フランス滞在記(2023年2-3月)

動画記録と報告文

西山雄二

西山雄二(人文科学研究科教授)

2023年2月末から3月初旬にかけて、東京都立大学のグローバル・コミュニケーション・キャンプ「フランスの大学における異文化交流と地域文化の比較研究」のプログラムにて、学生8名とフランスに滞在し、パリとレンヌにて大学や高校での授業見学と学生交流を実施した。

今回の渡仏プログラムはコロナ禍以後3年ぶりのことで、私自身、待ちきれない想いで一杯だった。ただ、心配な点が二つあった。一つ目は治安。コロナ以後、経済が悪化して治安が悪くなり、観光客目当ての軽犯罪が増えていると聞いていた。二つ目は今回の参加メンバー。これまで男子学生が参加していたし、留学経験者がいたことも多かった。今回はフランスが初めての女性ばかり、しかも1〜2年生の顔ぶれなので、トラブルが起きないかどうか心配していた。だが蓋を開けてみれば、治安もそれほど悪いものには感じられず、参加者一同、精力的に問題なく行動することができた。

飛行機チケットは高騰しており、直行便は高額だったので、ヴェトナム航空にてハノイ経由でパリに着いた。フライト2回で21時間の旅程だが、思ったより早く感じられた。早朝にパリに着き、朝のラッシュを避けて昼前に市内に移動。久しぶりのRER-B線での集団移動で身構えたが、ガラガラだったので安全に感じられた。

いつものようにモンパルナス駅から徒歩5分のホテルオデッサで1泊。藤田嗣治やトルストイも泊まった小さな宿。今回は、エドガーキネ地下鉄駅に面した素敵なカフェの真上の部屋に満足した。フランス最初のランチはブイヨン・シャルティエ(Bouillon Chartier)モンパルナス店。1900年以来の老舗大衆食堂だが、格安の割にレトロな内装も含めて堪能できる場所である。



翌日早朝6時30分、モンパルナス駅に徒歩移動。昨2021年に改装されたばかりの駅構内は機能的で、地下から2階まで層状構造のショッピングモールが並ぶ。TGVでわずか90分でレンヌ着。TGVの運行は効率化されてずいぶんと早くなった。久しぶりに来たレンヌの街も各種の長期工事が終わっていた。レンヌ駅舎の新装、地下鉄B線の開通、サンタンヌ広場の整備など随所で新しい風景を目の当たりにした。



高橋博美先生の尽力で、レンヌ第2大学の日本語クラス(学部3年、修士1年)にて、学生が発表させていただいた。都立大、東京駅、日本料理についてフランス語で見事に。その後、持ち寄ったお菓子で学生同士でグループ歓談。例年とても盛り上がる会だが、今年も面白くて、あっという間の時間。


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3年ぶりのモン・サン・ミシェル。レンヌからの直通バスはほぼ日本人ばかりで驚いた。閉まっている店もあるが、観光客はそこそこ回復している。梅?桜?も崇高な風景を彩る。いつも通り対岸ホテルに1泊し、モン・サン・ミシェルを早朝散策。朝日が登る中、カモメの鳴き声と鐘の音が響く風景は清々しい。



パリに戻って、いつも通り、学生用に3部屋の広いアパートを貸し切った。ホテルとは異なり自宅感が出て、リラックスできる。外食とは異なり、料理して実に安価で食べられるのもいい。初日はサラダ、ムール貝の白ワイン蒸、ローストチキン、ステーキ、デザート。みんな沢山食べて笑った。



パリの観光客は回復、との報道を見ていたが、実際に現地で納得した。サン=ミシェルのレストラン街は以前のようにごった返しているし、団体観光客もちらほら。ノートルダム大聖堂の正面が拝めるようになっているのも嬉しい。モンマルトルの丘を散策したが、日曜9時から開始して正解だった、10時過ぎると一気に観光客だらけになった。凱旋門もエッフェル塔も、コロナ後治安悪化と聞いていたのでかなり警戒していたが、特に心配な気配はなかった。


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フランスの教育社会学を専門にしている山崎晶子さんの紹介で、パリ近郊サン=クルーのデュマ高校で準備学級1年の哲学と文学の授業を見学させていただく。校舎は綺麗で学生の品も良い感じの高校だ。最初の哲学の授業では、まず宿題添削。「道徳は習って身につくものか」が主題で、模範解答例が解説された。1)道徳は伝達され習得されるもの。2)自然な道徳の感情や意識はあり、あらかじめ備わっている人間本性の一部。3)道徳は創造されるべきもの。サルトルの実存主義がその典型例で、自由と責任のもとで自らの行動に価値を与える決断が重要と解説された。これは典型的なフランスの小論文形式で、正命題/反対命題/総合という三段論法だ。先生の説明も明快で、フランスの高校での哲学授業はやはり面白い。準備学級とはいえ気さくな生徒が多かった。休み時間、日本人学生が取り囲まれ、自分の名前を漢字の当て字を作ってほしいとリクエストが殺到した。



私たちの滞在中、フランスでは年金改革反対のストが実施された。年金支給開始を62歳から64歳に引き上げる改革で、マクロン大統領によるトップダウン的やり方にこの冬、国民の怒りが爆発していた。合言葉は「フランス全土を止める」だが、とはいえ、街中はかなり日常的で、電車も間引き運転でほぼ運行されていた。サン=ミシェルを通過するデモ隊に遭遇したが、全車線デモはやはり開放感がある。皆が社会問題を共有しているというサインが街路に刻まれて目に見えるものとなり、異議申し立ての声や音がその場にいる人々の身体に残る。

ストの影響で、私たちの大学訪問が2つもキャンセルとなったのは残念だった。それでも、フランス国立東洋言語文化大学(イナルコ)において、学生サークル「デジマ」との交流会は何とか実施された。「デジマ」では習字や琴、太鼓、三線、茶道、折り紙など日本文化に関する活動が盛んだ。今回は日本人学生との対面での交流だが、コロナ禍のせいで久しぶりの機会だという。2グループに分かれて、日仏文化に関して90分ほど歓談し、充実した時間を得た。



また、徳光直子先生の日本語授業にも参加させていただくことができた。3年生の「日本語作文」では、レヴィ=ストロース『人種と歴史』のフランス語抜粋1頁を日本語に要約する宿題が出されていた。私たち日本人学生が一人づつ担当し、グループに分かれてフランス人学生の要約を添削をした。やや難解なテクストだが、学生のみなさんは努力して予習していた。2年生の「日本語会話」では、「30年後の世界」でフランス人学生がグループで発表をした。2年生とはいえ、しっかりした発表で、原稿をなるべく見ないで、スライドだけで発表しようとしている姿勢には感心した。授業後には、お菓子が用意されて、わずかだが歓談の時間をもてたことも貴重だった。

以上、4年ぶりの学生とのフランス滞在が問題なく終了した。フランスでの生活、留学、観光が混じり合った独特なプログラム。今回の参加は若い1〜2年生だったので、この豊かな経験は今後、学生生活にフィードバックされるだろう。学生とのフランス旅行は10年以上前からこれで10回ほどになる。いつの間にか、学生の年齢が娘の年齢に近くなっているので、今回は家族旅行の趣さえあった。参加してくれて、ありがとう。



今回の滞在をサポートしていただいた東京都立大学国際課のみなさん、充実した学生交流の機会を用意してくれたレンヌ第二大学の高橋博美先生、通訳サポートをしてくれた留学中の松田美月さんと小泉幸太さん、パリで多大な支援してくれた八木悠允さんと山崎晶子先生、高校見学を準備してくれたエロイーズ・リエーブル先生、イナルコでの交流を適切にサポートしてくれたデジマ会のみなさんと徳光直子先生、パリで楽しく交流していただいたエルシ・ロルナール・ボースさんとジュリエット・マデビさんなど、多くの人々の尽力に感謝する次第である。

飯田茉那


飯田茉那(人文社会学部1年)

はじめに
これまで2週間という時間を外国で過ごしたことはなかった。今回このグローバルキャンプに参加するにあたって、2週間でどのような出会いがあり、発見があり、どれだけ私はレベルアップできるだろうかと、半分は期待、もう半分は挑戦の気持ちで臨んだ。新しい一歩を踏み出す気持ちで日本を発ったはじまりの日が懐かしい。

語学学校CIREFE
レンヌ第2大学の中にある語学学校CIREFEは、フランスで大学進学を目指す人や、生活のためにフランス語を習得しなければならない人が通うフランス語研修機関である。難易度別にクラスが分かれており、今回は2番目に易しいA2の授業に参加した。その日は関係代名詞qui,que,oùについての授業だった。授業の流れは、生徒からのレスポンスを交えて先生が説明し、その後簡単な作文を作ってクラスに共有した。普段日本語で外国語を学んでいる私にとって、外国語で外国語を学ぶことを体験できたのは貴重であった。関係代名詞は既習だったためかろうじて授業についていけたが、新しい文法だったら理解するのは難しそうだった。生徒は国や年齢がばらばらであるのを感じさせないほど仲が良く、授業中の発言も活発だった。発音や文法の間違いを恐れず、むしろ自分の欠点を正すために発言するという姿勢がうかがえた。フランス語の習得が生活に直結する人の学習意欲は凄まじく高い。生きるために学んでいる人たちを目の当たりにして、私も将来のため、すなわちよりよく生きるために今大学で学んでいるのだということを再確認した。学習への姿勢を見直すきっかけとなる良い機会だった。

(レンヌ大学学食)

レンヌ第2大学
レンヌ第2大学では日本語クラス(学部3年/修士1年)で口頭発表を行い、その後日仏のお菓子を持ち寄って交流会をした。発表は東京駅、東京都立大学、和食を題材として行った。用意した原稿を読むのが精いっぱいで、西山先生の言う良い発表、すなわちライブ感のある発表に至るには力不足だったと反省している。



交流会では皆とてもあたたかく迎えてくれて、お互いにフランス語または日本語を学んでいる理由や、日仏の文化について聞き合った。1回目の修士1年との交流会で緊張してしまって積極性に欠けたのを反省して、2回目の学部3年との交流会では改善するよう努力した。同期が日本語、フランス語、英語を使って文法がなってなくても必死にコミュニケーションを取ろうとしている姿がとても一生懸命に見えて、良い影響を受けた。互いに堪能している共通言語がないからこそ、相手が何を伝えたいのか理解しようとする気持ちが大きく、そういうコミュニケーションのとり方は初めてだったが、不思議ととても楽しめた。同時に、円滑に会話ができないもどかしさも感じた。フランス語に関して、単語や簡単な文法を一つでも多く用意してくればよかったという後悔と、自分のレベルを実感したことで今後の学習への意欲向上を感じた。

アレクサンドル・デュマ高校
フランスにはグランゼコールというエリート養成教育がある。グランゼコールに入るためには、バカロレア取得後に、プレパと呼ばれる準備学校でさらに2年間学ばなければならない。そこで今回は、パリ郊外のサン=クルーにあるアレクサンドル・デュマ高校で、準備学級1年の哲学と文学の授業を見学させていただいた。哲学の授業では、最初に宿題の添削が行われ、小論文の定型が提示された。日本では授業中に小論文を書くことはあっても、宿題にすることはないのではないか。小論文は「道徳は学ぶことができるのか」という難題であったが、先生はとても論理的にわかりやすく説明をしていて、学生も絶えず質問をしながら授業に積極的に参加していた。哲学というと、日本の教科の感覚では、偉大な思想家とその思想について解説される退屈な科目という印象だったが、この授業では全く違っていた。哲学とは本来人間の概念について思考するものであるから、学生たちが活発に発言をして、ディスカッションを繰り広げるのは当然のことなのではないか。フランスの哲学教育は素晴らしいと聞いていたが、それを実際に見ることができた。文学の授業でも学生の活発さは変わらず、先生も板書をしない形式で、学生と一緒に授業を作り上げているようだった。
プレパの2年間は競争社会でとにかくがむしゃらに勉強をしなければならず、その為心身を病んでしまう子もいるという。実際に行ってみると、真面目でお堅い子たちなのではないかという予想に反して、お洒落に気を遣い、休み時間や下校時は友達とふざけ合う、普通の高校生の姿があった。フランスの徹底したエリート主義の教育と、まさにその最中にいる子たちの予想外な溌剌さとのギャップが印象的だった。

フランス国立東洋言語文化大学(イナルコ)
フランス国立東洋言語文化大学では、学生サークル「デジマ会」と交流会を行い、2つの授業に参加した。デジマ会との交流会では、日仏の文化などについて話し合った。デジマ会の学生は日本語のレベルがとても高く、ほとんど日本語だけで会話が成立した。日本語学習の難しさについて、おいしい→おいしそうのように「形容詞+そう」という表現があるが、かわいい→かわいそうのように意味が同じとは限らないという点を挙げて質問した。すると、日本語の文法はあまり難しくなく、「かわいそう」のような例外がある時は、その語源から辿って意味を学ぶらしいのだ。その緻密さは今の私のフランス語学習にはない。彼らの日本語の堪能さは、丁寧な学習の産物なのだとよくわかった。

3年生の「日本語作文」の授業では、レヴィ=ストロースの自民族中心主義に関する文を、学生が日本語で要約したものを添削した。文法などに誤りがあるものの、内容がまず難しい文章を、学習中の言語で要約し再構成するというのは、挑戦自体が偉大だと感じた。添削するのも、日本語の表現方法やニュアンスの多様さによる難しさがあった。普段感覚で日本語を使っているため、その論理を言語化して説明することができなかった。また、学生から「こと」と「もの」の違いは何かと聞かれて、自力では答えられなかった。私自身が日本語についてまだまだわかっていないのだと実感させられた。

