▶ 論文の書き方
レポート・小論文(作品論等)を書くために

レポート・小論文(作品論等)と、感想文とは違いますので、以下のことが重要です。
1.論理的であること。言いたいことが(結論)明確であること。
2.議論の進め方がはっきりしていること (アウトラインがしっかりしているということです)。
3.関連資料・文献を充分に調べていること。
感想文にしないようにするには、例を引いて証明することと、他人の意見を聞く(つまり、関連文献にあたる)ことが必要です。考えること、調べること、書くことを繰り返すのが良いでしょう。そうすれば4が達成できます。
4.根拠が明らかであり、説得力があること。
5.他人の意見・研究成果と自分の意見・研究成果を区別していること。

出典をはっきりさせましょう!
レポート・小論文(作品論等)の中で引用を行なった場合は、必ずその出典を明示しなければなりません。出典を明らかにせず、また引用文であるにもかかわらず引用符で括らず、あたかも自分自身の文章のようにして利用した場合、それは剽窃(盗用)と見なされます。剽窃であることが明らかであれば、レポートの評価はもちろん「不可」です。「悪質」な場合は、退学処分になることもあります。
出典をはっきりさせるため、また効果的に引用するためには、いくつかのことに気をつけなければなりません ― 下記の「引用の仕方」の項を参照してください。
6.日本語としてきちんとしていること (何度も読み返すことを薦めます)。
7.書式
 A4用紙に横書き(日本語は本来縦書きですが、英文学関係のレポート・小論文(作品論等)では英語を引用する必要があるため、横書きとします)。用紙は市販のコピー用紙、パソコン用紙でもかまいません。レポート・小論文(作品論等)には頁数を、用紙の右下に記入します。そして、表紙をつけて、左上をホッチキスなどで留めてください。
 レポートの場合は、章分けする必要がないことが多いのですが、内容的には序論、本論、結論の違いが分かるようにして書いた方が良いでしょう。卒業論文と同様に、必ず末尾に引用文献(一覧)を付けてください - 下記の「引用文献(一覧)の書き方」の項を参照してください。
   作品、研究書、論文をレポートの本文で言及する場合は、次のように表記します:
(イ)日本語作品、翻訳の場合
 本の形で出版されている作品は、『坊ちゃん』、『ハムレット』、『エミリ・ディキンスン詩集』などのように二重括弧(『 』)で括る。
 短編小説、詩、随筆、学術論文などそれ自体では一冊の本になっていない作品の場合は、たとえば「インディアン・キャンプ」(Hemingwayの短編)、「クブラ・カーン」(Coleridgeの詩)、「漱石とホフマンの猫についての試論」などのように一重括弧(「 」)で括る。
(ロ)英語の作品の場合
 本の形で出版されている作品は、たとえば、HamletやLight in August のように、イタリック体で表記する。手書きの場合はHamletやLight in Augustのように下線(underline)を使う。 短編や一篇の詩の場合は、 “Indian Camp”や“Kubla Khan” のように二重引用符(“”)で括る。
{引用文中にもともと引用がある時、つまり(「」)とか(“”)があるときには,その部分を(『?』)や(‘’)にします。ただし、これはアメリカ式のやり方で、イギリス式の書き方をした文献では、これと異なる方法が取られています}
8.テーマの選びかた - 困った時には提出先の先生に、具体的に例をあげて説明してもらえるようにお願いしましょう。

引用の仕方
なぜ「引用する」のか?
 自分の論を、作品、研究書、論文、またその他の信頼できる文献からの引用によって補強することができます。そのような文献(証拠)が多ければ、レポートの説得力は増すと言えましょう。しかし、レポートでの引用は必要最小限であることも覚えていてください。説得力を高めるような引用になるように心がけてください。
引用は正確に
 レポートの中での作品、研究書、雑誌論文などの引用は、正確でなければなりません。スペリングの間違い、句読点の間違い、大文字/小文字の区別の間違いなどがないように気をつけましょう。特に作品の場合、引用と原文とは、完全に一致しなければなりません。どんなに内容が優れていても、作品の字句の扱いをおろそかにしているレポートは信用されません。
 小説・散文などで、3~4行以上になるような引用は、本文とは独立させ、前後の本文とは1行のスペースを空け、行頭を1~2字分、右にインデントします(右方向にへこませる)。それ以下の1~2行の引用は、二重引用符(“ ”)で括って、本文中に組み込みます。
レポートを書く際に引用した文献は、末尾の引用文献一覧(Bibliography あるいは Works Cited)に記載します。

