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 このページは北山が日々の生活のささやかな体験やちょっとばかり感じたことなどを徒然なるままに綴るコーナーです。このコーナーは十二年めとなりました。引き続き、お付き合いいただけるのは嬉しい限りでございます。

 なお、ここに記すことは全て個人的な見解であることを申し添えます。なに言ってるのとつぶやきながら笑い飛ばしていただけると幸いです。

 今日からは2020年版を掲載します。更新は”思いつくまま為すがまま”ですが、そもそもそういう類いのコンテンツなのでご寛容をお願いいたします(2020年1月6日)。



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年の瀬叙景
 (2020年12月28日 その2)

 きょうは御用納めです。朝がたはどんよりと曇って気分の乗らない一日の始まりでしたが、お昼になってGood Dayになりました。お昼ご飯を駅前のスーパーまで買いに行って、ついでに大学の南側の武蔵野保全林沿いにある遊歩道を散歩しましたが、重武装に着込んで出かけたこともあってちょっと汗ばむくらいでした。

 家に閉じこもっていると肉体的にも精神的にもよくないらしいので、この数日は野川沿いを散歩するようにしています。その続きを大学でも実行した、という塩梅です。その遊歩道のちょうど尾根筋で撮ったのが左下の写真です。その道は、ときどきお昼ご飯を食べにゆくカフェテリアの外側につながっていました(右下の写真)。このカフェテリアは図書館および国際交流会館ととともに高橋てい一さんの設計で、コンクリート打ち放しの表面がとてもきれいに施工されています。

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:TMU御用納めのキャンパス20201228:IMG_1128.JPG 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:TMU御用納めのキャンパス20201228:IMG_1137.JPG

 ここまで来たので、ついでに(と言ってはなんですが)大型構造物実験棟をのぞいてみました。年明け早々に停電がある予定なのでコンセントのプラグを全て抜く必要があることを思い出したからです。年末には芝浦工大・岸田慎司研究室との共同実験がありましたが、迂生は結局一度も実験棟に行かないうちに終わりました。実験棟は綺麗に整理されていて、コンセントも全てフリーになっていましたのでよかったです(岸田先生、村上研さん、どうもありがとう)。

 ということで本日は久しぶりに大学に登校しました。前回登校したときにこのページを更新しようとおもったのですが、タイミングが悪いことに本学の情報処理システムの具合が悪くてSFTPによる更新ができませんでした。年末恒例の「ことしの本」も書きたかったですし(まあ誰も気にしないでしょうから、自分自身のためってことですけど)、なによりも尻切れトンボで新しい年を迎えるのがどうにも気持ち悪く感じたこともあります。

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 年末恒例になった都立青山高校の模擬講義を今年も行いました。でもこのご時世なのでオンライン開催でした。高校1年生および2年生の33名と担当教師の木島先生とが、わたくしがホストとなったZoomにアクセスして講義を聴いてくれました。わたくしとしてはパワーポイントのスライドを説明するので、オンラインでもリアルでもやることは変わりませんが、さすがに会ったこともない高校生諸君にオンラインで講義するっていうのはどうなのよ、って思いましたね。講義では「青山高校周辺の名建築」というコーナーを入れたのですが、多摩東部の自宅にいる迂生が青山界隈の説明をすることに大いなる違和感を抱きました。やっぱり大学の模擬講義は高校の教室に出向いて対面でやりたいですな。

 いつもは五分間ペーパーを高校生諸君に書いてもらっていました。講義後にそれを読むのが楽しみでしたが、ことしはそれもできなかったため、講義の手応えや感想を得ることはできませんでした。受講者の半数以上はスマホで受講しているとのことでしたが、あんな小さな画面でパワーポイントの字や写真が見えるのだろうか心配になりましたな。それでは高校生諸君は疲れるだろうと考えて、一時間半の講義の真ん中あたりで五分間の休憩を入れました(今まではなかったことです)。

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 師走になり、COVID-19が三たび広がり、あまつさえ感染力が強くなった新型ウイルスさえもが見つかった頃、我が家の洗濯機が壊れました。既に十五年間使い続けたナショナル製ドラム式ですが、ドラムの奥にある円盤型のフィルターが外れてしまったのです。本体とは隠しねじとプラスチック製のフックとで固定されていたのですが、ねじはどこかになくなっており、フックも折れていました。仕方ないのでその円盤をテープで本体に留めていたのですが、二回洗濯するとテープはボロボロになって円盤が分離していまい、面倒なことこの上ありません。さらにとれたテープが排水口に吸い込まれてしまい、動かなくなるのは時間の問題という状態になって来ました。

 本体はちゃんと動くのでもったいないとは思いましたが、そろそろ替え時かなと考え直して近所のビックカメラに行きました。我が家の洗濯機置き場の構造上、せいの高い縦型洗濯機は入らないので、今度もドラム式にしたのですが、後継にあたるナショナルの新型にしようとしたら、すごい人気で在庫がなくて早くても来年二月以降の納品って店員さんが言うんですよ、ほんとか〜?。しょうがないので、同じナショナルの製品の廉価版(っていってもとてもお高いんですけど…)にしましたが、それでも納品は来年になりました。

 実は今年の秋にはお風呂場のシャワーフックが壊れたのですが、これはネットの動画で自分自身で交換できることが分かりましたので、部品をアマゾンの代引きで取り寄せて迂生が直しました。立て続けに家のなかのモノが壊れて、次はなんだろうかとちょっとビクビクしながら新年を迎えることになりそうです、あははっ。

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 我が家はいま受験シーズン真っ最中です。そうして我が身をもって体験することによって、いまどきの受験のスタイルをいやってほど知ることになりました(志望校への出願もまず初めにオンラインで出願して検定料を先に払うんだゾ)。以前に壁谷澤御大の奥さまから「(いまどきの受験は)北さんの時代とは違うんだから、塾に行かないとダメなのよ」って言われたことを憶えておりましたが、まさにそのとおりであることが今になって分かりました、はい。四十年以上前の自分自身の高校受験のことを思い出すと、日曜日に数学のための塾に行っていた以外は全て独学・独習でした。ところが現代では年末年始も塾に行って勉強するそうです、もうびっくり。

 しかし勉強したくないってヒトに勉強させることほど難しいものはありませんな。自分で勉強したほうがずっと楽ですぜ、旦那…(って迂生が今更勉強してどうすんのよ)。これが大学の学生相手なら、やりたくないならやらないでいいけど、あとは知らないよ、なんて無責任なことを言っていられます。でも自分の子供にそんなことを言ったら、子供は喜んじゃうんですけど(あははっ)、家内からはそれでも父親かってものすごく怒られますので、いやあ、つらいっすねえ。

 こんな感じで今年の年の瀬は暮れてゆきそうです。COVID-19のパンデミックのせいで世界中が重苦しい気分に浸っていて気分が晴れません。しかし、そのようなときこそ日々の何気ない生活がかけがえのない大事なものであることに気が付きます。ひっそりと、でもしたたかに日々の生活に楽しさを見出しながら過ごしてゆきたいと思っています。それでは皆さま、どうか良い年をお迎えください。また来年、お会いできれば幸いでございます。

 追伸; 来年はいつ登校するか未定ですので、このページの新年版への更新もいつになるか分かりません、念のため。


ことしの本 ベスト3
 (2020年12月20日/28日)

 ことしは忘年会もなく、寂しさのつのる年末を過ごしております。でも自由にできる時間が増えたおかげで、年賀状をいつになく早く書いて投函できました、あははっ。COVID-19の感染拡大第三波が猖獗を極めているので外出はなるべく控えて、それまで対面でやっていた大学院授業はオンラインに切り替えました(学部の構造設計演習は最初からオンライン)。

 今年も残すところ十日ほどになりましたし(12月20日に書いています)、このページを次に更新できるのはいつになるのか不明なので、「ことしの本」を選んでおこうと思います。この一年のあいだに読んだ本は53冊でその内訳は、大学図書館から借りた本が42冊、昔の読書(以前の蔵書を再読すること)が8冊、新規購入が3冊でした。図書館から借りた本が増え、自身で購入した本はどんどんと減ってきていて、よしよし、よい傾向だなと悦に入っております。

 今年は迂生にとってはクラシック音楽・ルネサンスとも言ってよいような一年でしたので、音楽や作曲家に関する本をたくさん読んだのが特徴です。数えてみたら20冊でした。19世紀のいわゆるロマン派の作曲家にはオーストリアやドイツ(ハンガリーとかボヘミアも含む)出身のひとが多いことから、彼らが関係した地名(アンスフェルデンとかザンクト・フローリアンとか…)をみるうちにそれがどんなところか知りたくなって、ドイツやオーストリアに関する本も読むようになりました。

 例えば、ザンクト・フローリアン(地名です)はアントン・ブルックナーがオルガニストを務めた教会があり、死後に葬られた場所ですが、今はGoogle Earthがあるので、その小さな町の街路をストリート・ヴューによって(仮想に)歩くことさえできて、ホント便利な世の中になったものだと思います。

 いつもなら科学ものや小説を結構読むのですが、ことしは上述のクラシックものが突出して増えたためにこれらはいずれもほとんど読みませんでした。特に小説は「昔の読書」で藤沢周平の短編集を数冊再読したくらいで、初めて読む小説はたったの1冊だけでした。来年は楽しい小説をたくさん読みたいと思いますが、大学の図書館には小説はほとんどないので、やっぱり自分で買わないとダメそうです。

 こんな感じなので結果として、ことしのベスト本は音楽ものから選ぶことになりました。

 第一位は『マーラー 輝かしい日々と断ち切られた未来』(前島良雄著、アルファベータ、2011年6月)です。タイトルから分かるように作曲家グスタフ・マーラーの伝記ですが、世間に流布している“マーラー神話”に対する強烈な異議申し立ての書になっているのが特徴だと考えます。例えば、マーラーの『大地の歌』や交響曲第9番には死の影がある、という通説(著者は”俗説”あるいは”思い込み”と書いています)があるのですが、マーラーは亡くなる1911年の2月中旬くらいまではアメリカで精力的に指揮者の仕事をこなし、将来の計画も立てていたので、そんなことはあり得ないと著者は書いています。また、マーラーは心臓に病いを抱えていてそれに怯えていた、と書かれることが多いのですが、この本の著者はそれは全くの誤りでマーラーは健康でピンピンしていたと語っています 。

 そのような「通説」が出来上がったのは、マーラーの妻だったアルマの手記による意図的な事実の歪曲があったため、というのが著者の見立てです。アルマによって作られた”伝説”が事実とは異なるものであることを指摘し、間違ったマーラー像を改めたいという著者の強い意欲を感じます。アルマが妻としてマーラーを支えた功績は大きかったのですが、その手記には自分に都合の良いことしか書かなかったようです。

 このアルマというひとは美貌の才媛で、身の回りに才能ある男性たちが常に群がっていたそうです。そういう女性だったので多くの男たちを手玉にとって恋多き奔放な生涯をおくりました。マーラーもそのなかのひとりだったのでしょうか、今となっては分かりませんけど…。ちなみにそのようにあしらわれた男性たちのなかには建築家のヴァルター・グロピウスも含まれています。これはわたくしにとっては結構な驚きでして、グロピウスは20世紀初頭にデッサウにバウハウスを創設したことで建築史上名を成した著名な人物です。

 ちなみに柴田南雄さんの書いた『グスタフ・マーラー』(岩波現代文庫、原本は1984年)とは、マーラー理解がかなり異なっているように思います。前島良雄さんはマーラー・サイドに立った(ある意味、マーラー応援団の代表のような)記述をしていて、マーラーが行く先々の楽団とトラブルを起こしてそこを追われるように出て行ったというようなことは何も書いていません。それがどこまで正しいのか、わたくしには分かりませんが、かなり聖人君子的なマーラー像になっているようにも感じました。

 

  第二位は『ベートーヴェン 巨匠への道』(門馬直美著、講談社学術文庫、2020年8月[原著は1987年])です。ベートーヴェンなんて知ってるよって皆さん思うかも知れませんが、この本には(少なくともわたくしは)知らないことがたくさん書かれていて面白かったです。文章も読みやすいです。

 ベートーヴェンはわずか二百数十年前の人ですが、謎がたくさん残っていることがよく分かります。ベートーヴェンはボンで生まれましたが、その正しい生年月日は分かっていません。彼は生涯、結婚しなかったようですが、死後に彼の遺品から発見された手紙に「私の不滅の恋人」と書いてあって、この「不滅の恋人」とは誰なのかは今なお論争が続いています。ベートーヴェンが交響曲第10番を書いていたのかどうかも議論が続いています。

 ベートーヴェンが作曲した交響曲第3番「英雄(エロイカ)」の「英雄」はナポレオンのことだと言われていますが、ではベートーヴェンはなぜこの曲をフランスの英雄ナポレオンに献呈しようとしたのかは謎らしい。また、ベートーヴェンはフリーメーソンだったのか?も分かっていません。

 メトロノームの話しも興味深いです。メトロノームはオランダ人技師・ヴィンケルの発明だそうですが、それをたまたまアムステルダムで見かけたメルツェル(ウィーン在住)がアイディアを盗用して製品化し、メトロノームという名前で売り出して1817年にはイギリス、フランス、アメリカなどで愛好されるようになりました。このメルツェルとベートーヴェンとは交流があって、ドイツやオーストリアでメトロノームの売り上げが思わしくなかったので、メルツェルはベートーヴェンを担ぎ出してメトロノームの宣伝をしたそうです。なお、のちにヴィンケルはメルツェルに対して訴訟を起こして勝訴しましたが、そのときにはすでにメトロノームの売り上げは莫大になっていてメルツェルは大儲けしたようです。いつの時代にも抜け目のないひとっているものですな。

 第三位は『音楽の危機 《第九》が歌えなくなった日』(岡田暁生著、中公新書、2020年9月)です。タイトルを見れば分かると思いますが、これは2020年COVID-19のパンデミックによってナマの音楽が危機に瀕したことから書かれた書籍です。新聞等の書評でも話題になったので読んだ方もおいででしょう。音楽はその場所に赴いてライブで聞いてこそ人々と価値や共感を共有でき、真価を発揮するものなので、CDなどの録音もの(著者はそれを「録楽」と呼んでいます)ではそれを体験することはできない、と著者は言っています。そのような曲の代表としてベートーヴェンの交響曲第9番が取り上げられ、いろいろと説明されています。

 日本の年末にはこの交響曲第9番は欠かせない風物詩となっていますが、このような世情でも「第九」演奏会の広告を見かけるようになりました。その点では著者の心配は杞憂に終わりそうで(よかったで)すが、その形態は著者が希望を持って語ったものとは必ずしも合致していないようにも思えます。著者はコロナの時代にふさわしい新しいホールの形態が模索されるべきとしており、その一例として磯崎新が設計した秋吉台国際芸術村のホール「プロメテオ」を紹介していました(下の写真)。音楽をライブの場で安心して楽しむために建築学も大いに貢献できるはずで、今後の発展を期待したいと思います。

   


秋吉台国際芸術村 プロメテオ 磯崎新 設計(永田音響設計のHPより)


新宿にて
 (2020年12月16日)

 この冬一番の寒波が日本列島を覆っている今日、おそらく十ヶ月ぶりくらいに都心へ向かう電車に乗って新宿へと出かけました。政府の主導するGoTo何とかもやっと中断することが決まりましたが、これだけCOVID-19の感染者数が増えた現状で都会に出かけるのはなんとも気の進まないことでしたな。ただ、お仕事は午後一からだったので空いた電車に乗れたことは僥倖でしたけど…。

 日本建築学会「鉄筋コンクリート構造保有水平耐力計算規準・同解説」の改訂版が来年2月早々に出版されるのですが、その講習会を学会として初めてオンデマンド配信で実施することになりました。そこで講師の面々は各自の分担部分の発表をビデオ撮影しなければならず、今日はそのための収録スタジオに出向いたというわけです。建築学会としても初めての試みなのでビデオ録画と編集とを専門の業者に託すことにしたそうです(予算は余計にかかるけど、って学会担当者は言ってました)。

 スタジオにはライトが煌々と照っていて最初はちょっと気圧されました。でも、顔出しは冒頭の自己紹介の部分だけでしたので、その部分を最初に撮ったあとはパワーポイントの画面を見ながらの声だけによる説明になって、別段、緊張することもなく今までのオンライン授業のようにフツーにこなすことができました。というか、説明を進めて行くうちにこれが撮影だということも忘れて、なんとなく忘我の世界に入り込んでいったようにすら感じましたね。そうではありますが時として、あれ、おいら誰に向かって説明してるんだろ、って訝しく思う瞬間もあって、そのときにだけ手応えのなさで気が抜けそうになりましたな。

 わたくしの講義の持ち時間は45分だったのですが、説明してゆくうちにギアが上がって熱中したのか、終わってみたら65分も経過していました。まあ、時間厳守のプロとしては失格ですな、あははっ。ただ、これが講習会の現地での一発勝負であれば、時間の経過を横目で見ながら、もう時間が足りないのでこのコンテンツは飛ばそうとか、少し早口で喋ろうとか(瞬間的に)判断して、時間内に納めるようにします。今回は建築学会の担当者から時間をオーバーしても構わない旨、あらかじめ聞いておりましたので、そのような判断をせずに用意したスライドを全て説明したらいつの間にか一時間を過ぎていた、っていうところです。ということで45分を予定したコンテンツを撮影するのに約1時間半を費やしました(撮影のあとの確認の時間などを含みます)。

 ただこれはオンライン授業と同じことですが、担当分の講演を終えても達成感はほとんど感じませんでした。これがリアルの講習会であれば福岡とか広島とかに出かけて、その地の人びとに聞いていただき、それなりの反応もあるわけで、やっぱり他人さまへの説明は対面のほうが圧倒的に達成感を得ることができますね。

 ということで自分としては(いつも通りに)分かりやすく説明できたと思っているのですが、どうでしょうか。ちなみにこの講習の様子は2021年2月4日から10日までの限定配信となっており、お代は13,000円(建築学会の会員の場合/約450ページの規準書付き)と結構な高額です(こちらです)。ですから、企業にお勤めのみなさんは会社に出してもらってね、なんちゃって。わたくしの担当部分(17条から19条まで)は前述のように一時間くらいありますので、我慢できなくなったら早送りで見てください、がははっ。

 ところでこの撮影スタジオですが、新宿駅西口を出て小田急ハルクの脇を北上すると大ガードに出ます。その交差点を渡って小滝橋(おたきばし)通りを大久保方面に歩いてそこから少し入ったところです。迂生は子供の頃から大学院生まで新宿に住んでおり、この小滝橋通りを自転車や(成人してからは)車でよく通ったものでした。その沿道の風景などは全く記憶にありませんが、懐かしの地にやって来たというセンチメンタリズムに浸ることのできたひと時でした。


初冬のキャンパス
 (2020年12月11日)

 今朝は凛とした冷気のなかにも陽射しの暖かさがほんのり感じられました。大学の正門から入ると普段は右折して研究室のある9号館に向かうのですが、この日和に誘われたのでしょうか、左折して、普段は立ち入らない本部棟エリアに行ってみました。最近は外出することもあまりないので、ちょっとした散歩がわりといったところかな。

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:TMU初冬のキャンパス20201211:IMG_1066.JPG 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:TMU初冬のキャンパス20201211:IMG_1079.JPG

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:TMU初冬のキャンパス20201211:IMG_1100.JPG 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:TMU初冬のキャンパス20201211:IMG_1115.JPG

 ついでに国際交流会館の裏や教室棟のほうにも行ってみました。知らなかったのですが、そこには里山風情の気持ちの良い遊歩道が設置されていたので、歩きやすくてよかったです。キャンパスではひと影をみることもまれで、ひっそりと静かな佇まいが広がっていました。それを独り占めできることが嬉しくもあり、また残念にも感じられるのですから、ひとの心持ちとはつくづく(勝手で)不思議なものだと思います。


混沌とする
 (2020年12月10日)

 12月もすでに三分の一が経過しつつあります。とても寒い日々が続いていますが、皆さまお変わりなくお過ごしでしょうか。大学にはほとんど登校しないために、このページの更新もままなりません。年内にあと何回更新できるか、ちょっと心もとない不安な気分です。

 さて、COVID-19の猛威はとどまるところを知らず、危機的な状況ではありますが、きょうは大学でやむを得ない用事(健康や命よりも大事な仕事なんてあるか…?)があって登校しました。行ってみると大学のメールボックス(実体のあるもののことです)がいっぱいになっていて、時節柄それらの多くはカレンダー類でした。もう、そんな季節になったのだなと実感しましたね。

