トップページ > 北山研ヒストリー> 北山研での研究:2004年

 この年は、修士課程の進学者も卒論の履修者もともに不在という、北山研究室始まって以来の危機に瀕した。あまりよく憶えていないのだが、卒論生として2、3名は配属になったような気がする(ノートを見ると、中島徹也くんというB類5年の卒論生がいたようだ)。しかしそれらのひとは次々と辞めていって、そして誰もいなくなった、に立ち至った。彼らはみな行くところが無くなって、やむなく私のところに配属されただけだったから、いずれにせよ人気のない状況は続いていたことになる。

 この年10月、田島祐之さんが鴻池組を辞めて大学院博士課程入学の準備を開始した。それに伴って、研究室にも顔を出すようになった。田島さんから相談を受けたとき、せっかくの職を投げ打ってたとえ博士を取得できたとしても、その先の再就職のことを考えると楽観できないことを縷々説明した。それでも勉強したい、という強い希望と熱意とが彼にはあったので、それならやってみましょう、ということになった。

 前述のようにこの年は例年にも増して人手不足だったので、田島さんには舛田くんの実験を手伝って貰うと同時に、西川先生を研究代表者とする科学研究費補助金による研究(後述)を担当するように依頼した。こうして田島さんの博士論文のテーマとして、PC構造を扱うことが決定したのである。まず手始めに梁降伏先行型のPRC十字形柱梁部分骨組試験体の設計に取り組んでもらった。

 なお公募選考によって、岸田慎司助手が自身の母校である芝浦工業大学建築学科の助教授に採用され、2004年度末に東京都立大学を退職した。これで北山研究室に在籍した歴代助手三名(李祥浩、小山明男および岸田慎司の各氏)はいずれも母校のファカアルティ・スタッフとして迎えられたことになる。これは私にとっても非常に嬉しいことであったし、責任を果たせたと自負してもいる。

 ただ岸田さん以降、今に至るまで新しい助手(現在は助教)さんを採ることができないことはちょっと辛いですな。特に我が社では実験を主体として研究活動を行っているので、実際に実験をするときに統括・監督してくれるスタッフがいないのは手痛い打撃であった。しかし、2005年4月に新大学となって以来大リストラが進行していることを考えれば、新規の助教の採用などは見果てぬ夢、ということであろう(2012年3月現在/2012年4月に遠藤俊貴助教が着任した。ただし彼は限定した研究室に所属する訳ではない)。

 2004年度のスタッフは以下の通りである。

助手 岸田 慎司(きしだ しんじ)
D6 森田 真司(もりた しんじ)
M2 佐藤 照祥(さとう てるよし)
   舛田 尚之(ますだ たかのぶ)
M1 在籍せず
卒論 履修者なし

 この年10月に新潟県中越地震が発生した。そのときはちょうど高校のときのクラス会に参加して飲み屋でダベっていたのだが、隣に坐った尾身朝子さんが携帯で情報をゲットして地震のことを教えてくれた。

 この地震では東京電力の柏崎刈羽発電所に被害が発生したのだが、今思えば(2012年4月末)これが原発へのケチの付け始めだったことが分かる。耐震補強された学校校舎に被害が生じたのもこのときが最初だったと思うが、森田さんにそのような事例を調べてもらった。ただ私を含めて研究室として被害調査に行くまではしなかった。

 この年11月に森田真司さんが執筆した査読付き論文が日本建築学会の構造系論文集に掲載され、本学大学院・建築学専攻の博士授与の内規をクリアした。あわせて博士論文の執筆も進み、2004年度末にめでたく博士(工学)の学位を授与することができた。2月中旬に開いた博士論文公聴会には三十名近い参加者を得た。特に学外からは寺岡さん(当時フジタ技研)、白都さん(東急建設技研)、永井さん(鹿島技研)、小坂さん(大成建設技研/北山研OB)などがわざわざおいで下さった。森田さんはその後も深尾精一先生をリーダーとするCOEプログラムのもとで、研究員としてしばらくは大学に残ることになった。