引用文献(一覧)の書き方
 引用文献(一覧)では、著者あるいは編者あるいは訳者、表題(副題を含む)、出版地、出版社、刊行年を明らかにしなければなりません。この情報は、英米で出版された本の場合、たいてい、表題頁(title page)とその裏面に書いてあります。表題頁は、本を開いて2,3頁目にあります。その裏面には、通常、著作権(copyright)情報とISBN(International Standard Book Number)関連の情報が記されています。日本で出版された本の場合には、巻末の奥付に記載してあります。
 引用文献(一覧)は対象とする作家の作品(Primary Sources)の一覧と、批評書・関連文献など(Secondary Sources)の一覧は分けたほうがよいでしょう。
 文献は著者の姓のアルファベット順に並べます。
文献の記述の仕方は以下の通りです:
(例)単著の場合
Williams, William Carlos. Ed. Christopher MacGowan. The Collected Poems of William Carlos Williams Volume II. New York: New Directions, 1988.
Smith, Martha Nell. Rowing in Eden: Rereading Emily Dickinson. Austin: U of Texas P, 1992.
(例)雑誌に載った論文の場合:
Esslin, Martin. “Samuel Beckett and the Art of Broadcasting.” Encounter 45/3 (1975:68-75).

日本語の本の場合は、著者名、書名、出版社、出版年の順に記します:
(例)単著の場合: 
吉増剛造『透谷ノート』東京、小沢書店、1987年。
(例) 紀要、論文集等に収録された論文の場合(収録されている頁数も明示): 
柴田平三郎 「神と人間の調和 -トマス・アクィナス」 『概説 西洋政治思想史』 中谷猛・足立幸男編 京都、ミネルヴァ書房、1994年、57-68頁

後注について
本文中に書けない情報は、「後注」に載せます(雑誌、紀要などによっては脚注の場合もあります)。
本文中の注番号はアラビア数字で、句点の直後の右肩に付けます。
(例) 日本語 - …そこに漱石の『猫』に対する微妙な意識が働いているようにも思われるからである。(5)
    英語 - ...to work could only have been written by a man who looked upon plagiarism as a good joke. (19) 

基本参考書

学部科目担当教員に新2年生のための基本参考書を推薦してもらいました。古くて絶版のものもありますが、学問的にしっかりしたものばかりですので、図書館で捜してみて下さい。主として授業科目名を項目の柱に立てて整理しました。この夏休みに挑戦しましょう。

1.英語の基礎

◆長井氏■編/伊藤健三改訂『英語ニューハンドブック第4版』(研究社)
1952年に「英語の小百科事典」と銘打って出版され、その後改訂され今日に至っている。1987年以来改訂されていないのが残念だが、700ページに及ぶこの大著を通読したら自信がつくことは間違いない。ちなみに章立ては「発音と綴り字」、「語彙研究」、「文法」、「読解と和訳」、「英語表現」、「英語の背景」。

2.英語圏文学史

◆福原麟太郎『英文学の歴史』(「福原麟太郎著作集」第12巻, 研究社)
小説の記述が少ないのが欠点だが、通読できる数少ない英文学史のひとつ。

◆平井正穂『イギリス文学史―人間像の展開』(筑摩叢書263)
「人間性の理念」にこだわる、これもまた通読に耐える英文学史。

◆川口喬一『イギリス小説入門』(研究社)
17世紀から現代までの代表的な小説25篇を取り上げ、小説が今日のような形式を備えるまでの流れをたどる。作品からの抜粋には解説と注がある。

◆別府恵子, 渡辺和子編著『新版アメリカ文学史 : コロニアルからポストコロニアルまで』 (京都: ミネルヴァ書房, 2000)
各時代ごとに、その時代の思潮のまとめがついていて、わかりやすい。

◆板橋好枝編著 / 高田賢一編著『はじめて学ぶアメリカ文学史』 (京都: ミネルヴァ書房、 1991)
作品の解説がついているので、作品にしたしみやすくなる。

◆松村賢一編『アイルランド文学小事典』(研究社)
アイルランド文化や歴史的背景を学びつつ、アイルランド文学史の展開を把握できる。巻末のキーワード事典も有益。

3.英語圏文化論

◆松村昌家他編『英国文化の世紀』全5巻(研究社)
19世紀のイギリスは勢いのあった時代だが、同時に近代文明の矛盾が一挙に露呈した時代でもある。英国文化=試行錯誤の文化の中でのイギリス人の奮闘努力からは学べることが多い。ちなみに各巻のタイトルは『新帝国の開花』,『帝国社会の諸相』,『女王陛下の時代』,『民衆の文化史』,『世界の中の英国』。

◆猿谷要『検証アメリカ500年の物語  - この一冊でアメリカの歴史がわかる! 』 東京: 三笠書房, 1998
この一冊でアメリカの歴史がわかってしまうというわけにはいかないだろうが、アメリカの歴史の流れを頭にいれるのに便利。値段も安く、「マイノリティ」のことにも触れている。