 12月になって大型構造物実験棟ではまた実験が始まりました。芝浦工業大学の岸田慎司研究室との共同研究です。今朝も岸田先生御自らがこちらまでお出でいただき、作業を差配してくださいました。実は、サーボバルブ付きオイル・ジャッキを制御するための巻き取り変位計の電気コードが切れていることが発覚して、その対応も岸田研の皆さんにやっていただきました。普段は触らないところなので、コードがなぜ断線したのか不明なのがちょっと気持ち悪いですが、それがないとジャッキの制御ができませんから、とりあえず復旧してもらいました。これで実験できるようになったので、まあよかったです。実験って、何かしら不具合とか不良とかが起こるので気が抜けません。

 このような混沌としたご時世ではありますが、寒い実験棟で体調を崩さないように注意しながら作業に従事してください。


残り一ヶ月
 (2020年11月30日)

 十一月晦日になって、早いもので今年も残すところひと月になりました。でも世間の景色は昨年とは全く変わったものになってしまいましたね。COVID-19の脅威は一年近く経過しても衰えることなく、またそれへの対策も掛け声通りには進まず、憂鬱な年末を迎えることになりそうです。

 大学の教室会議や教授会は全てオンラインになっていますので、他学科の先生かたは言うに及ばず、建築学科の同僚たちとも直接に会うことはほとんどありません。Zoomだと雑談することもあまりないので(雑談するためにわざわざZoomをセットすることはない)、普段の立ち話程度の情報交換ができないのはやっぱり不都合だなと思うようになりました。ときどき登校したときに教授の角田誠さんとか壁谷澤寿一さんとチラッと話す程度かなあ。

 こんな感じで他人と隔絶した状態で過ごしていると人間ってどうなるのでしょうか。文明が勃興する以前から人類は集団になって社会を作って暮らしてきたと言われます。これは人類が安全な森林地帯から平原へと進出したことに伴って周囲の危険が増え、自衛するために必要になったいわば本能的な振る舞いだったのでしょう。そうだとすると、集団をつくって他者と交歓しながら過ごすことは、人類が七百万年かけて進化するあいだに染み付いた本能に基づく習性ということになります。どんな生物も己の本能に逆らうことはできませんから、現在、わたくし達に強いられている生活様式が長い目で見たときに自分自身に何を引き起こすのか誰も知らない、ということかと思うと、空恐ろしい気分が昂じてまいります。

 このCOVID-19が人類に与えた試練を逆手にとって新しい生活様式を打ち立てようって(前向きに?)言うひともいますが、そんなことが可能なのか疑問になっても参ります。未知の伝染病に対しては人類はやっぱり無力だったということでしょうか(もちろん科学の進歩によってCOVID-19による死者数は大きく減っているでしょうけど…)。ペストや天然痘が猖獗を極めた昔の時代と現代とでは本質的には何も変わっておらず、それらの災禍が通り過ぎるまでじっと耐えて待つしかないような感じですかね。

 ところで世界の至る国で第三波がやって来ていますが、中国ではどうなのでしょうか。最近は中国のことが話題になりませんが、オーストラリアやニュージーランドなどと同様に感染拡大をうまく抑え込んでいるのであれば、そのノウハウを学ぶことは有益だと思うのですが、どうでしょうか。


落ちる、落ちない
 (2020年11月24日)

 暑かった日々が過ぎてそれなりに肌寒さを感じる晩秋の時候に戻りました、まあこれがフツーってことでしょうね。COVID-19の第三波がかなり大変なことになってきたようですが、養老孟司先生の「たいしたことない、インフルエンザでも死ぬ、コロナでも死ぬ」というような達観した人生観には未だ到達していない迂生ですので、おたおたと日々をおくっております。

 さて本学では今日から推薦入試などが対面で始まりました。この状況なのでオンライン入試に突如変更されるのではないかと怖れていましたが、それは回避できたようでホッとしました。できるだけの対策は講じた上で試験を実施しますので大丈夫だと思います。でも、来年早々から本格的に入試が始まりますが本当にできるんだろうかとやっぱり心配ですね。

 だんだんと受験生もナーバスになって来るでしょうから、落ちるとか、受からないという言葉は禁物です。我が家の愚息は高校受験を控えていますが、スマホ三昧のせいでいつも母親から「そんなことじゃ落ちる」とか「受かりっこない」とか叱声を浴びています。でも時節柄もっとデリカシーを持って接してよっていつも言ってます。

 以前のことですが、大学受験の日に校内を歩いていたら前を行く受験生くんが受験票をぽろっと落としました。受験票っていったらその日にはとても大切なものですから、とっさに「落ちましたよ」って言いそうになりました。でも、たとえ受験票だとしても「落ちましたよ」とは試験直前の受験生にはまずい言葉だなととっさに判断して、「お〜い、これ、あなたのでしょ?」と呼び止めて事なきを得ました。その受験生くんに動揺を与えないでよかったと思いました。でもこのひと、大丈夫だったかなあ、試験会場で大事な受験票を落とすようでは…。


十一月も半ばを過ぎて
 (2020年11月20日)

 なんだか季節外れの熱い日和の続くここ数日ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。わたくしは授業のときだけ登校する習慣を続けていて、それ以外の会議や打ち合わせは全てオンラインでやっています。今となってはオンラインで困ることはほとんどありませんが、会議中に隣のひととこっそり相談したり、相手の顔色を見ながら(忖度しながら)発言するとかはできませんから、それはそれで困るかも?

 先日、電気協会の原子力関係の会議で幹事の今村晃さん(大学のときの研究室の同級生)が突然に新設WGの委員を決めると言い出して(聞いてないよ〜、別にいいんだけど…)、ほとんどピンポイントで委員を指名するようなことを唐突に発言しました。そんなとき対面であれば、隣に座っていればこっそり「おい、根回ししたのかよ」とかささやけるのですが、オンラインではできませんから、全員に聞こえても仕方ないので「根回ししたのですか」って聞かざるを得ませんでした。そしたら今村が「いや、(委員はどうするのかと主査の北山に)聞かれたので、答えてみた」なんて答えやがるので、もう困惑…、あははっ、まあいいけどね。

 ところでCOVID-19の第三波到来が明らかとなった今、大学で授業をこのままやってよいものかどうか迷い始めました。先日ここに書いた『構造設計演習』のRC構造編ですが、このままではやっぱりオンラインで授業せざるを得ないなと勝手に判断して、ここのところはそのためのパワーポイント・コンテンツの作成に苦労しているところです。十数回の授業のためのコンテンツですから、それ相応の結構な作業量になっています。建築学会のオンデマンド講習会のコンテンツ作成も同時進行なので、もう一日中パソコンに向かって作図?しているような状況です、これはこれで疲れるなあ…。

 さて昨日、2021年度の卒論生(現在の三年生が対象)が決まりました。我が社は例年にも増して人気がなく(って、まあいつものことですけど…)、結局第一志望の学生はひとりもいませんでした。第一次配属にあぶれた学生諸君(今年は結構多くて15名もいました)が第二次配属に回って、それでも(定員四名のところ)結局、三名だけが配属になったという次第です。そういう状況ではありますが、新しく研究室の仲間に加わった三年生諸氏には心機一転、なにかをやってやろうという気構えを持って今後の研究室ライフを過ごしてくれるといいなと期待しています。


また増えてきた
 (2020年11月13日)

 十一月も半ばになると寒くなってきますね。この時期って、こんなに寒かったかなあと思うのですが、単に一年前のことを忘れているだけということでしょうな、あははっ。

 さて日本でのCOVID-19の感染者がまたまた増えてきました。そのため電車に乗るのが再び怖くなりました(仕方ないので乗ってるけどな)。設計製図(は来週、担当が終わります)と大学院の授業は対面で実施しています。十二月からは『構造設計演習』のRC構造編が始まりますが、これは対面でできるかどうか分かりません。現在は高木次郎先生が鉄骨編を担当されていますが、彼はオンラインで演習をやっているそうです。いろいろと工夫しているようなので、演習でも上手くいっているとのことでしたが、迂生はできれば教室に集まって対面で授業したいなと考えています。

 先日の新聞の投書欄に大学一年生のひとが、まだ一度も対面の授業がなくて不満である、通信制の大学に入ったわけじゃないのだから、ということを書いていました。確かにその不満はよく理解できますよね。大学に集い、友人や先輩、あるいは教員と議論しながら自己を磨いてゆくのが大学教育の本来あるべき姿でしょう。『構造設計演習』は三年生の科目ですから状況は一年生とは違いますが、それでも三年生諸氏の意向は聞いてみたほうがよいかもしれません。ただオンラインで授業するとなると、それまで板書していた内容をまたもや全てパワーポイントのコンテンツに作り直さないといけないので、それはそれでとっても面倒だなあとか思ったりしている今日この頃でございます。


知見の統合
 (2020年11月9日)

 米国の大統領選挙はすごい接戦になっていますが、どうやら民主党のバイデン候補の当選が確実になったようです。現職大統領のトランプ氏はこの四年間で自国のみならず世界中をかき回してそれまでの秩序を破壊してきましたから、これでやっと世界が修復される見通しが立ったのだろうと思います。

 さて、日本建築学会の規準・指針類についてのお話しです。以前にも書きましたが『鉄筋コンクリート構造保有水平耐力計算規準・同解説』の改訂作業はほぼ終了し、来年二月初旬にオンデマンド配信による講習会を実施することも決まりました。そのためのビデオ撮影は師走に予定されていますが、45分のコンテンツを作るために三時間も必要と言われてちょっとイヤだなあと思っている今日この頃です。どうやらCOVID-19の第三波がやって来ているようなので、収録のために新宿まで出かけることも懸念事項です。

 ということでこちらの規準についてはカタが付きつつありますので、次は『鉄筋コンクリート造建物の等価線形化法に基づく耐震性能評価型設計指針(案)・同解説』の番になります。べらぼーに長いタイトルなので記述するだけでスペースを取りますが(あははっ)、こちらは現行法規の限界耐力計算に対応する学会指針です。先日の勅使川原委員会でこの指針(案)を見直して、問題点等を洗い出しました。そこで、委員の皆さんから寄せられた質問や意見に従ってわたくし達が執筆を担当したところを吟味し、どのように修正あるいは追記したらよいかを国総研・坂下雅信さんに考えていただいております。彼は優秀なのでこれを契機としていろいろと問題点を鋭く指摘してくれます。

 この指針(案)のなかに柱梁接合部を通し配筋される梁主筋の径と柱断面せいとの比を制限する規定があるのですが、これと十字形部分骨組のエネルギー吸収性能を表す等価粘性減衰定数heqを定量的に評価する手法との関係について質問がありました。そこでハタと困ったわけです。これらは1999年の靱性保証指針や2004年の耐震性能評価指針(案)に記載された内容を引用しているのですが、それらはその時々の最新の知見ではあったものの、その後にそれらの関係性とか整合性について包括的に議論したり検討したりされていませんでした(これは少なくとも迂生は考えていなかった、という意味です)。

 それらの規定はもとをただせばわたくし自身が執筆したものでしたが、なんせ二十年以上前のことなのでその内容やロジックは(恥ずかしながら)すっかり忘れ去っておりました。自身が書いた論文の中身だって憶えていないものが多々ありますので、まあ仕方ないか(と言い訳したりしてみる…)。とはいえ、この内容は現行のRC規準(2018年版)や冒頭の保有水平耐力計算規準にも取り込まれているので、ここらでもう一度、まとめて考え直さないといけないなと気づいた次第です。言い方は悪いのですがこの四半世紀に渡って書き散らしてきた知見を見直して、できるものは統合しようということです。

 さらに言えば21世紀になって認知されてきた柱梁接合部の降伏破壊(塩原等兄貴が提唱したもの)との関係についてもそろそろ考えないといけないでしょうね。ということで、またひとつ新しい研究テーマが見つかりました。いやあ〜幾つになっても研究することがあるって、ホントありがたい限りでございます、はい。


家のしたの穴
 (2020年11月6日)

 11月になって急に寒くなったせいか体調がよくありません。よく罹患する風邪のようですが、こういう状況なので(外出する理由もないので)自宅で静養しています。

 さて、我が家の比較的そばの東つつじヶ丘で、ある日突然、道路が陥没するという事故が起こり、それに付随する調査でさらに地下の空洞が発見されるという事態に至りました。新聞・テレビ等で報道されていますが、関越道から中央道を超えて東名高速までを結ぶ外環道のシールド・トンネル工事がそのちょうど真下を通っています。すぐそばの野川(迂生のこのページにもときどき登場しますね)でも川底から気泡がぶくぶくと湧き上がっているのが確認されました、不気味だな〜。

 高速道路会社はこの道路陥没や地中の穴と大深度トンネル工事との因果関係は不明と言っていますが、そんなわけありませんよね。トンネルは地下50メートル付近を掘り抜くそうです。それくらい深いと地表に与える影響も少ないだろう、ということは確かにそうでしょうが、付近に暮らす人々には工事の振動などが不快感を与えていましたし、家屋にひび割れが生じるなどの被害も出ていたそうです。

 それにしても自分の住む真下にトンネルが深々と穿たれるとは、ひと昔前には考えられませんでした。しかし被害は厳然として生じ、地下の空洞という不穏な兆候も発見されました。技術の進歩とともにこのような大深度トンネルを淡々と掘削できるようになったわけですが、新しいことには常に予測不能の事象がともないます。そのことの確認・検証は謙虚に実行して欲しいと思います。建設が進む中央リニア新幹線のトンネルも同じように住宅の真下を通るように設計されています。今後、同じような事件・事故が頻発しなければよいと願わずにはいられません。


ショッピングもオンライン
 (2020年10月23日)

 今朝は寒くはないのですが、気の滅入るような雨がしとしとと降っています。授業のほかにも紙版の書類の提出などの用事が溜まったため登校しました。愚息の中学校では今日の午後に二時間ちょっとのミニ運動会を開くそうですが、この雨じゃあ順延かな。ちなみに保護者の参観は各家庭ひとりということになっていました。

 さて、今どきはショッピングをオンラインでするなどはフツーのことでしょうが(といっても迂生はしません、だってカード番号等の個人データをワールドワイドウェブに疾走させるのには未だに抵抗があるからです)、このショッピングは研究室探しのことです。10月になって建築学科では、来年度の卒論生(現三年生)の研究室配属のプロセスが始まったためです。このご時世なので、研究室ショッピングもリアルはダメでオンラインで実施ということになりました。

 わたくしの研究室ではすでに二回、研究室説明会をZoomで開きましたが、リアルで実施していた例年と同じような集まり具合だったので、まあ安心しました。質問がほとんどないのも毎度のことで、ショッピングもオンラインで大丈夫なんだと思いました。ただ、参加した学生諸君の顔が分からないので(要望に応えて画面オフにしているため)、この中から我が社に来てくれた場合には「あなた誰だっけ?」と聞かないといけないのがちょっと嫌だなあ、あははっ。

 わたくしの研究室では希望者は10月29日までに申請書類を提出するように言ってあります(多分、ほとんどいないでしょうけど)。そして11月初めの教室会議で早々と2021年度の卒論生が決まってしまいます。これから冬になってまた春を迎えるのですが、世間はどんな状況になっているのか、新卒論生がアクティヴに活動できるとよいなあと願わずにはいられません。


教室にて
 (2020年10月19日)

 週明けの今朝はかなり寒くなりましたね。我が家ではついに我慢ができずに今シーズン初めて暖房を入れました。我が大学では今朝から正門がフル・オープンになりました。今までは脇の通用門みたいな出入り口だけが開いていて、学生さんをウエルカムっていう雰囲気ではありませんでしたから、まあいいんじゃないでしょうか。ただし大学には無関係の一般のひとには、相変わらず立ち入り禁止になっています。

 さて、先週、久しぶりに大学で90分間フルの講義をやりました。大学院の授業ですが、受講者が10名と少ないため、それくらいだったら三密を避けられるし、大学院生くらいになったらやっぱり大学で皆と議論しながら研究して欲しいという思いがあったからです。その日の午前中には壁谷澤寿一さんの授業が同様に教室で開催されていたので、それなら皆、どうせ登校するのだから不満も減るだろうもと考えました。

 なま身の学生諸君の前で授業をするのは約九ヶ月ぶりでしたが、パワーポイントのスライドを映しながらときどき白板にマジックで説明を加えたりして授業を進めました。この形式のほうが説明を丁寧にできますし、学生諸君の反応もある程度分かるのでやっぱり、対面授業がいいかなと思います。ただ、マスクを付けての講義なので、普段にも増して大きな声を出さないといけないようなのがかなり疲労感を助長しました、そのうち慣れるのでしょうが…。


想ひ出の給食
 (2020年10月16日)

 日本の公立小中学校では全国に給食が普及していますので(もちろん横浜市のように給食が出ない自治体もありますが)、皆さん、給食にはいろいろな思い出があると思います。なぜこんなことを言い出したかというと、昨日、愚息の給食の献立をみたらラーメンだったのです。ラーメンなんてどうやって配給するのだろうと不思議に思って聞いたら、何のことはない、麺だけ大きな容器に入っていて、それを当番の生徒が銘々のお皿に取り分けるということでした。その麺にスープを注ぐわけですな。

 まあ、それはいいのですが、そもそも給食にラーメンが供されることが驚きでした。というのも迂生のように戦後(1945年に終結した太平洋戦争のことですよ)十数年して生まれた世代にとって、給食といえばパン食だったからです。さらに言えば、小学校の二年生くらいまでは牛乳ではなくて脱脂粉乳を飲んでいたのです。わたくしよりもお若いかたは多分、脱脂粉乳など知らないでしょうね、我が家のお上も知りませんでしたから。これがまた変な匂いのする全くもってまずいシロモノだったんですね〜。それを思えば牛乳は天国の飲み物ですよ、ホント。

 その頃はまだ栄養状態が悪かったせいか、給食の後には肝油ドロップ(って、そもそも何なのか知らんが)がときどき出て、ひとり二、三個が配給になりました。それには何だか甘い味がついていて、子供だったわたくしは結構喜んで食べていました。下校するまで肝油ドロップをこっそり取っておいて、それを舐め舐めしながら帰り道を歩いたものです。

 小学校の頃の給食で一番好きだったのは、やっぱりソフト麺ですね。ブヨブヨの太いうどんみたいなものをその当時はどういうわけかソフト麺と呼んでいましたが、それにミートソースをかけて食べるのです。うどんにミートソースなんてミスマッチもはなはだしいような気がしますが、当時は別になんの違和感もなく美味しいって食べていました。ソフト麺にはたいがい冷凍みかんがセットで付いていたのも嬉しかった要因かも。

 そして愚息たちが食べる現代の給食と迂生の時代とで決定的に違ったのが、当時はラーメンどころかご飯食もなかったことです。なぜパン食しか給食で出なかったのでしょうかね。当時は学校ごとに給食室があってそこで調理していましたから(“給食のおばさん”が必ずいた)、大量のご飯を炊くことができなかったのかも知れません。愚息の給食は自治体の給食センターで一括して調理したものを各学校に配送するスタイルですので、いろいろ面倒なメニューでも可能なのかも知れません。あるいは当時はまだ米不足の時代でしたから、お米は高価で給食には向かなかったのかも…。はたまた逆に、(隷属していた)アメリカに輸入させられた大量の小麦を消費するためにパン食だったのかも知れません。

 給食で嫌いだったものの第一位はクジラの竜田揚げです。もう、これが出ると泣きそうになりましたね。多分、安い冷凍のクジラ肉だったのでしょうが、とにかく硬くてくちゃくちゃといくら噛んでも噛み切れず、のどを通らなかったものです。ゴム靴の底を食べると多分、あんな感じじゃないんでしょうか…(食べたことないけどな)。結局、口腔内のそのクジラ肉を仕方ないので涙を流しながら飲み込んだのでした。当時は給食を残してはいけないという「食育」がまかり通っていて、給食を食べられない児童はそれを食べ終わるまで机から下げられない、ということをする先生もいました。今だったら明らかな児童虐待(あるいはイジメ)ですが、とにかく当時はまだ軍国主義の残滓みたいなものが色濃く残っていましたから。体罰なんてフツーでした。

 捕鯨が原則禁止になった今ではクジラ肉は貴重かつ高級品で、新鮮なものはそれなりに美味しいらしいそうです。でも、このような悲しい記憶のおかげで迂生は今でもクジラ肉だけは食べたくありません。

