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国際シンポジウム Thinking With Jean-Luc Nancy : Oxford International Conference 2019 (報告=柿並良佑


2019328日から30日の三日間、オックスフォード大学ベリオール・カレッジにてジャン=リュック・ナンシーの思想をめぐるシンポジウムが開催された。
https://thinkingwithnancy2019.wordpress.com/

参加呼びかけ文(CFP)がオンラインで出回ったのが2018年の6月、同年11月の締め切りには主催者の予想を遥かに上回る数のプロポーザルが寄せられたらしく、当初予定されていた二日間から三日間へパネル枠を拡大する措置がとられた。初日に予定されている基調講演は、中世哲学研究から出発し、現象学と神学の関係をめぐる議論を精力的に推し進める哲学者エマニュエル・ファルクが務め、ナンシー本人との討論がそれに続くという。本シンポジウムを企画した二人の若き大学院生マリー・シャベール(Marie Chabbert)とニコラス・デケテラーレ(Nikolaas Deketelaere)の専攻がまさに神学と哲学をめぐるものであることからも納得の人選であった。

以下、どうやら論集の出版も計画されているらしい本シンポジウムの内容自体にはあまり立ち入らず、まだ国際シンポジウムへ参加したことがない若い研究者への参考になることも願って、「英語圏の学会にさほど馴染みのあるわけではない一フランス哲学研究者」の視点から備忘録的に2,3の事柄を報告しておきたい。

本報告者の発表が受理された旨の連絡があったのが11月末、年末年始を挟んで参加費送金などの諸手続きを慌ただしく済ませ、年度末の数日間を過ごすためオックスフォードに飛んだ。ロンドン・ヒースロー空港からオックスフォードへはオンラインで直通のバスを予約しておけば現地での支払いなどの手間もなく、一時間ほどで中心街に着く。夕方、ホテルにチェックインした直後、主催者からのメールによると27日夜は早めに到着した参加者向けに非公式ながらドリンクがあるというので出かけることにした。ベリオール・カレッジ付近のパブで挨拶がてら気軽に2,3杯飲むという程度の場だったが、講演者のファルク氏をはじめ、パネリストが10数名ほど来ていたので適度なアイスブレイクといった雰囲気であった。


(オックスフォードの街並み)

 明けて28日は午後から、主催者挨拶に続いて同時間帯にパネルが2つ開かれ、報告者は(1.2) – Philosophy Iと題されたパネルに出席した。本シンポジウムの随所で参照されたであろう対談『世界の可能性』の対話相手ピエール=フィリップ・ジャンダンは残念ながら不参加となったが、インドの研究者Shaj MohanDivya Dwivediの発表およびそれに続く討論のなかでは、非ヨーロッパ世界における近代化期における哲学と宗教の関係などが興味深いトピックとして浮上した点、最低限指摘しておこう。
併せて付言しておくと、パネリストの使用言語は35名中6名(上記ジャンダン氏を含む)がフランス語でその他は英語、またゲストスピーカーのセッションはすべて英語であった。Derrida Todayなども同様に英語使用が圧倒的な趨勢となっているが、今後、2カ国併用のシンポジウムへの応募・参加を考える場合には検討すべき選択肢だろう(201951日現在、トップからのリンクは見当たらないが全体プログラムのページは残されている。またこうしたシンポジウムのCFPは各種SNSやウェブサイトで告知される。フランス語圏ではFabulaなどが参考になる)。


(受付で参加者に配布されたパッケージ。要旨集の冊子中、パネリストのリストには各所属機関のある国々が色付けされた地図が添えられている。中国やブラジル出身の研究者もいたので、そうした情報を反映させるなら少々異なる風景になっただろう。)

 コーヒーブレイクを挟んで始まったエマニュエル・ファルクの基調講演は一時間半弱にわたって軽快かつ情熱的なリズムに乗せて行われ、ナンシーの『ノリ・メ・タンゲレ』、またデリダによる応答『触覚――ジャン=リュック・ナンシーに触れる』といったテクストを踏まえ、「キリスト教の脱構築」の観点からナンシーの身体論を読み解いていくものとなった。とりわけ濃密度の高い書物『コルプス』に現れる「これは私の体である(“Hoc est corpus meum”)」というフレーズおよび「皮膚露呈expeausition」概念の集中的読解などは余人をもって代えがたいところであった。


