トップページ > 北山研ヒストリー> 宇都宮時代 一年め

1. 宇都宮時代

 皆さんは宇都宮というところをご存知だろうか。かく言う私も宇都宮大学に赴任するまでは、行ったことがなかった。関東地方は一都六県から成り立つが、最北の栃木県の県庁所在地が宇都宮である。東北新幹線が通っており、東京・上野から最速で45分くらいで宇都宮に到着する。また当時、国家公務員の寒冷地手当が支給される最南端が宇都宮であったらしい。

 宇都宮の北には日光があり、冬には男体山から吹き下ろす寒風(男体おろし)のせいで、とても寒かった。私は木造二階建てのアパートに住んだが、冬になると水道が凍結して、朝には水が出ない、ということがしばしばあった。現在は餃子の街で有名になったが当時はそんなものはなく、栃木の食べ物と言えばイチゴの「とちおとめ」と保存食の「しもつかれ」くらいであった。JR宇都宮駅から宇都宮大学へは基本的にはバスで行くが、急いでいるときや夜遅くにはタクシーを利用した。

 東京から直ぐのところにあるのに、宇都宮には北関東らしい方言があった。例えば後ろのことを「うら」と言う。車の後部座席に乗ることを「車のうらに乗ってくれ」と言われて、「えっ、車のうらってどこですか?」なんて頓珍漢な会話をしたことを思い出す。宇都宮大学は小なりといえども地元の期待を担った国立大学であったから、そこの教員をしているというだけで、宇都宮の街ではそこそこに尊敬してくれた。と言っても、私が受けた恩恵は、飲み屋でおまけの肴を付けてもらったとか、ビールを一杯御馳走してもらったとか、ささやかなものではあったが。

 宇都宮大学工学部キャンパスの回りには食べ物屋がほとんどなくて、昼は大学生協で学生さん達と混じって食事したが、夜になると生協も閉まってしまい、わずかにあるお店に行くと、小一時間くらい待たされるということがザラであった。そういう訳で学生さんに車でいろいろなお店に連れて行ってもらった。一番美味しかったのはトンカツの「とんき」だったかなあ。ここには田中淳夫先生ともよく行ったものである。

 宇都宮は県庁所在地とはいえ、意外と小さい街だったようだ。どこで何を食べたか、かならず見てる奴がいるもので、「先生、きのう田中先生と○○(お店の名前)で天ぷら食べてたでしょう」なんて学生から言われてびっくりしたことも何度もあった。また、私は横浜ナンバーの真っ赤なクーペ(ホンダのプレリュードという当時流行った軟派車)に乗っており、これが相当に目立ったみたいで、どこそこで見かけたとよく学生に言われたものである。これじゃ悪いことはできないなあ、と身に沁みて感じました。


1.1 宇都宮一年め

 1988年4月、私は宇都宮大学(以降、宇大と略す)の工学部建設学科建築学コース助手として赴任した。それまで私は東京しか知らなかったが、大学院博士課程を中退して関東北部の宇都宮に移ったのである。建設学科は建築と土木とが文部省の方針に沿って一緒になった学科であり理想は高邁だったのだろうが、似て非なる二つの学科を無理矢理に合体した代物であったので、内実は問題が山積していた。

 そのなかの建築学コースには4つの研究室(計画、構造、材料および設備)があり、各研究室に教授、助教授、助手、技官が1名ずついるという、国立大学の学科としては最小単位の構成であった。私がお世話になることになったのは構造研究室であり、教授は田中淳夫先生(鉄骨構造)、助教授は入江康隆先生(振動学)、技官は野俣善則さんであった。田中先生は東大から大成建設の技研に進み、そこで長くご研究されていたが、私が赴任する2年ほど前に教授として宇大に着任していた。入江先生は宇大建築工学科創設以来のメンバーであり、名古屋工業大学から東大地震研究所大沢研究室へと進み、そこで博士号を取得した方である。このように宇大構造研は東大系だったので、教授とも助教授とも異なる専門分野であるRCを研究する私が呼ばれたものであろう。

 さて着任の日(4月1日である)、私は横浜の自宅を朝早く車で出発して、午前8時くらいには宇大工学部の駐車場に着いた。しかし研究室の鍵も持っていないし、知り合いもいないので、野俣さんが出勤するのをそこで待った。

 宇大に着任したその晩、4つの研究室のM2の院生諸君が飲み屋で私の歓迎会を開いてくれた。構造研の井伏君、設備研の吉田君、材料研の田辺君、計画研の小松君などである。彼らとは年齢もそんなに違わなかったこともあって、とても嬉しかったし、楽しかった。東大のように大きな大学にいると、他の分野の大学院生とはほとんど交流が無い。しかし宇大は小所帯なので、分野による垣根は全くと言っていいほどなかった。このようなことに当時は結構驚いたものである。こうして多分野にまたがって宇大生と知り合いになったが、彼らが一様に朴訥かつ純真であることにやがて気がついた。これは地方の弱小(失礼!)国立大学の美点のひとつであろう。まさに愛すべき学生たち、である。

