トップページ > 北山研ヒストリー> 北山研での研究:1996年

1. 小山明男さん、北山研二代助手に着任

 この年、李祥浩さんの後任の助手として、小山明男さんが着任した。彼はそれまで明治大学の大学院博士課程に在籍しており、本来の専門はコンクリート材料である。しかし狩野芳一先生(当時明治大学教授、注1)の指導方針によって、RC構造についても研究し始めており、それまでにRC部材による構造実験なども手がけていた。私が新しい助手を捜しているとき、狩野先生に「誰かいいひといませんか」とご相談したところ、小山さんを推薦して下さった、というのがことの発端である。研究室のメンバーが増えてきたこともあり、兄貴分の小山さんに学生の面倒を見てもらい、大いに助かった。小山さんはコンクリート材料にも明るくて構造実験もできるということで、わが研究室の中心戦力となって活躍してくれた。彼はかつての私同様、博士課程を中退して助手になったので、北山研でのRC構造研究を進めるかたわら、本職のコンクリート材料のほうの博士論文を執筆する、という二足の草鞋を履くことになり、多分大変だったことと思う。しかし彼は非常に明るい青年であったので(その点、北山研にはピッタリの得難い人材であった)、そのような弱音を少なくとも私に漏らしたことはなかった。偉いことである。小山さんはやがて明治大学から博士の学位を授与されたが(明大生田キャンパスで開かれた博士論文公聴会には橘高先生と一緒に出席して、私も質問したりした)、その後、請われて1999年に母校の専任講師として戻って行った。明治大学の菊池先生(小山さんの師匠筋に当たる方)がわざわざ都立大学まで挨拶においで下さり、私は恐縮するとともに偉い方だなと感心した。小山さんが都立大学に在籍したのはちょうど3年であった。短いと言えば短いかも知れないが、小山さんにとっては彼のキャリアを進めることになるので、祝福して送り出したのであった。

(注1)狩野芳一先生は東大武藤・梅村研のご出身なので、私にとっては遥か彼方の大先輩にあたる。同時に狩野先生と私の父親とは知己であった。狩野先生と初めてお会いしたのは、私が青山・小谷研の大学院生だったときの4大学対抗の野球のときであったと思う。明治大学との対戦のときのことである。明治大学は私学のため人材が豊富で、ピッチャーは見たことのないような豪速球を投げる学生だった。東大のひ弱な先輩バッターは次々と仕留められていった。そして私の打席となった。私は打つことには自身があったので、真ん中の直球を狙っていた。速い球ほどタイミングで打てるものである。そして期待通り「カーンッ」という気持ちよい金属音とともに打球はライナーでセンターに抜けていった。私が俊足を活かして2塁まで行ったとき、二塁手をしておられた狩野先生から「北山さん、噂に違わぬバッティングですね」とお褒めの言葉をいただいた。私の研究についてご存じであったかどうかは分からないが、またしても青研での野球が役に立ったのだけは確かであろう(このあたりの事情は「卒業論文を書いていた頃」のなかの野球の項に詳しい)。

 研究室の陣容についてであるが、まず豊田浩一君が工学院大学から大学院へ進学してきた。彼は広沢雅也先生(当時工学院大学教授)の研究室に所属していた。本学からは溝部君が進学して、同学年の大学院生が初めて二人になった。1996年度のメンバーは以下の通りである。

助手 小山 明男(こやま あきお)
M2 (空 席)
M1  豊田 浩一(とよだ こういち)
   溝部 錦伸(みぞべ かねのぶ)
卒論 森田 真司(もりた しんじ)
   横尾 一知(よこお かずとも)

 1996年は4年に一度の世界地震工学会議の開催年であった。第11回WCEEはメキシコ・アカプルコで開かれた。私は姜柱さんのサ形骨組実験の成果をポスター・セッションで発表した。オーラル・セッションだと発表用スライドとか英文原稿とかを準備しないといけないし、発表後の英語の質問にも答えないといけない。それに較べると、ポスター・セッションは日本から大判のポスターを自分で運ぶ、という手間があるが、発表の際にはポスターを貼ってお客さん個々人を相手にすればよいので、こちらのほうが私は気楽である。アカプルコはよいところだったが、タクシーはオンボロのフォルクスワーゲンなどが多かった。この旅は芳村先生とご一緒したのだが、帰りはメキシコ・シティに一泊することになり、夜のレストランで食事をした。何を食べたか忘れたが、芳村先生がとても辛いものを注文したのを憶えている。ただ、この街は相当に物騒な感じで、夜の街をホテルまで小走りで帰っていった。





