Limitrophe(リミトロフ)
東京都立大学・西山雄二研究室紀要
ISSN 2437-0088
(刊行元:東京都八王子市南大沢1-1 東京都立大学人文科学研究科 西山雄二研究室)
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No. 4、2024年、全178頁

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特集 ジャン・ジュネ/「あわい」の思考

巻頭言 西山雄二  p. 1

特集 ジャン・ジュネ
「鵜飼哲、ジュネを語る──ジュネ研究の過去・現在・未来」(聞き手=佐藤勇輝) p. 3
エマニュエル・ランベール、ジル・フィリップ、アルベール・ディシィ
「プレイヤード版(『小説と詩』)のジャン・ジュネ」(訳=佐藤勇輝・西山雄二) p. 29
岑村傑「所有と携行──ジュネのスーツケース」 p. 42
根岸徹郎「ジャン・ジュネと演劇──「見る」ことと「書く」ことの結節点として」 p. 57
中田麻理「対であることをめぐる幻想──ジャン・ジュネ『葬儀』を中心に」p. 68

特集「あわい」の思考
宇野邦一・越智雄磨「「生の有機/非有機のあわい」をめぐる討議」 p. 77
デンニッツァ・ガブラコヴァ「記憶と虚構の間──「廃園」という自己療法」 p. 85
高桑枝実子「「記憶と虚構のあわい」に接して」 p. 94
西山雄二「たゆたえども沈まぬ都市の歴史的脈動──源川真希『東京史 七つのテーマで巨大都市を読み解く』を読む p. 96
源川真希「『東京史』へのさまざまな批評に接して──秋の大運動会の余韻」 p. 100
ダリン・テネフ「あわいとしての虚構、あるいは盲目の予言者テイレシアスの後継者たち」 p. 105
高橋博美「「あわい」という装置——単身世帯の増加と多様な連携モデル」 p. 117
八木悠允「なぜ「あわい」か? 二つの「あわい」のあいだで」 p. 125

金志成『対話性の境界──ウーヴェ・ヨーンゾンの詩学』を読む
金志成、森野紗英、米原大起、高波力生哉、西山雄二 p. 128

コリーヌ・ペリュション『世界の修復──人間、動物、自然』をめぐる討議
コリーヌ・ペリュション、八木悠允、櫻田裕紀、佐藤愛、谷虹陽、若杉茜、清水雄大、桐谷慧 p. 145

森祐太「動物性から二つの友愛へ──バタイユにおける人間と動物の関係」 p. 160
2023年度 西山雄二研究室 活動報告 p. 171

巻頭言
西山雄二

 2023年度の研究教育活動の成果として、東京都立大学西山雄二研究室は今年も紀要Limitrophe(リミトロフ)を二号同時刊行する。第五号は柿並良佑氏(山形大学)の責任編集のもとで、フィリップ・ラクー=ラバルト/ジャン=リュック・ナンシーの特集号となる。この第四号は通常号として、以下の特集を組んでいる。

 まず、ジャン・ジュネ特集。本学修士課程の佐藤勇輝氏がジュネ研究に従事しており、彼の主導の下で企画が準備された。鵜飼氏のインタビューと「プレイヤード版のジャン・ジュネ」の翻訳は佐藤氏の並外れた力業によるもので、まずはこの若手研究者が予想以上の見事な成果を達成したことを心から讃えたい。巻頭を飾る鵜飼哲氏については、2023年8月に長野県松本市のご自宅にうかがい、インタビューをさせていただいた。鵜飼氏とジュネとの関わりを掘り下げる自伝的なインタビューで、ジュネ研究の蓄積と可能性を見通せる豊かな内容となった。本インタビューは動画も記録し、YOUTUBE上にて公開している(https://youtu.be/8QwyPi-cvOA)。エマニュエル・ランベール、ジル・フィリップ、アルベール・ディシィの各氏との対話「プレイヤード版のジャン・ジュネ」は、現時点でジュネへの新たな入門となる談話である。2021年にガリマール社のプレイヤード叢書から「小説と詩」が刊行されたことを受けて、ジュネの創作活動と生涯が明瞭に語られている。岑村傑氏はジュネが遺したスーツケースをめぐって、新資料から考察しうるジュネのさまざまな側面と論点を浮き彫りにしている。根岸徹郎氏は、ジュネの演劇と他の作品の関わりを検証し、ジュネが構想した「演劇の在り方」とその意味が、彼が新たな戯曲を書かなくなった時期にもいかに継承されたのかを考察している。中田麻理氏は、ジュネ『葬儀』を参照しつつ、生者と死者の対をめぐるジュネ特有の文学的言説を分析している。