 森田さんの博士論文のタイトルは『鉄筋コンクリート造柱梁接合部のせん断破壊機構に関する研究』であり、審査委員は北山助教授(主査)、西川孝夫教授および芳村学教授(ともに副査)の三名であった。彼の学位論文審査のときに私が執筆した審査の要旨の末尾の部分は以下の通りである。

「以上のように本論文は、現在も論争が続いている鉄筋コンクリート柱梁接合部の破壊機構について、実験結果の詳細な分析に基づいて接合部内コンクリートの破壊に伴う体積膨張を考慮する必要性を指摘するとともに、新しく提案した方法によって算定した入力せん断力を用いると、柱梁接合部の破壊と主筋に沿った付着劣化との関連性や骨組の保有水平耐力の推移との関係性を首尾一貫して説明できることを示した点で、有用な知見を与えるものである。これらの成果は地震時の鉄筋コンクリート柱梁接合部のせん断破壊を防止するためのより有効な耐震設計法を提案するために大いに貢献すると期待される。

 よって本学位申請論文は建築構造学の発展に寄与するところが大きいと判断されるので、博士(工学)の学位を授与するのに充分値するものと認める。」(転載終わり)

 当時の私の研究室内部の様子を載せておく。タワー型のPower Macintoshが2台あって、窓脇の据え置き型エアコンの上にはNEC9801が乗っていた。この98(キュウーハチと読みます)はまだ動いたが、その上のCRTにはテレビ・チューナーが内蔵されていたことから、主としてテレビ視聴用に残していたように思う。このテレビで福知山線の脱線事故をリアルタイムで見た記憶がある。研究室の什器類の配置などは今と同じであることが分かる。

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 写真 2004年当時の北山の研究室

1. 西川先生の科研費が採択される

 西川孝夫先生を研究代表者とする科学研究費補助金(基盤研究B)がめでたく採択された。研究課題名は「RCおよびPC構造骨組の柱梁接合部の破壊機構を統一的に評価する試み」である。我ながら上手いネーミングだったと今でも自画自賛している。金額は2004年度が790万円、2005年度は440万円だった。西川先生をヘッドとして申請した科研費はここ数年、幸いにも採択され続けた。さすがに西川先生のビッグ・ネームが効いたようである。研究テーマも北山研主流のRC(あるいはPC)柱梁接合部関連であったので、大いに助かった。

 折に触れ書いてきたが、RC柱梁接合部のせん断抵抗機構を理解するにあたっては、PC柱梁接合部のそれを把握して理解することが大いに役立った。東大の塩原等先生の独創的な接合部曲げ破壊理論はもちろん承知しているが、北山研究室で長年研究してきた内容も間違っているとは思わない。接合部パネル内をせん断力が流れていることは当然の理であり、その伝達機構を解明したいという欲求も自然である。

 こうしてPRC柱梁接合部試験体を用いた実験研究が継続的に実施できるようになった。その研究成果はのちに田島祐之さんの博士論文として結実することになる。

 なおこの頃から柱梁接合部パネルの性能だけでなく、PRC骨組内の梁部材の性能評価についても研究しようと考え始めた。これは日本建築学会内のPC中塚委員会での活発な議論に刺激を受けたためであろう。梁主筋やPC鋼材が柱梁接合部内でスリップする状況において、PRC梁部材の等価粘性減衰定数を評価する方法の試案(アイディア)を作成したのはこの頃である。すなわち、RC梁主筋の付着指標BIとPC鋼材の付着指標BI,ptの両方の組み合わせによって等価粘性減衰定数を評価しようとするもので、これものちに田島祐之さんが博士論文として完成させてくれた。

2. PCaPC立体および平面柱梁部分架構実験の実施

 前年末から舛田君に検討を依頼していたプレキャスト・プレストレスト・コンクリート(PCaPC)造の立体および平面柱梁接合部試験体を用いた実験を実施した。柱・梁部材をプレキャストで製作して、その後に梁部材と柱部材とを通したPC鋼棒を緊張することによって一体化した骨組とする、という工法である。