2年生の「日本語会話」の授業では、いくつかのグループによる日本語発表を聞いた。日本語の学習期間は1年半程らしかったが、文章ではなく単語が書かれたメモ程度の原稿や、質疑応答が即興の日本語で行われる点が、授業の高度さを物語っていた。内容は我々がNSEの授業で行っていることと大して変わらないが、約10年学んでいる英語を使ってやるのと、1年半学んだ外国語でやるのとでは全く異なる。添削前のため色々間違っている点はあったが、それでも何を言いたいのかはわかる程度で、実力を感じた。私があと半年フランス語を学んだとして、果たしてこのレベルの発表ができるだろうか。イナルコの学生の日本語力の高さを目の当たりにして、自分のフランス語学習を見直すばかりだ。

パリの美術館
滞在中にルーブル美術館、オルセー美術館、オランジュリー美術館、パリ市立近代美術館、プティ・パレ美術館を見学することができた。ずっと夢見ていた芸術の都パリにある美術館に行くことができ、現地でしか見ることのできない作品や世界史の教科書に載っていた作品を直接目にすることができて、心から感動した。日本の美術館との違いが顕著に表れていて興味深かった。



まず美術館そのものがとても大きく、展示作品数も桁違いであることだ。ルーブルやオルセーは言わずもがな一日では十分に見切れず、他の美術館でも一日はかけたいほどのボリュームだった。ルーブルやオルセーで目立ったのは壁一面に敷き詰めるような展示方法だ。このような贅沢な展示の仕方は天井が高く作品数が十分でないとできないだろう。日本では見ない光景でおもしろかった。

そして、作品との距離がとても近い。一部の作品を除いて、作品前の立入線がないのには本当に衝撃を受けた。中には額縁もなく裸で飾られている作品もあり、触れてしまいそうになるくらい間近で鑑賞できた。作家の筆遣いや油絵の具の重なりを近くで見ることができ、作品が描かれた背景などを想像してより身近に感じられた。イナルコの学生エルシーさんが言っていたのは、日本ではすべての作品に立入線があるのは不思議だということと、日本の美術館は静かすぎるということだ。確かにフランスの美術館は子供も多く、一人で来るというよりも友達や恋人、団体で来ている人の方が多かった。そのため賑やかすぎることもなく静かすぎることもない印象だ。日本では一人か二人程度の少人数で来て、基本は黙って鑑賞するのが一般的ではないだろうか。また、フランスの美術館はとても明るく感じた。天井が半透明になっていたりと、自然光の取り入れ方が大胆であった。天井の高さと部屋の明るさが解放感を生み出し、鑑賞者に鑑賞の自由度の高さをもたらしていた。美術館ひとつとっても日本とは全く違う見方ができて面白かった。どうしてこのような違いが生まれるのか興味が湧いた。



おわりに
今回パリ、モン・サン゠ミシェル、レンヌで2週間滞在して、日本と異なる文化を肌で感じられた。建物のデザインが可愛く綺麗で街を歩くだけでもとても楽しいこと、社会の一部である物乞いの方たち、メトロの座席は日本の電車と全く違う並び方であること、フランスの物価の高さ、パリは意外と汚くて臭いこと、人と目が合ったときやお店に出入りするときは微笑んだり挨拶をすることなど、最初は全てのことに衝撃を受けて感動していた。しかし次第に、交通機関にはnavigoを使い、スーパーで買い物をして自炊をしたり、カフェのエスプレッソの相場がわかってきたりするにつれて、フランスの文化に適応していった私がいる。BonjourやAu revoir、Pardon、Merci、De rien、これらの言葉が日常で咄嗟に出ることに違和感を覚えなくなっていったのも適応した証といえるだろう。2週間という時間は、異文化に対して衝撃や感動を覚えてから、その文化に適応するまでにちょうど良いものであったと感じる。また、いくつかの学校への見学を通して、「将来のために日本語を勉強したい」「グランゼコールに入るために勉強する」といった明確な目標や目的を持って学習に挑む学生たちと交流した。信念を持って学習するものがあるということ、そしてそれに向かって一生懸命になれるということが純粋に美しかった。私の学習への姿勢を問い直す良い機会となった。10代のうちにこのような視野を広げる経験ができて光栄である。各学校を訪れ交流する中で連絡先を交換した友達もできた。出会いと発見に満ちた大変有意義な旅であった。



最後にこの旅を充実したものにするため支えとなり、ご尽力くださったすべての方々に感謝を申し上げます。経済支援でご協力いただいた東京都立大学国際課の方々、学生同士の交流の場を設けてくださったレンヌ第二大学の高橋博美先生、交流会やレンヌでの生活で困った際に助けてくださった留学中の松田美月さんと小泉幸太さん、パリでの見学に同伴して興味深いお話をしてくださった八木悠允さん、フランスのエリート教育について詳しく教えてくださった山﨑晶子さん、アレクサンドル・デュマ高校で哲学と文学の授業を見学させてくださったPhilippe Danino フィリップ・ダニーノ先生とEloïse Lièvre エロイーズ・リエーブル先生、交流会を設けてくださったイナルコのデジマ会の皆さん、日本語の授業にお招きいただき交流の場を設けてくださった徳光直子先生、一緒に楽しくランチをしてくれたエルシーとジュリエット、お互いに支え合ってこの旅を思い出に残る素晴らしいものにしてくれた仲間たち、そして今回のプログラムにお誘いしてくださり、ずっと陰で支えてくださった西山先生、本当にありがとうございました。

伊藤はるか


伊藤はるか(人文社会学部1年)

【初めて目にするパリの風景】
シャルル・ド・ゴール空港を出発してモンパルナス駅で下車し、その風景に圧倒される。大きな駅、密集した建物、行き交う沢山の人々。都会でありながら、よく知る東京のそれとは違う。それは東京のビル群の代わりに連なる白を基調とした建物群のせいだろう。統一された景観に、高さの揃った石造りのアパルトマン。この後、セーヌ川付近を訪れた時には更に圧倒されることになるのだが、この時はモンパルナス駅も十分衝撃的であった。本でしか目にすることができなかった風景を目の前にして、この研修を必ず実のあるものにしようと、意気込みを新たにした。


【レンヌ滞在】
パリに到着してその街並みに圧倒されたのも束の間、翌日はレンヌへと向かう。車窓に映る風景に段々と緑が増えていくことに気付き、少し心が落ち着くのを感じた。レンヌは、重厚な駅舎、石畳の広い歩道が印象的な街である。我々がレンヌへとやってきた主たる目的は、レンヌ第2大学の視察、在籍する学生との交流のためである。

1日目は、語学学校CIREFEの授業に参加する。ここではさまざまな出身・境遇の人々がフランス語を学んでいた。授業に参加してみて驚いたことは、日本とは語学習得のための授業方法がまるで異なる点である。我々が語学を習得しようとする時、まずはテキストを買い、文法と単語を覚えていく。そうして習得したものを頼りにして徐々に発語できるようになっていく方法が、私が経験してきたものだ。対して語学学校CIREFEでは、テキストを頼らず、文章をリズミカルに発語することを繰り返していく。更に、全身を使って体にリズムを刻み込んでいくのだ。一つの授業の中で、こうして例文をいくつも言えるようになっていく。人間が、生まれた場所の周囲の話者の模倣をしながら徐々に言葉を喋るようになる過程と似ていると感じた。語学の学習方法について考えさせられた一日であった。

2日目は、日本語クラスの学生の前でプレゼンテーションを行った。学生の反応は大変好意的で、質問も多く受け取った。この発表が終わると、学生同士で交流する時間が設けられていた。ここでは、我々の発表に対する意見や、日本に対して学生が関心を持っている事柄について日本語で伝えてくれた。交流した学生の中には日本への留学経験がある学生もいて、日本語での会話もスムーズであった。そこにいる学生の誰もが日本に強い関心を持ち、日本の歴史や文化を学ぼうとしているということに感動し、「将来、このように学習意欲の高い学生たちと共に学ぶことができたら。」と、留学を希望する気持ちも強くなった。

【アレクサンドル・デュマ高校視察】
アレクサンドル・デュマ高校では、まず進学学級1年の哲学の授業を見学した。「フランスでは哲学教育に力を入れている。大学入試においても、哲学的思考が秀でているかどうかが重視されている。」等々については事前に大学の講義で学んでいた。

授業は先生から生徒への一方通行の講義では無く、生徒たちは疑問を感じたら即座に手を上げ、それに対し教師も答えていく。この日は「権力について」というテーマである。フィリップ・ダニーノ先生の授業はわかりやすかった。それはおそらく彼の講義形式に理由があるからだと考える。先生はまず概要を伝え、その後に必ず具体例を挙げていた。学ぶべきことをテンプレートで伝えるだけでなく、エピソードを必ず挙げることで、知識の定着率は良くなるのだろう。

この授業中に、私はノートに沢山のメモをとった。そしてそのノートの走り書きは、フランス人学生との交流のきっかけとなった。彼らは、ノートに書かれた日本語に興味を持っていた。「日本と言えば習字の文化である、日本人は字が美しいはずだ。」という既知の事柄の実際を、私のノートで確かめていたのだった。無論、その走り書きが綺麗かどうかと言われればそうでは無いのだが、ともかく彼らはそれを交流のきっかけにしてくれたのであった。その後の彼らの交流の方法はこうである。まず、彼らのノートを見せてくれた。「これは、美しい字かどうか?」と。とても綺麗に取られたノートであったため、私は頷いた。彼らは大変喜んでくれた。そして今度は女子生徒二人が、「私たちの名前を、漢字にしてください。」と英語で書かれた紙を持ってきてくれた。更に、その女子生徒二人に続いて「Moi aussi.」と言ってくれた生徒たちに、私は名前の当て字を考えた。



これまで「異文化交流」というと、少し、身構えてしまっていた。しかし、この時の彼らの交流の仕方を、私はこの先忘れないでいようと思う。相手の文化について少しでも知っていることについて会話を試みること。そして相手を知ることができるよう努めること。あなたと仲良くなりたいのだと、優しい態度で示すこと。これから先、同じように留学生と関わる機会を得られたら、彼らをお手本にしたい。

【イナルコ視察】
イナルコ視察の1日目は、日本の歴史や文学について学ぶ学生と議論した。この日、私には質問したいことが大きく2点あった。それは①「哲学の授業について、どのように感じているか。」、②「ストライキについて、フランスに居住している人々はどう感じているのか。」ということである。

まず、①についてである。彼女は、フランスにおいて哲学の授業が重視され、行われていることは素晴らしいことだと言う。また、哲学の授業は好きであったそうだ。彼女の哲学の授業を担当していた先生は、彼女の回答についてとてもよく褒めてくれたそうだ。バカロレアでも、普段の実力を発揮できたと思うが、残念ながら点数は思った通りにはいかなかったそうだ。これは、普段指導してくれていた先生とは異なる人物が採点するためであり、仕方ないが、普段から頑張っていた哲学の授業についても点数に反映されたらよかったのにと彼女は言うのであった。

次に、②についてである。彼女は郊外に居住している。そのため、ストライキが起きるとパリに向かう電車が止まるために、学校に行くことにも支障が生じ、ましてやストライキに参加することは難しいとのことであった。そのため、現在フランスで起きているストライキの、年金の支給年齢の引き上げ反対の主張については賛成であるが、電車を止めるやり方については賛成していないと彼女は言う。

これらのことから、フランスの哲学教育と入試、ストライキについて、個人がどのように感じているのか知ることができた。哲学教育やストライキは、私たちが日本に住んでいると経験し得ないものであり、フランスに暮らす彼女の意見は大変貴重であった。以上の事柄は、今後もフランスに住む人々に話を聞く機会があれば、どのように思っているのか継続して調査したいと感じた。



イナルコ視察の2日目は、まず、3年生の「日本語作文」の授業である。フランス人学生がレヴィ=ストロースの文章を要約した文章を我々が添削した。私は3名の生徒を担当した。彼らは、ほとんどの言いたいことを適切に日本語に訳すことができており、内容理解も深いことに驚いた。もちろん細部を見れば、口語の使用や文法の間違いはあったが、指摘をすると難なく修正することができていた。訳し方について、なぜこのように訳したか問うと、根拠を示すこともできていた。修正を終え、授業を担当されている徳光先生に提出した。その添削内容に生徒は疑問を感じたようであった。なぜなら、「離れた」と訳したところを「かけ離れた」と修正されたからであり、なぜ「かけ」と加えれば良いのか、わからないと言う。このような日本において特有の言葉遣いは、ニュアンスを掴み取ることが難しく、訳を理解することが難しいのだという発見をした。

次の2年生の「日本語会話」の授業では、日本語を1年半勉強した生徒が、未来のことを想像してプレゼンテーションを行うというものであった。題目そのものが難しいにも関わらず、難解な単語も使用しながら日本語で発表する姿に驚いた。私も学問のレベルアップを図るときには、時に難易度を高めてチャレンジする気持ちを持ちたいと感じた。

【モンマルトル見学】
サクレ・クレール聖堂では、ビザンチン様式の教会の建築様式を見学。フランスに来てからいくつかの教会を見学したが、丸い天井に切れ目の無く接続した柱が印象的であった。テルトル広場の絵売りや似顔絵売りが、かつてモンマルトルが芸術の拠点であったことを彷彿とさせる。ここはゴッホの縁の地であり、いくつかの看板には彼の色彩が爆発したパリ時代の絵が添えられていた。パリで描かれた彼の美しい絵への期待を抱きながら、モンマルトルを後にした。