 つぎに、「「あわい」の思考」をめぐる特集。これは、東京都立大学の学長裁量経費「「あわい」をめぐる日本とヨーロッパの比較文化研究の双方向的展開」による研究プロジェクトの一連の成果である。「あわい」は二つの物や人の相互関係を指し示す日本独特の概念で、西欧文化との比較の有益な指標となりうる。「あわい」の論点を通じて、精神と身体、生と死、世俗と神聖、公と私など、人間を取り巻く相互関係を総合的に考察することができる。本特集では、哲学、文学、歴史学、社会学などの分野で、日本とフランス、ブルガリアの研究者らが国際的に連携した結果が示されている。宇野邦一氏には講演「生の有機/非有機のあわい——アルトーとドゥルーズの〈思考〉から」をおこなっていただき、最新著『非有機的生』の議論を展開していただいた。デンニッツァ・ガブラコヴァ氏は講演「廃園──記憶と虚構のあわい」において、自著『雑草の夢』から『廃園』までの思索の歩みを振り返りつつ、記憶と虚構の錯綜した関係を描き出してくれた。源川真希氏の新刊『東京史 七つのテーマで巨大都市を読み解く』をめぐって、東京都立大学人文社会学部の九名の教員が参加した合評会は画期的だった。これほど異なる専門分野の先生方が連携することはまれで、「秋の大運動会」と呼ぶにふさわしい知的催事となった。年末には、ブルガリアからダリン・テネフ氏、フランスから高橋博美氏が参加して、国際セミナー「日本とヨーロッパにおける「あわい」」が開かれた。テネフ氏は相変わらずの博学ぶりで、文学における虚構概念を分析した上で、フランス思想、古代ギリシア文学、イギリス文学、日本文学を比較参照しながら、境界をめぐる虚構的経験の諸相を解き明かした。高橋氏は日本社会における世帯の小規模化とその問題をめぐって、住居や都市空間における建築的装置としての「あわい」、地域コミュニティにおける「あわい」としてのネットワークについての可能性を検討した。

 そして、金志成『対話性の境界──ウーヴェ・ヨーンゾンの詩学』、コリーヌ・ペリュション『世界の修復──人間、動物、自然』の合評会の記録が収録されている。いずれも若手研究者らが発表し、コメントと質問を投げかけて、筆者が応答する会である。若手研究者が著者と学術交流する貴重な機会であり、どの発表でも著作をめぐって入念に準備された議論が披露された。今後もこのような取り組みを若手研究者とつくっていきたい。

 今号もみなさんの適切な執筆・校閲のおかげで、無事に刊行にこぎ着けることができた。尽力していただいた執筆者のみなさんには感謝申し上げる次第である。

 人文科学では大学院進学率が低下しており、若手研究者の育成が先細りしている。また、世界的にみて、人文科学の研究活動はしばしば社会的なプレッシャーに曝され、大学での活動や地位が困難になりつつある。もっとも劇的な事例のひとつを示せば、本誌に寄稿していただいたガブラコヴァ氏が勤務するニュージーランドのウェリントン・ヴィクトリア大学では、予算削減のため、ギリシア語、ラテン語、イタリア語、地理学など六つの人文系コースが2023年秋に閉鎖され、229の雇用が失われた。

 人文科学は小規模で分散的な専攻が乱立する傾向が強く、各々の研究者が孤立したままで、分野横断的な研究連携を敬遠しがちである。たしかに各人が孤高の成果を生み出すこともあるが、しかし、多様な人材による柔軟な活動展開やスケールメリットを生かした取組みが十分に発揮されているとは言えない。実際、文部科学省は2023年度から「人文・社会科学系ネットワーク型大学院構築事業」を実施して、変革へのインセンティブをうながしている。

 本誌Limitropheは創刊当初から、西山雄二研究室に閉じることなく、専門分野を超えて、大学を越えて、国内外でのネットワーク的な研究展開の成果を披露してきた。大学の紀要は安定的に刊行ができる媒体で、研究費を有効に活用するべく、その都度必要な人材が共同して成果を上げる可能性を秘めている。本誌にはベテランから若手までの研究者が参与しているが、とりわけ若手研究者の論考や翻訳などには力を入れており、彼女/彼らのキャリア形成に貢献している。

 Limitrophe(リミトロフ)の由来はラテン語limes(境界、国境)とギリシア語trophos(養うもの)で、境界が養分を育み、成長を続けていくという含意がある。
 今後も、本誌での柔軟な研究交流を通じて、人文科学の未来を切り開いていく。