 ちくわの磯辺揚げや揚げパンも嫌いでした。ちくわの磯辺揚げはひとり二本が配給になるのですが、まずいし油っぽいし、とにかくダメでした。揚げパンは周りにザラメの砂糖がまぶしてあって好きな人にはたまらないのでしょうけど、迂生はあのベタベタとする感触と油っぽさがたまらなく苦手でした。

 こんな感じで嫌いだった食べ物はあったものの、給食の時間は総じて楽しかったですね。四人くらいがそれぞれの机をくっつけて島を作り、班ごとに食べました。担任の先生は毎日違う班のところで一緒に給食を食べたりしていました。友人が牛乳を飲んでいるときに変な顔をして笑わせて、牛乳を吹き出して相手にぶっかけてしまうという「鼻から牛乳」事件?も結構あったように記憶します。

 ちなみにここまで書いてきたのは全て小学校のできごとです。中学校も給食でしたが、そこで何をどのように食していたのか、今ではさっぱり思い出せません。これってどういうメカニズムでしょうか…。


急に浴びる
 (2020年10月12日 その2)

 今日は二年生の設計(コミュニティセンター)のエスキスがあって大学に登校しました。今、約四時間のお勤めを終えて研究室に戻って一息入れているところです。

 さて、日本学術会議の推薦した会員候補者のうちの六名を菅義偉首相が任命しなかったということで、日本学術会議がにわかに脚光を浴びています。この問題では日本の為政者たちが、学問の自由のなんたるかを理解しない(できない?)、素養のない人たちの集団であることを計らずも白日のもとに晒しました。この際だから日本学術会議そのものを見直すと政府与党側が言い出したのも全くもってピントがずれてますよね。自分たちに都合の悪い言説には耳を貸さずに排除するというやり方は前の安倍政権からの悪しき遺産そのものですし、なんだか嫌な感じがしますな。

 ところで日本学術会議は「学者の国会」のように紹介されることがありますが、それって本当でしょうか。迂生のような市井のフツーの研究者は普段(って言うか、死ぬまで)それを意識することはありませんし、なんの関わりも無く日々が過ぎてゆきます。その会員が210名いることや予算が10億円ということも今回初めて知りました。朝日新聞には「研究者の頂点」とも書かれていました。はあ?、日本学術会議の会員になることを目指しているひとなんて存在するのでしょうか…。

 わたくしの関係するところで言えば、日本建築学会の会長は確かその会員に推薦されるように記憶します。それくらい上の方にいるひと達で構成されるわけですから、全く無縁というのも分かりますよね。そもそも日本学術会議で何を議論して、どのような提言をしているのかもさっぱり知りません(そのサイトに行って自分で調べろっていうことか…)。国会だったらその議員はわれわれの選挙で選出されます。日本学術会議では各学会からの推薦で議員が決まるとすれば学会員による間接的な選挙ということかも知れませんが、やっぱり迂遠な感じは否めませんなあ。そうすると、学者を糾合するための日本学術会議という合議体が存在すること自体が重要なのかも知れません。

 科学に基づく論理的な帰結をおりにふれて政府に提言するというタスクは重要でしょうが、なんだか日本学術会議が世間さまからは大いに誤解されているように感じます。


四十年
 〜遠い彼方だったが…〜 (2020年10月12日)

 台風が来て激しい雨の降ったこの週末は、とても寒くなりましたね。我が家では家内が暖房を入れるというのを、週明けにはまた暑くなるだろうからちょっと待ったらと言ってなだめたところです。とはいえ朝晩は13度くらいまで気温が下がりましたので、十月になってすぐに冬の布団に替えておいたのが功を奏しました。

 さてわたくしがいつも聴いている佐野元春さんが今年デビュー四十年を迎えたそうです。彼がデビューしたのは、わたくしが大学生になった年でした。彼のことを知ったのはその直ぐあとだったと思いますが、1981年の五月祭に農学部グラウンドで開かれたロック・フェスティバルに出演することを知って、見に行こうかどうしようか迷ったことを憶えています。このときはまだ教養学部生として駒場キャンパスにいましたから、本郷には縁がなかったこともあって結局、行きませんでした(今思えば残念なことをしましたが…)。



 これは佐野元春さんのデビュー作であるアルバム『Back to The Street』のカヴァー・ジャケットです。横浜の元町あたりで撮影した写真だったと思いますが、当時はまだ赤煉瓦倉庫(明治初期の建築家・妻木頼黄[つまき よりなか]が設計した建物)は見捨てられたままに荒れ果てて周辺にも立ち入れないような状況でした。

 その後、1982年になって(わたくしは本郷に進学して建築学科生になっていました)佐野さんは次第に有名になってゆきます。というのも大滝詠一師匠の発案で杉真理、佐野元春の三人で『ナイアガラ・トライアングル Vol.2』を発表し、さらに自身のサード・アルバム『Someday』も世に出したからです。アルバム・タイトルの「サムデイ」がヒットして一躍有名になったような気がします。そのお陰でしょうか、深夜ラジオのミスDJリクエストパレードでも彼の「ハッピーマン」や「スターダスト・キッズ」がヒットチャート上位に入ってよく流れるようになったのを憶えています。

 本郷では製図室に入り浸って遊んだり(T定規をバットに、スタイロをボールにした野球とか)、夜遅くまで設計したりしていましたので、新宿のアパートまで自分の車(って、もちろんオヤジの車ですけど、あははっ)で帰ることが度々でした。そんなとき、深夜の早稲田通りを疾走しながら聴く「真夜中に清めて」(『Someday』のなかの一曲)はそのけだるい雰囲気と“Midnight Tripper”という弱々しいシャウトがその状況にフィットしたこともあって最高だったなあ。

 その頃、ただの若造のわたくしは何者でもなく、しかし何者にもなれるのだという無邪気な希望を抱きながら生きていたのでしょうが、四十年先はあまりにも遠い彼方で、かつ漠としてその姿は全く見えませんでした。その後の四十年で親しかった多くの人たちが黄泉の国の住人となり、聴き親しんだ山本俊彦(ハイファイセット)、大滝詠一、須藤 薫、村田和人、佐藤 博といった人たちもこの世を去ってゆきました。悲しいことですが、ひとが人生を生きるということはそもそもそういうことなのです。甘んじて受け入れるしかありません。それは心情としては不条理ですが、必然なのですから…。

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 佐野元春さんの曲は多分、全て聴いていると思いますが、この四十年間でわたくしにとってのベストソングは「バルセロナの夜」です。この曲は1981年のセカンド・アルバム『Heart Beat』の一曲です。ミディアム・スローでキャッチーなラブソングなのですが、どういうわけか彼のベスト・アルバムやライブ・アルバムには収録されたことがありません、なぜだろうか…こんなにいい曲なのに。

 “バルセロナの夜”は一度だけ体験しました。1992年(わたくしは東京都立大学に赴任したばかりでした)にスペイン・マドリッドで世界地震工学会議が開かれて出席したのですが、そのときついでにヨーロッパの建築を見てこようということで倉本 洋さんと境 有紀さんとの三人でスペイン・バルセロナに立ち寄ったのです。バルセロナでの夜、頭上に輝く満月を見て思わずこの曲を口ずさみました。もっとも「バルセロナの夜」の歌詞では月のない夜が舞台なのですけどね…。

 そのときのバルセロナではアントニオ・ガウディの建築を幾つか見てきました。未だに建築中のサグラダ・ファミリア教会はプレキャストの鉄筋コンクリート構造なので、配筋の様子とか施工風景などを写真に撮ってきました。これらは授業で使うパワーポイントにちょっとしたエピソードとして挿入して使っています。サグラダ・ファミリア教会、今はどれくらい出来上がったのかなあ…。


  建設中のサグラダ・ファミリア教会(1992年、北山和宏撮影)


 サグラダ・ファミリア教会の塔の上から見たバルセロナの街(1992年、北山和宏撮影)


お彼岸を過ぎて
 (2020年9月28日)

 お彼岸を過ぎてからやっと秋らしい、クリアでちょっと涼しげな空気がやって来ました。朝晩は長袖が欲しくなってきましたね。さて、今日は大学に提出する書類とか諸々の雑用があって久しぶりに登校しました。会議も打ち合わせも全てオンラインになっていますので、ホント便利です。でも、後期の授業も原則はオンラインなので、そのためのコンテンツを作る必要があってそれはそれで面倒ですな。

 ただ、実習や実験は(必要に応じて)大学で実施できることになりましたので、後期には「建築設計製図」と「建築構造実験」とは学生諸君に登校してもらいます。「建築設計製図」は二年生が対象で、彼女ら/彼らにとっては本格的な設計がここから始まることからオンラインではその指導が十分できない、という結論に達しました。確かに模型の作り方やエスキスは慣れればオンラインでもできるでしょうが、初心者にはやっぱりやって見せることが必須ですし、それこそが教育の原点ですよね。

 このようにオンラインの便利さを享受しているわけですが、研究のほうは正直言って進んでいません。ですから10月以降は対面での研究室会議を開いたほうが良いかなと考えているところです。そうしないと学生諸君もやる気が出ないんじゃないでしょうか(よく分からん…)。

 今年は(わたくしにとっては)三年に一度やってくる科研費補助金の申請のとしに当たります。そろそろと研究計画調書を書き始めたのですが、沈思黙考の果てにほとんど進まない状況になったりします。これはいつものことなんですが、産みの苦しみとでも言うのでしょうか、何もない(って訳でもないが)ところから文書を綴るのはいつもながらに大変かつ苦しい作業です。まあ、締め切りまでにはなんとかなるんでしょうけど、あははっ。

 科研費の審査では(いつからそうなったのか知りませんが)リサーチマップの記載内容を参照することになったそうなので、先ほど一所懸命にわたくしのページを更新しました。業績などをコピペする単調な作業ですが、時間は結構かかりました、何やってんだかなあって感じ…。

 さて、日本建築学会の和泉信之先生の小委員会で作業している「鉄筋コンクリート構造保有水平耐力計算規準(案)・同解説」の「案」の字をとって国土交通省のエンドースを見込んだ?改訂ですが、現在、校正作業に入っていて、2020年度中の発刊を予定しています(未定ですが来年1月下旬から2月上旬くらいか)。通常であればその際には日本各地で講習会を実施するのですが、このような世上ですので、今回はオンラインでの開催になります。どうやらオンデマンド配信になるようなので、講義の様子を撮影する作業が必要だそうです。それはそれで面倒だなと思うのですが、どうなるでしょうか。


九月のこえ
 (2020年9月2日)

 九月になった途端にちょっと涼しくなってしのぎやすくなりましたね。先週の後半は夏休みをとってゆっくり家で静養しました。大型構造物実験棟での実験が終わってホッとしたことが一番の理由です。実験自体は若いもんが汗水流して頑張ってくれましたが、実験中は(たとえ現場には行かなくても)いつも緊張を強いられているので、精神的な疲労も大きいと思っています。実際、昨年のお盆には実験終了とともに肺炎にかかってしまい、一ヶ月のあいだ療養を強いられたことを思い出します。

 さて八月の末に安倍首相が突然に辞めると言ったことから、自民党ではものすごい早さで次期総理大臣を巡る騒動が続いています。しばらく黙っていた管官房長官が出馬すると言った途端に雪崩を打ったように各派閥がその支持を表明したのにはホント驚きましたな。まさに勝ち馬に乗り遅れるなって感じで、その露骨さが浅ましく見えます。意欲満々の岸田さんとか石破さんがなんだか可哀想に見えてくるから不思議ですが、それも生き馬の目を抜く政界にあってはフツーのことなんでしょうな。むしろ、あらゆる場面?を想定して自身の利益のみに拘泥し生き抜くことを模索しているのが現在の政治家かも知れません、なんだか小さいなあ〜って思っちゃいますよね。

 管さんがどういう方なのかとんと存じませんが苦労人だということですから三世議員の現首相よりはマシかも知れませんが、いずれにせよ代わり映えしないことは確かです。枝野さん率いる野党にはもっと早く体制を整えて欲しいものですが相変わらず野党合流は進まず、しばらくは期待薄ってことでしょうか…。


どちらの耐久度?
 (2020年8月25日)

 大型構造物実験棟での実験ですが、猛暑のなかで試験体が先に壊れるか、それとも人間のほうが暑さに耐えられなくなるかのギリギリ?の勝負となったなかで、本日の午後3時に無事に実験が終了しました。きょうはチーフのM2・石川巧真さん、B4・富澤良介さん、明治大学晋沂雄研究室のM1・佐野由宇さん、B4・村野竜也さんが参加しました。残念ながら晋 沂雄先生はお出でになりませんでしたが、だいたいのところは既にご覧になっていたので、まあいいんじゃないでしょうか。

 三体目ともなると、どのあたりで柱梁接合部が軸崩壊しそうか予想がつくようになりまして、今日もその予想通りのところで思惑通りの破壊が発生しました。とにかく人間が壊れなくてよかったです。本来であれば(COVID-19の発生・拡大がなければ)この実験は春の一番季節の良いときに実施できるはずでしたが、こんな世情のせいでもっとも暑い時季での実験になってしまったのは本当に残念でした。でも、学校の封鎖が続いていれば実験もできなかったわけですから、まあ贅沢は言わないことにいたしましょう…。

 実験終了時の恒例の記念写真を載せておきます。ホワイト・ボードには「卒業」って書いてありますね、あははっ。でもそのためには修論や卒論を書かないとダメなんだぞ。石川さんは喜びで悶絶しそうな感じでよいですな。とにかく皆さん、ご苦労さまでした。後片付けなど残った作業もよろしくお願いします。

 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:RC隅柱梁接合部実験2020_石川巧真:3体目_試験体T3_柱中段筋D13が二本:IMG_5597.JPG


ひとつの論文でふたり
 〜名古屋大学・博士論文の盗用疑惑事件から〜 (2020年8月21日)

 とても暑いですが、うちの若いもん達は大型構造物実験棟で高貴な汗を流しながら実験に励んでいます。冷房設備はもちろんありません、自然換気と扇風機3台だけです。いやあ、えらいですなあ、でも熱中症が心配です…。迂生はお昼前に一時間ほど実験を見てきましたが、いやあ暑いっす。マスクしてヘルメットをかぶると暑苦しさが倍増して耐えられませんな。最後の試験体ですが、来週前半くらいに壊れる予定になっています(って、こちらの都合通りにいかないのが実験なんですけど)。

  説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:RC隅柱梁接合部実験2020_石川巧真:3体目_試験体T3_柱中段筋D13が二本:IMG_5233.JPG

 さて、わたくしがいつも見ている白楽ロックビル先生の「白楽の研究者倫理」のサイトですが、名古屋大学における博士論文の盗用疑惑事件が載っていました(こちら)。薬学分野で科研費を取得した研究チームの共同研究者五名で論文を執筆したのですが、その論文の第三著者が第一著者(Corresponding Author)の許諾なく勝手にこの論文を使って博士論文を執筆して、博士号を名古屋大学から授与された、という事案です。その論文は五名で分担して作成したそうですが、第三著者は第一著者が書いた文章を引用等の明記なくそのまま自身の博士論文の一章に使っていたそうです。これが盗用に当たるわけですが、詳しくは白楽ロックビル先生のサイトをお読みください。

 ちょっと特殊なのは、この論文の第一著者もこの成果を使って博士論文を執筆して博士号を取得していることです。すなわちひとつの論文を使ってふたりの研究者が博士号をゲットしたのです。白楽ロックビル先生はこのことがそもそもアウトだと言っています。確かにひとつの成果を数人でシェアして博士論文を書いたりしたら、その数人で合わせてひとつの博士号(って、あり得ませんけど)みたいなことになっておかしいですね。また、わたくし自身の研究生活を振り返ってもそのような事案はなく、言われてみればその通りであると思いました。

 さらに驚いたことがあります。われわれのような工学分野であれば、博士号は大学のファカルティ・スタッフ(准教授および教授)になるための必携のライセンスで、それを持っていなければ門前払いになるのが普通です。ところが、この論文執筆時に第一著者は東京理科大学・教授で第三著者は北海道科学大学・准教授でした。すなわち博士号を持っていないのに教授等のそれなりのポジションにあった、ということになります。まあ大学や学問分野によって事情はまちまちでしょうから、それがおかしいと言っているわけではありませんが、ちょっと不思議には思いましたね。

 ほかにも目を引いたことがあって、それは五名で執筆した当該論文の各人の貢献度が文字数として厳然として示されていたことです。それによると第一著者は全体の51%(5807字)を、第三著者は全体の18%(2071字)を執筆したとあります。迂生の経験で言えば、学生諸君が書いてきた論文をほとんど書き直す(あははっ)ことは多々ありますが、そのときに(面倒臭いので)どこをどのように修正して、あるいは削除・追加したかなどはいちいち記録していません。でも、この五名の人たちは一言一句の履歴を残していたようなので、上述のような貢献度が数字として示せたのでしょうね。まあ、ワープロ・ソフトの変更履歴をオンにしておけば、それらは容易に追跡できるのでしょうけど…


  なお、上記の五名の貢献度合いがわかる文書(当該論文の文章や語句に色付けして五名の執筆部分を明示したもの)は白楽ロックビル先生から(期せずして)いただきました。お手数をおかけした白楽ロックビル先生にはお詫びと御礼を申し上げます。

 ということでわたくしにとっては驚いたり感心したりすることが多々あったのですが、この疑惑に対する迂生の感想は以下のようなものでした。第三著者は他人(第一著者)が書いた文章を引用等の明示なく自分の博士論文に記載したわけですが、その神経が同じ研究者としては理解できませんし、とても気持ち悪く感じました。この盗用者(第三著者)と被盗用者(第一著者)とは同じ科研費プロジェクトで一緒に研究した懇意の研究者同士というのも不思議に思います。そんなことをすればすぐにバレます。どうして、そのような盗用を行なったのでしょうか…。

 そうすると盗用者は自身のしたことを、他者の論文の盗用とは明確には意識していなかったのかも知れません。共同で書いた論文だから、まあいいかっていう感じでしょうか(そうだとしても、普通に考えれば気持ち悪いですよね)。ただ、盗用者の博士論文を見たわけではないので定かには分かりませんが、問題の盗用は博士論文内のある一章だけで為されたようです。そうであれば、研究者としての論文の作法(リテラシー)を盗用者には再確認してもらって、博士論文も然るべく修正を行なった上で再度審査すればよいと感じました。以上の点から、盗用者は限りなく黒に近いグレーだなというのが迂生の判定です。


オンライン試験の顛末
 (2020年8月18日)

 ベラボーに暑いですが、大型構造物実験棟では元気な?若者たちが実験に汗を流しています。7階の研究室に入ったら気温が40度でした!今週は殺人的な暑さなので、実験は一時中止して来週から再開したらどうですかってチーフのM2・石川巧真さんに提案してみたのですが、あまり乗り気じゃないみたいでした。まあ、やる気のある若人の意欲をそぐ老人みたいに思われてもイヤなので、それ以上強くは言いませんでしたけど、大丈夫かなあ…。

 さて先週実施した「建築構造力学3」(不静定力学)のオンライン期末試験ですが、100点満点で平均点が59点という結果でした。ちなみにこの授業科目は昨年度に壁谷澤寿一さんから引き継いだのですが、昨年度の平均点はなんと25点でした。つまり、一年で平均値が倍増したっていうわけです(ホントかあ〜?)。ちなみに1998年から2006年までこの科目を迂生が担当したときの平均点は20点台から40点台でしたので、それらを含めても59点というのは過去最高ということになります。これが何を意味しているのか…(だいたい想像できるでしょうけど)、まさか学生諸氏の学力レベルが倍増したとは思えませんよね。

 学生諸君の答案を見ると、明らかに友人同士で相談した跡が残っている人々がいました。まあ、監視のないオンライン試験では何をやってもこちらには分かりませんから、友人同士で集まって分担して問題を解いて答案を作ったのかも知れませんね。ということで予測していた通りではありますが、オンライン試験では学生諸君の(真の)実力を測ることはできませんでした。しかし、そのほかに成績をつける手段が迂生にはありませんので、仕方ありませんが要領よく問題を解いたひとの成績が良くなる、というなんとも後味の悪い成績だけが残ったのです。

