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1.3 宇都宮三年め

 宇大3年目には、卒論生が3人ついた。福岡誠くん、藤田崇くん(現新日鉄)および松元昭一郎くん(現大成建設)である。さらにM2の江藤君が那須塩原の五洋建設技術研究所でRC立体柱梁部分架構試験体に二方向載荷する実験を行うことになって、私も自分の研究室を持ったかのような忙しさであった。都立大学の芳村学先生と津村浩三先生(現弘前大学)とが那須の技研にテニスしに遊びにおいでになったのもこの頃である。

 この五洋建設技研での実験では、立体内柱梁接合部試験体に載荷する水平二方向力の履歴を実験変数として、柱頭の描く軌跡が十字、田の字および口の字となるように加力した。この研究成果の一部は、日本建築学会関東支部の「2方向地震力を考慮したRC建物の耐震性」(1991年1月)というシンポジウムにおいて、「RC柱・梁接合部の2方向入力に関わる研究の現状」と題した講演においても発表した。



  写真 五洋建設技研での立体柱梁接合部実験(M2江藤啓二くん担当)

 宇大工学部の脇には雷鳴寮という名前の学生寄宿舎があって、私についた小嶋千洋くんを始め、福岡君や材料研に進んだ中村成春くん(現在は宇大材料研の准教授)も寮の一員であった。雷鳴寮は、とにかく現代とは思えないバンカラな雰囲気を色濃く残していた、貴重な遺産?であった。

 さて研究のほうであるが、松元君はM2の江藤君とともに那須で実験することにして、残りの福岡君と藤田君とは例によって東大工学部の11号館地下2階で実験することになった。福岡君には上述した科研費によるパネル実験を担当してもらい、藤田君には青研修士課程の李祥浩(い さんほ)さんとともに高強度材料を用いたRC柱梁部分架構実験を実施してもらった。

 柱梁接合部試験体の作製は、またも大成建設技研にお願いした。この頃の青研の大学院生には遠藤芳雄さん(現清水建設)、前田匡樹さん(現東北大学)、石川裕次さん(現竹中工務店技研)などがいて、柱梁接合部実験のひび割れ書きなどを手伝って貰ったものである。なおこの三人とは2009年現在、日本建築学会の「応答スペクトルによる耐震設計小委員会(壁谷澤寿海主査)」内の「柱梁問題解決WG」のメンバーとしてともに活動している。



  写真 東大11号館地下2階にて パネル試験体の載荷装置 福岡君(左)、藤田君(右)



  写真 パネル試験体のひび割れ状況 柱梁接合部パネルと同様の斜めせん断ひび割れが発生しているのが分かる



  写真 東大11号館地下2階での実験風景 遠藤君(右上)、石川君(右下)、李祥浩さん(中央下)、藤田君(中央)、福岡君(左下)

 この年(1990年)、私は青山博之先生から工学博士(東京大学)の学位を授与された。そしていつの頃だったか忘れたが千葉大学の野口博先生から助手として来ないか、とのお誘いをいただいた。私が青研のM1だった頃、野口先生がトロンロ大学へ一年間出掛けることになって、野口研の卒論生(栗栖浩一郎くん[現大林組])を青研で面倒見ることになり、その直接の担当が私だった、という縁があった。その後も野口先生からFEM解析についてご教示いただき、そのプログラムもご提供いただいたり、1987年にはニュージーランドの三国セミナーにご一緒させていただいたりしたこともあり、野口先生には大いにお世話になっていた。

 野口先生からのお話はとてもありがたいことではあったが、田中淳夫先生がたのご理解のお陰で学位を取ることができたのだから、少しは宇大にご恩返しをしないといけないと思った(当たり前である)。そこで千葉大学への転任は1991年1月1日付けということになった。そして1990年の大晦日に西千葉へと引っ越ししたのであるが、このときのエピソードは「都立大赴任1年めのはなし」に書いたので、ここでは省略する。

2015年3月4日 写真を追加しました(こちらをどうぞ)



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