左から園部泰寿先生(筑波大学)、前田匡樹さん(横浜国大)、西川孝夫御大、北山

2. 変動軸力を受けるRC柱のせん断性状に関する研究

 この年、都立大学に赴任して初めての科学研究費補助金(基盤研究C)を獲得することができた。その課題名は「上下動による複雑な変動軸力を受ける鉄筋コンクリート柱のせん断強度に関する研究」で、予算は220万円であった。この研究では、軸力を変数としてRC柱のせん断性状を把握するための実験を企画したが、具体的に知りたいことは、(1)ひび割れの発生・開閉がせん断性状に与える影響、(2)軸力のみが変動するときのひび割れ角度の変化、および(3)トラス機構とアーチ機構とのせん断力負担割合の変化、であった。そこで機械建築実験棟のBRI式加力フレームを用いて、4体のRC柱試験体に逆対称曲げせん断載荷する実験を実施した。担当はM1の豊田君、卒論生の横尾君である。この実験では、RC柱の水平変位を一定に保持したまま、軸力を圧縮から引張りへ、あるいは引張りから圧縮へと変動させたことが大きな特徴であった。この載荷履歴を採用したことにより、軸力の変動によって影響を受けるのはトラス機構であり、アーチ機構の負担せん断力は軸力の大きさ(引張りでも圧縮でも)にかかわらずほぼ一定である、という事実を突きとめることができた(これを発表したのは、1998年のJCI年次論文報告集およびAIJ大会梗概であり、いずれも横尾君が筆頭著者であった)。

 

 

3. RC外柱梁接合部のせん断強度に関する研究

 この年にはさらに、小谷俊介先生を研究代表者とする科学研究費補助金(基盤研究(A))も採択されて、私も研究分担者に加えていただき、250万円を配分していただいた。課題名は「鉄筋コンクリ-ト造建築物の終局強度型性能設計法」である。北山研では、軸力が外柱梁接合部のせん断挙動に与える影響を検討するために、ト形柱梁部分架構を用いた実験を行うことにした。柱軸力を載荷した部分架構実験は都立大学に赴任してから初めてである。この実験では、ト形柱梁接合部試験体に引張り軸力を加える必要があったが、都立大学にある三軸一点クレビスには圧縮軸力しか載荷できなかった。そのため、引張り軸力も載荷できる新しい三軸一点クレビスを新たに作製することになった。この費用として、幸いにも大学内のレベルアップ(施設整備費)予算を充当してよい、ということを建築学教室の会議で決めていただき、とても助かった。三軸一点クレビスの製作費は巨額であり、とても北山だけの研究費では作れないものであったので、この援助はまさに“天の助け”であった。

4. 八戸東高校管理棟の地震応答解析

 このテーマは大学院に進学した溝部君に引き続き担当してもらった。八戸東高校管理棟(RC3階建て)は桁行方向1階において、16本の柱のうち8本が損傷度5のせん断破壊を生じる、という被害を受けており、倒壊と判定された建物である。この研究を行うに当たって、青森県教育庁の沢田正明氏(本学・西川研究室のOB)から当該建物の構造図や地盤調査結果などの貴重な資料を提供していただいた。またコンクリート・コアの圧縮強度や抜き取った鉄筋の材料試験結果は、八戸工業大学の毛呂眞先生からいただくことができた。

 当時研究をしているときにはあまり注目しなかったのだが、この建物の張り間方向には下階壁抜けフレームが1枚あった。この建物の張り間方向は、教室脇の廊下を形持ち梁で支持する、いわゆるバランスド・フレーム(岡設計の専売である)で構成されており、1スパンの二本柱である。下階壁抜けフレームでは、二本の柱ともに桁行方向でせん断破壊したが、張り間方向の軸力変動によって廊下側の柱(支配面積が大きいため、支持軸力も大きいはず)は約10cm沈下しており、軸崩壊寸前であったと判断できる。この事実は、下階壁抜け柱が張り間方向の軸力変動によって軸崩壊することがあるという計算結果と合致しており、貴重な実例であると思う。また、張り間方向1階の耐震壁には相当激しくせん断破壊したものがあり、壁板の斜めせん断ひび割れが上部の枠梁まで貫通してせん断破壊させていた。


