セラピストにむけた情報発信



生活用具のグラスピング動作にプライミング効果は見られるか?
(Roche et al. 2015)




2016年2月9日
今回ご紹介する論文は,ナイフなどの生活用具を2本の指でつまむ動作(グラスピング動作)が,関連情報が先行して呈示されることによる影響を受けるか(すなわち,プライミング効果があるか)についての実験結果を報告した論文です。

Roche K et al. Grasping an object comfortably: orientation information is held in memory. Exp Brain Res 233, 2663-2672, 2015

この研究の理論的背景には,リーチングやグラスピング動作の制御に対して,物体認識に関わる視覚情報処理経路(いわゆる腹側経路)が関与しているのか,という長年の議論があります。

視覚運動制御にかかわる重要なモデルに,MilnerとGoodaleによる,視覚情報処理における2つの処理経路モデルがあります。第1の経路は,視覚刺激が何であるかを認識するための経路であり,腹側経路とよばれます。第2の経路は,視覚刺激に対して手を伸ばしたりつかんだりするなど,視覚刺激に対して運動するために必要な情報(位置や形状などの情報)を得るための経路であり,背側経路とよばれます。

当初このモデルでは,腹側経路と背側経路は独立した経路と仮定されていました。つまり,生活用具をつかむなどの動作に,腹側経路で処理された情報は何ら役に立っていないと考えられたわけです。しかし,このモデルが提唱されてから20年近い研究の蓄積により,両者は完全に独立しておらず,状況によっては,腹側経路の活動が運動制御にも関わりうると考えられるようになりました。

こうした考え方の妥当性を検証するために有益な実験法の一つが,プライミング効果を用いた実験です。プライミング効果とは,先行して呈示された情報(プライム)が,ある種の記憶情報として,後続の情報に対する反応に影響を与えるというものです。

もしグラスピング動作が背側経路で処理された視覚情報でのみ制御されるならば,そこで利用される情報は,動作遂行中に得られるオンラインの視覚情報であり,先行刺激の情報は何ら影響を与えないはずです。ところが先行研究によれば,条件によっては,先行刺激の情報が動作に反映されることが報告されています。

本日ご紹介する論文では,グラスピング動作に対して先行刺激が影響するのは,ある一定の条件下であるという可能性が指摘されました。

この実験では,ナイフや歯ブラシなどの生活用具を親指と人差し指の2本でつまむ動作について,その動作開始時間やつまみ動作が,先行刺激の存在によって変化するかを検討しました。

その結果,プライミング効果が見られたのは,①先行刺激がつまむ対象物と同じものであり,②両者が同一角度で呈示され,なおかつ③すぐにつまみやすい角度で生活用具が置かれていた場合(専門領域では,End-state comfortな状態で置かれていた場合とも表現されます),という3つの条件を満たした時であることがわかりました。

特に③については,「つまみにくい角度で生活用具が置かれていた場合,つまみ動作を調整するために常にオンラインの情報で動作を修正しないといけないため,背側経路の活動が強く,先行刺激に対する腹側経路の活動の影響が反映されにくいのではないか」と考察されました。

この論文は,視覚情報処理における2つの処理経路モデルについて,最近の動向をわかりやすく解説してくれているという意味で,読む価値のある論文の一つです。



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