◆亀井俊介編『アメリカ文化史入門 : 植民地時代から現代まで』 (京都: 昭和堂, 2006)
論文集。中級者用。

◆鶴岡真弓『ケルト美術』(ちくま学芸文庫)
大陸のケルト、島のケルトの豊富な美術作品例を参照しながら、ケルト文化の特色について学ぶことができる。

・・・アメリカ南部の総合的地域研究書として、

◆井出義光他編『アメリカの南部』研究社、1973
アメリカ史全体に関わる重要事件について、北部からと南部からの二つの異なった見解を対比するものとして、ジェームズ・M・バーダマン『二つのアメリカ史 南部人から見た真実のアメリカ』(東京書籍、2003)

4.英語圏文学論

◆E.M.フォースター/中野康司訳『小説の諸相』(「E.M.フォースター著作集」第8巻,みすず書房)
作家の文学論はえてして自作弁護に傾きがちだが、この評論は作家ならではの着眼点に学ぶところが多い。

◆デイヴィッド・ロッジ/柴田・斎藤訳『小説の技巧』(白水社)
小説家であり学者批評家でもある著者が、一般読者を対象に、さまざまな小説家の技巧(「視点」、「意識の流れ」、「内的独白」、「異化」等)を作品の抜粋に即して解説したもの。小説の「内容」と「形式」は切り離せないものであることがわかる。これからはarmed visionをもって小説読解に臨めるだろう。

◆レイモンド・ウィリアムズ 『田舎と都会』(晶文社) 
如何にして近代が成立したか。資本主義の視点から文学を眺めたもの

◆イアン・ワット 『小説の勃興』(南雲堂) 
小説の起源についての基本的な議論。主に18世紀の小説を対象としたもの。

◆ダニエル・プール 『19世紀のロンドンはどんな匂いがしたのだろう』青土社 
当時の常識についての解説。オースティンからハーディまで役に立つ。

◆川本皓嗣『アメリカの詩を読む』 (東京 : 岩波書店, 1998)
アメリカ現代詩の読み方の入門書。初心者用。

◆亀井俊介, 川本皓嗣編『アメリカ名詩選』 (東京 : 岩波書店, 1993.3)
原詩+訳+解説がついているアンソロジー。個人的には訳や解説に少々異論があるが、いまのところは最良の入門書。

◆平井正穂編『イギリス名詩選』(岩波文庫)
イギリス詩の代表作を、原文と訳詩を対照して読むことができる、入門的アンソロジー。脚注も役に立つ。

・・・アメリカの文学作品を読むための図書。

◆藤井健三『アメリカ英語とアイリシズム』中央大学出版、2004

◆―――『アメリカ文学言語辞典』中央大学出版、1996

◆―――『文学作品にみる アメリカ南部方言の語法』三修め社、1984

◆―――『アメリカの口語表現 庶民英語の研究』研究社、1991

5. 英語学概論

◆S. グリーンバウム・R. クワーク 著, 池上嘉彦・米山三明・西村義樹・松本 曜・友澤宏隆 訳『現代英語文法<大学編> 新版』(紀伊國屋書店、1995)
英文法および英語を理解するのに役立つスタンダードな文献です。この本の基本的な考え方や全体的な枠組みを理解することにより、Randolph Quirk, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, Jan Svartvik によって書かれた A Comprehensive Grammar of the English Language (London: Longman, 1985) という1779ページの大著を利用する道が開けます。

6. 英語史

◆アルバート C. ボー・トマス・ケイブル 著, 永嶋大典・吉岡治郎・須藤 淳・齊藤俊雄・三浦常司・今井光規・小川 浩・松原良治 訳『英語史』(研究社出版、1981)
最も広く用いられていると思われる英語史の教科書です。「外面史」に詳しいのが特徴です。

◆小野 茂 著『フィロロジーへの道』(研究社出版、1981)
英語史研究の第一人者が、英語とどのようにして出会い、どのように研究を進めていったか、その具体的な体験を読むことにより、文学とも、新しい理論的な言語学とも異なる、フィロロジー研究のあり方が、具体的に理解できます。

7.英語表現論

卒業論文の書き方

Ⅰ 卒業論文とは何か

卒業論文はレポートとは違います。レポートは、授業で聞いた内容とか授業で扱われたテクストについて、自分がどれだけ正確に理解したかを報告するものです。知識が正確かどうか、適切な参考書・研究書を参照しているかどうか、知識が組織的に整理されているかどうかなどが評価の対象になります。小論文(作品論等)も、テーマが設定されている場合はもちろんのこと、テーマの設定が学生の自由に任されている場合でも、半年間もしくは1年間の授業で扱われたテクストや教授された知識が前提とされているわけですから、まったく自由というわけではありません。半年間もしくは1年間の授業で共有されたはずの知識を土台にして適切なテーマを立てているかどうか、適切な分析や推論をしているかどうかが、評価の対象になります。