 PC鋼棒の緊張作業は専門的なノウハウを必要とするのでPS三菱の浜田公也さんにお願いした。梁断面のPC鋼棒の配置は上下対称ではなかったせいで、張力を導入した際には梁にたわみが生じた。弾性理論による計算ではたわみは1.8 mmであったが、実測では約2 mmとなり、理論と実際とがほぼ一致するという貴重な経験もした。

 実験は7月下旬から始まった。途中にカナダ・バンクーバーで開催された13WCEEに出席したりしたので実験に時間がかかり、10月中旬まで実験していたようだ。

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異形PC鋼棒を挿入する舛田くん(重いです!) PC鋼棒への張力導入(左から三番目が浜田部長)

 どんな実験でも、何事もなくすんなりとゆくということはないもので、ご多分に漏れずこのシリーズでもトラブルが出来した。パソコンのHD内の立体十字形試験体の測定データの上に誤って次の試験体のデータを上書きしてしまい、まえの試験体のデジタル・データが丸ごと消失してしまったのである。信じられないような初歩的なミスだった。バックアップを取っておけば何ともないことだったのに、それをしていなかった。

 この報告を舛田くんから受けたときには、何やってんだあと激怒したはずである。すぐにHD内のデータ救出作業を専門業者に依頼したが、残念ながら復活できなかった。結局、この試験体については図としての層間変位—層せん断力関係くらいしか残っておらず、詳細な検討は断念せざるを得なかった。ちなみにこれと同じ試験体は、のちに芝浦工大・岸田慎司研究室によって再実験されることになる。

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 写真 実験参加メンバー(左から田島、舛田、北山、岸田)

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      試験体P1            試験体P4(アンボンド)

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      試験体P2              試験体P3


3. 13WCEEに参加する


 この年の8月上旬に、第13回世界地震工学会議(13WCEE)に出席するためにカナダ・バンクーバーに出かけた。前回の12WCEE(ニュージーランド)では、アブストラクト審査で初めて落とされて参加できなかったので、8年ぶりの参加ということになる。参加者は北山、岸田、森田の三人である。例によってポスター・セッションだったので、ポスターを作って持って行ったが、今回は博士課程在籍の森田真司さんも一緒だったので、彼に運んでもらって楽ができた。

 なお東京都立大学の建築学科からは西川孝夫先生、芳村学先生、橘高義典先生、見波進さんなどが13WCEEに出席した。

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 会場となったコンベンション・センター バンクーバーで見かけた工事現場

 ポスター・セッションの会場では多くの方とお会いした。そのなかでも師匠の小谷俊介先生が我々のポスターをご覧になって、批評されたことが痛烈な印象となって残っている(研究ノートにも書いてあった/2004年8月4日付け)。このころにはRC柱梁接合部の破壊に関する塩原理論が既に世に出ていたので、それを踏まえてのご発言であろう。師曰く、「接合部の入力せん断力を求めるだけではなくて、例えば接合部中央でのコンクリート圧縮力の重複とせん断抵抗機構との関係を明らかにするなど、せん断力の伝達について言及しないと意味はないよ」と。

 いやあ、例によって大変に厳しいコメントでありましたな。一緒に伺っていた岸田慎司さんと思わず顔を見合わせて唖然としたくらいである。でも仰ることは至極ごもっともであったので、ぐうの音も出ずに拝聴したのであった。コメントが終わると嵐の如く去って行かれたのは言うまでもない。
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 批評される小谷俊介先生        森田さんのパネルの前で

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 岸田さんのパネルの前で      北山のパネルの前で(左は前田匡樹先生)

 外国での国際会議に出席すると、出身研究室のOBが集まって飲み食いする親睦会がだいたい開かれるのが常である。バンクーバー在住の李康寧さん(骨組解析プログラムCANNY— 市販プログラム名はSNAP —の製作者として名高い)とも再会した。数葉の写真を以下に載せておくが、錚々たる顔ぶれが写っていますな。外国では常に英会話のストレスに直面しているが、このような会ではさすがに日本語で話してよいので、ホッとします。でもまあ相手は日本を代表するような偉い先生ばかりなので、その点ではやっぱり気は抜けませんけど。

