが、その経験が将来、大いに役立つということは間違いないと思います。

 わたくし自身は本郷の法文一号館か二号館(正門を入ってすぐのところ)で受験した記憶があります。階段教室でしたが、かなりゆったりと着席していました。ゴシック様式の入り口のすぐ脇にトイレがあったのですが、そこには数段の階段を上がって入るようになっていて、便所の平面形が不規則で変てこなトイレだなと思ったことを憶えています。どんな問題を解いたかは全く憶えていません(当たり前か…)。一番得意だった数学は全問は解けなかったものの六割くらいはできたかな(これも怪しいけど…)。

 でもこれは以前にも書きましたが、答案用紙の上の所定の位置をハサミで切り取る作業だけは明瞭に憶えているんですね〜。切り取る位置を間違えると零点なんてことはなかったのでしょうか、分かりませんが、かなり緊張を強いられる作業だったように思います。ハサミも持参でしたし…。あの作業、今もやっているのかな?(これを読んでいる茂山[東大ビッグバン教授]、教えてくれなんてね、あははっ)。

 建築学科の卒論生や大学院生の頃には、入試の日にも登校して工学部11号館7階の研究室で研究していたものです。イメージとしてのこの日はどんよりと曇っていて、夕暮れ時に安田講堂のほうから試験終了を知らせるサイレンが物悲しくキャンパス内に響いて来たことを思い出します。ただ二月末ともなると陽がかなり長くなり、年によっては春を思わせるような日もあったように記憶します。大学受験では合否が明瞭に示されますのでなかなかに残酷な面もあるのですが、受験する高校生諸君が日頃の実力を発揮できることを祈っています。


花粉と富士山 (2022年2月17日)

 二月も半ばを過ぎてだんだんと日が長くなって参りました。春が近づいているようで嬉しいのですが、招かれざる花粉も飛び始めたようでしてくしゃみを連発しております。オミクロン株の第六波は感染者数のピークあたりにあるみたいで怖ろしい限りですが、手洗いとうがいを励行しなるべく出かけないことで防衛しています。

 きょうは教室会議等があるので登校しました。多摩川を渡るときに真っ白な富士山や雪をいただいた丹沢の山々がくっきりと綺麗に見えました。我が家から大学に登校するときには基本的に西に向かって進むので、いろいろなところから富士山が見えます。それが場所によってはすごく大きく見えたりするのですが、これってなぜでしょうかね? 太陽光の加減やあるいは大気の温度差がレンズのような効果を生むのかもしれません、分からないですけど…。

 わが学科では修論・卒論などの発表会が終わってつかの間の休息という感じで静寂が訪れています。この時期を利用して例年、四月以降の授業の準備をするのですが、よく考えると一年生はまだ入学しておらず、これから大学を受験して合格しないといけないわけです。いやあ大変だなあとつくづく思いますね。そういう顔も知らない大学生の卵たちのために授業内容を考えるというのもまあ一興でしょうか。


不思議な日本語訳 (2022年2月14日)

 先日の朝日新聞に日本人の好きなクラシック作曲家のランキングが載っていました。第一位はモーツァルト、第二位はショパン(一位と二位とは僅差)、第三位はベートーベンでしたが、まあなんとなく予想できる順番だなという感じですかね。ショパンが二位っていうのはちょっと疑問ですが、昨年末のショパン・コンクールで日本人ピアニストが何人か活躍したこともあってショパンの名前が耳に残っていたのかも知れません。わたくし自身はモーツァルトもショパンもベートーベンもほぼ聞きませんので、彼らの曲はほぼ知りません。

 さて迂生の愛聴するアントン・ブルックナー[1824-1896]ですが(このランキングではベスト20にも入っていませんでした)、彼の伝記、評論、曲目解説などをいろいろと読んでいます。ブルックナーは今でいえばオーストリア人(当時はハプスブルク帝国の住人)だったのでドイツ語が使用言語でした。そのため元ネタはドイツ語で書かれたものが多く、様々な著者がそれらを日本語に訳したものをわたくしは読んでいることになります(高校でも大学でも第二外国語はフランス語だったので、自慢じゃないけどドイツ語は全く知りません)。



 そういう言説を読んでいて常々不思議だなあと思うようなものがありました。例えば交響曲第一番を彼は「生意気な浮浪児(das kecke beserl)」と呼んでいたとか、交響曲第八番の第二楽章(スケルツォ)を「ドイツの野人(deutscher Michel)」と呼びそれは彼自身のことを表すのだというのがその典型的なものです。でも、浮浪児とか野人とかなんだか変だなあ…。

 交響曲第一番は1866年に第一稿が書き上げられました(リンツ稿と呼ばれます)。しかしブルックナーはそれに満足せず、この第一稿をもとに書き換えた第二稿を1891年に仕上げ、ウィーン大学に献呈しています(ウィーン稿)。この後に書かれた彼の交響曲は第九番しかありません(これは第三楽章まで作ったが1896年に彼が亡くなったことによって未完に終わった)。それくらい第一番には思い入れがあったと思われるのにそんなに大切なものを「浮浪児」っていうのはどう考えてもおかしいと思いませんか。

 そう思っていたところ、最近読んだ『ブルックナー交響曲』(ハンス=ヨアヒム・ヒンリヒセン著、高松佑介訳、春秋社、2018年)の解説に「向こう見ずなおてんば娘」という日本語訳が書かれていたのです。また最近買ったクラウディオ・アバド指揮/ルツェルン祝祭管弦楽団の交響曲第一番のCDに「The Saucy Maid」という英語の副題が載っていました。おてんば娘であればブルックナーの愛着のようなものが感じられますので、こちらの訳のほうが適切なような気がします。Saucy Maidというのもおてんば娘というイメージなんでしょうか、アングロ・サクソンの感覚はよく分かりませんけど…。

