経済学のキーワード マクロ編 「構造改革なくして成長なし」

経済セミナー 2003年4月号


以下の小文では、次の8つの問題を考察しています。
  1. 一番簡単で基本的な経済とはどのような状況か?
  2. 需要不足とはどのような状況か?
  3. 需要不足に対するケインズの処方箋は何か?
  4. 不良債権の原因は何か
  5. 貿易黒字とはどういった意味をもつのか?貿易摩擦とバブルの関連は何か?
  6. 財政出動の問題点は何か?
  7. 金融緩和の問題点は何か?
  8. 構造改革とはどのように理解すればよいのか?
本文の他に以下の点についても同様に説明できます。

 「構造改革なくして成長なし」という小泉内閣のスローガンはよく知られています。この「構造改革」と「成長」の両者の関係をマクロ経済学的に考えてみましょう。
 まず最初に確認しておくべきことは、マクロ経済の基本は「投資」と「貯蓄」の決定であるということです。この点を理解するために、一番簡単な経済として
[A] 個人経営の農家で自給自足
[B] 財は1つしかない1セクター経済
を考えましょう。つまり孤島に暮らすロビンソン・クルーソー[自給自足の農家]がコメ[単一財]だけをつくる経済です。コメは食べれば消費財ですし、生産をするために籾米を保管しておけば資本財です。そしてこの経済では貯蓄と投資は区別されません。
 さてコメの刈り入れ[収入]をどう使うか、クルーソーには選択問題が生じます。
▼ 「食べてしまうか」つまり消費という選択肢
▼ 「籾米に取っておくか」つまり貯蓄、あるいは投資という選択肢
のどちらかを選ばなくてはなりません。あまり食べ過ぎてしまうと、将来の分の籾米が減ってしまいますし、その後のコメの収穫量も減ってしまいます。しかし、籾米の分量が多すぎると食べる分が減ってしまいます。
式で表すと、
収入 = 消費 + 貯蓄 (投資)
です。この予算制約式をもとに、現在と将来の効用を勘案して、最適な消費-貯蓄比率を決めるのが経済学における最適化問題の基本となります。

◆ [A] 分業の導入とマクロ経済問題の分析

 さてクルーソーが一人でコメを作ったり、消費したりするだけでは、実は複雑な経済問題は起こりません。しかし現実の経済では、一人であらゆる役割を兼ねているわけではなく、さまざまな分業が行われます。この結果、より効率的な経済運営が達成されるわけですが、その反面、役割の違いがもたらす「協調の失敗」という問題も生じてしまいます。順々に役割を分けて分析してみましょう。
[1: 企業の導入と有効需要不足] ケインズ的な考えかたによるIS-LM分析では、「有効需要不足」の状況が考察されています。つまりモノをつくっても売れない状況です。この「需要不足」の状況を考察するためには、「自給自足」から「貯蓄を行う家計」と「投資を行う企業」を分離することが必要です。
 さて籾米を家計は貯めこんでいる状況[貯蓄過剰]を考えてみましょう。企業が籾を借りて田に蒔かなければ[投資過小]、投資の需要効果が小さく、有効需要が不足し、労働者も雇われず[失業増大]、マクロ経済は縮小均衡に陥ってしまいます。実際、日本経済では80年代から貯蓄超過が目立ってきました。
[2: 政府の導入と財政危機] このような悪循環を打破するため、どうすればよいでしょうか。ケインズは籾米がどっさり家計にあるのならば、政府が籾米を家計から借りて政府が蒔けばよい[公共事業]と考えました。そうすれば雇用も増加し、消費も累積的に増大すると考えたわけです。90年代には、国の借金証文である国債が大量発行され、国の借金が積み上がってしまったのはこのような政策の帰結です。
[3: 銀行・金融仲介の導入と銀行危機] もともと家計は自分で籾米を保管しているわけではなく銀行に預けています。銀行は大量の籾米に困って、とにかく企業に貸しつけました[過剰融資]。企業は荒れた土地にまで籾を蒔いた[過剰投資]ので、収穫が充分でなく、銀行に返済することができません[不良債権]。そこで銀行危機が生じてしまいました。
[4: 海外部門の導入と貿易摩擦] 籾米の一部は、外国へ貸しつけられました[資本赤字]。これは財の輸出超過と同じ意味になります[貿易黒字]。この輸出攻勢で米国の企業が困ったので、貿易摩擦が生じました。これを回避するための金融緩和がバブルを生み、その後のバブル破裂と「失われた10年」と呼ばれる90年代以降の日本経済の不振があるわけです。

