セラピストにむけた情報発信



本紹介「語りかける身体:看護ケアの現象学」



2015年7月6日
今回ご紹介するのは,本学看護学科の西村ユミ教授が,2001年に出版された本です。看護の現場で西村氏自身が感じられた患者との交流経験を,メルロ=ポンティの身体論(現象論)に当てはめて理論化しています。

西村ユミ 『語りかける身体:看護ケアの現象学』 ゆみる出版,2001

本の冒頭で紹介されているのは,西村氏と植物状態患者との交流経験でした。

ある定義によれば,植物状態患者とは,「自分自身や自分を取り巻く環境を認識できず,他者と関係することが不可能である」ということです。西村氏は,この定義に強い違和感を覚えました。

西村氏は,自身の看護実践経験から,植物状態患者は決して「認識ができない」のではなく,「意識活動を表出するための運動・神経機能に障害を持っているだけ」と考えました。つまり,コミュニケーションのための顕著な方法を喪失しているものの,コミュニケーションをするための機能を保有していると考えたのです。

西村氏は,こうした考えの正当性を示すために,研究を行うことにしました。

研究に当たり,西村氏は,脳波や瞬目といった生理指標を用いた研究や,「データ対話型理論」とも言われるグラウンデッド・セオリー・アプローチを用いた研究に取り組みました。しかし,これらの手法では,西村氏の想いを100%表現することはできませんでした。

最終的にたどり着いたのが,メルロ=ポンティの身体論でした。この身体論は,「精神と身体」,「自己と他者」,「主体と客体」といった二元論的な立場を取らないことに1つの特徴があります。主体と客体のいずれにもなりうる私たちの身体こそが,世界との対話を可能にすると主張しました。西村氏は,こうした考え方の中に,植物状態患者と看護師との「はっきりとは見て取れない」関係を開示するための鍵があると考えました。

本の中では,看護経験に対するインタビューの内容について,身体論の観点から解釈が加えられていきます。植物状態患者と「視線がピッと絡む」といった現象は,眼球運動を測定することで数値化できるといったレベルの話ではなく,共感覚とでもいうべき,より原始的な経験である,といったことがひも解かれていきます。

私の研究の専門である実験心理学は,人間の諸現象を科学的にとらえる学問です。私自身,普段から自身の研究手法の利点だけでなく,限界についても顕在化させる努力をしているつもりではありますが,それでも,ご著書のようなメッセージを読みますと,やはり胸に刺さるものがあります。人間科学領域全体に重厚なメッセージを投げかけている本であると思いました。

西村氏とは新年度の学内行事でお会いし,その後の交流を通して,この本を紹介していただきました。メルロ=ポンティの身体論は,リハビリテーションの中でもしばしば取り上げられます。本というのは,近接領域の研究者たちとの距離をぐっと縮める有益なツールであるということを,改めて感じました。
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