 交響曲第八番の「ドイツの野人(Michel)」についても変だなと思っていました。その第二楽章(スケルツォ)を聴いても(執拗に繰り返されるフレーズは耳に残りますが)「野人」という粗野な感じは全くしません。そのトリオではハープを伴ったおごそかで神々しいフレーズも聞かれます。そもそも荘厳な交響曲を作曲するひとが自身のことを野人なんて言うでしょうか? 常々不思議に思っていたのですが、ブルックナーの楽譜を研究している川崎高伸さんがご自身のサイトで、中世にはノルマンディ海岸のモンサンミッシェル修道院へドイツ人の巡礼が引きも切らず、フランス人たちは彼らを「ドイツのミシェル」と呼んだ、という他文献からの引用を載せているのを発見しました。

 ブルックナーは敬虔なキリスト者でしたから「ドイツのミシェル」がキリスト教の巡礼者を表すのであれば、それはそれでおかしくはありません。ミシェル(Michel)がどうして「野人」になったのかは今となっては不明ですが、川崎さんは四十年前には既にその用語が一般化していたと書いています。「浮浪児」にせよ「野人」にせよおかしな日本語訳が広く流布した理由は日本におけるブルックナー受容の歴史と深く関連しているような気がします。更に言えば、こうした訳語をおかしいと思う音楽専門家は少ないらしい、というのもちょっとした謎です。

 交響曲第一番には先述のようにリンツ稿(1866年)とウィーン稿(1891年)との二つがあって、先に作曲したリンツ稿のほうが若々しい印象を与えるという専門家のコメントを多く見かけます。しかしこれも本当かな? 確かにリンツ稿のほうが先ですがこのときブルックナーはすでに四十歳を超えています。また両稿の演奏を聴いてみると(これは好みの問題もありますが)ウィーン稿のほうが明らかに洗練されていて、楽節間の繋がりもなめらかになっているように聞えます。当初の荒削りの楽曲のほうが若々しいということでしょうかね…?

 これらのことから、専門家と言われる人たちの言説にはそれなりに価値はあって参考になるのですが、それを無条件に鵜呑みにするととんでもない間違いを犯すこともあるということを再認識いたしました。(わたくしも含めて)専門家の皆さん、何か変なことを言っていませんか、大丈夫ですか。


助け船の許容範囲 承前 (2022年2月13日)

 学生諸君の研究発表の際に指導教員の出す助け舟は許容できるか否かについて数日前に書きましたが、境有紀先生(京都大学防災研究所・教授)がそれに対する見解をご自身のページに書いてくれました、ありがとうございます。全くもって賛成ですし、教育者および後進を育てる研究者としてそうあるべきと思います。

 さて、わたくしは学内での発表のことだけを書きましたが、それでは対外的な研究発表の際にはどうなんだろうか…(そのことについても境先生は書いておられます)。われわれの分野でいえば日本建築学会大会や日本コンクリート工学年次大会などでの発表ですが、その道のプロが集まる場での発表は学内でのそれとは異なりますので、学術的な議論として必要と判断すれば(共同研究者として)補足をしたり見解を述べたりして来ました。その分野の最先端の研究者が集う場所なので、そういう方々との研究談義は貴重で今後の研究にも役立ちます。すなわち学生諸君への教育効果よりも自分たちの研究の進展のほうに重きを置いた対応でした。質問してくれる同業者も明らかにわたくしの見解を聞きたいという場合がありますから、それに対しては真摯に回答し議論いたします。

 ただここ数年はそういう研究オリエンテッドな場においても助け舟は出さないようになりました。最近は若手優秀発表賞のような表彰がセットされるようになって、質疑応答もその採点の範囲なので指導教員が余計なことを言うのはよろしくないと考えるからです。発表するのは大学院生とか大学院修了者なので、質問に対してなにがしかの回答をできることは多いですし、相手も専門家なのでだいたい分かってもらえそうだなと判断できる場面が多いからです。もちろん頓珍漢な回答の場合には(仕方ありませんので)ちょっといいですか〜って補足しますけどね。


卒業設計の採点2022 (2022年2月10日)

 天気予報ではきょうは大雪になると脅かされたので登校するのを躊躇いましたが学事ウィークなのでそうもいかず、朝九時前には登校して卒業設計の採点をしてきました。昨年同様、国際交流会館ホールでの展示になりました。

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:TMU卒業設計採点2022_国際交流会館20220210:IMG_1456.JPG 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:TMU卒業設計採点2022_国際交流会館20220210:IMG_1460.JPG

 ことしは卒業設計を提出したのは21名でした。図面の枚数が少ないのは相変わらずでしたが、ある地域の再編といったテーマが多くてそれらは建物がバラバラと点在するという特徴を有していました。最近はあまり見かけなかったコンセプチュアルな計画がちらほらあって、そのうちのひとつは若々しい妄想?に満ちていたので見ていて楽しくなったのですが建築としてはまさに妄想なので、卒業設計としての点数は低いよと当該学生には言っておきました。でも、そういう評価を度外視してやりたいことをやってみたというのは卒業設計としてはありかも知れませんね。

 逆にリアルな計画もあってそれはそれでとても良いのですが、そうするとこの床はどうやって支えるのかとか構造的な視点も気になりました。そういうバランスのとれた設計は残念ながらあまりありませんでした。


助け船の許容範囲は… (2022年2月9日)

 今週はわが学科の学事イベントが並ぶ一週間です。まず、卒論および修論の発表会が終わりました。ことしは正門脇にある講堂の小ホールが発表会場になって、席がゆったりとしていたのはよかったです。でも結構広い会場にほとんど出席者はいないので、余計に寒々しく感じました。