 レポートや小論文に対して卒業論文は、テクストの選定、テーマの設定は基本的には学生の自由に任されています。卒業論文の作成は、知識の採集としての勉学ではなく、問題の所在を突きとめ、それにふさわしい方法をもって対処し、それをある種の伝達技術に則して説明する能力の獲得としての勉学です。このような能力は、どのような職業に就くにせよ、将来の生活に役立つ能力です。卒業論文は単に大学生活4年間の集大成の機会であるというだけでなく、それまでの学校生活16年間の総まとめの機会であると考えましょう。卒業論文の作成は、生きていく限り役立つであろうような、ある種の訓練をするための絶好の機会であると理解すべきです。

Ⅱ テーマの選び方

 まず、これまでに自分が関心をもつことができた、あるいは興味をかきたてられた、あるいは問題意識を喚起されたテクストまたは分野を対象に決めます。そのためには日頃の勉学と読書が前提となります。次には選んだテクストまたは分野について、興味をひかれた点、重要だと感じた点などをこまめにメモを作りながら注意深く読み進めます。それと同時に、その対象についての概説的な参考書・研究書を並行して読み、これについてもメモを作ります。そのようにしてためたメモの中からテーマの候補をしぼってゆきます。3年次の12月に卒業論文説明会があります。翌年1月にかけての2ヶ月足らずの間に指導教員を選ばなくてはなりません。なるべく多くの教員の部屋を回り、テーマの候補について説明し、助言を求めて下さい。そのようなやりとりの中で、おのずとテーマも指導教員もしぼられてゆくと思います。1月中に卒業論文のテーマと指導教員名を英文事務室に登録して下さい。

 次には、まだ主観的な印象に基づくテーマであったものを、具体的な問いかけに変えていかなくてはなりません。具体的であると同時に対象の本質に切り込む可能性があるという「予感」が働くような問いかけ=テーマでなくてはなりません。この段階で指導教員に助言を求めましょう。4年生になる前に「ゴーサイン」をもらえるように努力して下さい。4年次の4月の履修科目登録では卒業論文の登録を忘れないように。必修科目であるからといって自動的に登録されるわけではありません。忘れると留年確定です。

Ⅲ 原稿の作成

 テクストを読んでそれについて思索することは価値のある行為ですが、書くことによってのみ思索は客観化されます。読んで理解したと思ったことも、単なる思い込みやひとりよがりの解釈かもしれません。またたとえ読んだことを正しく理解していたとしても、それが他者に正確に伝達できるとはかぎりません。自分が感じたこと、考えたことに「かたち」を与える、書くという行為は、きわめてつらい作業ですが、学問の基礎として避けられません。書かれたものがあるからこそ学問の積み上げが可能になるからです。

 とは言っても、いきなり原稿を書き始めるのは無謀です。テーマが決まったということは関心の焦点が定まったということですから、次には明確な問題意識のもとでテクストを読み直さなくてはなりません。そのときには、読みっぱなしには決してせず、しっかりしたノートを取り、あとでいつでも参照できるようにしておくことが不可欠です。これはテクストに関連する研究書を読む時にも必要な作業です。カード、ルースリーフ、レポート用紙など、何かひとつに統一します。分類整理のためには同一の形体である必要があるからです。また上に見出しをつけます。単に作品からの引用であっても、どうして引用に値すると考えたかをメモします。抜き書きという面倒な作業であると、自ずと選択に慎重になります。テクストに則したメモばかりでなく、日頃から自分のアイデアもメモしておきましょう。これも見出しをつけておいたほうがあとで便利です。研究書などの参考資料は、自分のテーマを追求してゆくための補助手段です。主体的で明確なテーマがなければ、いくら一流の学者が書いた研究書でも参考にはなりません。なお、パソコンを多用する場合には、不慮の事故にそなえて、こまめに「バックアップ」をとりましょう。

 たまったカード(ルースリーフ、レポート用紙等)を分類整理し、本論にあたる部分を10枚(4000字)程度に原稿にまとめ、4年次の夏休み前のなるべく早い時期に指導教員に提出し、助言を求めて下さい。論文の構成の適不適、立論・推論・分析が妥当か脆弱かを指摘してくれるでしょう。夏休みが「正念場」です。10月の卒論中間発表会では、序論・本論・結論まで発表できるように用意しておいて下さい。出席の教員からの示唆・助言、聴衆の学生からの発言からも、さらにアイデアを深めるためのヒントが得られるでしょう。原稿を練り上げ、論文としての体裁を整えて、年明けの1月に提出します。締切日の掲示にはくれぐれも注意してください。期日に間に合わなければ留年が確定します。

Ⅳ 論文の体裁

 英語論文の場合は、A4サイズの用紙に1枚65ストローク×25行(ダブルスペース)とし、30ページ以上を目安とします。フォントは12ポイントを用います。

 日本語論文の場合は、A4サイズの用紙に横書き1枚35字×25行とし、50ページ以上を目安とします。フォントはMS明朝で12ポイントを用います(引用の英文については英語論文の要領に準拠します)。

なお、大学院進学を考えている者は、英語論文を提出するのが望ましいことです。

1.標準的な構成

(1)Title‑­­­­page(とびら) 