【美術館見学】
フランスに来たからには、美術館を訪れなくてはならない。
まず、オルセー美術館である。彫像の前を過ぎ、5階に上がるとゴッホの常設展が見られた。念願叶って鑑賞することができたゴッホ絵画の筆触、画集の写真ではわからなかった絵の具の厚みを目にした。ゴッホが画家になりたての時代の絵から、ユートピア時代を彷彿とさせるあたたかみある絵、サン=レミ、オーヴェールの絵まで、彼が過ごした生涯と、用いられたモチーフや色とを対比させながら鑑賞することができた。印象派を飾るオルセー美術館は所蔵品の既視感もあり、親しみやすい印象があった。



次に、ルーヴル美術館である。ルーヴル美術館のナポレオン3世の居室は豪華絢爛であった。調度品などの装飾から、当時の美的感覚と権威の象徴の煌びやかさに驚いた。また、「カナの婚礼」については、キリストが水をワインに変えたという聖書の一説や、砂時計の意味などに思考を巡らせながら絵を鑑賞した。国王の宮殿であったルーヴル美術館は、荘厳で、やはり豪華であった。いずれの美術館においても、大変貴重な美術品をここまで多く目に出来ることは稀であり、この機会に感謝したい。

【終わりに】
今回のフランス滞在では、文化や芸術に触れてその様式に驚き、感動し、その度に大きく感情を動かされた。特にパリは、その隅々まで知りたくなるような街であった。「パリは人を歩かせる街だ。」と、西山先生から言われていたが、その言葉通りの日々であった。私は時間の許す限り歩いては、その風景を目に焼き付けようとした。そして私はパリの地理を、できる限り身体に染み込ませておきたかった。脳に焼き付けられたそれらのイメージはきっと、日本で文献をあたる度に臨場感を持って蘇り、学びの助けになるはずだ。

また今回の、フランス人学生やフランスで活動するプロフェッショナルの方々との交流の中で、彼らの興味や研究の対象について知り、学びの視野も広がったように思う。加えてフランス語が未熟な状態での今回の研修は、伝わらないもどかしさを常に抱えていた。それはフランス語学習への、強いモチベーションにもなった。

【謝辞】
今回の滞在では、沢山の方々にご協力いただきました。
東京都立大学国際課の方々、私たちの研修の実現のためご尽力くださりました。

レンヌ第2大学の高橋博美先生、大学での交流や発表が成功するよう、沢山のご配慮をいただきました。笑顔で優しく接してくださり、緊張を和らげてくださりました。留学中の松田美月さんと小泉幸太さん、レンヌ第2大学のことだけでは無く、レンヌでの生活や留学中の様子など、私たちの質問に細やかに答えてくださりました。

八木悠允さん、見学したいと考えていた場所を案内していただいただけでなく、フランスについての興味深いお話を沢山聞かせてくださりました。八木さんと歩いた場所は、八木さんがお話下さったエピソードと共に強く印象に残っております。山﨑晶子先生、先生のご研究の分野のこと、フランスの人々の実際について、お話を沢山聞かせてくださりました。先生のお話はどれも魅力的でした。私たちの質問一つひとつにも、丁寧に答えてくださりました。

フィリップ・ダニーノ先生、哲学の授業を見学させていただきました。フランスで行われている授業の実際を見学させていただくことができました。エロイーズ・リエーブル先生、授業の中で、私たちがフランスについて疑問に思っていることを質問できるようご配慮くださりました。

イナルコのデジマ会のみなさん、私たちと交流してくださり、貴重なお話を聞かせていただきました。皆さんと一緒に授業に参加させていただき、学びを得ることができました。徳光直子先生、授業に参加させていただき、学生の方々との交流のきっかけを沢山作っていただきました。

西山雄二先生、この度の研修に多大なご尽力をいただきました。参加者8名を連れての移動時に、何度も後ろを振り返って気にかけてくださっていた様子が印象に残っています。研修中のきめ細やかなご配慮をありがとうございました。このような貴重な経験をさせていただきましたこと、大変感謝しております。
以上の皆様、この度は私たちの研修にご協力いただき、本当にありがとうございました。

近江屋桃子


近江屋桃子(人文社会学部1年)

【はじめに】
フランスに滞在した2週間は、あっという間で濃密な時間であった。異文化を肌で感じたいという気持ち一心で今回のGCCに参加した。初めて海外に行くということもあり、始めは右も左も分からず不安な気持ちのほうが大きかった。そんな私が、最終日にはパリの街を一人で闊歩するまでになり、自分自身の成長を感じられた。この報告書では、レンヌ第二大学、アレクサンドル・デュマ高校、フランス国立東洋言語文化大学(イナルコ)での学生たちとの異文化交流と特に印象深かった場所、フランスの生活について述べようと思う。

【レンヌ第二大学】
⑴ 語学学校「CIREFE」
レンヌ第二大学には、語学学校「CIREFE」が併設されている。様々な国の出身者が集まり、10代から30代と年齢も幅が大きい。この場所で学ぶ学生は、レンヌ第二大学で授業を受けることやフランスで就職することなどを目指している。ウクライナから来た少年少女もフランス語を学んでいて、普段の生活では出会うことがなく新鮮味を覚えた。初日はここで授業を見学した。アクセント、イントネーションに特化した授業を展開していて、先生は学生が正しいフランス語を発音することができるまで、何度も繰り返し復唱することを促していた。歩きながら言葉のリズムを取っていたり、手を前に伸ばして音の伸びを表したりと体を動かしながら教えていたことが印象的であった。語学の上達の基礎は、正しい発音を身につけることなのだと感じた。学生が主体となって授業に参加するため、全体的に和気あいあいとした雰囲気が良かった。

⑵ レンヌ第2大学での発表、交流
私たちのグループはレンヌ第2大学の日本語クラスで学ぶ学生たちに、「東京都立大学」について発表をした。フランス語を使って発表する機会は今までなかったので、内容が伝わるか不安だった。しかし、熱心に耳を傾けて話を聞いてもらうことができて嬉しかった。発表後は、学生たちとの対談を楽しんだ。私が「モン・サン=ミッシェル」にこれから行くという話をすると、ブルターニュ地方出身の女子学生がモン・サン=ミシェルはブルトン人のものだと熱く語っていた。調べてみると、そこは地理的にはブルターニュ地方のほうが近いが、行政上はノルマンディー地方のものとなっているらしい。その場には、ノルマンディー出身の学生もいてちょっとした議論になっていた。1000年以上続いている議題だという。私が話すフランス語は拙いものだったと思うが、頑張って理解しようとしてくれて、話が通じたときには喜びを感じた。

【アレクサンドル・デュマ高校(サン=クルー)】
アレクサンドル・デュマ高校では、グランゼコール入学を目指す準備学級1年の哲学と文学の授業の様子を見学した。哲学の授業は3時間あり、難しい議題であるため集中力が必要だった。内容は「道徳を学ぶことはできるのか」と「国家と権力について」だった。先生が哲学者の名を挙げながら、論理的に解説していた。学生たちは、適宜質問をしていて活発な印象を受けた。日本では、授業中は先生の講義を静かに聞くことが主流とされているが、フランスのように疑問があったらすぐに解決できる授業だとより考えが深まるだろう。


【フランス国立東洋言語文化大学(イナルコ)】
⑴ 学生サークル「デジマ会」
学生サークル「デジマ会」とは、学生の結束を強化し、日本の文化と言語のさまざまな側面を最も多くの人々によって発見することを目的としている団体である。書道、折り紙、茶道、アニメ分析など様々な活動を通し、イナルコの学生に日本文化を広めている。今回は、デジマ会のメンバーの方々が私たちを迎え入れて、日仏の異文化を話し合う機会を設けてくれた。いくつか話したことをまとめる。
① 周りの目を気にしない
フランス人のほうが周りの目を気にしない人が多い。日本では電車の中で大きな声で話すことはマナー違反だが、あまり気にならないという。
② 集団行動
学生は仲の良い友達と集団になって行動を共にすることが多い。同じグループにいる人と似たような服、持ち物を身に着けることもある。友達に対して意見があったらダイレクトに伝えることがあるが、輪を大事にするために同調する場面も多くある。
③ 制服着用
日本人の学生が着用する制服に関して、どう思っているのか聞いてみた。「毎日着ることになるため、綺麗にしないといけないことが大変そう。自分の気に入ったデザインのものでなかったら残念だ。」との意見が挙がった。また、スカートをはくことに抵抗がある女子学生はいないのか疑問に感じていた。フランスにおいても、カフェの店員やデスクワークをする人の一部は、スーツを着なければいけないという。
④ 仕事
フランス人は長い時間をかけて仕事をしたくないという考えの人が多く、サービス残業も基本的にしない。だが、その裏で仕事を他の人に任せて帰ってしまう人もいる。私が驚いたことは、美術館の閉館時間15分前になると学芸員さんがお客さんに帰るよう促すことだ。閉館時間に仕事を終わらせるという考えを持っているのだろう。

⑵ 日本語学科の授業
① 3年生の「日本語作文」
クロード・レヴィ=ストロースの『人種と歴史 人種と文化』のフランス語原文を日本語に直して要約する授業の補佐を行った。あらかじめ日本語の文章を読んできて理解していたものの、学生が書いた日本語の文章を添削することは骨の折れる作業だった。彼女たちの文章は原文を直訳したものではなく、原文の意味を理解したうえで自分の言葉を使った日本語で表現したものだったからである。自分がしてきた予習は、添削する立場として不十分だったことが反省点である。この一文は何を伝えようとしているのかを聞いて、お互いが納得するまで話し合うことができた。日本語を教える経験は初めてだったので、難しかったが充実した時間となった。

② 2年生の「日本語会話」
「30年後の未来について」を日本語で発表する授業を見学した。1年半の日本語学習とは思えないくらい、レベルの高い発表だった。発表、質疑応答まで一貫して日本語を通じて行っていた。遠い国で日本語を頑張って勉強している姿に心打たれて、私もフランス語を話せるように努力を続けようと思った。

【モン・サン=ミシェル】
モン・サン=ミシェルは、1979年に世界文化遺産に指定された修道院だ。モンというのは「岩山」という意味であり、708年から始まる長い歴史を持つ。当日は近くのホテルに荷物を預けてから、バスに乗って向かった。近くで見ると、異世界に来たかのような気分になった。高くそびえたつ教会を前に圧倒されたことを覚えている。周りは岩山で囲まれていて、上まで登ることが大変だったが、頂上の方にさしかかった時に一面に広がる海を見ることができて感動した。合同の食事室では、厳かでひんやりとしたイメージを持った。ここで修道僧が食事をとっていたことが想像できないくらい静かで暗かった場所だった。後でガイドブックを参照すると、修道僧たちは、沈黙のうちに食事をとっていたという。そのうちの一人が説教壇で独唱していたらしい。その厳かな雰囲気が今でも残っているような気がした。次の日の朝、日の出を見るために早く起きてホテルを出た。人が少なく、カモメの鳴き声だけが響いていた。モン・サン=ミシェルを見ながら朝日を浴びる時間は、貴重だったと思う。今まで見た日の出の中で最も綺麗だった。

【コンシェルジュリー】
コンシェルジュリーはフランス革命の間、革命裁判所の設置とともに犯罪者の主要な拘留所となった場所である。建物の中に入るとタブレットが配られて、見学順路に沿って詳しく説明がなされた。マリーアントワネットの贖罪礼拝堂は、かつて王妃の独房があったところであった。タブレット上には、その独房の様子が描かれていた。簡素な家具が置かれた空間で、王妃のプライバシーを守るものは背の低い衝立のみだった。宮殿の華やかな生活とは遠くかけ離れた生活をしていたことが想像される。彼女の最期の日に、コンシェルジュリーから断頭が行われたコンコルド広場に向かう道のりを事細かく学んだ。民衆からの罵声を浴びながら、荷馬車に乗って広場へと向かう最中でも顔色を変えることなく、司祭とも言葉を交わすことがなかったという。強い覚悟と諦めの気持ちを持っていたことだろう。

【ヴェルサイユ宮殿】
ヴェルサイユ宮殿は、フランスに来たからには必ず行こうと考えていた場所だ。池田理代子さん原作の漫画『べルサイユのばら』を読んだときから、ヴェルサイユ宮殿に強く憧れを抱いていた。この宮殿は、ルイ13世とアンヌ・ドートリッシュが狩猟の館として使っていた城館を、17世紀半ばにルイ14世が増築して宮殿にしたものである。ルイ14世の時代からルイ16世の時代まで国王の居城として使用された。当日は、モンパルナス駅からRER線に乗って30分もかからずに着いた。パリを少し離れると、たちまち住宅街が広がる。意外にも、のんびりとした空気が流れた街だった。朝の10時過ぎに着いて当日券を買おうとしたら、宮殿には14時半から入れるとのことだった。観光地で人が多かったこともあるが、人気ぶりに驚いた。



始めは、庭園を歩きながら離宮がたたずむトリアノンの方へ向かった。庭園は、造園家アンドレ・ル・ノートルの設計の元、ルイ14世の統治下でヴェルサイユ宮殿と同時期に作られたそうだ。フランス式庭園の最光傑作とも呼ばれている。直線的に区画されていて上から見ると対称的になっている。日本庭園は、周りの自然になじむように作られているが、フランス式庭園は一から形を作る。この違いを感じることができた。トリアノンでは、プチトリアノンに足を踏み入れた。1774年にルイ16世は妻のマリーアントワネットに譲り、彼女はこの場所を私邸とした。中に入ってみると、壮麗ながらも落ち着いている印象を受けた。広大できらびやかとした宮殿と比べると、彼女はここで一息ついていたことが想像された。そして、もう少し足を延ばし、ハムレットという王妃の村里へ行った。池を掘り、風車小屋などを建て、実際に農民を住まわせて小さな村を作り上げていたという。マリーアントワネットは、煌びやかな世界で暮らしていながら静かで落ち着いた農村の暮らしを好んでいたことが分かった。農村には、茶色や白色を基調とした家が並んでいたり、池にかかる橋があったり、牧場が広がったりしていた。牧場には、羊がたくさんいて宮殿の敷地にいることを忘れるほど安閑としていた。