 わが社の皆さんの出来栄えについてはここで書くのはやめますが(お互いに悲しくなるので)、発表練習さえしなかったひと達もいたわけですから、その点については書かなくても分かるでしょう。一年間かけて研究した成果を堂々と発表すればいいだけなんだとは思いますが、それだけ一所懸命に研究しなかったというのであれば、もう言うこともありません。

 学生諸君の発表に対して(親切で心優しい)先生がたからいろいろと質問やコメントをいただくわけですが、それに対して学生さんが壇上で立ち往生してしまっても指導教員は黙っているのがフツーです。迂生もそうしました。論文発表会は学位審査の場でもあるので、指導教員が手助けすることはご法度でしょう。でも、質問が難しかったり、用語が分からなかったり、あるいは聞き取れなかったみたいなときには助け舟を出してもいいような気がして、以前にはそうしたこともありました。ただそうすると何だか研究室内の会話のようになってしまって、そういうことは自分の研究室の中でやってくれといった雰囲気が漂って、その場にふさわしくないかも知れません。

 そういうときに思い出すのが、わたくし自身が卒論を発表したときのことです。純曲げを受ける鉄筋コンクリート梁をエポキシ樹脂で補修したときの力学性能を実験によって調べるという内容でした。発表会では神田順先生(荷重外力論)が質問してくださったのですが、そのとき神田先生が使った「塑性」という用語の意味することがとっさに理解できませんでした(まあ四年生なのでご容赦を…)。そのとき指導教員の小谷俊介先生が「鉄筋の降伏だよ」と言って助けてくださいました。質問の内容は全く思い出せないのですが、このことだけは四十年近く経った今でも憶えているのですから、そのときには相当に助かったと思ったのでしょうな。

 ということで、わたくし自身は助けてもらったわけですが、これは果たして許容範囲なのか否か…。「塑性」という専門用語は建築構造の分野では基本的なものなので、それをヒアリングできなかったというのは学士として不可かも知れませんね。あるいは当時の工学士は学位ではなかったので(ちょっと屁理屈か…)、発表会で助けてもらっても別に構わなかったということかな? いずれにせよ、結構悩ましい問題のような気がしたので書いてみました。これを読んでいる大学教員の皆さんはどうお考えでしょうか。


高校入試に思う2022 (2022年2月6日)

 今年も高校入試が始まりました。昨年の今ごろは愚息が受験最初にウォーミングアップのつもりで受けた高校からギャフンと言わされて、家じゅうが暗〜い雰囲気に打ち沈んでいたことを昨日のことのように思い出します。昨今は大学入試の見通しが悪いせいでしょうか、早慶などの私立大学の付属中学校・高校の人気が高いそうですが、我が家でもその例に漏れず大学入試はしたくないということでそういう高校を受験しました。でも大学付属の高校に入学したら進学する大学も自動的に決まるわけでして、本人はそれを望んでいるのですが、何も分からない十五歳にとってそれは本当にいいことなのかどうか迂生自身は疑問に思っております。

 そうかといって都立高校では中学校からの内申書が大きな重みを占めますので、それが悪いといわゆる進学校と呼ばれる高校には事実上進めません。我が家の愚息は中学校での授業態度や生活態度が悪いということで先生達の覚えが悪く、たとえ試験の成績がよくても評価は下がるので内申点は(同じように都内の中学校を大昔に卒業した迂生にとっては)見たことのないような悪い点数でした。

 中学校の先生方は大変にお忙しくて、学業だけでなく生活面やクラブ活動の面倒も見てくださっているのでありがたいとは思っていますが、何の意味があるのか分からない校則類も多くて疑問に思うことも多々ありました。まあ親の僻みですが、先生の覚えの悪い生徒はよい成績を付けてもらえずに、その時点で上位の都立高校は無理になります。わたくしの出た都立A高校は現在は東京都の進学指導重点校ですが、我が家にとってはとても手の届かない高いところにあることを思い知りました。そんなことを経験したせいか、年末に実施しているA高校での大学模擬授業の際には、ここにいる後輩たちは愚息と違って中学校での成績が良かった“優等生”なんだと大いに実感したものです。

 翻って公立高校の入試ではなぜ内申書が重視されるのでしょうか。勉学ができるだけでなく生活において規律を守り、集団道徳に従うような生徒が望ましいという理想に基づいているのかなとも思いますが、そのように人間性の表面しか見ない画一的な評価がよいことなのかどうか…。先生も人間ですから、授業態度がよくて言うことをなんでも聞く生徒がかわいいのは当然です。でもそれが(公立高校の進学先を事実上決めてしまう)内申書の評点を左右するというのは本当に公平なことなのでしょうかね…。結局のところ、いつも書いていますがひとを評価することは本当に難しいという根源的な問題に帰結しました。

 入学試験は今のところは必要なのでやらないといけないですが、何のために何を評価するのかという視点を持ってその内容については常に議論してほしいと思います。大学入試についてはいつも批判されて議論を呼ぶのに、高校入試についてはあまりそういうことを聞きません、なぜでしょうか…。その内申書、本当に必要ですか?


丸いヤツ (2022年2月3日)

 これはトイレの話題なのでご飯中のかたは見ないでください(って、そんなヤツおらんか、あははっ)。洋式便器には丸い便座がついてますよね。男性が小用を足すときにはその丸いヤツは上に跳ね上げて使うのがフツーです。新しい便器では電動でフタと一緒に上げてくれるものもありますが、我が家のはそんなに高級じゃないので自分の手で丸いヤツを上げるシステムです。

 ところが我が家の愚息ときたらいくら注意してもその丸いヤツを上げずにおしっこするものだから、ときどき飛び散った液体が便座の上に溜まっているんですよ。それに気が付かずに便座に座ったときの不快感といったら…。じわ〜っとお尻が冷たくなってゆくんですよ。あちゃー、またやらかしたか〜ってな感じで不愉快極まりないとはこのことか。ですから丸いヤツに座る前にしげしげとそいつを観察するのが我が家での習い性になってしまいました、ああ悲しい…。

