セラピストにむけた情報発信



道に迷ってさまよい歩くときの方向感覚(Souman et al. 2009).



2010年1月7日

映画やテレビなどのワンシーンで,森の中を何時間もさまよい歩き,どこか安全な場所へ避難しようと思ったら,結局もとの場所に戻ってきてしまった...というシーンがあります.本日ご紹介する論文は,この逸話的な情景が実際の歩行場面でも起こりうることを実験的に示したものです.森の中やサハラ砂漠の中でさまよい歩くときの歩行経路を,GPSシステムを使って追尾するという超大規模実験であり,新春第1弾のチョイスとしてうってつけの研究といえるかもしれません.

Souman JL et al. Walking straight into circles. Curr Biol 19, 1538-1542, 2009

最初の実験では,6人の実験参加者にドイツの森の中を数時間歩いてもらいました.参加者の目標は,できるだけ直進的に歩行することでした.観察の結果,太陽が見えている時と見えていない時で,歩行経路の直線性が異なることがわかりました.曇りがちで太陽が見えていないときに歩行をした4名の参加者の場合,同じ場所を何度も横切るなど,直線的な歩行経路を維持しにくくなることがわかりました.対照的に,太陽が見えているときに歩行をして2名の参加者は,直線的な歩行経路を描くことができました. 

また別の実験では,3人の実験参加者がサハラ砂漠を歩きました.このうち,夜に砂漠を歩いた参加者の場合,月が見えている時間帯では直線的な経路を描きましたが,月が消えた時間帯では,進行方向を90度変える場合があるなど,直線経路から逸脱するシーンが観察されました.砂漠の場合,森の中と違って進路を妨げられて進行方向を変える必要がないにも関わらず,進行方向が90度かわるというのは,大変驚くべき結果です.

研究全体を通してわかったことは,私たちが主観的に感じる歩行経路の直線性は簡単に歪んでしまうため,外的基準を参照して補正し続けなくてはいけないということです.日常的な歩行場面では,目の前に広がる環境の視覚情報を外的基準として利用し,自分が直線的に歩いているかを知覚できます.しかし,森の中や砂漠の中を歩く場合,目の前の局所的な視覚情報は,歩行経路の直線性を維持する外的基準としては利用できないため,太陽な月の位置など,より大局的な情報が外的基準として利用されることになります.

研究では大規模実験のほかにも,目隠し歩行における歩行経路の直線性を分析することで,同じ場所をさまよい歩いてしまうことの原因を検討しています.本人の意図に反して歩行経路が直線から逸脱してしまう原因としては,たとえば利き足と非利き足の蹴りが微細に異なることや,障害物を避ける際に必ず同一の方向に避ける傾向がある,など様々です.もしこうした要因が影響しているのならば,人によって逸脱の方向性が左右のいずれかに限定されるはずです.しかしこの研究では,同一人物でも歩行経路が左右のどちらに逸脱するかは一定ではないことが示されています.

結局のところ,歩行経路が左右のいずれに偏向するかは,その状況で偶然的に発生した外乱情報によりランダムに決定されると考えるのが妥当なようです.この外乱が連続的に一方向的な歩行経路の逸脱を誘導したとき,同じ場所をぐるぐるさまよい歩く現象をもたらすと考えられます.健常者であっても歩行に関する主観的判断は簡単に歪むことや,状況に応じて多様な環境情報が合目的的な歩行に利用されていることなど,多くの情報が詰まった研究でありました.

なおこの論文は,4月に首都大学東京に赴任された山内潤一郎先生(運動生理学)にご紹介いただきました.ここに付して謝意を表します.



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