(2)Contents(目次)
(3)Body of text(本文)

 Introduction(序論)

 ChapterⅠ, ChapterⅡ, …(本論)

 Conclusion(結論)

(4)Notes(注)
(5)Works Cited(引証資料)

(6)Summary(要旨)

 (1)のとびらには表題(英語表題と日本語表題の両方)、提出先、請求学位名、執筆者氏名(ローマ字表記と漢字表記の両方)、提出年月日を記します(末尾の付録参照)。

 (2)の目次は序論の最初のページを1ページとし、序論、本論の各章の章題、結論、注、引証資料の行末に算用数字でページを記入します。また、論文の下中央にページ番号をつけます。とびら、目次、要旨にはページ番号をつけません。

2.引証資料方式

 参考にしただけの書目は記載せず、実際に論文中で言及したもののみを記載します。この方式では、自分の出典を明らかにするために、本文の中で短いかっこ内引証をして、論文の最後にくる、アルファベット配列もしくは五十音順配列の文献リスト=引証資料を指示します。下の例文では(Green 514)がかっこ内引証です。

 Proust’s virtuosity is in his ability to resurrect the mood in which Marcel first beholds experiences (Green 514) and thereby memories.

 この引証は、この文の、かっこ内引証の前の部分はGreenという著者の書物の514ページが出典であるということを示しています。この出典について読者がもっと知りたいときは、引証資料リストを見れば、Greenという名前で、次の情報を得ることができます。

 Green, Frederic C. The Mind of Proust. Cambridge: Cambridge UP, 1949.

 この見出しから著者はFrederic C. Greenで、書名はThe Mind of Proustであることがわかります。またそのあとの情報から、この書物はCambridgeのCambridge University Pressから1949年に出版されたものであることがわかります。

 日本語論文の場合も同じです。下の例文では(Relihan 22-4)がかっこ内引証です。

 ボエティウスの『哲学の慰め』は、哲学により慰められないことに、つまり蓄積された学識にも掻き集められた知識にも限界があることに眼目があり、これも「アイロニックな百科事典」というメニッポス的伝統に属している(Relihan 22-4)。

 

この引証は、この文はRelihanという著者の書物の22ページから24ページの記述に基づいた要約であることを示しています。引証資料リストからは次の情報が得られます。

 

 Relihan, Joel C. Ancient Menippean Satire. Baltimore: Johns Hopkins UP, 1993.

3.引証資料リストの作成方法

1.引証資料リストの見出しは、著者の姓に従いアルファベット順に配列します。日本語論文の場合は、和文書目については姓の五十音順に配列し、欧文文献のあとにまとめて置きます。例に即して説明します。

 Doody, Margaret. The True Story of the Novel. New Brunswick: Rutgers UP, 1996.

 

 姓が先ですから、順序はいつもの逆になります。著者名はタイトルページ(書物を1,2枚めくったところにある書名などを記した表題紙。その裏に和書の奥付に相当する出版情報が記載されています)に記してあるとおりに書きます。フルネームが記してある場合、それを省略して、名をイニシャルに変えてはいけません。姓名のあとにピリオドを置きます。表題はイタリクス(斜字体)にします。表題のあとにピリオドを置きます。出版された都市名のあとにコロンを入れて、出版社名を書き、コンマを入れて出版年を記し、ピリオドを置きます。

 

 日本語論文の引証資料の和書についても同じです。

 

 福島富士男 『アフリカ文学読みはじめ』 アフリカ文学叢書 別巻 東京、スリーエーネットワーク、1999年。

姓名のあとに1字分のスペースをあけ、表題は『』でくくり、1字分のスペースをあけて(シリーズ・叢書の1冊である場合はその情報を記し)、また1字分のスペースをあけて、出版された都市名を記し、読点を打って出版年を書き、句点で結びます。

なお、既刊の博士論文は書物と同様に記載しますが、未刊のものは、どれほど分厚くても論文として記載します。

Koshi, Tomohiko. “The Rhetoric of Instruction , and Manuscript and Print Culture in the Devotional Works of Thomas Traherne.”The University of Reading, Ph. D. Thesis, 2004.

2.編者がタイトルページに記してある論文集を引証するときは、まず見出しを

編者から始め、あとにed.(複数のときはeds.)という略語を置きます。

Pierce, David and Peter de Voogd, eds. Laurence Sterne in Modernism and Postmodernism. Amsterdam‑Atlanta, GA: Rodopi, 1996.

例にあげたのは共編者ですので、最初の編者だけ姓・名の順序に直し、次からの編者は名・姓のままにしておきます(これは共著の書物を引証するときも同じで、最初の共著者だけ姓・名の順序に直します)。

3. 1人の著者による複数の書物を引証するときは、最初の見出しだけに著者名     

  を記します。それ以降の見出しでは、著者名がくるところに、ハイフンを3つタイプし、コンマ(同一共著者による複数の書物の場合はピリオド)と書物の表題が続きます。 

  Frye, Northrop. Anatomy of Criticism: Four Essays. Princeton: Princeton UP, 1957.

