変わるまち並み・変わらないまち並み。変わる暮らし・変わらない暮らし。

私達は「谷根千」と呼ばれる地域を訪問した。谷根千とは「谷中」「根津」「千駄木」という三つの地域のことを指す。この地域は第二次世界大戦や関東大震災などの災害が小さかったために、戦前の日本の風景が未だ残っている東京中心部では珍しい地域だ。伝統的な寺社や墓地が多いことでも知られている。江戸時代に寺町として栄えた歴史があるためだ。

昔の暮らしが息づくまち並みと暮らしが残りつつも、機能を変えて現代のクリエイティビティを発信する街、谷根千は今や日本の人気な観光名所の一つになっている。それは住民の努力の賜物だ。 エネルギッシュで希望に満ちた地域のように見える谷根千。しかしながら、様々な問題が山積している。谷根千は古い建築物のおかげで観光地としての価値を向上させている。裏を返せば地震や火事などの災害に弱い地域であるということだ。また観光地化によって町は潤うが、住民の静かな暮らしを妨害する一因になっている。

魅力的だが危険な街と、安全で静かだが谷根千の歴史を失った街。そのどちらに向かっていけばよいのか。地元を愛する人々の底力とそのパワーに惹きつけられた若者たちの「化学反応」の軌跡を辿りつつ、都市の可能性と未来を探ったツアーとなった。

Group3 ツアールート

グループ3地図

文 化

寺町として確立された谷根千は今も多くの寺や霊園が存在している。この景色は昔と変わらず文化が継続されている。一方で、人々の生活スタイルの変化と共に消え行く文化もある。後半では銭湯と職人について例に挙げ説明していく。

(1) 寺・墓地

墓参り
亡くなった人たちの菩提を弔い、供養するためにお墓参りをする。一般的にはお盆やお彼岸、命日のほか、法要のときや年の暮れ、お正月などに行う。また、人生の節目節目に、報告も兼ねてお参りをする家族も多い。墓参りの際には掃除をしてからお花・線香・お供え物をして、墓石にお水をかけ合掌拝礼をする。谷根千では墓参りに訪れる姿をよく目にする。周辺にJR日暮里駅や東京メトロ根津駅、千駄木駅があるため交通機関を利用する人も多いが、高齢者も多いため、車やタクシー利用する人が多く見られた。一方で、寺によっては駐車場が完備していないケースや、道幅が狭いために車の路上駐車による歩行者の安全や交通の妨げになっている現状もある。
寺とその周辺環境の関係
谷中は寺や墓地が多い。そのため街の中にはそれらと関係する花屋や石材屋、和菓子屋も多く点在する。この周辺の花屋には仏花や榊が店頭に並んでいる傾向が見受けられる。
谷中霊園について
谷中霊園は、台東区の北西部、日暮里駅南側の台地上に位置し、区部にある都立霊園の中では3番目に大きい霊園である。台東区の緑の基本計画によると、谷中霊園は寛永寺や上野恩賜公園などと一体となった拠点の緑として、環境保全・レクリエーション・景観・防災など、様々な役割を果たす重要な緑として位置づけられる。なお、東京都地域防災計画に基づく避難場所にも指定されている。

(2) 銭 湯

銭湯の今
昔は家庭に湯船が無かった。そのため、銭湯に浸かりに行くという行為は当たり前であった。平成14年(2002年)時点で東京都内にはおよそ1000軒の銭湯があった。しかし内風呂の普及により急速に廃れ減少している。残された銭湯も、スーパー銭湯と呼ばれる入浴娯楽施設に改装するケースも多く、昔ながらの純粋な銭湯は少なくなりつつある。現在では約800軒程度が残っている。1981年に「公衆浴場の確保のための特別 措置に関する法律」が制定され一定の銭湯は残されている。
谷根千の銭湯
朝日湯:谷根千でも残っている数少ない銭湯の1つである。創業は明治の末。遠赤外線のガスサウナ風呂・超音波風呂・バイブラ風呂、毎週火曜日と水曜日はゲルマニウム風呂を提供。毎日、日替わりで、二股温泉、奥飛騨温泉、生姜湯、ラベンダー湯、ローズ湯、ペパーミント湯等、そのほか色々の薬湯が楽しめる。現在でも谷千根周辺に住む人々に愛されている。
SCAI THE BATHHOUSE:いくつかの銭湯は取り壊されている中、この SCAI THE BATHHOUSE のように外観はそのままに、異なる機能を持ち新たな形態として生まれ変わった例もある。このギャラリーは200年の歴史を持つ由緒ある銭湯「柏湯」を改装し、1993年にオープンしている。

