セラピストにむけた情報発信



本紹介「教養としての認知科学」




2017年1月5日
新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

本日ご紹介するのは,認知科学とはどういう学問なのかについて,大学の教養科目のレベルで解説されている本です。

鈴木宏昭 「教養としての認知科学」東京大学出版会,2016

“大学の教養科目のレベル”という表現は,この本を読んで私が直感的に思った印象を表しています(著者がそのように表現しているわけではないことにご留意ください)。

一般に,大学における教養科目は,興味がある学生ならば学部を問わず受講できます。つまり,教養科目とは,専門知識が全くないものが聞いてもわかる内容で構成されています。本を読むと,著者が長年にわたって,様々なバックグラウンドの学生を相手に認知科学の授業をされてきたのだろうということが読み取れます。専門外の学生にもわかりやすくかみ砕くための言葉遣いが随所に見られます。

著者は本の中で,認知科学という言葉を聞いて,他分野の人から指摘される3つのことがあると述べています。「心は見えないでしょ?」(物理学や化学などのハードサイエンスをバックグラウンドにした人の指摘),「脳科学で決着つくでしょ」,「自分のこと(認知)は自分でわかります」という指摘です。確かにこうした指摘は,心理学や認知科学の学問に対する一般的な指摘のように思います。

この本が素晴らしいのは,こうした指摘に対する著者の見解を,指摘のすぐ直後の位置でしっかりと述べている点です。上記のような回答に窮する指摘については,本全体の内容を使ってやんわりと回答するか,もしくは回答をすること避ける(別の論点に切り替える)ほかないようにも思いますが,本書ではこれら3つの指摘に対して,著者自身の見解を明快に述べています。その内容ご関心がある方は,是非本を手に取ってみてください。

“大学の教養科目のレベル”と表現したもう一つの理由は,単位を取れるほどしっかりと勉強したいと思う読者にしか,この本の面白味は伝わらないかもしれない,という理由です。決して,一般書のような平易さを追求して書かれているわけではありません。

しかし本書は,認知科学とは何かを本気で理解したい読者に対して,極めて論理的な文書で骨太な解説をしてくれます。重要なキーワードについては,必ずその定義を最初に明記します。当たり前のことのように思うかもしれませんが,キーワードの一つ一つをここまで明快に定義できるということ自体が,とても素晴らしい技術です。

この本では,表象という概念が認知科学でどのように扱われてきたのかを一つの柱として,認知科学を解説しています。この表象という概念を使うことで,どうして認知科学が生態心理学で批判されたのかについても,わかりやすく解説をしています。

そして本の最後には,様々な批判の声も理解しつつ,認知科学において表象の概念をどのように考えるべきかについて,やはり明快な意見を述べています。

身体表象(身体図式,身体スキーマ)という概念は,リハビリテーションの分野でも常識的に使う言葉です。本書を通して「そもそも表象とはどのような概念なのか」を理解すると,この言葉の持つ意味の理解が一段と深まります。

この本の素晴らしさは,特に,本や論文の執筆経験者にはストレートに伝わるのではないかと感じました。こういう文書を書けるようになりたいと,私個人は強く思いました。

この本は,“教養としての“というタイトルに惹かれて,手に取りました。こうしたタイトルの付け方についても,やはり今後の執筆の勉強になりました。

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