 宇大構造研では、田中淳夫先生のご方針であったのであろう、一人前の教員かつ研究者として遇していただいた。その端的な例は私の研究に卒論生を付けて下さったことであろう。私は博士課程2年で中退したこともあり、論文博士として博士論文を執筆することが喫緊の課題であった。そのため宇大に赴任しても、RC柱梁部分架構の実験を東大で行う必要があった。

 私が赴任した1988年度には構造研には3名の卒論生が配属になっていたが、そのうちのひとり、小嶋千洋くん(現東海興業)が私とともにRC柱梁接合部の研究を行うことになった。こうして彼とともに宇大での研究が始まった。このときには立体試験体3体と平面試験体1体とを作製して実験した。試験体の作製は相模原にあった東急工建のPC工場にお願いした。ときどき青研の後輩が手伝いに来てくれたほかは、基本的に二人だけでゲージ貼りから鉄筋の組み立てまで行ったので、とても大変であった。

 PC工場の片隅をお借りしてゲージ貼りをしたのだが、そこは水はけが悪くてじめじめしており、雨が降るとすぐに水浸しになったので、あわてて鉄筋をバタ角のうえに引き上げたりした。小嶋くんは寡黙でほとんどしゃべらない学生だったが、あるとき家から(彼の実家は横浜市にあった)座布団を2枚もって来て、そのうちのひとつを「先生、使って下さい」と言って渡してくれたときには、とても嬉しかったしビックリもした。彼と私とは年齢はそんなに違わなかったし、私自身が自分を「先生」とは思ってもいなかったからである。

 夏の暑い盛りに苦労して試験体のコンクリート打ちが終わったとき、二人きりで橋本の飲み屋で祝杯を上げたことを今でも昨日のことのように憶えている。ちなみにこれは、都立大学が南大沢に移転する3年前の話しである。このとき、京王相模原線のRC造の高架が既に出来上がっていて、東急工建の倉地さんが「もうすぐ鉄道が開通するんですよ」と言っていたのを他人事のように聞いたことを思い出す。しかし、まさか自分自身が4年後にこの電車に乗って橋本から南大沢へ通勤するようになるとは、神ならぬ身では知る由もない。


東急工建・相模原工場にて 作業をする小島千洋くん(1988)


東急工建・相模原工場にて コンクリート打設 右端の後ろ向きの人は東大・細川洋治先生(1988)

 このように基本的には好き勝手に研究をさせていただいた。先生方の授業のお手伝いとしては、構造力学演習と設計製図(主としてコピー)とを担当した。構造力学演習は、静定構造と材料力学との問題を私が作って学生さんにやらせて、その答案を添削して返却するというスタイルであった。しかし初めの頃には、解けない問題を出題してしまったり、難しすぎる問題を作ったりして、冷や汗をかいたこともあった(そんな突発事態が発生したときには、黒板の前でいかに取り繕うかということに腐心した)。

 またモールの円については、その詳細を入江先生からご教授いただき、その後の自分自身の研究にも大いに役立った。そんな訳でしばらくは勉強しながら出題する、という自転車操業だった。赴任した当時は20代後半でまだ学生然としていたせいだろうか、学生さんが教室で私に質問するときに、レストランのボーイを呼ぶように手をヒラヒラさせて「せんせーい、しつもーん」と言うのには本当に参った。

 宇大の材料研には助手として橘高義典さんがいた。私はここで初めてお会いしたのであるが、彼は結婚するとのことで下宿を引き払うことになり、私は下宿探しが面倒なこともあって橘高さんの出て行った部屋に入ることにした。そして彼から冷蔵庫と洗濯機とを譲ってもらった。

 彼はピアノが趣味であり、宇大・建築工学科の歌を作曲した(シンプルだがなかなかよい曲である/「しもーつ〜けの、きぬの〜なが〜れーよー」という歌詞)。その歌はいろいろな行事の際には学生たちとともに歌われ、愛されていた。私はその後、宇大を去って千葉大学経由で東京都立大学に赴任したが、しばらくして橘高さんが都立大学に着任したときには本当に驚いた。「また、会いましたね」ってな感じであった。ちなみに7階の私の研究室においてある冷蔵庫は、彼から貰ったそれである。

 また、このアパートの私の隣人は土木・コンクリート工学の佐藤良一先生(当時は助教授、その後広島大学教授)であった。当時の佐藤先生は奇人としての聞こえが高く(失礼ですな)、独身であった。よくジョギングに出掛けていたようだったが、アパートで顔を会わせたことはほとんどなく、私が大晦日に引越すときに挨拶に伺ったときも宇大の学生さんが出て来て、「先生は酔っぱらって寝ています」とのことで、結局別れの挨拶もしなかった。

2015年2月20日 写真を追加しました(こちらをどうぞ)



Copyright (C) 2009-2015 KITAYAMA-LAB. All Rights Reserved.