そうしている間に14時半が近づいてきたので、宮殿に向かった。外装、内装も絢爛豪華で完全に魅入ってしまっていた。特に、王妃の部屋をよく観察した。壁、ベッド、椅子、ソファ、カーテンと一面花柄で統一されていて、まさにプリンセスが住むところにふさわしい雰囲気だった。一つ一つの部屋にあるシャンデリアが美しく見応えがあった。歴史と伝統を体で感じることができて良い体験となった。

【フランスの生活】
⑴ 街並みと食文化
初めてモンパルナス駅を降りたとき、パリに来たのだと高揚感でいっぱいだった。白色を基調とした石造りの建物が並んでいて、まるで夢のようだと思った。エッフェル塔や凱旋門、ノートルダム大聖堂と調和する街並みだった。お店の外装は、青、赤、黄、緑などカラフルで見ているだけで心が弾んだ。大きな窓に映るパン、ケーキ、宝石、洋服に目が奪われる瞬間が多かった。フランス料理はどれも美味しく、美食の国ということを実感した。特に美味しかったものは、レンヌで食べたガレットである。生地の中にチーズが入っていて、上には目玉焼きが乗っていた。レンヌ滞在中、二日間連続でガレットを食べることができて良かった。



⑵ 治安
フランスの街、特にパリには物乞いが多くいる。日本にいるホームレスとは雰囲気が異なっていて、お金の集め方が独特である。メトロの中で楽器を演奏する人、妊婦・肢体不自由のふりをする人を目にした。中には、若い女の人も暗い面持ちでお金を集めていた。今回のプログラムに少し同行していただいた山﨑晶子さんによると、フランス人は誰しもが貧しくなる可能性があって他人事だと捉えないという。そして物乞いは、職業のようなものという話を聞いて驚いた。どうすればお金を貰えるかを考えながら、街でお金を集めていることを知った。

【総括】
初めて海外に来て、言葉が通じないことのもどかしさを感じた。だが、ものを買ったり、メトロに乗ったり、フランス人の学生たちとコミュニケーションを取ったりすることができて喜びと達成感を感じた。美術館では、広い館内で道に迷ったときに学芸員さんに何度も聞いてみることによって、フランス語・英語をためらわずに話してみる力がついたように思える。大学と高校見学を通して、日本から遠く離れている国で熱心に日本語を学んでいる人が多いことも嬉しかった。異文化交流、美術館・教会などの探索を通じて、芸術、歴史にたくさん触れることができた。この素晴らしい経験は、今後の勉強の糧となると考える。

【謝辞】
今回のグローバルキャンプの準備から手配をして頂いた東京都立大学国際課の職員の方々、レンヌ第二大学で私たちを迎え入れて頂いた高橋博美先生、留学の話を説明してくださった東京都立大学から留学中の松田美月さんと小泉幸太さん、パリの街を同行し、フランス生活について教えて頂いた八木悠允さん、フランス社会、グランゼコール・プレパについて語って頂いた山﨑晶子さん、アレクサンドル・デュマ高校で授業見学を受け入れてくださったエロイーズ・リエーブル先生、イナルコで交流会を開いて頂いたデジマ会のみなさん、イナルコで授業に参加させて頂いた徳光直子先生、そして最後に今回のプログラムを企画、実行して頂いた西山雄二教授、関わって頂いた全ての皆様に感謝申し上げます。

大村遥


大村遥(人文社会学部フランス語圏文化論教室2年)

はじめに
フランス語を学び始めて約2年が経過し、大学生活が残り2年になろうとしているこの時期に、3年ぶりの開催となる今回の国際交流プログラムに参加させて頂いたことは、非常に貴重な経験であった。海外へ行くこと自体が初めての私にとって、目にするもの耳にするもの全てが新鮮であった。

到着
羽田空港を出発し、ベトナムの首都ハノイを経由してパリのシャルル・ド・ゴール空港へ向かうという、22時間にも及ぶ長時間のフライトであった。これから始まる2週間の滞在に期待しつつも、言葉の壁があることや治安に対する多少の不安もあり、フライト中は緊張した時間を過ごしていた。今では全てがあっという間であったように思えるが、緊張のためか、その時はとても時間が長いと感じていた。翌朝ようやく到着したとき、まだフランス、パリに到着したという実感はなく、駅を出てアパートを目指し街中を歩いて始めて、自分がパリに居ること、これからフランスで2週間を過ごすのだということを自覚した。

レンヌ
パリで1泊した後、早朝にTGVに乗り込み、フランスの西部に位置するブルターニュ地方のレンヌへと向かった。日本の宮城県仙台市の姉妹都市でもあるレンヌは、パリと比べて閑静な佇まいであるように感じた。もちろん広場などの賑わいは見られたが、どちらかといえばアットホームな雰囲気のブティックやレストランが多く、落ち着いた街並みであった。



このブルターニュ地域には、ユネスコにより消滅危機言語に指定される、固有の言語ブルトン語(ブルターニュ語)が存在する。6段階の消滅危険度のうち、4段階目の「重大な危険」であり、「言語は祖父母かそれ以前の世代が話すのみで、親世代はそれを理解しているかもしれないが子供たちにその言語では話し掛けず、また自分たちもその言語で会話していない」状況にあるようだ。街中で、通りの名前や案内板などがフランス語とブルトン語の両方で表記されていたり、店で売られている雑貨などにブルトン語がデザインされていたりと、何度か目にする機会はあったものの、最も私たちが外国人であったこともあり、話しかけられる際はブルトン語ではなくフランス語であった。日本の各方言やアイヌ語、沖縄語などのように、若者の認知度は低くなっているが、独自の言語が存在するということは、その土地独自の歴史や社会体制、共同体が存在していたということであり、レンヌという土地に魅力的に感じる。

都立大の交換留学協定校であるレンヌ第2大学を2日に渡り訪問したのだが、1日目は大学に隣接する語学学校CIREFEにて、授業を2時間見学させて頂いた。私たちと同じくフランス語を勉強している訳であるが、そこでまず感じたことは、先生の教え方が日本とは全く異なるということである。

最初の授業は短い映像を見て問題に答える内容であったが、まず映像を音声なしの状態で2、3回視聴したのが驚きであった。情報源を視覚にのみ絞り映像内の状況を把握した上で、フランス語の音声を聞き、最後に新出単語のスペルを教えることで、より理解度が高まるのだと思われる。しかし、日本で映像を用いた学習をすることはあっても、音声なしで視聴することは恐らく無く、むしろリスニングとして話している内容を聞き取ろうとする。新しい単語を習う際も、日本ではスペルを見てから発音を教わることが多く、日本の言語学習とは逆のアプローチ方法であった。また、授業を見学した後は、現在レンヌ第2大学へ留学されている松田さんと小泉さんに学生寮へ案内してもらい、レンヌでの生活について様々な質問に答えて頂いたのだが、お二人の話しぶりからも充実した留学生活であることがよく分かった。

2日目は2つの日本語クラスに参加させて頂き、それぞれのクラスで私たちがプレゼンテーションを行い、その後お菓子を持ち寄り質問を交わした。まずは修士1年、次に学部3年のクラスに参加させて頂いたが、どちらのクラスでも学生たちは、私たちの発表に関心をもって聞いてくれたようで、発表の最後にいくつか質問をしてくれた。1年生の都立大や東京駅についての発表に続き、私は和食を紹介した。発表内容はフランス人留学生のディアンヌさんに添削をして頂き完成したもので、多少の発音の誤りはあったが、学生たちには伝わったようだ。発表資料も写真を多く使用するなどビジュアルの工夫をしたのだが、その写真を見たときに学生たちから反応を貰え個人的に嬉しく思った。



お菓子を交えた交流会では、私たちのフランス語も彼らの日本語も拙かったため、フランス語、日本語、英語を混ぜての会話であった。相手の質問を汲み取り伝えたいことを表現するのは難しく、積極的に質問をしてくれたにも関わらず、フランス語を聞き取れないことも多々あり、自分の勉強不足を感じた。また、彼らが日本語を勉強している理由として多かったのは、日本の文化、とりわけアニメやマンガに興味があるということであったが、私はそれらに疎く名前は聞いたことがあるというような具合で、彼らの方が詳しいほどであった。フレンドリーな学生たちとの交流は、とても楽しいものであったと同時に、もっとフランス語を話せるようになりたい、自分の考えをフランス語で伝えられるようになりたいという思いが強まった。

モン・サン=ミシェル
708年にアヴランシュ司教・聖オーベルが大天使ミカエルのお告げに従い礼拝堂を建築したのが発端とされるモン・サン=ミシェルは、レンヌからも近いサン・マロ湾に位置し、レンヌで2日間を過ごした後にバスで向かった。起源を8世紀とし11世紀にはロマネスク様式の修道院、13世紀にはゴシック様式のラメルベイユが建築されるなど様々な歴史のある場所であり、1979年には世界文化遺産にも登録されている。海に浮かび上がる姿は神秘的であり、サン・ピエール教会や修道院内部のラメルベイユの回廊など魅力の多い土地であった。

アレクサンドル・デュマ高校
再びパリに戻り、サン=クルーに位置するアレクサンドル・デュマ高校を訪問し、準備学級1年の哲学と文学の授業を見学させて頂いた。学校に着くと、文学の授業を担当されるEloïse Lièvre先生と生徒たちが温かく出迎えてくれた。授業が始まる前に、生徒たちが校内を案内してくれたり、雑談をしたりする時間があった。彼らはテクノクラート養成校であるグランゼコール(Grandes Écoles)を目指して勉学に励んでおり、真面目な印象の生徒が多く見られ、授業も高度な内容であるように感じた。

フランスでは必須の、哲学の授業では冒頭に、Philippe Danino先生が道徳のあり方に関する小論文課題の解説をされた。道徳とはルールのように親や先生から学ぶものなのか、反対に人々には生まれながらに道徳意識が潜在するのか。しかし実際には前者も後者も不適切であり、サルトルによれば普遍的で客観的な道徳はなく価値のように常に移り変わり、作り出されるものである、という内容であった。解説が終わると、Georges BalandierやMax Werberのテキストを用いて権力や政治家とは何かを先生が講義をされた。講義というよりは、先生と生徒が議論をしているように授業が進んでいくスタイルで、生徒が能動的、主体的に学んでいた。



続くEloïse Lièvre先生の文学の授業では、文明化とはどのようなものかをテキストを元に解説がされた。どちらの授業においても、生徒たちは疑問点があると積極的に手を挙げて先生に質問をしており、先生が話している最中であっても遠慮はなく先生の話に被せて質問する場面もあったほどだ。これは日本の授業では見られない光景であり、生徒たちの勉強への意欲に圧倒された。授業後、伊藤さんのメモを見て漢字に興味を持ったようで、自分の名前を漢字で書いて欲しいと学生たちが彼女に殺到した。非常に高度な教育を受け、大人びて見える学生たちであったが、漢字を書いてもらい喜びはしゃぐ姿は高校生そのものであった。

イナルコ
その後、フランス国立東洋言語文化大学(イナルコ)に訪問し、学生たちと交流する機会が2日間あった。1日目は昨年の9月頃まで都立大に留学していたジュリエットとエルシと共に、イナルコの学食を頂いた。校舎からは少し離れた、セーヌ川に浮かぶ船が学食となっており、その発想には驚かされたのだが、船内は外観で見たよりも広々としていた。とてもボリュームのある美味しい学食であり、奨学生は1ユーロで食べることができるというので驚きであった。ランチの後は、校舎に戻り学生サークル「デジマ会」とのディスカッションがあり、学生たちが私たちの用意してきた質問に答えるという形式で様々な議論を行った。彼らは真剣に答えようとしてくれており、少し考えた後流暢な日本語で回答してくれた。彼らの率直な意見を聞けたこと、私たちの質問に対して毎回真剣に答えてくれたことに嬉しく思った。



2日目はイナルコで日本語を教える徳光直子先生の授業に2つ参加させて頂いた。1つは3年生の「日本語作文」であり、フランスの社会人類学者であるクロード・レヴィ=ストロースの文章を日本語で要約するという内容であった。私たちはその要約を添削する役割が与えられたのだが、3年生の学生にとっても難しい授業のようで、ほとんど直す部分のない学生も少数いたものの、大半は助詞や言葉遣いに苦戦していた。どの部分が間違っていて、そこがなぜ間違いなのかを彼らが分かるように説明することは想像以上に困難であった。

次に見学した2年生の「日本語会話」の授業では、学生たちが「30年後の未来」をテーマにプレゼンテーションをし、それぞれが想像する30年後の交通やテクノロジーを説明してくれた。痞えながらも日本語のみでの発表で、私たちの質問にも日本語で答えようとしてくれていた。とても日本語の勉強を始めて1年半とは思えない高いレベルで、彼らの能力や努力に驚かされるばかりであった。また様々な学生と交流する機会を頂いたが、日本の文化や歴史に関心のある学生が多く、日本に留学したい、日本でフランス語の先生をしたいなどの声を聞き、日本人として嬉しく思った。

