Seminars

(脱構築研究会がオンライン開催したセミナーのYouTube動画を掲載します。)

2020年12月26日
デリダ『ハイデガー 存在の問いと歴史』(白水社、2020年)合評会


発表:須藤訓任(大阪大学)、齋藤元紀(高千穂大学)、峰尾公也(早稲田大学)
訳者コメント:亀井大輔(立命館大学)、加藤恵介(関西国際大学)、長坂真澄(早稲田大学)
司会:亀井大輔
共催:ハイデガー研究会・間文化現象学研究センター(立命館大学)

2020年10月9日(金)
西山雄二(東京都立大学)
「ジャック・デリダ『偽誓と赦しI』を読む」
https://youtu.be/PGmjmHywc0k

デリダの講義録シリーズは続々と刊行されており、昨2019年には『偽誓と赦しI』が公刊された。1997-98年度のこの講義では、赦しの条件性/無条件性をめぐる考察が弁解や慈悲、恩赦、贖罪、悔悛、和解といった諸概念と比較されつつ展開される。三つの啓示宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の文化とギリシア文化の相違において、赦しの計算不可能で、例外的な性質が明らかになる。参照され分析されるのは、ジャンケレヴィッチやアーレント、カントにおける赦しの考察、シェイクスピア、キルケゴール、ボードレール、カフカ、アウグスティヌス、ルソーの作品などである。本発表では、『偽証と赦しI』を概観し、デリダが浮き彫りにした赦しの問いを辿ってみたい。

2020年9月18日(金)
桐谷慧(ストラスブール大学)
「なぜ脱構築しなければならないのか?」
https://youtu.be/t8ln6kAUSJk

「現前の形而上学の脱構築」、このことがジャック・デリダの思想の中心的課題の一つであったということは、今日よく知られている。しかし、なぜデリダは現前の特権という問題系にこだわったのであろうか。なぜ現前という語を形而上学そのものに結びつけたのであろうか。「現前の形而上学」――そのようなものがあるとして――はなぜ脱構築されなければならないのか。そしてそのような脱構築とは、結局のところ何を意味するのか。われわれは、デリダの早い時期のテクストにおけるフッサールとの対決、およびそこで練り上げられた彼の時間の問いを主に検討することにより、「現前の形而上学の脱構築」というよく知られた問題の再考を試みたい。

2020年8月7日(金)
小原拓磨(東北学院大学)
「非現前的時間性の思考の生成に関する一考察――初期デリダにおけるA・コイレのヘーゲル研究の意義」
https://youtu.be/87JODTMerUQ

ヘーゲルに代表される伝統的な時間概念は、現前的現在およびその変様としての未来と過去の三契機から成る。この時間性を批判するさい、デリダが念頭に置いているのは、「かつて一度も現前したことのない過去」や「来たるべき(将来の)過去」といった、伝統的な時間理解の枠外の時間性である。この非現前的な時間性は主にハイデガーの思考に由来するとみなされているが、デリダにとって、そのようにハイデガーに従って時間性を思考するための一つの手引きとなったのは、アレクサンドル・コイレのヘーゲル研究であった可能性が高い。本発表は、従来あまり指摘されてこなかったこの点についての論証を試みたい。

2020年6月27日(土)
宮﨑裕助『ジャック・デリダー死後の生を与える』(岩波書店)合評会
発表:亀井大輔、長坂真澄、立花史 
応答:宮﨑裕助 司会:西山雄二
https://youtu.be/xshsScUJAvQ

「脱構築の名のもと、新たな問いの領域を生涯にわたり開拓し続けた、現代思想最後の巨星。没後15年を経て、その影響はなお衰えをしらない。日本ではいまだ知られざる後期の思想、そしてさまざまな局面に波及する脱構築思想の広がりを一望し、その可能性を解き明かす。すべての読者に開かれた、新たなる入門の書。」(岩波書店HPより)