セラピストにむけた情報発信



身体近傍空間は歩行中に拡大する?(Noel et al. 2015)




2015年10月19日
目の前に広がる空間は,主観的には単一の空間です。しかし脳内情報処理のレベルでは,身体近傍空間(peripersonal space)が,それ以外の空間とは別に,特別な形で表象されています。わざわざ身体近傍空間を独立に表象するのは,上肢で行う日常動作を円滑にしたり,危険なものが接近してくることを警告したりするためではないかと考えられています。

身体近傍空間の大きさは,一般的には手の届くぐらいの範囲であろうと言われています。今回ご紹介するのは,歩行中には,この身体近傍空間が前方に拡大する可能性を指摘した論文です。

Noel JP et al., Full body action remapping of peripersonal space: the case of walking. Neuropsychologia 70, 375-384, 2015.

著者らのグループが,身体近傍空間について調べるために長年用いている課題は,聴覚-体性感覚相互作用課題です。

この課題では,参加者は背中に振動を感じたら,いち早く反応することが求められます。課題の遂行中,前方に並ぶ複数のスピーカーから,音が自分に向かってくるかのような刺激が呈示されることがあります。こうすることで,音刺激が身体の近くまで接近してきたときには,身体近傍空間が賦活されると期待されるわけです。これまでの一連の研究から,音が身体近傍空間に呈示されているときに振動刺激を呈示すると,確かに振動に対する反応時間が早くなることがわかっています。

著者らはこの課題を,トレッドミル歩行している最中に実施することで,歩行中の身体近傍空間の範囲を検討することにしました。もし歩行によって身体近傍空間が前方に拡大するのならば,歩行時は立位時に比べて,遠くにある音に対しても振動刺激に対する反応時間の促進現象が見られるはずです。

実験の結果,トレッドミル歩行時は,向かってくる音が参加者の約1.6m先にあった時でも,反応時間の促進現象が見られました。これは,立位時は向かってくる音が約1m前方にある場合に促進現象が見られたことに比べて,かなり拡大していることを示しています。

なお,第2実験として,歩行中に大型スクリーン上でオプティックフロー(光学的流動)を呈示し,歩行の臨場感をさらに高めた場合の影響を検討しましたが,効果は増幅されませんでした。このことから著者らは,歩行中の運動性情報(kinematic)や体性感覚情報(proprioceptive)が,身体近傍空間に関与しているのだろうと考察しています。

著者らが自負するように,歩行によって身体近傍空間が拡張することを,行動ベースで示した報告は,これが初めてのように思います。私たちの脳が状況に応じて柔軟に空間認知特性を変えていることを示す,興味深い現象です。

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