---,The Double Vision: Language and Meaning in Religion. Tronto: U of Tronto P, 1991.

  上の例のように、同一著者名で列記する著作は表題名のアルファベット順にします。出版年の古い順に並べるのではありません。和書の場合も同じ要領です。

  

  伊藤誓 『スターン文学のコンテクスト』 東京、法政大学出版局、1995年。

  ---、『<ノヴェル>の考古学―イギリス近代小説前史』 東京、法政大学出版局、2012年。

---、『ロレンス文学のコンテクスト』 東京、金星堂、1988年。

4.論文集、講座、学術誌、紀要の中の論文の引証資料は、引証した論文の著者名と論文の表題を先に出します。

 (1)Markley, Robert.“Sentimentality as Performance: Shaftesbury, Sterne, and the Theatrics of Virtue.”The New Eighteenth Century. Ed. Felicity Nussbaum and Laura Brown. London: Methuen, 1987. 210-30. Rpt. in Critical Essays on Laurence Sterne. Ed. Melvyn New. New York: G. K. Hall, 1998. 270-291.

(2)Ide, Mitsu.“Geworden Wæron in Orosius 1 5.24.10(Bately).”Studies in English Historical Linguistics and Philology : A Festschrift for Akio Oizumi. Ed. Jacek Fisiak. Frankfurt am Main: Peter Lang, 2002. 83-101.

(3)Frye, Northrop.“Literary and Linguistic Scholarship in a Postliterate Age.”PMLA 99(1984): 990-95.

(1)の論文表題のあとの書目表題と年号は、この論文の初出の情報です。論文集には、これまでに発表された論文の中から秀れたものを集めて一冊にまとめたものが多いのです。編集者は1人でも複数でもEd.で始めます(edited byの意味です)。Rpt. inは“Reprinted in”の意味です。初出のものを読んだのではなく、再録されたものを読んだということを伝えています。末尾の数字は論文集の中で何ページから何ページまでに当該論文が収められているという情報です。

   (2)の論文は日本人の英語論文ですが、姓のあとにコンマを入れます。

   (3)の論文は学術誌の中のものです。論文表題のあとに誌名、巻ナンバー、発行年(かっこで囲む)、コロン、論文が収められているページナンバー、ピリオドの順になります。ページが年ごとの通しナンバーの場合には、号ナンバー、月、季節は無視してもかまいません。

   

次は日本語の論文集、学術誌、紀要の中の論文を引証する場合の引証資料の作り方です。

  (1)中村英男 「ニューイングランド―ジェイムズと氷の宮殿」 『アメリカがわかるアメリカ文化の構図』 天野雅文、林康次、加藤好文編 東京、松柏社、1996年、241-54ページ。

   辻秀雄 「ヘミングウェイのスタイル宣言―文学実践としての『アフリカの緑の丘』」 『アーネスト・ヘミングウェイ―21世紀から読む作家の地平』 日本ヘミングウェイ協会編 京都、臨川書店、2011年、174-190ページ。

  (2)渡部桃子 「『息づく思想、燃える言葉』―女たちのセンチメンタル・ポエトリー」 岩波講座文学、小森陽一、富山太佳夫、沼野充義、兵藤裕巳、松浦寿輝編 第4巻 『詩歌の饗宴』 東京、岩波書店、2003年、263-89ページ。

(3)伊藤誓 「18世紀小説のコンテクスト」 『英語青年』150(2005年)、662-63ページ。

  (4)高岸冬詩 「擬装された自伝―マルドゥーンの“Yarraw”における反復と連想」 東京都立大学人文学部『人文学報』320号(1999年)、233-77ページ。

  

(1)には編者が3人いますが、表紙やとびらにあるとおりの順序で書きます。

2つめの例は編者が学術団体の場合です。

  (2)には引証した論文集(『詩歌の饗宴』)の編者は明記されていませんので、

この講座全体の編者の名前を列記します。これも表紙やとびらにあるとおりの順序で書きます。この講座の場合は五十音順に記載されています。

(3)は学術雑誌の論文です。月刊誌としての号ごとのページと年ごとの通しナンバーの両方が記載されており、後者に拠りました。

  (4)は紀要の論文です。商業誌ではないので発行者の名称を誌名の前に置き

ます。

4.引用の方法

 適切な引用は論文の効果を高めますが、過剰な引用は読者を退屈させます。4行以内の引用は引用符に入れて本文に組み入れた方がよいでしょう。いくつかの例を挙げて説明しましょう。

(1)Whereas epic is“structured in the zone of the distanced image, a zone outside any possible contact with the present in all its openendedness,”the novel is “associated with the eternally living element of unofficial language and unofficial thought (holiday forms, familiar speech, profanation)”(Bakhtin 18). The roots of the novel are folkloric, and all genres that permit laughter have a contribution to make to its development. Epic, by contrast, has no such contribution to make.

