本文へスキップ

知覚・認知の視点から運動をひも解く 樋口貴広(知覚運動制御研究室)

セラピスト向け情報発信ページ

#692 フラクタル性をもつ視覚刺激が高齢者における歩行の複雑性を高める?(Vaz et al 2020)

トレッドミル歩行に対してプロジェクターで障害物などを投影することで,動作修正を含めた適応的歩行能力を改善しようとする試みがあります。今回ご紹介するのは,提示する視覚刺激に対して,フラクタル性という特殊な性質を加えることによって,高齢者の歩行の複雑性を高めることができることを示した論文です。多くの類似研究はトレッドミル歩行を用いていますが,実歩行で行っている点も,この研究のオリジナリティです。

Vaz JR et al. Gait complexity is acutely restored in older adults when walking to a fractal-like visual stimulus. Hum Mov Sci 74, 102677,2020.

フラクタル性とは,幾何学的・統計的な自己相似性のことを指します。時間スケールを変化させても,統計的な性質が等しい時間相関・分布構造が確認できる時系列データに対して,フラクタル性を持つと表現します。ピンクノイズ(1/fゆらぎ)がフラクタル性の高い時系列データの代表例です。

実験は16名の高齢者を対象に,屋外実歩行中のストライド間の複雑性(Detrended Fluctuation Analysis, 略称DFAにより計算されるスケーリング指数αにより表現)を測定しました。この研究の仮説は,「“通常歩行の複雑性が低下している高齢者”について,フラクタル性をもつ視覚刺激が有益」というものでした。このため,複雑性のレベルが若齢者レベルに高い,いわゆる元気な高齢者は対象外として,16名中4名の高齢者を分析から除外しました。この点については議論が分かれるところと思いますが,著者らはベースラインとしての複雑性が低下している人に対象を限定しています。

対象者は屋外のトラックを16分間×3条件で歩行しました。このうち2つの条件では,ホロレンズ的に提示されるバーの上下動に合わせて,右足を接地して歩くことが求められました。フラクタル条件では,バーの上下動がピンクノイズと同じ周波数成分になっていました。不変更条件では,バーの上下動が等速移動しました。2つの条件のいずれも,視覚刺激が提示されるのは最初の8分のみであり,後半8分は,視覚刺激なしでも効果が保持されるのかが検討されました。

実験の結果,フラクタル条件化において,歩行の複雑性が高く,また視覚刺激のない後半8分においても効果が持続することがわかりました。複雑性を表現するスケーリング指数の増加率(約20%)が,別の聴覚刺激や視覚刺激を使用した先行知見よりも高かったことから,フラクタル性を持つ視覚刺激の効果は大きいと主張しています。


目次一覧はこちら