 じゃあ、なぜその丸いヤツを持ち上げないのかと愚息に聞くと、汚いので触りたくないからって言うんですよ。全くもってアホか、汚くしてるのはお前じゃないか〜ってもう腹立たしいったらありゃしない。最近では公衆トイレだって随分ときれいになりましたよね。自分の家のトイレなのだからもっと愛着を持って綺麗に使って欲しいと切に願います。とにかく丸いヤツ、持ち上げろよな。そうじゃないなら自分でトイレ掃除しろ!(おとーさんは時々やってるよ)。


三番めの快挙 (2022年2月2日)

 我が社の研究活動が低迷しているのはひとえにわたくしの不徳の致すところでして、忸怩たる思いがあります。そんな状況のなかで嬉しい出来事がありました。トップページにも記載したように、明治大学・晋 沂雄[じん・きうん]研究室に在籍する修士課程の大学院生・佐野由宇さんを筆頭著者とする論文が日本建築学会構造系論文集(通称、黄表紙)の2022年2月号に掲載されました。

 この研究は我が社の藤間淳さんがチーフとなって計画し実験して検討した内容でして、地震動を受けて降伏破壊した鉄筋コンクリート隅柱梁接合部が柱軸力を保持できなくなって軸崩壊に至る現象の解明を試みたものです。この実験研究に、当時発足したばかりだった明大・晋研究室の第1期卒論生の佐野さんが参加してくれました。この研究成果の概要は2020年度の日本建築学会大会に十枚の梗概として既に発表していましたが、佐野さんはそれをベースとして新たな検討結果も加えながら査読付き論文としてまとめてくれたのです。

 
写真:試験体F2の実験風景 担当学生(都立大三名、明大二名)が全員写っている(2019年6月)

 この研究のチーフだった藤間さんは既に大学院を修了して社会人になっていました。この研究に連続した新たな実験を大学院生・石川巧真さんにお願いしていたので、藤間さんの研究を継続するマン・パワーが我が社では不足していました。そのようなときに、藤間さんの研究を引き継いで論文にまとめる作業を明大・大学院生になった佐野さんにやってもらおうと思うのですが、という相談を晋 沂雄先生からいただき、ありがたくお願いしたという次第です。手元のファイルなどを見返すと2020年9月くらいから論文執筆の検討を始めて、2021年3月末に黄表紙に投稿しています。

 明治大学について言うと、以前に平石久廣先生(既に退職)の研究室の大学院生諸氏が精力的に査読付き論文を次々と発表していましたので優秀な学生さんが多いことには気が付いていましたが、今回の佐野由宇さんも嬉しいことにその前例を踏襲していました。なによりも自分からいろいろと検討しようとする積極的な態度がこちらのやる気を盛り上げてくれて、とても良かったです。

 ということで論文にまとめる作業が始まりました。晋先生の厳しいフィルターを通った佐野さんの検討結果を迂生が拝見するというスタイルで論文執筆を進めてもらいましたが、それでも再考すべき内容は多岐に渡り、結局のところ投稿まで半年以上かかりました。やっぱり黄表紙に投稿するのは大変だなあとあらためて思いましたね。その後、二名の匿名査読者の方からとても有益な指摘(再査読の判定)をいただき、それに対応するのがまたまた大変でしたがそれをクリアして、投稿から半年後に無事、採用決定に至りました。それが昨年の9月下旬でしたが、そのときはとても嬉しかったです。佐野さんの努力の結晶だと思います。

 このように博士前期課程(修士課程)に在籍中に黄表紙論文を執筆して採用になったのは、我が社では片江 拡さん、石塚裕彬さんについで佐野由宇さんが三人めの快挙です。佐野さんは明治大学所属ですから厳密にいえば我が社ではありませんが、共同で研究してきて論文執筆にも藤間さん、石川さんとともに大いに力を尽くしたので(勝手ですが)我が社に含めさせてもらいました、お許しを。ところで石川巧真さんの論文執筆はどうなっているかな? 既に七割かたは出来上がっていたので、鹿島での仕事は忙しいでしょうが執筆を継続してくれることを期待しています…。

 冒頭に記したように我が社のActivityは低下の一途をたどっているのですが、それに反比例して明治大学・晋 沂雄研究室の活動度は上昇していて、それはとても嬉しく思います。降伏破壊した柱梁接合部の軸崩壊に関する研究は2021年度から新しいフェーズに入りましたが、引き続き晋研究室には協力を仰いでいます。というか我が社ではM1・井上諒さんしかいなくて人員が不足しているので、新たな研究では晋研究室の学生諸君(M1・村野竜也さんなど)に中心になってやってもらっています。この研究のほかにもプレストレスト・コンクリート構造の研究も折に触れて仲間に入れてもらっています。こんな感じで晋 沂雄先生にはいつも助けていただいていますので大いに感謝しております、はい。


耳ネタ2022 January (2022年1月31日)

 今日は卒論・修論の本論の提出日でした。我が社では五名が該当者ですが、何も連絡がないので皆さん無事に提出できたということかな。一週間ほど後には発表会が開かれますので発表練習しましょうというメールを送っておいたのですが、未だにどなたからも返事がありません。予定が立たないのでなんでもいいからレスポンスが欲しいんですけど、って困ったな…。

 さて今年最初の耳ネタは小泉今日子の『No17』というアルバムです。アルバムタイトルはどうやら「じゅうななばん」と読むそうで、1990年の発表です。まず言っておきますが迂生は小泉今日子のファンでもなんでもありません。その当時はトレンディ・ドラマ(これは死語?)全盛の頃で、二十代前半のアイドル・小泉はそういうドラマに多数出演していました。当時も彼女の出るドラマにも興味なかったのですが、宇都宮大学五階の学生・助手共通の研究室で机に向かってウンウン研究していると夜9時くらいから始まるそういうテレビドラマを見るために学生たちが集まってきて、大騒ぎをしていたんですね〜。こっちは研究しているのに、もううるさいったらありゃしない。「愛しあってるか〜い!」とか小泉が言うたびに「イェ〜イ!」と全員で叫んでいるんですから、もうやめてちょーだいって感じで辟易としたものです。