 来年にはこのCOVID-19の状況がどうなっているか分かりませんが、治療法が見つかったり、有効かつ安全なワクチンが全員に行き渡らない限り、このオンラインでの授業は続くと考えるのが妥当でしょう。そうであるならば、学生諸君の学力や実力を公平かつ公正に測るための方法を考えないといけません。昔の中国の科挙の試験のように何日間も考えないと解けないような問題を出すとかするのでしょうか。同僚諸氏のやり方を参考にしながら、ゆっくりと考えてみたいと思いますが、あんまり楽しい作業ではありませんな…。


猛暑と雷
 (2020年8月12日)

 世間はすでにお盆の入りでしょうが、本学では今日から大学院入試です。昨日から猛暑が続き、研究室にいて冷房をかけていても暑いです(冷房の効きが悪いような気がするが…)。お昼過ぎから午後4時くらいまで、突然黒雲が押し寄せたかと思うとものすごい雨と雷が轟きました。ちょうどパソコンで作業中でしたが、落雷のせいか電源が落ちてしまいました。ありゃあ、っていう感じです。こんな日に入試をやっているとは、どうなんでしょうね…、やっぱりお盆は休むべきということではないでしょうか。

 さてPCR検査を受けた学生から陰性でしたというメールが届いて、大学全体から安堵のため息があふれ(たように思え)ました。今回はよい知らせで良かったですが、次はどうなるか分かりません。これでは大学に学生を集めて授業をすることは難しそうです。本学では後期も原則はオンラインで、実験等で必要なものに限って対面授業ということになりました。一年生には試練のときだと思いますし、本当に気の毒ですなあ。しかしこのままであれば、来年早々にある大学入試は非常に危ういとしか今は言えないですね。

 先週、急きょオンライン試験に切り替えた「建築構造力学3」ですが今日が試験日でして、たった今、答案提出の締め切り時間になりました。ネット経由で配信したPDFを印刷して、答案用紙をスキャンや写真撮影してまたネット経由で提出ですが、そのために試験時間90分のほかに30分を与えました。オンライン試験なんて結局はなんでもアリっていう無法な試験でしかあり得ないでしょうから、教科書や配布資料を見ながら解くのはもちろんのこと、場合によっては友人と相談しながらやったかも知れません。ただ、この科目は静定力学とは違って頭を使ってよく考えないと解けませんから、できない人にはつらい科目かも知れません、それだけ差が開くと予想していますが、さて、どうなるでしょうか…。


二体めの加力を終える
 (2020年8月6日 その2)

 本日の第一報で実験継続中と報告しましたが、夕方間近になって唐突な終わりを迎えました。層間変形角3%の繰り返し載荷を二回行なったあと、次のステージに進むべく層間変形角4%に向かって加力している途中に(このときは変形に比例して柱の圧縮軸力も増大させていたのですが)突然、大きな音とともに柱梁接合部の軸崩壊が発生して、石川巧真さんが緊急停止ボタンを押して実験を中断しました。

 このとき迂生は研究室で期末試験の採点をしていたのですが、石川さんが血相を変えて7階の研究室に飛び込んで来て、以上のような顛末を報告してくれたのです。ありゃあ、予想よりも早かったし、何よりも唐突だったなあというのが感想です。でも、石川さんが緊急停止ボタンを押してくれたおかげで実験装置を壊すこともなく、けが人もなく、無事に?実験を終えることができたのでよかったです。

 でも、よく考えればコンクリートの圧壊によって引き起こされる軸崩壊は突然に発生するものですから、採点なんか(いつでもできるのだから)やっている場合じゃなかったと後悔しております。幸いにも石川さんがパラパラ動画を撮影していて、その画面には軸崩壊の瞬間がしっかり写っていました。音声がないのが残念ですが、贅沢言うなって感じですな、あははっ。いつもは実験終了後に皆さんで撮影した記念写真を載せるのですが、事情があってそれができないので破壊直後の写真をご覧いただきましょう。

 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:RC隅柱梁接合部実験2020_石川巧真:2体目_試験体T2_柱中段筋が二本:IMG_5150.JPG


広島・原爆の日
 (2020年8月6日)

 今日も暑いです。石川巧真さんをチーフとする実験はいよいよ佳境に入って柱梁接合部の破壊が激しくなってきましたが、まだ軸力は余裕で(?)保持できています。柱の中段筋を増やしたことが奏功して、最初の試験体に較べるとかなり頑張っているように見えますが、さてどうなるでしょうか。

 75年前と同じような猛暑のなかで、原爆の日を迎えました。その当時の悲劇は今に語り継がれていますが、人類がなし得る最大の愚行といってよいその行為を繰り返してはなりません。特に核兵器を保有する国々はそのことを深く肝に銘じるべきです。被害を受けた多くの人たちに黙祷…。

 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:北山家旅行・広島_宮島_呉20180325:DSC02162.JPG
                                   広島にて(2018年春 撮影)


身近に迫るか
 (2020年8月5日)

 ものすごい暑さになって体にこたえますね。さて昨日、「建築構造力学1」(一年生対象の静定力学)の期末試験を教室での対面で実施しました。遠隔に居住している学生に対しては特別にオンライン受験を認め、同時刻に試験を行いました。教室の定員は200名のところに約50名が集まりましたが、余裕を持って密集を避けることができてよかったです。窓とドアを開け放したまま冷房をガンガンかけてくれたので助かりました。

 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:構造力学1期末試験2020コロナの年_教室にて:IMG_1045.JPG

 一年生がリアルで同級生たちと会うのはこれが初めてかと思いましたが、試験終了後は飲み会なんかせずにまっすぐ帰るように言っておきました。まあ、どうでしょうかね〜。

 試験はすでに夕方に差し掛かっていたため、窓の外に広がる武蔵野の保全林からはヒグラシやカンタンなどの虫の声がうるさいくらいに静寂な教室に入ってきました。さて、今日は二年生対象の「建築構造力学3」の対面試験を予定していたのですが…。

 昨晩遅くなって二年生からメールがあってCOVID-19に感染した疑いがある(自覚症状がある)ためPCR検査を受けることになった、とありました。わたくしがこのメールを見たのは午後11時過ぎでしたが、それからツラツラ考えました。その学生の感染が確定したわけではありませんが、既に大学でいくつかの試験を受けたと言います。どう考えてもこのまま対面試験を実施するのはまずいと判断して、建築学科の先生方にメールで相談しました、それが深夜の11時半くらいです。

 こんな遅い時間にメールを見ている先生なんかいないだろうなと危惧しましたが、すぐに続々と返事が来てとても助かりましたね。副学長の吉川徹先生からは本学の感染症対策マニュアルが送られて来て、やはり対面試験の実施は不可能でしょうとのことだったので、急きょオンライン試験に切り替えました。その案内を学生諸君にメール連絡したのが日付が変わって本日の夜中の1時前でした。

 本当に驚きましたが、危機対応の初動としては間違っていなかったようでホッとしているところです。でも、COVID-19がひたひたと身近に迫っているようで、そら恐ろしさを感じているのも事実です。今後は教室等の消毒や濃厚接触者の調査などが行われるのでしょうが、来週の大学院入学試験が無事に実施できるのかどうかも不安になって来ましたね。


受け継がれるもの
 〜よみがえる草の花〜 (2020年8月2日)

 八月になると一気に夏空が広がり、やっと梅雨が明けました。それでも朝晩は冷んやりとした空気を感じますので、夏本番はこれからっていうところでしょうか。

 さて朝日新聞朝刊の連載小説が八月一日から新しくなって、池澤夏樹氏の『また会う日まで』が始まりました。その前の『カード師』というのは(誰が著者だったかさえ覚えていませんが)ポーカーのイカサマの場面など局所的に興味深いところはありましたが、総体としては面白くない小説でした。

 本題に戻って「また会う日まで」というのは賛美歌でよく唄われる歌のフレーズです。わたくしは祖父母の葬儀などでそれを唄った記憶があって、そこはかとない懐かしさを運んで参ります。池澤夏樹氏の事前の説明では、この小説は著者の父方の大叔父が主人公で、そのひとはキリスト者で海軍少将でした。なるほど、キリスト教をテーマのひとつに据えているので、このタイトルを選んだのか…。しかしそこに、池澤夏樹氏の父である福永武彦の想念が引き継がれているらしいことを、連載第一回の紙面に載った以下のフレーズによって気付いたのです。

 人はみな草の如く、
 その光栄はみな草の花の如し、
 草は枯れ、花は落つ。

 2019年末の「ことしの本 ベスト3」のなかで福永武彦の『草の花』を取り上げ、そこではキリスト教が一つの大きな命題として提示されていることを書きました。一言でいえばそれは神の愛と生身の人間の愛とは共存できるのか、それとも背反するものなのか、ということです。太平洋戦争に対してキリスト教が無力だったことにも福永は疑問を投げかけました。

 さらに『草の花』の冒頭には、「人はみな草の如く、その光栄はみな草の花の如し。」の二行が掲げられているのですよ。これは聖ペトロの言った言葉として今に伝えられています。ただ、三行目の「草は枯れ、花は落つ。」は『草の花』にはありませんでした。「草は枯れ、花は落つ。」とは、ひとはやがて死に、その光栄は必ず地に落ちて分からなくなる、ということでしょうが、それを明記したところに著者の意図があるのでしょうね、きっと。

 人生の黄昏を迎えた池澤夏樹氏が自身の係累を主人公に据えたことや、そこに父が掲げたテーマの継承を「草の花」によって明瞭に示した(これは福永武彦ファンであればすぐに気がつくでしょう)ことに、彼自身の強い意志を感じ取ることができます。わたくしは池澤夏樹氏の小説はほとんど読んだことがありませんが、この連載小説は楽しめそうな予感がします。

 草は枯れ、花は落ちます。しかし花は種子を実らせ、それはやがて芽吹いて復活をとげ、次代へと続きます。未来がそのような希望に溢れるものであることを希求します。


COVID-19拡大下での大学運営
 (2020年7月31日)

 どんよりと曇った空が広がり、蒸し暑さが体を包み込むようで不快です。梅雨が明けないままに七月が終わって八月を迎えそうです。

 さて本学では前期はほとんど全ての授業科目がオンラインで実施されたようです。昨日、オンライン授業における先生たちの様々な取り組みを紹介するFDセミナーがオンラインで開かれ、わたくしも覗いてみました。演習や実習科目においてもさまざまなソフトウエアを駆使しながら、入念な準備のもとで困難に立ち向かって授業を進めた先生方の奮闘ぶりを聞き、みんな偉いなあと心底思いましたね。

 また今回はオンライン授業を受ける側である学生さんの発表もあって、その深い洞察力には感嘆しました。その方は理学部の3年生でしたが、同級生たちにアンケート調査した結果として「知識を教授する講義はオンラインで、実験・実習は大学での対面で、それぞれ受けたい」というのが多数派であることを紹介してくれました。われわれ教員サイドも多分そうだろうなとは推察していましたが、それを調査結果として示してくれたのはとても良かったと思います。

 また、全ての授業がオンラインになって先生たちがそれぞれ課題をたんまりと出題するようになったために、睡眠時間を削ってそれに応えようとしている学生さんもいる、と言っていました。確かに教員は自分の授業のことだけ考えているので、受講者たる学生諸君のトータルの勉強量がどのくらいなのかを定量的に把握できません。もちろん欧米の大学生に較べればまだまだ勉強時間は少ないよっていう先生もいますが、真面目に勉強しようという学生さんほど辛いことになったみたいで、それはそれで気の毒だったと思います。

 FDセミナーの最後にリスナーから寄せられたチャットの質問等にお返事するコーナーがあったのですが、本学のインターネット環境が脆弱で自分の研究室や教室から安心してオンライン授業を放映できないで困る、という意見が多くありました。わたくし自身はほとんどの講義を自宅から放送しましたので、そのような不満はありませんでした。後期に実験等で学生諸君が登校するようになって、同日に実施される他の講義は学内でオンラインで受講する、というような状況になった時には完全にトラフィックが耐えられないということのようです(でも、多数の学生諸君はどこでオンライン受講するのでしょうか??)。それはそれで困りますが、インターネット環境を改善するためにはそれなりの費用が必要で、すぐにというわけにはいかないというお返事でした…。

 ちなみにこのFDセミナーは、上野学長—山下副学長—横田大学教育センター長といういつもの執行部トリオがメインで実施されたようですが、COVID-19拡大下で斯様な新しい試みを促進して定着させるようにするためにはものすごい苦労があると拝察します。そのご努力に深甚なる敬意を表します。いろいろな考え方の先生がいますからあれこれ批判されることも多々あるんでしょうな、ご苦労さまです。

 FDセミナーの最後に山下副学長が「オンライン授業でここまでやれることが分かったからには、学生諸君に大学に登校してもらって対面で授業を受けてもらうにはオンライン授業以上の利点を掲げないといけなくなった、ハードルが上がったということだ」と言っていました。まあ、そうかも知れません。しかし、やっぱり大学のキャンパスに皆が集まってそこで議論する(あるいは雑談する)ことによってこそ、新しい発想やアイディアが創出されると迂生は思っています。そのことこそがリアルに大学キャンパスを構えるということの最大の利点でしょう。そうでなければ大学キャンパスなんて必要なく、サイバー空間があればよいという無味乾燥なことになってしまいます。

 このような世情のもとでは大学も変わっていかざるを得ないでしょう。しかし変えるべきものとそうではない普遍的なものとを峻別して、よりよい大学へと成長させてゆくことが今、求められていると考えます。


ひび割れ引退
 (2020年7月30日)

 鉄筋コンクリート構造の実験では、コンクリートに生じるひび割れの観察がとても重要です。柱や梁の変形は目に見えますが、それらの部材内を流れる力は目に見えません(当たり前ですね)。でも、ひび割れの入り方(角度、位置、長さなど)をよくよく観察することによってコンクリート内の力の流れが分かるようになるんですねえ。それがこの道のプロってもんです、あははっ。

 そこで試験体に力を加えるたびにコンクリート表面に生じるひび割れを見つけて、マジックでマークしてゆきます。この方法は研究室によってまちまちでして、我が社では写真映りを重視するのでひび割れをマジックでなぞりますが、ひび割れをマジックでなぞらないであるがままの姿を写真に残す流派も結構な多数派みたいです。

 目を凝らして“発見”したひび割れですが、我が社ではあらかじめ決めたルールに則って、そのひび割れ幅を計測して記録してゆきます。ひび割れ幅の計測にはデジタル・マイクロスコープというキーエンス社製のハイテク機械を使っていますが、なんと一式700万円もするっていうシロモノです。下の写真がその測定シーンです。下側の画面には、光ファイバーで連結されたスコープが捉えた青マジックの線が見えていますが、この傍にひび割れが存在しています。デジタル記録したひび割れの画像から、後ほどそのひび割れ幅を内蔵コンピュータの画像処理ソフトウェアを用いて手動で求めることになりますが、その作業が結構大変みたいです。

 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:RC隅柱梁接合部実験2020_石川巧真:2体目_試験体T2_柱中段筋が二本:IMG_4940.JPG

 今日の実験では人手が少なかったので、わたくしもひび割れの観察に参加しました。昔からひび割れの“発見”は得意でしたからね。念入りに観察して、よしよし、ひび割れはないなと思って持ち場を離れました。しかしそのあとで同じところを観察したB4・富澤さんに「ここにひび割れがありますよ」って言われて、えっ、そんなことないだろって思って見たところ、結構長いひび割れが入っていました。ありゃあ、やっぱり老眼にはヘア・クラックは見つけられないみたいです。ということで、ひび割れ観察については老兵はただ消えゆくのみっていう感じで、もうお役御免になった次第です、がっくり…。


まだ明けない
 (2020年7月29日)

 相変わらず雨がジトジトと降っています。蒸し暑いです。今年はまだ梅雨が明けませんが、本格的な夏の到来を待たずにセミが鳴き始めました。本来であればその鳴き声は乾いていて夏の暑さをかき立てるように鬱陶しいのですが、こんな天気なので奴らも調子が出ないっていう感じでしょうか(そんなわけありませんよね、彼らにとっては初めてで最後の夏なんだから…、いみじういとあわれなり)。

 COVID-19の拡大はとどまるところを知らないという感じで、とても不気味です。暑くなっても、湿度が高くてもその活動が弱まることはないみたいで、そのあたりが従来のインフルエンザなどの感染症とは大きく異なります。人間が地球環境を破壊した代償として、大いなる耐性を持った新しいウイルスが誕生したと見ることもできます。そう考えるとこのような事態は人間の深い業からもたらされたわけで、それに苦しむのも自業自得ということかも知れません。

 石川巧真さんをチーフとする実験ですが、今日から二体目の加力が始まりました。いろいろと注意すべき事柄が多くて大変でしょうが、健康に注意して事故のないように実験を進めてください。

 五月から始まったオンライン授業ですが、今週で終わります。リスナー、じゃなかった学生諸君の反応が全く分からない、ラジオ放送のような授業にもやっと慣れました。自宅の机の前に座って虚無に向かって話しかけるような授業というのもあるんですね〜。ラジオのDJの気分とか照れ臭ささとがなんとなく分かった気もします。机の上のパソコンを操作しながら講義するので、当然ながら座ったままです。でも、大学教員になって座って授業するというのはわたくしにとっては初めてのことでして、しばらくはこれにも慣れませんでした、座ったままだとなんか授業をしている感じがしないんですよね。

 こんなオンライン授業ですが、これはこれでいいのかも知れません。でも、教育とはやっぱり教師と学生とが対面で、物事を教え、学びとるんだという濃密な空気感の漂う空間で行うべきじゃないかと迂生は未だに考えています。オンライン授業の利点や良さを追求して新しい教育手法を生み出そうという試みはとてもよいと思いますし否定はしません。オンラインと対面とをうまく組み合わせるのがよいんじゃないでしょうか。それってまさに通信教育ですよね。そこでのノウハウを開示していただくと役に立つかも知れません。

 さて来週の期末試験ですが、今のところは大学の教室にて対面で実施する予定です。ただし一年生では地方の自宅で授業を受けている学生もいるので、そういうひとには特例でオンライン受験を認めました。厳密に言えば試験の公平性は保てませんが、このご時世なのでやむを得ないかと考えます。ちなみにこれはわたくしの科目の場合でして、他の科目(教員)がどうするのかは知りません。でもそういう方針はそもそも大学当局が決めて期末試験を実施すべきだと思いますけどね…。


携帯電話のわな
 (2020年7月20日)

 やっと雨は上がったものの今日は蒸し暑い曇り空です。お上の推進するGoToキャンペーンは東京都だけを除外して実施するとのことですが、その強引さと頭の硬さには辟易といたしますな、ホント。市井の善良な庶民の考え方とはあまりにも乖離している政権中枢部のそれには驚きを通り越して心配になるくらいです。現首相が(現状打破の起爆剤として?)衆議院解散に打って出るのではないかという空気がにわかに強くなっているようですが、野党も足元を見られたものですな。野党の諸氏には現実的な政治ができるような態勢を早いところ整えて欲しいと思います。

 さて、わたくしは未だにガラパゴス携帯電話(通称ガラケー)を使っていますが、半年前くらいから通話のうちの聴取ができなくなりました。わたくしが話すことは相手に聞こえるようです。でもメールは問題なく使えるし、携帯電話を見ることもほとんどないのでまあいいかっていう感じです、あははっ(ご迷惑をお掛けした方にはお詫びします)。

 ところで我が家の愚息は高校受験を控えているというのに、どうしてもスマホが欲しいと言って聞かず、家の中で反乱を起こしてひと騒動がありました。中学校の父兄会に行ったときに、風紀係の先生が携帯電話を持っていない生徒は数人だけ、みたいなことを話していましたので、友人たちはみな持っているようです。でも、そんなものを与えたら朝から晩までスマホと睨めっこになって勉強なんかできませんよね。それがいやで今まで携帯電話を与えずに来ましたが、それもどうやら限界に達したみたいでした。友人間の連絡も全てラインになっているようです。

 スマホを買わないと勉強しないぞって脅されたので仕方がないので、大手の携帯電話会社のお店に行って新規契約する羽目に相成りました。わたくし自身はそんなお店に縁はなかったのですが、とにかくその商売のやり方には感心させられましたな(もちろん皮肉です)。ことば巧みに「これは絶対に必要です、これもつけましょう」って感じで、どんどん進んでゆきます。ところが携帯電話本体の価格は二年間の分割払いにしたほうが一気に買い取るよりも安いっていうんですよ。経済の法則に従えば、そんなことあるはずないじゃないですか。でも、そこが彼らの商売の抜け目のないところで、死ぬまでお金を払わせ続けるための作戦なんですねえ。

