セラピストにむけた情報発信



急激な視環境の変化に対する高齢者の適応能力(1)



2010年3月25日

日常の歩行環境は変化に満ちています.私たちの中枢神経系はそうした変化に適応的に対応することで,安全な歩行を実現しています.たとえば固い床からカーペット素材の床へと移動するとき,主観的には特に違和感なく同じ歩行を維持しているように思えますが,実際には下肢から入力される体性感覚情報が大きく変化するため,中枢神経系はそうした変化に対応して歩行を微調整しなくてはいけません.

また買い物の途中,地下街に立ち寄ろうとすれば,明るい地上から→地下へと続く暗い階段→人ごみの地下街...のように,視環境が大きく変化します.私たちの姿勢は視覚情報による影響を受けますので,こうした視環境の変化にも適応しなくてはいけません.

高齢者は若齢者に比べて,感覚情報の大きな変化があったときに姿勢動揺が大きくなるため,バランスを崩しやすいという指摘が,古くからあります.今回ご紹介するのは,「エレベータの扉が開くことによる視環境の変化がもたらす姿勢動揺」について,10年ほど前に報告された研究です.

Simoneau et al. 1999 Aging and postural control: postural perturbations caused by changing the visual anchor. J Am Geriatr Soc 47, 235-240.

エレベータに乗車中,私の視線がドアに向けられていることがあります.姿勢制御の観点で見れば,この状況は前方1m前後の 視覚対象に視線を向けていることになるので,安定した姿勢を維持できると期待されます.

ところがエレベータが利用者の目的階についたときには,大きくドアが開き,視覚対象が変化します.この変化に高齢者は弱いかもしれないというのが,研究の着眼点です.こうした着眼点は,彼らが引用した転倒事故調査の結果から生まれています.その調査では,報告された25件のうち19件がエレベータ付近で起きていたと報告しており,ドア開閉時の視環境の変化が原因かもしれないと考えたのです.

実験では実験室にエレベータの室内を模した環境を作り,実験参加者にフォースプレートに乗ってもらいました.実験の結果,平均69歳の高齢者は若齢者に比べて,ドアを開いた後の姿勢動揺が大きいことがわかりました.

個人的には,実験参加者全体の平均的な結果よりも,ドア開閉後に顕著に姿勢が動揺した事例の図が大変印象に残りました.この図では,ある対象者が,ドアが開いた後の4秒の間に,前後左右に大きく姿勢が動いていることを示しています.

この結果だけを受けて「高齢者のエレベータ利用は危ない」と結論付けるのは,やや早計な気もしますが,少なくとも一部の高齢者は,エレベータのドア開閉がもたらす視環境の変化に対応できず,大きくバランスを崩しかねないと言えそうです.高齢者は階段よりもエレベータを利用する機会が多くなると予想されますので,ドア開閉時には手すりを持ったほうがよい,などのアドバイスが必要なのかもしれません.

次回も,急激な視環境の変化に対する高齢者の適応能力についてご紹介したいと思います.


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