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北山研究室の研究成果
研究方針 □ 2021年度研究成果

1.  降伏破壊した鉄筋コンクリート柱梁接合部の軸崩壊機構に関する研究

北山和宏・井上諒・奥野みどり・佐野由宇(明治大学)・村野竜也(明治大学)・晋 沂雄(明治大学)

 建物の崩壊は軸力支持能力の喪失によって生じる.軸力を支持するのは主として柱であり,一本の柱は層間の内法部分とその上下の柱梁接合部とに分けられる.地震動を受ける鉄筋コンクリート(RC)建物の崩壊は,日本では柱内法領域のせん断破壊や柱頭・柱脚の曲げ破壊による層崩壊によってもたらされることが多かった.しかし国外では,柱梁接合部が柱軸力を保持できずに建物の崩壊を招いた例が多々存在する(例えばMoehle 2003,Park・Mosalam 2013).国外の事例では,柱梁接合部に横補強筋が配筋されない,あるいは柱断面が小さい等の構造設計法の抱える問題を指摘でき,日本とは事情を異にすると見られてきた.

 ところが2016年の熊本地震によって,5階建てRC庁舎が外構面の柱梁接合部の軸崩壊によってほぼ倒壊するという被害(向井 2016)が日本でも出現した.このRC庁舎は旧耐震設計基準に基づいて設計されたが,柱梁接合部が降伏破壊した後にその軸崩壊が生じたと推定される(斎藤・向井・塩原 2018).

 そこで, RC骨組内の柱梁接合部が地震動によって降伏破壊した後に軸崩壊する過程を静的載荷実験によって追跡し,軸崩壊に至る変形性能および水平耐力の保持性能を詳細に検討する.また,柱梁接合部の降伏破壊から軸崩壊に至る力学モデルを作成して,柱梁接合部が降伏破壊後に軸崩壊するときの骨組の限界変形を定量的に評価する手法を提示することを目標とする.そのために以下のような検討を行った.

(1) 柱梁接合部を通し配筋される柱主筋の座屈挙動(明大M2佐野由宇/明大M1村野竜也のAIJ梗概)

互いに直交する二本の梁が柱に貫入する隅柱梁接合部では,梁の取り付かない側に配筋された柱主筋が柱梁接合部内で座屈することによって柱梁接合部の軸崩壊が惹起されることが分かっている.そこでこれまでに実施した立体隅柱梁部分骨組の三方向加力実験の結果を用いて,柱主筋の座屈発生時期を柱主筋ひずみの測定値から判断し,その座屈長さを特定した.また座屈発生時における柱主筋の圧縮ひずみを加藤大介(新潟大学教授)の提案手法(1992)を準用して評価し,実験による測定値を適切に評価できる場合があることを指摘した.

(2) 柱梁接合部の軸崩壊直前における変形機構の検討(明大M2佐野由宇)

 降伏破壊を生じた隅柱梁接合部に圧縮軸力が加わると柱梁接合部の損傷進展にともなって下柱に対する上柱の相対回転角が増大し,接合部出隅部のコンクリートが圧壊したのちに「く」の字状に折れ曲がる軸崩壊に至ることが,これまでの検討によって分かっている.そこで軸崩壊直前の柱梁接合部の変形機構を提案し,実験結果と比較した.具体には,楠原・塩原による接合部降伏破壊時の変形機構を参照して,力の釣り合い条件および柱梁接合部の隅部コンクリートが圧壊するときの変形の適合条件を考慮したマクロ・モデルを作成した.この際に上記(1)で評価した柱主筋の座屈長さおよび座屈時圧縮ひずみを使用した.このモデルによる変形機構から算出した下柱に対する上柱の相対回転角(1.8%から4.6%)は実験によって測定したそれの急増地点とほぼ対応した.また軸崩壊直前に生じる接合部コンクリートの圧壊時期をおおむね推定できた.なお,二方向水平力を考慮した変形機構への展開は今後の検討課題である.

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(3) 熊本地震で崩壊したRC建物の接合部降伏破壊と軸崩壊に関する検討(B4奥野みどり、明大M1村野竜也/M1井上諒のAIJ大会梗概)

 熊本地震(2016年)によって5階建てRC庁舎が外構面の柱梁接合部の軸崩壊によってほぼ倒壊するという被害を受けた(向井 2016,斎藤・向井・塩原 2018,建築研究所 2021).当該建物(旧基準によって設計されて1965年に竣工)は2×2スパン(梁スパン:8.91m)の純フレーム構造である.熊本地震による損傷は4階以上に集中し,特に4階側柱の柱頭・柱脚に接続する柱梁接合部が大破してその柱が面外に脱落し,建物が部分的に崩壊した.この4階側柱の断面は650mm×700mmであり,柱主筋は4-D22+8-D19(全主筋比pg:0.84%)であった.

