沿革

 現首都大学東京の前身にあたる,東京都立大学では,昭和24年(1949)4月の創立以来,講座制がとられる一方,昭和40年代後半の大学紛争を契機に,講座を構成する各研究室に独自性が認められるという進取の精神が込められた運営がなされていた.現在の橋梁・構造グループの前身にあたる,土木構造学講座は,東京都立大学の創立とともに設けられ,そのような中にあって,50数年の歴史を積み重ねてきた.

 深沢キャンパスから南大沢キャンパスへ移転する,平成以降の沿革としては,伊藤文人教授の急逝(昭和63(1988)年3月7日)により,平成元(1989)年7月に,成田信之教授が着任された.また,山崎 淳助教授(日本大学名誉教授)の異動に伴って,平成4(1992)年4月に,前田研一助教授が着任された.当時の土木構造学講座は,構造研究室と橋梁研究室とで構成され,成田信之教授のもと,長嶋文雄助手,野上邦栄助手らが所属しており,両研究室で連携しながら,教育・研究・社会貢献などに従事していた.

 その後,国井隆弘教授の急逝(平成4年(1992)年10月10日)を受けて,平成6年4月には,長嶋文雄助手が助教授として防災学講座(旧地盤工学講座,現地盤グループ)へ異動されるとともに、入れ替わりで防災学講座出身の中村一史助手が着任した.平成10年4月には,同年3月に成田信之教授が退職されたのを受けて,前田研一助教授および野上邦栄助手が,それぞれ教授および助教授に昇任されている.なお,平成9年4月の大学院重点化に伴って,平成10年4月からは大講座制がとられ,大学院工学研究科土木工学専攻所属が本務で,工学部土木工学科所属は兼務とみなされるようになるとともに,旧土木構造学講座と旧土木材料学講座が一体となって土木構造学講座を構成することとなった.平成11(1999)年4月には,山沢哲也助手が着任された.

 平成17(2005)年4月に,都立の4つの大学が統合され,首都大学東京が発足するとともに,学部・学科が再編され,工学部土木工学科は,都市環境学部 都市環境学科 都市基盤環境コースとなった.講座制は廃止され,都市基盤環境コース内には,新たに3つの分野と11の研究グループが設置された.旧土木構造学講座と旧土木計画学講座は統合され,社会基盤分野となり,旧土木構造学講座は,構造・設計グループとなった.首都大学東京の発足当時は,構造グループには,前田研一教授,中村一史助手が,設計グループには,野上邦栄准教授(旧助教授),山沢哲也助手が所属していた.平成18(2006)年4月には,大学院が設置され,都市環境科学研究科 都市基盤環境工学専攻の所属となった.平成19(2007)年3月には,山沢哲也助手が退職された.また,平成20(2008)年4月に,野上邦栄准教授が教授に昇任された.また,平成24年4月には,中村一史助教が准教授に昇任された.平成25(2013)年3月に,前田研一教授が退職され,名誉教授が授与された.平成25年4月に,岸祐介助教が着任した.

 平成28(2016)年3月に,野上邦栄教授が退職された.同年4月には,後任として村越潤教授が着任された.現在,村越潤教授が「橋梁工学研究室」を,中村一史准教授が「社会基盤構造学研究室」を主催し,精力的に活動を行っている.

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