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 泊まったホテルの部屋        青山・小谷研OB会の会場からの眺め

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 青山・小谷研OB親睦会にて


4. RC接合部実験の結果の整理と分析

 2003年度に森山健作くんが実施したRC柱梁接合部実験については、基本的なデータ整理が済んでいなかったため、2004年度には私と岸田さんとで実験データの整理と分析とを行うことにした。また柱梁接合部内の梁主筋に設けた溶接フシの付着性能を把握するための付着引き抜き実験を、岸田さん、森田さん、舛田くんとともに実施した。

 この引き抜き実験の結果は、岸田慎司さんが2004年7月の研究室会議で速報してくれ、それに対して特別ゲストとして出席して下さった永井覚さん(鹿島技研)がいろいろとコメントしてくれたことがノートに残っていた。

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 鉄筋の付着引き抜き実験の様子    溶接フシのある試験体の破壊状況
(左のお尻だけはたぶん岸田さん、森田君、舛田君)

 試験体は平面柱梁接合部4体(十字形が3体、ト形が1体)および立体柱梁接合部3体の合計7体であったが、このうち論文として翌年に世の中に出たのは4体だけであり、残りの3体については未だに発表できずにいる。相当に勿体ない話ではあり、情けない内情を暴露するようなものでもあるが、今でもときどきそのデータを眺めたり、森山君の残したエクセル・ファイルを触ったりはしている。

 特に基準となる平面試験体MP1、梁主筋および柱主筋ともに接合部内付着を絶縁した試験体MP2、および梁せいの小さい試験体MP4については、接合部のせん断変形角の推移、接合部パネルの膨張の様子、梁たわみの変形成分の分離、接合部入力せん断力の算定、梁主筋および柱主筋の接合部内付着応力度の算定と付着強度の特定など、かなり詳細に検討した。

 多分これだけで大会論文の1、2編は執筆できると思っている(半分負け惜しみです)が、特に付着応力度の推移に現象を解釈できない事柄があって(多分、溶接フシの挙動が影響しているとは思うのだが)、今に至るまで論文としてまとめることが出来ないでいる。


5. 鉄骨ブレースおよび耐震壁を含む鉄筋コンクリート立体建物の3方向骨組解析

 これは2003年度に舛田くんが行った解析研究を継続したもので、それまで連層鉄骨ブレースで耐震補強したRC平面骨組の実験結果を検討していた佐藤照祥くんに担当をお願いした。この研究のそもそもの始まりは、張り間方向の下階壁抜け柱に隣接して鉄骨ブレースを配置したときに(これは下階壁抜け柱の軸耐力補強としても有効で一石二鳥と言われていたのだが)、二方向水平力と鉛直力とを同時に受けた場合には、このような壁抜け柱は極めて過酷な応力状態になるのではないか、という疑問に由来する。

 そこでこの数年、森山くん、舛田くんそして佐藤くんにCANNYによる骨組解析を続けてもらって来た。佐藤くんは連層鉄骨ブレースのモデル化として、それまで使って来た加藤弘行モデルをやめて、ブレースの頂部および脚部には平面保持に基づくMSバネを設置するという新しいモデルに変更した。さらに彼は張り間方向の耐震壁と桁行方向の鉄骨ブレースが接してL形の断面となる部分では、そのL形断面を一体としてMSバネで表現するようにした。

 このようにいろいろと工夫して新規のモデル化によって解析を実施しようとトライした。しかし結論としてはその『L形断面MSバネモデル』では、張り間方向に下階壁抜けを有する建物の解析はできなかった。そこでやむなく、4階建てのフレームに四連層の鉄骨ブレースを組み込み、張り間方向の連層耐震壁は鉄骨ブレースに干渉しない両妻面のみに配置して一方向地震応答解析を行った。

 佐藤くんの努力は多とするが、その結果が当初の目的に合致しなかったのは残念であった。しかし佐藤くんの新しいモデル化によって、それまでは連層鉄骨ブレースの基礎の浮き上がり回転のみしか扱えなかったのに対して、全体曲げ破壊も再現できるようになったのは収穫であった。

