セラピストにむけた情報発信



視野制限下での歩行-脳卒中片麻痺者の場合:吉田啓晃他,2011




2011年4月28日
前回このコーナーでは,視野制限をした場合の,健常者の障害物回避方略に関する論文を紹介しました.今回ご紹介するのは,脳卒中片麻痺者の足元の視野を制限した条件での歩行に関する研究の報告です.前回紹介した論文とは全く別の目的で,足元の視野制限の影響が検討されています.

吉田啓晃,中山恭秀,安保雅博,樋口貴広.脳卒中片麻痺患者の足元を遮蔽した場合の歩行能力変化-歩行中の視覚-運動制御に関する研究-.臨床理学療法研究28, 51-55.

この論文は,今年の三月まで私の研究室に在籍していた,吉田啓晃氏(東京慈恵会医科大附属第三病院)による報告です.

吉田氏は自身の臨床経験のなかで,身体機能としては十分に歩行ができるまでに回復しているにもかかわらず,なかなか歩行能力が向上しない脳卒中片麻痺者の存在について,その原因を検討していました.その中で,こうした片麻痺者の多くが,歩行時に頚部を過度に屈曲させ,下を向きながら歩いているかもしれない,という考えをもつようになりました.吉田氏は,この考え方の妥当性を検証するため,本研究室と共同で実験をおこないました.

吉田氏の作業仮説は,「一部の片麻痺患者にみられる下を向きながら歩くといった行動特性は,運動機能や感覚機能の低下など身体機能・特性を代償するため視覚情報を利用している」というものでした.すなわち,麻痺によって下肢の位置情報が体性感覚的に知覚できないため,視覚的に代償することを目的として,下向き傾向になると考えました.

もしこの仮説が正しいならば,足元の視覚情報を隠されたときに,視覚的代償ができなくなるため,片麻痺者の歩行に悪影響が生じると予想されます.吉田氏が足元の視野制限をおこなった条件での歩行を調べようとしたのは,この仮説を検証するためでした.

吉田氏は,発症から3ヶ月以上経過して一定の歩行機能を有する片麻痺者27名を対象に,16mの歩行通路をできるだけ早く歩く課題をおこなってもらいました.

その結果,足元視野制限の条件操作は,参加者全体に一定の影響を与えるわけではありませんでした.しかし,麻痺側を隠した場合に歩行速度を下げた人に限定すると,歩行時の体幹動揺量が多くなることがわかりました.

「できるだけ早く歩く」という課題のもとで,歩行速度が下がるというのは,おそらく足元を隠されると歩きにくいからだろうと考えられます.こうした状況で体幹動揺が上昇していることから,少なくとも一部の患者には,吉田氏の仮説は当てはまるのだろうと考えられます.

ただ悩ましいことに,麻痺側を隠した場合に歩行速度を下げた人が,必ずしも麻痺や感覚障害の重症度が高いといった傾向はみられませんでした.吉田氏の考えに基づけば,麻痺の代償のために下を向くわけですから,重症度が高い人ほど悪影響を受けるはずです.おそらく,視覚的代償の機能とは異なる様々な機能が,下を向く現象に関わっているのだろうと感じました.

吉田氏は社会人院生として,研究時間が非常に限定される中,精力的に測定をおこなってくれました.学術的に高い成果を残すことも当然重要ですが,吉田氏のように,自分自身が疑問に思ったことを研究的な手法できちんと数値化して検証したこと自体,大変素晴らしいことだと思っています.

吉田氏が興味を持った問題について真の解答を導き出すには,もう少し時間がかかりそうです.今後も何らかの形で,共同でデータをとっていけたらと考えています.



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