 絶対おかしいので、じゃあ本体はビックカメラに行って買って来ます(すぐそこにある)から、SIMだけセットしてくださいって言ったら、そうすると動作の保証はできませんし通話できなくても知りません、みたいにやんわりと恫喝されて諦めました。業者の言うことと違ったことをしようとするとものすごく面倒なことになるようで、それに抗えずに徐々に去勢?されてゆくのが我ながら情けなかったです。

 このように結局は相当の金額になったのですが、それらは月々の支払いに回りますので、そのお店には一円も支払わなくてよいわけです。それにも迂生はものすごい違和感を抱きましたな。月々に支払う額はそんなに大きくはないので、ころっと騙される人たちが多いんだなあ、と実感した次第です(とは言え、わたくし自身もそのうちのひとりなんですからね…)。気分が悪いことといったらこの上ないですよ。こうやって世の人びとは大して重要でもないものにお金を払い続けているんだなあと世間の仕組みを思い知りました、やれやれ…。


一体めの加力を終える
 (2020年7月15日)

 新型コロナウイルスの感染者は東京では高止まりし、東京以外でも増えていて明らかに第二波の襲来と思われます。夏になって気温や湿度が高くなればCOVID-19の猛威も和らぐかもといっときは言われましたが、全く関係なさそうです。空気感染はしないと言われてきましたが、これもどうやら怪しそうです。

 こんな危険な状態に再度突入しつつあるのにお上はといえば、「Go to トラヴェル」キャンペーンを猪突猛進、推し進めようとしています。そのセンスの無さにはホント、呆れますなあ。地方の人たちは東京人には来て欲しくないって思っているはずです。そんな空気感が漂っているところに行ったって、お互いに面白いはずがないですよ。それでもこの「Go to トラブル!」をやるっていうのは、もう何らかの下ごころ(思惑?)があると邪推せざるを得ないでしょう。

 さて我が社の2020年度一体めの実験ですが、柱梁接合部の軸崩壊が発生する直前と判断して先ほど加力を終了しました。昨年度よりも測定項目を増やしたので、今回はかなり“科学的”に軸崩壊直前を予測して判断することができました。例によってとても緊張しましたが、まあ実験装置を破壊することもなく無事に加力を終えることができて良かったです。チーフの石川巧真さんをはじめ、我が社と明大・晋沂雄研究室の皆さんの頑張りに感謝します。あと二体ありますので、安全に注意して今後もお願いします。

 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:RC隅柱梁接合部実験2020_石川巧真:1体目_試験体T1:IMG_4889.JPG


期末試験はリアルで
 (2020年7月10日)

 相変わらず雨がジャブジャブ降っています。日本各地で水害が発生しているようで、このような事態が頻出することは少なくともわたくしが子供の頃にはなかったことです。地球環境の変動に怖ろしさを感じるほどです。新型コロナウイルスの感染者数は東京では200人を超えました。こちらも目に見えない敵が身近に漂っているようで怖いですね。自分の身は自分で守れ、というのが現在のお上の方針のようですので、よく考えて行動したいと思います。

 さて、そのような世情ではあるのですが、我が大学では期末試験を教室で対面で実施することになりました。正確にいうと対面での試験実施かオンラインでのレポートとか試験?とかを個々の教員が選択できましたので、迂生は迷わず対面での試験を選んだという次第です。厳密な試験はオンラインでは無理ですから、まあ妥当だと自分で納得しています。ただ、60名近い学生が集合しますので、定員200名程度の大きな教室で試験をすることになっています。

 現在授業中の一年生の「建築構造力学1」ですが、彼らは大学生になってからまだ一度も大学に登校していませんし、同級生ともリアルで会ったことはないはずです。十数回の授業をオンラインで受けてきたので、名前くらいは知っているかも知れませんが、どういう顔をしたどういう人物かは皆目分からないわけです。そういう一年生諸君が試験のときに初めて一堂に会するっていうのも、どうなんでしょうかねえ?これを奇貨として、試験後にでも自己紹介の場を設定したりしたほうが良いのでしょうか…、一年生のクラス担任の壁谷澤寿一さんとでも相談するかな。

 さて石川巧真さんの実験ですが、先ほど、層間変形角2%で水平二方向加力を受けて変動圧縮軸力が最大となるポイントを無事に通過いたしました。柱梁接合部の軸崩壊に刻々と近づいている兆しが見てとれたためにとても緊張しましたが、まあホッと一息ついて研究室に戻ってきたところです。今日の午後、わたくしは授業があるため、わたくしが不在のときには新しい加力サイクルに入らないように言っておきました。実験終了までハラハラドキドキは続きます(心臓によくないです…)。


つまらない選挙
 (2020年7月9日)

 梅雨らしく雨の降り続く毎日ですが、我が社では石川巧真さんたちの実験が続いています。担当者諸氏の頑張りで層間変形角1.5%の加力サイクルに達しました。水平耐力がすでに頭打ちになり、繰り返し載荷による耐力低下が生じているので、柱梁接合部の降伏破壊が生じつつあると判断できます。柱梁接合部の損傷はかなり進んでいますので、だんだんと緊張を強いられるステージへと突入してゆきます。柱梁接合部の軸崩壊は昨年度の実験(藤間淳さん担当)よりも早期に生じるかもしれません。

 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:RC隅柱梁接合部実験2020_石川巧真:1体目_試験体T1:IMG_4619.JPG

 さて、この前の日曜日に東京都知事選挙が実施されて、大方の予想通りに現職が圧勝しました。任期切れの半年前くらいから発生した新型コロナウイルスの蔓延のせいでK池さんの露出度は大いに増していましたから、まあ当然だろうとは思います。

 でも、この人、四年前に自身で発した七つの公約のほとんどを全く実現しないままでご自身の一期目を終えたことになります。そのような“実績”で再選されたことにも驚きますよね…。対抗馬が乱立したことは確かですが、一般民衆の支持先がそららの人々に向かうことはありませんでした。都知事としてふさわしい人がいないから、仕方ないので現職に投票した、ということかとも思われます。いずれにせよ、つまらない選挙でした。

 わたくし自身は元熊本県副知事っていう方に投票しました。まだお若いし、何よりも行政の経験があるので信頼できると考えたからです。もちろん、彼の主張の全てに賛成なわけではありませんよ。でも志の高い人みたいだなあとは感じましたので、落選したけれども今後の活躍を期待したいと思います。ついでですが、東京都議会議員の補選もあったのですが、わたくしが投票した人は(いつものように敢え無く)落選して、自民党新顔(って言っても還暦近いひと)が当選していました、なんだかな〜。すでに末期症状を呈している現政権ですが、そんなに自民党っていいんですかね。


7月になって実験ができる喜び
 (2020年7月3日)

 このあいだ久しぶりに登校してカレンダーをバリバリめくったと思ったら、もう7月になってまたもやカレンダーをバリバリめくる仕儀と相成りました。

 新型コロナウイルスの蔓延のせいで三月末以来ずっと巣篭もりして来ましたが、経済活動の再開とともに大学での研究も再スタートできるようになりました。2011年の東北地方太平洋沖地震(3月11日)の後に電力不足によって5月の連休明けまで実験ができないことがありましたが、今回のコロナ騒動ではそれを上回る長いあいだ実験ができませんでした、いやあ驚きますよね。

 ということで我が社のM2・石川巧真さんをチーフとしてB4・富澤さん、明治大学・晋沂雄研究室のM1・佐野さん、B4・村野さんが参加して、待望の加力を開始いたしました。一体めの最初はやはりとても緊張するので、柱軸力をゆっくりと導入し、そうすると梁端にせん断力が入ってしまうため、そのせん断力を抜く作業を終えるところでお昼休みになりました。安全を第一にして、焦らずじっくりと実験を楽しんで欲しいと思います。みんなと一緒に実験できることのありがたさが今回、身に沁みて分かりましたので、その喜びもひとしおでございます。

 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:RC隅柱梁接合部実験2020_石川巧真:1体目_試験体T1:IMG_4551.JPG

 今回の実験でもチーフがいろいろと工夫しています。試験体の柱の上下にある鉄板の傾きを計測するために傾斜計を取り付けました。ひび割れ図の作成は今までは紙に鉛筆で描いてから、あとでスキャンしてデジタル化していましたが、それらの作業が面倒であることから、Apple Pencilを使ってiPad上に直接デジタル描画することにしました。最初は慣れないかも知れませんが、うまく行くと良いですね。


電車に乗る
 (2020年6月29日)

 たかが電車に乗るくらいでここに感想を書くことになるとは予想だにしませんでしたな、迂生は。東京都立大学では今日から研究目的での学部4年生および大学院生の登校が解禁されました。新型ウイルスへの感染が判明した場合の追跡が可能になるように、厳格な入退室管理を行うことはもちろんですが、その管理簿を毎週提出しないといけないのは結構面倒ですねえ。

 ということで今日からM2・石川巧真さんの鉄筋コンクリート隅柱梁接合部実験(スポンサーはJSPS科研費)が再開することになりましたので、わたくしも登校しました。そうして三ヶ月ぶりに電車に乗ったという次第です。三月に購入した回数券は有効期限が三ヶ月なのですでに使えなくなっていました、とほほ…。勿体無いことをいたしましたが、まさか大学に行けなくなる日がやってくるとは思いもしませんでしたから。

 東京における新型コロナウイルスへの感染者数は増加傾向に転じていますので、この時期に電車に乗るのは大いに不安でしたが、時差通勤で空いている時間帯に出勤しましたので大丈夫でした(って、何が? ウイルスは見えないでしょう…)。しかし、いくらマスクを付けていてもやっぱり気味悪さは拭えません。こんな感じでは持続的に通勤するのは困難なような気がします。

 自宅からのオンライン授業の放送がせっかく軌道に乗ったので、できれば授業がある日は自宅にいたいと考えますが(家族には講義の声がうるさいって言われてますけど…)、まあ実験で加力するときにはそうも言っていられません。自宅で使っているノート・パソコンと大学で使っているiMacとのMacOSのヴァージョンが異なっているため(自宅の方が新しいOSを使っている)、起動するパワーポイントのヴァージョンも違っていて、そのせいで家で作ったパワーポイント・コンテンツが大学のiMacでは正常に表示されない、ということに気がついたことも大学に行きたくない要因です。古いヴァージョンではZoomの仮想背景が使えないことに本日、気がつきました、ああ、いやだなあ。

 何にせよ一度築いた態勢を再構築するのには時間も労力もかかって大変ですから、できればそれは避けたいという保守的な思考回路の賜物ですな。そんなケチなことを言わずに、積極的に打って出なって言われそうなのでもうやめま〜す。


二ヶ月は長いか短いか
 (2020年6月22日)

 新型コロナウイルス感染拡大を防止するために(もちろん自身が罹患しないために)、丸っと二ヶ月のあいだ大学に登校しませんでした。ただ、いろいろな書類の提出とか依頼とかが溜まっていたので、止むを得ず大学に登校いたしました。研究室がなくなっていたらやだなあとか思いながら来たのですが、ちゃんとありました、よかったあ〜。研究室のなかを変な動物?が歩いていたらやだなあとも思いましたが…、こちらも大丈夫でした。

 でも、窓際に置いた観葉植物がかわいそうに枯れていて、枯葉が植木鉢からお蕎麦のように垂れ下がっていたのが、いみじういと哀れなりっていう感じでした。研究室のカレンダー(どこにいても見られるように五ヶ所に掲げてある!)が全て「4月」のままっていうのが、時の流れを感じさせてくれましたな。二ヶ月っていうのは長いでしょうか、短いでしょうか、一言では言いがたいですけど…。

 このページを長いこと更新していないことが気がかりでしたので、すぐにそれを試みました。ところが、すでにパスワードの有効期限が切れていてアクセスできません。情報処理施設にメールしたら、長期間放置したために“凍結”されてしまったようでした。仕方がないので、雨のなか傘をさして情報処理棟まで行って「復活」をお願いして、やっとアクセスできるようになったのでした。

 大学の図書館で借りている多数の書籍の返却が気になったので、ついでに図書館にも出向きました(本学の図書館はまだ閉館中です)。職員の方はかなり在席だったようですが、とにかく担当者が誰なのか分からず、四、五人の事務方を渡り歩いてやっとそのご担当に会えました。返却の締め切りはない?ような話しでしたので(どうも決まっていないようなニュアンスでしたけど…)、それならしばらくは放置しておくかっていう気になりましたな。

 さて、この二ヶ月のあいだは授業も会議も委員会も全てオンラインでこなして来ましたが、ほとんど問題がないことに気がつきました、というか、とっても便利ですな。特に移動が全くないので、授業が終わってからすぐに学会の委員会に参加するとか、研究室会議の合間に教授会に出席して人事案件の投票をするとか、もう便利この上ないです。夜の委員会が終わったらすぐに晩御飯を食べられますし(だって家にいるのですからね、あははっ)、もう快適ったらありゃしない。

 ただ、学生諸君のレポートの添削・採点と返却だけは超面倒になりました。デジタルファイルのレポートを一つずつ開いて、丸をつけたり、計算間違いの指摘を書き込んだりするだけで、紙の場合の三倍くらいの時間がかかります。

 極めつきは添削したレポートの返却です。本学のシステムでは、この作業は教員が手作業でしないといけません。学生ごとにそのレポートファイルを選択して、送信ボタンを押すわけですが、これを60回近く繰り返すのは苦痛以外の何ものでもありません。送付するファイルを間違ってはいけないので、ものすごく気を使います。これに一時間近くの時間をとられます。紙のレポートだったら教室に置いておくだけで各自が持って行ってくれますから、本来不要な作業なわけです。何とかならないでしょうかね…。週末はこの作業で憂鬱な気分に浸っています。

 オンラインで授業をやっていると、学生諸君が見えませんのでその反応がさっぱり分かりません。もちろん教室で対面授業をしているときだって、何か聞いてもほとんど反応はないのですから、まあ同じかとも思いますけど。迂生の授業は1年生なのですが、彼ら/彼女らはまだ一度も登校していないので、同級生にリアルで会っていません。そのこともかなり気になりますなあ。「建築構造力学1」の演習の出来が例年よりも悪いのですが、それは同級生同士で相談できないことが大きいのではないかと推察しています。そういう点では教室で授業することも大切なのでしょうね、きっと。

 この二ヶ月のあいだ、ずっと家にいたので特に女房殿のストレスはかなりのものだろうと思います(まあ、まだしばらくは家で仕事を続けるつもりですけど)。でも、どこかに出かけてウイルスに感染したりしたら、もっと大変なことになるので外出もままなりません。このことが定年後の気がかりとして大いに実感しましたね。

 来週(6月29日)からは、いよいよ研究目的での学生諸君の入校が認められます。我が社でもやっと実験(修論および卒論の研究)に取りかかれることになりますので、そのことはとても嬉しいです。でも、巷にはウイルスが蔓延しているでしょうから、感染に十分気をつけながら登校するようにお願いします。


コンテンツを作る
 (2020年4月22日)

 久しぶりに大学に登校しました。電車に乗るのが怖いので、車で来ました。朝の通勤時間帯でしたがスイスイ走れてよかったです。緊急事態宣言のせいで物流もかなり間引かれているのかも知れません。

 五月からオンライン授業になったので、今はパワーポイントのコンテンツ作りに励んでいます。迂生は板書派なので毎回、白板にマジック・インキで書いていました。白板だと図などはフリーハンドでスイスイ描けるのでとてもいいのですが、これをデジタルで作画しようとすると、もう大変です。家のパソコンはOSをアップグレードしたせいかCADソフトが動かないので、パワーポイント上のお絵かきソフトを使っています。しかしそれでの作画には限界があるし(うまく描けなくてストレスフルになっちまう…)、正確かつ美麗な図を描くには向いていません。

 受講する学生諸君にとっては、教室で板書するのがよいのか、それともネット空間上のパワーポイントがよいのか、どちらなんでしょうかね? とにかくデジタル描画にものすごい時間をとられていまして、これを建築構造力学の二科目分作らないといけません。オンライン授業がいつまで続くのか予想できませんが、六月の梅雨入りくらいには対面授業ができるようになることを祈っております。

 こんな調子なので、(作図作業をいとわなければ)家で仕事するのは快適なのですが、研究は実質的には全く進みません。定年で仕事がなくなったらこんな感じなのかとも思いますが、終日家から出なくても別段、なんともありません。川沿いを散歩でもするかと思うのですが、実行したのは三週間ほどでわずかに一回でした。

 その散歩のときに気が付いたのですが、驚くほど多くの人が出ていて、川の脇にレジャーシートを広げたり、魚釣りをしたりと大勢の家族連れが遊んでいました(平日のことですよ)。そんな光景は平時には見たことがありませんでしたので、やっぱり皆さん近場で我慢しているんだなあと思った次第です。

 ということで、今は学校でCADソフトを使って作画していますが、朝から昼ご飯も食べずに仕事したので疲れました。このページの更新もできませんでしたので、この文章をアップしましょう。


昔の名前で
 (2020年4月2日)

 よいお天気になりました。今日は建築学科の教室会議が開かれるので、一週間ぶりに電車に乗って登校しました。トップページ等に書いたとおり大学名が伝統ある「東京都立大学」に戻りましたので、大学正門脇の名票も写真のように新しくなっていました。まさに昔の名前で出ていますっていう感覚ですな。これでまた学会などの発表の場で「都立大の北山です」と名乗れるようになり、嬉しい限りです。

 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:野川_南大沢20200402:IMG_1032.JPG

 このような変更は本来であれば華やかな行事とともにあるべきと思いますが、新型コロナウイルス拡大防止のために学生諸君の登校は原則禁止となって、正門もピタッと閉ざされていました。都民に開かれた大学を標榜し、いつでも門を開いていた本学ですが、さすがに都知事の危機感を反映した対応になっていました。まあ、仕方ないでしょう…。

 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:野川_南大沢20200402:IMG_1031.JPG


新年度になる
 (2020年4月1日)

 冷たい雨の降る年度始めとなりました。新型コロナウイルスの蔓延拡大防止のために外出を控えるようにとのお達しが東京都知事からありましたので、この一週間ほどは大学には登校せずに、自宅でできる仕事をしています。例年は四月早々に研究室のKick-off Meeting を開いて今年度の研究テーマを開示するのですが、ことしはそれができないので、仕方ないので先ほど我が社の皆さんにメールで文書を送付して、五月までに研究テーマを考えるように書いておきました。

 我が社の先輩方の研究成果は研究室HPの論文アーカイブに格納していますが、どういうわけか三月末からそのページにアクセスできなくなりました(これを書いている今現在、閲覧できません)。今日から大学名が「東京都立大学」に変更になって、それにともなって種々の不都合が噴出しているのかどうか分かりません。でも、このページにアクセスできないのはやっぱり困りますなあ。こんなご時勢ですから、大学名が昔の名前に戻った嬉しさも吹き飛んでしまいました。

 ところで在職中に自分の大学名が二回も変わるような経験をしたひとって、他の大学にはいるでしょうか、多分いないですよね。これってとってもみっともない事態だと思います。15年前に都立の四大学を一つに統合する過程において非常な混乱が出来し、その象徴として「首都大学東京」という名前が刻まれたわけです。

 ですから、その名前をまたもや変えることのみっともなさは十分に承知しますが、それでもその負のイメージを代表する名前から解放されることは、わたくしにとっては大いなる喜びなのです。これであとは「工学部」が復活すれば全ては元に戻って安住の地を得ることができるのですが、それは残念ながら無理みたいです(既に機械・電気系の学科が日野キャンパスに移ることが決まっています)。

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 子供の学校がどうなるのか、まだ連絡がないため女房はやきもきしています。それでも学習塾はやっていますので、今日は雨降りだったので迂生が車で愚息を塾まで送って行きました。この冷たい雨に桜の花々も寒そうに震えていましたな、なかにはもう散ってしまった花びらたちもちらほら…。いみじういとあわれなり、っていう感じです。

 とにかく社会全体がピリピリと緊張していて息苦しく感じますよね。報道等で「コロナ疲れ」という言葉もよく耳にするようになりました。でも、たとえ疲れたとしても命を奪われるよりはマシです。ですから、自分自身ができることを今はしようと思っています。電車などに乗って出かけること自体が結局はいけない訳ですから、自宅謹慎っていうところでしょうか。


授業開始は五月の連休明けに
 (2020年3月25日)

 トップページに記しましたように、やっと本学の対応が上野淳学長名で発表されました。事前に?報道されていた通りに、五月の連休明けまではとりあえず授業は行わないということです。

