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知覚・認知の視点から運動をひも解く 樋口貴広(知覚運動制御研究室)

セラピスト向け情報発信ページ

#772 「ヒト以外の生物におけるナビゲーション」(Ken Cheng)(心理学ワールド)

日本心理学会が出版している心理学ワールドは,心理学が扱う様々な話題を,一般の人でもわかりやすく理解できるように工夫された,優れた雑誌です。特集号のテーマ選択や文書の柔らかさなど,あらゆる点において,知性の高い集団だからこそ生み出せるわかりやすさがあります。

今回紹介するのは,特集「空間認知の科学 最前線」の中で取り上げられた,生物の移動行動に関する論文です。牛谷智一氏(千葉大学)の翻訳が素晴らしいこともあり,たった4ページの論文で非常に多くのことを学べます。

ケン・チェン「ヒト以外の生物におけるナビゲーション:振動子と働く細胞機構」心理学ワールド104,12-15

タイトルにある「ナビゲーション(navitgation)」は,移動行動(locomotion)と類似した言葉です。チェン氏はこの言葉を,「オリエンテーション(orientation)」と対比する形で位置づけ,この論文における主たるトピックにしています。チェン氏によれば,オリエンテーションは対象の生物にとって「よい」場所に向かう行為です。例えば食べ物にありつける場所を検知し,そこに向かう行為がオリエンテーションです。

これに対してナビゲーションの場合は,特定の場所に向かって移動する行為です。論文の中では,ミツバチやアリが,自分の巣に戻る行為を例示しています。つまり,巣としての条件を満たすところならどこでも良いのではなく,自身にとって意味のある場所に移動する行為がナビゲーションです。従って,ナビゲーションの研究をすることは,移動行動における知性とは何かを考える良いトピックになります。

ナビゲーションを成立させる基本要素として,チェン氏は,『動作の体制下(the organization of action)』という本の中でガリステルが示した,あらゆる動作の基本要素「反射」「振動子」「サーボ機構」に着目して議論しています。反射は特定の刺激に対する特定の反応,振動子は周期的な動作を生み出すメカニズム,そしてサーボ機構は期待値・予測値と実測値の誤差を検出して修正する機構です。論文では様々な生物が,振動子とサーボ機構が協調してナビゲーションを実現させていることを示しています。

Webページ版ではCheng氏の英語原文も掲載されており,英語の勉強としても大変有用です。

私自身は人間の移動行動を対象に研究しています。人間も基本的には他の生物と同様の機構をベースにして,移動を実現しているはずです。具体的にどの部分が共通しているのか,またどの部分が人間独自の行動といえるのかについては,普段の研究だけでは見えてきません。たった4ページの文書量で様々なことを深く考えるきっかけを与えてくれる論文として,本論文をお薦めします。



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