その他
芸術の都と称されるパリには古くから多くの芸術家が集い、豊富な美術品を展示する大きな美術館から、個人コレクションのギャラリーまで数多くの美術館が存在する。今回の滞在期間中、幸運にもルーブル美術館、オルセー美術館、オランジュリー美術館、プティパレ美術館、パリ市立近代美術館、イヴ・サン・ローラン美術館と沢山の美術館を訪れることができた。特に有名なルーブル美術館やオランジュリー美術館は、来館者の半数が日本人と言っても過言ではないほど日本人が多く、日本語をよく耳にし不思議な気分であった。またオルセー美術館では、石像や絵画をデッサンしている人を数人見かけた。恐らく、日本でそのようなことをすれば注意を受けると思われるが、日常的に素晴らしい芸術、本物の芸術作品に間近で触れることのできる環境を羨ましくも思った。



また海外自体が初の私にとって、海外で買い物をするということも新鮮であったが、ガイドブックによる事前知識でお店に入るとき出るときには必ず挨拶をすることを心得ており、自分から挨拶をすることで店員さんからにこやかに挨拶を返して貰えたり、声を掛けて貰えたりすることが多かった。また店員さんの話が分からなかった際も何か返事をすることで、買い物で困ることはなかった。レンヌ第2大学やアレクサンドル・デュマ高校、フランス国立東洋言語文化大学(イナルコ)での学生たちとの交流にも共通することだが、このプログラムを通して、積極性や間違いを恐れずに話そうとすることが如何に大切であるかを痛感した。

終わりに
2週間の国際交流プログラムで沢山の貴重な経験をさせて頂いたこと、大きなトラブルもなく充実した2週間を過ごせたことは、多くの方々のお力添えのおかげです。
まず、東京都立大学国際課の皆様にはフランスに滞在する機会を頂いたことに、深く御礼を申し上げます。次にレンヌの滞在では、レンヌ第二大学の高橋博美先生に多くの学生との交流の機会を作って頂き、留学中の松田美月さんと小泉幸太さんにはレンヌで暖かく迎え授業のサポートもして頂くなど、大変お世話になりました。
またお忙しい中パリの街を案内してくださった八木悠允さん、アレクサンドル・デュマ高校訪問やパリでの生活をサポート頂いた山崎晶子さん、アレクサンドル・デュマ高校で授業を見学させて頂いたフィリップ・ダニーノ先生とエロイーズ・リエーブル先生、イナルコで暖かく迎えてくださったジュリエットさんとエルシさん、デジマ会の皆さん、イナルコの学生と共に勉強する機会を与えてくださった徳光直子先生に深く感謝致します。
最後にプログラムの計画準備から滞在の何から何までお世話になった西山雄二先生、貴重な機会を頂き本当にありがとうございました。プログラムをサポートして頂いた全ての方々に、改めて深く感謝致します。

鈴木珠己


鈴木珠己(人文社会学部フランス語圏文化論教室2年)

今回のグローバル・キャンプでは、レンヌ第二大学、語学学校CIREFE、アレクサンドル・デュマ高校、フランス国立東洋言語文化大学など様々な学校の活動に参加させていただいた。まずはそれぞれの活動報告である。

【レンヌ第二大学】
高橋博美先生のご厚意のもと、学部3年、修士1年のそれぞれ20~30人ほどの日本語クラスに参加させていただいた。まず私たちが東京都立大学について、東京について、日本の食文化についてそれぞれ簡単な発表をし、その内容について現地学生から日本語で質問を受け付けたのだが、どの学生も簡単な単語の日本語を繋ぎ合わせて積極的に質問しており、授業に対する意欲の高さを感じた。発表の後は日本から持ってきたお菓子や用意していただいたものを持ち寄り現地学生の皆さんと対話をした。なぜ日本語を勉強しているのかを聞くと、日本のアニメや漫画、コスプレなどのポップカルチャーに興味を持った学生が殆どで、日本に行ったことはないが是非行きたいと思っている、などと純粋な憧れで勉強をしている方が多かった。日本への関心がとても高く、終始和やかに話を聞いてくださった。日本語の質問を聞き取ってもちろん日本語で返答する、といった流れが出来ており、完全な文での返答が未熟である自身のフランス語取得に対する勉強不足を思い知らされた。

【語学学校CIREFE】
この学校では実際のフランス語の授業の一コマに参加させていただいたのだが、様々な国の方が集まって母国語ではないフランス語を共通語としてコミュニケーションをしている姿がとても印象的だった。国も地域も違う30人ほどのクラスで、全員が外国人という同等の立場にいるためか、非常に仲が良く協力的であった。ビデオを使った教材を用いたり、関係代名詞の作文をしたりしたのだが、外国語を外国語で学ぶ、という手法が身近ではなかったためかなり新鮮だった。外国語で外国語を学ぶことは難しいと思う一方で、外国語を外国語で理解するとその言語のニュアンスも得ることが出来るため理解が早くなり、外国語取得能力が高まるのではないのだろうか。

関係代名詞の講義の時間では、それぞれがquiを使ってクラスメートを形容し誰を指しているのかを当てる、またqueを使って場所を形容し当てるという問題を作って出し合ったのだが、大半がその人の服装や容姿を形容したのに対し出身など相手のことを知らなくては答えられない問題を出した人もおり、それに全員が反応しているのを見て、周囲の人に対する関心の高さと十分なコミュニケーションを感じた。日本ではなかなか見られないようなクラス全体での仲の良さが前面に出ていることが印象的だった。様々な国から来ているためか相手をより理解しようとする姿勢が強く、それがコミュニケーション能力の向上に関係しているのではないか。

【アレクサンドル・デュマ高校】
フィリップ・ダニーノ先生の哲学の授業、エロイーズ・リエーブル先生の文学の授業に参加させていただいた。まず先生が大量の情報を一方的に話すという授業スタイルに驚かされた。学生たちはそれを全てノートに取るわけではなく、また板書を撮影することもなくリラックスした状態で授業を受けていた。疑問を持った学生はその時々で手を挙げ、先生と学生との質問が活発に行われ充実した授業が作り上げられていた。学生は授業内容を即座に理解する必要があり、また先生も予測不可能な質問に回答できる程の知識を身につけていることが求められるため、学生と先生の間で学習レベルが高め合われているのではないだろうか。話している学生もいたが授業の内容確認をしている様子であり、レベルの高い教育基準があるからこそ学生は真面目に勉強をし、優秀な人材を増やすことができるのではないか。

【フランス国立東洋言語文化大学】
レヴィ=ストロースの原文を読み現地学生が日本語に要約したものを添削する、という貴重な体験をさせていただいた。学生たちの日本語のレベルは非常に高く、ふりがなを振らずに漢字を読む学生やふりがなはあっても文法の基礎が出来ていてスームズに文章を作る学生、また直訳ではなく単語の意味も踏まえて要約してきた学生もおり、語学に丁寧に向き合うという姿勢がありここでも自身の語学に対するアプローチの不十分さを認識した。また助詞など簡単な間違いを指摘すると何度も謝罪を受け、まるで日本人のような謙虚さを感じて驚いた。デジマ会の皆さんとの交流も通してレンヌの学生と比較すると、一流の語学学習環境が整っているためか、学習意欲が前面に出ているというよりは洗練された雰囲気があった。

また30年後の世界という内容での学生たちの日本語発表を拝見させていただいたのだが、スライドには単語だけが映し出されており台詞そのものが書かれた原稿は持っておらず、私たちからの日本語の質問に対しても先生は単語などのヒントを出すのみで学生たちが即座に自分の考えを日本語で文章にして述べる、という厳格な流れが確立されていた。学生たちが高い語学力を持っているのはこうした厳しい環境があるからだろう。また日本では意見に対する根拠がよく求められるが、発表では「30年後の世界は~になっていると思います」という表現が多用されていた。これは語学レベルや習得した表現によるものかもしれないが、日本人のように流暢な方も使用していたことから、論理性ではなくアイデア性が重視されるといった文化の違いもあるのではなかろうか。理屈を重視することは日本人ならではの特徴なのではないかと認識させられた。

どの学校での活動でも学生の学習意欲の高さに驚かされた。卒業が難しいといった日本の教育システムとの違いか、内気な日本人とは異なる自由でルールに縛られないという国民性の違いなのか、または競争社会の激しさによるものなのか、勉学への熱が伝わってきた。私は幼少の頃にベルギーに住んでいたことがあり日本人学校で現地校との交流会を何度か経験したことがあったが、その時に見た授業の活発さとさほど変わっていなかった。年齢が上がるにつれ控えめになりがちな日本人とは対照的に昔からの積極性がみられる点は、授業の活発さや充実にもつながっているのだろう。

次に、パリの街を視察していて感じたことである。エッフェル塔や凱旋門などといった歴史的な観光名所を始め美術館なども見学をしたのだが、パリの街を歩いていて徐々に感じるようになったのはモンパルナスタワーの異質さである。このタワーは1972年にモンパルナス再開発プロジェクトの一環として建てられた、最上階にテラスを持つビルで、高さは210mにもなる。初日にモンパルナス駅周辺の宿に宿泊した際は全く違和感がなかったが、歴史ある西洋建築を見るうちにパリの街のどこからでも視界に入るタワーの近代性が気に掛かった。似たような例としてパリの街並みで異彩を放っていたのは、国立近代美術館をはじめ図書館など複合施設が収容された総合文化芸術センター、ポンピドゥー・センターである。


(ポンピドゥー・センター)

配管むき出しの奇抜なデザインは1977年の開館当初から物議を醸したが、現在では万人に開かれた現代文化センターとして市民の支持を集めている。しかしその奇抜さは西洋建築の街並みにあまりにも似合わなく、初めて見た時の衝撃が大きかった。ルイ・ヴィトンの草間彌生をモチーフにした建物のデザインも衝撃を受けたが、美しいパリの街並みには一風変わった巨大な建築を立ててしまうことに、フランス人とのアートな感性の相違を感じた。

また感性の違いがみられた類例として、ヴェルサイユ宮殿の庭園がある。あまり自然に手をかけることなくありのままの植物の姿や風流を楽しむ日本人とは異なり、フランス人は庭園や植林などにもデザイン性を求めるということを理解してはいたが想像を超える加工が施されていた。


(ヴェルサイユ庭園)

文化の違いからか、何を美しいとするかは人や地域によって異なるが、感性の違いが顕著に見られた。日本は歴史的に自然を詠む詩や風流心を重んじる心があるため違和感があるのかもしれないと考えるのと同時に、帰りの機内から見たシャルル・ド・ゴール空港上空のフランスの風景と東京の光景を思い出し、開発の進んだ社会で少ない自然を求める日本人と対照的に、フランス人は味気ない広大な自然の中にアートを見いだしているのではなかろうかと感じた。

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(左:パリ上空、右:東京)

年金改革に対するストライキで公共交通機関が乱れ行動が制限されたり、また2024年のパリオリンピックに向けた改築で本来の街並みを見ることが出来なかったりなどしたが、二週間もの長い期間フランスに留まり生活をした経験はとても貴重なものとなった。様々な人々や異文化に触れたことにより日本人として生きてきた自身の感覚は部分的で、不安定なことに気付かされた。外国に身を置くことで知見を得たこと、意欲的な現地学生との交流で視野が広まったことが今回の旅の大きな成果である。

また反省点として、フランス語での会話の練習不足を感じた。文法的に習ったことは覚えていても、カフェやお店などで店員さんに話しかけられた際に、堅苦しい文章で答えているのではないだろうかとニュアンスが分からず困ってしまうことがあった。文章を理解するだけではなく、簡単なコミュニケーションを覚えたりすぐに口に出して答えたりすることの大切さを学んだ。

最後に、今回のグローバル・キャンプを計画・実施していただいた西山先生、支援していただいた東京都立大学国際課の方々に感謝申し上げます。また日本語クラスの学生との交流という貴重な機会を設けていただいたレンヌ第二大学の高橋博美先生、交流の手助けや現地での学生生活を丁寧に教えてくださった留学中の松田美月さんと小泉幸太さん、視察見学に協力していただいた八木悠允さん、フランスの学校教育制度について専門的な話を聞かせていただいた山﨑晶子先生、アレクサンドル・デュマ高校で革新的な哲学の授業を拝見させていただいたフィリップ・ダニーノ先生、同高校で等身大の文学の授業受けさせていただいたエロイーズ・リエーブル先生、学生生活の様子や質問に丁寧に答えてくださりまた交流のサポートをしていただいたエルシーさんとジュリエットさん、異文化交流となる貴重な対談の機会を設けてくださったイナルコのデジマ会のみなさん、フランス国立東洋言語文化大学で現地学生との積極的で貴重な授業活動を体験させていただいた徳光直子先生、携わっていただいた全ての方々に心より感謝申し上げます。

田村彩起


田村彩起(人文社会学部1年)

【はじめに】
今回約2週間のグローバル・コミュニケーション・キャンプに参加させていただいた。海外での滞在も飛行機も経験がなかった私にとっては、大学や高校の授業見学や参加、市内散策、歴史的建造物や美術館の見学など毎日が盛りだくさんで刺激的な日々だった。また景観から人の態度、言語までフランスと日本の違いを感じ、驚く場面が多くありそれらの発見が反対に日本を見つめ直す機会にもなった。ここでは滞在中のプログラムや特に印象に残ったことについて記す。

【モンパルナス駅到着】
 最初にフランスに来たという実感が湧き、1番高揚したと言っても過言ではない瞬間がパリのモンパルナス駅に到着し地上に出たときである。
乗り継ぎ便で約22時間のフライトは想像していたよりもあまり体には堪えず無事シャルル・ド・ゴール空港に到着。そこからRERとメトロを乗り継いでモンパルナス駅に着いた。改札を出て地上に出るとほとんどが築年数100年程の住宅には見えない石造りの建物、それらの統一された高さや長方形の窓、カラフルなカフェや小さなお店の数々、青く澄んだ空が一気に目に飛び込んできた。空港にいる間や鉄道に乗っているときはまだなかった、”フランスに来たんだ”という実感が初めて湧き、日本では見られない街並みの美しさに感動した。モンパルナスは20世紀初頭にシャガールや藤田嗣治など芸術家が集ったゆかりのカフェや彼らが眠る墓地がある落ち着いた雰囲気の地域だ。それも相まってか、それまでずっとスリなど危険な目に遭わないかと気を張りっぱなしでいたのが少し解放され、”これから約2週間もこんな素敵な街で過ごせるのか”という興奮と期待で胸がいっぱいになった。