 ここで軸崩壊したのは互いに直交する三本の梁が貫入する側柱梁接合部であったが,この形態の柱梁接合部について接合部降伏破壊後の軸崩壊を検討した研究は存在しない.そこでこの建物を対象として二方向水平力および各層の梁せん断力の総和として生じる柱変動軸力を考慮して側柱梁部分骨組の崩壊形を計算によって検討した.

 二方向水平力を受けるときに,柱梁接合部の降伏破壊耐力および梁の曲げ終局耐力それぞれの破壊曲面を楕円および矩形として描いた二軸相関曲線から,当該柱梁接合部の降伏破壊は構面主軸の一方向水平加力時ではなく二方向水平加力時に発生した可能性が高いと判断した.二方向水平加力時の強度低下率(梁曲げ終局耐力に対する接合部降伏破壊耐力の比)が1を下回った場合(すなわち計算上は接合部降伏破壊が先行すると考えられた場合)においても,柱梁曲げ耐力比が1.4以上では地震時に接合部降伏破壊に至らなかった側柱梁接合部が存在した.実際の地震動による二方向水平力および柱の変動軸力が側柱梁接合部の降伏破壊およびその後の軸崩壊に与えた影響については今後,当該建物の三方向地震応答解析等によって検討することが必要である.

(4) 降伏破壊後に軸崩壊するRC柱梁接合部の三方向加力実験の計画(明大M1村野竜也/M1井上諒)

 上記(3)で示したような三本の梁が貫入する側柱梁接合部の降伏破壊後の軸崩壊を三方向加力実験によって検討した研究は存在しない.そこで側柱梁部分架構試験体に三方向加力して接合部降伏破壊から軸崩壊に至る実験を計画した.上記(3)で示した実建物の側柱梁接合部で予測された破壊機構と同一になるように側柱梁部分架構試験体の配筋を調整した.すなわち,一方向水平加力時には梁曲げ降伏が先行するが,二方向水平加力時には接合部降伏破壊が生じるように計画した.なお既往の隅柱梁部分架構実験との比較を容易にするために,柱断面(310mm角の正方形),梁断面(幅250mm,せい400mm),梁スパンおよび柱の階高は共通とした.実験変数は接合部横補強筋の配筋(2-D6三組および2-D4六組),柱主筋の配筋(8-D16および8-D13)および貫入する梁の本数(三本[側柱梁部分架構]および二本[隅柱梁部分架構])である.

 2021年度には設計した試験体四体を作製した.コンクリートの四週圧縮強度は60MPaであった.これらの試験体を用いた三方向加力実験は2022年度に実施する予定である.


2. 黎明期の鉄筋コンクリート構造を建物構築に受容する期間が日本および西洋で異なる事由

北山和宏

 鉄筋コンクリート(RC)構造は19世紀半ばにフランスで発明され,次第に西洋諸国に知られて行った.鉄筋コンクリートによって柱や梁を作る方法は,例えばフランスのフランソワ・アンネビック(F. Hennebique)が1890年代に考案した.世界で最初に全体をRCで造った建物は,フランスのオーギュスト・ペレ(Auguste Perret)が設計して1904年に竣工したフランクリン街のアパートと言われる.一方,日本では1905(明治38)年に佐世保鎮守府港内の潜水器具庫(真島健三郎設計)が鉄筋コンクリートの柱梁骨組構造で造られ,遠藤於菟が設計して1911(明治44)年に竣工した三井物産一号館が建物全体をRC造とした最初の建物として日本の建築学界では認知される.

 すなわち鉄筋コンクリート構造を用いて建物を作った時期は西洋と日本とでほぼ同じ時期だったことになるが,これはなぜだろうか.鉄筋コンクリート構造が19世紀半ばに西欧で発明されてから西洋人がそれを建物に適用するまでに五十年程度の時間を要した.このように鉄筋コンクリート建物の受容までの期間に西洋と日本とで長短があった理由として,彼我の伝統的な建物の構成手法が異なったことが挙げられるのではないか.西洋の建物は石や煉瓦を積み上げることで壁体を造って空間を構成することが多いのに対して,日本では木材による柱と梁とで骨組を構成して建物を作ってきた.そのため日本では柱や梁に馴染みがあり,それを他の材料(すなわち鉄筋コンクリート)に代替することには抵抗がなかったと考える.そのような下地があったところに,1906年のサンフランシスコ地震での建物被害を調査した佐野利器が鉄筋コンクリート構造の耐震性の優位を唱えたことで,日本での鉄筋コンクリート建物の誕生が加速された.

 これを要するに,それぞれの風土に根ざした建物の構造形式の違いが,西洋では鉄筋コンクリートの導入を制約し,日本では逆にそれを促進した,というのがここで提示した仮説である.この仮説の妥当性について今後,検討してゆきたい.

 


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