(3) 谷根千の職人

ペン画職人の力 杉山八郎・浩一
杉山氏は大好きな町の裏路地で、時代と共に消え行く古い木造家屋や、下町情緒あふれる街並みに気づき、明治頃からの東京下町の懐かしい風景を題材にし、ペン画で改めて表現したい、ひとつでも多く記録したいと、今も息子浩一氏と二人で記録をし続けている。(杉山アートルーム)
杉山氏のペン画は写真にしたら何でもない普段は通り過ぎてしまう町の景色や建物が“ペンの力”で強調され、そこに止まった時間を味わうことが出来る。写真とはひと味もふた味も違う記録の仕方を再認識した。最後には一人一人ペン画のはがきをいただいた。
ペン画像職人の力写真1ペン画像職人の力写真2

【左写真:撮影】【右写真:撮影】

谷中彫金工房 斎藤照英
金・銀・銅合金等を打ち出し・片切(かたぎり)・象嵌(ぞうがん)等の技法で、工芸作品を制作する職人。今回の元のツアープランには入ってなかったが、ツアールートを歩いている際に偶然見かけた工房である。この時には、万国博覧会等に出していた彫金銀花瓶の修復を行っていた。今まで野作品の中には皇室に献上するような物まで手がけているとのこと。このような巧みの技を持っているが斎藤氏の工房は後継者がいないとのことであった。今回のツアールート中に偶然にも職人の技を間近に見ることが出来たとともに、伝統工芸の現実を直視する機会になった。斎藤氏は2014年の芸工展に出展していた。
芸工展
芸工展のコンセプトは「まちじゅうが展覧会場」、地域の人や子供たちとまちのよいところを体験し共に味わうために始めた新しい形の地域をつなぐ活動。参加者は、趣旨に賛同する普通のひと、様々な職人、自称プロ,アマアーテイスト,お店,ワークショップ,学生など、まちの手作り文化を担い発信する人を募り、地図で紹介し町をめぐる。香隣舎は明治時代の酒屋の趣を残す、谷中らしい建物のひとつである 。個人のご所有だが、ご厚意により地域のイベント等に貸し出しされていて、毎年「芸工展」のベースとして活用されている。
芸工展写真1芸工展写真2芸工展写真3

【左写真:撮影】【中央写真:撮影】【右写真:撮影】

切り絵職人 石田良介
ツアーの中では切り絵職人石田良介氏の「谷中百景」を見ながら歩いた。この作品は30年前の谷中が切り絵にて表現されたものである。1984年地域雑誌「谷根千」創刊した頃とちょうど同じ時期に石田さんが谷中銀座リニュアル計画に参加し、作品「谷中百景」を街路に設置することになった。
30年前には無かった観光客に人気の谷中銀座商店街はそれぞれ店の屋根にネコの置物を置き、美しい風景の切り絵の看板で揃えた風景が現在はある。このように地域の人が商店街の雰囲気づくりに努めていることが分かる。これが現在の谷中の魅力の1つである。 ツアー内ではアーティストの石田良介さんの作品を見ながらこの30年で変わった景色・変わらない景色があること確認し、検証した。
切り絵職人写真2切り絵職人写真1

【左図:江戸のぬくもり谷中百景 石田良介】【右写真:撮影】

谷根千の歴史的建造物保全活用の検証

谷根千地区は町家、長屋など歴史と文化の価値が高い木造建物が残る地域と言われるが、実際には建物の老朽化や利用者の高齢化などから、空き家になり、取壊されて建替えをする状況も多く見られている。更に大規模開発や道路拡幅等に従ってまちの生活景も大きく変わる恐れがある。一方、残られた伝統的な住環境による住民同士の日常的生活が谷根千地域におけるコミュニティ形成に大きな役割を担っている。このような環境の中、谷根千地域で展開される、町のお祭や町中の展覧会などの文化イベントと共に、近年谷根千の歴史的建造物の保全と活用も多くの人々に重視され、リノベーションしたシェアハウス、アトリエ、カフェ、ギャラリー、手作りショップも増えている。それらのケースは主体別の特徴と動向により、行政、民間、NPO団体による保存活用と分けられる。今回のツアーは民間とNPOによる建物の保存活用事例に着目した。