 この研究の当初は複雑な解析を精密に実行できるプログラムCANNYに相当の期待を抱いた。鉄骨ブレースのアンカー筋一本づつをバネに置換するという構想もあった。だが研究を続けて、ときには李康寧さんとも議論して徐々に分かったのだが、上述のように下階壁抜け柱に鉄骨ブレースが抱き合わされると、二方向加力したときに下階壁抜け柱の軸変位の適合条件が満足されずに解が発散する、ということがしばしば生じるようだった。

 こうして私の知りたかった『連層鉄骨ブレース補強+下階壁抜け柱補強』という命題は、骨組解析によって直ぐには解決できそうにもないことを(残念ながら)認識した。解析で上手くゆかないなら実験で、というのは後から考えれば結構自然な流れであった。普通は実験で分からないことを解析で把握しよう、というふうになるのだろうが、全く我が社らしい発想である。

 ただ「連層鉄骨ブレースで補強したRC骨組の耐震性能評価に関する実験研究」第二弾は2002年から科研費に申請し続けてきたが二年続けて採択されなかった。2004年10月の申請はまさに三度目の正直であった。そこで今度こそは採択されるぞという意気込みで、それまで不採択だった二回の申請調書を見直して磨きをかけ、以下のようなフリーハンドのポンチ絵を新たに追加した。

 さらに以下の二つの課題を設定して、それを解決するためにこの研究が必要なのだ!とアピールした。

課題1:面外曲げと変動軸力とを受ける連層鉄骨ブレースの力学特性の把握および耐震性能の評価

課題2:三方向外力を受ける連層鉄骨ブレースが下階壁抜け柱に対する軸力補強を兼ねるとき、鉄骨ブレースの破壊モード遷移にともなう耐震性能の評価および下階壁抜け柱の性状の把握

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 図 立体骨組実験のイメージ

 これが功を奏したのかどうか分からないが、翌2005年4月にめでたく採択という吉報を得ることができた。ちなみに上記の二つの課題は後年、中沼弘貴くんと林秀樹くんとがそれぞれ修論の研究として受け持って、各々の実験が為されることになる。


6. 兵庫県南部地震十周年祈念のイベント

 2005年1月17日は兵庫県南部地震発生から十周年であった。そこで十周年祈念のイベントがたくさん開かれたと思うが、私は依頼のあった二つのシンポジウムに出席・参加した。
 ひとつは壁谷澤寿海先生が主催された(と思うが)国際シンポジウムで、震源の地・淡路島の淡路夢舞台国際会議場(安藤忠雄設計)で開催された。シンポジウムの名称は以下の通りである。

International Symposium on Earthquake Engineering Commemorating Tenth Anniversary of the 1995 Kobe Earthquake

 このシンポジウムでは、加藤弘行くんと佐藤照祥くんとが実施した連層鉄骨ブレース補強RC骨組の実験研究を発表した。論文のタイトル等は以下の通りである。

KITAYAMA Kazuhiro : Seismic Behavior of R/C Frame Strengthened by Multi-Story Steel Brace, Proceedings of the International Symposium on Earthquake Engineering Commemorating Tenth Anniversary of the 1995 Kobe Earthquake, January 13-16, 2005, Volume 2, pp.C174-C183.

 発表のセッションの様子などはあまり覚えていないが、大昔に勝俣英雄邸でお会いしたSergio Alcocerさん(アルコセール、メキシコのひと)から質問をいただいた。夢舞台が立派だったのでその写真を載せておこう。

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パネル・ディスカッションの様子(左端はJ. Moehle先生、その隣は壁谷澤寿海先生)

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 淡路島の夢舞台(安藤忠雄設計)

 もうひとつは本学の中林一樹先生(現・明治大学)が中心となっていたNPO法人が企画した「市民が学会とともに考える東京の地震防災シンポジウム」というもので、私は中林先生から講演およびパネル・ディスカッションへの参加を依頼されてお引き受けした。講演の内容は『コンクリート系建物はどこまで安全か? 〜耐震対策の現状と課題〜』だったことがパワーポイント・ファイルを見ると分かった。