 そういう暗い(?)思い出しかない小泉今日子なのですが、なぜこの『No17』を買ったのかは今となっては謎です。あんまり聴き込んだ記憶もなくこのCDはずっと放置されていましたが、先日ふと思い立ってパソコンに取り込み三十数年ぶりに聴いてみました。ちなみにCDジャケットは布製でして、そこに彼女の写真が貼ってあるというちょっと凝った作りになっています。お値段は税込3000円でした(当時の消費税は3%)。なぜ17番というタイトルなのかは不明ですが、収録曲数が17なのでそれと関係しているのかも知れません。



 さて聴いてみると、これが結構よく考えられていて一枚のアルバムとしてなかなかの作りになっていることにちょっと驚きました。もっとも迂生の好みには合わないんですけど…。プロデューサーとか楽曲の作者などの名前はわたくしの知らない方々でしたが、アイドルの曲にありがちなアップテンポでシャウトしているだけのような曲は全くなくて、しっかりと聴かせるような曲が多いです。小泉の歌いかたは声量は小さいみたいですが(その点は大滝詠一師匠と似ていますな)、歌は上手いようなのでそれなりにきけます。作詞の多くは彼女が自身で手がけたそうです。

 ただ、アルバム全体に渡ってハウス・ミュージック(?)風に味付けされていて(野宮真貴&小西康陽のピチカート・ファイブをちょっと彷彿とさせる)、迂生はそれは好きではないので、多分またお蔵入りするのだろうなと思いました、あははっ。


電波シールド (2022年1月28日)

 きょうは構造設計演習の計算書の提出締切なので登校しました。よい天気で陽射しを受けると暖かく感じますね。

 さて共通テストの問題が試験中に流出した事件ですが、出頭した容疑者の供述の通りにスマートフォンで撮影した画像を外部に送ったというならば相当にシンプルな手口だと思いました。わたくしも公立大学の教員なので経験がありますが、試験中にはスマートフォンの電源をオフにしてカバンの中にしまうように求めるアナウンスをそれこそイヤというほど何回も繰り返します。そうしないと不正行為とみなされますよと言っているにもかかわらず、今回の件でそれは不正の抑止には機能しなかったことになります。

 でも考えてみればあたり前で、基本的には試験を受ける人たちの善行に期待しているわけで、最初から不正をしようと決意した人物に対しては何の抑止効果もないことがあらためて白日のもとに晒されただけとも言えますね。

 今回はスマートフォンという初歩的な機具が使われましたが、これだけテクノロジーが発達しているのですからスマート眼鏡やスマート・コンタクトレンズは既に開発されているそうです。さらに言えば、シャープペンシルの先に小型カメラを仕込んでその画像を無線で飛ばすなんてことも多分やろうと思えば簡単にできるはずです。ですから悪意があれば入試でも簡単に不正ができる状況なのだと想像します。

 すなわち受験者の性善説に依拠することはもうできませんから、それを防ぐには物理的に電波を遮断するしか方法はないと思います。そういうとコストの問題がいつも指摘されますが、たぶん電波遮断機器の類は早晩に安い価格で提供されるようになると思いますよ。この問題は試験だけにかかわるわけではなく、例えば盗撮や衆人監視など社会生活においても益々顕在化すると予想されるからです。テクノロジーがもたらした問題はテクノロジーで解決するしかない、ということです。

 しかし世の中が便利になるのはいいのですが、それに反比例して人間の善意を信じられなくなるというのは悲しい現実だとは思いますなあ…。


本を読むはなし (2022年1月26日/27日)

 大学の図書館に入り浸っていることはときどき書いていますが、長い人生のあいだには本を読まない時期もありました。子供時代から大学の教養学部の頃までは本を読んでいました。ここでいう本というのは小説とか評論とかの類であって、漫画、教科書、論文集の類は「本」の範疇に入りません。

 中学生の頃には星 新一のショートショート(この用語は死語かな…、数ページの短いSF小説のこと)や武者小路実篤の『馬鹿一』などの小説群を読みふけりました。高校生の頃には現代国語の教科書に一部が載っていた『生まれ出づる悩み』(有島武郎)にはまって、その小説を全部読んで堪能しました。詩人の立原道造を教えてくれたのも現代国語の教師だった山本洋三先生でした。通信添削のZ会に問題として載っていた『獣人伝説』(半村 良)もあまりの面白さに驚倒して、受験生だというのに文庫本を買ってきて読みふけりました。大学に入っても本はいろいろと読んでいました。

 ところが建築学科に進学して四年生になって青山・小谷研究室に入ってから、そういう本を全くといっていいほど読まなくなりました。研究を始めるようになると参考文献を手当たり次第に読むことが必要になって、電車の中などではそういう論文を読むのが習慣となりました。研究が面白くて、今までのように「本」を読む時間がなくなったのです。また7階の研究室のソファのところには週刊等の漫画本(少年ジャンプ、ビッグコミック・スピリッツとか)が何冊か置かれていて、研究に疲れてソファに座ると必然的にそういう漫画を見るようになりました。大学生にもなったいい大人が「少年」漫画を読むなんて、今考えればおかしいですわな。