(1) 行政による保存活用事例

朝倉彫刻館(2001〜文化財指定登録)
日本彫塑界の最高峰であり文化勲章受賞者である朝倉文夫(1883-1964)のアトリエと住居を改装した美術館である。台東区では、朝倉彫塑館の文化財的、芸術的な価値を可能な限り維持保存しながら、施設の耐震補強と老朽化に対応するため、2009年から2013年にかけて保存修復工事を行った。
朝倉彫刻館写真1朝倉彫刻館写真2

【左写真:撮影】
【右写真:朝倉文夫 - JapaneseClass http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/96/5afe3e9a8d86221518b7b07a57cae805.jpg

下町風俗資料館別館(旧吉田屋酒店)(区指定民俗有形文化財)
台東区により谷中6丁目で江戸時代から代々酒屋を営んでいた「吉田屋」の建物を下町風俗資料館の付設展示場として現在地に移築したものである。この建物は1910年に建てられて、1986年まで実際に商人が住んでいた。江戸中期から明治時代の商家建築の特徴を示すものである。明治から昭和まで実際に酒屋で使っている天平、キャスト、測定ツールや広告ポスターなどを展示している。
下町風俗資料館別館写真1下町風俗資料館別館写真2下町風俗資料館別館斜写真3

【左写真:ブログ http://blog.livedoor.jp/kandatono-travel/archives/12966190.html】【中央写真:撮影】
【右写真:ブログ http://blog.livedoor.jp/gahtan/archives/65817645.html

(2) 民間による保存活用事例

スペース小倉屋(文化財指定登録2000)
所有者が家の歴史に誇りを持ち、国登録文化財として保存活用する例がある。享保年間(1716年〜1735)より昭和15年まで営業していた小倉屋質店の所有で江戸初期は質屋店舗、大正期は3階建て土蔵として使われていたものを活用した空間である。今は建物見学、アート、明治から昭和までの風俗文化絵画の展示場として活用されている。
スペース小倉屋写真1スペース小倉屋写真2

【左図:すぺーす小倉屋HP http://www.oguraya.gr.jp/photo.html 伊藤とし画】
【右図:すぺーす小倉屋HP  http://www.oguraya.gr.jp/

萩 荘
HAGISO は1955年から木造アパート「萩荘」として、また2004年からは美大学生によって、アトリエ兼シェアハウスとして使われてきた。しかし、2011年の東日本大震災をきっかけに、老朽化のため解体する方針となったが、2012年2月、解体に先だって入居者一同より家主への最後のお願いとして企画したグループ展「ハギエンナーレ2012」の開催をきっかけに、予想外の盛況を受けたことによりこの建物の価値が見直され、HAGISOプロジェクトが生まれた。学生達が“萩荘”を改修し、ギャラリー/カフェ/ワークショップスペース/ヘア サロン/アトリエ/デザイン事務所などを擁するオルタナティブスペース “HAGISO” に生まれ変わらせることで、東京・谷中に新たな文化拠点を作るプロジェクトである。

萩荘写真

【図:HAGISO HP http://hagiso.jp/about/

間間間写真1

【図:HAGISO HP http://hagiso.jp/about/

(3) NPOによる保存活用事例

NPO等が居住・業務機能が低下や空家になった建物を所有者から借り受け、維持管理を行い、地域や社会に開いた保全活用のプログラムを組み、町づくりへの波及効果の高い事例を紹介する。
間間間「さんけんま」
間間間は95年前に、文房具店として建てられた。今ではシェアハウスとして使われていて、時にはカフェとワークショップも現れる。かつての文房具店は、住まいを兼ねた日替わりのシェア空間に生まれ変わった。名前の由来は、間口が三間あるためその屋号が付けられた。老若男女が集う「まちの寄り合い所」は訪れる人を暖かく迎えてくれる。半居住として、平日昼間や土日は1階通りに開く前土間式の店空間を活かして、多様な時間と空間シェアの形をとっている。2階の住人にとっても「店の間」は家族的な食事の場、コミュニケーションの場になる。まちに開く家とコミュニティスペースでもある。
間間間写真2

【図:NPO法人たいとう歴史都市研究会HP http://www.taireki.com/sankenma/

カヤバ珈琲
カヤバ珈琲店は1938年に建造され、76年の歴史を持っている。元の外観を残すため、改装を実施しながらも、建物のスタイルは少々近代的になっていた。この建物は谷中町の角に立つ大正5年(推定)の町屋で谷中のランドマークである。ミルクホール、かき氷・あんみつ店、などを経て昭和13年に「カヤバ珈琲店」となり、 地域の憩いの場、芸術談義の場として、幅広い層に長年親しまれてきた。2006に一旦閉店となったが、この喫茶店に愛着を持つ地域内外の人の支援を得て、 NPO法人「たいとう歴史都市研究会」が借り受け、2009年あたらしい運営者により「カヤバ珈琲」が復活した。

