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2017/04/03 川淵理事長 お別れセレモニーが行われました。

2017/04/03

  南大沢キャンパスへの最終出勤日となった3月28日(火)AV棟2階視聴覚教室において[理事長講話]、その後学生による川淵理事長を送るセレモニーが「Acorn Café」と「大学広場」モニュメント前で行われました。「Acorn Café」は川渕理事長の尽力で大講堂ホワイエに学生、教職員、近隣の皆さんの憩いの場として開設され、このほど1周年を迎えた 喫茶コーナーです。


講話の後の花束贈呈


14:45分から約30分、上野学長以下幹部教員、幹部職員、希望する教職員と学生に向けての講話がありました。エピソードを交えての講話の要旨は下記のとおりでした。

本日は多数の皆さんにお集まりいただきありがとうございます。アッという間の4年間でした。理事長としての職責を果たせたのは、職員の皆さん、教員の皆さん、あるいは学生の皆さんからのバックアップを頂いたおかげであり、厚くお礼申し上げます。
 今年の正月に新宿庁舎で幹部職員の方々に、“不言実行”と“有言実行”のお話をしましたが、“不言実行”でなく、“有言実行”であるべきと思っています。目標を関係の人に明言して、その目標に向かって突き進んでいくのが良いと考えています。
 このことと、私は“嘘をつかない”“自慢話をしない”ことを心がけています。
さて、私はサッカーJリーグの設立、バスケットボールのBJリーグの設立を成し遂げました。私には“やり残したことはない”と思っています。後を託された人がいるわけですから。しかし、一つやり残したことがあります。それは“大学名”のことです。私が理事長に着任した際に“首都大学東京の理事長”ですと言うと“どこの私立大学ですか”と質問されることが多くありました。私の娘に“首都大学東京を知っているか”と問いかけると“知っている、私の息子は受験生で私は受験生の親ですから。ただ首都大学東京を知っているのは受験生とその親だけではないのか”と答えを返されたことがあります。私の知っているエピソードでは「あるスーパーマーケットでアルバイトをしていた感じの良い首都大学東京の女子学生が、お客からどこの大学ですかと質問され、“元都立大学の首都大学東京”と答えた」というものがあります。このエピソード以外にもこのように大学名の知名度が低いために、説明を必要として、戸惑い、自分の大学に誇りを持ちにくい例を多く知っています。
 このように知名度が低いことから“都立の大学”であることを中心に一般紙に全面広告を打ったことはご承知のことと思います。私はこの4年間、首都大学東京の大学名を知ってもらうために、機会あるごとに名刺を配りその数は3000枚にものぼります。
5年前に大学は学生の意識調査をしました。その際には“大学名”についての質問項目がないにも関わらず、5割の学生が大学名を変えてほしいと答えていました。私が大学名を変えたいと思うようになったきっかけは、このような学生の願いをかなえてあげたいという思いからです。OBの“大学名を変えてほしい”との要望は、現役学生より強く、ほとんどの同窓生は大学名の変更を望んでいます。大学名を変更しないと、首都大学東京卒以前の同窓生からの寄付を期待できないとの側面もあります。現役学生の大学名を変えてほしいとの意見は少なくなっていくと思います。2年前の調査では2割となっています。私は大学名を変えるなら2年のうちにと思います。大学の評価は同窓生の社会に於ける評価で決まります。今後、首都大学東京の評価が上がっていけば現在の大学名で良いかもしれませんが?
この問題は、教職員にとってはあまり関心がないことかもしれません。しかし、無関心のままでいくとすぐに時間がたちます。ぜひ関心をもっていただきたい。大学名は「都立首都大学」としてはどうかとの考えをもっています。少なくとも、首都大学東京の“東京”は必要ないと思います。


川淵理事長を学生が囲んでの記念撮影。準備段階のショット。定員264名の視聴覚教室が満員でした


Acorn Caféでは体育会本部役員と懇談。


大学広場モニュメント前で応援団エール、学友歌斉唱が行われた。上野学長以下の多くの幹部も参加



学生は肩を組んで学友歌“明け初むる 八雲ケ丘辺 朝霧は若き命と・・・”と歌う。



運動部からの“寄せ書”を持つ川淵理事長と学生


学生と次々に別れの握手 大学広場から北門ロータリーまで花道ができ、川淵理事長を拍手で見送った

見送る学生 見送りを受けて走り去る理事長の乗った車