(基調講演に続くトークの模様、初日の会場Maison Française d’Oxfordにて)

29日はベリオール・カレッジに場所を移し、午前中にゲストの報告が二つとパネルが三つ、午後はブレイクを挟んでゲストの報告が五つと密度の濃い一日。『ナンシー辞典』やその他論集への寄稿により英語圏でよく知られた研究者が講演者として招待されている(30日のイアン・ジェイムズのみSkype参加)。午前のレスリー・ヒルはプログラム確定最終段階での急遽決定だったらしいが、ナンシーとブランショの関係をめぐる自著については特に触れず、会場のナンシーもその点には言及しなかったものの、近年のブランショ論をめぐる状況を知る者にとってはいささかの緊張感を感じないわけではなかったと思われる。

 この日の夜はプログラムに組み込まれたディナーがあり、2日間のランチ会場が晩餐会の装いをまとった。

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(ランチおよびディナーの会場となったカレッジ内の「学食」。公式アナウンスはなかったが朝食も同様にここでとることができた。これらの費用は参加費に含まれているため、現地で必要となった現金は三日間で30ポンド程度。)


(コーヒーブレイクの様子。一階入り口を入ると飲み物が提供される。天候に恵まれ、発表後の討議の続きや自分の出席できなかったセッションについての情報交換も活発に行われた。)

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(同じ建物の二階部分が食堂。ランチは前菜・メイン・デザートなどを一つずつ選んで組み合わせる。フランスの学食と同じ方式。)

 最終日は午前中にパネルが三つ(報告者はその一つで発表)、ついでナンシーの講演「過去も将来もなき未来/到来Un avenir sans passé ni futur」がフランス語で行われた(英語版原稿が会場で配布)。ナンシー哲学最大の概念である「意味sens」をめぐる問題を、もう一つの大きな問題系である「世界」に照らして、歴史哲学的かつ巨視的・文明論的とも言いうる見地から――「人新世」などの動向にも目配せしつつ――展望するものであった。



 午後は三つのパネル、二人のゲストセッションを終えた後、シンポジウムの掉尾を飾る趣向として、バタイユ研究者でもあるエドゥアルド・ジョルジ・デ・オリヴェイラの映像作品『来るべき悦び』の上映と解説が続いた。

 「歓待」をめぐるパリでのシンポジウムに登壇した後にイギリスに到着したナンシーはさすがに疲れていると言いながらも、三日間、すべてのゲストセッションおよび可能な限りのパネルに出席し、ときに請われて、ときに自発的にコメントを発し続けていた。
最後に記しておくと報告者の発表の主題は「行為acteとしての思考」をめぐるものだったが、その場にいたナンシーは自らの講演のため会場を移らなければならず、最後にコメントをする機会がなかった。同日の夕べ、「結びの言葉Closing Remarks」を「三日間にわたってわれわれがなしてきたのは何だったのか」という問いかけで始めたナンシーが答えの端緒として取り上げたのは、まさしくその「行為」という語だった。

 冒頭で触れたとおり、本シンポジウムは二人の大学院生を中心とする若干名の若手研究者によって企画・運営された。会場へのアクセスなど必要な情報は特設ウェブサイトに記載されたほか、随時メールによって補足情報が提供された。当初、学生優先とされたカレッジ内の宿泊施設に空きが残っているため報告者もそこに滞在することができたが、そうした手続きもすべて主催の二人が迅速なメールによって対応してくれた。少なからぬ参加者の要望への臨機応変の対応、各種共催機関への支援要請を含め、トラブルもなくこれだけの国際シンポジウムが成功裏に行われたことには賛嘆の念を禁じえず、心からの拍手を送りたいと思う。



(パリ国際大学都市日本館の部屋よりも天井が高く広い。本棚も据え付けてあるので長期滞在も可能なレジデンスなのかもしれない。右はカレッジ入ってすぐの中庭。報告者の手持ち端末で撮影した写真はいずれも解像度が低いが、シンポジウムの記録ページにはより高解像度の写真がアップロードされている。https://thinkingwithnancy2019.wordpress.com/photographs/)