(モンパルナスの街並み、ホテル横の可愛い飲食店)

授業で習ったことや言葉、教科書の写真で見た景色が見聞きできるたびに予備知識と繋がることの嬉しさを感じたり”本当に存在するんだ”と少し驚いたりもした。それは都立大のフランス語の授業で習った「Oh là là!」(:大変!、やばい!)という言葉が空港で何度も聞こえたり、寒い日にカフェのテラス席で時間を過ごす人を見かけたときなどだ。ヨーロッパでは日照時間が短く太陽の光を楽しむためにカフェにはテラス席が多く、同じメニューを頼んでも店内よりテラス席の方が値段が高いことも多いとは習っていたが、気温も低く風も冷たい(フランス人にとってはあまり寒く感じなかったのかもしれないが)のにテラス席に人が多いことには驚いた。日本ではあまり見られない光景であり、「Oh là là!」も含めて事前知識がなければただのカフェのテラス、知らない言葉で終わっていたと思う。

【語学学校CIREFEに参加】
 1番最初に参加したプログラムはレンヌにある語学学校CIREFEでの授業見学・参加だ。レンヌはフランス北西のブルターニュ地方の中心都市であり語学学校CIREFEはレンヌ第2大学の中にある。大学には約2万人の学生がいるがとてものどかで穏やかな雰囲気の場所だ。

 1時間の授業を2つそれぞれ見学・参加させて頂いた。2つとも喋ることがメインの授業で、CIREFEではフランス語のレベルによって授業が分けられておりその中では初級のクラスだった。1つ目は生徒7人と先生1人が円になって教材などは何も持たず椅子に座り先生がフランス語の短文を3つほど音節を強調しながらゆっくり唱え、生徒がそれに倣って1人ずつ復唱していくというものであった。初めて聞く3文、且つプリントなどの文字は一切見れない。先生は母音の間違い、リエゾンの有無、正しい口の動かし方、力を抜くポイント、文末にかけての音の上下など1人1人に細かくジェスチャーを使い伝え、出来るまで次の生徒には進まず、出来たら褒め、大変明るく熱心に教えていた。母語のスペイン語の癖がどうしても出てしまう生徒や文が覚えられず先生と横並びで立ち1音節言うごとに1歩歩くという方法をとられている生徒もいた。

 普段フランス語の授業で少人数やマンツーマンで発音を何度も直されることはないため、改めて語学学校の徹底っぷりを感じた。また口頭のみの文を暗唱する、という目で見て頼らず耳を使って音から入るというスタイルの授業は初めてで日本の教育との違いを感じ、何度も聞いて言うのを繰り返すことで自然と体に覚えさせる意図があるように思われた。さらに音だけ聞くということはそこから自分の知っている単語を組み合わせて文章を想像しなければならないということで、知らない単語があれば尚のこと様々な単語を正しい発音で聞き慣れていないととても難しい。



 2つ目の授業も生徒は少人数、先生1人で簡易会話文やフランス語の発音が似たもの([y]と[u])などを1人ずつもしくは全員で発音し先生が直すというものであった。1つ目の授業で発音に苦戦する生徒をどこか心の中で応援するような気持ちで見学していたが、実際に参加し発音すると想像以上に難しかった。特に「Pas du tout.」(:全然、全くない。)のtoutは何度か直され、先生は日本語の「う」とは違うと仰っていて手を後ろに引くジェスチャーをしながら発音していた。身振りも含めて先生を真似ているつもりでもOKをもらうまで少し手こずったが出来るようになるまで教え続けてくださり大変良い経験になった。生徒も先生の口の形やジェスチャーを真似して一生懸命習得しようとしている姿勢がくみ取れた。CIREFEは熱意ある先生と生徒のもとフランス語を体得するのに大変最適な場所だと感じるとともに、もっとフランス語を話せるようになりたいと強く思った。

【レンヌ第2大学での発表・交流】
 レンヌ第2大学では学食メトロノームで昼食をとった後、高橋博美先生が担当なさっている日本語クラス2つで1回ずつ発表とお菓子を持ち寄った交流会を行った。現地の学生と話すという貴重な機会の上に、人と話すのが好きなためこの日を楽しみにしていた半面、発表順がトップバッターという緊張で覚えたことが飛んでしまわないか、自分の発音で伝わるのかどうか、温かく受け入れてもらえるのかなど不安も多かった。ただフランス語で長めの作文をするのは初めてでたくさんの単語や言い回しを辞書やインターネットを使って調べ、頑張って作りフランス人留学生の方に添削していただいたという思いもあったため不安な分日本出発前と現地のホテルで何度も練習をした。


(レンヌ第2大学の美味しい学食。学生はこれで3.3ユーロと手頃。)

 そして当日、まず1つ目の修士1年生のクラスで発表し、少しつっかえるところはあったものの上手く行き、想像していたよりもずっと温かい雰囲気で受け入れてもらえて一安心することが出来た。練習してきたことを発揮でき満足で、メンバーにすごく堂々としていたとも褒めてもらえて嬉しかった。そして楽しみにしていた交流会では私1人とフランスの学生2人で話すことになり、フランスの美味しい食べ物、大学で勉強していることなどを話した。フランス語の授業の暗唱で覚えた会話文が役に立ち、日本から持ってきたお菓子を配って「C’est comment?」と話しかけたり通学の話の時に「Tu habites près d’ici?」と聞いたりと簡単なフランス語で話しかけていたが、徐々に向こうの学生も習った日本語を使い受け答えしてくれ、自分のフランス語が通じたときもだが嬉しかった。私の日本語が向こうに通じにくいときはもう1人の学生が彼にフランス語で説明してくれたり、たまに英語でも会話をしたり、向こうのフランス語が分からず私が固まったりその逆が起きたときは互いに笑ってしまうということもあり、言語の壁を障害と思わず逆に楽しく感じてしまうような不思議な時間を過ごすことが出来た。

 2つ目の学部3年生のクラスでは2回目ということもあり、相槌を打ってくれる生徒もいたため落ち着いて行うことが出来た。発表後の質疑応答では留学中の松田美月さんと小泉幸太さんが翻訳してくださった。交流会では先ほどよりも人数は多く、買ってきてくれたお菓子やバゲットだけでなく自宅で作ってきてくれたクッキーやクレープとともに会話が弾んだ。意思疎通させることに一生懸命すぎて話の内容はあまり記憶にないが、お互いに習ったフランス語と日本語で出来る範囲の質問や受け答えをする中で言いたい言葉が通じると互いに喜んだり、1文に英語・フランス語・日本語を混ぜて話したりなどどうにか相手を理解したいという気持ちが全員にあるような活気あふれる場だったということははっきり覚えている。

【アレクサンドル・デュマ高校(サン=クルー)見学】
 フランスでは高校修了と大学入学の資格になるバカロレアを取得した後大学の他にグランゼコールという進学先も存在する。ただ進学できるのはごくわずかなエリート養成校で、グランゼコール入学のためにバカロレア取得後さらに2年間勉強するプレパと呼ばれるグランゼコール準備級という教育機関が存在し、サン=クルーはその1つである。そこで山崎直子さんが翻訳してくださりながら校内を見学し、哲学と文学の授業を見学させていただいた。生徒は皆エリートへの道を歩む人たちだから静かで大人しいのかと思っていたが、明るくにぎやかな雰囲気で意外だった。

 1つ目の授業はPhilippe Danino(フィリップ・ダニーノ)先生の哲学の授業で「道徳は学ばれることが出来るのか」という宿題の添削と国家と権力の問題についてが主な内容だった。前者では生徒全員が学校に来て同じ授業を受けるのも道徳であるということ、「La morale」(:道徳)に定冠詞を付けたが道徳は普遍的なためこれも考えるべき点になることなど、後者では権力のいくつかの定義、支配形態はいくつかあり絶対王政のような慣習に基づくものや現代社会のような法に基づくものなどがあることなどを説明していた。哲学と聞くと難しいイメージを抱くが内容は身近なものから多岐にわたり、抽象的な命題を授業で学び考えることで日常生活の道徳や権力に意識的に目が向き疑問を持ちやすく、フランスでストライキが多い1つの原因にもなっている気がした。またレジュメはなく先生はずっと喋り続けるため要点や大事な定義を理解しつつノートも書かなければならなく主体的な姿勢が身に付きやすいと感じた。

 そして生徒は先生が喋っている途中でも分からないことは積極的に質問していて、”理解できていないのは自分だけなんじゃないか””今手を挙げたら先生の邪魔になるんじゃないか”と思い質問出来ず授業中の疑問を分からず仕舞いにすることが多い日本との違いを感じた。しかし今回の参加メンバーとこのことを話したとき”聞く前によく考えてから質問しなさい”と理解できない原因を自分の中で探させるようなことや”いい質問だね”(もしくは言わない)と質問を評価するようなことを言う教師や塾講師、親なども多いという話が上がり、何かを教える側にも日本の質問態度の原因があると思った。2つ目の授業はEloïse Lièvre(エロイーズ・リエーブル)先生の文学の授業で文明化は文化と自然がばらばらになり人間の動物性を隠して見えないようにしたということなどを説明していた。途中から私たちがフランスに来て驚いたことを話し合うことになり、実際に見かけたメトロの無賃乗車のことを聞くとそれは普通であり”とりあえずルールを破ってみる”という文化があるという答えが返ってきた。日本ではありえない考えが文化にさえなっている国があるということを改めて実感し驚いた。

【フランス国立東洋言語文化大学(イナルコ)見学】
 イナルコでは日本文化活動をしている学生サークル「デジマ会」との交流、徳光直子先生の日本語授業の見学をさせていただいた。学生サークル「デジマ会」との交流では飲食店のメニューと制服の議論が興味深かった。飲食店でメニューを見ると「Nos menu」(:私たちの料理)と書いてあることが多く、なぜわざわざ「Nos」を付けるのか疑問に思い聞いたところ”私たちだけが提供する料理”だと強調しているそうで西山先生は日本の”自家製”と同じだと仰っていた。”フランスは主張が強い”などと何となくの多文化に対するイメージで珍しがるのではなく自文化にも立ち返る必要があると感じた。また制服はスーパー等で用意されていても気崩すことがあり、着たい服を着る自由は必要、制服は貧富の差を見えなくすると言っていた。街中やメトロの列車内で日本よりずっと多くのホームレスの人を見かけたが、制服と聞いて貧富の差を最初に思いつくのは普段からそう感じることが多いのも原因の1つだと思った。



 3年生の「日本語作文」の授業ではレヴィ=ストロースの『人種と歴史』をイナルコの学生が日本語で要約したものを私たちが添削した。2年半の日本語の勉強にしてはレベルが高く、会話も卒なくこなせていた。ただほとんど使わない言葉や、てにをはが不自然な文章があり元のテクストの意味や要約文の原型を損なわないようにしつつ適切な表現に持っていくのが難しかった。「決めつける」が当てはまるようなところを「判断する」と書いている箇所があり、なぜ「決めつける」の方が良いかを説明するときに「判断する」はプラスでもマイナスでもなくニュートラルな意味の言葉であることを伝えたが、普段意識せず使い分けている言葉を論理的に言語しなければならなく大変だった。そして自然な日本語(「が」と「は」の違い等)を伝えるときに「こっちの方が自然だよ」としか言えず明確な理由を説明できなかったことがもどかしかった。これは全員でも共有し、フランス人が定冠詞と不定冠詞の違いを説明できないのと同じで逆の立場でも同じことが起きると西山先生は仰っていた。それが母語である証拠である反面もっと論理的に教えられたらと思った。また単語のミスを指摘したときの間違えたことに対する申し訳なさからは日本人化している様子が見られ興味深かった。

 2年生の「日本語会話」の授業では30年後の世界をテーマにしたグループ発表を聞いた。先進国で人口減少が進むと予想したグループは移民受け入れ条件を緩和したり教育費を安くしたりするのではないかと連想して漢字の羅列が続く単語もたくさん使っていた。発表中はキーワードのみ書いたメモしか持たず、発表後の質問にも日本語で何と言うか生徒同士で助け合いながら一生懸命答えていて日本語を勉強して1年半とは思えないレベルの高さだった。発表後は用意してくださったお菓子を食べながら日本語と簡単なフランス語でフランスの服や日本食の話など楽しく交流をし、CIREFEの時と同様フランス語を勉強する意欲をかきたてられた。

【フランスのサービスの質と日本のおもてなし】
 冒頭でフランスと日本の違いを発見し日本を見つめ直す機会になったと書いたが、終始感じていたのが日本のサービスの質の高さとおもてなしの息苦しさだ。日本ではそれが当たり前だったため異国の地に来て初めて気づいたが日本のサービスは本当に高品質だ。帰国後空港の荷物受取所で流れてくるスーツケースをお客さんが取りやすいように持ち手の向きを整えている添乗員の方を見た瞬間に改めて思った。対してフランスのバスやメトロは急停車・急発進、ドアもすぐに閉まるので機敏に動かなければいけない、急停止や遅延をしても日本のような車内アナウンスは一切ない。カフェでは鼻歌を歌いながらメニューで机を雑に払う店員さんを見たし、美術館では閉館時間の30分ほど前に追い出されることもあった。日本でやったら店長や館長に怒られそうなことばかりで、適当の加減は想像以上だった。

