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Forefronts – Derrida(2018年6月25日、ソフィア大学、ブルガリア)



亀井大輔  

2018年6月25日、ブルガリアのソフィア大学にて、同大学文学理論学科の主催によるコロック「Forefronts – Derrida」(最前線─デリダ)が開催された(日本の脱構築研究会との共催)。  

企画者であるソフィア大学のDarin Tenev氏によれば、ブルガリアでは共産主義体制の終焉後、1990年代に文学理論の領域でデリダが紹介されて以降、デリダの著作のブルガリア語への翻訳が徐々に進んでいる。2001年にはデリダ本人を含め、ジャン=リュック・ナンシー、ベルンハルト・ヴァルデンフェルス、ジネット・ミショーらも参加したデリダをめぐる大規模なシンポジウムが開かれた。デリダを主題とするコロックとして、今回はそれ以来のものだという。  

今回参加したブルガリアの研究者には、Tenev氏と同世代のEnyo Stoyanov氏、デリダやド・マンの脱構築主義批評を同国で初めて導入したDimitar Kambourov氏、『グラマトロジーについて』『有限責任会社』のブルガリア語訳者であるZhana Damyanova氏といった当地のデリダ研究を切り開いた人物が含まれ、ブルガリアにおけるデリダ研究の歴史を垣間見た思いがした。  



コロックは他に、前年に日本でも講演したJoseph Cohen、Raphael Zagury-Orlyの両氏と、パリに留学中の3名の日本人研究者によって構成された。以下に当日の発表者と発表タイトルを掲載しておく(発表順、発表・討議は英語)。

Daisuke Kamei, Inheritance of Deconstruction: the Question of Language 1964-1965(脱構築の継承:言語の問い1964-1965)
Zhana Damyanova, Notion and Concept in Derrida(デリダにおける観念と概念)
Satoru Yoshimatsu, Bodily Duality? – From Derrida’s Seminar Life Death(身体的二元性?─デリダの生死講義より)
Joseph Cohen, Raphael Zagury-Orly, May ’68 and the Idea of the University(68年5月と大学の理念)
Rui Matsuba, The Animality of Hunger(飢えの動物性)
Enyo Stoyanov, Derrida’s Demeure: Truth and Literature(デリダの『滞留』:真理と文学)
Darin Tenev, Indicating the Impossible, or Why There Is No Method to Derrida’s Deconstruction(不可能なものを指し示す、あるいはなぜデリダの脱構築には方法がないのか)  



それぞれの発表後には十分な討議の時間が設けられ、真摯かつ活発な議論が交わされた。私見では、発表と議論を通じて浮かび上がったのは、ハイデガー理解について(現存在の死の共有不可能性、Kehre(転回)とデリダの「転倒(overturning)」との関係、形式的告示)、脱構築の言語と方法(隠喩、観念/概念と視覚/触覚、方法の不在)、真理と正義(文学における真理・虚構・証言、真理から正義へ)などの論点である。いずれもデリダ解釈を大きく左右する根本的な問いであり、議論の深まりを通じて自らのデリダ理解をあらためて問い直す機会ともなり、今後の研究につながるきわめて実り多い会だった。


* 吉松覚  



 拙発表は、昨年から集中的に論じてきたデリダの未刊行の草稿『生死』に基づいてデリダの他のフロイト論と関係づけるものであった。私が提示したテーゼがポレミックだったのか、発表内容を超えてデリダにおける他者、欲動、性の問題一般、さらにはそれらのテーマそのものについて活発な議論がなされた。昼食時にハイデガーの共存在について話し合うなど、発表を呼び水とした「場外乱闘」は懇親会の席でも続き、濃密な討議を取り交わすことができた。それも会全体を通じて質疑の時間で積極的に議論を牽引してくれたジョゼフ・コーエン氏とラファエル・ザグリー=オルリー氏の二人、それに呼応して白熱した議論を展開してくれた参加者、そして彼らの討論を舵取りしてくれた主催者のダリン・テネフ氏のおかげである。この場を借りて感謝申し上げる。  
 ソフィアでの発表は三度目であるが、来るたびにソフィアの研究者コミュニティの歓待と研究に対する熱意には感動してしまう。日本とブルガリア(そして世界と)の「熱い」知的交流が今後も継続していくことを切に願う。

* 松葉類  



 Darin Tenev氏のコーディネートにより実現した今回のコロックは、タイトルの「Forefront(最前線)」という語が示すように、デリダ哲学のアクチュアリティを問い直す発表が多かったのが印象的だった。私自身は「飢えの動物性」という論題のもと、レヴィナス哲学における動物性に対するデリダの批判を『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』から取り出し、次にレヴィナスの「飢え」という語とその動物性のなかに、これに応答する議論を見出す可能性を論じた。「飢え」はパリ・ナンテール大学に提出した修士論文で扱ったテーマであり、提出予定の博士論文の鍵概念のひとつとなる予定なので、今回の提題に対して多くの参加者から興味を持ってもらえたのは大きな喜びであった。後のディスカッションにおいては、レヴィナスにおける「動物の動物性」と「人間の動物性」との区別についてや、「動物的言語」の可能性、そして、カフカにおいても本質的な「飢え」概念との近接性についての指摘があり、これらの主題について会の終了後に至るまで参加者たちと議論を深めることができた。