路 地

路地とは家と家に挟まれた私的な小路で、車が入ってこられないような細い道のことを指す。古い路地が多く残っていることは谷根千の魅力の一つといえるが、こうした古い都市空間はいくつかの問題を有していることも事実である。この章では、谷根千の古い空間構成が持つ特性について説明する。

路地写真2路地写真1路地写真3

【左写真:撮影】【中央写真:撮影】【右写真:撮影】

(1) 路地の構成

第二次世界大戦後、東京のほとんどの街区は戦災の被害を受けたことから浅草のように区画整理が行われた。ところが、谷根千は幸いにも被害が小さかったため、古い街区構成が残ったのである。未だに根強い地縁が息づいている稀有な地域ではあるが、こうした街区構成は火災時には延焼しやすく消火しにくいなど防災面で多くの問題が指摘されており、早急な解決が望まれている。
路地の構成

【図:新編・谷根千路地事典 江戸のある町 上野・谷根千研究会】

(2) 路地の名前

高度成長時代には近代化から取り残された地区であった谷根千も、80年代にはその価値が再認識されるようになった。その要因の一つに路地や坂に愛称を与えるという活動が挙げられる。このことによりその場所でいくつかのストーリーが語られるようになり、住民が親しみを持つようになったのだ。こうして、かつては日本のどこでも見られた街の景観も今では珍しい景観として知られるようになったのである。
路地の名前写真1

【図:新編・谷根千路地事典 江戸のある町 上野・谷根千研究会 / 写真:撮影】

 

路地の名前23

【図:新編・谷根千路地事典 江戸のある町 上野・谷根千研究会 / 写真:撮影】

(3) 谷中銀座

平日は地元住民の台所として親しまれ、休日は観光地として賑わう。谷根千が有名になるにつれて、地元住民と観光客とのニーズに溝が生じはじめていることが近年問題視されている。昔から変わらない平穏な生活を営みたい住民に対する、その珍しい文化を体験したいと考える多くの観光客。谷中銀座はニーズの異なる住民と観光客の両方に対応する難題に取り組んでいる。
谷中銀座写真1

【谷中銀座商店街振興組合商店街振興組合HP http://www.yanakaginza.com/

ツアーと議論の結果、日本の学生と韓国の学生の感じ方の違い等

韓国の学生と日本の学生との違いは政府や行政との「心の距離」だ。

韓国にも伝統的家屋が密集する「北村韓屋村(Bukchon)」「西村(seo-chon)」という谷根千に似ている地域がある。谷根千との決定的な違いは、これらの地域は政府や行政主導で保護され、文化遺産として指定されている建造物が多いという点だ。谷根千よりも、韓国の伝統的な古い町並みが残っているという。住民主体の保存活動は、政府による保存政策の後に盛んになったそうだ。そのためか、韓国の学生からは政府の介入による街づくりの提案が多く見受けられた。

例えば、観光地化に伴い発生する騒音被害への解決策として、地方自治体が条例を制定するという意見が挙げられた。騒音被害については、韓国でも問題になっているそうだ。現に、立ち入り時間の制限を設けている地域もあるとのことだった。

また、政府は公的扶助を受けている者も含めて、高齢者が住みやすい住居を提供する必要があるという意見もあった。一方で、日本の学生は、伝統的な景観に新築の建物が建造されることへの違和感が挙げられていた。そもそも、日本の学生が古い文化と新しい文化の融合に重点を置いていたが、韓国の学生は想像以上に高年齢化が進んでいるという印象を受けたようだ。

共通点も多く見受けられた。例えば、防災に関しては危険意識が似ており、議論では防火性の材料を建造物に使用するという案が出された。また、住民による地域刊行誌の発行によって、街を活性化していくという街づくりに対するアプローチの方法も、谷根千と共通していた。

議論を通じて、明確に断言できることがある。それは、住民による小規模な取り組みにより、時間をかけて住民一人ひとりが持つ自分の町への愛着を奮い立たせ、結果的に町の活性化につながるということ。そして、住民が真摯に自分の町と向き合うことを諦めなかったことこそが、伝統的な街並みを守ることにつながったという認識である。この認識に関しては、日本の学生も韓国の学生も共通していた。