 東京都での新型コロナウイルス感染者数は増加傾向にあるため、その爆発的な拡大を防ぐためにはやむを得ないと考えます。未知の見えない敵が相手ですから、用心するに越したことはありません。大学での授業はオリンピックとは違って身近な問題ですので、その影響は大きいでしょう。今後、どのような活動なら許容できるのか考えながら行動しようと思います。

 でも、移動することによって不特定多数と接することが危険であるということであれば、電車にも乗れないってことですな。大学で実験できないとすると(まだ、その点については何もお達しは来ていませんが…)大学に登校する必要はありませんから、自宅のパソコンの前でできる仕事をするっていうことでしょうか。

追伸; 今、大学のHPを見たら、4月1日から5月6日までは学生諸君は学内施設を原則、使用できない、と書いてありました。ただし「指導教員等が 特に必要性を認めている場合」にはこの限りではない、とあります。うーん、判断は教員に任されているっていうことでしょうが、ちょっと困りましたね。何かあったら責任をとれって言われると躊躇します。


桜は咲いたけど…
 承前 前期の授業はどうなるの? (2020年3月24日)

 今日はよく晴れましたが、とても寒いです(って、八王子市だけかも知れませんが…)。南大沢の桜は六分咲きといったところでしょうか、写真のように大学正門の脇にある校名プレートに仮囲いがされて、いよいよ四月からの「東京都立大学」に向けた準備が始まったようです。首都大学東京っていうお仕着せの(イヤな)名前とももうすぐお別れかと思うと春のごとくに浮かれた気分になって参ります。

  説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:野川_南大沢20200324:IMG_1026.JPG

 さて四月以降の新学期ですが、新制・都立大学では五月の連休以降に授業開始というニュースが昨晩NHKで流れたらしく、家内や子供からそのことを告げられてびっくり仰天!しました。その大学に勤める当の教授であるオトーサンが知らないのに、なんで家人がそんな重大なニュースを知っているんだろうか…、っていう不思議感満載ですな、まったく。

 で、今朝の大学HPを見ると大切なお知らせを明日します、という告知だけが載っていました。世間さまは皆知っているのに、当事者である大学人は誰も知らないわけですよ。これっておかしくないでしょうか? でもこのニュースが本当だとしたら四月いっぱいをどうやって過ごせばよいのか考える必要がありますな。

 もちろん授業ができないだけならばフツーの夏休みなどと同じですから、いつもの通りに研究に専念すればよいだけです。でも、もしも大学閉鎖のようになったならば少なくとも実験はできなくなって、我が社としては困った事態に立ち到ります。

 新型コロナウイルスが世界に蔓延しつつある現在のような情勢では、東京オリンピックを延期するのはやむを得ないと考えます。七月下旬のオリンピック開催は無理と踏んだ小池都知事が、それだったら七月下旬から都立大学を夏休みにする必要はないとして新学期開始をひと月先延ばしにしようと考えているのかも知れませんが、どうなるのでしょうか、早いところ発表して欲しいと内部の人間としては思います。


彼岸の入り
 前期の授業はどうなるの? (2020年3月18日)

 そろそろお彼岸です。暖かくなって陽も長くなって参りました。都心では3月14日に開花宣言がありましたが、南大沢ではまだまだみたいです。でも登校の道すがらソメイヨシノを眺めていたのですが、一輪だけポツンと咲いているのを見かけましたから、意外と早く咲きそろうのかも知れません。

 さて新型コロナウイルスの感染拡大は中国からヨーロッパへと移ったようで、中国の情勢は最近ではほとんど報道されなくなりました。それだけ鎮静化に向かっているということなのか、よく分からないところがちょっと不気味ですけど…。

 本学では3月21日の東京国際フォーラムでの卒業式が中止になったのに続いて、4月5日の入学式も中止になりました。4月6日からは前期の授業が始まることになっていますが、学年暦通りに実施できるのか益々不安になって参りました。実際、東京理科大学では5月から授業を始めることになり、早稲田大学や明治大学では授業開始は4月21日前後以降に繰り下げられました。

 新型コロナウイルスへの感染を怖れながら授業に臨むことは、学生諸君および教員の双方ともに気分が良くないですよね。狭い教室では互いに1メートル以上離れるなんて不可能ですし、教員はマスクでもしない限り、その飛沫が前のほうにいる受講者に届くことを防げません。

 でも東京オリンピック(もその開催について、だんだん雲行きが怪しくなってきましたが)前に期末試験を終えることが必要だとすると(本学は東京都の設置する大学なので都知事から要請されているみたい)、4月早々の授業開始は譲れないところでしょうな。こんな感じで、どうなるのか落ち着かない日々を過ごしております、はい。皆さんのところではいかがでしょうか。


二楽章ぶん
 ブルックナー小考 (2020年3月12日)

 きょうは後期日程入試なのですが朝起きると…京王線が人身事故で止まっていました。ありゃ〜こりゃ大変なことになったなあと思いましたが午前八時くらいに復旧して、入試の時間も一時間繰り下がりましたので、なんとかなったみたいです。

 ただ電車はどうせすぐには動きませんから、仕方ないしお天気もよいのでタラタラ調布駅まで歩くことにしました。駅間として三駅くらいです。iPodに入れたブルックナーの交響曲第四番《ロマンティック》(アバド指揮のウィーンフィル)の第一楽章から聴き始めて歩いて行きました。途中の薬局にはマスクはやっぱりありませんでしたが、トイレットペーパーはお一人さま一個でしたが売っていました。で、第二楽章を聴き終わらないうちに調布駅に着きました、歩数にして約4500歩です。まあブルックナーの交響曲は一時間超えの大曲が多いので、不思議でもなんでもないんですけどね、あははっ。

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 ブルックナーの交響曲は零番から二番までを除いて全曲を聴きました。19世紀後半にはブラームス派とヴァーグナー派とが覇を競っていました。ブルックナーは自身の交響曲第三番をヴァーグナーに献呈したほどの熱烈なヴァグネリアンだったこともあって、本人の意思とは無関係にヴァーグナー派とみなされたそうです。

 ウィーン大学のハンスリック教授(当時の著名な音楽評論家)はブラームス派だったので、ブルックナーを執拗に批判したりその前途の邪魔をしたりしたことから、ブルックナーが辟易として当時のオーストリア皇帝に泣きついたそうです、ハンスリックをなんとかしてくれって。ハンスリックにとってはブラームスの音楽は良くて、ブルックナーの音楽は良くないという判断でした。

 でも…、ブラームスもブルックナーも当時の前衛音楽だったはずですが、わたくしが聴いた感じでは両者はそれほど異なってはいないように聴こえます。いや、それどころか似ているような感覚さえ抱きました。これって一体どういうことでしょうか。もちろん迂生は素人でハンスリックのような本職的な考察はできません。でも、聴いた感じっていう感覚は正直ですし、直観として正しいように思えます。当時の論争の渦中にいた人たちには相手方の細かいアラばかりが目について、重箱の隅をつつくような議論だったのでしょうかね。

 実際には、ブラームスはブルックナーの交響曲を評価していたみたいですし、ハンスリックが自分自身(ブラームス)を支持することを不思議に思ってさえいたようです。ハンスリックは明らかにブルックナーに対して好意を持っていませんでしたが、それはわたくしが推量するに音楽的な問題ではなく、むしろブルックナーの出自に対する嫌悪感とか軽蔑だったのではないかと思います。

 ブルックナーはオーストリアの片田舎の出身で、貧しかったために正規の音楽教育を受けずに教会のオルガン奏者として身を立て、苦労して音楽を学びました。そういう田舎の成り上がり者が大都会ウィーンに出てきて、正統的な交響曲を公演することに我慢がならなかったのではないか。人間の深層心理は分かりませんが差別意識は根深いものがありますので、無意識のうちにそういう攻撃に走ったということは相当程度にありそうに思います。

 でもブルックナーはかわいそうな人だったと思いますね。生前には彼の交響曲はほとんど認められませんでしたから、常に承認してほしいという欲求に苛まれていました。彼が自身の交響曲をなんども何度も改訂したのは、そうしないと世間から認めてもらえない、聴衆を満足させられないという思い込みの表れだったと感じます。(収入が少なくて)お金には生涯悩まされていました。

 またブルックナーは、色男だったマーラーとは異なって終生独身でしたが、それは何度も求婚したのに全て上手くゆかなかったことの不本意な帰結でした。そのせいか、ブルックナーは常に不満を抱えていたようでなりません。20世紀後半以降の爆発的なブルックナー人気を彼が知ったら、さぞ喜んだと思いますが、それだったら生きているあいだに承認してくれっていう感じでしょうか。


不安な心理
 (2020年3月11日)

 新型コロナウイルスの感染拡大のせいで、世間には不安感が蔓延しています。感染を防ぐにはマスクが有効ということでマスクが品薄になったのはまあ分かります。でも、トイレットペーパーやお米が手に入りにくくなっているのはどう考えても理に適っていませんな。誰かが間違った情報を流して不安を増幅したと考えるのが妥当だと思います。そういったデマの発生源は必ずあるのですが、それが立ち消えずに燎原の火のごとく広がるのは、それをさも真実であるかのごとく受け入れる素地が世間にあったためで、それはsまさにこの得体の知れないウイルスへの恐怖の為せる業でしょう。

 そういう買い占め行為に合理的な理由は見出せないと分かっていながら、いったん不安に駆られるとそれを押しとどめることができないのが人間の弱さなのでしょうか。本当に人間社会の集団心理とは恐ろしいものとつくづく思います。

 今日は9年前に東北地方太平洋沖地震が発生した日です。そのときには福島第一原発のメルトダウンによる放射能放出によって世界中に衝撃が走りました。電力が不足する懸念から、電車のダイヤが間引かれたり、計画停電が実施されたりして社会に不安が広まりました。

 それらの根源は地震でしたが、各種の危機は人間活動によって引き起こされたと言えます。その点が今回のウイルスとは異なっています(もちろんウイルスの蔓延も人間が集まって生活していることと密接に関係しますが)。現在、国家の要請によって社会活動が大きく制限されていますが、ウイルス禍を乗り越えるためには個々人がそのための努力を微力でもすべきだと考えます。極言すれば“命あっての物種”です。瞬間的な利益を得たいがためにウイルスに感染して命を失ってはなんにもなりません。今は、皆が生き残るために多少の不自由や不便は我慢するときであると思います。

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 さて昨日の激しい雨降りとは一転して、きょうはよいお天気になりましたね。暖冬のせいでことしの花のたよりは早そうです。野川沿いの大寒桜は一週間前ほどから咲き始めて、今はもう満開です。こんな時期ではありますが、明日は後期日程入試が行われます。正門前にはこんな看板が(右下の写真です)。この四月から大学名が伝統ある「東京都立大学」に復活するんですねえ。いやあ、とても嬉しいです。これで我が大学名が再び全国区に復帰することを期待しています。

 大学構内ではあんずの花が今週から咲き始め、また国際交流会館前の早咲きの桜も同様です。こんな感じで人間界の騒動などとは無関係に季節は巡ってきます。気持ちよく、こころ浮かれる楽しい春を迎えられれば、それで十分です。

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:野川_南大沢20200311:IMG_1012.JPG 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:野川_南大沢20200311:IMG_1014.JPG

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集まっちゃいかん
 (2020年3月5日)

 昨日は寒かったですが、きょうはまた暖かくなりました。大学の牧野標本館別館の前にあるあんずの木では、すでに蕾が薄ピンク色に色づいて近々のうちに開花しそうな勢いです。

 さて、新型コロナウイルスの感染拡大防止でついに学校がお休みになりましたね。まさに非常事態宣言という感じで、このことに対する賛否両論で世間は喧しいですが、我が家でも今週月曜日から愚息の中学校が休みになりました。そこで一番困るのがお昼ご飯です。学校に行っていれば給食があって、栄養のバランスを考えた食べ物にありつけます。それが一ヶ月近くなくなるので、家庭でそれを手当てしないといけません。

 でも、それは結構大変です。我が家でも家内がどうしても出かける必要があって、さっそく迂生が仕事を休んで子供にご飯を食べさせました。まあ年休をとって休めますのでそれはいいんですけどね、あははっ。ちょうど大学は端境期で学生も不在だし、のんびりと好きなことができる貴重な時期なので、その時間を有効に使っています。実験などでなければ大抵の仕事は家でもできますからね。

 人が集まるのは何にせよいかん、ということで、外部の委員会などは大方が中止や延期になりました。ただどうしても議決しないといけないとかの会議はポツポツと開かれますから都心に出かけますが、そういう会議だって本当に必要なのかどうか分かりませんよね。都心に会議に出かけないと例えば往復のための三時間が有益に使えますし、なによりも混雑した駅で人々をかき分けたり、満員電車に乗らないでよいので体力を温存できて体にはGoodです。

 まあそれはいいのですが、我が大学では来週から月末まで図書館を休館にすることになってしまいました。これは迂生にとっては一番困ります。好きなときにプラ〜っと図書館に立ち寄っては、ふと手に取った本を借りてくるというのがわたくしのライフ・スタイルになっているからです(そんなご勝手なスタイルはやめろとか言わないでね)。上述のように今は春休みで学生さんはそもそも少ないのに、なぜ休館にせにゃならんのか。そういう方針を世間さまに対して明示するというジェスチャーが大切ってことなのでしょうか。以前にも書きましたが、どんどんと生きづらい方向に物事が進むような気がして不安です。


耳ネタ2020 March
〜千人で奏でる〜 (2020年3月3日)

 短い人生のあいだに聴くべき音楽はなにかという問いは中々に難しい。世の中に無数にある音楽を全て聴くことなどできないし、そもそも広い地球の上には知らない音楽が溢れているはずだ。そうすると自身の知っている範囲の音楽を選択して聴くしかないという至極当たり前の結論に至る。先日も息子が借りて来たJ-PopのCD達をiPodに取り込んだのだが、そのほとんどはアーティスト名さえ聞いたことのない代物だった。でも、もうポップスやロックは十分に聴いてきたかと思う、お腹いっぱいって感じで…。自分の感性にあった少数の曲達を大切に聴いてゆければそれでよいという風に思ったりする。

 そこで四十数年ぶりにクラシックを聴いてみるかと思い立った。迂生は中学生の頃は“クラシック小僧”だったのだ。当時、我が家には中世から現代までの有名なクラシック曲を集めたレコード全集があった。それらを手当たり次第に聴き始めたことからクラシックへの傾倒が始まって、なけなしのお小遣いをLPレコード(当時は一枚2500円くらいした)の購入に費やしたものだ。

 では、クラシックの何を聴くか。ベートーヴェンやモーツァルトもいいだろうがあまり食指を動かされないな(全然知らないくせに、あははっ)。そこで重厚長大な交響曲を遺したアントン・ブルックナーやグスタフ・マーラーの作品を聴いてみようと思い立った。ブルックナーの交響曲は一枚だけLPレコードを持っていて、それは未完の交響曲第9番だったが内容はもちろんすっかり忘れ去っていたし、簡単に聴くこともできない。

 そこで家内のCDライブラリをガサガサと探したところ、面白いCDを発見した。それは彼女がまだ学生だったウン十年前に学園のオーケストラが演奏したマーラーの交響曲第8番の録音だった。とても長くてCD二枚に渡っていたが、多分プライベートCDだと思う。マーラーの交響曲にはベートーヴェンの交響曲第9番のように独唱や合唱が付いているものが多く、この第8番もその類である。マーラーの交響曲第8番は《千人の交響曲》と呼ばれるが、これは初演の際に指揮者を含めて総勢1030人が舞台上に載って演奏・合唱したことからそう名付けられたらしい。

 そのような大編成で演奏される大作の交響曲第8番だが、家内の大昔の演奏でも二期会の独唱者8名(名古屋木実さんや緑川まりさんなど、この人達はプロ)に少年少女や大人の合唱団の149名、オーケストラの134名、それに指揮者(高関 健さん、このひとは現在ではいろんなオケを指揮している)の総勢約300名が参加した。それが下の写真であるが、舞台上にひとが溢れているのが分かろう。オケは大学生とは言ってもそこは全員がプロの卵なので、フツーのアマチュアとはやっぱりわけが違う。副指揮者には沼尻竜典さんと渡辺一正さんとが名を連ねていて、大昔は彼らも学生だったんだなあ、などと思ったりする。

 

 というわけで、(当時の)セミプロみたいな人たちの演奏を聴いたのだが、その気宇壮大なマーラーの世界にど肝を抜かれた。冒頭、オルガンから始まって「ヴェ〜ニ!ヴェ〜ニ」という合唱と金管の咆哮が轟き渡る。録音があまり良くなく、またやっぱりプロ未満なので金管楽器のソロで高音の聴かせどころで音が裏返ったりする、アチャ〜やってもうたって感じ。耳元でカンカンとカウベルが鳴るのも結構うるさい。しかしそんな細かい欠点もご愛嬌、300人近い人たちが一体となって作り出すアンサンブルの素晴らしさが十分に補って余りあった。最後の大団円では、人類の輝かしい未来というか人生の素晴らしさを歌い上げるようなとても明るい曲調で締めくくられる。録音でさえ鳥肌が立って大いに感動したのだから、これを生演奏で聴いたらさぞすごかろうと思う。

 ちなみにグスタフ・マーラー(1860–1911)の交響曲第8番だが、フツーの交響曲とはちょっと構成が変わっていて第○楽章というのはなくて二部構成であり、第一部は約25分、第二部はその倍の約1時間というバランスの悪い構造になっている。この第8番がマーラー自身の指揮によってミュンヘンで初演されたのが1910年9月である。すなわち今年は初演から百十年めということになる。初演から一世紀以上が経ってもセミプロの演奏でこんなに感激したのだから、プロの最高の演奏はどんな高みに連れて行ってくれるのだろうか。いま、ものすごく期待感が高まっている。では、指揮者は誰でオーケストラはどこが良いのだろうか、まあじっくりと調べることにしよう。


ますます不便に
 (2020年2月27日 その2)

 2月22日に京王線のダイヤが改正になったのですが、わたくしのような各駅停車しか止まらない駅の利用者にとってはますます不便になったことが分かりました。夕方の帰宅の時間帯に調布駅より先に進む各駅停車の電車が全く無くなってしまったのです。今までも各駅停車の本数は少なかったのですが、時間を選べばそれに乗って乗り換えなしで座って帰れました。今回の改正では絶対に調布駅で乗り換えねばならず、そのうえそこで十分近く待たないといけなくなりました。

 特急、準特急、急行、快速などを優先したい気持ちも分からなくはありません。でもちっぽけでチンケな駅でもそれが設置されている以上は、そんなに冷遇してよいものなんでしょうか…。何か間違っているように思いますよ。ただ、わたくしの利用する駅は周辺の再開発からは完全に取り残されて、そこだけ駅前広場もなく、とにかくごちゃごちゃと民家や農地!が入り混じったままの状態でして、京王電鉄も駅周辺の地主たちの頑迷ぶりに手を焼いているのかも知れません(どうだか…)。

 ひと駅先には急行停車駅があって、早足で歩くと15分くらいで着きます。実際、都心に行くときにはそうすることが多いのですが、その駅は台地上にあって、そこに行くには国分寺崖線の急坂を登らないといけないのがイヤなんですね〜(すなわち、我が家はその駅よりも多摩川に近いということ)。まあ陽気のよいときとか、気分が爽快なときには散歩がてら野川沿いを歩いて行くのもいいのですが、そうじゃないブルーなときには結構こたえます。ということでまだしばらくは、そのちっちゃな駅を利用するんでしょうね、やっぱり。


春は近いのに
 (2020年2月27日)

 今年はうるう年なので2月は29日まであるのですね。まあ今年の2月29日は土曜日なのでお得感はあまりありませんけど…。

 もうすぐ春だというのに、新型コロナウイルスの猛威?のせいでものすごい閉塞感が社会を覆っているように感じます。息がつまる感じ、とでも言うのでしょうか。東京都でもこの二週間ほどが山場で臨戦体制を敷くということで、各種の催し物や集会等の自粛をかなり強く要請され始めました。今年退職される先生の最終講義が延期となり、学科や学部の送別会なども中止となりました。また、三月下旬には卒業式がありますが、その開催も微妙になっています。学生諸氏が主催する謝恩会(迂生は毎年出席しませんが)についても、教員は出席しないという取り決めが本日なされました。学協会の会議なども延期の連絡がだんだんと入ってきました。

