雇用流動化と構造改革


メールマガジン「日本国の研究」 2001年06月13日発行 第42号 論説


 雇用流動化という話題は常に日本の労働市場につきまとっています。たしかにわずらわしい職場の人間関係に悩まされず、独立した個人と個人で仕事ができればどんなにいいことでしょう。たぶんそこにはサラリーマンの見果てぬ夢があるのだと思います。しかしながら、私は
(1) 雇用が流動化し、新産業に移動すれば経済成長が促進されるとか、
(2) 終身雇用に安住した甘えが一掃され、より効率的な経済が生れる、
という意見には懐疑的です。もちろん自然に労働市場が流動化するなり、改革されることはあるでしょう。実際にもそう言った流動化は常に生じていることです。そして、もともと戦後の日本経済は農業国として出発しましたから、大きな雇用構造の転換を経験したわけです。しかし、きちんとした枠組みなしにむりやり流動化することはかえって大きな問題を招くのではないでしょうか。以下では長期雇用の3つの批判について一つづつ考えてみましょう。

A. 長期雇用は既得権か
B. プロフェッショナルの対等な市場は創出できるか
C. 平等は効率を阻害するか

A. 長期雇用は既得権か

 まず長期雇用は自由な市場メカニズムが阻害されていて、既得権の温床となっているという批判です。もちろん既得権のようなおかしな仕事はたくさんあります。しかし契約期間が長いからそれだけでいけないということはありません。この批判には、市場メカニズムは、築地の魚市場のような「せり市場」でないと発揮されない、という誤解があるように思われます。しかし銀行から低金利のときに固定金利で住宅ローンを長期で借りたとしたら、この低金利は既得権でしょうか?長期契約は市場メカニズムを阻害しているでしょうか。もちろんそんなことはありません。もともとミクロ経済学で言う市場経済の優位性は、あまねく市場があり、先物予約が可能な状況があって始めて証明されます。早い者勝ちの自由席というよりも、むしろ全車指定席を想像すればいいでしょう。市場経済にはしっかりとしたルールや信頼が必要と言われますが、この理由はルールや信頼・組織で実際には存在しない先物予約を補うと考えるとわかりやすいかもしれません。そういった意味で組織や長期契約は市場と補完的なのです。

B. プロフェッショナルの対等な市場は創出できるか

 日本の人材形成は専門性がないが、専門職の市場がもっと広がれば、自由な市場で人材形成が進む、との意見が多いです。たしかにそうなれば良いことばかりですが、実際には難しいと思われます。まず市場というからには、同じような労働者が大量に存在し、そのような労働者を需要する企業がやはり大量に存在しなくては、市場メカニズムが発揮されないのですが、この条件が満たされることはたいへん難しいと思われます。
 それに専門職へのあこがれが強い理由は、高収入だと思われますが、それは多分に「資格」「免状」のもと厳しく供給を制限した結果だと思われます。たとえば医者や弁護士、公認会計士を考えれば理解できるように、専門職の高賃金は能力があるからと言うより、厳しく供給を制限し独占利潤が含まれている可能性が強いわけです。近年では忘れがちな意見ですが、日本の労使関係の成功は、職能別組合の専横を押え込んだことと言われます。さらに詳述はしませんが、日本では専門性を尊重し、うまく使いこなす伝統に乏しいことを考えれば諸手を挙げて賛成はできません。

C. 平等は効率を阻害するか

 現場の従業員は監視しないと働かないという状況を経済学ではプリンシパル(依頼人)ーエージェント(代理人)モデルとしてとらえます。そこにはプリンシパルは事情を知らないが、エージェントは知っているという「情報の非対称性」と呼ばれる状況があるわけです。言ってみれば主人と番頭で番頭が怠けるとでも考えればいいでしょう。そこでの一般的な解決策として、番頭を「歩合給」や成果主義にすれば、もっと働くと考えるわけです。
 ところが「情報の非対称性」が起こすもう一つの重要な問題として「逆選択」があります。これはモラルハザードが契約を結んだ事後的な非効率性に対応するのに対し、逆選択は事前の情報共有に関するものと考えられます。ここで筆者が主張したい点は、日本のあいまいな職務区分や役割分担のもとでは、成果主義は職場の情報共有を破壊し、効率性を損なう危険性が大きいということです。ゲーム理論におけるチープ・トークなど幾つかの研究が間接的に示している通り、「立場」の違いは円滑な情報共有を阻害し、情報を秘匿することにつながります。もちろんパートタイム労働者やセールスマンのように職務が明確化されている場合、成果主義は効率化をもたらす場合もあるわけですが、集団的に効率化を模索する過程において、疑心暗鬼のもと職場が荒廃する危険性が大きいわけです。

 これまで現状の「改革」と呼ばれるものに批判的な意見を述べてきました。それではどのように問題を打開していけば良いのでしょうか。
 子供のときに、オランダのある少年が堤防のほころびを指を突っ込んで決壊をとめたというお話を聞いたことはないでしょうか。なぜ改革できないのか、あるいはすっきりと機構を簡素化できないのか、という理由は、多くの人々が自分はオランダの少年のようになってしまったと感じているからではないでしょうか。ここで指を離すと堤防が決壊してしまう、つまりなにが起こるか分からない、という立場に追い込まれたと恐れているわけです。私は情報開示とは外部に向けてだけでなく、組織内部に向けても必要であり、細かな作業の積み重ねから「しがらみ」が解きほぐされて始めて、流動化すべきところは流動化するのではないか、と考えています。