 耐震壁および枠梁のせん断破壊(八戸東高校管理棟 張り間方向)

 この建物の地震応答性状を把握するために、桁行方向の2構面を剛棒で連結した平面骨組の非線形地震応答解析を実施した。解析はいつものように壁谷澤寿海先生開発の「DANDY」によって行った。しかしその結果は、実被害とは対応しないものであった。八戸市庁舎で観測された地震波を入力したのだが、梁降伏が発生して、1階柱にはせん断破壊を引き起こすほどのせん断力応答が生じなかったのである。解析結果と実被害の状況とが一致しないという研究者泣かせの出来事は、結構しょっちゅう出現しているのだが、この研究結果も図らずながらもその仲間入り、と言えるだろう。なお、1997年に発表したJCI年次論文には、1階の柱主筋に重ね継ぎ手を用いたことが、そのせん断強度を低下させた可能性があることを指摘していた。この点に着目して芳村研究室が八戸東高校の解析で論文を発表した(注1)のは、21世紀になってからである。

(注1)芳村学、土肥うらら、保木和明、北山和宏:荷重低下域における柱の挙動を考慮した被災RC造建物の非線形骨組解析 ー三陸はるか沖地震における八戸東高校の検討ー、日本建築学会構造系論文集、第597号、2005年11月、pp.109-117.

 さて、1995年の兵庫県南部地震以降、耐震性能の劣った既存建物の耐震診断や耐震補強が国家的施策として強力に推進されるようになった。多分、これを契機としたと思うのだが、大林組技研の勝俣英雄氏は耐震二次診断の結果から、柱や耐震壁といった鉛直部材の破壊モードがせん断破壊あるいは曲げ破壊に分類されることを利用して、各破壊モードの部材群をひとつのせん断バネおよび曲げバネにまとめて、せん断破壊後の耐力低下(復元力モデル上では負勾配として表現)を考慮できる多質点系の非線形地震応答解析プログラム「ERA」を開発した。これはExcel上で操作でき、アルゴリズムはVisual BasicでCodingされていたため、とても使い易かった。

 そこでこのプログラム「ERA」を勝俣さんからご提供いただいて、八戸東高校管理棟の耐震診断結果を用いて、三質点系の串団子モデルによって非線形地震応答解析をやってみた。その結果、2階および3階の曲げバネは降伏しなかったのに対して、1階では柱のせん断破壊によって耐力低下が生じて、実被害を再現できた。また破壊の過程として、はじめに廊下側の支配面積の大きいフレームの柱がせん断破壊し、その直後の揺れ戻しによって南側のフレームの柱もせん断破壊した、ということがわかった。このあたりの様子を、せん断バネの復元力履歴特性と層間変位の時刻歴とを見ながら理解したときには、相当にワクワクしたことを記憶している。真実を知りたいという知的欲求が、自分なりに満たされた瞬間であったのだろう。



     図 1層のせん断バネの復元力履歴特性と頂部水平変位の時刻歴

 こうして八戸東高校管理棟を対象とした一連の研究は終わった。しかし、詳細な骨組解析によっては被災状況をうまく再現できなかったにもかかわらず、耐震二次診断の結果を利用して(相当大雑把に)エイヤッと串団子モデルのバネ特性を与えた多質点系解析の結果のほうが、むしろ実現象を追跡できるという、ちょっとばかり残念な?顛末となった。ただ、経験としては非常によかったと思っている(負け惜しみではなく、本心からです。同様の経験は多くの同業研究者も体験しており、この問題を如何に解決するかが、重要な研究テーマとなりそうです)。

5. RC開断面立体耐震壁のねじれ挙動に関する研究

 千葉大学・野口研究室に在籍したとき以来となる、鹿島建設技術研究所との共同研究がこの年スタートした。鹿島側の担当者は別所佐登志さん、鈴木紀雄さん、丸田誠さんおよび永井覚さん、都立大学側の担当者は助手の小山さんと卒論生の森田君であった。鹿島では、高層RC建物のセンターコアにH型断面の耐震壁を設置して、地震による水平力の大部分をこれに負担させるという新たな構造システム(Super R/C Frame)の開発を行っており、そのための研究の一環としてH型およびC型開断面耐震壁の純ねじれ実験を都立大学で実施することになった。私はそれまで耐震壁の実験はやったことがなく、そのうえRC部材のねじれについてはほとんど知らないと言ってもよかった。そこで、RC立体耐震壁のねじれ研究の第一人者であった荒井先生(室蘭工業大学)の学位論文を鈴木紀雄さんからいただき、自由ねじり(Saint-Venantねじり)と拘束ねじりの違いなど一所懸命に勉強を始めた。H型断面の場合には重心とせん断中心とが一致するので問題はなかったが、C型断面ではこの両者の位置が異なるため、どのように加力すれば上部スタブに純ねじれが作用するのか、知恵を絞った。鹿島と打ち合わせを重ねて、最終的にH型断面試験体4体およびC型断面試験体2体を実験することになった。