◆ [B] 多数財の導入と構造改革の分析

 以上が日本経済の近年の経験です。この停滞を解決するため、「構造改革」だけでなくさまざまな経済政策が提案されています。そこで、これから財を複数に拡張して2財モデルを考えてみましょう。より需要の成長が期待できる財とそうでない財が存在する状況です。このような分析は言わば「コメ」だけでなく「花」を導入することを意味すると考えればいいかもしれません。現在の停滞状況は「コメ」は余っているが、「花」を買う余裕がない状況と考えるといいでしょう。
[a: 財政] より大きな政府支出を求める声は大きいのですが、一方では「抵抗勢力」と呼ばれたり、無駄な公共投資が指摘されます。もともと「コメづくり」のみの1財経済ならば、米を増産するための公共投資をしても米の消費が増大することはないかもしれません。むしろ補助金つきの投資による過剰な機械化により生き残り競争(まさに日本の農業や現在の大学に生じたこと)が生じてしまうのではないでしょうか。しかし2財経済ならば、「花」の増産を助けるような公共投資があるかもしれません。問題は公共投資の配分の方向性が「コメ」に片寄っていることにあるのです。
[b: 金融] ゼロ金利に代表される金融緩和政策は、論議の的です。貯蓄過剰とは、資本財の供給過剰ですから、1財経済では価格である利子率をマイナスにまで下げて需要である投資を促進するしか手だてがないように思われます。これがインフレーション・ターゲティングに代表されるインフレ促進論の内容です。しかし銀行の不良債権問題とはもともと貸付が過剰だから焦げついてしまったと言えるのではないでしょうか。それなのにもっと利子率を下げて、企業に貸し込むことが必要なのでしょうか。この矛盾を解くためには、やはり2財経済を考える必要があります。「米」への投資は焦げついて不良債権を生むが、「花」に投資をすれば収益を生む、と考えることができるでしょう。ここでも銀行融資の配分の「方向性」が問題となっています。そのためには銀行の経営を正常化することが必要なのではないでしょうか。
[c: 不況期の構造改革] 財政政策も金融政策も「コメ」と「花」の配分の方向性が重要であることを見てきました。筆者はこの配分を正常化することが「構造改革」ではないかと考えます。現在のような不況期に、構造改革を行うことは無謀ではないかと批判する人がいます。しかし伝統的なマクロ政策の拡大は、より望ましい経済をもたらすでしょうか。方向性がずれたまま量的に拡大するだけでは、不毛な生き残り競争を促進し、「コメ」の「減反」を巡って荒れた世の中を作るだけではないでしょうか。個別に不良債権の原因や政府の以前の計画をみると、到底実現不可能なものが多かったのではないでしょうか。

 これまで成長財を「花」とイメージしてきました。具体的に何が「花」となって成長するのか、と聞かれれば、それは残念ながら分かりません。政府が考えているような大規模な新産業ではないかもしれません。そういった意味では構造改革がすぐに成長に結びつくとは言えないでしょう。しかし世の中は少しづつ変わって行きます。もともとの日本経済の苦境の原因は「貯蓄過剰」でした。貯蓄過剰はたしかに「将来不安」のためでもあるのですが、逆に考えればマクロ的な消費水準においては何とかなっている表れでもあります。そう考えれば、新たな「花」を探すためには、本当は気持ちの「ゆとり」が必要なのでしょう。その「ゆとり」を手に入れるためには、しっかりと足場を固めることが必要なのではないでしょうか。

補遺
▼ [経営者の導入と企業ガバナンス] 企業もタネまき用のタネを安くはどっさり銀行にあるので、企業はいいかげんに借りて使ってしまった。これ企業ガバナンスの破綻の背景にあるのです。
▼ [資本家の導入と持続的成長] さて投資には需要効果のみならず生産力効果があります。IS-LM分析では需要効果しか扱われません。上記に即して説明すると、経済はタネを蒔くための労働者が雇われないため、マクロ経済が失速するわけです。しかし成長理論では投資の生産性効果も考察します。この場合、タネまき用のタネは蒔かれなかった[投資不足]ので、次の期には収穫できず、その結果、累積的に成長率が下がってしまいます。この状況を内生的成長理論は考察しています。
▼ [土地の導入と土地価格バブル] コメが国際的に価格が暴騰したなどの誤解が生じたため、タネを蒔くための畑の値段が暴騰した。
▼ [技術革新の導入とバブルとニューエコノミー] 新技術[ニューエコノミー]でタネまき用のタネが少なくとも、収穫は大量に可能と誤解。そのため消費は増加し、貯蓄は減少[マイナスの米国個人貯蓄率]してしまった。