 しかし、従業員からすると日本よりよっぽど働きやすいんだろうなと思った。日本では”客は神”という考えが根強く”いらっしゃいませ”や”またお越しください”、笑顔の接客を求められ気疲れしやすく労働者の立場も低くなりやすい。また気遣いがゆえに贈り物を熨斗で包み、紙で包み、紙袋に入れ、渡すとき用に別の紙袋も付け、雨の日は濡れないようにビニールで被せて渡すこともあり過包装につながるといった環境面での親切さの裏返しもある。さらに、客に対する認識が強い分客と認識しない人に対しては温かく対応することが少ないのかも知れないとも思った。フランスの改札で切符やナビゴが通らず困っていた時はすぐに近くにいた人が通り方を教えてくれて、乗りたいバスの時間が迫っているのにどうやっても改札から出れず困っていた時は近くの人が別の人に出方を聞いて助けてくれた。日本であれば誰にも声をかけてもらえず通り過ぎ去られてしまうような場面だ。人の温かさに感謝、感動するとともに見習うべき姿勢だと思った。

【おわりに】
 様々な学習プログラムはもちろん、カフェや電車、街中からも日仏の違いを感じ日本が恋しくなったりフランスを羨ましいと思ったり、人生で初めて英語・フランス語・日本語で意思疎通を図り言語の壁を楽しんだり、学習意欲をかきたてられたりと発見や収穫の多い非常に濃い約2週間だった。改めて今回の研修を計画・実行し、メトロの切符やスーパーでの物の買い方から見学した大学や教会、街の歴史などありとあらゆることを教えて頂いた西山先生に感謝致します。

 さらにレンヌ第2大学で発表や交流の場を設けて明るく迎えてくださった高橋博美先生、留学生活について詳しく教えてくださり寮の案内までしてくださった留学中の松田美月さんと小泉幸太さん、パリの街を一緒に散策しフランスでの生活について楽しく教えてくださった八木悠允さん、フランスの教育機関や就職、ホームレスに対する一般的な捉え方など詳細にお話ししてくださった山崎直子さん、大変興味深い授業や質問の場を提供してくださったエロイーズ・リエーブル先生、フィリップ・ダニーノ先生、フランスに関して持つ疑問や日仏の違いについて議論させていただいたイナルコのデジマ会のみなさん、言語に関して発見の場ともなった添削や授業見学の機会を設けて頂いた徳光直子先生、拙い発表原稿を添削してくださった留学生のエマさん、そして研修に経済的支援をしてくださった東京都立大学国際課の方々、全ての方に心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

堀井南歩


堀井南歩(人文社会学部1年)

【はじめに】
今回、飛行機での移動を含めた18日間に渡る濃密で充実した国際交流プログラムに参加させていただいた。大学に入学してから学び始めたフランス語をこんなに早く実践するとは夢にも思わなかった。せっかく与えていただいたこの貴重な機会を逃すまいと、プログラムへの参加を決めた。この18日間はとても濃密で、いま思えば一瞬のように感じられるなかで、たくさんの貴重な経験をすることができた。以下では、私が滞在中に経験したことと、それを踏まえた私の考えを述べる。

【レンヌ第2大学での発表や交流】
今回のレンヌでは、レンヌ第2大学の中にある語学学校CIREFEで行われる初級フランス語の授業の見学・参加と、レンヌ第2大学の日本語クラス(学部3年/修士1年)にて発表と学生との交流を行った。

語学学校CIREFEで私が見学したのはフランス語A-1のクラスであった。移民や留学生のためのクラスで、生徒たちが授業前はフランス語ではなく英語で楽しそうにコミュニケーションをとっている様子が印象的だった。同じくフランス語を学ぶ者として、この授業はとても興味深かった。特に日本とフランスでのフランス語の教育で大きな違いを感じたのは、学びの順番である。日本では、テキストに載っている文章を見て、文字からフランス語の法則や規則(末尾は発音しない、eはウと発音する、アンシェヌマンが起こる場所、等々)を学び、見えている文章にその論理的に理解した規則を適応させて読むことで学習をするが、語学学校CIREFEでのフランス語の授業は、全く逆であった。まず、先生が読み上げた文章を、生徒に聞き取らせて繰り返させ、その発音や音の上げ下げ、リズムを細かく指摘して直していく。そして、その授業で扱うセンテンスをすべて発音したあと、初めて文章を文字として見ることができる。発音は十分にたたき込まれた後に文章を見るため、フランス語の論理的な発音の法則を後天的に習得する。この学習の順序が日本の語学教育とは全く異なり、興味深いと思った。どちらの方がただしい教育法だとは言い切れないが、人間の赤子の言語獲得は明らかに音から始まるため、日本の読み書きはできるけど話せないという状況を打破するうえでは、見習うべき教育法だと考える。

レンヌ第2大学の日本語クラス(学部3年/修士1年)での発表は大変貴重な経験となった。一年間フランス語を学んでいたとはいえ、自分のフランス語がフランス人に伝わるという自信は全くなく、緊張と不安の中での発表となった。私の班は、「東京」について特に東京駅にフォーカスして発表した。一年間で学んだ文法で表現できることの少なさや言いたいことが言い表せないもどかしさを感じながらも精一杯作り上げた発表を、ちゃんと聞いてもらえるか、言いたいことが伝わるか不安だったが、発表後の交流会で内容について改めて質問してくれたり、面白かったと言ってくれたりして、とてもうれしかった。海外に行ったことがなく、自分の学習していることが実践で使えるのか疑心暗鬼だったが、今回の交流プログラムのおかげで言葉が伝わることの感動を味わうことができた。



レンヌの街並みはとてもかわいらしい印象を受けた。木組みの建物の木やレンガ調の石畳が歴史を感じさせ、街の通りには小さいブティックが立ち並ぶ。ブルターニュ地方ならではのガッレトを楽しんだり、レンヌの街並みを視察したりと、幸いにも天候に恵まれたレンヌの滞在であった。

【高校見学】
アレクサンドル・デュマ高校(サン=クルー)にて、グランゼコール準備学級1年の哲学と文学の授業を見学した。高校に着いたあと、準備学級の方が校内を案内してくださった。フランス語だけではなく、主に英語を用いてお話ししてくださった。レンヌ第2大学のように、日本の文化に興味があったり、日本語を学習していたりするわけではない方との交流であったが、優しく接してくれてうれしかった。

最初の授業はフィリップ・ダニーノ先生による哲学の授業であった。大変興味深く、関心のある分野の授業だった。授業中、生徒が先生の話を遮ってでも質問をしていて、日本の授業中の態度とは全く違うと感じた。私は、哲学の授業中はその思想を理解しようとすることに精一杯になってしまうけれど、生徒たちは理解した上でさらに疑問を抱き、先生に聞くことでその疑問を解決するという学習意欲に、自分との大きな違いを感じた。

私は、一年生後期の授業でフランス語圏の文化を履修していた。そこで学んだフランスの哲学教育にとても興味をもっていたため、今回のプログラムの中でこの哲学の授業を見学できたことは今後の私の大学での学習の上で大きな糧になるだろう。

【イナルコ見学】
フランス国立東洋言語文化大学(イナルコ)では、学生サークル「デジマ」の学生とのディスカッションと徳光直子先生による日本語作文、日本語会話の授業を見学した。

デジマの学生とのディスカッションは、とても有意義な議論をすることができた。特に印象に残ったのは、哲学教育についてと、フランスのストライキについてである。哲学教育に関して、強い関心があったため、実際にその教育を受けていた学生の話を聞けたのは、とても貴重な経験だったように思う。この日一緒にディスカッションをした学生は、哲学教育は大切だと述べていた。哲学を学ぶことで自分の考えを表現したり、理解したり、何かについて話すことの技術が身につくという。しかし、先生の良し悪しがあるらしく、先生によって哲学に興味を持てるかが変わってしまうこともあるという。そして、先生の違いがバカロレアの採点にも大きく影響すると述べていた。試験の採点は自分とは違う学校の先生たちが行うため、今まで受けてきた授業で評価されていた哲学的考え方が、受け入れられないことがあるという。もちろん試験であり、仕方のないことではあるが、テストだけではなく、それまでの授業態度も評価に加えることができればいい、という意見を持っていた。こうした意見を述べることができるのも、フランスの哲学教育の賜物であるだろう。同じようにストライキなどで自分の意見を持ち表現するフランスの哲学教育の重要性を垣間見た。

徳光直子先生による日本語作文は、レヴィストロースの自文化中心主義についてのフランス語の文章を読んで、日本語の要旨を作るという内容であった。私たちは日本語で書かれた要旨を添削し、日本語的に間違いがないか、本文との大きな相違がないかどうかを確認した。フランス人学生が書いてきた日本語は、助詞の使い方や活用の仕方に少し違和感を覚えたが、それでもとても上手な日本語であった。三年生の授業であったが、日本語を学んで2年半でここまでの日本語力が身につくとは、心底感心した。添削をしていく中で特に印象的だったのは、スキャンダルという単語の訳し方である。学生に、スキャンダルはどう訳せばいいのか、と問われたがすぐに答えることができなかった。日常的に横文字を使う現代の日本人だが、その横文字を日本語で説明できるか否かは、その言葉の本質をつかんでいるか否かであると反省させられた時間であった。

二年生の日本語会話の授業では、「30年後の世界」というテーマでプレゼンテーションを行い、質疑応答をするという授業であった。二年生という日本語を学び始めて1年半の学生の日本語は、たどたどしくも意味は伝わる素晴らしいものであった。質疑応答もすべて日本語だけで行い、とにかく話してみる、という言語学習の様式に日本との違いを感じた。

【パリの様子】
パリでの滞在中、授業見学や学生との交流の合間にパリ市内の視察や美術館へ足を運ぶなどをして過ごした。ここでは今回の滞在期間中に行われていた全国ストの様子や、美術の街パリの印象を述べる。

私たちの滞在期間中に、年金の受け取り年齢引き上げに反対する全国的なストライキが行われた。当日の街には警察や警察の車が何台も道路を通り、街のブティックもシャッターが閉まっていたり、出入り口の数を絞ったりして、街中の空気が張り詰めているように感じた。鉄道は思うように使うことができず、動いているメトロを調べることに苦戦したり、いこうと思っていたところが閉まっていたりと、街の機能が停止すると言うことの不便さを思い知った。



日本で暮らしていると当たり前に感じてしまうけれど、電車が止まることなく正確に運行することや生活に欠かせないものがいつでも手に入れられることのすごさを思い知った。しかし、それと同時に必要不可欠な危険を停止させることは、フランス国民である政府の人間にとっても不便なものであるため、国民の要求を受け入れさせるには効率的で効果的な手段だ。自分にも被害はでるが、それでも自分の意見を主張し、行動に移してまで自由を勝ち取ろうとするフランスの国民性に触れることができるイベントに立ち会うことができ、貴重な経験となった。

私が今回の滞在期間中に訪れた美術館は、オルセー美術館とルーブル美術館である。どちらも3大美術館に数えられる有名な美術館である。オルセー美術館では、ゴッホによる数々の作品が印象に残った。美術への造形があまり深くない私でも知っているような作品が、間近で見ることができ、教科書のみでは読み取れないような筆遣いや色の重なり具合の美しさなどを堪能することができた。



ルーブル美術館では、モナリザをはじめとする著名な作品やサモトラケのニケといった彫像をルーブル美術館という美しく歴史ある建物とともに楽しんだ。有名なガラスのピラミッドから入り、そこから各エリアへ分かれていく。特に印象的だったのは、ナポレオン三世の居室とモナリザである。ナポレオン三世の居室は、中世の絢爛豪華な様式を生で見ることができ、シャンデリアの輝きや天井、壁に描かれた西洋画の彩りに圧倒された。モナリザは、大きな壁にただ一枚モナリザだけが飾られていた。その様子がかえって神秘さを生み出し、人々がその絵に惹かれ続ける理由がなんとなく分かるような不思議な感覚になった。


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パリの滞在期間中も学校の授業だけではなく日常から学びを得たり、美術館などに赴いて学びに行ったりすることでき、有意義な日々を送ることができた。

【おわりに】
今回の国際交流プログラムはたくさんの方々のご支援ご協力あっての充実したプログラムとなった。東京都立大学国際課をはじめとする大学関係者の皆様、レンヌでの滞在中に様々なお話をしてくださり、レンヌの学生との交流の機会を設けてくださったレンヌ第2大学の高橋博美先生とレンヌ第2大学に留学中の松田美月さん・小泉幸太さん、パリ市内視察の際ご一緒していただき、パリの歴史や小話などたくさん聞かせてくださった八木悠允さん、フランスの教育についてや、フランスのグルメについてお話を聞かせてくださり、ご協力していただいた山﨑晶子さん、アレクサンドル・デュマ高校にて素晴らしい授業を見学させていただいたフィリップ・ダニーノ先生とエロイーズ・リエーブル先生、日本語でディスカッションをしたり、交流をしてくださったりしたイナルコのデジマ会の皆さん、エルシー、ジュリエット、日本語作文・会話の授業に参加させていただき、学生と交流する場を設けていただいた徳光直子先生、そして今回のフランスに同行してくださり、貴重で濃厚な経験をさせていただいた西山雄二先生にこの場を借りて御礼申し上げたい。本当にありがとうございました。

由里容子


由里容子(人文社会学部1年)

 研修に参加するにあたり、フランス語力の向上と、フランス社会をこの目で見て肌で感じることを目標に掲げていた。
ここではまず、レンヌ第2大学とフランス国立東洋言語文化大学(イナルコ)での交流および日本語授業見学について記した後、フランス社会を見た上での気付きと今後の課題、そして目標について述べていく。