 このシンポジウムに参加したのは、坂本功先生(東大名誉教授、木質構造)、目黒公郎先生(東大生産技術研究所教授)、中林一樹先生などであった。この企画は市民参加のワークショップのプレ・イベントみたいなものだったらしい。講演のあとのパネル・ディスカッションでは、各パネリストを呼ぶときに『○○先生』のように先生を付けてはダメで『○○さん』と呼びなさい、というどうにもおかしなルールを課された。市民が主役なのだから、「先生」などという呼称は相応しくないという主催者側の判断だったのだろう。

 おまけに相手を『○○先生』と呼んでしまったときには、そのたびに罰金として1000円をどこぞに寄附するように申し渡された。しかし私にとって坂本功先生は、大学や大学院の頃に授業を受けた正真正銘の「先生」であった。いや、正確に言えば大学院では授業を受けてはいなかった。自慢じゃないが私は大学院生の頃、RC柱梁接合部の実験が忙しくて坂本先生の講義に出ることができなかった。そのことを8階の坂本先生のところに正直に申告しに行くと、じゃあ授業には出なくてよいが単位はあげるよ、と言って下さったのである。

 今ではこのようなことは考えられないですな。もちろん当時でも小谷俊介先生のように、毎回の演習と夏休みの超大変な宿題とを提出しなければ単位をいただけない先生もいた。しかし四半世紀も前の大学には、このような裁量が許され、おおらかな雰囲気があったのである。極言すれば、坂本先生のお陰で私は自分の研究に没頭でき、修士課程を修了できたのである。もう恩人と言っても言い過ぎではない。

 おまけに博士課程に進学すると、坂本先生から安田学園という専門学校の夜学の講師のバイトを紹介されて、そこで二年間に渡って教員予備軍としての経験を積むことができたのである。RC規準に従ってRC建物の構造設計をひと通り経験するという演習みたいな講義であったが、毎週大学の研究室から通ったものである。

 このように教える内容自体は別に難しくもないのだが、聴いてくれる学生は専門学校の夜学に通うひとたちだったのでいろんなひとがいた。若い人もいたが私よりも年上の方もいた。チャランポランそうなヤツもいれば、ちゃんと仕事を持っていて毎週学校に通うこと自体が大変そうなおじさんもいた。そうした多種多様なバックボーンを持った人たちを相手にすることが、私にとっては社会の縮図にも思われ、とても貴重な経験を積むことができたのである。

 なにせ当時の私は青山・小谷研究室という、内部は均一的だが外部から見ると極めて特殊な集団に属しており、井の中の蛙状態であったからである。すなわち世の中にはいろんなひとがいて、それぞれが私の持っていない特技とか技能とか才能とかを持っている(らしい)ということに気が付いたのである。今でいえば社会の多様性ということかな。

 で、安田学園でのこのような経験は、大学院の博士課程を中退して宇都宮大学の助手となってから、学生さん達との付き合いのなかにおおいに活かされることになった。そのような貴重な体験を授けてくれたもとが坂本先生だったのである。

 話が相当に脱線したので元に戻すと、そのように大恩ある坂本功先生に対して、いくら罰金を取られるからといって「坂本さん」などと呼ぶことはとてもできなかった。そこでこのパネル・ディスカッションでは最後まで私は「坂本先生」と呼び通したのである。その結果、数千円の罰金を払うことにはなったのだが、、、。しかし一所懸命にパワーポイント資料を作って議論に参加したのに罰金まで取られるとは、割に合わないボランティアだったなあと今にして思うのであった(ちっちゃな人間ですいません)。


7. 歴史を探究する

 私は歴史が好きである。司馬遼太郎や藤沢周平、山本周五郎らの時代小説を愛読するのもこれに起因している。では、そんなに好きなら自分でも歴史を研究したらどうか、とはしばらくは思わなかった。しかし人間は年齢を重ねるにつれて人類の来し方、行く末が気になるようである。例えば梅村魁先生は東大退官後に『新八識(あらやしき)』というサロンを神保町に開設され、そこで歴史書を存分に読まれていた。いろんな本が並べられていたが、まだ若かった私には全く興味がなかったし(今思えば、ホントに惜しいことをしましたが)、理解もできなかった。