 これを書いているたった今も、大学当局からの諸事注意のメールが届きました。特に(3月15日までに予定している)大学主催のイベントについては延期あるいは中止するように、というのがその趣旨みたいです。とにかくコロナウイルスの感染者を出さないようにしないと社会的にまずい、という抑制意識が組織内に強く働いています。もちろん大切なことですが、どこまでやるのかの方がだんだん気になってきたことも正直なところです。あまりに強権的になるとそれは社会的な差別につながりかねません。そういう社会の風潮も気になりますね。

 こんな感じの逼塞感に満ちたなかで今朝、大型構造物実験棟にRC立体隅柱梁接合部試験体を搬入しました。M1・石川巧真さんが丹精込めて設計・作製に当たった試験体ですからとても嬉しいです。現在、M2・藤間淳さんの実験の結果をまとめつつあるので、その成果や反省に基づいて新たな実験研究として取り組んで欲しいですね。安全に注意して実験を進めてください。新しくて興味深い知見がたくさん得られることを期待しています。

  説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:RC隅柱梁接合部実験2020_石川巧真:試験体搬入20200227:IMG_1000.JPG


社会生活へおよぶ
 (2020年2月21日)

 新型コロナウイルスですが、日本国内にもじわじわと広がっているようで不気味ですね。若い人は体力があるからあまり気にならないかも知れませんが、迂生くらいになるとちょっと心配になって来ます。昨年夏に罹患した肺炎のことを思うとかなり怖いですが、自身でできることは限られているようです。報道では致死率が話題に上っていますがこれって所詮は確率ですから、たとえそれが0.1%でも運が悪けりゃ死に至るということです。そう考えるとやっぱり心胆を寒からしめる事象と言えるでしょう。

 こんな感じで新型コロナウイルスの影響は、燎原の火のごとく社会生活を席巻し始めたようです。我が大学でも三月初旬のイベントは中止になって、出入り口にアルコール消毒液が設置されましたし、今朝になって大学当局から中国人在校生の動静を報告するように要請がありました。でもさすがに来週の前期日程入学試験は予定通りに実施されます。マスクの着用は認められますが、多数が集まる教室に閉じ込められることに変わりはありませんので、やっぱり受験生諸氏にとっては嫌な感じでしょう。それは試験監督をする教員にとっても全く同じなんですけどね…。

 このような逼塞した状況はいつまで続くのでしょうか。人間の緊張ってそんなに永く持続するものではありませんから、何かの拍子に突発事件が起こったりしないとも限りません。息をひそめることなくおおらかに暮らせるように、フツーの日常に早く戻って欲しいものです。


二月半ばの記
 (2020年2月20日)

 二月も半ばを過ぎました。暖かいのはいいのですが、花粉がかなりつらくなってきました。そのせいで毎朝さす目薬がなくなったので購入しました。新型コロナ・ウイルスの脅威のせいで、使い捨てマスクはとんと見かけません。治療法が確立していないというのが恐怖心を煽りますよね。でも、インフルエンザみたいなものと考えれば、(もちろん感染したくはないですが)必要以上に怖れることもないのかなと考えます。

 所用があって調布市役所に行ったら、庁舎の免震改修工事をやっていました。監理は山下設計、施工は鹿島建設です。以前に書きましたが、この庁舎にはごつい鉄骨ブレースによる耐震補強が施されています。しかしこれだけでは不十分ということなのかな?(あるいは庁舎の中層棟部分の改修かもしれませんが…)。

 庁舎の前に平和の碑があって、その脇に桜が一本植わっているのですが、それが写真のように既に満開でした。品種はどうやら河津桜らしいです。伊豆の河津町で真っ先に咲くあの桜なのでしょうね。そういう早咲きの桜ではありますが、東京ではやっぱりかなり早い開花ではないでしょうか。

 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:調布市役所免震改修と早咲きの桜20200218:IMG_0994.JPG

 昨日は藤間淳さんの鉄筋コンクリート隅柱梁接合部実験の結果について議論するゼミナールを開きました。明治大学の晋 沂雄研究室からも三名の担当者にお出でいただき、四時間に渡ってこってりと濃密な討議を行うことができました。分からないことはまだまだ多いのですが、約半年のあいだに皆さんで検討してきた内容を使って今年の建築学会大会梗概を書くことにして、執筆担当者を決めました。迂生も久しぶりに自身でエクセルでの作業を行って検討した内容を皆さんに紹介して、それも梗概に含めてもらうことにしました。研究成果がだんだんとその姿を現してきているようで嬉しく思います。

 今日はモダニズム建築の動的保存についてのプロジェクト研究コースのゼミナールが久しぶりにありました。このコースが立ち上がってそろそろ一年ですが、二名のM1諸君の進捗状況はあまり芳しくないですねえ。この時期は就職活動で忙しいみたいなのである程度は仕方ないでしょうが、それでも大学院生の本分は研究にあり、だと思いますが…。モダニズム建築を扱うのだから、日本の近代建築の歴史くらいはしっかりと勉強したうえで自身の興味に基づいた立論を是非ともお願いしたいと思います。

 これまでかなりのプロジェクト研究コースを担当しましたが、そこに参画した学生諸氏が学会等で研究成果を発表したことは今までなかったように記憶します。まあ主に計画系のフィールドなので論文を書くのは難しいのかも知れませんが、それでもA4二枚の大会梗概くらいは書けるんじゃないかと常々考えています。もっとも今年もこんな調子ではそれは望むべくもありませんけど…残念だなあ〜。


建築学会の出版物を考える
 (2020年2月17日)

 春のように暖かな日ですが、これだけ前倒しで春がやって来る?とかなり心配になります。やっぱり季節はそれなりに進んでくれないと風情がなくていけませんやね。って、ステレオ・タイプの保守的な考え方ですけど、やっぱり日本の四季はそうであって欲しいと願います。

 さてここのところ、日本建築学会のプレストレストコンクリート構造運営委員会からの依頼でプレストレストコンクリート設計施工規準・同解説(以下、PC規準)の改定案の査読を行なっていました。大部のPC規準ですから、提出された原稿は一ヶ月以上かけて全て拝見いたしました。今回の改定では既存の内容の大幅な組み替えと新規内容の取り込みとを同時に行なっているので、担当される委員の皆さんの作業は大変だったと思量します。そういうようなご苦労は多々分かるのですが、はっきり言えば(規準書としては未完だったこともあって)建築学会が発刊する規準として要求される水準には達していないと判断せざるを得ませんでした。

 いつも書いているように、学会での活動は個々人の自発的な発意に基づくもので、全てはボランタリーなものです。ですからそのような活動の一環として学会から何か出版物を出すとしても、それは社会一般に役立つだろうという公益性を考えてのことであって、決して利益目的のものではありません。そのような個々人の善意に依存する出版物ではあるのですが、いったん世の中に出るとそれは建築学会の専門家たちの意見として、それなりに社会では尊重されることになります。さらに言えば、規準類は日本国のお上によってエンドースされるとそれはほとんど法律として遇され、非常に大きな影響を社会に与えるようになるのです。

 そういうことを承知していますので規準類の社会活動へのインパクトを考えると、学会内のいわば身内が書いたものであっても厳しい目でチェックすることが必要でしょう。そうしなければ建築学会として恥ずかしいものを世間の目に晒すことになり、ひいては社会からの信頼の失墜にもつながります。さらに最近では訴訟等において学会の出版物が権威あるものとして参照されることも増えているそうですから、下手をするとそういう見解を示した大元の学会自身が訴えられることにもなりかねません。

 ということで、仲間の書いたものに厳しいコメントを付けざるを得なかったのですが、それはそれで気分の良いものではありませんねえ。上述のような社会への責任を果たすという一点において、あえてそういうお役目を引き受けたと考えています。とは言え、改訂版作成の委員会内でもう少し丁寧に議論やチェックを行ってくれたらよかったのになあとも思います。皆さん本務のお仕事が忙しいのでそんな時間もなかったのでしょうから強くは言えませんが、まあ、そういうことでしょうな。いずれにせよPC規準の改訂版が世に出るには、まだかなりの時間がかかりそうです。

 なお鉄筋コンクリート構造関連の出版物については現在、当該運営委員会において検討中でして、そのうちまたこのページに記そうと思っています。


つばめ2020
(2020年2月13日)

 昨日の夕方、南大沢の駅前を大きく弧を描いて飛び回る数羽の鳥を見かけました。あれっと思って目を凝らすと、それは思った通りにつばめ達でした。そうかあ、今年も日本にやって来たんだなと感慨もひとしおです。しかし、ちょっと待てよ、今はまだ二月前半だよな…。

 わたくしの記憶では三月中旬以降くらいに最初のつばめを見かけるのが通例だったような気がします。今年はどうやら暖冬らしいのですが、春の訪れも予想以上に早いということでしょうか。それだったら(花粉はイヤですけど)つばめ達を歓迎したいと思いますが、天変地異の前触れっていうのは御免蒙りたいものですな。

 皆さんのところでは、つばめを見かけましたか。


君どうするの
 (2020年2月12日)

 それは不思議な電話でした。大学の頃、ひとつ上だが卒業は一緒だったNさんからでした。普段付き合いがあるわけではないので、同期会以来久しぶりに声を聞くという感じです。そのNさんが電話口で開口一番、君どうすんの?って言うんですよ。さらに、君、一級建築士持ってないんだろ、取れよ、って。何がなんだかさっぱり分かりませんが、話しをよくよく聞いていると、彼がことし還暦を迎えて設計事務所を定年になるので自分自身の定年後を考えていたら、わたくしのことを思い出して(そこの脈略は今いち分かりませんが)心配して電話したみたいでした。よく分からないけどご心配いただいたのでありがたい話しなのかな…?。

 さすがに今さら一級建築士をとる気もなければ、とっても役に立たないだろうなあとは思います。でもNさんの話しを聞いていたら、彼(建築家です)自身、一級建築士をとったのは数年前で(って、結構びっくりしましたけど)、これから建築設備一級建築士などを取得して今後の独立に備えると言っていました。まあもともと頭の良いひとではあるので勉強すれば受かるのでしょうが、その意欲がすごいと思いましたな。

 これまで、大学を定年でやめたら何をして過ごすかということを考えて来ましたが、その選択肢として仕事を続けるということは全く欠落していたのに気が付きました。なるほど、六十五歳で東京都立大学を定年になったあと、さらに研究・教育を続けたいというのであれば、定年がもっと長い私立大学等に雇ってもらうというのもあり得るわけです。ただ最近の私立大学では定年が六十五歳に設定されているところも多いみたいですから、どれくらい選択肢があるのかは分かりませんし、そもそも六十五歳を超えた老い先短い老人を雇ってくれるとも思えません。

 結局、大学を定年になって辞めたあとも研究や教育に携わりたいか、という問題になりますが、今の感じではそれらのお仕事はもういいかなあと思っています。研究したいテーマや内容は今でもごまんと挙げられますが、そんなことを言ったらキリがないわけでして、どこかでスパッと(論文の締め切り日のように)終わったほうが精神衛生上よいのではないか、とも考えます。こんなことを言っていますが、近い将来どのように考えるかはまた別です。コロッと宗旨替えしているかも知れません、あははっ。ところでNさん大丈夫かなあ、そちらがとりあえずは気になりますけど…。


喧騒のあと
 (2020年2月10日)

 寒い日が続きますが、暖かな陽射しに誘われたのでしょうか、なんだか花粉が飛び始めたように感じます。駅のホームで急にくしゃみが出始めて止まらなくなりました。そこで、こりゃ花粉アレルギーだなと感じ取りました。いやあ今年は早いですねえ。コロナウイルス騒動でマスクが手に入らないということなのでちょっと不安です…。

 さて、卒論発表等の一連の主要行事が先週終わりました。週の半ばに具合が悪くなって、結局修士論文の発表会はお休みしましたので、我が社の皆さんの発表や質疑応答を聞くことはできませんでした。でも、発表練習をはじめとしてその内容については十分に把握してい(るつもりでい)ますから、まあいいかっていう感じです。それよりは、他の研究室の発表を聞いて質問するというお役目(お互いさま、ということですが…)を果たせなかったことを申し訳なく思っています。

 無理すれば登校はできたと今になって思います。ただ、その翌日に大学院入試があって迂生がその担当者なので、休むわけにはゆきません。そこで大事をとって一日静養したという次第です。いつも書いていますが入試業務は気を使う大変な仕事で、それをたった一人でやるっていうことにものすごいプレッシャを感じます。昨年末に本学で大学院入試問題の漏洩が発覚したため、入試作業には一段と厳しい目が注がれています。そういう形式を整えることは大切だと理解します。でも正直言って、担当が一人だととても対応し切れないというのが実感です(もちろんマニュアル通りに実施しました)。人手がないのは事務方も同じなので、まさに薄氷を踏むような綱渡りの作業でした…。

 今回は幸いにもわたくしは登校できましたが、もし担当者が病気で休んでしまったらどうなるのでしょうか。そういうことは各学科で議論しろ、ということかもしれませんが、そういう体制まで含めてフェール・セーフ機構を考えて手当てするのは大学当局の役割だと思いますがいかがでしょうか。

 ということで慌ただしい二月初旬を終えて、大学は一種の高揚状態から虚脱した雰囲気へと一気にモードが変わりました。少しはのんびりしたいとは思いますが、我が社では先週、石川巧真さん担当の鉄筋コンクリート隅柱梁接合部試験体のコンクリート打設を終えたところで、三月くらいにはその実験が始まる予定です。


卒業設計の採点2020
 (2020年2月5日)

 今日の午前中、卒業設計の採点をいたしました。今年度は研究室のある9号館の1階で展示をしてくれましたので、移動の時間が短くて助かりました。写真のように9階建ての全層吹き抜けの1階アトリウムですが、その幅が狭いためになんだか井戸の底みたいな、あまり気持ちはよくない(とわたくしは思っている)アトリウムでの展示です。ただ、陽の光が差し込むところがあって、その点は良かったですね。

 今年度は19名の4年生がエントリーしました。作品を見始めた当初はこりゃ大丈夫かなと危惧しましたが、全てを見終わったあとではなかなかに良い作品もあったので、少しばかり安堵しました。昨年度と較べると(って、別になんの意味もないのですが…)平均的な出来具合は上だったように感じます。

 採点の際には昨年同様に設計した学生本人から話しを聞くことなく、図面と模型とを見て判断しました。学生諸君と議論するのは楽しいのですが、そうすると時間があっという間に過ぎてゆきますし、“口”で設計を饒舌に語るひとも出てくるので、それを避けるためです。建築は口で設計するもんじゃありませんからね。やっぱり図面があってなんぼの世界ですよ。ということで想定通りに一時間くらいで採点を終えることができました、よかったなあ〜。

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:TMU卒業設計発表会20200205:IMG_0977.JPG説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:TMU卒業設計発表会20200205:IMG_0985.JPG


ひとが感じるもの
 (2020年2月3日)

 二月になりました。だいぶ陽が長くなってきたように感じますね。今週は卒論、修論および卒業設計の発表会が行われる学事クライマックス・ウィーク(勝手に名付けました)です。一年なり二年なりの研究成果をまとめて発表する学生諸君が大変なのはもちろんですが、座って聞いている教員にとってもとても忍耐を要する時間になります。初めて聞くひとにとって分かりやすい発表を心がけてくれることを祈るばかりですなあ。

 さて、昨日の朝日新聞に坂本龍一の活動が載っていたのですが、そこに「音楽の力」と言うのは恥ずべき言葉であると強調されていました。音楽を聞いて感じ取るものは個々人によって異なるし、また同じひとでもその音楽を聞く状況によって感じ方は変化するのだから、聴く人に癒しや感動をあたえるなどと音楽家は言うべきではないし、そもそもおこがましい、というようなことを彼は言っていました。また、未成年の若者がスポーツを通して人々に勇気を与えたいなどというのも恥ずべき言葉であって、それは大人がそう言うのを聞いているからだとも書いてあります。

 迂生は別に坂本龍一のファンでも信奉者でもなんでもありませんが、いいこと言うじゃありませんか。スポーツ選手などが宣誓とかインタビューとかで勇気と感動とを与えたいなどと言うのを聞いて苦々しく思っているひとがいるということを知って、少しばかり安心しましたな。彼はなぜ音楽をやるのかという理由として、やりたいからやるんだ、それを聴くひとがどう思おうが知ったこっちゃない、という趣旨の話しも語っています。いやあ、清々しいですなあ、全くもってその通りだと思います。

 本来、音楽もスポーツもさらには研究も自分自身がやりたいからやるのであって、それが周囲にどういう影響を与えるかなどということは考えないものでしょう。この研究成果を世に出したらみんなビックリするぞ〜なんてよこしまに考えながら研究しているひとがいたとしたら、そんなひとは真っ当な科学者じゃないですな、絶対に。

 でも「音楽の力」を恥ずかしげもなく軽々に口にする音楽家が多いなかで、それが恥ずべき言葉であると真正面から述べた坂本龍一はなかなか勇気がありますねえ。かなりの年配になってもう怖いものなしっていう感じかもしれませんけど、自分が好きでやりたいことをやっている、という至極当たり前のことを堂々と口にできる世の中で良かったとつくづく思います。


音の魔術師
 〜ラヴェルを聴きながら〜(2020年1月27日)

 今年になってからモーリス・ラヴェル(フランスの作曲家、1875〜1937)の音楽をかなりヘヴィーに聴いています。ある本にラヴェルが編曲の天才であったと書かれていたのに興味を覚えたからです。それまでわたくしはラヴェルの曲としてはオーケストラ版の「ボレロ」しか聴いたことはありませんでした。女房のオケが大晦日の年越しコンサート(ジルベスタ・コンサート)で午後11時45分くらいからこの曲を弾き始めて元日の午前0時ジャストに演奏し終えるという、いわゆる新年カウント・ダウンの曲として「ボレロ」を聴きました。有名な曲ですが、なんだか単調な感じで(それがこの曲の特徴なのでしょうけど…)あまり好みではありませんでした。ちなみにこのときの指揮者は井上道義さんだったかな。

 しかし例えばラヴェルがオーケストラ用に編曲した「展覧会の絵」(ムソルグスキー)は素晴らしいと思います。この曲はもともとピアノ曲だったものをオーケストラの各楽器に音を割り振って管弦楽用に作り直したものです。原曲はムソルグスキーですが、この編曲版を聴けばこれはもう一つの立派な作曲行為というふうに(少なくとも迂生には)思えます。

 次にラヴェルがもともとオーケストラ用に作った「ラ・ヴァルス」(英語ではワルツ)を自身で二台のピアノ用に編曲したものを聴いてみました。普通はピアノ曲をオーケストラ用に編曲することが多いのですが、これはその逆のパターンで珍しいみたいです。結論から言えば、やっぱりオーケストラ版のほうが音色が豊かでカラフルな感じは否めませんでしたね。ただ、ラヴェルの特徴だと思いますが色々な音が複雑に混じりあっているので聴いていると結構疲れるし、楽曲の構造が掴みにくいのですが、ピアノ版のほうを聴くとこの曲の構造が把握しやすくなります。

   

 ちなみに「ラ・ヴァルス」のオーケストラ版は左のジャン・マルティノン指揮のアルバムに、二台のピアノ版は右のジャン=フィリップ・コラールとミシェル・ベロッフのアルバムに入っていました(二枚とも女房の棚にあったものをたまたま見つけたものです)。右側のアルバムにはロリン・マゼールの指揮、ジャン=フィリップ・コラールのピアノでラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調」が冒頭に入っています。これはものすごくキラキラとして華やかで賑やかな曲でして、これを聴くとラヴェルが「オーケストラの魔術師」と呼ばれたことも大いに納得できます。オーケストラの奏者たちにとっては演奏するのが大変な曲なんじゃないでしょうか…。

 このピアノ協奏曲の第一楽章のはじめの方になんだか聴いたことがあるようなピアノや金管楽器のフレーズが出てきます。それはジョージ・ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」でした。そうかあ、ラヴェルのこの曲を聴いたガーシュインがちょっと拝借したんだなと最初は思ったのですが、よくよく考えるとラヴェルもガーシュインも20世紀前半に活躍した同時代人でした。そこでこの二曲の作曲年を調べてみると…ラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調」は1931年、ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」の成立は結構複雑ですがオリジナルのピアノ曲は1924年でそれをグローフェがオーケストラ用に編曲したのが1926年でした。つまり「ラプソディ・イン・ブルー」のほうが先に世の中に出たことになります。