レンヌ第2大学
 ホームページによると、古くは1460年にブルターニュ公のフランシス2世によって創設されたという長い歴史を持つ。ナントからの移設や、ナポレオンによる高等教育機関の再編などを経て、現在は約2万人の学生が5つの学部(教養・文学・コミュニケーション、現代言語、人間科学、社会科学、スポーツ科学)で学んでいる。国際交流も盛んで、265の大学と協定を結び、約3千人の留学生が学んでいる。



 創設当時から人文主義に根ざしており、基本的人権を重視し、差別と闘ったり、男女共同の社会を実現することを目指している。そのためか、学生運動も盛んで、構内にはマクロン大統領の年金改革(年金支給開始を62歳から64歳に引き下げる政策)に反対するポスターが所狭しと貼られていた。また、そのプロモーションのために昼休みに紫のTシャツを着て、音楽を流しながらダンスをするグループもあった。また、2月には構内が机や椅子でバリケード封鎖されたり、私たちが訪れた翌日にもストのために一部の授業がなくなるという事態も発生した。日本では1960年代にあった遠い出来事のように感じていた学生運動を間近で体験し、想像よりも怖くはないけれど、やはり校内にペンキで文字が書かれている様子にはざわざわした心持ちになるなど、落ち着いて勉強する環境と言えるかというと疑問が残った。

【日本語授業見学】
レンヌ第2大学の日本語クラス(学部3年/修士1年)では、フランス人学生たちとお菓子を食べながら交流をした。彼らは日本に非常に興味を持ってくれていて、漢字の練習帳を見せてくれたり、必死で日本語でコミュニケーションを取ろうとしてくれたり、名前を由来を聞いてくれたり、その熱心さに驚くと同時にこれだけ興味を持ってくれていることが嬉しかった。

交流は6~10人程度が一つのテーブルを囲む形で行われたが、ブルターニュ地方出身とノルマンディー地方出身の学生同士がお国自慢のような会話をし、お互いがモン・サン・ミッシェルは自分の地方の領土だと言い合っているのが面白かった。ブルターニュ地方には「ブルトン語」という地方言語があり、一人の学生は自分の名前がブルトン語で「王子」を意味していると話してくれた。彼らが出自に誇りを持っていることが伝わってきた。



また、よく話した学生とはインスタグラムを交換するなど、その後も続く繋がりができた。一人の女子学生は、交流の翌日、私がお土産に持っていったお菓子の包み紙を机に飾った写真を送ってくれた。そこには彼女の好きなスパイファミリーの主人公が描かれている。これからも、それを見ながら日本語の勉強に励んでくれると思うと心から嬉しかった。
 
【フランス語授業参加】
 日本語の授業に参加するだけでなく、私たちがフランス語の授業を受ける機会にも恵まれた。レンヌ第2大学付属の語学学校CIREFE(シレフ)は、フランス語がまだ十分でない学生向けに、レベル別にカリキュラムが組まれ、段階に応じたフランス語の授業を行っている。私は二番目に易しいA2クラスのオーラルと文章表現の授業を受けた。オーラルでは、フランス語のショートムービーを見て、設問に答えるという課題が与えられた。同じ動画を5回以上繰り返し視聴したのだが、最初の2~3回は音声なしで、その次は音声を入れた上で先生がコメントした点に着目して見るなど、日本で受けた授業では経験したことのない方法に最初は戸惑った。しかし、前回分からなかったことが次は理解できたり、人物ではなく背景の細かい点に気付けたりと、徐々に理解が深まるため、今後自主学習をする際の方法としても参考になった。



 驚いたのは、学生たちは先生からの問いかけにすぐに応答し、誰かが答えていても、他の学生もこぞって発言することだ。間違っていても恐縮することはないし、先生も発言を受け止めてさらなる対話に繋げてくれる。聞いているうちにこちらも徐々に体温が高くなり、最初は黙って見ていたそのやり取りの中に、気づけば飛び込んでいた。

 学生たちの出身国は様々で、ベトナム、インドネシア、スペイン、ウクライナ、ナイジェリア、コロンビアなど世界各国に及んでいた。彼らは国籍を超えてとても仲が良く、遅れてきた学生にわざわざプリントを取って回してあげる学生もいた。それは授業の中でも表れていた。関係代名詞を学ぶため、「黒い服を来ている人」のように一人の学生が発言し、それが誰か分かった学生はその人の名前を言うという課題があった。それに対し、みんなが和気あいあいと、お互いの顔を見ながら発言し、当てられた学生も何かコメントを言ってはまた笑いが溢れるというふうに、非常に和やかな雰囲気で進んでいった。普段から、彼らがお互いにコミュニケーションを取っていることが伺え、こちらまでその一員になれたような楽しい気持ちになった。留学生もいるだろうが、他にも様々な事情で出身国から遠いフランスで生きる道を選んでいるかもしれない。夢を抱いてフランスに来た人、国には居られない事情のある人など多様な背景があるだろうが、このクラスは彼らにとって、日々の出来事を気兼ねなく話せる大切な居場所になっていると感じた。

フランス国立東洋言語文化大学(イナルコ)
ホームページによると、イナルコは1795年に設立された国立の高等教育機関で、100以上の言語と文化を学べる。大学は日本よりは1年短い3年間で、2,3年生は次の4つのコースに分かれる。1)東アジア・東南アジア・ロシア・中東などの地域別コース、2)政治・環境・歴史・移民などのテーマ別のコース、3)2つの言語を履修するコース、4)国際貿易や国際関係・異文化コミュニケーションを学ぶ職業コースである。



その後2年間の修士課程が存在するが、イナルコに通う学生の話では、7割以上が修士課程への進学を選択するという。日本よりもかなり割合が高いことに驚くが、大学が3年間なので、まだ学び足りないといった気持ちや、社会に出る前にもっと学生としての経験を積みたいという思いもあるのかもしれない。彼によると、一度決めた専攻に自分が合わないと感じたら、変更することができる。ただし、最初の専攻のまま卒業する学生に比べて、追加で1年間(合計4年間)通わないといけない。彼の場合は最初は英文学を専攻していたが、途中で専攻を変え、今は歴史学を学んでいるという。

イナルコでは、学生サークル「デジマ会」の学生と、フランスや日本にお互いが抱いているイメージについて意見を交換した。フランスは一見個人主義が強いように思われるが、友達と遊びに行くときにお互いを気遣って「行き先はどこでもいいよ」と言ったり、友達と同じような服を着るなど、日本人のような同調意識もあるという。また、フランスの街はきれいなイメージを持たれているが、実際はゴミの分別も日本ほど細かくなかったり、回収もストライキで停止して街中にゴミが溜まるなど、日本人が抱いているようなイメージとは異なっている。
そして、高校で教わる歴史は、フランス革命以降に重点が置かれているため、一部の保守的な人を除けば、ギリシャから連なる古代の歴史よりも、近現代史を自分たちの歴史として認識している。
このように、実際にフランスで生まれ育った人にしか分からない社会の様相について、詳しく話が聞けて非常に勉強になった。



また、徳光直子先生の3年生の「日本語作文」の授業では、自民族中心主義について書かれたレヴィ・ストロースの『人種と歴史』の一部を日本語で要約する課題が予め学生に与えられていた。私たちはその要約を読んで、日本語の意味や使い方におかしな点があれば、答えを教えるのではなく、学生と対話しながらよりよい要約を仕上げる役割を担った。学生の中には、非常に勉強熱心で、要約に当たって広辞苑を使用して、より趣旨に近い言葉を選んで書いている人もいた。彼と対話をしていると、テクストの直訳ではなく、テクスト全体の趣旨を自分も理解する必要があり、フランス語だけでなく、文化人類学や社会学をもっと学ばないといけないなと思わされた。他者の添削をするには、事前に自分もテクストを精読して要約をするなど、もっと準備をする必要があったと痛感した。

休憩を挟んで、同じ徳光直子先生の2年生の「日本語会話」を見学した。5つぐらいのグループが、30年後のフランスや世界の状況を予想して、日本語で発表した。「交通」をテーマにしたグループは、車、ジェット機、船などの個人の移動は環境に優しくないため禁止されると考えた。代わりに、電気自動車や自転車、キックボードなどの自然エネルギーで走る乗り物が増えるという。また、地下鉄やバスなど公共交通機関もエコエネルギーで動き、そのネットワークも広がると予想する。別のグループは、「テクノロジー」に注目する。ジョージ・オーウェルの「1984」のように、国家が人間を監視するシステムが出来上がる。そこでは、思想をスキャンする眼鏡が開発され、人間をその思想により格付けするという。

どのグループも、自由な発想で未来の社会を想像しているが、その根底には現在すでにある環境問題や監視カメラの問題など、現代のフランスが直面している課題がある。私たちが同じ課題を与えられたら、30年後の日本をどのように予想するだろう。フランス人はデモやストなど、市民一人一人が社会に関心を持ち、批判的な眼差しを備えている。政府が決めたことを事後的に知って批判なく受け入れてきたこれまでの自分を反省するとともに、今後は社会に対する鋭い視線を身に着けたいと感じた。
 発表の後は別室に移動して、授業前に徳光直子先生のご指示で学生たちが買ってきてくれたお菓子を囲んで歓談した。レンヌ第2大学と同様、ここでも私たちの言葉に熱心に耳を傾け、拙い点を残しつつも必死で日本語で伝えようとしてくれた姿勢が嬉しかった。

街で感じたこと
 授業の他にも、フランス社会を肌で感じる機会に恵まれた。特に、移民社会と社会政策について気づきを得られることがたくさんあった。

【移民社会】
 フランスは移民社会と言われ、特に北アフリカからの移民が多いと言われている。私が出会ったホテルマンは、北アフリカのアルジェリアから来ていた。日本人が持つステレオタイプとして、アフリカをひとまとめに見てしまいがちだが、サハラ以南の黒人とは違うという自覚を持つ。また、アルジェリアの中でも彼は19%を占めるベルベル人という民族の出身で、80%を占めるアラブ人とは異なるアイデンティティを持つ。ベルベル人もアラブ人もイスラム教を信仰しているが、彼の意識の中でアラブ人は「他者」であり、自分がこれまで宗教と民族を混同しがちであったことを反省した。彼はフェイスブックからベルベル人の三色の旗を見せてくれた。上から青、緑、黄色に分かれ、その上にベルベル人の一部(トゥアレグ人)の使用するティフィナグ文字が書かれていた。その文字は人間が両手を上に掲げた形をしており、自由人を表すという。彼はアルジェリアに誇りを持っており、アルジェリアには山、海、ビル、砂漠、と世界にあるものがすべてあると言う。
彼の同僚やホテルの経営者もみなアルジェリア人で、ホテルの仕事はアルバイトで昼間は大学に通っているらしい。このように、同じ国の出身者で一つの店を切り盛りしている例は他にも見られた。ケパブのサンドイッチを出すファーストフード店はチュニジアの店長と店員たち、深夜12時まで開いているコンビニはスリランカの店員2人によって商われていた。また、中国の温州出身の夫婦が上海料理を出す中華料理店もあった。彼らの中にはフランス語の流暢な人、まだ途中の人、英語も話せる人など様々だった。その中で、遠いフランスの地で同胞と支え合って生きているたくましさを感じた。

【社会政策】
 パリの地下鉄を歩いていると、通路に紙コップを持って座っている物乞いの人や、地下鉄の中で、床を這ってお金を求める下半身不具の男性などを目にした。気温0度近い夜に、マットレスを敷いて路上で眠る人も見かけた。パリは華やかなイメージがあるが、その影で、こうやって日々の生活をつないでいる人も存在する。

 フランスは福祉政策を国が主導で行い、生活保護の捕捉率も日本よりずっと高い。オランド大統領の時には路上生活者対策のため低所得者向けの住宅建設を行ったと聞くが、地下鉄で見かけたような人々にそういった福祉は行き渡らないのだろうか。それとも、彼らの方が福祉を受けることを拒否しているのか。今後、フランスの社会政策を深く学び、考察を進める必要性を感じた。

まとめ
 当初立てた目標のうち、フランス語力の向上については、日常生活の意思疎通は問題なく行えるレベルまで達した。今後もフランス語のメディアに接し、維持向上に努めたい。フランス社会を肌で感じることについては、移民の人に話を聞いたり、路上生活者の人を見て問題意識を持つことができたので、今後は日仏英の文献や新聞を用いて更に深い情報に接し、日本の社会課題と照らし合わせて日本が参考にできる政策はないか検討したい。

 最後に今回の研修にご賛同頂き、ご支援頂いた東京都立大学国際課の皆様、お忙しいなか授業時間を私たちの発表や交流に充てて下さり、お食事もご一緒して下さったレンヌ第二大学の高橋博美先生、寮をご案内下さった上、レンヌ市内のスーパーを案内してくださったりホテルのチェックインまでお手伝い下さった留学中の松田美月さんと小泉幸太さん、ホームパーティーで手料理を振る舞ってくださり、現地の日本語教育や学校事情を教えて下さった八木悠允さん、大学教育について教えて下さり、今後の研究の道筋を照らして下さった山﨑晶子先生、私たちのために時間と場所を設け、フランスの事情について日本語で教えて下さったイナルコのデジマ会のみなさん、日本語を学ぶ学生さんとともに社会学のテクストを読み解く機会を下さり、お菓子パーティーでおもてなしもして下さった徳光直子先生、セーヌ川での学食やカフェテリアを案内してくれたエルシーとジュリエット、そして何よりもこの研修をゼロから手配し、各大学や関係者の方との連絡調整や、安全面のご配慮、そして教会や書店、国会図書館の案内をはじめ、さらなる学びを深めるための示唆を与えてくださった西山雄二先生に心から感謝申し上げます。