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巣穴の底で夢見るデリダ――ニコラス・ロイル『デリダと文学』書評

郷原佳以

 ジャック・デリダは「文学(へ)のパッション」を語った哲学者であった。そして、「「文学」という名とそのように名づけられた事象(ショーズ)とが、私にとって[…]情熱(パッション)であるのと同じほど、底なしの謎であり続けていること」を「告白」していた(『滞留』)。にもかかわらず、日本においては、デリダに関心を持つ者は数多いながら、鵜飼哲氏の諸論考と青柳悦子氏の労作を除けば、文学研究の枠組みでデリダを読解することは大きく立ち後れている。おそらくそれは、研究者たちにいまだに驚くほど根強いジャンル意識のためだろう。デリダの功績の一つは「エクリチュール」に遡行することによって哲学研究と文学研究の境界を問いに付すことであったのに、研究者の方がそれぞれの制度の内部に閉じこもっているために、哲学研究者はデリダのテクストからテーゼのみを取り出して、そのテクスト性、ひいては文学性を扱いかねている。ところが、よく知られているように、英米では、デリダは六〇年代からもっぱら文学部において文学批評の枠組みで読まれ、そこからポール・ド・マンやJ・ヒリス・ミラーを中心としたイェール学派も生まれたのであった。イギリスのサセックス大学で教鞭を執る本書の著者ニコラス・ロイルはそうした伝統を汲む研究者であり、デリダを論じ、訳し、概説書(『ジャック・デリダ』田崎英明訳、青土社、二〇〇三年)を著しながら、歴としたジョウゼフ・コンラッドの専門家である。また、本書の紹介によれば、小説家でもあるらしい。このような著者による本書『デリダと文学』は、先述のような日本のデリダ受容の状況に風穴を開けてくれる格好の論集である。というのも、ただ単に「文学」についてデリダにお伺いを立てるのではなく、デリダと共に「文学」について思考する、のみならず、デリダを読みながら文学作品を読むことの範例的な実践を見せてくれるからである。脱構築が「方法」にすぎないということでは無論ないのだが、デリダを読むことはやはり具体的な読みの実践に繋がることにおいて真の意味がある。

 本書は、昨年日本で行われた二つの講演「詩、動物性、デリダ」と「ジョウゼフ・コンラッドを読む」、続いて、二〇一〇年にロンドンで行われた講演「ジャック・デリダと小説の未来」、最後に、訳者によるインタヴュー「海岸から読むこと――文学、哲学、新しいメディア」を収めている。このうち第一の講演は、近年、デリダ後期の主題として大いに注目されている「動物」の主題を「詩」の主題と結びつけることに眼目があるが、著者がそう思わせようとしているところとは異なり、この二つの主題の繋がりはデリダのテクストにおいて自明であり、繋がり自体に新味はない。けれども、この二つの主題が繋がる場が「夢」であることが示唆される件は、さらに展開されるべき重要な問題を孕んでいるように思われる。この章の末尾では、「私は[…]巣穴の底で夢見ている」というデリダの一節が引かれているが、この一節は本書全体を通して節目の箇所に登場し、ついには、いわば「作家デリダ」の形象となる。そのあたりの議論はややアクロバティックで面白い。

本書がそのように読みの実践として刺激的なものとなるのは、著者の専門性が表れた第二、第三の講演においてである。というのも、コンラッド研究者である著者の場合、文学作品とは何より小説であり、それゆえ「デリダと小説」という、アプローチの困難な問題が立てられるからである。デリダは「文学」という主題についてはたびたび語っているし、詩についてはポンジュやツェランを論ずるだけでなく、まさしく「詩とは何か」というテクストを著してもいる。そこで与えられる詩の定義は、詩の言葉の異物性、解釈への抵抗を強調するもので、デリダにおいて「文学」とは詩のことかと思わせもするものだ。他方、たとえブランショやカフカ、シクスーの「小説」と呼ばれもするテクストを扱っていても、それらを「小説」という枠組みのもとで論ずるということは、デリダには見られなかったことであり、「小説」という言葉さえほとんど用いられなかったように思われる。だから、「デリダと小説」という問題の立て方は挑戦的である。そしてロイルの挑戦は、全体としては成功しているように思われる。具体的に言えば、本書はたとえば、コンラッドの小説が自らを「隠蔽」したり「分身」に語らせたりしながら「不気味な」効果を生じさせていることを「クリプト美学的抵抗」という独自の概念に拠って検証しながら、そうすることで、デリダの文学論、ひいてはその全著作はつまるところ小説について語っているのだと信じさせることに成功しているのである。確かに、言われてみればそうではないか、と思わされる。そして、それはときにデリダの字義通りの主張に反してまで行われるので、そこにはテクストが解きほぐされているという快感がある。脱構築的な読みの実践とは、確かにそのようなものでなければならないだろう。本書によれば、小説好きこそデリダを読むべきなのだ。

初出=『週刊読書人』2014年8月6日号(第3051号)