東京都における在日トルコ人に関する調査研究

(森田雄介:研究班A「移動と復元」)

 本研究は、在日トルコ人の生活圏およびネットワークが東京ジャーミーを基点としていかに形成されているのかを明らかにすることを目的としている。在日トルコ人は現在、全国で2500人程度(2010年度在留資格者)であり、そのうち東京には600人ほどが暮らしている。来日するトルコ人の数は1990年代以降増加傾向にあり、ここ数年はほぼ横ばいで推移しているものの、その人数は10年前と比べて約2倍となっている。この中には、難民申請を行ってきたクルド人や、戦前に日本へと亡命してきたタタール人なども含まれる。また日本政府はトルコ人に対し90日間までビザなしでの滞在を認めており、短期滞在者や不法滞在者を加味するとより多数のトルコ人が日本で生活していると思われる。
 多くがイスラーム教徒である在日トルコ人にとって、生活の中で最も重要な事項の一つは日々の礼拝であろう。今回の調査では、東京都渋谷区の大規模モスクである東京ジャーミーが東京に暮らす在日トルコ人ネットワークの拠点になっていると考え、スタッフに対する聞き取り調査と東京ジャーミーに関する文献調査を行った。

 

1.調査結果                                   

 「ジャーミー」とは金曜日の合同礼拝を行う中心的なモスクを意味し、東京ジャーミーは500人以上での礼拝が可能なモスクである。東京都内には随所にモスクが存在し、その中には雑居ビルの一室を使ったもの(新大久保)なども見られるが、そうした街の中に潜むモスクと比較すると、東京ジャーミーは極めて大規模である。建物全体はトルコ様式であり、小田急線代々木上原駅からはそびえたつ尖塔(ミナレット)が目に入る。2階建ての建物のうち、1階には事務室および女性用の礼拝所および手洗い場(祈りの前に身を清める)などが設けられ、2階は男性用の大規模な礼拝所となっていた。建物の至る所に彫刻や刻印が施され、メッカの方向を示すミフラーブが各礼拝所に飾られている。
 現在の東京ジャーミーは、日本に居住するトルコ系タタール人によって1938年に建設されたモスクを前身とする。彼らはロシア革命を期に日本へと亡命してきた人々であり、その数は数千人に及んだ。彼らの子孫の一部が現在も東京ジャーミー周辺に居住している。それらの人々や日本の財界からの寄付をもとに、土地の取得・建物の建設が行われ、1938年木造のモスク(東京モスク・東京回教礼拝堂)が完成したのである。戦後老朽化が進み、この建物は1986年に取り壊された。2000年に現在の建物が建設されている。1階のホールにはかつてのモスクの写真が飾られ、在日ムスリムの長い歴史を物語っている。
 東京ジャーミーはトルコ政府による多大な援助を受けて成立し、運営されている。建設のための十数億円の建設費は、在日イスラーム団体およびトルコ政府や国民の寄付によってまかなわれ、トルコからの数十人の職人が内外装を手作業で仕上げた。開堂式には各国の駐日大使の他にトルコの国務大臣、宗教庁長官が出席したという。現在モスクはトルコ政府の管理下にある。また、建物内にもトルコの文化を伝える展示がいくつか存在し、トルコ文化を日本に伝える役割も負っている。
 東京ジャーミーでは一日に5回礼拝を行っているが、そのうち早朝の礼拝については近所の住民に騒がしく思われないように気を使っているという。調査を行った日のうち、ある月曜日の12:00の礼拝には、一人のイマームと、スタッフ一人、途中からもう一人が参加した。礼拝所の外にはもう一人男性が座っていた。1階には女性用の礼拝所が存在するもののモスクの中には女性の姿は見られなかった。

 本研究では、東京ジャーミーでの聞き取り調査を行うと共に、在日トルコ人に関する雑誌記事を中心に文献調査を行ったが、調査の結果「トルコ」をキーワードとしてとりわけ多くの記事が書かれた時期がいくつか存在することがわかった。それらはたとえば、2000年のトルコ地震(日本のイスラーム団体の活動が注目された)2002年の日韓ワールドカップ(日本がトルコに敗れベスト16で敗退)2010年の日本・トルコ友好120周年の時期である。今後は、それらの時期に彼らの生活中で具体的な変化が存在したのかにも注目して調査を続ける。また、彼らが東京ジャーミーを基点として日本や日本人とどのように関係を築いているのかについても注目しながら調査を行っていく。