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知覚・認知の視点から運動をひも解く 樋口貴広(知覚運動制御研究室)

セラピスト向け情報発信ページ

#730 歩行中の下向き視線行動がもたらす姿勢調整の作用(Koren et al. 2022)

平坦な路面で歩く場合,視線はおおむね前方・遠方に向けられます。そうすることで,先の危険を未然に回避することができ,また進行方向の管理などにも有益です。バランスに不安のある高齢者や脳卒中患者においては,しばしば歩行中の視線が下向きとなることがあります。歩行中に視線が下向きとなる理由の一つとして,姿勢調節の機能があり,バランスの維持に寄与するのではないかという議論があります。

今回ご紹介するのは,健常成人を対象に,実験的な工夫によって,下向きの視線行動が姿勢調節の意味を成す可能性について指摘した研究です。

Koren Y et al. Vision, cognition, and walking stability in young adults. Sci Rep 1, 513, DOI: 2022, 0.1038/s41598-021-04540-w

健常成人15名が,20mの平坦な路面を快適速度で歩行しました。歩行の際,Re-stepという4つの突起がついたシューズを履きました。4つの突起はそれぞれ遊脚期において突起のサイズが変わりうるため,事前にそのサイズを予測できず,接地後の姿勢調節が求められました。

実験の結果,このシューズ着用時に視線が下向き傾向になることがわかりました。一般に健常成人が下向き歩行となるケースでは,悪路での歩行など,接地位置を厳密に管理しなくてはいけない状況です。こうした状況での視線位置は,その先の接地位置と直接的な関連性がある場合が多く,予測的な歩行制御(Off-line制御)の要素をもっています。ところがこの実験条件の場合,そもそも突起サイズがどの程度かを視認できないため,下を向くことによる接地位置の管理は意味を成しません。このことからKoren氏らは,この下向きは接地後のバランスを維持するためのフィードバック制御の意味合いが強いのだろうと解釈しました。

さらにこの研究では,歩行中の前頭葉の活動をfNIRSの装置を使って測定しました。その結果,歩行中の下向き傾向が大きいほど,前頭葉の活動が“低い”ことがわかりました。Koren氏らは,もし下向き歩行が下肢の接地位置を制御するための予測的制御に関与するならば,予測的制御に関わるとされる前頭葉の活動は高くなる予想しました。これに対して姿勢調節のためのフィードバック制御に関わる場合,その自動性の特性から前頭葉の活動が低くなると予想しました。実験結果は後者を支持しました。

平坦な道でなぜ歩行中に下を向く必要があるのか,という臨床的な疑問は,意外にも研究として明快に答える研究は少ないのが現状です。Koren氏の成果は,下向き歩行には姿勢調節の側面があることを示唆する貴重な資料です。



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