 うーん、どうでしょうか。ガーシュインはその当時、ポピュラーソングの作曲家として既に十分に有名でしたでしょうから、ラヴェルが「ラプソディ・イン・ブルー」を聴いていたことは十分にあり得ます。実際、ウィキペディアを見ると1928年にニューヨークでラヴェルとガーシュインとが写った写真が残っていますので、このときに「ラプソディ・イン・ブルー」が話題になったかも知れません。ラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調」にはジャズの要素も取り入れられているということですから、「ラプソディ・イン・ブルー」の一節が入り込んだということは大いにありそうです。実際、クラシックの名曲には先人の楽曲のフレーズを拝借して自作に取り入れるということはよく行われてきたそうです。もちろんそうだとしてもラヴェルのピアノ協奏曲がなかなかに素晴らしい曲であるというわたくしの評価は変わりませんけどね。


見えてきた、あるいは聞こえてきた
 (2020年1月23日)

 久しぶりに駒場の頃の仲間たちが集まりました。理系フランス語のクラスで、四、五十人いたと思いますが、そのなかの気の合う仲間十一人が集いました。結構な人数だと思います。差配役は生涯幹事!?に任命されている村上哲さんです(セッティング、ありがとう)。

 そこで大いに話題となったのが企業や大学の定年のことでした。というのも、この会の名目が「還暦を迎える仲間を祝う会」だったからでしょうね。大学入学には個人的な事情(端的に言えば浪人、ですけど…)があって年齢はまちまちですが、この会の四名が今年還暦を迎えるのでお祝いしよう、ということでした。企業の定年には還暦を迎えるその月に辞めさせられることがあるそうで、そういう人はもう間もなく定年になって放り出されるということらしいですので、結構切実な問題でしょうね。

 そうか、還暦かあ。わたくしにとってはまだ少し先のことくらいの認識でしたが、青春時代の仲間たちと語らっているうちにもうそろそろ見えてきた、というかその足音が聞こえてきたということでしょうか。国公立大学でもうちの定年は65歳ですが、63歳というところもあって、定年の年齢もまちまちということみたいでした。

 定年後はどう過ごすべきか、ということを以前に幾度か書きました。もちろんそのことの答えは明確には得られていないのですが、それよりも最近は定年まで健康で生き延びることの方がとりあえず大切な気がしてきました。これは昨年夏の肺炎が大きな契機となったのですが、とにかく健康第一なんですよね。健康に生きながらえて定年を迎える、ということがフツーのことではない、ということに気がついたと言ってもよいでしょう。ガツガツと働く元気はもう無くなってきましたので、これからはおのれの人生とか健康とかをよく考えて暮らそうと思います。


いつになったら…
 (2020年1月21日)

 昨日は登校しようとしたら人身事故でちょうど電車が止まったところでした。どうするかなあ…とちょっと考えて、暖かな日差しでしたし、ちょっと気になるところもあったので、それでは数駅先の調布まで歩くかということにしました。気になる場所というのは、品川通りと甲州街道(国道20号)とを結ぶための未開通道路のことです。これだけ都市化が進んでいるなかで新しく道路を造るのは大変だと思うのですが、その新道は既に線形は出来上がっていて、ちょっと頑張ればすぐにも開通しそうに見えます。

 今からちょうど七年前の2013年1月に撮った写真と昨日撮った写真とを並べて見ましょう。左が七年前で右が現在ですが、あんまり変わってないように見えますね。現在も路面には白線などは引かれていませんし、そもそも街灯が全く見当たりませんから、まだしばらく開通しないつもりでしょうか。

  

  

 ただ、京王線をくぐるアンダーパスは七年前の左の状況から較べるとほぼ完成していて(右の写真)、片側一車線道路が相当深くまで潜っているように見えます。道路の掘割が深いために両側のコンクリート擁壁が絶壁のようになっていて、ちょっと怖く感じますね。ここを車で通るときには一瞬で通り過ぎるのでしょうが、かなり圧迫感を感じそうです。

 左上の写真ではかなり幅広のトンネル状のものが見えていますが、これは右写真の車用アンダーパスの両側に歩行者専用のアンダーパスが付設されているためと思われます(土木の専門家ではないので間違っているかも…)。ただ、歩行者用のそれを左下に載せておきますが、内部に照明が灯っていないせいもあってかなりの奈落に下っていくような印象を持ちました。こんな辛気臭い(し、それよりも治安上、大丈夫かなあと不安になる)通路は通りたくないというのが第一印象ですな。

  

 アンダーパスの路面には黄色のセンターラインも引かれていますから、この工区は完成しているようです。この新道(東京都の都市計画道路で延長約470メートル)の建設工事を制約している条件が何なのか全く分かりませんが、七年以上もかけて工事するような“難物”なのでしょうか…(お上のすることなので理解不能?)。いつになったら開通するのか知りませんが、早いところ便利な道路として一般市民に享受させて欲しいものですなあ。


大地震から十年後の淡路島
 (2020年1月20日)

 先週、兵庫県南部地震の思い出を記しましたが、その十年後の2005年1月半ばに震源地・淡路島でこの地震の十周年を祈念する地震工学国際シンポジウムが開かれました。会場は安藤忠雄が設計した淡路夢舞台です。淡路島へは既に本四連絡橋がかかっていて、確か大阪辺りからバスでアクセスしたように記憶します。壁谷澤寿海先生やJack Moehle 先生が主催者にお名前を連ねておいででしたので、その関係で論文を投稿して発表したのでしょう。

 その国際会議のことはほとんど憶えていませんが、わたくしは連層鉄骨ブレースで耐震補強した2層3スパンの鉄筋コンクリート骨組の実験結果を報告いたしました。我が社の大学院生だった加藤弘行さんが21世紀初頭に実験して修論にまとめた研究です。

 会場の淡路夢舞台は1995年の地震によって活断層の存在が明らかになったために当初の設計を変更して、2000年に竣工しました。ホテル、国際会議場、劇場、飲食施設、段々畑状の花壇などから構成されており、淡路島の一大リゾートということみたいです。さすがに巨匠・安藤忠雄の設計だけあってコンクリートの質感を遺憾なく発揮した立派な施設でした。

 先日のこのページに兵庫県南部地震による建物被害の写真をちょっとだけ紹介しましたが、それっていつ見てもやっぱり悲しくなります。そこで今回は鎮魂と未来の安寧とを希求する淡路夢舞台の写真(全て2005年1月撮影)を載せておきます。

  

  

  

  左上は斜面に設けられた段々畑状の花壇の上の方から淡路夢舞台の施設全体を見たところです。この日は小雨の降るどんよりと曇った日よりでしたが遥かに瀬戸内海が臨めます。ホテルからレストランに行くあいだには円形や楕円形のちょっとした広場があって、コンクリート打ち放しの造形が巧みです。水盤や噴水が効果的にそれらの空間を演出しています。右下は兵庫県立国際会議場の吹き放しのロビーです。全体的に細部のあらゆるところまでデザインが考えられていて、とにかくお金がかかっているなあというのが強く印象に残りました。下に淡路夢舞台の配置図を載せておきます。「百段苑」とあるのが段々畑状の花壇のことです。

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共同実験おわる
 (2020年1月17日 その2)

 昨年11月から加力を始めた芝浦工業大学・岸田研究室との共同実験ですが、本日のお昼に無事終わりました。ト形の外柱梁部分架構実験になってからは担当の学生諸君が論文執筆の時期になったり、健康を害したりして実験棟に来れなくなったので、岸田慎司先生御自らが実験を差配して加力してくださいました。授業や学内外での活動でお忙しいのに本学まで来て作業していただき、どうもありがとうございます。岸田研卒論生の道正壮晴さんは卒論提出間際までしっかり実験に参加してくれて、よかったです。この四月からは我が社の一員に加わる予定ですので、さらなる活躍を期待しています。

 このト形試験体の実験では、設計した通りに梁のヒンジ・リロケーションを実現できて柱梁接合部の損傷を抑えることができました。やっと狙い通りの実験結果を得ることができてとてもうれしいですね。でも、実験するとその度にどうしてかなあとか、なぜこうなるのかなあ?などという新たな疑問が湧いてくるのですから、嬉しくなっちゃいますよね〜。やっぱり自分のやりたい研究はやめられません、がははっ。

 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:RC柱梁部分架構実験_岸田研_ネツレン_三井住友建設2019:8体め_ト形_MB-12_柱中段筋あり_変動軸力:IMG_4547.JPG


あれから四半世紀
 (2020年1月17日)

 兵庫県南部地震(通称は阪神大震災)が六千名以上の方々の命を奪ってから25年になりました。それから四半世紀という節目のせいか、ここのところ新聞にはこの地震で亡くなった若者のことが紹介されています。それを読むといずれも前途有望で輝かしい未来が待っていたはずの人たちが自宅の倒壊によって理不尽に命を絶たれたことが分かります。この地震ではそういう悲劇が無数にあったであろうことは理解していますが、それは漠然とした想像に過ぎませんでした。でも、一人ひとりの名前のある方のそれまでの人生と死とを知ることでその悲しさや無念さがリアルに胸に迫ってきて落涙を禁じ得ません。

 1995年のこの日に地震が発生して十日ほど後に、西川孝夫先生たちと神戸へ入りました。そのときに撮ったのがしたの写真です。左は木造住宅の1階が崩壊したり、転倒したりして道路を塞いだ状況です。右は鉄骨構造4階建てのアパートの1階が完全に崩壊して潰れています。地震が発生したのは早朝の5時46分でしたから、ここで暮らしていた人たちの多くはまだ寝ていたでしょう。そのことの帰結として、その人たちが甚大な被害を受けたであろうことは想像にかたくありません。

  

 建物のこのような地震被害によって亡くなったり怪我をしたりする人々がゼロになるようにすること、それが建築構造の研究と実践とに携わる研究者や設計者に課された責務です。この当たり前の使命を忘れることなく肝に銘じて、これからも耐震性能向上のための研究に励んでゆこうと思います(本願成就)。でも、人々の幸を奪うような大地震が来襲しないにこしたことはありませんので、そのことを切に願います(他力本願)。


一月なかば (2020年1月14日)

 新年が明けて一月半ばになりました。きょうは日本コンクリート工学会・年次論文の締め切りです。この連休にはそのせいで、お二人の方から論文内容の確認のメールをいただき、それらの論文を丁寧に拝見して意見等を送りました。この作業に結構な時間がかかり、また我が社の立体隅柱梁接合部崩壊実験の結果を持ち帰ってウンウン唸りながら考えたりしたので、三日間の連休はあっという間に過ぎてゆきました。

 我が社にはM2が四名いていずれも興味深い研究に取り組んでいると迂生は思うのですが、結局誰も原稿を見せてくれませんでしたから、今年は誰もJCI年次論文を出さないのでしょうな。かなり残念ですが、学生諸君が選んだことですから仕方ないですよね…。若い頃には学生諸氏を叱咤激励して論文を一緒になって書いたものですが、なんだかもうそのような元気は出ないですなあ。

 お休みだとずっと家にいることが多いのですが、女房からあなたは休めていいわね、主婦には休みがないんだから…などと言われますので、日頃の感謝の念を込めてたまにはご飯を作って家族に食べさせたりしました。お昼はスパゲッティ・ペペロンチーノで、晩御飯は鱈とアサリのサルサ・ヴェルデとお味噌汁です。いずれもオリーブ・オイル、ニンニクそれにどっさりのパセリが入っていて、我が家では皆の好物になっています。今食べているお米は山形県鶴岡産のつや姫です。北海道のゆめぴりかなどと較べるとあっさりしていて物足りなく感じることもありますが、噛むと滋味がじわっと口中に広がってそれはそれで美味しいです。


めでたしオール・スタッフ (2020年1月10日)

 昨日は新年最初の教室会議がありました。そのあと、建築学科のホームページ担当のパリの日本人・鳥海基樹さん(准教授、都市計画学)が、いよいよ本番の受験生を激励するためにHP冒頭にスタッフの集合写真を掲載したいと言ったので、皆で撮ったのが下の写真です。11号館の前にある池越しに撮影したので人間が豆粒みたいに写っていますが、まあいいんでしょうな。よいお日和で正面から太陽が照りつけていたので、皆さんの目は細めで眩しそうに写っています。

 当初は鳥海さんが自分でシャッターを切るとか言っていたのですが、それじゃ写真に写るのはオール・スタッフではないじゃないか、君は何を言っているんだということで、急きょ高木研の大学院生くんを呼んできてシャッターを押してもらったといういわくがあります。三脚を立てればってわたくしが言ったのですが、池の対岸までとても十秒では辿り着けない距離だったので、こうなりました。

 しかし長の年月を振り返ってみても、建築学教室の全教員が揃って写真を撮ったという記憶が迂生にはございません。三十代から定年間近のかたまで見事に勢ぞろいしました。そのことを思うと、これって結構縁起のいいことじゃないかとも考えました。というわけで、わたくしのこのページにもその写真を載せた次第です。ありがたや〜。



正月やすみも終わり (2020年1月5日)

 このお正月は一月三日が金曜日だったので今日、日曜日までお休みです。一週間以上の長いお休みで退屈するかなあとチラッと思いましたが、そんなことは全くありませんでした。大方は本を読んだり音楽を聴いたりしてのんびりとゆっくり過ごしました。年末に年賀状を投函しただけで外出もしませんでした。女房からはよくもそんなに家に居られるねって呆れられる始末です、あははっ。

 年末のゴーン被告のレバノン逃亡には驚きましたね。それにしても日本の司法も甘く見られたものです。それ以上に大金持ちってその気になればなんでもできる、ということを思い知らしめた事件でした。アメリカとイランとの戦争突入直前のような険悪な状況は心配です。アメリカがイランの英雄的司令官を殺害したことがその引き金を引いたようですが、ひとをあやめたら殺人罪としてその罪を問われるのがフツーなのに、国家(米国)による殺人はどうやらそうではないというところに空恐ろしさを感じます。

 テレビは大晦日の紅白歌合戦の後半をちょっと見ただけで、全く見ませんでした。家人は例によって箱根駅伝を初めから最後まで延べ12時間くらい見っ放しでしたが、わたくしは全く興味はございません。筑波大学がすごく久しぶりに出場したというニュースを聞いて心のなかではエールを送りましたが、成績は残念ながら最下位だったようです。筑波大学の前身である東京教育大学とか東京高等師範学校とかは北山家ではその縁に連なるひと達が大勢いる(いた)のですが、残念ながらわたくしだけは無縁でして、おまけに大学が(大昔に)筑波の地に移ってしまっては、ほとんど縁もゆかりもないというあり様に立ち至っております、はい。

 明日からは大学でのお仕事が始まります。とりあえず日本コンクリート工学会の年次論文に投稿することが新年最初のタスクですが、M2の人たちの論文執筆状況はどうでしょうか。それを聞くのが楽しみでもあり、怖いようでもあり…。世界地震工学会議(17WCEE)の論文〆切は一月末なのですが、参加費が8万円だか9万円だかと高額であることに加え、この参加費をあらかじめ支払わないと投稿した論文をアクセプトしないというルールになっています。そんなこんなの理由で英文論文作成が億劫になっているのが現状です。昨夏の日本建築学会大会に参加できなかったという体験を踏まえて、17WCEEもそろそろ卒業してもいいかななどと言い訳している自分がおりますが、どうしたものか…。


好対照 (2020年1月2日)

 おとといの紅白歌合戦ですが、久しぶりに少しだけ見ました。竹内まりやを見ようと思ったからですが、一部のその筋ではNHK流のサプライズで旦那の山下達郎も出るんじゃないかと言われていたこともあります。残念ながらそれはありませんでしたが、NHKのスタジオでバンドも入れずにひとりきりで「いのちの歌」を朗々と唄いました。それはなかなかに良かったです。背後に流れた写真の一葉に大滝詠一が写っていたのに気がつきましたか?

 そのあと松任谷由実が出てきて「ノーサイド」(懐かしいですね〜)を歌いましたが、旦那の松任谷正隆がキーボードを弾いています。バンドには林立夫や鈴木茂といった往年の名プレイヤーたちが並んでいました。ユーミンの声は若い頃とほとんど変わらずにやっぱり良かったですが、その演奏スタイルは竹内まりやとは好対照を為していましたね。

 しかしこの歌合戦にラグビーが随所に出てきたのには辟易としましたな。ユーミンが「ノーサイド」を唄ったのだってそれがラグビーの一場面を歌っていたからです。そんなに皆さんラグビーがお好きなのでしょうか。昨年のラグビー日本代表の活躍を取り上げておけばみんな喜んでテレビを見るということでしょうか。なんだかなあ、って感じがしますねえ。

 我が家の愚息がはまっているOfficial髭男ディズムの曲も初めて聞きましたが、あのボーカルのひとはなんで立ってアップライト・ピアノを弾いているのでしょうか? 曲よりもそちらの方が気になって、どんな曲だったかよく分からないまま終わりました、あははっ。舞台の中央にアップライト・ピアノがでんと置かれていても、あまり絵にならないですけど…、まあいいか。

 松田聖子はすごかったですよ。あの歳なのに往年のブリブリ感が満載で、その当時のアイドルぶりがそのまま再現されていたのです。わたくしのようなおじさん&おばさんにはとても懐かしくて嬉しかったですが、若いひとには多分、あの凄さは分からなかったでしょうね。ここまでやったならばもう一丁!デビュー曲の「青い珊瑚礁」も唄って欲しかったなあ〜って、我が家の女房と話していましたねん。


元旦2020 (2020年1月1日)

 穏やかで小春日和の新年を迎えました。(多くの方々に宛てた年賀状に記しましたが)本年も今まで以上に健康第一で楽しく過ごしとう存じます。年齢より若い身体状況には戻れませんし、思考の傾向が年齢ととともに保守化しようとするのを自身の脳回路ではどうすることもできません。それが人類数百万年に渡って連綿と続く遺伝子の為せる業であると考えれば、それに抗う必要もありません。全てはなるがままに任せれば良いのですから…。

 そういう(ひとを喰ったような)達観で始まった新年ですが、昨日の大晦日に届いた学士會会報(No.940、2020-I)をパラパラとめくっていると、歌人で生物学者の永田和宏さんが書いた『「知の体力」と「問う力」』という一文があって、高校では「学習」(学んで習得する)だが大学では「学問」(学んで問い直す)が重要、とあるのに目がとまりました。なるほどうまいこと言うなあ、その通りだよなと思いながら読み出すと、次々と名言?が出てきます。教科書に書いてあることは講義する必要はない、ファカルティ・ディヴェロップメント(FD)は意味がない、大学教員は良い教育者であるより良い研究者であれなど、う〜んと唸ったりその通りだと大いに同意したり…。

 そして極め付けが「大学まで来て、「知りたい」と思っていない学生に教えることに意味があるのでしょうか」という独白です。アクティブ・ラーニングなどと称してなんとか学生諸君に飽きさせずに勉強させる手法をあれこれ工夫するよう言われますが、そもそも学びたいという意欲が希薄なひとに手取り足取り教えても詮無いことである、というのはまさにその通りであると迂生も常々思っています。しかしここまではっきり書かれると、それを言っちゃお終いよっていう気もして参りますな、身も蓋もないというか…。

 わたくし自身は(このページで折に触れ書いてきたように)アクティブ・ラーニングの様々な手法や体験談を積極的に学び、それを実践するように努力してきたつもりです。しかし、そのような趣旨に沿った新奇な試みが必ずしも上手くゆくとは限らない、という教室での経験を積むにつれ、猫も杓子も“アクティブ・ラーニング!”と唱えることに疑問を感じるようになりました。教育の手法に王道というものはなく、それぞれの科目の特性に応じて個々の教員が経験に応じて工夫して進めれば良い、というのが迂生の辿り着いた結論でした。

 ただ、問いを自分で見つけてそれを自身で解決することのできる学生は、現代では東大・京大クラスの大学でも少ないのではないでしょうか。著者の永田さんが書いていますが、現代ではインターネットで知が安易に与えられるので、誰もが深く考えることをしなくなったというのがその根底にあると思います。このような時代だからこそ知の拠点としての大学の価値は益々高まってくると考えます。そうであれば、世の中の単眼的・近視眼的な志向に流されることなく知の探求に今年も専心したいと存じます。このページをご覧いただいている皆さんとは多様な問題について忌憚なく議論したいと思っていますので、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 
 写真 知の拠点の夕景(東京都立大学正門前にて/20193月撮影)



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