 かくして私も自分自身で歴史を調べてみたい、という欲求が高ずるようになった。それには私が研究する建築構造分野を対象として、明治以降の日本の耐震構造の発展史とか、日本における鉄筋コンクリート(RC)構造発展の歴史とかがうってつけであろう、ということに気がついた。建築史は明らかに計画系の学問であり、耐震構造やRC構造の技術的な面を構造工学者自身が研究した例は少ない、ということも動機としては大きかった。唯一、建築構造の観点から日本の建築法制度を体系的に研究した大橋雄二さん(故人)の『日本建築構造基準変遷史』(日本建築センター、1993年)を知っていた程度である。

 このような経緯で北山研究室における研究テーマとして「歴史」を掲げるようになったのは2002年度からのようである(各年度始めの研究室Kick-off Meetingの資料を調べてみた)。そこには構造系の歴史研究として以下の二つの例が挙げられていた。

(例1) 日本に系統だった建築学を伝えたのは明治初期のイギリス人コンドルである。来日した彼は日本には地震が多いことに驚き、耐震設計の必要性を痛感した(と言われている)。ただし、具体的にどのような行動を起こし、作品に実践したのかなどを詳細に調査した例はない。
(例2) 地震に対する設計法をはじめて明文化した先達・佐野利器とは、いかなる人物であったのか。

 イギリス人建築家のジョサイア・コンドル(Josiah Conder)については『メモランダム』のコーナーで折々に書いている(たとえばここ)ので、ここでは触れない。一流のアーキテクトであったコンドルが耐震構造という観点で何を考えていたのか、私は非常に興味があった。そこで2005年1月の仕事始めに、「ジョサイア・コンドル建築図面集 I〜III」(河東義之編)という図面集を建築学科の山田幸正先生(東洋建築史)からお借りして調べてみた。

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 写真 旧岩崎邸(J・コンドル設計)にある撞球室(ビリヤード室)

 これによって重要な先行研究の幾つかを知ることができたが、構造的な視点で論じられた研究は予想通りかなり少なかった。だがコンドルに関する調査はここでストップした。日々の研究で忙しくて、自分で手を動かすような調査にあてる時間をとれなかったためである。この研究が再び動き出すのは、2009年度に宮木香那さんが卒論のテーマとして取りあげてくれるまで待たねばならない。

 ちなみに北山研究室において歴史研究の端緒を開いたのは、2008年度に建築家・遠藤於菟(日本で最初のRC建物を設計したひと)を調べた小太刀早苗さんである。さらに2011年度には有賀沙織さんが構造学者・佐野利器を調べてくれた。ちなみに、このような歴史テーマにチャレンジしたのがいずれも学部修了とともに卒業した女性たちだったというのは、単なる偶然であろうか。


8. 日本コンクリート工学協会における活動

 この年、日本コンクリート工学協会(JCI)での研究委員会として「被災構造体の補修補強後の耐力変形性状研究委員会」がスタートした。区分はFS(Feasibility Study)で設置期間は一年である。初年度の成果が認められれば、活動期間がさらに最大2年間延長される可能性がある。そこで、研究テーマの枠組に関する体系的な議論および補修・補強に関するデータの収集ならびに検討、を二本柱とする活動を実施することになった。

 委員長は白井伸明先生(日大教授)、副委員長は中村光さん(名古屋大学、土木)であった。ただしこの委員会を提案したのは阪大名誉教授の鈴木計夫先生であったので、白井先生は発足後の委員会運営にご苦労されたことと拝察する。私は乞われて幹事として参加したが、他の幹事は小林薫さん(JR東日本)、衣笠秀行さん(東京理科大学)であった。

 この研究委員会には委員として、私の師匠の田才晃先生(横浜国大)とともに宋栄一さん(ショーボンド建設)が参加されていた。お二人とも、私が卒論生だった頃にエポキシ樹脂を用いたRC部材の耐震補強について研究していたときにご指導いただいた恩人方であり、その再会を祝したものである。委員の集合写真を以下に載せておく。

