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1.2 宇都宮二年め

 宇大での生活も2年目になると卒論生が二人ついた。高橋智康くん(現清水建設)と白木宏くんである。また広島工大から大学院に進学した江藤啓二くんもRCを研究したい、ということで私と一緒に研究することになった。

 この年には、高強度材料を用いたRC立体柱梁接合部試験体を東戸塚にある大成建設技術研究所で作製した。当時、技研におられた伊藤勝さん(故人)のお世話になった。伊藤さんはかつて梅村研の助手をされていた方で、とても豪快かつおっかない先輩であったが、とても後輩思いのかたでもあった。私が「伊藤先生」とお呼びすると、「俺は先生じゃないから、先生って呼ぶな」と叱られたことを思い出す。

 毎朝、大成技研に通勤(?)してゆくと、技研のはしっこにあったテニスコートから河村壮一さん(青研の先輩で、現在は技術研究所長)がラケットをもって颯爽と出て来られたりした。昼ご飯は大成建設社員の皆さんと社員食堂でいただき、三時の休憩には福丸の皆さんとレモンジュースを飲んだりした。小林淳さん(現秋田県立大学教授)とお酒を飲んだのもこの頃である。とにかくどこへ行っても、先輩方によく面倒を見ていただいた。ことあるごとに書いてきたように、本当に先輩はありがたいものである。


 写真 大成建設技研でのコンクリート打設 中央の背が高いのが高橋智康君、そのうしろ左隣が白木宏君

 宇大の学生さんたちともよく遊んだ。車で日光に行ったり、冬にはハンターマウンテン(塩原にあるスキー場のこと)に行ったりした。チェーンを履いて雪道を走るようになったのはこの頃であるが、何せ慣れない雪道なのでトロトロ走っていたが、それでもときどき車のお尻が振れたりするとドキッとした(ホンダ・プレリュードはFFだったので、チェーンは前輪に取り付けた)。

 ハンターマウンテンにもうすぐ到着、というところまできて、スキー場への枝道に右折するためにハンドルを右に切った瞬間に、テールがすーっと流れてそのまま車が横滑りして、道路の左側の雪壁にぶつかってやっと止まった、ということがあった。幸い対向車もなく、左側が崖でもなかったために大事に至らずに済んだが、本当に危ないところだった。このときは江藤君が助手席に乗っていたが、車が制御不能になったあいだ(ほんの5、6秒くらいの出来事だったと思うが)は不思議な静寂が車中を支配した。それくらい、恐ろしかったのである。

 また研究室で過ごしていたある晩、みんなで川治温泉に行ってビールを飲もう、ということになった。そこで真夜中に構造研の宮木聡くん、植田静喜くん、設備研の山田裕巳くんとで車で出掛けて、川治の公共露天風呂に浸かりながらビールを飲んで帰ってきた。田中先生の教授室(ここには立派なソファがおいてあって居心地がよかった)で、大勢の学生たちと夜通し飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎをして、翌朝野俣さんにこっぴどく怒られたこともあった。

 実験は例によって青研の地下二階実験室で行った。毎週月曜日には構造力学演習があるので、月曜日は宇大にいて、翌火曜日に高橋君と白木君とを私の車に乗せて、東大に向かうのである。朝4時半出発で、6時半から7時くらいに本郷に着いただろうか。途中のコンビニで朝ご飯を買って、7階のソファに座って食べたものである。秋から冬にかけてだったので、朝4時半は相当に寒かった。とにかく若かったから出来た芸当であろう。学生諸君もよくもまあ、ついて来てくれたという感じで、本当に感謝している。

 この年には、初めて申請した文部省・科学研究費補助金の奨励研究(A)が見事に採択された。正直、嬉しかった(もっとも現在でも、新規申請の課題が採択されたときにはとても嬉しいことに変わりはないが)。「高強度コンクリートと高強度鉄筋との付着特性に関する実験的研究」という、今思えばあまり魅力的とも言えないタイトルであったが、師匠の田才晃先生のご指導の賜物だろうか、採択していただいた。

 ただしその後しばらくは、申請すれども採択されずという冬の時代を迎えることになり、なかなかにつらい思いをした。この研究での試験体は、京大・藤井栄先生のオリジナリティ溢れる実験に大いに刺激を受けて、柱梁接合部パネルを縦に輪切りにしたような形状であった。加力の際には柱主筋をピン支持して、梁主筋をジャッキで単調に引張る、という載荷方式を採用した(1.3節の写真参照)。

 試験体の配筋および型枠作製は戸田橋の大成建設PC作業所で行ったが、このときには江藤君に手伝って貰った。コンクリート打設は東大1号館のコンクリート実験室で行い、高強度コンクリートの調合および練り混ぜは東大友沢研助手だった野口貴文くん(同級生、現在は東大准教授)にお願いした。このとき、友沢研の大学院生だった小野山貫造さんにも手伝って貰った。彼はその後、本学の山本研究室の助手となってやって来たが、若くして亡くなったのは大変に残念なことであった。このコンクリート打設のお礼に、材料研究室の排水溝を田才さんと一緒に掃除したのが今となってはよい思い出である。


  写真 戸田橋の大成建設PC作業所にて パネル試験体の作製 江藤啓二君と

 この年には構造研の卒論生として伴幸雄くんもいた。彼は卒業して矢作建設工業に就職したが、その後、矢作建設が開発した耐震補強工法「ピタコラム」の開発・設計担当となり、私とはいろいろなところで顔を合わせることになった。私が都立大学に移って、矢作建設の古田智基くん(現バンドー化学)といっしょにサ形部分骨組実験を行った際には、加力の助っ人として大学に来てくれたりもした。



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