 さて、大学院の1年生の頃だったか、小谷俊介先生(当時助教授)のお供をして小山(栃木県南部)にある東京鐵鋼の工場に出かけたことがあります。このときは十字形柱梁接合部試験体の設計をしている頃で、小谷先生の発案で降伏点が低い鉄筋を梁主筋に使うことになり(そうすると柱梁接合部内を通し配筋される梁主筋の付着性状は良好に保持されるだろうという予測)、それを東京鐵鋼に作ってもらうために相談に行ったのです。日本で通常使われる異形鉄筋の材種はSD30が最も低い強度レベルだったので、このときに計画したSD24(降伏強度が240MPa)という鉄筋は当時の建設業界には存在しなかったのだろうと思います。そういう流通していない鉄筋をメーカーに作ってもらった小谷先生は今から思えばすごいですよね。

 ちなみにこのとき作ってもらった低強度鉄筋(直径は10mmなので使い途はそれほどなさそう…)は工学部11号館地下2階にある実験室のそのまた地下にあるピットに運んで保管し、その後もその鉄筋は幾つかの実験で使われました。千葉大学・野口研究室にお裾分けしたこともあったな。東京鐵鋼からお土産としてねじ鉄筋のスリーブ継手を銀色メッキして置物風にしたモノをもらって7階の応接室に飾っておいたのですが、まだあるかな…。

 話しをもとに戻して、当時はまだ東北新幹線は開業していなかったので、在来の東北本線で上野から小山までガタコト電車に揺られて行きました。そのとき車中でぼーっとしていた迂生に向かって小谷先生が一冊の文庫本を取り出して「これでも読みなさい」って言われたのです。小谷先生は本を二冊持っていたらしくて一冊はご自分が読んでいましたが、もう一冊を渡してくださいました。というわけで電車に乗っている往復三時間くらい、その本を読んだわけです。その本の中身どころかタイトルや作者も全く覚えていないのですが、研究ばかりしてその合間には漫画ばっかり読んでいる若者(って迂生のことです)を危ぶんで小谷先生はそういう行動に出たのかも知れません。

 そうは言っても「本」を読まない生活はその後も続き、東京都立大学で研究室を主宰するようになってもそれは変わらず、自身の研究室にも学生たちと相談で漫画本を常備するようになりました。しかしその様子はいつしか地震工学講座の上司だった西川孝夫先生(当時の本学はまだ講座制で、西川先生が教授で迂生が助教授でした)の知るところとなったようでして、ある日、西川先生のお部屋で話しているときに何かのついででしょうが「漫画ばっかり読んでいないで、少しは本を読みなさい」と言われて一冊の文庫本を渡されたのです。それはタイトルは忘れましたが司馬遼太郎でした。

 ということで素直な(?)迂生はその本を読みましたが、司馬遼太郎はそれまで読んだことがなくてこんなに面白い小説がこの世にあるのかと思いましたね。それ以来、漫画はいつしか読まなくなり、忘れていた「本」を読むという習慣が復活して現在に至ります。西川先生がなぜ司馬遼太郎の文庫本を貸してくださったのかは分かりません。たまたまご自身が読み終わったばかりだったのかも知れません。しかしいずれにせよ先輩がたのご厚情には感謝の言葉しかございません。

 振り返ってみて小谷先生や西川先生のように若者に向かって「本を読め」などとはついぞ言ったことのないわたくしでございます。ていうか、自身の子供には年長者としてときどきそう言うのですが、ケータイやらタブレットばかり見ている若者にはどこ吹く風です。年寄りがなに言ってるのっていう感じなんだろうな、やっぱり…。

 先日、図書委員の先生から新入生に勧める本を推薦してほしいという一斉送信メールが来ました。どうやら推薦本があまり集まらないらしく再度の通達でした。それならということで、2018年の「ことしの本ベスト3」で第一位に選んだSFの名作『ソラリス(Solaris)』(スタニスワフ・レム著、沼野充義訳、ハヤカワ文庫SF、2015年)を紹介する短文を送っておきました(例によってこのページの文章を再利用しました)。原作は1961年なのでもう六十年も前の“科学小説”ですが、人類の愚かさを寓意的に描いた様などは21世紀の現代にも十分に通じるもので、宇宙のなかの矮小な存在にすぎない人類という普遍的なテーマを扱っています。

 先生がたのなかには自身の専門分野から推薦書を選ぶというひとが多いみたいですが、わたくしは建築分野(あるいはもっと狭くすると耐震構造というカテゴリー)から本を選ぶという気は全くしませんね。自身の専門に関する書籍については専門科目の授業中に紹介すれば良いわけですし、実際にわたくしはそのようにしています。でも今回は新入生全体が対象なので、もっと広い視野を持って自然、人間あるいは社会を見渡して考えることのできるような内容がふさわしいと考えています。


逼塞すると… (2022年1月24日)

 爆発的なCOVID-19の感染爆発(第六波)に見舞われて、その凄まじさに怖れをなして外出しないでいましたが、家に逼塞しているとそれはそれで健康に悪いみたいです。ここのところ体調はあまり良くなくて気分も晴れません。

 そこで、いろいろと提出物もあったので気分転換も兼ねて久しぶりに登校しました。わたくしの担当の授業はすでに終わりましたし、会議等は全てオンラインで済みます。家のパソコンに向かってほとんどの仕事は完結しますが、ときどき家人からやかましいと苦情が来たりしますので、やっぱり大学で仕事をしたほうがよさそうです。

 わたくしの大学でも学生や教職員の感染者が増加していますが(感染者が出ると大学のWebページに報告が載ります)、愚息の高校でも同様でして、ついにオンライン授業になってしまいました。二月になると高校入試が始まりますのでそれまでの期間、学校には来るなということみたいです。この第六波の感染者数ピークがいつ頃になるのか全く予想できないようで、それはそれで大いに不気味です。今までの感染防止対策を愚直に守って生活するしか術はなさそうですな…。


大学入学共通テストをめぐって (2022年1月16日)