(2)In Joseph Andrews, a perfect illustration of such “bizarreries”is Parson Adams. That Adam is meant to be read as a sympathetic character is made clear in Fielding’s Preface :

      It is designed a Character of perfect Simplicity; and as the goodness of his Heart will recommend him to the Good‑natur’d; so I hope it will excuse me to the Gentlemen of his Cloth; for whom, while they are worthy of their sacred Order, no Man can possibly have a greater Respect(9).

A classical scholar, caring nothing for fashion, Adams is a practising

Christian of the kind that the novel shows to be an endangered species.

(3)The narrator was not the first to arrive at the trough, hence, he should wait for his turn, as we all do in an equal society :“Someone was before me at my water‑trough, /And I, like a second comer, waiting”(Poems 349). Only by suppressing his spontaneous feelings of respect and connection with the natural world can he throw the stick at the drinking animal.

(4)Crucial to this poem are the feelings of self disgust and regret the narrator experiences after so brutally having chased the guest[snake]away :

       And immediately I regretted it. I thought how paltry, how vulgar, what a mean act!

I despised myself and the voices of my accursed human

education.

       …

       And so, I missed my chance with the one of the lords

Of life.

And I have something to expiate:

A pettiness. (Poems 351)

The poem resounds with the feelings of futility that after characterises

humankind’s treatment of the environments and its inhabitants.

  (1)は引用を本文中に組み入れたものです。かっこ内引証のあとにピリオド

を置きます。引用したままにするのではなく、この例のように、引用文から何を読みとったか、何を強調したいかがわかるようなコメントを添えることが必要です。

  (2)は引用文が長いので、本文から離して、行を改め、本文よりタイプライ

ターで10字スペース分下げ、引用符を付けません。かっこ内引証がページ番

号だけになっているのは、著者も書名も本文に明らかに示されているからです。本文からコロンで引用部分を導入します。この例も引用したままではなく、この引用文から読みとるべきことをコメントしています。

  (3)は本文に詩を引用した場合です。スラッシュは原文では改行されてい

ることを意味します。かっこ内引証が著者名でないのは、同じ著者の多くの

作品から引用しているので、作品名の略記を示しているからです。

  (4)は引用部分が長いので本文から離しています。5行目のピリオド3つは「中略」の意味です。詩の引用部分をこのように独立させた場合のかっこ内引  

証は本文のピリオドのあとに置きます。

 次には日本語論文の場合にはどうなるか、例に即して説明しましょう。

(1)デイヴィッド・ヒューム(David Hume, 1711-76)は『人性論』(A Treatise of Human Nature, 1739-40)で自我の存在を主張する「形而上学者」を排し、人間についての有名な定義を下す。人間とは「想いも及ばないはやさでつぎつぎに継起する、久遠の流転と動きとのうちにある、様々な知覚の束ないし集合にすぎない」(“nothing but a bundle or collection of different perceptions, which succeed each other with perpetual flux and movement.”)(Hume 252)。このようにヒュームは、ロックの自我観念を否定しさる。

 (2)トリストラムにとってもっとも手ごわい「敵」は、トリストラムのイクウィヴォケーションより「きれいな」意味だけ拾い上げようとする「善意」の読者なのだ。

       ここには二本の道がある、私はクルリと彼の方を向いて答えた、   

       -きたない道ときれいな道とね―どっちの道に行くとしようか  

       ―もちろん、きれいな方さ、とユージーニアスが答えた。ユー

ジーニアス君、私は彼の前に進み出て、片手を彼の胸にあてて言った―ひとつに決めるということは―信用しないということなのだ。―かくして私がユージーニアスに勝ったわけだが、勝ったとは言っても、いつもながらの阿呆の勝ち方。―でもこれだけは私の慰めだ、つまり私はものに固執するたちではないということ。ですから今も(ママ)

And here are two roads, replied I, turning short upon him, ―a dirty and a clean one, ―which shall we take? ―The clean, ―by all means, replied Eugenius. Eugenius, said I, stepping before him, and laying my hand upon his breast―to define―is to distrust. ―Thus I triumph’d over Eugenius; but I triumph’d over him as I always do, like a fool. ―’Tis my comfort however, I am not an obstinate one; therefore[sic](TS Ⅲ xxxi 258)

   両義的表現より「きれいな」意味のみを拾い上げようとする「善意」の態度は、ひいては社会的偽善に通じるという考えをここに読みとることができる。

  (3)君が倒れた後でも新しい森(“Fresh grove,”l.6)が成長する。倒れた君は休息し、「嵐の激しい息吹きも/もはや君の安らぎを乱してはいない」(“the fierce breath/Of tempests can no more disturb thy ease.”ll.18-19)と詩人は話を進める。そして、人間の問題に移る。“Timber”は比喩でありコンシートなのである。「罪ほど悪しき殺人者があろうか」(“…is there any murth’rer worse than sin?”l.25)と本論に入るのだ。

  (4)またスタインのテクストが、英語をある程度理解する者であれば、誰でも、様々な解釈を呼び込める「開かれた」テクストになっていることも忘れてはならない。たとえば、生涯のパートナー、トクラスとの関係をかなり(スタインにしては)あけすけに表現にしたとされている「ピンク・メロンの悦び」も、何通りにか解釈される。

        My dear what is meat.

