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知覚・認知の視点から運動をひも解く 樋口貴広(知覚運動制御研究室)

セラピスト向け情報発信ページ

#605 高齢者の段差またぎ:オーバーリアクションの弊害(Muir et al. 2015)

歩行中に段差などの障害物をまたぎ越す際,高齢者にしばしばみられるのが,脚を必要以上に高くあげて回避しようとするオーバーリアクション傾向です。保守的方略(conservative strategy)とも呼ばれます。障害物につまずかないという意味では理にかなった行動ですが,場合によってはバランスを崩す要因にもなるという指摘があります。関連論文を紹介します。

Muir BC et al., Proactive gait strategies to mitigate risk of obstacle contact are more prevalent with advancing age. Gait Pos 41, 233-239, 2015

実験には65-79歳の高齢者11名,80-91歳の高齢者18名,そして20-25歳の若齢者20名が参加しました。参加者は約3m先にある障害物(高さ1㎝,10㎝,20㎝)をまたいで歩きました。実験中に参加者はゴーグルを装着しました。これにより,周辺視野が見えづらい状況になりました。段差をまたぐ際に視覚情報が必要な場合には,下を向いて歩く状況となります。

実験の結果,年齢が高くなるにつれて,歩行速度が減速し歩幅が狭くなるといった,一般的に知られる高齢者の歩行特徴がみられました。また年齢が高くなるにつれて,下向き傾向で段差をまたぐこともわかりました。ゴーグルで見えなくなった段差を視覚的に捉える必要があると理解できます。

こうした歩行の特徴と関連して,障害物をまたぐ際の下肢の動きにも興味深い現象が2つ得られました。

第1に,高齢者の段差をまたぐ際の下肢の軌道が“長方形型”となりました。歩幅が狭くなるということは,障害物に近い位置に足をついて障害物をまたぎ,着地する際も障害物に近い位置に着地することになります。このため,障害物に対して下肢を上げる/下げる場合,その軌道はやや直線的(地面と垂直)となります。また下肢が障害物の上を通過する際には,地面と平行に移動するような特徴がありました。その結果,下肢の軌道が長方形型となったわけです。

第2に,先導脚(最初に障害物をまたぐ脚)が障害物をまたいだ後には,一時的に着地地点よりも前方に下肢を振り出し,着地時に少し後方に戻すという特徴がみられました。これは高齢者に特有の下肢の動きであり,Muir氏らはLanding Overshoot現象と呼びました。歩幅が狭い高齢者だからこそ,下肢を下げる際に下肢が障害物に近い位置を通過してしまうため,overshootによって空間マージンをつくっているのだろうと,Muir氏らは解釈しました。

Muir氏らは,こうした下肢の動きは障害物との接触回避には有益であるものの,バランス維持の点でリスクがあると指摘しています。長方形型の下肢軌道については,通常歩行時の下肢軌道(ベル型)に比べて,軌道が急激に変化するため(abrupt change),バランスを崩す要因になりえます。第2のLanding Overshoot現象についても,片脚支持における先導脚の前方への変位量が大きくなるため,やはりバランス維持を難しくする要因になりえます。Muir氏らの報告に基づけば,オーバーリアクションで障害物をまたぐことは,バランス管理の観点からはリスクがあると言えます。

私達の研究室では,このオーバーリアクション傾向について,別のネガティブな側面に着目しています。それは,「状況に応じて歩行を微調整する機会を逃すため,調整能力の低下に寄与してしまう」という側面です。こうした点を考えても,高齢になっても効率的に障害物を避けられることが重要であると,私たちは考えています。


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