ヒロソヒ村寸景


ギリシャの昔、哲学者は「星を見つめる男」と言われた。ロマンチックに聞こえるが、夕一レスよろしく溝に落ちるよという嘲りの言葉だ。世の二一ズに合わせて国家有為の人物となる技術を教えると喧伝する知者(ソフィスト)に、往事も事欠きはしなかった。その有力者から、いい年をしてまだ哲学をしていて、国家社会の法や仕組みに疎い者となり、あたらよい素質を台無しにしているような輩は、殴りつけてやってもいいと、ソクラテスは罵倒される。(「哲学者だ、石を投げなさい!」)だがソフィストさえ、「若い頃に哲学をしないような者は、自由市民らしくなく、将来も決して立派なよい仕事をする見込みの全然ない者だ」と断言する。(『ゴルギアス』)

移転と同時にヒロソヒ村の助っ人にやってきて、目黒時代へのノスタルジアも持ち合わせず、学生諸君との世代間ギャップは開くばかりで、学生気質を語るには不向きだ。「多摩化」現象が何か知らないが、喧燥ではなく、独り考え抜く時間と濃密な対話の場こそが哲学には必須であろう。看板塗り替えやアクロバットの挙げ句に軒並み画一化が進む中で、人文学部の伝統に沿い、わがヒロソヒ村も基礎的な哲学研究一筋に精を出している。ほとんど毎年欧米の有力な哲学者(例えばOxfordのM・ダメット教授)を迎えてセミナーをもち、秋は中国からはじめて若手を迎える。私の周辺では、「言葉と世界」「意味と信念」「言語理解と認識」「論理と数学」「可能と必然」等といった浮き世離れしたテーマを巡って、同僚・学生諸君とあれこれ果てしなく考える。何を考えているのか分からなくなるまで考える。ついに考えること自体が快楽と化し(vitacontemplativa)、生きる意味が垣間見える一考える葦!激戦を潜ってきた院生の出身大学は多様、学部生は毎年異色の学士入学者も加わって多彩、さらには相当数の他大学の院生・学生諸君がゼミになだれ込み、近辺に棲みついて、熱気を上げている。就職戦線は厳しいが、ヒロソヒ村住民は石もて打たるとも、考えること止めじの心意気である。

(人文広場第2号[1997])


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