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 この委員会では、耐震設計WG(「復旧性評価」+「損傷度とコスト」)、損傷評価WGおよび補修・補強後性能評価WG(「補修・補強方法」+「補修後の性能評価」)の三つのWGを立ち上げて、検討を進めることになった。私はこのうちの損傷評価WGの主査をおおせつかった。ただ私としては、先行した野口委員会との内容の違いについて釈然としないものがあったりしたことから、2005年度以降もこの研究委員会が継続することになったときには(名称は「被災構造物の復旧性能評価研究委員会」に変更になったが)、幹事職は解いていただいて一委員として参加することにした。このFSとしての一年間の成果をまとめたパネルをここに示しておく。

 なお野口博先生を委員長とする「塑性域の繰り返し耐力劣化と耐震性能研究委員会」の最終シンポジウムが2004年9月末にJCI会議室で開催された。私はWG1の主査として「繰り返し載荷時の耐力の劣化過程、劣化機構および変形性能評価」と題した発表を行なった。このとき使ったパワーポイントの主題を以下に載せておく。我ながら工夫して作った記憶があるが、如何でしょうか。

CI_Shirai_Com.Panel

 この野口シンポジウムのときに前川宏一先生(東大・土木)と、引張り軸力とせん断力とを同時に受けるRC梁の挙動について私的に議論した。前川先生の実験によるとせん断補強筋がない場合、引張り軸力を一定に保持したあとにせん断力を加える場合と引張り軸力とせん断力とを連動させて同時に載荷する場合とでは、ひび割れの入り方などのせん断挙動が異なる、ということであった。知的好奇心をくすぐるこのような会話はいつでもワクワクするものである。


9. 日本建築学会における活動

 日本建築学会においては、PC部材終局性能・設計法小委員会(中塚佶主査)での仕事が忙しくなった。この小委員会のなかにPC接合部WGを作って、PC柱梁接合部の復元力特性評価や限界状態の設定などについての検討を本格的に始めたためである。WG委員を永井覚さん(鹿島技研)や岸田慎司さん(当時・東京都立大学助手)といった勝手知ったる人たちにお願いしたのもこのときである。

 中塚佶先生のリーダーシップのもとで委員会活動の成果をシンポジウムにおいて発表することを当座の目標とした。このシンポジウムは2005年1月に「プレストレスト(鉄筋)コンクリート部材の終局性能評価手法〜考え方の基礎から最前線まで〜」と題して東京および大阪で開催され、私は大阪会場での発表を担当した。

 PC柱梁接合部の限界状態を設定するにあたりRC構造からPC構造までの連続性を考慮するために、中塚先生の提案に従ってプレストレス率によって三段階に区分することにしたのはこのときである。
 このシンポジウムのために作成した報告書のなかの『第6章 PC柱梁接合部の構造性能評価』はいま見ると、現在(2013年1月)進行中の「プレストレストコンクリート部材の構造性能評価指針(案)・同解説」にほとんど活かされているのが分かる。継続は力なり、ということの証左であろう。


10. COEの分担研究

 文部科学省の21世紀 COEプログラムの二年めの分担研究として初年度に引き続き、耐震補強および学校建物のコンバージョンに取り組んだ。耐震補強に関しては主として森田真司研究員を中心として、既存RC建物の耐震補強に使用できる技術・工法を調査して、その特徴・利点、補強設計時に注意すべき事項および使用例を整理した。また「居ながら補強」の可能性について重点的に調査した。このときの報告梗概をここに載せておく。

 学校建物の改修については、上野淳先生や角田誠先生のフィールドにお邪魔していくつかのプロジェクトに参加した。特に多摩ニュータウンにある東永山小学校のコミュニティ施設への改修プロジェクトでは、当該校舎1階(桁行方向)の耐震二次診断を手計算で行なって報告書(まあメモみたいなものですが、、、)を作成した。耐震診断基準が2001年に改訂されてからはじめて自身で計算したので、そのことがよい勉強になったことを憶えている。


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