 昨日の土曜日から第二回目の大学入学共通テストが始まりましたが、その周辺でいろいろな事件が出来しました。まず、試験前日の金曜日夕方に本学を爆破するという予告がありました。実際には何ごとも起こらなかったので安堵したのですが(こちら)、それは結果論でありまして、前日は試験会場の準備をする日になっていますから関係する教職員の方々はその対応に苦労されたことと拝察します。本学に対してなぜそのような悪質な嫌がらせをするのか全くもって理解不能ですが、以前にも同じような予告がありましたので本学に対して怨恨を抱いているひとがいるのかも知れません…。

 つぎは共通テスト当日の朝に東大の農学部正門前で高校二年生が受験生等を刺すという事件が起こりました。この事件を起こしたひとは個人的な問題を抱えていたみたいですが、そのことがなぜ他人を傷つけることにつながるのか、それもよりによって大学受験の当日になぜそんなことをしたのか理解不能です。刺された高校生たちは受験のためにここにやって来ていたわけですから、大いなるショックと絶望感とを抱いたことと推察します。あまりに不条理ではないでしょうか…。

 そして極め付けはトンガで起こった海底火山の噴火が引き起こした津波警報です。日本に津波が到達したのは1月15日の深夜だったようで皆さんの携帯スマートフォンの緊急アラートが熟睡を妨害したことと思います(少なくとも我が家ではそうでした)。共通テストの受験生には一日目の試験を終えて翌日の二日目に向けて眠っていたひとも多かったと思いますが、安眠を破られて寝不足の状態で試験に向かった受験生も多かったでしょうね、きっと。また太平洋沿岸の試験会場では二日目の共通テストが中止になったところもあって当該の受験生の皆さんは非常に不安なことと推量します。受験生の皆さんが本当に気の毒です。これは自然現象なのでこのような大事なときに津波が生じたのは偶然ですが、あまりのタイミングの悪さにイヤな感じを抱きましたな…。

 年が明けてからCOVID-19のオミクロン株による第六波の感染拡大が日本中を席巻し始めましたので、受験生や試験関係者は無事に試験ができるかどうかという不安を抱いています。そんななかでさらに不安を掻き立てるような出来事が連続して起こったわけで、関係する皆さんには本当に気の毒なことと思います。折に触れて書いていますが、平穏無事な毎日がどれほどに貴重であるか、そしてそれは人知れず為されている多くの市井の人びとの努力に負っているということに、あらためて思いを寄せてみてもよろしいかと存じます。


正月過ぎすぐ三連休 (2022年1月10日)

 雪は溶けましたが寒い日々が続いております。正月早々に三連休になって、いいのかよくないのかよく分かりませんが、とにかくありがたく休んでおります。大学認証評価のお仕事ですが、もうひとりの担当の土木・教授のかたが収集資料の交通整理をしてくださいました。それを受けて今度は迂生がサル仕事をしないといけない番なんですけども、どうにもやる気がでんヒデオでして(古すぎて分からんか、あははっ)、パソコンのデスクトップに膨大なファイル群を置いてはあるのですが、手付かずのままにこの三連休が過ぎてゆきました、どうしましょう…。

 先日、二年ぶりに駒場のときの同級生十人が集まって飲み会をやりました。といってももちろんオンラインです。トレンドには三週遅れくらいなんですけど、オンライン飲み会ってヤツを初めてやりました。これがお店での飲み会ならば、おつまみやらお酒やらは全部持ってきてくれるのですが、オンラインだと全て自分でやらないといけないですね、当たり前。それがまず結構面倒でしたね。夕飯どきのスタートでしたから、ご飯も食べたいですし…。

 こんなワガママを言うヤツにはオンライン飲み会は向かないと思いましたな。皆さん画面はオンにして参加していましたが通常は机の上が映ることはないので、何を食べているのか飲んでいるのかさっぱり分からない、ということにも気がつきました。ふ〜ん、なるほどねえ…。

 オンラインだと(Zoomの特性かどうか知らんが)誰かがしゃべっていると他の人たちはそれを拝聴する、という形になりますよね。そうすると詰まらない話しをしていても(ごめんなさい)黙って聞いていないといけないのもかなり苦痛でしたな、あははっ。でも参加しているのはほとんどが博士号取得者で研究に従事しているひとも多く、話している内容はそれなりに面白かったです。すでに定年退職したひともいるし、この三月に定年を迎えるひともいて(でも、大学の先生はだいたいが65歳定年みたいでしたが)、定年や健康、それから大学院博士課程に進学する日本人は増えたのか減ったのか、などを議論していました。

 で、本当は二時間で終わるはずだったのですが、ダラダラと話しているといつまで経っても終わらない、ということにも気がつきました。これがお店だと、あ〜面白かったな、そろそろ帰るかってな具合で自然と散会になりますけれども、オンライン飲み会では各人が自分の家でやっているわけですから、じゃあ帰るかって言ったって、お前どこに帰るんだよってことになりますわな。そんなこんなで結局のところ四時間近くもやっていました。さすがに飲み物を台所まで取りにゆくのも億劫になって、最後はかなり喉が渇きました。やる前はオンラインなんかで二時間も間が持つのかと訝かしかったのですが、結局のところリアルとあまり変わらないということが分かりました、あははっ。


寒い日 (2022年1月6日)

 今日は新年一回めの教室会議があるので登校しました。今年度の学科長の角田先生(建築生産)は対面派のようでして教室会議だけはずっと対面で開かれています。それに対して教授会は吉川学部長(都市計画)の方針でオンラインです。再びCOVID-19の感染者数が増え始めてどうやら日本も第六波へと突入しつつあるようですので、授業がまたもやオンラインに戻るかも知れません(分かりませんけど…)。

 登校するときにはさほど寒いとは感じませんでしたが、会議が終わって外に出てみるとスキー場にいるように寒くなっています。と思ったら、雪が舞ってるじゃありませんか。やっぱり八王子は寒いんだなあとあらためて感じましたね。7階の研究室から見た下界はしたの写真のようにすっかり灰色に覆われています。