 試験体の作製は大学の実験ヤードにて行い、施工は鹿島技研お抱えの吉村工業が担当した。耐震壁の壁厚さは80mmと小さいのだが、試験体の高さは上下の加力スタブを含めて1800mmあり、結構大きかった。そのため、上部スタブの鉄筋カゴを組み付けるときやコンクリート打設の際にはタワークレーンを雇う必要があった。コンクリートはやはり鹿島技研が使っている調布の生コン工場から運ぶことにしたが、そこから大学までは小一時間かかるため、大学のヤードで打設しているうちにコンクリートのワーカビリティが低下する可能性があった。そこで流動化剤などのお薬を途中でミキサー車に投入することになったが、このあたりは小山さんの得意分野だったので全ての判断を安心して彼に任せることができた。


 鉄筋組み立ての様子(左はバイトの萬造寺くん、後ろ姿は小山助手)/奥のBRIフレームで豊田・横尾チームが柱の実験をしているのが見える

 TMUヤードでのコンクリート打設

 実験では純ねじれモーメントを載荷しているとはいえ、結局はH型断面やC型断面のフランジ壁がせん断破壊したり曲げ降伏したりするので、通常の曲げせん断実験で見られるのと同様の事象を観察できることになり、一石二鳥の実験とも言えた。加力はこの年(1996)の暮れから1月にかけて実施したが、正月休みに永井さんに出て来てもらって、大型構造物実験棟で一日中、一緒に実験したことを懐かしく思い出す。なおこの研究を1998年のJCI年次大会で発表した森田君が、優秀論文発表賞を受賞したことを付記する。


 H型壁の純ねじれ実験

 左から小山助手、北山、森田、横尾

 1996年度の研究成果は以下の論文や指針(案)として結実することになった。

1. 溝部錦伸、北山和宏:1994年三陸はるか沖地震により被災した八戸東高校の耐震性能、コンクリート工学年次論文報告集、Vol.19-2、1997年、6月、pp.375-380.

2. 永井覚、丸田誠、北山和宏、小山明男、森田真司:鉄筋コンクリート造H形立体耐震壁のねじり性状に関する研究(その1 実験計画および結果概要)、日本建築学会大会学術講演梗概集、C−2構造IV、1997年、9月、pp.189-190.

3. 森田真司、小山明男、北山和宏、別所佐登志、鈴木紀雄:鉄筋コンクリート造H形立体耐震壁のねじり性状に関する研究(その2 実験結果の検討)、日本建築学会大会学術講演梗概集、C−2構造IV、1997年、9月、pp.191-192.

4. 豊田浩一、横尾一知、小山明男、北山和宏:変動軸力を受ける鉄筋コンクリート柱のせん断強度に関する研究(その1、2)、日本建築学会大会学術講演梗概集、C−2構造IV、1997年、9月、pp.11-14.

5. 北山和宏:変動軸力を受ける鉄筋コンクリート柱のせん断強度に関する研究(その3 修正圧縮場理論を用いたせん断強度解析)、日本建築学会大会学術講演梗概集、C−2構造IV、1997年、9月、pp.15-16.

6. 溝部錦伸、北山和宏:二つの地震動による八戸東高校管理棟の地震応答解析、日本建築学会大会学術講演梗概集、C−2構造IV、1997年、9月、pp.495-496.

7. 北山和宏、溝部錦伸:青森県立八戸東高校管理棟の耐震性能、日本建築学会シンポジウム「三陸はるか沖地震の被害と耐震設計」資料集、1997年、7月、pp.51-56.

8. 日本建築学会:鉄筋コンクリート造建物の靱性保証型耐震設計指針・同解説、1997年7月.

9. 姜柱、北山和宏:鉄筋コンクリート梁の降伏変形推定方法、日本建築学会構造系論文集、第501号、1997年、11月、pp.85-92.



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