セラピストにむけた情報発信



通り抜けられる隙間の知覚判断:経験に基づく判断精度の向上
Franchak et al. 2010




2010年12月20日

私が主たる研究対象としている行為は,狭い隙間を通り抜ける行為です.通り抜ける行為の動作解析や,通り抜けることのできる隙間の大きさに関する知覚判断を測定することで,身体と環境の関係性が動的に知覚されるプロセスにアプローチしています.

高齢者や中枢性疾患の患者を対象とした研究では,身体と環境の関係性が適切に知覚されていないという報告があります. 関係性の知覚が不適切だと,状況にそぐわない行為が選択される可能性があります.したがって,どのような手段で正確な判断へと導いていくかを考えることは,臨床的観点から重要と思います.

本日ご紹介する論文は,正確な判断へと導くシンプルな方法は,対象となる行為を繰り返すことであるという趣旨の論文です.

Franchak JM et al. Learning by doing: action performance facilitates affordance perception. Vis Res 50, 2758-2765, 2010

この論文はもうすぐVision Researchという雑誌のオンライン版で見ることができます.著者のFranchak氏は,赤ちゃん研究で著名なNew York大学のKaren Adolph女史のお弟子さんです.著者とは2年前に国際生態心理学会のシンポジウムでご一緒した経緯があり,同じくシンポジスト兼オーガナイザーのJeffrey Wagman氏からその存在をご紹介いただきました.

Wagman氏も私も,自分自身の過去の成果が引用されながらの報告であるため,単なる結果の概要だけでなく,自分自身の成果との一致点や不一致点,主張ポイントの厳密な違いなどにアンテナを張りながら,じっくりと読むことになりました.

今回の実験参加者は大学生です.呈示される隙間は20-30cmの非常に狭い隙間でした.したがって参加者は完全に横向きになって隙間を通り抜けることになります.この場合,参加者が判断すべきは,矢状面での身体幅と隙間との関係性であり,肩幅との関係性ではありません.

実験課題は2つありました.1つは実際にこの隙間を通り抜けるという行為課題,もうひとつは通り抜けられるかどうかを遠くから見て判断する知覚判断課題です.参加者を2群に分けて,どちらを先に行うかを操作しました.

実験の結果,先に通り抜ける行為課題を行った群のほうが,知覚判断の成績が良いことがわかりました.また先に通り抜ける行為課題を行った群では,知覚判断の成績が身長,体重,身体幅といった変数と相関が高いこともわかりました.この高い相関は,行為経験を通して,身体情報と環境の情報が関連付けられた成果だと,著者たちは結論付けています.

以上の結果からFranchak氏は,環境に適した行為の知覚判断の精度を高めるには,単純にその行動を繰り返せばよい,と主張しました.


実は私自身が車いす移動を対象として行った研究では,これとは逆の結果を報告しました(Higuchi et al. 2004).

健常者が生まれて初めて車いすに乗って,通り抜けられる隙間の知覚判断のした場合,その正確は不正確であること,また8日間も練習を積み重ねても,その判断は向上しつつも完全に正確とはならないことを示しました.

このような不一致についてFranchak氏は,「Higuchi論文では練習の際に,5cm刻みの幅で隙間提示をしており,もっと細かい幅での差異を経験させることが重要なのではないか」と説明しています.

確かにこうした指摘は正しいかもしれませんので,通り抜けられるスペースぎりぎりの幅を利用して訓練することを,試す価値はあるでしょう.

一方で,全く新しい行動様式に適応するには,わずかな量の経験は知覚判断を変えないだろうと,私自身は確信的に思っています.例えば歩行者が事故等で車いす利用を余儀なくされた場合,その移動の推進手段(すなわち下肢⇒上肢)が劇的に変わります.運動の習熟度によって,同じ環境に対して視線パターンが劇的に異なります(Higuchi et al 2009).

したがって,かなり長期間にわたって障害を持ったスタイルでの歩行に慣れている人の場合には,わずかな直接的経験で知覚判断の精度が向上することもあるかもしれません.しかし,回復の途上にあって歩行スタイルを模索しているような患者さんの場合には,必ずしも効果が期待できないかもしれないと考えています.

いずれにせよ,類似する様々な研究の存在によって,自分の考え方がよりクリアーになるということは非常に喜ばしいことです.こうした研究仲間との交流が,自分の研究のモチベーションを高めるために不可欠であると改めて感じました.

参考文献
Higuchi,T., Cinelli, M. E.., & Patla, A. E. (2009). Gaze behavior during locomotion through apertures: the effect of locomotion forms. Human Movement Science 28, 760-771.

Higuchi, T.,Takada, H., Matsuura, Y., & Imanaka, K. (2004). Visual estimation ofspatial requirements for locomotion in novice wheelchair users. Journal of Experimental Psychology: Applied, 10, 55-66.



(メインページへ戻る)