 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:雪の舞う南大沢_7F研究室から20220106:IMG_5685.JPG

 東京は雪に対して脆弱ですからこういう日には早めに帰ったほうが身のためなのですが、これから学生諸君との打ち合わせがあったりしてそうもゆきません。まあ、若い人たちと一緒に研究できる幸せをじっくりかみ締めたいと思います、あははっ。


みじかいお正月 (2022年1月4日)

 1月4日は火曜日で平日なので御用始めです。あまつさえ本学では今日から授業が始まります(こんな大学って他にあるのかな?)。わたくし担当の構造設計演習が午後にあることから登校いたしました。でもお正月早々に学生諸君は来るのだろうか、ちょっと不安ですなあ…(追伸;教室に行ったら皆さん来ていました、偉いぞ!)。今朝もよいお天気で、多摩川を渡る京王線の鉄橋からは真白な富士山がきれいに見えました。

 さて、昨年に続いて今年のお正月も短く終わりました(あっさり)。うちの家人たちが熱狂する箱根駅伝ですが、今年は特段の波乱もなく見ているほうとしては面白みのない結果となりましたね。もちろん走っている学生諸君が知ったことではなく、彼らは年明け早々から持てる力を存分に発揮できたでしょうからご同慶の至りでございます。

 しかし(毎年書いていますが)他人が苦しそうに力走する姿をテレビの前で座って何時間も見ていてなにが楽しいのでしょうか…。テレビ局が箱根駅伝を勝手に伝説にでっち上げて、それを毎年アナウンサーが絶叫するスタイルにはホントうんざりするんですね〜。そういうヤツは見なけりゃいいんだってことなんですが、我が家のテレビはこの二日間ずっとついているのですから、イヤでも目に入るし耳に聞こえるのですよ。あまりにも居心地が悪くていたたまれなくなると、女房のレッスン室(防音室です)に入ってステレオを大音量にしてブルックナーを聴いたり、読書したりしていました、あははっ。

 昨年末に研究ノートがちょうど一冊終わったので、今日から2022年版を新調しました(生協で売っているフツーのA4版ノートです)。一年の始まりにふさわしい所作だなとわれながら悦に入っております、はい。左のこれまでのノートはちょうど二年間使ったわけですが、研究活動の停滞にともなってノートの消費も落ち込んだことが明瞭に分かり、新年早々ちょっとがっかりしました。定年で大学を辞めるまでにあと何冊のノートが貯まるのでしょうか、こちらもかなり不安だなあ…。

  説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:研究ノート更新20210104:IMG_1450.JPG

元旦2022
(2022年1月1日)

 あけましておめでとうございます。よく晴れて清冽な空気が凛として肌を刺す寒いお正月を迎えました。思い返すと昨年の元日には愚息が熱を出して(その年末に遊びに行っちゃったこともあって)COVID-19への感染を疑ったために病院に連れてゆく事態になりました。このことは新年早々シャレにもならんぜよということで昨年初めのこのページには書きませんでしたが、元日だとういうのに患者さんは次々に来ていて、対応に追われる医師や看護師の皆さんには本当に頭が下がったことをよく憶えています。院内感染を防ぐために付き添いの家族は病院内には入れずに、病院の前で突っ立って待っていました。

 PCR検査を受けてその結果が病院から伝えられるまでの一日のなんと長く感じられたことか…。幸い陰性判定だったのでお通夜のようなお正月がやっと少しばかり気分が晴れたようになりました。でも本来であれば「正月特訓」と称される塾の勉強に三が日ぶっ続けで出席することになっていたのにそれはダメになって、二月の高校受験に向けて暗雲が垂れ込めたことに変わりはありませんでしたけど…。以上は全て昨年のお話しです。

 これに較べると今年は特段のストレスもなく、家族一同健康体で穏やかで落ち着いたお正月になりました。昨晩のうちに女房が作っておいた関東風のお雑煮にスーパーで売っているサトウの切り餅(おいしくもありませんが)を入れて新年を祝いました。

 新年早々第一番に聴くのはやっぱりブルックナーの交響曲第六番でしょうってことでミハエル・ギーレン指揮のSWR南西ドイツ放送交響楽団演奏のもので楽しみました。ギーレンの六番は目立ったアゴーギク(緩急)やデュナーミク(強弱)のないオーソドックスな演奏ですが、きっちりと強固に統率されているので安心して聴くことのできる良盤だと思います。それにしてもドイツの地方オーケストラはどこもレベルが高いことには驚きます。指揮者がいかに素晴らしくても演奏するのはオーケストラの個々の団員たちですから、音楽界の裾野の技量が高いということなのでしょうか。

 ブルックナーが生まれたのは1824年でしたので二年後の2024年に生誕二百年を迎えます。それに向けていろいろな指揮者・オーケストラがブルックナーの交響曲を新しく録音し始めています。そういうなかから迂生の感性にかなう新たなブルックナーを聴けることを楽しみにしています。

  

 穏やかなお正月にはやっぱり日本酒が飲みたいなということで、年末に調布パルコで買ってきた地酒を開けて常温でいただきました。秋田県の出羽鶴の純米吟醸です。利き猪口に注ぐと結構な山吹色でしたので、角砂糖を舐めるアリさんのラベルのように甘口なのかと思いましたが飲んでみるとそれほど甘くはなく、さりとて酸味もないので昭和の日本酒という風情でした。塩味のおせち料理にはよく合っていいかなと思います。

 2022年の初日はこんな感じでダラダラと安穏に過ぎていきました。しかしいつも書いていますが平穏無事に平々凡々たる日々を送れることこそが人生の幸せというものではないでしょうか。そのようなありがたさを身にしみて感じながら今年も生きて行ければと思います。


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