I certainly regret visiting.

My dear what does it matter.

Leaning.

        Maintaining maintaining checkers.

I left a leaf and I meant it.

Splintering and hams.

I caught a cold.

(1)ねえ何を食べるの。      (2)ねえ要点は何なの。

         ほんとにあそこへ出かけな    ほんとにあそこへ出か

ければよかった。        けなければよかった。

         ねえ たいしたことじゃないわよ。好みの問題じゃない。

よりかかっていたの。      

        チェッカーをずっとやっていたわ。いつも何度も内容をチェックすることね。

         紙きれを一枚置いて来た それ  一ページだけ残してお

          だけよ。            いたけどあの通りよ。

         言い争いとハムサンド。     分裂しているところと大袈裟なところ。

         風邪をひいたわ。        風邪をひいたわ。

   

 ここでは、語り手が自分の親しい人に、(一)訪問した先でのことを報告

している、(二)自分の書いたものを見せながら話しあっていると想定し、

二つの解釈をしたが、その他にも幾つかの解釈が可能であろう。

(1) は引用を本文中に組み入れたものです。日本語論文では初出の重要な人

名にはかっこ内に原名と生没年を示し、作品の表題のあとにはかっこ内に原題と出版年を示します。引用文のあとのかっこ内に原文を示します。

  (2)は引用部分が長いので本文から切り離したものです。本文から5字分下

げます。引用末尾に(ママ)とあるのは「原文のまま」という意味です。文の途

中で終わっているので、こう書かないと原文を写し間違えたと思われてしま

います。英語では(sic)と書きます。かっこ内引証の中のTSは作品名の略記で

す。略記を多用する場合には目次のあとに略記一覧を記載した方がよいでし

ょう。ローマ数字は第3巻第31章を表わしています。いろいろな版が出てい

る古典作品の場合、論文で使用されていない版をもっている読者にも参照で

きるようにこのような情報を添えます。

 (3)は詩の一部を本文に組み入れたものです。スラッシュで改行を表わすのは英語論文と同じです。l.は引用部分が詩の何行目にあるかを示します。複数行にまたがる場合はll.とします。

  (4)は引用文が長いので本文から切り離したものです。日本語論文では日本

語に訳した引用文が先にきて、そのあとに原文が置かれるのですが、この論

文ではそうなっていません。なぜでしょうか。引用の詩が何通りにも解釈されることがこの論文ではトピックになっているからです。原詩の多義性を読者に実感してもらうために先に置いてあるのです。

5.注

 引証資料方式だと注の必要はなくなると思いますので、注に書くことは、本論では取り上げなかった解釈や情報、本論の議論の流れから横道にそれるもの、もしそれを本論に書くと議論の展開がスマートでなくなるものに限定されるでしょう。日本語論文の場合、原文を自分で訳した訳文を添えるわけですが、ジェイムズ・ジョイスのような難解な作家は自力ではなかなか訳せないでしょう。参照した翻訳書を注で次のように明示しましょう。

(1) James Joyce, A Portrait of the Artist as a Young Manを訳出するにあたって、次の翻訳を参考にした。

加藤光也訳 『若き日の芸術家の肖像』 集英社ギャラリー「世界の文学」 第四巻 『イギリスⅢ』所収 東京、集英社、1991年。

永川玲二訳 『若い芸術家の肖像』 「新集世界の文学」 第30巻 『ジョイス』所収 東京、中央公論社、1972年。

  論文集の編者を記載する場合と同様に、共訳書の訳者名も、表紙にある通りに記載します。

  マルカム・カウリー『ロスト・ジェネレーション―異郷からの帰還』 吉  田朋正・笠原一郎・坂下健太郎訳、東京、みすず書房、2008年。

  訳者が4名以上の場合は、○○○○(冒頭の訳者名)他訳としてかまいません。訳者が3名以内でも、表紙に○○○○他訳とあれば、その通り記載してかまいません。

6.要旨

 英語論文も日本語論文も2,3ページの英語による要旨をつけて下さい。

以上で論文の体裁を整える上で大事な点はすべておさえたと思いますが、い

ざ書き始めると、次から次へと個別の問題が現れると思います。そういうときはジョゼフ・ジバルディ著 原田敬一監修 樋口昌幸訳編『MLA英語論文の手引第6版』(北星堂書店)を参照して下さい。ここには書かなかった電子出版物の引証も扱っています。インターネット上の情報を引証資料として用いる場合には、指導教員と十分に話しあって下さい。